小説・堀直虎 燎原が叒


直虎文書

 

幼少期に詠んだ句(天保年間(夏))

 

ふんどしで蚊帳をつりけり宇三郎

 

 

警備策(万延元年(1860)11月)

 

(略)

 

 

叒譜序(文久元年(1861))/要旨

 

夫叒者東方秀気之所鍾生而我……(以下要旨)

①「叒」とは東方秀気の集まる所に生じて、わが日本にのみある木であり、中国などの書で「扶桑」がこれにあたる。

②昔の人は桜桃や海棠にもあてるがそれは違う。「叒」は春の日差しに溶け込み、嬌蘂艶弁、爛漫妖嬈として、その美しさはまことに造花の絶技である。

③しかし、この花をめでるものは多いが、酔舞狼藉をし、赤と白の違いもわきまえない。まして子細に花を観察するものはない。

④叒譜を撰したのは誰の手によるかは知らない。濃淡や重単同じでないものもある。図写してその名を記述したが、花の性種は知らない。

⑤探捜の力を集めた。

⑥他人の批判もまた受けたい。

⑦文久元年に良山が韓詩の余暇に写本した。

 

 

元治元甲子秋七月閉居所感(元治元年(1864)7月)

 

噫不尤人不怨天。煥然抗表字三千。常諳賢屈覊征事。欲此唐虞揖讓年。枯骨那於禁闕裡。俊髦宜待帳惟前。湘江煙睹方愁絶。惟覚英光射四辺。

 

 

兵衛次郎書簡(元治2年(1865)2月)

 

春暖の砌、愈、精勤、満足存候、両地も静謐、何より悦入候。出立前、談し置候家族、其表江引移義は当節の様子も有之、種々申上候得共、御承引無之、先、見合候方に相極候。其段可心得候。愈の処は猶、追便可申遣候。又相談じ置候通、小銃出来候哉、当節の様子相考候処、何方にても武器の世話有之様、見請候間、是非買入置度存候。昨暮より追々、被仰出も有之、去程の義、不致候ては、不相成候と存候、弐包相廻候様、可致候。前條の通、御引越の義は先、見合相成候得ば兼て談置候文武講場取立、愈、思立度候、早々、取斗可申候。又在府中は目安箱、引込せ置候方可然かと考候。猶、其表にて思慮致、所取斗候文当暮、被仰出候、御上洛前、譲夷策略、献言の義、去十二日、為差出候。尤、文面の義は異存無之旨、申立侯。出府後、未だ、御番所等の役も無之、当節の様子にては、四月までは、大方手明に存候。猶追便、余事、可申遣候。
     不乙
 如月念五 長門
     兵衛次郎江

 

 

南郷茂光書英国歩兵練兵書之序(慶応元年(1865)7月ころ)

 

知彼知己者兵道之要語。人々誦之。然不窮其旨。唯知彼知己。而未可謂得算者也。知彼所長充己用。知己所短禦彼侮。而后可謂真知彼知己者。而得兵道之要者矣。光汐之斬挙全在於玆乎。西英之訓練于卒伍。編制于陣列。最簡敏而精細。在稗補国家之備者也。古語曰。居治不忘乱。経曰以不教民戦謂之賊。率衆者所宜潜心者也。

 

 

九鬼隆義書簡(慶応元年(1865)10月30日)

 

拝誦仕候。

如例寒気相増候処、先以尊閣偖(?)御安全被為渡、奉恐賀候。

扨小生此程少々風邪罷在候処 御丁寧蒙御訊問有難奉拝謝候。

存候より者惑胃(?)も少く御座候也。

当分之事に而最早快気仕侯間、乍憚御放念可被下候。

然者過日中御噂御座候

英揉余巻取紛 貴意何共奉恐入候

則別書八冊差出候間、後々御留置御覧可被下候。

猶又馬具之儀も近日横浜表へ跡官(?)着与致候(?)趣
案内王たり候間、不取敢十背程相頼置候。
御思召次第、二背程者差出候而も宜敷候。

猶又 履之儀御頼ミ之趣、粗忽千万ニ而候得共、

如何様之品御好ミ被在之候や徹底忘却汗顔之至、是又奉恐入候。

何とぞ寛大之以 御仁の一日一夜、如何之品御好み之趣奉伺度、

幸近日家来一人濱へ遣し候間申付候。

何れ其内参趨謝罪可仕候。

万々拝眉の都奉申上候、先者御請迄 略文
御番役人 奉願候
拝復
   即
御城者之趣奉謝候
今日ハ三十日、折角御堂様奉希上候
拝(?)明日者御無拠御取障ニ而 御登城被遊兼候趣
拝眉与案居候処残念
此事候 万々排趨奉御述候
     かへし
襄(?)霞大君   (直虎花押)拝
九鬼長門守様  内蔵頭
御請 用事
御別寿(?)様

 

 

九鬼隆義書簡(慶応3年(1867)10月)

 

寸書呈上仕侯 逐而寒冷相募候処先以尊閣被為揃(?)愈 御清栄奉恐賀候
一昨日者御留主中、須臾(?)之拝看、遺憾不少候。

過刻者態々其儘(?)供頭(?)弊邸江御遣 御念入儀、深奉拝謝候
右之義者何れ廿一日拝願、委曲御相談可相願候
猶又最早御承知ニも被為心侯や、

一昨日謁後 伊達氏より京極氏関氏 北条氏江直談有之候者御天(?)迄回状出、

其外(?)取扱向等 木下氏初四氏ニ而引請罷在候得共、

毎々不行届之儀も有之《在》候間以来者四氏取扱相断、

席上ニ而万事取扱い呉候様ニとの趣ニ御座候

右に付甚当惑之趣
内々狭山北条氏より
承知計出ス
愚案ニ者四氏断り一条者此程乗切等之儀よりこゝ奮激に奉存候

乍併兼而御内話甲上候申合変革 ー条之好機会と奉存候

此と者関氏北条氏迄ハ申談方可有之やにも奉存候

北条氏江者右之儀決而謙退無之引請申候様精々申上置候

右事件者尊君御勘考も可有之与承知仕候間〈傍に「通り」〉不〈右傍に「取」〉敢奉上候
取急 別而右既《概》略 御巻覧可被下候 謹上
初冬十又七
二白時下折角御愛摂(?)奉祈念候 不窮(?)

 

霞関賢兄 今井鮎(?)生拝
九鬼長門守様 堀内蔵頚
要事 禁止転

 

 

堀直虎・山内豊福建白書(慶応3年(1867)12月)

 

お達しの趣き謹んで拝誦仕かわし候。
右、御宗家へ対し被り、御心労ノ段、感服奉り候。
私共に於いても、二百余年の御恩沢いかでか遺失つかまつるべくや。
憚りながら領地差し上げ候ても一分の忠義相励み候赤心に御座候。
ついてはこれまで通り幕府にて御政権御掌握あそばされ。
宸襟を安んじ奉り、ご篤策の社を希むところに候。
しかしながら討幕の妄説相唱え候輩は、王政復古を異議致し候(者と申すべく欺きては※著者挿入)天朝を棄てる論に相成り、かえって天下両立の端を開き候ては、御為に相成らず候事にて、まったくもって天朝の御為め存じ奉り候。
赤心あくまて貫徹候様致したく、この段御賢慮願い上げ奉り候。
この他いささか異論御座なき候。
卯十二月
堀内蔵頭
山内摂津守
紀伊中納言殿

 

 

麁勺胸痛そしゃくきょうつう (慶応4年(1868)正月9日/直虎辞世)

 

越くれたるはる越を里とるわらびが 重ねきわ越もき心やわらび山

九日

 

令 本政

 

 

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