江戸のベストセラーシリーズvol.3
江戸の銭湯の物語
式亭三馬 諢話浮世風呂
現代語:磐城まんぢう
江戸のベストセラーシリーズ〈第3巻〉
江戸時代の銭湯を舞台にした現代も通じる抱腹絶倒の日常会話
驚愕のバカっ咄の連発!
読みにくく難解で、とっつきにくい江戸時代の草紙を、
できる限り原本のニュアンスを損なわないよう配慮しながら、
現代人に読みやすくしました。
※ルビを多用しているので難解な漢字もすぐ読めます。
お江戸浮世の男湯・女湯覗いてみれば
クソみそ一緒の湯舟から
浮かぶ湯気にさしたる後光
よいよい、生酔(なまよい)、座頭(ざとう)に盲人
茶屋の女にどこぞのかみさん
おいぼれ婆さんが出たかと思えば江戸っ子娘に上方女
手習い童子の愚痴・喧嘩
嘘八百の口先男〝灸を擦りむく三里ばかりか〟
なんと平和な世界だろうか──
訳者(筆者)『あとがき』より
本書は、江戸のベストセラーとして現在残っている名作に触れ、江戸の文化や気風、あるいはその内容や世界観をおおざっぱにでも知りたい人のために、本屋へ行ってもインターネットで探してもなかなか見つけることのできない草紙を、もっと読みやすく、もっと気軽に手に取ってもらえるようにと考えた娯楽小説──否、漫才の脚本と言った方がよいかも知れないが、それである。
ともあれ、『浮世風呂』が書かれた文化年間(1804~1818)当時の江戸の空気を知るには充分過ぎるのではないだろうか?
かつての日本はこんなにも陽気でパワフルだった!<中略>
二百余年の時を経てなお、色褪せずに眼前によみがえるお江戸の情景。
『浮世風呂』は消え去った江戸弁と死語の宝庫でもある。
お金がなければ生きていけぬ今の世の中、人道を捨て去った拝金主義のお金の奪い合い、なんでもかんでも画一化され、法治国家に名を借りた束縛の現代日本──。
閉塞感で息が詰まりそうで、戦争や自然災害の様相うず巻く何ら未来への希望が見いだせない社会にあって、『浮世風呂』から伝わるあっけらかんとした江戸の庶民の息づかいは、今の日本より遥かに豊かで、そして幸福に見えてしまうのだ。(磐城まんぢう)
書籍内容
【初編】
諢話浮世風呂 初編 巻之上巻
朝湯の光景
昼時の光景
諢話浮世風呂 初編 巻之下
午後の光景
【二編 女湯之巻】
女湯之巻自序
附けて云う
諢話浮世風呂 二編 巻之上 女中湯之巻
朝湯より昼前のありさま
諢話浮世風呂 二編 巻之下 女湯之巻
【三編 女中湯之遺漏】
浮世風呂三編自序
諢話浮世風呂 三編 巻之上 女中湯之遺漏
諢話浮世風呂 三編 巻之下 女中湯之遺漏
浮世風呂三編卷之下大尾 ぐっと捻って俗物なる跋
【第四編 男湯再編】
浮世風呂第四編自序
諢話浮世風呂 第四編 巻之上 男湯再編
諢話浮世風呂 第四編 巻之中 男湯の巻
諢話浮世風呂 第四編 巻之下 男湯之卷
あとがき(磐城まんぢう)
諢話浮世風呂 初編 巻之下 より〈銭湯2階での将棋さしの一コマ〉
源四郎は横を見やって、
「またへぼ将棋どもが、蝿のたかったように始めたの」
と呟いた。見れば五、六人集まって将棋をさしている。
「ヤ、横町の草閨、御出でなさい。また負けようと思って」
と、太吉という男が源四郎を挑発して寄って来た。
「ナニこの盲将棋め。太吉なざァ一番糖を舐らせる(わざと負けてやる)と、本気で勝ったつもりでいるくせに」
「サァそんなら、この後で教えてやるヨ」
「尿でもくんべい団扇だ。ぎゅうぎゅう言わせてやるぞ。五節句に何程よこす?」
と、源四郎は先蔵と後兵衛が打つ将棋を後から覗いて、
「ドレドレ、あれからどうなった?ハハァ、悪くしたナァ……コリャ負けだなァ。さっきの塩梅なら簡単に勝った将棋だァ。ちっと見ねぇとこうだ」
先蔵は将棋の盤を睨んだまま「ほざくな。ここから勝って見せようッ」と意気込んだ。
「いま飛車角二枚取られたもんだから弱り切ったァ。洒落も出ねぇナ」と相手の後兵衛がほくそ笑む。
「ナァニ飛車と角で将棋は指さぬッ。こっちは王を取りゃすッ。ソレ、王手」
「そこで合馬サ||オット待ったり」
「きたねぇ将棋だナァ」
「銀は惜しい……ここは桂馬で、ソレこっちが王手だ、王手だ」
「いまいましい奴だ。やっぱり銀にしておけばいいのに||」
「へへン妙手を指すてナ。サア逃げろ、逃げろ。いいか、いいか。逃げたナ。そこで何を打ってやろうな?ヤもう一間角を突っ込め」
「角を突っこめとお出でなすったか。ィャ角を突っこめとお出でなされたかッ。ソコデト、こう打つ、あれで取るか?こう来る、あぁ行く……。もし引いたら尻からピタリと……。まず何でもやって見ろっト||」
「ハハァ、おつな事をして来るナ。飛車手、王手がはずれたら銀を奪い取る計略だナ」
「ナニ飛車もいらないのさ」
そこで源四郎が口を出す。
「この手合の将棋は王を詰めようとはしねぇで、飛車と角ばっかり惜しがっているぜ。コレ駒ばかり掴んでいないで有りったけ打たっしナ」
後兵衛への加勢に焦る先蔵は、
「ハテ、黙って見なさいッ。汝等が知る所にあらずだ。サアサア早くしねぇか、下手の考え休むに似たりでぃ」
「ナンノ、ちっといい手を指すとしゃれらァ。下手の考え休むに似ちゃり、ベェーッ」
と、口真似で返す後兵衛。続けて、
「ヤ、このはかりごと究めて好しだぞ、ソレ来い」
「ヤ、取れ取れ」
「イヤ遣れ遣れ、遣ってさせかィ」
「取ってさせさせッ。いいないいな、ソリャ王手。ヤ逃げたナ逃げたナ。逃げたの内に横水瓜ッ。イヤ逃げたの内に横水瓜ッ、どうしてくりょうナ。これで行こうか、あれで行こうか?まずこう行け。ヤ、きび助きび助ヤ逃げたの内に横水瓜。王手、サアどうだ!」
「ハテ、容赦なく牡丹唐草かい。こう引く、天窗からぴしゃり」
「ア、おなまめだん仏」
そこへ太吉も「まだある、まだある。角を引いて取り捨てしまわっし」と口を挟む。
「それでもよくないテ」と後兵衛。
「ナニいいよ。マァ引いて取り捨てさっし」とまた太吉。ついに業を煮やした先蔵は、
「アァやかましい!東西々々。一人に五人がかりだなぇ。大勢の智恵でおれ一人に負けるかい?可哀や可哀や。取り捨てたか、ソリゃまた王手だ!」
「ソレ引ったくれ、引ったくれ」と太吉が囃す。
「アァ、ア……南無三宝(しくじった)……。そこに桂馬がいたとは知らねかったぁ、待ってくれとも云われまィス……」
「そこで遠慮なくお手に(いただきます)」
「お手は山々(手はいくらでもある)、王が三枚、飛車角六枚||」
「冗談じゃァねぇ!」
「〝お手には山々〟と言ううちにも香桂前に立たず、金角寺の和尚||」
「フム……そこに銀があるか……?」
「銀も一分や二歩はありッ」
「たくさん渡してしまったなゥ……」と、また源四郎が口をはさむ。
「取り捨てるのも綺麗だ。駒はいらねェ」と後兵衛は強がる。
「フン、そんなら盤でばかり指すがいい。負ける気遣い〝梨の木、皂莢、猿滑りッ(『恐れ入りました』の無駄口言葉)〟。ヤ、入王(王将が敵陣に入る)とさせまいとお打ちなさるか。なれば歩を成れと打て」と先蔵。
「デハまず金をいただき女郎衆」
「ハハァ惜しい、成金を取られたかい。これにて将棋はお陀仏かい。ヤ、これにて将棋は陀仏と、こうしろィ!」
「イャちと待った!これはここにいたのだのぉ?そんなら、この香でこの金を取ろう。こうは逃げめぇ」
「ナンダナンダ、どうするのだ?二、三手過ぎた事を仕直すぜぇ。こっちの駒まで動かして大きなお世話だ。一人で両方指すのぉ。アレ御覧なさい、この通り。若殿様のお相手になるようだ、それでよし。気のいい将棋だもの、何でも仏の言う通りにしてやらァ、名人だてナ。ソレ、欲は引ったく蓮華の皮財布と責めてやる」
「乙に責めよせたナ。待てよ。ここが思案のあとや先ッ。ハテナ、ここが思案のあとや先ッ。責められてはチト辟易だて。ハテ、此奴はチト辟易仕るて、ハテお責めなさるかい。お前がたも精出して、お責めなさるが身のお勤めッ。」
「勤めという字に二つはない。テテン」
「アァそこへ逃げちやァ損だ。その隣へ逃げて無駄駒をあわせるがいい」とまた源四郎。押され気味の先蔵は「よく口を出すナァ!」と腹立たし気に叫べば、太吉が、
「ア、いい手があるッ。いい手があれば大橋もありやすッ」
と指南すると、また源四郎、
「ムフム、目が暗んでいるから見えねぇ」
と、一体誰と誰との対局か分かりゃしない。面倒だからこの四人の会話を羅列する。
先蔵「黙ってくたばれ、何も云うなッィ」 後兵衛「何にも言うな、人ではないわッ」 先蔵「ヤ何にも言うな、人ではないわッ。ソレどこへ行く」 後兵衛「ここへ逃げる」 源四郎「アァ悪ィ悪ィ、そう逃げちゃァ追えねぇ」 太吉「ソレぴたりだ」 先蔵「アァよんやら任せろさト」 後兵衛「アァよんやら任せろさト」 先蔵「ソレよんやら任せろさト」 源四郎「ソレソレそこが油断だ」 先蔵「ハテ何にも言うな、人ではないわッ」 後兵衛「ヤ、人ではないわと言って取る」 太吉「いいか、いいか」 先蔵「ソリャ何にも言うな、人ではないわト。雪隠へお出でなさい。アァ臭い臭い」 後兵衛「いまいましい。とうとう雪隠へ」 先蔵「ヤ弱い事、弱い事」
源四郎「ドレドレ、俺が敵を打ってやろう」 太吉「俺が出る」 源四郎「マァ待たっし||」
そこへ五十余りの女が息を荒げて銭湯の門口から入って来たと思うと、
「おらが太吉は一体何をして居るか!」
と梯子(階段)を上り、突然、
「またヘボめらが!金銀でも足りんわい!エヘンエへン||」
と大声を挙げた。女は太吉の母様で、帰りの遅い息子を家から迎えに来たわけだった。