江戸のベストセラーシリーズvol.1
江戸の恋愛模様
為永春水 春色梅ごよみ
現代語:磐城まんぢう
読みにくく難解な江戸時代の草紙を、現代人に読みやすくしました。
今も江戸の昔も変わらない人情と恋愛模様。
もとが面白いから面白い!
江戸時代のドタバタ喜劇。
※ルビを多用しているので難解な漢字もすぐ読める。
『おわりにかえて』より(為永春水)
今も昔も世の中の人の心の優しいことは、千々の金に増している。殊に女子は良しについても悪しについても常に優しくあって欲しいと思う。
家が富み栄え、何事にも愁いがない日は、誰でも思いやりがあって美しく、恨み事があるようなしかめっ面も、はしたない言葉も言わずに過していても、家が衰え、昨日より今日が貧しくなりはじめた時、人の本当の心が見えてくるものである。
別して男女の関係は翠帳紅閨の中で初めて枕を共にするその初めのうちは、時間も忘れて偕老同穴の語らいをし、生まれ変わっても一緒にいようと契りを結ぶ親しみの哀れからも離れがたく、何度も聞いては聞かれる嬉しい約束も、男の身の上が衰えた途端に秋の紅葉へと色が変わり、野辺の千草となって枯れてしまうのはとても味気なく、なんとも見苦しいことであろうか。
主な登場人物(絵:柳川重信)
米八
惚れた男(丹次郎)に一途な芸者。気は少し荒いが人情味あふれる女性。
お蝶〈蝶吉〉
芸者屋『唐琴屋』の娘で丹次郎の許嫁だが、身抜けしてより不幸続きの最年少。
此糸
芸者屋『唐琴屋』一の売れっ子芸者。抜け目なく利発で困っている人を抛っておけないスーパー女性。
お由
女伊達の勇み女性だが、お蝶と出会い藤兵衛との再会によって女の性が目覚めていく。
物語
巻之1(第1コマ・第2コマ)
『唐琴屋』を追いやられ日陰の身となった丹次郎の侘び住まいに、ある日突然米八が訪れ二人は男女の仲に……。
巻之2(第3コマ・第4コマ)
住み替えを望む米八と、店主後継鬼兵衛に苛められるお蝶、二人の境遇を可哀想に思った此糸は身抜け作戦決行。危機一髪のお蝶の前に女侠客お由登場。
巻之3(第5コマ・第6コマ)
江戸っ子千葉の藤兵衛登場。米八を口説くがなかなか落ちない米八の心には愛しい丹次郎が。一方、丹次郎は許嫁のお蝶とウナギ屋で再会を果たす。
巻之4(第7コマ・第8コマ)
ウナギ屋の二階で密会中の丹次郎とお蝶、そこに米八と鉢合わせ。藤兵衛も諦めが悪い男で米八を口説き続けるが……。ますますこじれる恋の糸。
巻之5(第9コマ・第10コマ)
浮浪の身の上丹次郎のところに借金の取り立てに現れた悪漢。丹次郎を助けようとする健気なお蝶。そこへ登場したのが畠山家の家老のサムライ誉田次郎近常、悪漢どもをやっつけて……。
巻之6(第11コマ・第12コマ)
これより先は絵のみ。本編をお楽しみください。
巻之7(第13コマ・第14コマ)
巻之8(第15コマ・第16コマ)
巻之9(第17コマ・第18コマ)
巻之10(第19コマ・第20コマ)
巻之11(第21コマ・第22コマ)
巻之12(第23コマ〈上〉~第24コマ)
巻ノ1 第1コマ〈本文抜粋〉
野に捨てられた 朽ちかけの笠のたもとにひっそりと水仙が咲いていた。
霜 よけほどの侘びしい住まいはそんな風流なものでないが、まばらな柾木の垣根の外は薄い氷を張った田畑があって、心融け合う裏の借家も住めば都というものだ。
中 の郷 は、わずか五、六軒ばかりの粗末な長屋が立つ集落である。最近そこに一人の男が越して来た。年のころなら十八、九……けっして悪い人柄でないが運がなく、貧しい上に半月ほど前から病の床に臥したものだから、生活にこと欠きながら布団の中でコンコンと咳をしていた。男の名を 丹次郎と言う。
身体の調子は良い日もあれば悪い日もあるものだ。その朝は比較的調子が良かったので、ゆがんだ敷居の障子を少しばかり開けて外を眺めたのだ。隙間から吹き込む強い冷たい風で身体をブルルッと震わせ顔をしかめたとき……
ふと、門の戸に見慣れない一人の女が立っていた。女は家の中を気にしながら、やがて、
「少し御免なさいまし、少し御免なさいまし……」と声を挙げた。
丹次郎 は不思議な顔をして「はて?どなただったかな?」と障子の隙間から女に問うた。
「そう言うお声は若旦那さんでございましょ?」
女はそう言ってさも嬉しそうに家の敷地に駆け込んで障子を開けたのだった。
その美しさに 丹次郎 は目を奪われた…… 上田太織の鼠色の棒縞、黒の小柳に紫の山まゆじまの縮緬を鯨帯として、下着はお納戸の中形縮緬、おそこ頭巾を手に持って、乱れた鬢の島田髷 は艶やかで、素顔自慢か寝起きのままか、つくろわない花の笑顔の目もとに愁いを浮かべている……。
丹次郎 は見覚えのある女に思わず声をあげた。
「お 米じゃァねぇかい!どうして来た?オレはここに隠れていたのにまさか知られるたァ思わなかった。まぁまぁこっちへ来なよ、こいつは夢じゃァねえか……?」
と、座りなおして女を家に招き入れたのである。その女の名を 米八と言った。
「わちきゃァもう知れめぇかと思って胸をドキドキさせて、そりゃもう急いで歩いたもんだから、あァ、苦しい……」
米八は胸を叩いて「咽がひッつくようだ」と笑いながら 丹次郎の側に座ると、彼の顔をつくづく見つめ、
「おまはんは 煩っていらっしゃるのかえ?それに……ずいぶんと痩せたんじゃないかい?まァ顔色も悪い、真っ青だヨ!いつから悪いんだい?」
と心配そうな口早で立て続けに聞く。
「ナニ、十五、六日まえからヨ。たいそうな事でもねぇが、どうも気が 塞いでいけねぇ。それはいいが、お前さんはどうしてここを知った?聞きてぇ事もたんとあるんだ」
と 丹次郎の目が泪ぐむ。
「今朝〝 妙見さま〟へお参りに行くつもりで家を出ましたノ。ホントに不思議なことサねぇ、お前様がこんな所に御在宅とは、ほんに夢にも知らなかったんだがネ……」
米八はここに来るまでの経緯を語り始めた。