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(十九)木花桜姫(この はな さくや ひめ)
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 文久四年という年は二月(ふた つき)と十九日間で終わった。
 二月二十日から元治元年と改められたのは天皇が崩御(ほう ぎょ)したわけでなく、こうした短期間での改元は飛鳥時代の昔からたまにあったことではある。文久元年は暦の上で辛酉(しん ゆう)の年に当たり、辛酉の年から三年後は天意が(あらた)まり徳を備えた人に天命が下される革令(かく れい)の年=Aつまり変乱の多い年とされ、この年はそれに当たった。これを甲子革令(かっしかくれい)と言うが、更に深まる暗雲を暗示しているようでもあり、この元治という元号も僅か一年たらずで慶応へと改まる──。
 そんな重い空気を吹きとばし、江戸で一組の夫婦が誕生した。
 このころ将軍は江戸不在で、どことなし緊張感が薄れていると感じるのは気のせいか。その分婚礼の儀は一層喜びが露骨に顕われ、祝賀を見守る人々の心を躍らせる。
 元治元年(一八六四)二月二十七日──。
 桜の蕾が膨らみはじめたこの日、紋付き袴で威風堂々と身なりを固めた直虎は、やや緊張した面持ちで駕籠に乗り込んだ。『婿入り』といって、これから花嫁の待つ上田藩邸へ向かうところなのだ。
 須坂在する高井・上水内地方の婚礼の儀で『婿入り』といえば、結婚当日に媒酌人に導かれた新郎とその親族が嫁の屋敷に行くことで、そこで新婦の親族と新郎の間で盃を交わすことを言う。その後、夕刻まで酒宴が開かれると、今度は新婦とその親族が媒酌人に導かれて新郎の屋敷に移動し、そこでまた新郎とその親族および近しい人と盃が交わされる。その後再び酒宴が催され、このとき高砂≠竍玉の井≠ネどの謡曲が歌われた。
 この儀式は一般に公開されたので、新婦をひと目見ようと老若男女を問わず見物人が自由に屋敷や庭に入り込む。ここは江戸だがこれに似た慣例に従ったことだろうか。
 「いったいどこの姫君だ?」
 「信州上田らしいぞ。あんな別嬪(べっ ぴん)なら一生尻に敷かれたって文句は言わねえ」
 「内蔵頭(くらのかみ)様は果報者だ。あやかりたいねぇ」
 と、そんな囁き声が聞こえた。
 当日の新郎および新婦の出立に際しては、『見立て』といって親族や友人知人を招いて酒が振る舞われ、そこに同じ地域の住人が呼ばれてこれが現代で言うところの披露宴である。これを『三ッ目』と言う。
 それだけで終わらない。結婚の翌々日は『里帰り』といって、新郎新婦とその両親は媒酌人に導かれて新婦の屋敷に再び赴き、そこでまた饗宴がもてなされる。更にその翌日、新婦とその両親が媒酌人に導かれて新郎の屋敷にやって来てまた宴──実に四日がかりである。もっとも上田にも『風呂敷入れ』とか、江戸にも昔から似たような習慣があったりで、両家の話し合いで上田での習わしを取り入れたりもしたろうから純粋に須坂由来とはいかなかっただろうが、婚姻の儀式は滞りなく執り行われたのだった。
 髪を丸髷(まる まげ)に結った白無垢(しろむく)姿の俊は口に鮮やかな紅を乗せ、そのまばゆいばかりの御姿(みすがた)白鶴(はっ かく)と見まごうほどで、恍惚(こう こつ)とした新郎の(まなこ)に見つめられた花嫁は少し照れながら俯いている。これまで見たこともないしおらしさを目の当たりにした側付(そばづ)きの松野は、嬉しさのあまり号泣し、涙で霞んでその晴れ姿をまともに見てあげることができなかった。
 参列者の中に直虎の学問の師である亀田鴬谷(かめだおうこく)夫妻の姿も見えた。実に会うのは数年振りで、夫人の(ぬい)は立派に成長した新郎の姿に瞠目しながら「あの(にわとり)みたいな良ちゃん≠ェ(たか)に化けた」と笑った。
 酒が入るとますます弁舌になるのが鴬谷だった。しかも酔えば酔うほど言葉に鋭利さが増して、新郎の隣に座る美しい花嫁を見つめて小声でこう教えた。
 「直虎よ、承知していると思うがわしの(はなむけ)じゃ、聞いておけ。『礼記正義(らいきせいぎ)』にこうある。
 昔三代明王之政、必敬其妻子也。有道。妻也者、親之主也、敢不敬与。
 昔、明王三代の(まつりごと)は必ずその妻子を敬うのが道であった。妻というものは親の主であるから不敬があってはならない──とな」
 妻が親の主≠ニいうのは、妻というものは夫の親の祭祀には必ず大事な役を努めるという意味で、これは夏殷周三代の賢王を例えにして妻を尊敬することの大切さを説いた孔子の言葉である。思えば何でもかんでも「母ちゃんのお陰」と(ぬい)の面目を立てる彼の生き方の奥には、こうした思想的背景があるのだろう。
 「勘違いするなよ。そうやって細君を意のままに従わせるのだ。もっともわしにはできんがな」
 鴬谷はいつにも増してご機嫌な様子で何杯も酒を勧める。
 ──なんやかやでこうして祝言も無事終わり、どっと疲れを覚えた直虎だが、この日から須坂藩上屋敷には初々しい姫様と付き添いの女中が増えて一気に花の咲いた賑わいである。直虎の心は、新しく始まる未知の世界に戸惑いつつも、これまでに覚えたことのない歓喜で欣喜雀躍(きんきじゃくやく)とした。
 ところが祝いの人々が帰った屋敷の中を見渡せば散らかり放題のゴミの山。座敷に置いたやりかけの仕事は跡形もなく「あれはどうした、それはこっちだ」と遅れた何日間の仕事の穴は大きい。藩主自ら後片付けに翻弄されていると、その様を脇で見ていた俊が、
 「わらわも手伝う」
 と、これが嫁に来て初めての努めとばかりに目についた書類や本やらを片付け出した。ところが勝手にあちこち動かすものだからますますわけが分からなくなって、ついにしびれを切らせた直虎は、
 「姫様もひどくお疲れでしょう。先に奥でお休みください」
 と促した。しかし俊はなかなかやめようとしない。ついに主人の心を察したお付きの松野が、
 「俊様、お着物が汚れます。お部屋に行ってお着替えをいたしましょう」
 と誘ってようやく俊は奥の部屋へと姿を消した。
 ところが三日経っても四日経っても直虎の仕事は終わらない。
 毎晩奥の部屋で松野を話し相手にひとり過ごす新妻は、それでも健気に夫が部屋に来るのを待ちわびていたが、そのうち下屋敷から義母の(しず)が直虎の妹(ふさ)を連れてやって来て、
 「堀家に嫁いだからには堀家のしきたりを覚えてもらわねばなりません。いつまでも上田のお姫様気分では困りますよ」
 と上屋敷に住みついたものだから、浮かれ華やいだ空気はいっぺんに緊張へと変わった。
 ──(しず)は下屋敷では「梅印@l」と呼ばれている。一方、(ふさ)は「椿印≠フ姫様」である。普通『○○(いん)』といえば夫を亡くした奥方の尼称だが、江戸の終わり頃になると当主以外の家の女性にはみないん≠当てて呼ぶようになったものか? 未亡人を表わす院≠フ字を使うのを(はばか)り印≠フ字を当てて呼んだのかも知れない。
 静が(ふさ)すなわち椿(つばき)を連れて来たのは、新天地で慣れない嫁に対するささやかな気遣いだろう、年の近い話し相手に俊もたいそう喜ぶが、そのうち静の(しゅうとめ)根性が露骨に顕われ出して、料理にはじまって掃除や洗濯、針仕事に至るまで、細かなことにいちいち小言を言い出した。それには俊も耐え切れず、
 「いったいわらわはここに何しに来たのじゃ? もうおうちへ帰る!」
 夜中に松野をつかまえて、半べそをかきながら遅くまで愚痴を繰り返す。
 「ここが俊様のお(うち)です」
 最初のうちは松野もなんとかなだめ聞かせていたが、十日経っても奥に姿を見せない須坂の当主に対して「姫様の言い分はもっともだ!」と、ついにお役御免を覚悟で執務中の公の間の襖を叩いて食って掛かった。
 「お殿さま! いったいどういう御了見でしょう。毎日俊様をお一人にしておいて。俊様は大奥様の召し使いではありません! 上田藩邸に帰りたいと申しておいでです」
 「おい、ちと待て、先日嫁に来たばかりでないか」
 「嫁をとったという自覚がおありなら、少しは俊様のお相手をして下さいませ。毎日泣いてお過ごしです」
 「そりゃいかん──」
 と直虎は、慌てた様子で立ち上がったつま先を木机の角にぶつけて「いてて!」と悲鳴を挙げた。
 「さっ、早く俊様のところへ……」
 松野は、静にいびられ泣きべそをかく俊のいる台所へ向かおうとしたが、当の直虎はそそくさと屋敷を出てしまった。
 「まあっ! なんたる無粋(ぶ すい)なお方……」
 呆れかえって近くにいた式左衛門を睨み付け、松野はぷいっとそっぽを向いてひっこんだ。
 暫くして直虎が戻った。
 「殿、いったいどこへ行かれていたのですか? 松野殿はいまご機嫌斜めですのであまり近付かぬ方がよろしいですぞ」
 式左衛門の忠告も聞こえない様子でそのまま台所へ向かった直虎は、夕餉(ゆう げ)の煮物の味付けに首を傾げている静に向かって、
 「母上、もうよろしいのでお部屋でお休みください。ちと姫様にやっていただきたい仕事がございます」
 と言った。静と俊のやり取りを脇で見ていた妹の椿も、母の遠慮のない言動に手をこまねいている様子で「そうしましょ」と誘ったが、静は解せない表情で直虎を睨み返した。
 すると地獄に仏の俊がすかさず、
 「おお虎さん、来てくれたか! こき使われてわらわはもう息も絶え絶えじゃ。助けてたもれ……」
 とすがりついたものだから、「虎さん」という言葉に目を丸くした静は、「殿もしくは旦那様とお呼びなさい!」と大激怒。さも使えぬ嫁だと言いたげな顔付きで「まだ夕餉のひと品ができておりません」と陰険に付け加えた。
 「母上、お気遣いは嬉しいのですが、ここは私の屋敷にて私の流儀にてやらせていただきます。どうかお部屋にお引き取りを。今宵は姫様とパンを作ろうと思います」
 「ぱ、ぱん……? なんですか、それは」と静が問う。
 「須坂の軍備改革に欠かせない西洋の兵糧食にございます。姫様にはパン作りを覚えていただきますので、母上はどうかお休みを」
 すかさず松野と椿が気をきかせ、「さあ大奥様、お部屋へ参りましょう」と、不満たらたらの静はようやく台所を出て行った。
 膨れっ面の俊は直虎を睨んだ。
 その表情は愛らしく、思わず顔を赤らめた直虎は照れ々々(でれでれ)の目線をそらさずにおれない。暫くは何から話してよいやら分からぬ二人だったが、最初に沈黙を破ったのはやはり俊だった。
 「なにゆえずっとわらわを抛っておいた。わらわは虎さんだから嫁に来たのじゃ」
 「相すみません。仕事に夢中になってしまい、松野殿に言われるまで姫様が淋しい思いをしているとは気付きませなんだ」
 「鈍い、鈍すぎるぞ……世の男どもはみなそうじゃ──鈍くてキライじゃ」
 俊は江戸に向かう途中、身の上話を交わして直虎との過去の出会いを告白しようとした時の、赤松小三郎のぶっきらぼうな表情を思い起こした。
 「椿とは話が合いませなんだか? てっきり仲良うしとると思っておりました」
 「椿は嫌いでない。だが義母君(ははぎみ)はイヤじゃ。わらわは召し使いでない──かような日々が続くならわらわはもう上田のお屋敷へ帰る!」
 「そ、それは困ります」
 「わらわは困らぬ」
 「し、しかし……」と言ったきり直虎は顔を真っ赤に染めてなかなか次の言葉を言い出せない。それを察した俊は少し意地悪そうに、
 「わらわのことが好きなのじゃな?──ならば許してもよいぞ」
 と、涙を溜めたふくれっ面をみるみる笑顔に変えた。彼女も仲直りの糸口を捜しているのだ。
 「で、そのパンとは何じゃ?」
 直虎は思い出したように懐から西洋のガラス瓶を取り出した。
 「ヰーストです」
 「なんじゃそれは?」
 「パンの(もと)です。前に一度作ろうとしたのですが、肝心のこれがなくてできませなんだ。しかし、ようやく手に入れました」
 実は先ほど屋敷を飛び出したのは小笠原長行のところへ行ったためだった。先日「ヰーストを入手した」との連絡があり、松野の苦情を受けて一緒に作ろうと咄嗟に思い立ったのだ。
 「それはうまいのか?」
 新しい物好きの俊が興味深げに聞いた。
 「西洋人はパンに、牛酪や果実を砂糖で煮込んだジャムなるものをつけて食べるのですが、それが甘くてなかなか旨うございます」
 「ほっぺが落ちる程うまいか?」
 「そりゃもう!」
 「うむ……、結婚は今回お互い初めてであるし、まだ夫婦になって気心が知れぬこともあろうから、仕方ない、今回は許してやる──では一緒にそのパンとやらを作ろうではないか!」
 俊は上田藩邸で初めて会った時と同じ天真爛漫な笑顔を見せると、二人は早速(ひつ)から小麦粉を取り出し、顔を白く染めながら粉をこね始めた。
 
 元治元年の旧暦弥生(三月)初旬といえば新暦の四月初旬から中旬にかけての季節になる。
 南八丁堀の須坂藩邸上屋敷周辺の桜はいまちょうど満開と咲き薫り、藩邸北側を流れる桜川はその名の通りの光景を映し出し、夜風に舞う無数の花びらは庭の篝火(かがりび)に照らされてキラキラと光り輝いて季節はずれの雪が降っているようだった。
 縁側に佇む二人は互いに俯きながら、言葉少なに盆に乗せた焼き立てのパンを見るともなしに見つめていると、空から降ってきた一弁の花びらがパンの上に乗った。直虎はそれをつまんで取って、
 「もうこんな季節であったか……」
 と心で呟き、忙しさにかまけて移り行く季節にさえ気付かなかった自分を恥じる。そして、小笠原長行のところで食した本物のパンと寸分たがわぬ出来ばえに満足しながら、盆の上のパンをひとつ取って俊にさし出した。
 「ほんに良いにおいじゃ、うまそうじゃのぉ。西洋の者はこれを毎日食うておるのか?」
 俊は手に取って焼き立てのパンの香りを吸い込んだ。
 「ほんとにうまそうじゃ。俊姫様のおかげでこんなに上手にできたわい」
 「今宵は花見じゃな」
 俊は無邪気に小さな口に頬張り、弱々しくゆっくり噛み砕いて喉元をコクリと動かした。その素朴な仕草の一部始終をすっかり見ていた直虎は、彼女をいぢらしく感じながら「やはり花より団子だ」と思って自分も口に運ぶのだった。
 こうして降りしきる桜の花を見つめていると、ふと唄うようなつぶやきの声が空から静かに降ってきたのを聞いた。
 
 娘子(おとめ)らが頭挿(かざし)のために風流士(みやびを)(かづら)のためと敷きませる国のはたてに咲きにける桜の花のにほひはもあなに
 (乙女の髪飾りのために、そして風流な男の髪を結うためにと、天皇が治める国の隅々に咲いている桜のなんと美しいことか)
 
 万葉集の歌に相違ない。およそ食べることに夢中な彼女の口からどうしてこのような歌が出たものか。天から降ってきたその歌は、確かに彼女の口から漏れた声だった。目を見張った直虎は、かつて自ら綴った『叒譜(じゃく ふ)』の序文を思い浮かべた。
 『桜の花のことはよく知らないが、その美しさは筆舌に尽くせない。桜を愛する者は多いが、花見などして酔舞狼藉しているだけでその姿は感心しない。この桜は東方の秀気が集まる所に生ずる日本にのみある木であり、その名を叒″と名付く』
 隣に座る姫がまさに同じ思いであるのを知ったのだ。
 「万葉集ですな。ようご存じでしたな」
 「姫のたしなみじゃ。むかし御伽(おとぎ)の者が教えてくれた」
 「松野どのですか?」
 「ちがう。松野は小言ばかりじゃ」
 ニコリと笑った俊の微笑みの中に、理性と煩悩が同時に見えた。桜の花には嬌蘂艶弁(きょう ずい えん べん)さと爛漫妖嬈(らん まん よう じょう)とした美しさだけでなく、人を酔舞狼藉へと導く不思議な力が確かにある──いまの俊がそれだった。
 直虎は身に余る家宝を手に入れた喜びでむくりと立ち上がり、踏み石に置かれた草履をはいて庭に咲くうちの一本の桜に近寄った。そして、たわわに咲く拳ほどの枝を折って戻ると、俊の高島田の結い髪に刺し入れた。
 
 去年(こぞ とし)の春()へりし君に恋ひにてし桜の花は迎へけらしも──
 
 これは万葉集に綴られる先の歌に対する返歌である。去年の春にお会いしたあなたが恋しくて、桜の花が咲いて迎えているようです″とでも訳そうか。俊はその意味をすぐに理解した。
 「もっとも姫様とはじめてお会いしたのは、辛酉(しん ゆう)(文久元年)の十一月、あれはとても寒い日でありました……」
 俊は「覚えていたか!」と言うように瞳を輝かせ、二人は申し合わせでもしていたかのように一緒に次の歌を口ずさんだ。
 
 花ぐはし桜の()(こと)()でば早く()でず我が()づる子ら……
 
 これは『日本書紀』の衣通姫伝説(そ とおり ひめ でん せつ)に出てくる允恭天皇(いん ぎょう てん のう)が思い人を詠んだ桜の歌である。桜を愛でるように貴方を愛そう。もっと早く出会えばよかった″とでも訳しておこうか。
 俊は急にかしこまって襟元を整え三つ指をついた。
 「これで虎さんはわらわのものじゃ。そしてわらわは今宵より虎さんのものになる。これからは喜びも悲しみも分かち合おうぞ」
 妙な言い回しだが、これが彼女の新妻としての挨拶だった。そして少し照れながら、
 「何かわらわに()き名を付けてくれ」
 と頬を染めた。江戸以前の日本では大きな環境の変化に伴って名を変えることは珍しいことでない。
 「佳き名でございますか……」
 眼を閉じれば彼女と初めて出会った時の、茜色の空に舞い立つ何千羽の鶴の光景が鮮やかに脳裏に浮かんだ。
 「(ち づる)というのはいかがでしょう? 千羽の鶴という意味です」
 「千か──あの日、虎さんが申しておったな──鶴は君子(くん し)()()む″と。うむ、気に入った。佳き名じゃ、今日から千と名乗ることにする」
 同じあの日の情景を思い描いた彼女は、暮れなずむ大空に飛び立った自分が、やがて天女のように地上に舞い降りた気がしたろうか。
 「夢とは叶うものなのじゃなぁ……その通りになった」
 俊は無邪気に立ちあがり、縁側の踏み石に先ほど直虎が履いた大きすぎる草履をつっかけると、そのまま飛び降りて花吹雪と戯れた。その姿は桜の化身か妖精かと見まごうほどで、直虎は、
 「木花桜姫(このはなさくやひめ)のようですな……」
 と「ははは」と笑いながら幻想の中のその神を見つめた。思えば『古事記』や『日本書紀』に登場する木花開耶姫(コノ ハナ サク ヤ ヒメ)″は桜の名を冠した姫の名である。『桜』の語源は『開耶(さくや)』であるとも言われ、この国の民族は(いにしえ)より()ノ花″を何より(いと)おしんできたのだ。
 俊はつつつと近づいて、
 「その名はわらわも知っておるぞ! 日の本最初の天子様(神武天皇)の曾祖母様(ひいばあさま)の名じゃ。わらわはそれほどに美しいか?」
 と屈託のない笑顔を浮かべた。
 ──瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)日向国(ひ むかの くに)の高千穂へ降り立ち木花開耶姫(このはなのさくやびめ)と出会う。開耶姫(さくやひめ)には磐長姫(いわながひめ)という姉がいたが、木花開耶姫がとても美しかったのに対し磐長姫はいわゆる醜女(しこめ)だった。二人の父大山津見神(おおやまつみのかみ)瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)こう言う。
 「磐長姫を(めと)らば(あま)つ神の御子(み こ)の御寿命は雪が降り風が吹いても永久に石のように堅実でありましょう。しかし木花開耶姫を娶らば、世は木の花の栄えるように繁栄するでありましょうが、天の神の御子の御壽命は木の花のように(はかな)いでありましょう」
 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は木花開耶姫を選んだ。それは日本人たるDNA″に刻まれた宿業とも言うべきものかも知れない。
 俊は少し意地悪そうな目付きでこう問い掛けた。
 「美しきけれど(はかな)きものと、(みにく)きけれど末長きものと、虎さんだったらどちらを選ぶ?」
 「そりゃ難しい質問ですな……? しかし、わしゃもう千さんを選んでしもうたわい」
 「まあ!」と俊はまた花のように笑う。
 「わらわならば美しく末長きものを選ぶぞ!」
 「欲張りですなあ」
 胸のあたりに俊の黒髪が不意に倒れかかった。その(びん)から香る白檀(びゃくだん)丁子(ちょうじ)の薫りに酔いしれながら、散りゆく桜のなんと美しいことかと直虎は思う。
 古来日本人はこの桜の中に無上の美しさを感じ取ってきたのだ。それは開花の喜びよりむしろ散りゆく(はかな)さにある(ほろ)びの美学″とも言ってよいかもしれない。日本人とは、生まれ来るものより死にゆくものへの憧れが僅かに強い民族なのだろうか──?
 二人は、自然の生業(なり わい)のまま無作(む さ)に散る幾千、幾万もの桜の花びらに包まれていた。
 俊の黒髪に一弁の花びらが舞い降りた。直虎はそれを取って、
 「桜は何故これほど美しいのだろうか?」
 ぽつんと言った。俊は彼の指先のそれをとって、
 「白に僅かの紅を乗せているからじゃ」
 と当たり前のように答えた。また落ちて来た一弁を拾った直虎は、叒譜(じゃく ふ)″に描いた様々な山桜を思い浮かべながら白い花弁の根元が確かに赤いのを見た。
 俊は続けた。
 「鶴もそうであろう。真っ白な羽根と体の長い首の頭に、ちょこんと紅を乗せている。だから美しい」
 「なるほど──白に紅……()(もと)の色じゃな」
 直虎には桜の花びらの根元の紅色が、ぽたりと血の垂れたように見えた。
 はっ!″と俊に視線を移せば、そこに新妻の微笑みがある。
 直虎はそのしなやかな身体を抱き寄せた。