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(十八)赤い糸
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 江戸城の火災から数日して、突然父の直格(なお ただ)から、
 「たまには下屋敷に顔を出せ」
 と、伝言を伝えに直格古参の寺門という臣下が上屋敷にやって来た。
 「父の相手をするほど暇でない」と言いたげに、丁重に断るよう言い含めて使者を帰そうとしたところが、
 「首根っこを捕まえても殿を連れてくるようきつく仰せつけられておりまして、このまま手ぶらで戻ったら、拙者打ち首に相成ります!」
 目を潤ませ座敷に座り込んだまま梃子(て こ)でも動こうとしないものだから、さすがに根負けした直虎は、久方ぶりに亀井戸の下屋敷に顔を出したのであった。
 ところが父の隠居部屋に入ってみれば、
 「縁組の相手を見つけたぞ!」
 と、ひどくご機嫌な口ぶりで直格が言った。
 「何かと思って来てみれば、さような話でございますか」
 こちらは時間をこじ開けて来たというのに、そんな他愛ない話のためにわざわざ呼んだかと無性に腹が立つ。どうも父とは馬があわない。
 「御免──」
 直虎は有無を言わさず部屋を出ようと立ち上がった。
 「まあ話を聞け、悪い話でない」
 「また勝手に──申し訳ございませんが、私は室を持つ気はありません。ただでさえ忙しいのに嫁の相手などしておれません」
 「アホウ! 子を作らん気か? 堀家が途絶えてしまうではないか!」
 「恭之進(直虎の異母の弟)に任せます」
 直虎には結婚する気など端からない。いずれ弟に家督を譲って堀家を継がせればよいとでも思っているのだろう。そうでなくとも幕府の職務であたふたしており、さらに藩内の軍備改革にも手が抜けない。イギリス式導入のため数名を人選し、今は木っ端をライフル銃替わりに研究と習練を積ませ、英語をはじめ自身も学ばなければならないことが山ほどある。加えて最近は他藩との交遊も広がった。いま一番欲しいのは細君でなく時間なのだ。
 直虎はこれ以上話しても無駄だとばかりに再び退室しようと立ち上がる。
 「あ〜ぁ、残念だのう。えっらく別嬪なおなごじゃというのに……」
 直格の勿体ぶった捨て台詞を背に、そのまま何も言わずに退室したのだった。
 ところが上屋敷に戻った途端、
 「殿っ、聞きましたぞ! おめでとうございます!」
 まるで初孫ができたような喜びようで式左衛門が迎えた。
 「なにがじゃ?」
 「寺門殿に聞きましたぞ! 縁組が決まったそうですな」
 式左衛門の含み笑いに直虎は頭を抱えた。
 比較的口が固い須坂の藩士にして、どうしてこういう話ばかりは風に乗った羽毛のように軽々しく伝わってしまうものか。あるいは独り身であることが、それほど周囲に心配をかけているものか。直虎は珍しく仏頂面で、
 「父上が一方的に申しておるだけだ」
 そして浮かれた期待をくじいてやろうと「妻を持つ気など毛頭ないわ!」と言うより早く、
 「上田藩の姫君だそうですな──お相手を聞いて驚きましたぞ!」
 式左衛門が満面の含み笑いでそう言った。
 「なに? 上田藩──?」
 瞬転、高鳴る動悸にうろたえた。
 まさか、あのとき会った姫様か──?
 確か(しゅん)″と申した──?
 その期待は俄かに心臓を踊らせ、聡明な思考回路はまったく停止したように身体を硬直させた。それは茨の道に咲く一輪の燕子花(かきつばた)に足を止め、気付いた瞬間その群生の中に身を投じていたことに驚愕したような、あるいは何日も迷いあぐねた冬の迷路の中で、出口を指し示す外からの音楽に安堵したような、そうでなければ雪山童子が残りの半偈を聞いた喜びにも似ていた。
 「どうなさいました? ほれ、殿が藩主になったとき、一緒にご挨拶に行った上田屋敷で会った──お尻に根っこのお転婆娘(てん ば むすめ)……」
 慌てて「過ぎたことを言ってしまった」と口をつぐんだ式左衛門のことなど目に入らない。その脳裏には、あのときに見た茜色(あかねいろ)の空に舞い上がった数千羽の真っ白な鶴の光景がよみがえっていた。その鮮烈な印象は、同時に香った名も知らない冬咲く花の芳香さえ思い出させ、あの可憐な乙女のあかぬけな笑顔と、乙女の父である松平忠固の葬儀で見た同じ彼女の裏腹な泪の色が重なって、他人事でない親近感が心を支配した。幸運とはかくも突然に身に降りかかるものか。
 「聞いてないのでございますか? そのお話しで下屋敷に行かれたのではなかったのですか?」
 動揺を隠しきれない直虎は、心の乱れを悟られまいとして逃げるように公の間に駆け込んだ。
 その慌てふためきように式左衛門は不思議そうに首を傾げた。
 
 一方──
 こちらは信州上田城は三の丸の屋敷、季節はすっかり冬である。
 雪化粧を施した武家屋敷が建ち並ぶ街並みを狭い格子戸から眺めながら、寒気に小さな白いため息を落とす乙女がひとり。
 ぽつんと、
 「ひまじゃのう……」
 と呟いた。
 乙女は虚ろな視線を、雪が降りそうで降らないどんよりとした空に泳がせて、また大きな吐息を落とす。参勤交代の緩和で江戸から信州上田に移り住んだ俊である。
 「俊姫様、そんなにため息ばかり落としては幸運まで落としてしまいますよ。少しはお手を動かし下さい」
 侍女の松野から刺繍(ししゅう)の手習い中の彼女は、
 「いやじゃ、指がかじかんでもう動かぬ」
 いつもの駄々をこねて松野を困らせた。
 「これも花嫁修業のひとつです。あまりわがままばかり申していては、お嫁のもらい手がなくなりますよ」
 「おあいにく様じゃ。わらわは嫁になどゆかぬ」
 これは何十回、何百回と繰り返す二人のいつもの決まり問答だ。
 俊は舌をベーっ≠ニ出して、手にした針を針刺しに戻し、
 「やーめたっ」
 と、そのまま後ろに寝ころんだ。
 「暇じゃのう……暇じゃ、暇じゃ、暇じゃ! それに寒い、寒すぎじゃ! ここはホントに城下町か? 人っ子一人歩いておらぬではないか。侘びし過ぎる……そうじゃ、せっかく雪があるのじゃ。おもてに出て雪だるまでも作ろう!」
 「外はもっと寒いのです。風邪を召されます」
 俊はいぃっっ!≠ニ松野を睨んで、
 「ああ……江戸に帰りたい……」
 まだ十にも満たない童女のようにひとりごちた。
 そこへ襖の外から、「姫様、少しよろしいですかな?」というしわがれた声がした。俊は上半身を起こして「誰じゃ?」と声に問いかけた。
 「岡部の(じい)にございます」
 「おお、爺か。何の用じゃ? 入れ」
 襖が開くとそこには七十にもなろうとする老人が一人、深々と頭を下げている。こんな淋しい冬の田舎では、たとえそれが遊び相手にもならない一〇〇歳のよぼよぼ爺さんの訪問だったとしても嬉しい。
 老人は厳格な作法で座敷内に入り込むと、中にいた松野を部屋から遠ざけ、襖が閉じたのを確認してから改めて座りなおして再び額を畳にこすりつけた。
 そうされると何だか申し訳なく感じてしまう俊は、襟元を正して正座する。
 「何をしに参った?」
 と言いながら、そのくせおおよそ察しはついていた。この老人が顔を見せる時は、たいてい縁談話と相場が決っている。その老人の名を岡部九郎兵衛百人といった。
 上田藩主が松平忠固の時に家老を務めていた彼は、忠固が徳川幕府の老中を務めた際、つまり二度に渡る日米両国の条約調印で、徳川時代において松平上田藩が最も世間から注目され、また華やいだ時代に、藩政の中心人物として藩主忠固と労苦を分かち合ってきた男である。
 彼の先祖は、宝暦十一年(一七六一)に勃発した農民一万三千ともいわれる上田全域を巻き込んだ百姓一揆の際、城主参勤で国家老を務めていた初代岡部九郎兵衛という男で、このとき年貢の軽減と高掛(たか がかり)人足(にん そく)の廃止、そして不正を働く郡奉行の解任を求めた農民の要求に対して、
 「もし願いが聞き届けられなかったら、お前たちの目の前で切腹してみせる!」
 と豪語した気骨漢だった。百人はその六代目に当たる──。
 しかし忠固が死に、藩主が忠礼に替わると家老職を退き、その職を息子の岡部九郎兵衛志津馬に引き継いでからは、今は隠居の身となって陰で上田藩を支えている。俊とは生まれた時からの付き合いで、亡き藩主忠固の忘れ形見を守護するように、密かにその幸福を祈っているわけだった。
 俊は神妙な顔つきの百人を見て、
 「わらわは刺繍の手習いで忙しい。手短かに申せ」
 「ははっ」と百人は(おもて)を挙げ、
 「実は姫様に縁談話が来てございます」
 唐突に告げた。
 俊にとって縁談はこれが初めてというわけではないから驚きもしないが、その都度結婚する気のない彼女は冷たくあしらい、今回も心配する百人の気持ちも顧みず、
 「ことわれ!」
 迷惑そうにぷいっ≠ニ天井を仰いだ。
 その間髪入れない即答に、また(へそ)を曲げられては一大事とばかりに、百人は(やわ)(やわ)りと語り始めた。
 「姫様、江戸に帰りとうございませぬか?」
 そっぽを向いた俊の目線が一瞬、百人の方をちらりと向いたのを見逃さない。十七年間も彼女を見ていれば、七十近い人生経験をしてその気持ちを手玉に取るくらい雑作もないことのように思えた。
 「江戸はいいですなぁ、何と申しましても花の大江戸ですから。六間堀(ろっ けん ぼり)の松の寿司も食べとうございますなぁ?」
 深川六間堀の『松の寿司』といえば、文政年間に堺屋松五郎が考案した握り寿司の江戸で評判の老舗である。俊が大坂から江戸に移った幼い頃から、百人はたまに彼女を連れて一緒に食べに行ったものだった。百人は彼女が握り寿司が大好物なのを知っている。
 「江戸の話をしに来たのか? その手には乗らぬ。はよ要件を申せ」
 「はい──つまり、縁談のお相手といいますのは、いま江戸で一番と噂の偉丈夫(い じょう ぶ)にございます」
 「興味がない。さがれ」
 「そう申さずお聞きください。その男、姫様の亡き父上忠固様の遺訓のままに、西洋諸国と交易をなさんと英学を学び、四書五経を(そら)んじる幕府随一の鋭才にございます。この縁談がまとまればすぐにでも江戸に帰ることができましょう」
 「江戸を餌にするとはズルイぞ爺! 寿司は食いたいが嫁にはゆかぬ。丁重に断っておけ」
 「まあまあ最後までお聞きくだされ。当家は、昔から子女の縁組は譜代大名からとの習いでございますが、この男、一万石の外様大名の家柄にしてなかなかの切れ者。上田松平家の習いを()げて姫様との縁組をお勧めするのには、それほど価値のある人物だからにございます」
 「もうよい、さがれさがれ!」
 「芳姫(よしひめ)様は聞き分けがよろしかったのに、意固地なのはいったい誰に似たのでしょう?」
 「爺ではないのか? 妹は妹、わらわはわらわじゃ、関係ない」
 芳姫≠ニいうのは俊の妹である。昨年、老中になった井上何某(なに がし)という男に嫁いで行ったが、妹が承諾する前に「どうか?」と勧められたのは俊の方だった。ところが全くその気のない彼女は一蹴してろくに話も聞かなかったのだ。
 百人は暫く無言になると、たちまちその老いた細い両目から涙をこぼし、やがてグスンと泣き出した。
 「年を取ると、すぐに涙が出ていけませんな……」
 「泣いてもダメじゃ。爺の泪は信用できぬ」
 彼女がそう言うのには理由がある。父忠固が死に、その死因が病死と知らされた時も、彼は今と同じ色の泪を流したのだ。そのことを思い出した俊は、
 「父上の亡骸(なき がら)には刀傷があった。あれは病死などでない。何故に隠したのじゃ?」
 と百人を責めた。すると百人は涙をピタリと止め、暫く彼女をじっと見つめ言いにくそうに、
 「女子(おな ご)には知らなくてよい事もございます……」
 「おなごをバカにするな! さがれ」
 「忠固様がお隠れになって、かつての上田藩の栄光もどこへやら……。殿が老中だった頃は、どこの藩も我が藩に一目置いて、江戸の町を大腕を振って闊歩(かっ ぽ)したものですが、今となっては忠礼様が若年なのをいいことに、諸藩から全く軽くあしらわれております……かような屈辱にはもう耐えられません! お相手は一万石の大名とはいえ大番頭への栄転を遂げ、いずれは若年寄か老中かと囁かれる出世頭です。けっして悪い話ではありません! どうかお考え直しを──」
 俊は世間体ばかりに執着している家の男たちのそうした言動がまったくもって気に入らない。父が誰に斬られたかは知らないが、お家の名誉とか時の情勢におけるお家の立場とか、そんなもののために父上の生涯の真実を隠すことなどないのだ!
 しかしそれをうまく言葉にできない(わずら)わしさで、
 「大判ガシラだろうと小判ガシラだろうと嫌なものは嫌なのじゃ! 爺が部屋を出ぬならわらわが出る!」
 と言って荒々しく立ち上がった。
 「あんまり爺を困らせないで下さい。須坂藩には天保の飢饉以来の恩義もあるのです」
 「恩義などわらわには関係ない──」
 と言いかけて、俊はふと首をひねった。
 「はて──?」
 その小さな疑問は、最初は道端に落ちている一文銭を見つけたような心の動きだったが、近づくに従ってそれが一文銭でなく一分銀だったような、あるいは日がな一日刺繡の手習いをしているところへ、誰かが頼んだ出前の(うなぎ)が良いにおいをさせて届いたような、そうでなければ徳勝童子からもらった土の餅が突然大福餅に変わったような喜びにも似ていた。しかし、その疑問の正体がどうしても思い出せない。
 「須坂……いま須坂と申したか? どこぞで聞いたことがある……」
 「上田と同じ信州の国です。一万石の小藩ですが」
 「信州……須坂……? ああ、もうよい! 嫌なものは嫌じゃ!」
 思い出すのも面倒で、俊はそのまま百人から遠ざかろうと襖に向かって歩き出した。
 「お待ちを! ああっ……どのように堀殿にお断りすればよいやら……」
 俊はぴたりと立ち止まり、無意識のうちに振り向いた。
 「堀……? その男、もしかして虎さん≠ゥ?」
 「と、虎さん……? だれでございます?」
 「ほれ、虎さんじゃ!」
 俊はつつつと立ち返り、見上げる百人の正面に立った。
 「虎さんと申されましても……あ、あぁ、相手のお名前でございますか? 虎さん、そう堀直虎様です。よくご存じでしたな」
 「そうじゃ堀直虎じゃ! それならそうと早よ申せ! うむ、虎さんならよいぞ。わらわは虎さんのところへ嫁にゆく」
 俊は片膝をついてしゃがみ込み、輝く瞳で百人の肩に手を置いた。
 あまりの急展開に逆に動揺を隠せない百人は、暫く彼女を呆然と見つめていたが、やがてその白い手をつかんで「ま、まことでございますか!」と歓喜の声を挙げた。
 「うむ。で、婚礼の日取りはいつじゃ?」
 「お気が早うございますなぁ……」
 こうしてこの縁組話はとんとん拍子にまとまった。
 記録によれば、両家の合意の後、文久三年十二月三日に幕府に縁組願いを提出し、同月二十二には正式な許可が下りたと記される。そしておよそ一ケ月後の翌文久四年(元治元年)正月二十五日、俊は上田を出立し、再び江戸へと上るのだった──。
 
 縁談話とほぼ時を同じくして、幕府内ではまたまた大きな騒ぎが起こっていた。将軍家茂が再び上洛することになったのである。
 開国を推し進めてきた幕府は、先の将軍上洛において長州藩に攘夷実行を約束させられた。その板挟みの中で苦肉の策として横浜鎖港を打ち出し、西洋諸国の反発を受けながらもその交渉を続けていたところ、
 「横浜鎖港についての諸外国との交渉状況を聞かせよ」
 と、将軍に再上洛の朝命が下ったのである。
 京都は八月十八日の政変で大きく変わっている。つまり攘夷派の格であった長州藩が京都を追われ、薩摩藩や会津藩を中心とする公武合体派が勢力を占めていた。つまり将軍再上洛要求の背景には、公武合体の実を満天下に示す意味があったわけである。
 将軍再上洛の要請に幕議は再び物議をかもす。
 「一代で二度の上洛は如何なものか?」
 「財政の問題はどうするか?」
 それにも増して大きな反発は、
 「前回の上洛で恥辱ともいうべき処遇を受けたことをお忘れか!」
 だった。
 一旦はこの上洛要請を辞退したものの、朝廷からの再度通告が下ってはどうすることもできなかったという経緯がある。
 家茂に先立って将軍後見職の一橋慶喜が上洛することになり海路上方へ向かう。そして慶喜は公武合体の基礎を固め、政治秩序を整えると同時に将軍を迎える準備を進めた。
 こうして家茂は十二月二十七日、今回は海路で大坂へ向かい、文久四年一月十五日、二条城に入る。喜んだ孝明天皇は家茂に対して、
 『鳴呼(あ あ)(なんじ)方今(ほう こん)の形勢如何(いかん)(かえりみ)る。()(すなわ)ち汝の罪にあらず、(ちん)不徳(ふ とく)の致す所。朕汝を愛すること子の(ごと)し,汝朕を親しむこと父の如くせよ。嗚呼汝夙夜(しゃく や)心を(つく)(おもい)(こが)し、(つと)めて征夷(せい い)()職掌(しょく しょう)を尽して天下人心(じん しん)企望(き ぼう)に対応せよ』
 との勅諭(ちょく ゆ)を授け、表面上は公武一和(いち わ)の実を挙げた体裁を保つ。
 一方、京都を追われた長州藩に対し、二月十一日、幕府は長州征討準備令を発した。そして朝議においてその話し合いが行なわれ、この後慶喜は将軍後見職を解かれ、朝廷から新しく摂海(せっかい)の防護役である摂海防禦指揮(せっ かい ぼう ぎょ し き)と、禁裏の守衛役である禁裏御守衛総督(きん り ご しゅ えい そう とく)を命じられた。
 こうして五月七日、参内(さん だい)をすませた家茂は二条城を発って帰東することになるが、俊が将軍不在の江戸へ向けて上田を発ったのはこの間のことである。。
 晩冬は春の陽気が見えかくれする季節、雪の中から顔を出し始めた(ふき)(とう)土筆(つくし)大犬(おおいぬ)陰嚢(ふぐり)福寿草(ふくじゅそう)の道草を食いながら、その道中は世情とは裏腹なのんびりとした空気に包まれていた。
 行く先々の旅籠(はたご)に二日、通常上田から江戸まで四泊五日の道のりが、このとき実に九日かけての旅だった。
 「俊姫様、泊まるお宿でお団子ばかり食べていては、顔が団子のようになってしまいますよ」
 相変わらず小言を重ねる松野に、
 「松野の意地悪はもうわらわには通用せぬ。顔がお団子になったら虎さんに食べてもらうから心配は無用じゃ。それより次の宿場はどこじゃ? サブちゃんを呼べ」
 一行の護衛役の中に赤松小三郎がいた。彼は、幕府の長州征討準備令を受けて、上田藩の戦備品調達の任務も兼ねて江戸に向かっている。参勤交代緩和で江戸屋敷から上田へ移る荷造りの際に二人が出会ってから、博識の小三郎は俊の大のお気に入りなのだ。何かとこうして近くに呼び寄せては、宿場町の名物を聞いては取り寄せ、名所を聞いては出かけて行った。そんなことをしているうちにすっかり気心が知れてきて、
 「いつもすまぬのう。わらわを江戸に送り届けたらすぐに上田に帰るのか?」
 と世間話をし始めるのである。
 「いいえ、横浜に参ります」
 「横浜? 何をしに参るのじゃ?」
 「藩の買い物にございます」
 藩の姫君とはいえ機密を漏らすわけにいかない小三郎は言葉を濁すが、
 「そうか、ご苦労じゃ。せっかく江戸に行くのだ、他に行くところはないのか?」
 あっけらかんとした彼女の言動に乗せられて、ついつい以前入門していた下曽根金三郎の下曽根塾に顔を出そうとしていることや、師ともいえる勝海舟にも会おうとしていること、そして横浜に行った際は英国事情を見聞し、英語や軍事演習にも触れていろいろ学びたいことがあるのだと口にしてしまう。見かけによらず聞き上手な俊は、彼の江戸での行動をすっかり聞き出してしまった。そのうち身の上を話す間柄になり、
 「ほう、サブちゃんは昨年の春に嫁をとったか。名は何と申す?」
 「松代藩の娘にてたか≠ニ申します」
 と聞けば、
 「なぜ松代から嫁をもろうた? 上田にはよき娘はおらなかったか?」
 ずけずけと質問攻めを繰り返した。
 「憧れの佐久間象山先生にお会いしたい一心でした。一昨年末先生の蟄居が解かれ、妻を介して初めて先生にお会いすることが叶いました。それ以来、妻には頭が上がりません」
 「おお、ついに象山は赦免されたか! それはめでたい。わらわの父上が力を尽くした最後の仕事じゃ。もっとも仕事半ばで死んでしもうたが……。そういえば長州の吉田松陰とかいう者を赦免しようと話していたが、あの密談の時はそなたもいたのではないか?」
 「はて? 覚えがございません。おそらく上田にいたのでしょう」
 「そうか……サブちゃんが申すなら間違いない、わらわの気のせいか──」
 比較的口数の少ない小三郎がついつい口を滑らせてしまうのは、自分の事をてらいもなく話す彼女の無防備とも言える性格のせいだろうか? どこまで突っ込んで聞いていいやら戸惑いつつも、小三郎は己の身の程をしっかり弁える男なのである。俊は続ける。
 「あのとき集まった者の中に妙に(まなこ)をキラキラさせた男がいてのう。長州へはわしが行く!≠ニ名乗りを挙げていた。(いき)鯔背(いな せ)でそれでいて優しそうで、わらわはこの世にこんなまっすぐな男もおったと、ひと目で()れてしもうた……」
 もしかしたらその男の目の輝きと小三郎のそれとがあまりに似ていたため勘違いしたのかも知れない。幼い瞳に焼き付けたその男の風姿を思い出しながら、
 「その男の名……確か、りょ? りょ……? なんであったかな? りょ≠ェ付いたと思ったが、下の方を忘れてしもうた」
 柄になく頬をぽっと赤らめるのであった。
 これから正に嫁入りしようとする姫の密かな思いを知ってしまった小三郎は、慌てて、
 「聞かなかったことにいたしましょう」
 素知らぬ素振りで名物の団子をほおばった。
 かの男の眼光は彼女の朧げな記憶の中にのみあるが、あの日酉の市に出かける直前に出会った男のそれと、全く同じ光彩を放っていたことは、もはや彼女だけの秘め事である。
 俊は大好きな団子を食べるのも忘れて遥か江戸のある方角の空を見つめた。
 こうして一行が江戸の上田藩邸に到着したのは文久四年(一八六四)二月三日のことだった。