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小説・大運動会
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(36)勝てない綱引き
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=> 十段円塔配置図
その翌日、初めて知った大悟の死の真相に、あまりにショックが大きかった城田は一日中元気がなく、授業もろくに手が付かなかった。運動会の打ち合わせも、いつもなら真っ先に発言して皆を納得させてしまうのに、この日は口数も少なく、周囲の先生方は皆心配した。前日、春子のみならず城田にまで「桜田先生には関係ない」と言われてずっと気分を害していた愛もさすがに気になって、
「どうしたんですか? 元気がありませんね」
と声をかけたが、城田は生返事を返すだけ。彼に元気がないと自分まで落ち込んでしまいそうな彼女は景気づけに、
「明日の午後は4年生から6年生の合同練習がありますね! 綱引き、今度こそ絶対負けませんよ!」
と挑発をしてみた。4、5、6年生の綱引きでは、赤組団長の城田が赤組大将の一番大きな旗を持ち、白組団長の愛が白組大将の同じ大きさの旗を持って、それぞれのチームを引き連れ指揮を執る。ところがベテランの城田は綱引きの要領をすっかりわきまえており、新任教師の愛は運動会すら初めての経験で、白組全体の呼吸を合わせるどころか引き連れて走ることもままならず、これまでの練習での成績は3戦3敗の完敗だった。それを「絶対負けない!」と宣言したものだから、負けず嫌いの城田の闘志に火をつけた。
「桜田先生、そりゃ無理だ。僕に勝つなんて十年早いよ」
「へえ、元気がないのに大層な自信ですね。じゃあ約束してくれませんか?」
「約束? どんな?」
「明日の練習と運動会当日も含めて、もし私が1勝でも挙げることができたら、城田先生と紅矢春子さんの関係を包み隠さず教えてくださいな」
「おもしろそうだ―――」と、城田は不敵な笑みを浮かべた。
「いいでしょう。もし桜田先生が僕に1勝でもできたら教えてやるよ。でもこれだけは覚えておくといい、綱引きは意気込みや気合だけでは勝てないよ」
愛は彼が落ち込んでいるのをいいことに、そんな約束をさせてしまった。
果たして翌日の五時間目の体育は、4年生から6年生競技の合同練習が行われた。種目は綱引き、当日まではこれが最後の実践練習となる。グランドの南側と北側に分かれた赤組と白組は、本番さながらの闘志を燃やし、特に赤組などは城田の掛け声に合わせて雄叫びを挙げていた。その様子を見ていた白組の副団長を務める5年信組の本木弘先生は、
「桜田先生、こちらも負けずに声を挙げましょう」
と言ったが、そういうことはとんと不慣れな愛は、「でも私、やったことありませんし……」と躊躇していると、「こうやるんですよ!」と本木は子ども達に「先生に続けて声を出せ〜!」と叫んだかと思うと、
「エイ、エイ、オー! エイ、エイ、オー!」
と勝鬨を挙げた。「さあ、桜田先生もやってみてください」と言うから、愛は恥ずかしそうに「エイ、エイ、オー」と言ったが、本木は「ダメっ! もっと大きな声で!」と叫ぶから、つられて少し大きな声で繰り返し、そんなことを二、三度やってから本木は最後に、
「ゆけっ! 蛍ヶ丘のジャンヌ・ダルクよ!」
と乗せるものだから、すっかりその気になった単純な愛は、負ける気がしなくなっていた。そしてグランド中央に立つ審判の高橋先生が「両チーム入場!」のホイッスルを鳴り響びかせると、愛と城田を先頭に、両側から赤、白の帽子をかぶった両軍が駆け足で入場を始め、大綱の両側に一列に並んだ。そして両軍の睨み合いが始まると、すかさず城田は「さあ! ゆくぞ!」と大将の赤い旗を高くかざした。すると続けざまに赤組の子ども達の「オーッ!」という声が天高く響く。その声に押された愛は一瞬尻込みしたが、ここで負けるわけにはいかないと「白組もガンバルゾー!」と叫んだ。しかし、それに反応して声を挙げたのは半分くらいの児童だけ。
そんな光景を、校長室の窓から微笑ましそうに眺めている烏山校長がいた。
「ちょっと赤の方が優勢ですかね……?」
と独り言を呟くと、「白もガンバレ、赤もガンバレ」と胸をワクワクさせている様子である。
高橋先生が「綱を持て!」と言った。それに合わせて両チームが綱を握って脇に抱え込んだ。
「用意!―――」
パンッ! というスターターピストルの破裂音とともに、両チーム一斉に大綱の引き合いを開始した。最初は両チーム互角のように思われたが、暫くもしないうちに愛の白組はジリジリと引きずられ、ある瞬間を境に総崩れを起こしてあっという間に「終了」のピストル音が鳴った。愛は一人で大きな掛け声を挙げていたつもりだったが、そのあっけなさに城田を睨んだ。すると城田は涼しい顔で笑い返して、愛は悔しさのあまり地面を蹴った。
「第2回戦を行います! 両チームは場所を移動します!」と、高橋先生は「移動開始!」のホイッスルを吹いた。ところが第2回戦も同様、愛が率いる白組は、城田の赤組にまったく歯が立たずに惨敗したのだった。これまでの結果5戦5連敗。愛は地団駄を踏んで副団長の本木に泣きついた。
「本木先生! どうして勝てないのですか? 私、城田先生にはゼッタイ負けたくないんです!」
と涙目で訴えかけるから、可哀想になった本木は「放課後、作戦会議を開きましょう」と約して5時間目は終わった。
ちょうどその時、校長室に一本の電話が入った。電話を受けた烏山は最初神妙な顔つきで「はい、はい」と返事をしていたが、そのうちみるみる表情が明るくなっていくのが判った。そして最後に、
「そうですか! ありがとうございます!」
と言って電話を切ってからは、やけにご機嫌な様子でコーヒーを淹れなおして鼻歌など口ずさむと、事務の山際先生を呼びつけ、「いま何時間目でしたかね?」と時間を確認し、「授業が終わったら、城田先生に校長室に来るよう伝えてください」と満面の笑みを浮かべた。
午後の清掃が終わり、反省会をして子ども達が帰ると、愛はさっそく本木先生のところにやってきた。本木は過去に取り組んだ経験から「綱引きは気合いだ!」と精神論ばかり主張して、五時間目の練習の彼女の掛け声や声の大きさのことばかり指摘するので、
「城田先生は、綱引きは意気込みや気合いでは勝てないって言ってましたよ」
愛がさも不満そうに言い返すと、「ならば、力学のことならガリ先生に聞いてみよう」ということになって、二人は理科準備室へと向かうのだった。
果たして理科準備室の扉を開けると、そこにはガリ先生と楽しそうに話す養護教諭の鶴田先生がいた。愛は冗談で「お邪魔でしたか?」と言うと、それが案外図星だったようで、ガリ先生は慌てた様子で立ち上がると、「何を言うのですか! 私は運動会当日について、鶴田先生にご相談申し上げていたのです!」と顔を赤くした。ガリ先生のように担任を持っていない教師は、PTA種目とか来入児種目などの準備担当で、ガリ先生は委員会種目を担当している。ちなみに鶴田先生は毎年救護班の担当なので、保健委員会の児童と一緒に本部席に張り付いていなければならない。愛と本木はきっとその事だろうと思った。
「それじゃガリ先生、また来ます」
と、鶴田はそそくさと準備室を出て行ってしまったが、それを見送ったガリ先生は、愛たちに目を向け、つまらなそうに「なんでしょう?」と聞いた。
「実は綱引きについて教えて欲しいのです」と本木が言った。すると、
「僕は赤組でも白組でもないので、どちらかに加担するようなことはできない」と、冷たくあしらわれた愛は、これまで城田に負け続けていることや、いずれもあっけなく負けてしまって子ども達が可哀想だなどと、いろいろな口実を並べた。しかしいっこうに平等の立場を崩さないガリ先生を見て、本木が彼の自尊心をあおった。
「いくらガリ先生でも綱引きの必勝法なんて知りっこないですよ。職員室へ戻りましょう」
すると、
「ちょっと待ちたまえ」と態度を翻したガリ先生だった。
「仕方がないなあ。でも僕がアドバイスしたなんて他の先生に言ってはダメですよ」と、綱引きの原理と必勝法についてとくとくと話し始めた。
それによれば―――、一番効率的なのは、いかに綱にかかる力を分散させないかが肝要で、綱は先頭から最後尾まで一直線にさせるのが理想だと言う。そのためには身長順に背の高い者を先頭に並ばせるのが良く、しかしそれだと後方に体重の軽い小柄な子がついてしまうため、今回のケースでは、前方に6年生を背の高い順に並べ、次に4年生を背の高い順に、そして後方に5年生を背の低い順に並べるのが最も効率的だと教えた。そして並び順の次に大事なのが間隔で、力のばらつきをなくすため等間隔に、できれば男女を交互にするのが理想的だと言った。
「次に縄を引く時の一人一人の体勢、つまりフォームです。重要なのは体を正面に向けること」
と、これが指導する上で一番のポイントだとガリ先生は目を細める。愛は盛んにメモの鉛筆を走らせた。
「よくありがちな形は、上体が起きてしまったり、背中が丸まったりした上に、左右の肩と足の位置が綱に対して平行になってしまうフォームで、これでは力学的にも力が出ません」
彼によると理想的なフォームとは、左右の肩と左右の足の位置を綱に対して垂直になるよう、つまり正面を向いたまま仰向けに寝るようにして空を見て引くことが最大のポイントで、加えてその際力を集結させるための掛け声について、『せーの』でも『そーれ』でも何でも良いが、語尾のところでタイミングを合わせて一斉に引けば、その力は最大限に発揮されるだろうと自慢げに笑った。
「そこで大将の役割が重要になってくる」
とガリ先生は愛をみつめた。
「大将は、子どもが位置についたら、まず等間隔に並んでいるか確認し、引き合いがはじまったら今言った基本フォームを常に修正しなければいけません。『せーの、せーの』と全体の呼吸を合わせながら、たえず『上を見ろ』と言っていることが大事です。そうすれば勝てますよ」
嘘か本当かは判らなかったが、愛と本木はガリ先生を信じるしかないと、その後更に作戦会議を続けたが、綱引きの練習は今日が最後だったので後はぶっつけ本番。並び順については赤組同様4年生の小さい順から並んで練習をしてきたので、今更変更するわけにもいかなかったし、本番直前にフォームを俄か指導したところで子ども達が対応できるとは思えない。もう少し早くガリ先生に相談すればよかったと後悔したが、なんとか勝とうと知恵をしぼったところが、その日の愛は冴えていた。
「掛け声よ! 掛け声の台詞にガリ先生に教えてもらったフォームのポイントを入れればいいのよ!」
と閃いた。その作戦とは―――、つまり掛け声をかける旗持ちの教師が愛と本木の他に3人いるが、その全5人が「そーれ! そーれ!」のタイミングでフォームのポイントを入れた掛け声を同時に叫ぶというものだ。その掛け声とは、
『体は正面、足肩揃え、腰は曲げずに空を見ろ!』
つまり、『ソーレ、ソーレ、ソーレ……』の替わりに『カラ
ダ
《
・
》
ハ、ショー
メ
《
・
》
ン、アシ
カ
《
・
》
タ、ソロ
エ
《
・
》
ー、コシ
ハ
《
・
》
ー、マゲ
ズ
《
・
》
ニ、ソラ
ヲ
《
・
》
ミロー
ッ
《
・
》
ッ』と、圏点の部分に引くタイミングを合わせれば、フォームを指導しつつ呼吸も合せられると、我ながらgoodな閃きに小躍りして喜んだ。
「そりゃいい! まさに一石二鳥だ!」
と本木も賛成し、早速他の3人の先生にも協力のお願いをして回ったのだった。
一方校長室では城田を呼んだ烏山校長が、にこやかな表情で話しをしていた。
「先ほど県教委から電話がありまして、十段円塔をやってもよいという許可が下りました」
「どういうことでしょうか?」
城田は首を傾げた。国会議員を使ってまでして阻止しようとしていたものが、僅か二、三日のうちに一八〇度態度を翻すなど考えられない。
「成沢先生ですよ! 県教委からの電話の後、彼女に連絡を取ってみたのです。そしたら、県内の女性団体の長達を集めて、国立議員の自宅へ押しかけたそうなのです。もちろん運動会の事以外にも女性として言いたいことがあったらしいのですが、そしたら事を荒立てたくなかったのでしょう、国立議員が県教委にかけあってくれたのだそうです。まったく不思議なことがあるものです」
以前の城田なら飛び上がって喜ぶところだが、大悟の死の真相を知って以来悶々としている心の状態では、「そうですか」と答えるだけでいっぱいだった。いっそのこと自分を首にしてでも中止してくれた方が気が楽だったかも知れない。校長は続けた。
「でも一つだけ条件を付けられました」
「条件……?」と、城田はまた厄介な事だったらどうしようかと息を飲んだ。
「四段目より上の子ども達すべてに、命綱を付ける―――まあ私も県教委の心配も分からないじゃありませんからね、承諾しておきましたよ」
城田は「はあっ?」と心で反発した。四段目以上といえば一五九人の児童すべてである。その一人一人に命綱など付けたら塔≠ニ言うより兼六園の雪吊り≠ナはないか! さもなければ飾りつけのないクリスマスツリーだ!
「四段目以上といえば何本の命綱が必要になりますか? 明後日の全体練習に間に合いますかね?」
烏山は綱の手配の心配をしたが、城田に元気がないことを気にして「どうかしましたか?」と聞いた。
「なんでもありません―――」
城田は無理やり笑顔を浮かべた。
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