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雷神の門
> 第1章
第1章
> 第1章 > 伊賀者
伊賀者
戦国の
稲妻
《
いなづま
》
はこの男の頭上にも落ちた。
戦乱の世に生きる者たちの定めは、時の勢力をくじくか屈服するか、さもなくば世俗から離れ、世捨て人のごとき生きるより仕方のない、弱肉強食の
理不尽
《
りふじん
》
さにあがきながら生涯をおくることである。しかし若さは、その定めなる境遇を認めようとはしない。ある者は一国一城の
主
《
あるじ
》
を夢見、またある者は武学を
磨
《
みが
》
き立身出世の大志を抱く。そしてこの男もまた、ある宿敵を倒そうと
躍起
《
やっき
》
になって働いていた。それは若さからくる世の中への不満とか希望とかとは少し違うかもしれないが、戦乱が招いた境遇といえばそれに違いなかった。
ところが、生まれ育った伊賀の国を滅亡させた織田信長という
悪鬼
《
あっき
》
が死んだと聞いたとき、男は目的を失い、それまで激しく心に燃えていた復讐の炎がふつと消えるのを感じた。
目的地を失った船は大海原を漂流するしか道はない。この男はまさにいま、そんな心境の中で、余るほど身につけた忍びの術をもてあそばせながら、草むらに
潜伏
《
せんぷく
》
する
鍬
《
くわ
》
や
鎌
《
かま
》
などを握った極度に土臭いみすぼらしい農民たちの中にうずもれていた。
時を
訊
《
たず
》
ねれば天正十五年(一五八七)になったばかりの冬―――。
処
《
ところ
》
を訊ねれば……、
はて?どこであろう。
とにかく故郷というものを失ってから各地を転々と歩き回っていたから、いまどこにいるかも定かではないが、おそらく尾張を経って信州方面へむかっていたから美濃のあたり、山奥の小さな村にいることに違いはないだろう。
黄昏
《
たそがれ
》
からあたりは急に暗くなった。空気が冷たい分、空の星の色は
冴
《
さ
》
え、木枯らしの夜風は積もった雪の粉とともに体温をも奪って吹き抜けた。
それにしても草むらにたむろする農民たちの熱気はそんな寒気をものともせず、その目にはどれも狂気じみたするどい光があった。その光の数は数百にものぼろうか。それもそのはず、この殺気立った集団は、これから目の前の屋敷にむかって一揆を起こそうというのであった。
この頃、農民一揆というものが盛んに発生していた。特に一向一揆は一向宗という宗教を
媒体
《
ばいたい
》
にして起こり、加賀で起こったそれなどは、守護大名を粉砕し一国を支配するに至るのである。宗教による結束の恐ろしさを見た織田信長は、一向宗への見せしめもあったのだろう、京都の比叡山延暦寺の焼き討ちという前代未聞の虐殺劇をおこなった。更に信長は、一向宗信徒に対しても殺戮をおこない、それによって各地の一向一揆は次第になりを潜め、ついには鎮圧されていく。しかしその農民主体で行われた一揆の本質をさぐれば、単に宗教上や政治上の問題ではなく、生活苦を強いられた社会的弱者の権力に対する憤りがあったと見るべきで、こと
下克上
《
げこくじょう
》
の世にあっては、農民暴動への一触即発の緊張がたえずあったに違いない。
「まったく妙なゴタゴタに巻き込まれてしまったな……」
いきり立った農民の中で、さきほどの男がぼつりとつぶやいた。この男の名を
甲山
《
こうやま
》
小太郎という。いわゆる彼は伊賀忍者である。
年の頃なら二十歳。いや正確には十九である。が、身に着けた派手な紫色の
陣羽織
《
じんばおり
》
は、暗闇を暗躍する忍びと呼ばれる類の者とは一線を画しているし、土で汚れたボロをまとった農民とはあきらかに違う風貌をして、これから勃発するであろう領主と農民との血の戦いに対してなどまるで
歯牙
《
しが
》
にもかけていない様子で、隣でガタガタと身体を震わせている青白い表情の同じ年頃の男に、
「お主がつまらん正義心など燃やすからいかんのじゃ!」
と、鼻くそをほじった。話しかけられた見るからに気の弱そうな男は、
「す、すまん……」
と答える。この村の通りがかりに、しくしく泣く
童
《
わらべ
》
と出会い、今晩暴動で命を落とすかもしれないその童の父の話を聞いて、どうにも素通りすることができなくなった経緯を、いまさらのように後悔したその男の名を、
百地
《
ももち
》
末蔵
《
すえぞう
》
といった。二人は紀州伊賀上野で生まれ育った竹馬の友である。
小太郎の方は、忍びの世界では名の通った甲山太郎次郎の
倅
《
せがれ
》
で、幼少より忍びの者としての術を教え込まれた。伊賀においては下忍の身分ではあったが、父の名を名乗れば誰もが一目おく忍術の達人である。一方末蔵の家は伊賀焼の焼き物職人で、上忍の百地三太夫がその職人の娘に
懸想
《
けそう
》
して産ませた子であった。伊賀焼といっても当時はまだ芸術的域には達しておらず、
窯
《
かま
》
で焼くものといえば茶碗や皿などの日常品で、伊賀焼が日本六古窯の一つに数えられる名品を作り出すのはこれより少し後のことである。
わずか八里四方ばかりの伊賀の里は、東に鈴鹿、西に笠置、北に甲賀を境とした山々に囲まれた小国だった。しかもその国に入るには七〇もの険しい
砦
《
とりで
》
を通過しなければならず、いわば国自体が城塞ともいえた。その中に、二人の故郷である伊賀上野はあった。
いずれ忍びの者として、どこかの武将に雇われて諜報業務を仕事とするはずだった小太郎は、その地で
鶯
《
うぐいす
》
の鳴き声を聞き、
蛙
《
かわず
》
を追いかけ、野山に実る木の実を喰っては、雪が降れば忍び道具を作ったり手入れをしたり、忍術を身につける以外は、一般の農民と同じ生活を送るごく平凡な幼少期を送った。一方末蔵の方はもっぱら焼き物に夢中で、近年上層階級で流行の茶の湯などに心酔しては、自分の作る壺や椀の研究を重ねていたが、性格は対照的な二人はなぜかよく気が合い、暇を見つけては野山をかけめぐって遊んだものだった。
古くから中央権力の支配を受けず、小さな豪族たちの集合体によってゆるやかな政治的な結びつきをなしていた伊賀の里には、『伊賀
惣国
《
そうこく
》
一揆
掟書
《
おきてがき
》
』という約定があり、一種独特な風気が存在していた。伊賀に忍術という諜報能力にすぐれた人材を輩出してきたのも、そうした地域性や政治のしくみがあったからだが、この土地の人間は、本職に加えて自分の得意な能力を磨くことを怠らなかった。例えば視力が優れた者や聴力が優れた者など、諜報工作に必要となればその能力が買われ、伊賀者同士の協力体制ができあがっていたのである。末蔵などは良い例で、彼はいっぱしの忍術などまるでできなかったが、
声色
《
こわいろ
》
という誰にも真似できない特技を持っていた。動物や鳥や虫の鳴き声はもちろん、薬売りの佐吉とか猟師の権三やら染物屋の孫六とか、身近な男のものまねは端から、女では女郎の梅桜とか金物屋のお
上
《
かみ
》
さんとか、老若男女を問わず声や音の出るものならあらゆるものをそっくり真似た。その特技が実の父親である百地三太夫の目に留まり、彼の家では末蔵だけが百地姓を名乗ることを許されていた。
話が飛んだが、いわば戦国時代においては伊賀全体が諜報機関の人材派遣的役割をなしており、服部家や百地家や藤林家といった上忍が仲介となって、全国の大名や諜報を必要とする組織に伊賀者を派遣するようなことを
生業
《
なりわい
》
としていたのである。
ところが今から六年前にその悲劇は起こった。小太郎十二歳、末蔵十四歳の秋のこと。いわゆる後に天正伊賀の乱と呼ばれる事件である。
その発端は天正七年(一五七九)にまでさかのぼる。
破竹の勢いで近隣諸国を征服していく信長の世にあって、伊賀はその勢力に従うことなく、国主というものを持たない独立国家ともいうべき特異な自治共和制を保っていた。当時それを面白く思わない信長の次男織田信雄は、伊賀隣国の伊勢を支配していたが、その信雄と密通していたのが伊賀衆の下山甲斐という男である。
「ただいま伊賀の結束が衰え出しております。落とすなら今かと……。それがし道案内をつとめましょう」
と、その言葉を真に受けた信雄は九月、信長に無断で一万近くの兵を引き連れ、伊賀への侵攻を開始したのであった。
ところが土地勘もあり従来からゲリラ的戦法をお家芸としていた伊賀忍び軍勢は、夜の暗闇に紛れてわずかな勢力でそれを粉砕し、たった数日のうちに信雄の侵略を抑え込んでしまったのだった。
このとき戦略会議を部屋の廊下で眺めていた小太郎は、あざやかに作戦の指揮を執る百地三太夫の姿をはじめて見た。別称
丹波守
《
たんばのかみ
》
正西
《
まさゆき
》
なるこの人物は、どこか人目のつかないところに隠棲していたのか、あるいは日ごろから何かに扮して人衆に紛れていたか、生涯ほとんどその姿を人前に現さなかったと言う。小太郎の隣にいた実の子であるはずの末蔵でさえ、実際それが父との初対面だった。
「お主の親父殿はすごいのう!
流石
《
さすが
》
じゃ!」
小太郎は興奮気味に末蔵の肩を叩いたが、一方で三太夫の傍らで片腕となって働く父甲山太郎次郎を、神を崇めるがごとく誇らしく思っていた。
その戦いで生き残った信雄勢は当初の半分以下の四千程度だったと言われる。無残な敗報を受けた信長は激怒した。これがいわゆる第一次天正伊賀の乱である。そして信長は伊賀に対して激しい憎悪を燃やしたのだった。
それ以後小太郎は、父甲山太郎次郎になろうと、また、百地三太夫になろうと、それまで以上に忍びの技を磨いていたが、悲劇はちょうどその二年後に起こったのだった。信長が総勢四万四千という大軍を率いて大津波のごとく伊賀に攻め込んできたのである。これが第二次天正伊賀の乱である。
当時の伊賀の人口が老若男女あわせておよそ十万というからには、とても相手にできる数ではない。そのうえ織田勢は、前回の苦い教訓から伊賀に内応者を作り、内部の詳細な情報を得ていたのに加え、軍には鉄砲隊や砲隊まで備えていたというから、いっぱしの有力大名相手に戦を挑む周到さである。
対して伊賀勢は、戦闘要員が五千程度だったと言われている。多勢に無勢、これではいくら忍びの達人だったにせよ、歯が立つ相手ではなかった。伊賀は四方より攻められて、織田軍の徹底した焦土作戦と兵糧攻めに苦しめられた。しかも、夜も昼のごとき
松明
《
たいまつ
》
を焚き続けたものだから、闇を味方につける忍者の術も、その動きも身を潜める場所もすべて封じ込められてしまったのだった。
信長軍は比叡山延暦寺で行った放火、破壊、殺戮を、この伊賀でも行った。それでも伊賀勢は女子供も武装して、必死に応戦して耐えたが、わずか半月という歳月を持ちこたえるのがやっとだった。
そして小太郎の故郷、伊賀は滅んだ。
父も百地三太夫も死んだ。
更にまだ若かった母も、信長軍の荒くれ足軽に犯されて殺された。
小太郎は、目の前の現実を理解できないまま、そこかしこに煙を吹く荒野を必死で逃げた。途中、欠けた焼き物を手にして呆然と立ち尽くす末蔵をみつけた。
「末蔵、ゆこう!」
「どこへじゃ?」
「どこへでもじゃ!」
小太郎は末蔵の手を引っぱって走り続けたのだった。
この戦で信長に寝返った伊賀者もいる。また生き残った伊賀者たちも全国各地に散り々々になった。以来伊賀者は集団で行動するより、単独で行動する一匹狼的な忍びとして腕を売り、力ある武将に仕官するようになったのである。
「旦那、頼みましたぜ」
一揆を主導する若い農民が小太郎のところへ来て言った。
「ああ、任せておけ!じゃが約束を忘れるな!」
「へえ、十人斬ったら金一枚、二十人斬ったら金二枚……」
「百人斬ったら?」
「金十枚でございます」
「お主ら百姓にそんな金があるのか?」
「なあに、あのお屋敷さえ制圧すれば、二十枚だろうが百枚だろうが金庫に隠し持っているに決まってます。そしたら即、耳をそろえて払いますよ。いままで俺たちからさんざん搾り取ったんだ。とにかくばっさばっさ
斬
《
や
》
ってください」
忍びは暗闇でも目が効く。小太郎はその表情に嘘がないことを読み取った。やがて一揆の主導者は興奮しきった士気を眉間に表すと、いよいよ「討ち入りだ!」と言わんばかりに農民の集団の中に紛れていった。
「どうも気が乗らんなあ……」と、小太郎は再び鼻くそをほじった。
「すまんのう……」と、末蔵はいま一度謝った。
そして中途半端な形をした月が雲に隠れたとき、「行くぞ!」という大きな声があがった。すると、草むらに身を潜めていた百名ほどの農具を握った痩せ男たちが立ち上がったかと思うと、まるで獣のように一斉に屋敷に向かって走り出した。
「小太郎、ゆくぞ!」
腹を決めた末蔵も、それに従って草むらを半歩飛び出した。が、肝心の小太郎は屋敷とは反対方向へ向かって走り出していた。
「小太郎、どこへゆく!屋敷はあっちじゃ!」
「やめた!」
「なにを申す!」
「こんなくだらんお遊びに付き合うのはやめた!」と、小太郎はそのまま走っていく。
「おい、待て!小太郎!」
末蔵も小太郎の後を追うしかない。その後の農民一揆の
顛末
《
てんまつ
》
は知る由もない。暗い木枯らしの中、二人は行く宛てもなく走り続けていた。
「俺はもっと大きなことをしたい!」
走りながら小太郎は叫んだ。
「大きなこととは何じゃ!」
「わからん!だが、国を動かすもっと大きなことじゃ!」
小太郎が乞うまでもなく、彼らを巻き込む風雲がすぐそこまで来ていたことは、この目的のない若い二人はまだ知らない。
> 第1章 >
贄川
《
にえかわ
》
の宿
贄川
《
にえかわ
》
の宿
> 第1章 > 甲賀の飛び猿
甲賀の飛び猿
> 第1章 > 豊臣の世
豊臣の世
> 第1章 >
聚楽城
《
じゅらくじょう
》
聚楽城
《
じゅらくじょう
》
> 第1章 > 本阿弥光悦
本阿弥光悦
> 第1章 >
妖艶
《
ようえん
》
〜
梟
《
ふくろう
》
の
闇
《
やみ
》
妖艶
《
ようえん
》
〜
梟
《
ふくろう
》
の
闇
《
やみ
》
> 第1章 >
伴天連
《
バテレン
》
の寺
伴天連
《
バテレン
》
の寺
> 第1章 > 大坂城
大坂城
> 第1章 > 招かざる客
招かざる客
> 第1章 > 大航海時代の中の島国
大航海時代の中の島国
> 第1章 > 宣教師とポルトガル商人
宣教師とポルトガル商人
> 第1章 > 南蛮船
南蛮船
> 第1章 > 船上の稲妻
船上の稲妻
> 第1章 > 伴天連追放
伴天連追放
> 第1章 > 高麗茶碗
高麗茶碗
> 第1章 > 儒教の教え
儒教の教え
> 第1章 >
両班
(
リャンパン
)
と山賊
両班
(
リャンパン
)
と山賊
はしいろ☆まんぢう作品
釜山(プサン)を発った末蔵は、東莱(トンネ)、機張(キジャン)と経由して、梁山(ヤンサン)では右手に早春の千聖山(チョンソンサン)を眺めながら、その雄大な姿に胸を膨らませてゆっくり北上した。
村と村をつなぐ交通といっても当時のことだから、うっすらと窪(くぼ)みのあるようなところを辿(たど)る野歩きのようなもので、まだ残雪のある道は果てしなく続く。街道沿いの宿泊場所といえば藁(わら)ぶき屋根の簾(すだれ)で囲っただけの“酒幕(チュマク)”と呼ばれるそれで、居酒屋を兼ねた日本で言う旅籠屋(はたごや)の役割をなしてはいるが、それも歩いても歩いても稀に見るだけで、運悪く通り過ごしてしまえば野宿で一夜を明かすしかない。
そうして五日ばかり歩いて密陽(ミリャン)という農村に到達した。大きな屋敷を見つけた孫六は、
「今晩はあそこに泊めてもらおうじゃないか。毎晩野宿では身体がもたん」
と、まだ太陽が西に傾いてもいないのに、とっとと屋敷に向かって歩いて行くので、仕方なく末蔵もそれに続いた。孫六は屋敷の庭にいた官人と思われる男をつかまえ、流暢(りゅうちょう)な朝鮮語で「漢城府へ向かう倭国(わこく)の者だが、今晩泊めてはもらえまいか?」と交渉を始めた。すると間もなく家主である朴(ぼく)氏を名乗る在郷の両班(リャンパン)が出てきて、ニコニコ笑いながら二人を屋敷内に招き入れた。その会話の内容は、三ヶ月ばかり朝鮮語をかじっただけの末蔵には理解できなかったが、後で孫六に聞いたところでは、
「対馬の使者がたびたびここを通る時よく宿を提供しておるそうじゃ。なんでもそのたびに気前よく支払いの褒美(ほうび)をもらうとかで、わしらも大歓迎してくれるようだぞ。今晩は久しぶりに酒宴にありつけそうじゃな」
と嬉しそうに鼻の下を伸ばした。その意味は更に後になって分かることだが、末蔵はとりあえず風呂に入りたいと思った。思えば対馬を発ってより、風呂というものを見たことがない。孫六は朝鮮には風呂に入る文化がないのだと教えたが、家主に頼めば二人の休む座敷内に“モッカントン”という木で作られた丸い浴槽を用意してくれ、その中に下女達がお湯をなみなみと入れてくれた。
「さあ入れ」と孫六は言ったが、彼や下女達にじろじろ見られていてはさすがに入りずらい。「むこうを向いておれ」とお願いし、丸裸になって湯に浸かれば、途端に孫六と下女達が笑い出す。
「な、何がおかしい?」
「この国では真っ裸で体を洗うのは賤民(チョンミン)だけじゃ。両班(リャンパン)達は服を脱がずに必要な部分だけを洗うのが流儀じゃ」
とはいえすでに二人の下女が、末蔵の腕や背中を優しい手で洗ってくれている。末蔵は顔を真っ赤にして恥ずかしさに耐えるしかない。
そうしているうちに屋敷の大広間に案内されると、驚くことには宴の準備がすっかり整っており、赤や青や黄色で彩られた部屋には涎(よだれ)が出そうな料理と酒が並べられ、脇には美しく着飾った女達が、おのおの琴や二胡(にこ)や笛や太鼓などを持って座っているではないか。主賓席に座らされた末蔵は恐れ多くなって、「これはいったいどうしたことだ?こんな歓待を受ける覚えはないが」と脇に座った孫六に聞くと、
「日本でも郷に入りては郷に従えというではないか。これは彼らの真心なのじゃ。素直に受け入れるのが礼儀というものだ」
とすまし顔で言う。間もなく姿を現した家主は、連れて来た二人の男を「私の息子達だ」と自慢げに紹介し、いきなり、
「さあさ、遠慮なくやってくれたまえ!」
と朝鮮語で叫べば、やがて楽器が鳴り出して、これまた赤や黄色や紫の衣装で美しく着飾った五、六人の若い女達が部屋に入って来たかと思うと、音楽に合わせて歌や踊りを舞い始めた。
呆気(あっけ)にとられた末蔵に、「これが妓生(キーセン)じゃ」と孫六が教えた。彼の説明によれば、妓生(キーセン)とは宴会などで楽技などを披露し客人を歓待するための女性達であると言う。「歓待といってもいろいろあるがな」と孫六は笑ったが、そのほとんどは賤民階級に属し、その中でもやはり身分が存在し、高い者になれば宮中や両班を相手にできるが、低い者はいわゆる奴婢(ぬひ)で、「今ここで踊っている女たちは、みな家主の財産だろう」と孫六は言った。末蔵にはよく意味が分からなかったが、主人や息子たちに次々と酒を勧められ、ほろ酔いの中で全てが楽しく、また美しく見えるようになっていた。孫六はといえば主人や息子達と楽しそうに酒を酌み交わし話し込んでいるが、言葉が分からない末蔵はただ笑って答えているだけだった。
ふと、妓生(キーセン)が歌い出した音楽に、末蔵は吸い込まれるように聞き入った。
날좀보소날좀보소날좀보소(私を見て、少しでいいから私を見つめて)
동지섣달꽃본듯이날좀보소(冬咲く花を見るように、ずっと私を見てください)
아리아리랑스리스리랑아라리가났네(アリアリラン、スリスリラン、アラリガナンネ)
아리랑고개로넘어간다(アリラン、峠を越えてゆく)
정든님오시는데인사를못해(愛しいあなたに私の手は届かない)
행주치마입에물고입만방긋(前掛けくわえてにこりと笑う)
아리아리랑스리스리랑아라리가났네(アリアリラン、スリスリラン、アラリガナンネ)
아리랑고개로넘어간다(アリラン、峠を越えてゆく)
「これは何という曲じゃ?」
末蔵が孫六に聞くと、孫六は主人に聞いて教えてくれた。
「この地方に古くから伝わる“アリラン”という民謡だそうじゃ」
「どういう意味の歌じゃ?」
孫六は再び主人に聞くと、
「主人もよく知らぬようだが、筒直伊(トンジキ)が身売りで峠を越えて行く歌ではないかと言っておる」
筒直伊(トンジキ)というのは婢女(ひじょ)のことである。およそ人権も認められていない一人の奴婢の娘が、身分の高い男を好きになり、その切ない思いを伝えられないまま遠い国へ売られていく情景を歌っているのだと末蔵は思った。
「もう一度歌ってください」
末蔵は何度も何度も歌ってもらった。酒の力もあったのだろう、そのうちとめどなく涙があふれ出した。驚いたのは孫六と主人たちである。
「いったいどうして泣いておる?」
と問い詰めれば、
「同じだ、同じなのだ―――俺が本阿弥光悦様から戴いた沙鉢(サバル)の茶碗を手にした時の気持ちと!この切なくもあり、力強くもあり、美しくもあり……、俺の心を揺さぶるこの力はいったい何か……?」
末蔵は目の前に置かれた盃の酒を涙と一緒に飲み干した。するとすかさず息子の一人が「まあ飲め飲め!」と酒を注ぎ足す。酒と一緒にそのやるせないような気持ちを飲み込んでいるうちに、急に酔いがまわった末蔵は「アリアリラン、スリスリラン……」と呟きながら、そのまま鼾(いぼき)をかいて眠ってしまった。
どれほど眠っていたか知れないが、「おい、そろそろ寝るぞ」と孫六に膝をつつかれて目が覚めた時には、すっかりお膳も片付けられて、主人も二人の息子達もいないかわりに、目の前には十六、七の鬼もほころぶ若い娘が俯きがちに座っていた。
「この娘は誰じゃ?」
と孫六に目を向ければ、彼は三〇くらいの美しい女性を抱き寄せて接吻(せっぷん)しているではないか。
「おお、やっと目を覚ましたか。部屋を移してもう寝るぞ」
「寝るって……?この女達は誰です?」
「お前の方は長男の娘さんじゃそうだ。で、わしの方は次男の嫁(よめ)さんじゃ。最初家主は自分の妻はどうかと勧めたが、さすがに六十の婆(ばあ)さんはのう……」
と「郷に入りては郷に従えじゃ」と言いながら、孫六は女を連れて大広間を出て行ってしまった。
まったく意味がのみ込めない末蔵は酔いも醒めてしまい、暫くは言葉の通じない娘を相手におろおろしていたが、やがて娘が手を引いて立ち上がるので、連れられるまま案内された部屋に入った。そこには既に布団が敷かれており、娘が「どうぞ」と布団の脇に座るので、仕方なくその布団で寝ることにした。ところが横になった途端、娘が添え寝するように入り込んで来たかと思うと、いきなり末蔵の股間に手を伸ばしてきたのであった。
「なにをする!」
驚いた末蔵は跳ね起きた。驚いたのは娘も同じで、何かいけない事をしてしまったかというおののいたような目で見つめ返すと、今度は上半身の服を脱ぎ、小さな乳房を露わにして末蔵にすり寄った。これまた末蔵も驚いて、
「離れよ!」
と娘を突き飛ばすと、そのまま部屋の外に追い出した。
「いったいこの国はどうなっておるのじゃ……」
末蔵はそのまま眠れない夜を過ごした。
翌朝、眠い目をこすりながら早々に両班の屋敷を発った末蔵だが、「もう二、三日ゆっくりしていきましょうや」と言う孫六は、昨晩は相当いい思いをした様子で名残惜しそうに言う。
末蔵は両班の屋敷を出るときに支払った謝礼のことを思い出して不機嫌だった。あのとき家主が催促するような目付きで「昨晩はいかがでしたか?」と聞いて、「いやあ、大変に満足であった」と答えた孫六が「謝礼を渡せ」と言うのだ。とはいえ宿代の相場も知らない末蔵は、懐から路銀の入った袋を取り出し戸惑っていると、孫六はその袋の中に手を突っ込んで、無造作に握りしめた銀貨を主人に渡してしまったのである。それがどれほどの価値になるかは知らないが、受け取った主人は満足げに快く二人を送り出したのである。
「あんなに路銀を払ったのでは、目的地に着くまでにすっからかんになってしまうわ!」
「えらくご機嫌斜めだな?」
「当たり前だ!なんだ昨日のあの娘は、いきなり無礼であろう!」
馬上の孫六は驚いたように「末さんはあんなに可愛い娘を抱かなかったのかい?」と言う。いつのまにか末蔵のことを末さんと呼ぶようになっている孫六が言うには、
「あれは客妾(ケクチョプ)というこの国のおもてなしの形なのだ。郷に入りては郷に従えと何度も言ったではないか」
「金を払うのは俺だ! もう二度と両班の家には泊まらん!」
末蔵はそう吐き捨てると、話すのも嫌になって密陽(ミリャン)から大邱(テグ)へと続く峠道を、孫六を乗せた馬の手綱を引いて歩いた。その頭の中では昨晩妓生(キーセン)達が歌ってくれた“密陽(ミリャン)アリラン”の明るくも物悲しいフレーズがいつまでも鳴っていた。
♪アリアリラン、スリスリラン、アラリガナンネ……
「婢女の娘はどんな思いでこの峠を越えたのだろう?」
と思いを馳せながら―――。
大邱(テグ)を過ぎて尚州(サンジュ)に着いた時である。
この辺り一帯を包括しているのであろう大きな両班の屋敷の前に、ものものしい姿をした馬が十数頭つながれていた。
「王族か貴族かなにかの旅行かな?」
孫六はそう呟いた。尚州(サンジュ)はこのころ慶尚道(キョンサンド)(嶺南)有数の政治的中心地なのだ。
「両班(リャンパン)の家になど泊まらぬぞ!」
末蔵は見向きもしないで通り過ぎようとしたが、
「おおっ!」
と声を挙げた孫六に思わず足を止めた。見れば豪勢な馬の鞍(くら)に、対馬の隅立(すみた)て四(よ)つ目結(めゆい)の家紋が刻まれているではないか。
「少し前に対馬の柚谷康広(ゆずややすひろ)という使者が、国書を持って漢城に向かったと聞いておる。もしかしたらその帰りかもしれぬぞ!」
まさかこのような場所で同郷の日本人に会えるとは思っていない孫六は、馬を飛び降り年に似合わぬ速さで屋敷の方へ駆けて行く。末蔵はため息をつきながらその後を追いかけた。
下人に呼び出されて中から姿を現したのは柚谷付(ゆずやづき)の通訳の一人で、孫六の顔を見た途端「爺(じい)さんではないか!」と驚きの声を挙げた。何年か前まで一緒に仕事をしていた同僚のようだ。孫六は自分がここにいる事情を末蔵を紹介しながら説明すると、国書の顛末(てんまつ)などそっちのけで「ここの家には良い女子(おなご)はいるか?」と聞いた。
「おるにはおるが、美人はみな柚谷殿が独り占めして、おかげでこっちには余り物しか回って来んさ」
と苦笑した。その柚谷康広(ゆずややすひろ)という男、頭は切れるが傲岸(ごうがん)な性格で、「我は日の本の国代表の使者である!」と言わんばかりに、行く先々で朝鮮人を馬鹿にしたような言動を積んでいた。しまいには漢城において国王たる宣祖(ソンジョ)昭敬王の面前で、
「お前達の槍はなんと短いことか。弓も刀も子供の玩具(おもちゃ)かと思ったわい。こんな武器では国は守れまい。我が国に服従せよとは言わんが、このたび日本国王となった関白秀吉様に、せめてお祝いの言葉くらい伝えておいた方が身のためだと思うが」
と高邁(こうまい)に言い放った。この時の柚谷の態度を朝鮮の史書である『懲録(ちょうひろく)』には「挙止倨傲(きょしきょごう)=立ち居振る舞いが驕(おご)り高ぶっている)」と記す。当然宣祖(ソンジョ)も腹を立てたに相違ない。
そんな事情を気にする様子もなく、日本国使者を笠に着た一行は、尚州(サンジュ)在郷の両班の屋敷で帰路の宿をとっているというわけである。
「ちっ、今晩はおこぼれに預かろうと思ったが、それではつまらんなあ」
孫六が言った。
「相変わらず性欲が強いのう。どちらにしろ我々も明日発つ……」
「爺、もうよいだろう。早くゆくぞ!」
柚谷付の通訳の言葉をさえぎって末蔵が言うと、そのまま孫六を置いて歩き出した。
「どうも朝鮮の風紀になじめぬようじゃ。まだまだケツが青いわい。では、またのう」
孫六は末蔵の後を追いかけた。
「おい、この先は聞慶鳥嶺(ムンギョンセジェ)の峠だ。山賊や虎が出るから気を付けろ!」
柚谷付通訳の忠告に手を振って応えた孫六は、体を重そうにして再び馬にまたがった。
二人がこれから越えようとする聞慶鳥嶺(ムンギョンセジェ)の峠とは、慶尚道と漢城を結ぶ街道の最大の難所と言われる地点である。小白(ソベク)山脈の鳥嶺(チョリョン)山の“鳥”の“嶺”とは、鳥さえも休まずに越えることができない峠という意味で、南の地方から漢城で行われる科挙の試験を受けるために、どれほどの者がこの峠に行く手を阻まれたろうか。
そんな話をしながら今日中に峠を越えてしまおうとする二人の前に、突然熊や虎などの獣の皮や薄汚い麻の衣服をまとった真っ黒な男たちが、手や手に剣や槍を持ってゆく手を遮った。数える暇などなかったが二、三十人はいるだろう。孫六は恐れおののき、
「まずいぞ末さん、山賊だ」
と言った。
厳格な階級社会の上に成り立つ李氏朝鮮の最下層で苦しむ白丁(ペクチョン)出身者の中には、世を恨み、復讐を抱きながら生きるいわゆる賊になる者もいた。それは世の常ともいえるだろうが、完全に社会システムから切り離された彼らは自由ではあったが、ひとたび役人に見つかれば捕縛され、命を絶たれる大きなリスクも背負っていた。だから通常彼らは行政の目の届かない山奥や、ほとんど人の住まない僻地(へきち)などに徒党を組んで生活し、武闘の技術や力を鍛え、普段は猟や盗みなどして糧を得て、時にこうして財産のありそうな者を襲っては追剥(おいはぎ)をして生きるより仕方がない。半分野生化している分、理性を持つ人間には空恐ろしい存在で、彼らには道理も儒教の教えも通用しない、力だけが正義の輩である。それはすなわち朝鮮儒学の序列至上主義が生み出した負の遺産でもあったわけだ。だからその存在を知っている人は、旅をする時は必ず有能な護衛を頼むか、あるいは大勢でまとまって移動するのだが、末蔵たちのように身軽な旅人は彼らの格好の標的だった。
気付けば二人はすでに周囲を取り囲まれて、賊の頭(かしら)と思われる大熊のような男がカラスのような気味の悪い声で何か叫んだ。
「着ている物、持っている物、そして馬……全て差し出せば、命だけは助けてやると言っておるが……末さん、どうする?」
孫六はぶるぶる怯えながら山賊の言葉を通訳した。
「できるわけがなかろう!」
末蔵も叫んだ。
「ダメじゃ、そんな事を伝えたら殺される……」
「では、どうすればよい?」
「ここは奴らに従うしかないじゃろう!」
山賊達は真っ黒な顔に黄色い歯をのぞかせながら、やがて手にした武器を振り回し始めた。武器にしてはなんとも華奢(きゃしゃ)に見えたが、人を殺傷するには十分そうだ。
末蔵は考えた。このまま路銀まで奪われてしまったら、たとえ生き延びたとしても路頭に迷うだけである。今大切な物は、命の次に金なのだ。と突然、
「ううっ!」
と叫んで腹を抱えてうずくまった。驚いた孫六は「どうした?」と馬から降りて背中をさすると、末蔵は苦しそうにこう訴えた。
「持病の腹痛が出た。今すぐ薬が飲みたい!と奴らに伝えろ。交渉はその後だ!」
孫六は末蔵に言われるままその言葉を山賊達に伝えた。すると、
「いいだろう」と山賊の頭が答えた。どうやら山賊にも山賊の一分があるらしい。
末蔵は懐から薬を取り出す振りをして一粒の路銀をつまみ、銀貨だと分からないように口に含むと、目をつむってゴクリとのみ込んだ。そして二粒目を取り出して同じようにのみ込むと、
「医者から症状が出たら、この薬を二十粒ほど飲めと言われておる。伝えろ!」
孫六がそう山賊に伝えれば、山賊達は「早くしろ!」と急かした。
これは伊賀で習った咄嗟の時に大事な物を隠す技である。小太郎はよく「呑み込みの術」と言っていたが、のみ込んだ物は排泄物と一緒に外に出す。実は末蔵がこの術を使ったのは今が初めてで、異物を喉に通す違和感には耐え難いものがあったが、それでもようやく銀貨を二十粒ほどのみ込んだ。路銀はまだたくさん残っていたが、ここで命を落とすわけにはいかない。残りは潔(いさぎよ)くあきらめて、
「おお、ようやく楽になったわい。で、条件は何じゃ?」
と言ったものの、結局身ぐるみ全てはがされて、路銀と馬まで奪われて、丸裸にされてなんとかその窮地(きゅうち)を乗り切った。末蔵もそうだが孫六も哀れな姿で、年も祟って歩くのもおぼつかない。仕方がないので末蔵は、そのみじめな老人を負ぶって峠を越えた。
> 第1章 > 奴婢の娘
奴婢の娘
はしいろ☆まんぢう作品
峠を越えて最初の村で、とりあえず二人は衣服を手に入れた。衣服といっても奴婢が着るような、目の粗い麻でできた薄汚れた白のパジ赤古里だが、ふんどし一丁姿では寒い上に人目も気になるからないよりましだ。胃袋におさめた二十粒ほどの銀貨も野糞をして取り戻したが、奪われた路銀のことを思うと悔やんでも悔やみきれなかった。
忠清道の中心として栄える忠州まで、普通の人の足なら三日ほどで着くところを、孫六を背負う末蔵は六日かけてようやく到着するのであった。
「分院窯のある広州まではあとどのくらいかかるのかのう?」
末蔵は半分やけくそになって、背中の孫六にこう嘆く。
「漢城府の手前だから、あと五日といったところかな? でもこの速さだから十日はくだらんだろう。ほれ、もうちと早く歩け、歩け―――」
口ばかり達者で、自ら歩こうとしない孫六の態度に頭にきた末蔵は彼を抛り投げた。
「いたたたた……こら、何をする! 老人を労わらぬ狼藉者は朝鮮を追い出すぞ!」
「この助兵衛じじいめ、老人が聞いて呆れるわい!」
と、そこに突如として女の泣き叫ぶ声がした。
何事かと目をやれば、一軒のあばら家から、まだ年端もいかない十五、六の薄汚れた小娘を強引に連れ出す、道袍や中致莫を着た官人らしき数人の男たちが出て来た。その後を追いかけるように白い赤古里を着たこれも汚れた中年の女が飛び出して、何か叫びながら官人の足にしがみつく。すると別の官人が容赦なくその女を蹴りつけた。
「オンマ!オンマ!」
と泣き叫ぶ小娘の様子はやはり尋常でない。官人も大声で何か怒鳴っているが、中年の女は同じ言葉をわめいて頭を下げるだけで、道行く者は見て見ぬ振りをして通り過ぎるだけだった。
「何をもめておる?」
末蔵は孫六に聞いた。孫六は先ほどの官人の大声から、すっかり事の概要を掴んでいる。
「紅い衣を着た男がおるじゃろ?あいつは両班じゃ。どうも屋敷の屋根の修繕をしたらしい。その修繕費を払わなければならないので娘を連れて行くと言っておるな。この娘なら容姿が良いから高く売れるとさ」
「家の修繕費のためにあの娘を売るつもりなのか?」
「あの母親と娘はおそらく白丁だろう。あの両班の所有物だからどうにもならんよ。さあ、行こう、触らぬ神に祟りなしじゃ……」
孫六が歩き出したとき、更に甲高い娘の悲鳴が鳴り響いた。官人の一人が刀を抜いて、母親の首を斬りつけたのだ。おそらくあの様子では即死だろう、娘は両班の腕を振り切り母親の背中にしがみついて「オンマ!」と泣き叫ぶ。
「白丁を殺しても罪にはならぬ。可哀想なことだ……」
そう呟く孫六の脇を、風のように駆け抜けたのは末蔵であった。
「バカっ! やめろっ!」
と言った時には、体当たりで両班を突き飛ばし、末蔵は娘を守るような格好で構えている。突然なにが起こったか分からない官人達も、おのおの刀や護身用の武器を手にして身構えた。
「あの馬鹿め! 厄介を起こしやがって」と孫六は迷惑そうに騒ぎの方へ寄って行った。
末蔵は泣き叫ぶ娘に「よいか、逃げるぞ!」と言った。そこへやって来た孫六が、
「いやはや、すみませんねえ、こいつはアホな倭国の男で、この国の習いを全くわきまえません。娘は返しますのでどうかご勘弁を」
と朝鮮語で弁解したところが、着ていた服が悪かった。完全に白丁と誤解された孫六は、刀を持った一人に頭をかち割られて激しく血しぶきをあげ倒れた。
驚いた末蔵は「孫六爺!」と叫んだが遅く、既に孫六は息耐えた。末蔵は刀を持った男をキッと睨みつけると、刀を振り下ろすより早く懐に飛び込んで頭突きをかませば、男は後方へ吹っ飛んで、その隙に娘の手を強引に掴んだと思うと、そのまま韋駄天の如く逃げ出した。両班の男は真っ赤な顔で激怒して、
「逃すな!ひっとらえろ!」
と叫ぶと、瞬く間に周囲は捕り物帖さながらの大活劇が始まった。
驚くのは先ほどの騒ぎは見向きもしないで通り過ぎた者達が、まるでゾンビにでもなったように襲ってくる事である。およそ褒美を目当てに両班に加担する中人、常民階級の者達であろう。末蔵はそれを押しのけへし分け、辻を曲がった深い藪の中に娘もろとも逃げ込んだ。
「どこへ行きやがった?」
という朝鮮語が、潜む藪の中に聞こえた。
「この藪の中に紛れたんじゃないか?」
末蔵は息をひそめ、まだ泣き止まない娘の口を押さえ、敵を欺くために咄嗟にコオロギやキリギリスの鳴き真似をした。冷静に考えればこの時季に鳴くはずのない虫だが、そのあまりのリアルさに疑う者はいない。
「虫が鳴いているぞ?」
「人がいれば虫は警戒して静まるはずだ」
「ここにはいない、あっちだ!」
と、なんとかその場を切り抜けたのだった。末蔵はほっと溜息をついた。
「いま動くのは危険だ。暗くなるまでここで待とう」
末蔵は小さな声で言ったが、日本語が通じるはずはない。
娘はひどく怯えている。さもあろう、いきなり両班に連れ去られようとしたばかりか、目の前で母親を殺され、挙句にどこの誰だか分からぬ男に拉致されたのである。恐怖と悲しみと不安の感情がごっちゃになって、気が動転して泣くしかないのだ。
末蔵は孫六に教わった片言の朝鮮語を思い出した。
「ケンチャナヨ?(大丈夫か?)」
すると娘は、泣き腫らした透き通った両目を末蔵に向けた。その怯える瞳からこぼれ落ちる涙の通り道は、痩せた二つの頬を土で真っ黒に汚していた。末蔵はにっこり微笑むと、腰の竹筒に入った水を自分の赤古里の袖にしみ込ませた。
なぜ竹の水筒を持っているかといえば、山賊に襲われ丸裸にされた後、峠道を歩きながら黒曜石や珪質頁岩、あるいはチャートやサヌカイトやガラス質の安山岩などの石を探して、割って刃物の換わりにし、次に竹林を見つけた時に、その竹を切って作ったのである。これも伊賀で習ったサバイバル術だが、水で湿らせた袖を雑巾の換わりにして汚い娘の頬の土を拭き取れば、次第に若さ特有のきめ細かな白い肌を覗かせて、頬に続いて鼻や額や耳などの泥も拭きとってやれば、すっかり綺麗な生娘の顔になった。
末蔵は瞠目した―――。
以前孫六が「婢女は磨けば女になる」と言ったのは本当だと思った。その幼さの残る表情に楊貴妃のような美しさを見たのである。
「密陽……」
と思わず呟いたのは、あの密陽の峠を越える時、ずっと頭の中で鳴っていた密陽アリランに詠われた奴婢の娘のイメージが、たったいまさっき母親を殺され、まさに売られようとしていた目の前のこの美しい娘と重なったからだった。
「水、飲むか?」
「…………イェ(예)」
不思議と言葉が通じた。娘は、末蔵が敵でないことを知り、竹筒の口をそっと唇に添え、その桜のような唇から静かに水を含むと、小さな音をたてて飲み込んだ。すると突然なにかを思い出したように、
「어머니의 곳에 가지 않으면」
と呟いたと思うと、藪の中から飛び出そうと体を起こした。言葉は分からないが、母親のところへ行こうとしているのだとすぐに察した末蔵は慌てて抱き止めた。
「いま出て行ったら捕まって売られてしまうぞ。暗くなるまで待て」
暫く娘は末蔵の腕の中から抜け出そうと暴れていたが、そのうち無理だと諦めると、やがて彼の腕に顔をうずめて再び泣き出した。末蔵はその生娘の細い身体を押さえつけるように抱いたまま、名前も知らないその娘をいつしか“密陽”と呼んでいた。
やがて日が暮れ夜の帳が降りると、藪の中から顔を出した末蔵は密陽に「いくぞ」と言った。密陽は不思議そうな顔をして首を傾げた。
「母のところへ行くのではないのか? 俺も孫六のことが無念でならぬ」
密陽の手を引いて路地に出た末蔵は、周囲を警戒しながら昼間騒ぎがあった現場へと向かった。町中は忠清道在住の捕盗庁の役人と思われる武装した男達が出歩いており、密陽と末蔵を血眼になって探していた。この様子では既に京畿道へ通じる国境沿いも封鎖されているに違いない。末蔵は建物や雑木林に身を隠しながら密陽の家の前へ近づいたが、そこにも二人ほどの捕卒(警官)が見張っており、死体は既に片付けられていた。
すると密陽が末蔵の手を引き走り出した。連れられて着いた場所が死体置き場である。そこには既に白骨化したものから腐って異臭を放つもの、およそ理由もなく殺された白丁達の墓場に相違ない。その中に無造作に投げ捨てられた孫六の死体を見つけた末蔵は駆け寄って「助けてやれずにすまなんだ」と黙祷して合掌すると、隣には同じく密陽の母親が捨てられており、密陽は死体に抱き着いて号泣した。
「これからどうする?」
末蔵は密陽の肩を叩いて言ったが、密陽は「逃げてもムダよ!」とまた泣いた。不思議なもので、特定の言葉を引き出すような特別な状況もあるのだろうが、彼女の話す朝鮮語が末蔵には解かった。
すると背後が俄かに明るくなったと思うと、松明を手にした五、六人の捕卒が「いたぞ!」とばかりに現れたので、咄嗟に密陽の手を引っ張って逃げ出した末蔵だが、一瞬遅く、二人はその捕り物役人達に取り囲まれた。
「わしらをどうするつもりじゃ!」と末蔵が叫んだ。
捕卒達は聞いたこともない言葉に首を傾げて顔を見合わせたが、やがて「言わずと知れたこと!」と言うように刀を引き抜いて末蔵めがけて襲う。末蔵は観念して密陽をかばって顔を伏せた―――。
そのときだった。
刀を振り下ろす捕卒の腕に、閃光のような矢が突き刺さったのは。捕卒は悲鳴を挙げてうずくまったが、振りむいた末蔵が次に見たのは信じ難い光景だった。忘れもしない聞慶鳥嶺の峠で遭遇したあの山賊達と同じような格好をした盗賊団だったのだ。盗賊団と思ったのは、みな明らかに役人とは思えない服装をしており、かといって賤民のようなみすぼらしい格好をしている訳でなく、何より刀や弓などを手にした二、三十人ほどの男達は、徒党を組んで捕卒達を取り囲んでいたからである。
五、六人の捕卒達は恐れをなしたように後ずさりし、逃げようとしたところを盗賊団に取り押さえられた。盗賊団の中から姿を現したのは、顎髭を蓄えた四十前後の逞しげな男である。しかしその鋭い眼光には何かに情熱を傾ける憎しみにも似た悲しい気配が宿っていた。筆者は朝鮮語が分からないので、ここからはセリフを日本語に翻訳して続けるとしよう。
「私は林巨正の嫡子、林百姓と申す! 白丁の民を苦しめる横暴を見るに見兼ねて参上した!」
その名乗りを聞いた盗賊団は、申し合わせてでもいるかのように、捉えた捕卒達の武器や服を根こそぎ奪い取ると、林百姓と名乗った男の足元にその戦利品を積み上げた。
「さっそくこの品を布に換え、貧しき者達に分け与えるがよい!」
「はいっ!」
と、部下の数人の盗賊はそれらを抱えて闇の中へ消えてしまった。
さて、この林百姓という男であるが、いわゆる義賊と呼ばれる者の類である。日本にも石川五右衛門や鼠小僧次郎吉、近年ではルパン三世という善を成す盗賊がいるように、李氏朝鮮にもそれに当たる英雄がいる。先ほど林百姓は、自分の祖父は林巨正であると名乗ったが、彼こそがその一人である。
林巨正は白丁出身の盗賊で、一五五九年というからこの小説の三十年ほど前、貴族や政府の圧制に苦しむ農民以下の下級層を組織して反乱を巻き起こした英雄である。いわゆるこれが林巨正の乱と言われるものだが、反乱は黄海道を中心に京畿道、平安道、江原道へと拡大したが、やがて官軍の大規模な討伐により鎮圧され、最後は捕らえられて処刑される。
また洪吉童がいる。
彼は実在の人物ではなく、一六〇七年ごろ許筠という文人によって書かれたハングル文字最古の小説と言われる『洪吉童伝』の主人公である。設定は、貴族の家には生まれるのだが、母親がいわゆる奴婢の女中であったため身分が卑しく、やがて家を捨て“遁甲法”という怪しげな術を覚え、山賊団を束ねて“活貧党”の首領となる。そして貴族や役人達を懲らしめ、奪った金品を貧民に分け与えるのである。自分を捉えに来た刺客を惑わしたり、八人の分身を作ったりする法術は忍者にも似たようなものがあるが、空を飛ぶに至っては孫悟空も真っ青だ。
さらに時代を進めれば張吉山である。
彼は十七世紀後半の実在の人物であるが、面白いのは普段は旅芸人であるが、裏の顔が剣契と言われる賤民達の秘密結社の頭というから“必殺!仕事人”を彷彿とさせる。芸人職は当時は賤民階級であり、やはりこの英雄も最低の身分でありながら権力に立ち向かうという構図は他の二人と同じで、この三人がいわゆる“朝鮮三大盗賊”と言われている。
やがて、林百姓と名乗った男は末蔵を一瞥し、
「命は大切にされよ」
と言い残して立ち去ろうとした。
「お待ちください!」
末蔵は林百姓の足元へ駆けていき、お礼を述べて続けた。
「私の名は百地末蔵と申します。高麗茶碗の作り方を学ぶため、日本から海を渡って参りました。ところが釜山から広州の分院窯に行く途中、賊に襲われ身ぐるみ剥がされ、この町に着いたところで、この娘が身売りされ泣き叫ぶところを見かけました。我慢ならずに助けたところがこの有様です。通訳の爺さんも殺されました。どうか私を広州まで連れて行って下さい!」
無論、言葉が通じるはずもない。林百姓は「誰か、この男が言っている意味が分かる者はおらぬか?」と盗賊団の者達に言ったが、異国語が分かる者などいるはずもない。
林百姓は、今度は密陽に向かって「この男はお前の何だ?」と聞いた。
密陽は末蔵を見つめると、
「母が殺され、私も殺されかけたところを、この男に命を助けられました」
と答えた。
「この男はなぜ、白丁であるお前を助けたのか?」
「分かりません……ただ、この方は朝鮮の民ではありません」
「朝鮮の人間ではないとするとどこの国の者だ? 明国か、それとも倭人か?」
“倭人”という単語に末蔵は反応した。孫六から日本人のことを“ウオジェン”と言う事を学習していたのだ。
「そうだ! 俺は倭人だ! 海を渡ってここに来た!」
林百姓は「倭人?」と呟くと、末蔵の顔をじっと見つめた。朝鮮人にとっては軽蔑する存在ではあっても敬う対象ではない。林百姓は再び密陽に向かってこう言った。
「両班に逆らったとあらばもはや生きてはいけぬぞ。これからどうするつもりだ?」
密陽は何も答えず再び末蔵の顔を見つめた。その瞳がどうすれば良いか聞いていた。
「とりあえず今はこの人に匿ってもらうしかなかろう」
末蔵の言葉を理解したのかは分からないが、密陽は静かに立ち上がると、
「どうか私たちを匿ってください」
と頭を下げた。
こうして末蔵と密陽は、林百姓が率いる盗賊団に伴って南漢江を渡り、およそ京畿道と忠清道と江原道の堺が交差する原州の雉岳山は、人目の届かない山奥のアジトに身を隠すことになったのであった。そこはちょっとした集落になっており、女もいれば子供もいた。なので密陽は林百姓の妻が住む家で預かってもらうことにし、末蔵は一角に小さな家を建ててもらい暫く住むことにしたのだ。ここで朝鮮語を覚え、一刻も早く広州の分院窯へ行かねばならないと考えた。
陶芸家を目指すつもりの末蔵の命運は、こうして思わぬ方向へと導かれていくのであった。
> 第1章 > 小田原攻め
小田原攻め
> 第1章 > 調略の準備
調略の準備
> 第1章 > 風魔猪助参上
風魔猪助参上
> 第1章 > 触発の炎
触発の炎
> 第1章 > 刺殺命令
刺殺命令
> 第1章 > 主君を持たぬ者
主君を持たぬ者
> 第1章 > 筒抜け
筒抜け
> 第1章 > 八百長合戦
八百長合戦
> 第1章 > 鉢形城下のめ組
鉢形城下のめ組
> 第1章 > 蒙古占い
蒙古占い
> 第1章 > 倉賀野軍議
倉賀野軍議
> 第1章 > 宿敵対決
宿敵対決
はしいろ☆まんぢう作品
「動いたぞ!」
その一報をもたらしたのは鼠であった。ついに真田昌幸が、虎ケ岡城への攻撃を開始したと言いながら「城を見張っていた別の“め組”の組員が知らせに来たので間違いない」と息を弾ませた。虎ケ岡城を守っているのは矢那瀬大学という男である。いずれにせよ兵力はほとんど出払っているため、城に残っている者など僅かな数だ。無駄な抵抗はせずに城を明け渡すだろうことは既に計算尽くで、
「出撃じゃ!」
猪助は叫ぶと、風魔党の男たちは疾風のように拠点を飛び出し末野へ向かう。
小太郎も自分の動きは明確だった。虎ケ岡城が攻撃されたとあれば、勝つことを達観視しているはずの飛猿なら、そのときすでに次の標的である花園城の偵察に出ているはずだと踏んでおり、彼もまた馬を走らせ花園を目指す。鉢形城下からだと一里にも満たない距離だから馬の脚なら僅かなものだ。
猪助の話によれば花園城主は藤田政邦という男で、鉢形城代を兼任しているため今は城主不在らしい。「そんな城ならわし一人でも落とせるわい」と小太郎は豪語したが、相手が飛猿とあればそうもいくまい。どんな手を使って倒すか、そのときの状況を見ながら臨機応変に戦わなければ、何をしてくるか分からない相手である。
「今日は刀も忍び道具も持っているし、前のようにはさせぬ!」
と、勝つ気満々の小太郎は、やがて花園城が築かれている小高い山の麓の諏訪神社に到着した。周辺には猫の子一匹いる気配もなく、戦前の妙に静まり返った空気を吸い込んだ小太郎はそのまま馬を降りて大きな吐息を吐くと、軽快な足取りで神社の石段を駆け上がった。
と──、
「待っていたぞ、太郎次郎の倅!」
空の方から声がした。聞き覚えのある、それは飛猿に違いない。小太郎は空を見上げた。
「どこじゃ、赤猿──姿を見せよ!」
新緑の若葉が芽吹き始めた木々の間から、空の淡い青が覗いて見える。この木の上のどこかに飛猿が潜んでいると思えた。
「北条に寝返ったそうじゃないか?」
「どちらに付こうがわしの勝手じゃ! お前らに有益な情報は、菖蒲を通じて流してやっているはずじゃ!」
「それが解らぬ。北条に付いたお主がどうして敵に情報を流す? 魂胆は何じゃ!」
「なりゆきじゃ」
と、空にばかり気をやっていた小太郎は、足元の土に生き物の気配を感じて、「土遁の術か?」と思い直した。
“土遁の術”とは“土”の利を活かした“遁術”の一種である。遁術──すなわち忍者の術とは、身を守り逃げるために発達してきた特殊技能で、本来は攻撃を目的としたものでない。ところが飛猿ほどの使い手になると、相手を惑わす大きな戦闘術になり得た。その基本は“五大”つまり「地」「水」「火」「風」「空」にあり、“五大術”とも“五薀術”とも“五輪術”とも“五常術”とも“五方術”とも“五智術”とも“五時術”とも言われる。その中で「地」の利を用いた術をいわゆる“土遁の術”と呼び、一般的には土に穴を掘り何日も潜み隠れる技を言う。同じように水中に潜み隠れる技を“水遁の術”と言うが、中には水上を歩いて見せたり、たっぷりと胃に含んだ水を口から吐き出して相手を威嚇するような技もあり、「水」の利を用いた技はひっくるめて“水遁の術”と呼ぶ。だから“火遁の術”と言えば「火」の利を用いた技のことであるから、油を飲んで口から火を噴いて見せたり、煙幕を炊いて霧に隠れたり、もっと言えば鉄砲術や砲術、あるいは狼煙を挙げることなども“火遁の術”に属しているわけだ。また“風遁の術”とは「風」の流れを読み、その勢いや特性を利用した技で、風魔党の幻術のように麻酔の香りを風に乗せるのもその内に入るだろうし、中には人の吐く息を利用した術もある。噂では季節風や台風などを利用して敵陣に攻め込んだという話も聞く。そして“空遁の術”は空を飛んで見せたり、宙に浮いて見せたり、あるいは鳥を操ったり雨を降らせてみたり、「空」の利を用いた技は小太郎の憧れの術でもあった。中でも雷を自在に操る“雷槌落とし”は生涯を懸けて習得したい技であり、父の甲山太郎次郎はこれができた。父曰く、
「これは億劫の辛労を尽くして一念三千世界に帰命せなできん」
であるが、その意味がまったく理解できない。また曰く「これは術というより法じゃ」であるが、これまた理解できずに今の年に至った。
──これらの“五大術”が基本となって、やがて太陽の光を利用した“日遁の術”や、月を利用した“月遁の術”などが編み出され、更に発達すると、木の性質や形等を活かした“木遁の術”や、金属を利用した“金遁の術”などが生まれ、近年では“分身の術”だの“空蝉の術”だの、あるいは“妖術”だの“幻術”だのと思い思いの術を開発させてきたという経緯がある。忍者と呼ばれる者達はそれぞれ得意分野を持っており、小太郎もそれら全てを使いこなせるわけでないが、その概要と本質はおおよそ掴んでいるつもりである。
小太郎は生き物の気を感じる土に目をやり小さくほくそ笑むと、腰の正宗をひらりと引き抜き、
「そこか!」
と叫びざまに切先を土に突き刺した。刹那、地面が爆発したかのように土の塊が飛び散ったと思うと、中から五、六人の飛猿が姿を現わして小太郎の周りを取り囲んだ。
小太郎は驚愕した。土遁の術からの分身の術への見事な連携である。しかもその分身の術の見事さは、見まごうばかりの華麗さだった。
通常“分身の術”といえば、視覚の残像を利用した時間残像や補色残像、あるいは運動残像を利用したものである。
時間残像
というのは、例えば電球の光は交流の電気で光っているため、六〇ヘルツの場合は実際一秒間に一二〇回点滅しているわけだが、人の目にはチラツキを感じない。それと原理は同じで、今度は同じ場所で撮った立ち位置の違う二枚の写真を、交互に連続して見せると、あたかも同じ人間が二人いるように見えるという原理を使ったものである。しかし人間の動きには限界があり、小太郎が目にしたことのある
“時間残像分身術”
は、せいぜい上半身のみを二つに見せるだけのもので、左右両方向に激しく動かしている本人の労力を知るとき、滑稽さを越して哀れみさえ覚えたものである。次の
“補色残像分身術”
というのは小太郎が最も得意とするもので、ある特定の色を暫く見つめた後に、その色を視界から消去すると補色が残像として残るという原理を利用したものである。例えば白装束を纏って暗闇の中に立ち、敵にある一点、例えば目などに注目させておき、ある瞬間白壁の前に移動して自分は姿を消すと、白壁にはあたかも人がいるような残像を残すのだ。そして最後の
“運動残像分身術”
というのは、暫く一定方向に移動しているものを見つめさせておき、突然その運動を停止させると、それまでと反対方向に動いているように感じる残像術である。例えば電車の窓を流れる景色を見ていた後、電車が停車すると駅が前へ動いていくように感じるのもその原理の一つだ。
ところがこれらの分身術は、いずれも視覚の癖を利用したものなので曖昧さがあり、個人差もあってあまり実用的でない難点がある。ところが飛猿のそれときたら、分身した姿は五、六人の上に、どれもくっきりと実在しているように見えるではないか。
小太郎は「ただの分身術ではない!」と咄嗟に身構えた。次の瞬間、分身した一匹の赤猿が小太郎めがけて襲い掛かった。すかさず手にした太刀を真一文字に振り下ろすと、確かに肉を斬った感触とともに、真っ赤な鮮血が飛び散った。間髪を入れず二匹目が襲い掛かってきた。それも振り下ろした刃を上に翻し右斜め上方に振り上げれば、これまた鮮やかな返り血が柄杓で水を撒いたように小太郎の顔面に降りかかった。
「違う! こいつは飛猿の分身ではない──本物の生き物だ!」
そう思う間もなく次々と襲い掛かって来る獣をばっさばっさと斬り捨て、最後の一匹を斬り捨てた時、小太郎は自分が倒した動物がすべて忍び装束を着せられたニホンザルであることを知り愕然とした。彼が分身の術と見立てた技は“口寄せの術”であった。“口寄せ”とは所謂イタコなどの霊媒師が霊魂を呼び寄せることを言うが、忍術の場合、動物を呼び寄せて使役させる事を言う。江戸時代の読本に登場する架空の忍者自来也は大蝦蟇蛙を呼び寄せるが、飛猿は猿を呼び寄せ自在に操ることができた。おそらく“飛猿”の名の所以でもあろう。
「出て来い、猿回し!」
そう叫んだ瞬間、上空より小太郎の眼前に舞い降りた黒い影──咄嗟に後方に飛び退いたが、
「ちと待て!」
と促したのは飛猿の方だった。
「こないだの胃液はなしじゃぞ。臭くて三日めしが食えんかった」
「人をイタチみたいに言うな! 今日こそお前を倒す!」
「そこじゃ。太郎次郎の倅よ、どうも俺にはそこが分からん」
「甲山小太郎じゃ、名で呼べ!」
「ならば小太郎、お主は菖蒲殿の家来になったのであろう? ならばわしらの味方ではないか。拙者には戦う理由が見出せぬ」
「菖蒲の家来にはなったがお前は敵だ」
飛猿は「あ〜ぁ可哀そうに……」と言いながら、周辺に散らばるニホンザルの死骸を一カ所に集めると、小太郎の存在を気にかける様子もなく合掌して目を閉じた。
「隙だらけだぞ。来ぬならこっちからゆくぞ」
「だからちと待て、大儀名分もなくお主を殺してしまったではなんともすっきりせんし、なにより菖蒲殿に申し訳が立たん。わしとお主が戦わなければならぬ理由が知りたい」
「簡単だ。日の本一の忍びは一人おればよい」
「ではなにか? この戦いは日本一を決めるための戦いか? お主は忍びのくせに己の名誉のために術を使うのか?」
「なにっ!」
「つまらん、つまらん。どうせ術を使うなら、天下のために使ったらどうか? それ以前に、すでに菖蒲殿に負けているではないか。となると天下一の忍びは菖蒲殿じゃなぁ」
「菖蒲は女だ、数の内に入らん!」
「小太郎よ、いつから菖蒲殿を呼び捨てするようになった? 菖蒲殿の生まれをたどれば甲賀五十三家のひとつ高山家の血筋であるぞ。身の程を知れ」
飛猿にとって五十三家はいわば無条件の上司のような存在である。いくら忍びの腕は達者でも身分の違いには逆らえない。
「甲賀五十三家? そういえば右近が申しておった。我が甲山家もその昔高山家の分家として派生したそうな。いわばわしと菖蒲は親戚筋じゃ。呼び捨て御免じゃ」
「なにっ?」
と、今度は飛猿が声を挙げた。
「お主、伊賀者でなかったのか? つまらん冗談を言うとただでは済まんぞ」
「わしが言ったのではない、右近が言ったのじゃ。わしとてこの身に甲賀者の血が流れていたとしたら、なんとも据わりが悪い。だからそう思わんことにしている」
「ええい、どうもやりづらい。今のは聞かなかったことにする」
と飛猿は、俄かに湧いてきた小太郎に対する憎悪に似た感情を抑えきれずに、山桜の木にひょいと登ると、仕込んでおいた綱をグイっと引っ張った。すると周辺の雑木の中から小太郎めがけて一斉に弓矢が放たれると、弓矢はことごとく小太郎の体に突き刺さった。ところが、ドサリと音を立てて倒れたのは一本の朽ちた木で、当の小太郎はすでにそこにはいない。
「変わり身の術……小癪な真似を」
飛猿は消えた小太郎の気配を探った。
一方小太郎は、飛猿が登った木からは死角になる松の大木の陰に隠れて、息を潜めて思案した。花園城に着いた途端に猿に襲われ、あらかじめ仕込まれた弓矢に狙われた。これは飛猿が自分がここに来ることを知っていて、既に周到な準備を重ねて待ち受けていたことを意味する。下手に動けば他にどのような罠を仕掛けているか知ったものでない。真っ向勝負をしたのでは俄然不利であることを認めざるを得ない小太郎は、場所を替えて戦わなければ負けることを早くも悟った。かといってむやみに飛び出せば飛猿にチャンスを与えるだけで、「どうも奴とはいつも不利に置かれる機運があるな」と舌を打つ。
「どうした小太郎! わしが怖くて動けぬか?」
早くも飛猿は挑発してきた。それに乗って声を挙げれば、自分の居場所を教えることになる。小太郎には敵の出方を待つしかなかった。
「松の陰に隠れておることは分かっておるぞ。はよ出てこい!」
居場所を知っていながら次の攻撃を仕掛けてこないのは、ここが安全な場所であるからだと判断した小太郎は、
「阿呆! その手に乗るか!」
と声を挙げた。
「やはり松の陰に隠れておったか」
「あてずっぽうで言ったのか? 卑怯だぞ猿!」
「だからお主は青二才と言われるのだ」
「青二才だと? 誰がそんな事を言った!」
「わしの周りの者はみ〜んな言っとるわい。幸村様も菖蒲殿も」
「菖蒲も?」
会えばつっけんどんだがしおらしい女性の一面を見せる菖蒲が、陰でそんなことを言っていると思ったら無性に腹が立った。なんとか腹の立つことを言い返してやりたい小太郎は、
「そんなことより、こんな所でわしの相手なんぞしておって良いのか?」
と言い返した。
「どういう意味じゃ?」
「真田安房守はここへは来んぞ! おそらく今頃首をかかれとるわい! 早く戻った方が良いのではないか?」
「風魔党にか? 阿呆! 昌幸様が風魔ごときにやられるわけがなかろう」
飛猿は鼻で笑った。
「どう思おうが勝手だが、風魔の占いでも甲賀が負けるとちゃんと出たわい」
「占い? おぉ、婆さんに会ったか! 元気にしておったか」
「元気も元気、性欲も旺盛じゃ。あんたのことも覚えておったぞ」
「そりゃそうだろう。婆さんの幻術を破ったのはわしが初めてとか言っておったからの。小太郎も見たのか?婆さんの幻術」
「わしで二人目だそうじゃ」
「お主も破ったか! なかなかやるではないか」
「風魔はその幻術を使って安房守を殺るぞ。この情報は菖蒲からもいっていないはずじゃ。わしが鉢形に来てから知り得たものだからな」
「なぜそれをわしに教える?」
「もうすでに作戦が決行されたからさ」
「では、小太郎こそなぜここにおる? その作戦に加えてもらえなかったのか?」
「わしの任務は赤猿、お前の動きを封じることだ」
「能天気なやつよのう……婆さんは人の心を覗く。お主がわしらと通じていることはとっくにお見通しのはずじゃ」
「ではなにか? わしは最初から──」
「仲間はずれってことだな。風魔党がよそ者に自分たちの戦術の手の内を見せると思うか?」
小太郎は顔を真っ赤にして「猪助めっ!」と叫んだ。
「赤猿、こっちからふっかけといて悪いが、この戦い、一時休戦というわけにはゆかぬか?」
「もとより、わしにはお主と戦う意味が見出せん」
こうして小太郎と飛猿は、昌幸暗殺計画が実行される末野へと向かう。小太郎は奇しくも飛猿との対決を免れることに成功した。
> 第1章 > 真田昌幸討たれる
真田昌幸討たれる
> 第1章 >
菖蒲
《
あやめ
》
の決意
菖蒲
《
あやめ
》
の決意
> 第1章 > 嵐の前
嵐の前
> 第1章 > 大誤算
大誤算
> 第1章 > 暗闇の布陣
暗闇の布陣
> 第1章 > 利家、絶体絶命
利家、絶体絶命
> 第1章 > 八王子城の悲劇
八王子城の悲劇
> 第1章 >
落情
《
らくじょう
》
落情
《
らくじょう
》
> 第2章
第2章
> 第2章 > 朝鮮通信使
朝鮮通信使
はしいろ☆まんぢう作品
豊臣秀吉の小田原征討の最中、九州より海を渡った対馬で一組の夫婦が誕生していた。対馬領主宗氏第二〇代当主宗義智と、小西行長の娘妙である。妙の方は父行長の勧めで洗礼を受けており、キリシタンの間では“マリア”と呼ばれているが、このとき義智二十二歳、妙はまだ十五歳の生娘であった。もっともこの時期義智の方は大忙しで、ろくに婚礼の儀などしている暇がなかったので、後日改めてという話で妙も納得していた。
ここで読者に思い出してほしいのは、末蔵という男が朝鮮へ渡った時の話である。確か天正十六年(一五八八)の初春であった。当時対馬領主は宗義調であったが、秀吉の「一年以内に朝鮮国王を従属させ上洛させよ」という無謀な命令を受け、その調停のため朝鮮王朝との板挟みの中で、彼はその年の十二月に仕事半ばでこの世を去っていた。その後領主になったのが義智というわけだが、義調から引き継いだ難題の遺産はそのまま大きな悩みとなる。
義調は苦慮の末、実現不能な秀吉の“朝鮮国王上洛要求”を、それでも見込みのありそうな“日本国統一祝賀のための通信使派遣要請”に話をすり替え、国使の名のもとに柚谷康広という男を朝鮮へ派遣したが、帰国した柚谷が秀吉と面会した際、
「どうも彼らは日本への海路がわからぬと申しまして──」
朝鮮側の言葉をそのまま伝えると、秀吉は、
「ばっかもん、そんな稚児のような返事を聞くために朝鮮まで行ったのか!」
と大激怒。根掘り葉掘り聞かれてついに柚谷は、朝鮮側の本心を「我が聞き出したのだ」と鼻高々に話してしまう始末。つまりその理由として、一つに書簡の内容が傲慢であること、二つにもともと日本は身分の低い者が国王になってしまう低俗国家であること、三つに日本は明国に属さないので要請に応える必要はないと言われた事である。それをそのまま伝えたわけではないだろうが、「交渉の失敗はおのれの裏切りによるものじゃ!」と秀吉の逆鱗に触れた柚谷は、哀れにも処刑されてしまうのだ。
その後、何の進展もない朝鮮国王上洛問題において、秀吉が宗義智に対して遅参の責めを問うたのが天正十七年(一五八九)三月の事。慌てた義智は同年六月、先般柚谷と共に朝鮮へ行った対馬以酊庵(後の西山寺)の僧景轍玄蘇を正使に立て、義智自身は副使となって、家臣柳川調信や博多の豪商島井宗室ら二十五名を伴って再び朝鮮へ渡ったのだった。
そしてなんとか朝鮮側を説得し、翌年三月、つまり秀吉が北条攻めに動き出した頃、三〇〇名を有する朝鮮通信使は首都漢城府を発った。四月二十九日には釜山から海を渡った一行は、対馬に一ケ月ほど滞在した後、義智と共に京都へ向かう。
その際、壱岐で一行を出迎え、そこから同行したのが小西行長である。その際、対馬へ帰る一隻の舟に飛び乗ったのが小西マリアこと妙であった。新郎はこれから朝鮮使節団を連れて京へ向かうというのに、祝言の儀式もせずに、新婦はこれから対馬の金石城へ嫁ごうというのである。
そもそもこの縁談を持ち出したのは小西行長である。
もともと大坂堺の商人の出で、瀬戸内海の制海権を握っていた村上水軍らを統括する力を持っていた行長は、貿易で同じ海を行き来し、また義智に同行して朝鮮へ渡った島井宗室とは旧知で家臣のような関係だった。加えて、水軍統率力に長けた行長が南肥後十五万石を与えられた背景には、秀吉の計画している唐入りと深く関係している。その意味からも朝鮮への玄関口ともいえる対馬の存在は極めて重大で、できることなら掌中に抑えておきたい腹があったのだった。現に以前秀吉からの耳打ちを受け、先代の宗義調に対してアプローチもしていたが、なかなか接触できないままで、ようやく島井宗室に朝鮮国での見聞を求める機を得たのが、彼が帰国して直後のことである。
「ときに宗室、対馬の宗義智殿はいまおいくつになるのかな?」
「さて? 二十歳は過ぎていると思いますが、なかなかどうして、まだお若いのに細かなところにまで気をまわされ機転の利く方でございます。そのくせ肝が据わっておりますな」
と、朝鮮の漢城府での出来事を好意的に評価する。つまりそれは、朝鮮国王宣祖に謁見した義智が、再度通信使の派遣を強く要請した一部始終である。
「海路が分らぬならわたくし自らが水先案内人を務め申す」
と義智が宣祖に申し出た。仮にも日本を代表して参内した使者であり、対馬の国の領主でもある。その彼自らが水夫にもできる案内を「私が」と言ったところに宗室は深く感銘したと言う。ところが朝鮮側は「誠意を見せてほしい」と、数年前に倭寇が引き起こした事件を持ち出した。
「対馬へ逃亡した謀反人、沙乙背同を引き渡せ」
と要求してきたのである。朝鮮人の罪人など対馬に逃亡していると言われても、どこをどう探してよいか分からない。しかしこの無理難題に対して義智は、すぐさま同行の柳川調信を対馬に帰し、短時間で見事にやってのけてしまったのだと、その機転の早さを宗室は褒めた。それによってついに断る理由をなくした朝鮮側は、通信使派遣を約束したという経緯があると語った。更に義智はその返礼を忘れず、宣祖に孔雀と火縄銃を献上したのだと宗室は感心しきり──。そこで行長は、
「ところで義智殿に細君はおられるのかな?」
と意味深に聞く。
「まだのようです。なにせ先代の義調様が亡くなられてから、朝鮮のことで頭がいっぱいでございますからなぁ、それどころではありますまい」
「そうか!」と行長は手を叩いた。
「実はわしには十五になる娘があってな、親の口から言うのも難だがなかなかの器量良し──」
「ひょっとして縁談話ですか?」
宗室には一つだけ気にかかる点があった。行長の娘小西マリアといえば商人にまで聞こえるキリシタンの強信者である。伴天連追放令が出てまだ間もないのに、その娘を宋家が受け入れてくれるかという心配である。
「先方がどういう反応を示すか分かりませんが、行長様の意向はお伝えいたしましょう」
と一応宗室は承ったが、その心配をよそに、宗家にとってもけっして悪い話ではなかった。というのも、小西行長といえば瀬戸内海の荒くれた海賊たちをまとめ上げた極めて優秀な外渉能力の持ち主であり、伴天連追放令の時などは自らがキリシタンでありながらそれを逆手にとって振る舞った上に、小豆島一万石から南肥後十五万石への大出世を遂げた稀に見る調整能力の持ち主だったからだ。その反面、陰ではかつてのキリシタン大名たちを匿い、その家臣たちを引き取ったという噂も耳にしており、単なる世渡り上手というわけでなく、義理堅い面も持つ男のようだという噂も耳にしていた。一見つかみどころがないように見えるが、義智が注目したのはその場、その状況における行長の巧みな交渉力だった。加えて関白秀吉からの買われようもたいしたもので、義智にとってけして損な話でない。
「願わくば小西行長殿の力、是非とも対朝問題を解決するに欲しい」
と利害が一致したのである。
縁談はとんとん拍子で進み、ひと月もかからないうちに、「朝鮮の使節団を京都へ連れて行くので、壱岐で落ち合い嫁をもらい受けよう」と話がまとまった。つまりあからさまな政略結婚であり、このときの妙は、行長にとっては対馬を買う手付金のようなもので、宗家にとっては行長の才を手に入れるための人質のようなものだった。
「ふつつか者ですが、どうぞよろしゅう」
「こちらこそよろしくお願い申す」
この壱岐での一瞬の対面が義智と彼女との最初の出会いであり、婚姻の誓いの言葉といえばそれだった。その後小西マリアこと小西妙は、数奇な運命をたどることになるわけだが、このとき行長は三十二歳、義智とは十ばかり離れた義父となったのだった──。
義智の最大の心配事は対馬国の未来である。予てより明や朝鮮との貿易により栄えてきたこの小国は、両国間の友好的な関係こそ生命線なのだ。それを秀吉から威嚇されるように「交渉に失敗したら朝鮮に出兵する」などと言われ、万一それが現実のものとなってしまえば、もはや対馬が栄え生き残る道などない。
「なんとしても戦だけは避けたいのだ」
道中、義智は行長の目を見つめてすがるように吐露した。
「こうとなっては嘘は貫き通すしかあるまいな……」
行長の言う“嘘”とは、このたび来日している朝鮮使節は、秀吉にとっては服属の意を示すものであるのに対し、当の使節団にとっては、表向きは単に国家統一の祝賀を装ってはいるが、その腹は、秀吉による朝鮮侵攻の噂の真偽を確かめる意図がある──いずれにせよその大きな認識の喰い違いのことである。その発端を作ったのは紛れもなく対馬宋氏であり、それを嘘と言われては、義智も「やはりまずかったであろうかのう?」と、苦悩の声でうつむいた。
「否、そうとも限らん。現に関白様の言葉をそのまま朝鮮側に伝えていたとしたら、今ごろ北条征伐など後回しにして、とっくに朝鮮征伐じゃ!とわめいているに違いない。そなたらの策は苦肉にしてやむを得ぬ判断だったと思うぞ。実を申すとわしも戦より商売の方が好きじゃ。戦などせずに、共に栄える道を探りたいものじゃ。なあに、どんな難問だってどこかに蟻の隙間ほどの打開策はあるものじゃて」
行長の含みある言葉は、義父としての優しさであったか、義智はその手を握った。
「とりあえず今は、この嘘が関白様に露見せぬよう、万全の手を尽くすことじゃ」
二人は景轍玄蘇と柳川調信を交えて様々な謀議を凝らすのである。
朝鮮通信使一行が、宿舎にあてがわれた京の紫野にある龍宝山大徳寺に到着したのは七月二十一日のことだった。これより後の世になり、朝鮮からの使節団は四度に渡りこの寺を宿坊とすることになる。このとき豊臣秀吉は小田原からまだ帰っていない。
朝鮮側の正使の名を黄允吉と言いこのとき五十四歳、副使の名を金誠一と言いこのとき五十二歳の尊老の臣だった。
当時の李氏朝鮮の政治は大きく西人と東人と呼ばれるいわゆる二大派閥によって構成されており、黄允吉は西人、金誠一は東人に属していた。現代でいえば与党と野党のような感じだろうが、形で言えば西人は首都である漢城府より西側に住んでいた者が多く、東人は東側に住んでいた者が多かったことからそう呼ばれるようになったが、思想的な面から言えば、朱子学の解釈の違いによって政治の進め方も大きく異なり、特に国王宣祖の時代は激しい勢力争いの渦中にあった。このときは政権が西人にあったため黄允吉が正使となったのであろうが、他には書記官として許筬という男も同行している。ちなみに彼は、後にハングルで書かれた最古の小説と言われる『洪吉童伝』の作者となる人物であり、他は何十人もの輿持ちや旗持ちや護衛など様々な役割を担った役人たち、その総勢三〇〇人というからには中には管楽衆と言う町を移動するときにパレードを行ったり、一行が暇を持て余さないように芸能を披露するような、艶やかな衣装の五〇名余りもの芸人たちも伴っていた。
一行が対馬に滞在する一ケ月の間に、こんな出来事があった。
景轍玄蘇の以酊庵で、通信使を接待した時の話である。自国不在の間に溜まっていた雑務処理のため、通信使を待たせてしまった義智は時間に遅れ、やがて駕籠に乗ったまま門をくぐり、石段の手前で駕籠から降りた。それを見た金誠一は、
「無礼者! 籠に乗ったまま門をくぐるとは何事だ!」
と激怒したのである。“礼”を深く重んじる儒教の国では重大な作法違反だったらしい。金誠一は「帰る!」と怒鳴って席を立つ。死ぬ思いでやっとここまで事を運んで来た義智は蒼白になって、駕籠かきの男をその場で打ち首にして許しを請い、なんとか事なきを得たのである。
その後の宴で金誠一のご機嫌をとるため玄蘇は彼に近づいた。ところがこの二人、なんとも気が合い、互いの身の上を話すうち、すっかり意気投合するのである。
やがて、玄蘇は対馬の置かれた微妙な立場を話すに至り、金誠一の同情を引き出すことに成功した──と書けば下心があるようでいやらしく思われるが、国家間の問題といっても、それを打開するのは所詮一個の人と人との繋がりなのである。
二人は相談して、宣祖から秀吉に宛てられた国書の一部を改竄して、当たり障りのない文章に書き替えた。
それにしても秀吉が凱旋する日程を見越して入京したというのに、当の秀吉はなかなか帰ってこない。そこで小西行長は秀吉に会うため小田原方面へ向かい、小田原城を落としたあと奥羽に行っていた秀吉が帰る途中の駿河で会うことが叶う──それが八月二十日のこと。
「朝鮮の者が来たそうじゃな。しかし話が違うぞ、わしは国王に上洛せよと命じたのじゃ」
「はい。しかしながら仮にも一国の王たる者、なにかと忙しいのでございましょう。しかし此度はこうして服従の意を示す使節を送って来たのでありますから、宋義智の尽力が徒労とならぬようお計らいを……」
「まあ仕方がない──。そういえば娘を宗家に嫁がせたそうじゃな?」
秀吉は石田三成あたりから聞いた情報を機嫌良さそうに言った。
「はい、これで朝鮮、明国への足掛かりができてございます」
「相変わらず抜け目がないのう。期待しておるぞ」
話しは二言三言で終わったが、朝鮮が服属したという印象を植え付けることには成功したのだった。
ところが九月一日に大阪城に凱旋した秀吉は、なかなか使節団と面会しようとしなかった。そこには「国王のいない使節団ごときに会っている暇なんぞないわい」と言うような、明らかに朝鮮を見下し「我こそ日本国および朝鮮国の王である」といった権威を植え付けようとした意図がある。さすがに正使の黄允吉も、
「いったいどうなっておるのだ!」
と腹を立てたが、玄蘇になだめられた金誠一に制止させられ、待つしかないと諦めるより仕方なかった。
こうして小田原凱旋から二か月以上待たされた十一月七日、ようやく聚楽城においてその日を迎えたのである。そして彼らの面前に現れた秀吉は、彼らの表現によれば、
「背たけが低く醜い上に、顔はやつれて褪せた黄黒い色をしており、威厳もないただのおじさんだった。ただ眼光だけが閃々として人を射るようであった」
と伝える。式典の場は宴席が設けられ、朝鮮管楽衆の演奏が披露され、通信使は玄蘇と金誠一によって一部改竄させられた、当たり障りのない日本統一を祝賀する内容の国書を提出するが、ここで一旦秀吉は中座する。そして再び現れた時には普段着に着替え、まだ一歳と六か月の我が子鶴松を抱いていたのであった。すると鶴松は無邪気に部屋の中を飛び回り、そこにいた者達は顔を伏せ畏まったままだったが、秀吉だけはひどく上機嫌でその様子を見ていたと言う。ところが鶴松がお漏らしをしてしまう。それを見た秀吉は大笑い、侍女を呼んで後始末をさせるが、それには国賓扱いを受けていると思っていた通信使たちも驚愕するよりない。対馬で駕籠に乗ったまま門をくぐった義智の無礼どころでない。一応、正使と副使はそれぞれ銀四〇〇両を受け取り、その他の者は身分相応な褒美が与えられその場はおさまるものの、一行が秀吉と面会したのは、この半日程度のただ一度きりであった。
秀吉からの返書もないまま帰路についた通信使は、返書を待って大坂堺で半月も逗留し、ようやく届いたそれを読んだ義智と玄蘇は血の気を失った。
そこには──
冒頭に「朝鮮国王閣下」とあり、「予(秀吉)はここ三、四年の間に乱れた六十余州もの国々を統一した。もともと予は日輪の申し子である」という趣意の前置きをした後、
『作敵心者、自然摧滅、戦則無不勝、攻則无不取』
つまり、「予に対して敵心があればおのずと摧かれ滅びるであろうし、予が戦えば必ず勝利し攻め落とせぬものなどない」とある。続けて、
『一超直入大明国、易吾朝之風俗於四百餘州、施帝都政化於億萬斯年者、在方寸中』
つまり、「一気に明国に入って我が国の風俗を大陸の隅々にまで行きわたらせ、未来永劫に続く帝都を築くのは我が心中にあるのだ」との野心が綴られ、極めつけに、
『貴国先駆而入朝……後進者不可作許容也』──つまり、「貴国は先駆して予の属国として明国に入れ。遅れることは許さぬ」。『予入大明之日。』──つまり、「予は大明国に入る日輪だ」と豪語する。そして文末には、
『則弥可修隣盟也』──「いよいよ朝鮮国は我が国と同盟を結ばねばならぬ」、『予願無他、只顕佳名於三国而已』──「予の願いはただ一つ、三国に我が名を顕し遺すのみ」──。そして最後に『方物如目録領納』──つまり「方物は目録通り領納されよ」とあった。
「どういう意味か?」
黄允吉が問うた。どういう意味もない──秀吉は唐入りするにあたり、朝鮮国服属を前提にした国書を綴っているのだ。しかも義智に対しては、文中の『予入大明之日、将士卒臨軍営、則弥可修隣盟也』の意味について、国書を届けに来た使者に「もし明国を攻める際は、朝鮮には道案内をさせよという意である」との伝言まで伝えたのである。そうはいっても──義智と玄蘇は冷や汗をかきながら偽りの説明で誤魔化すより仕方ない。すると金誠一が、
「ならばこの“閣下”と“入朝”と“方物”というのはおかしい。書き直してもらえ」
と厳しい口調で責めた。儒教に厳格な彼らに言わせると、“閣下”というのは君主以外の閣僚、臣下などに用いる敬称なので削除し、“入朝”というのは使いが朝廷に参内することで、我が王様は秀吉の使いでないので言い改める必要があり、“方物”というのは位の上の者から下の者へ贈る貢物のことなので別の言葉に改めよと言うのである。ところがこの時点で黄允吉の堪忍袋の緒が切れた。
「もうよい! いつまでもこんな低俗な国にはおられん! 早く帰って王様にありのままを伝えようぞ!」
と、けんもほろろに帰国してしまうのであった。
このことが原因となり、両国間の関係は悪化の一途をたどる。その流れはもはや行長にも義智にも止めることはできなかった。
> 第2章 > 肥後の虎
肥後の虎
はしいろ☆まんぢう作品
小田原での忍び仕事を終えて、京の三条大橋袂の煮売屋吉兆≠ノ戻ったお銀は、そこに逗留していた服部才之進の姿を見て「才ちゃんいたのかい?」と言いながら、行商の旅支度からいつもの賄い女中の普段着に着替えた。才之進は相変わらず表情ひとつ変えず、「小田原の方はどうであった?」と低い抑揚のない声で聞く。
「北条の負けさ。関白の大軍相手に勝てるわけがないよ。それより小太郎ちゃんに会ったよ」
「なに? 小太郎に?」
才之進は気になる心を隠すように呟いた。
「なんか突然“俺は北条に付く!”なんて言っちゃってさ、それっきり会ってないけど、どうせどこかで肩を落としているよ」
才之進は小馬鹿にするような笑みを左の口元に浮かべた。
「才ちゃんの方はどうしたんだい? 肥後の加藤清正んとこじゃなかったの?」
「京で仕事だ。高麗からの国使の様子を探るよう清正様から仰せつかった」
「そうだってねぇ、噂では聞いたけど朝鮮国使はいま京か……。暫くここを空けただけで、地獄耳のお銀も形無しだね──。で、いつまでいるんだい?」
「さあな? 国使が帰るまでといったところだ──」
無表情な彼の言葉に、お銀は呆れたように笑った。
加藤清正は小田原には行かなかった。天正十六年に肥後十九万五千石の大名へと大出世を遂げた彼は、任地に赴いてより隣国小西行長の南肥後で発生した天草衆の反乱を鎮圧させると、その報告のため秀吉のいる大坂へ登った。大坂には彼を育てた母伊都もいたので、彼女に会う目的もあったのだろう。折しも秀吉は北条討伐の準備の最中で、状況によっては出陣の覚悟もしていたが、
「お前は肥後におれ」
と秀吉から軽くあしらわれた。その言葉の裏には平定したばかりの九州に不穏な動きが起こらぬよう見張っておれという意味があるが、更にその先の唐入りのための準備をしておけという含みもあった。清正はすぐにその心を酌み、従うが、そこから肥後における治水事業をはじめ、千葉城と隈本城のあった茶臼山丘陵一帯に新しい城郭を築きはじめる。それが現在の熊本の礎となった。
事実、清正が赴任する以前の肥後は有力な大名がおらず、小さな国人衆が無数に割拠する時代が続いていた。北条征伐の前、九州征討を終えた秀吉から統治を任された佐々成政は、彼の政策に反発する国人衆の一斉蜂起により失脚していた。その流れの中で清正は、農業振興のための治水に関わる土木工事を推し進め、特に農閑期には男女を問わず徴用し、しかも給金を支払らったと言うから、土着の民もみな喜んで協力したのだった。
それは川の流れを変える壮大な計画で、熊本城の築城に際しては内堀と外堀を備えるために、また、下流の方では流路を分けたり堰を作ったり、また氾濫がなくなるようにと、その一大河川改修事業により、肥後は広大な穀倉地帯や畑作地帯をも生むのである。
その他、商業政策としては田麦を特産化して南蛮貿易に参入したり、秀吉の唐入りに備えては、敵の侵入を防ぐため、国境の近くや要地に支城を設けて重臣を城主に当て、所領を認め、独自の軍事経営さえも認める“備”という制度を確立したり、細かな事では、罪や粗相を三度起こすと切腹を申し付けるといったいわゆる現代で言うところの“三振法”も取り入れるような、賤ヶ岳の七本槍の一人に数えられる勇ましい武将にして、それらの者と一線を画す政治家でもあった。
「隈本」を「熊本」と改称したのも彼で、慶長十一年(一六〇六)に完成した城を眺めながら、
「“隅本”より“熊本”の方が勇ましかろう」
と言ったのがきっかけであるとの逸話も残る。
そして清正は、彼の旗印にも象徴されるように、非常に熱心な法華経の信奉者であった。その生涯において、題目の「妙」「法」「蓮」「華」「経」の五字を冠した寺を全国に五つ建立したとされ、その一つ、二十五歳の時に父の菩提を弔うために大坂に建てた本妙寺は、後にわざわざ肥後の城下に移すといったことまでした。
彼の信心は母伊都の影響であり、母は清正が生れる前から題目を唱えていた。父は戦で足を負傷し、武士から刀鍛冶に転身した加藤清忠という男だが、物心つく前に他界したので母一人子一人の貧しい少年期を送る。しかし顔も知らない父のために寺を建立するくらいである。伊都の家庭教育は、「父親があってお前がいるのだ」といった“親”の徳を最大限に伝えていたに相違ない。そして生活苦に負けない母の力強い生き方を見て、おそらく信仰に目覚めていったのであろう。
伊都は清正を近くの妙延寺に通わせ、住職の円享院日順から学問を習わせる。彼にとって日順は“師”に当たる人物と言えよう。また、豊臣秀吉とは母同士が親戚関係であったようで、そんな縁から十くらいの年から近江長浜城の城主になった当時羽柴秀吉の小姓として仕え、以来その将来を嘱望されながら、秀吉子飼いの武将として大きく成長していく。清正の生涯は秀吉という“主”に対する忠誠の人生でもある。
戦に出れば常に題目を口ずさみ、手柄を立てれば法華経の功徳力と感謝する純粋な信心で、年を追うごとに信仰を深めていった。
晩年の彼の座右の銘は『履道応乾』──。“履道”とは道を踏むことで、“乾”は“天”とか“君”とか“父”を表すので“応乾”とは天や主君に応じるという意味になる。彼の言う“道”とは法華信仰の道なので、要約すれば法華経を信じ天命に応じ主君に応えるとでも訳そうか。いずれにせよそこには信仰を通した深い人間哲学が浮かび上がる。
だから主君秀吉が「唐入り」と言えば、疑うこともせずに突き進むのが加藤清正と言う男であった。その秀吉から、いま世界を凌駕するポルトガル、スペインの話を聞かされる。彼らは宣教師を巧みに使い、海外諸国を植民地化してあの強かな青い目で世界を征服しようと目論んでいる──。彼らの最終目的は広大な明国で、いま我らが何もしなければ、近い将来日本も彼らの属国に落ち、ついには明国への尖兵としていいように使われるに相違ない。ならばその前に、我らが先に唐入りし、ポルトガル、スペインに対抗しうる東洋の大帝国を建設する必要があるのだ──と。現にこの時期秀吉は、朝鮮に限らず琉球、インド、フィリピンなどの東南アジア諸国にも服従を促す威嚇的な国書を送っている。
その野望ともとれる構想は、極東の国に生まれ、世界に目覚めた者の使命にも聞こえた。
清正にとっては伴天連の教えなど外道である。外道とは仏法に説かれる人間生命の三世観(過去世・現世・未来世のこと、すなわち生命は永遠であること)すら説いていない下等な教えである。そんなものを世界宗教にさせるわけにはいかない。これは主君の言う通りにしなければ大変な事になる──すなわち唐入りこそが天の生業に従うことになるのだと納得していた。そしていま京に来ている朝鮮通信使の動向こそが、これから清正自身がどう動けばよいかの鍵を握っていたわけである。
そんな重要な意味を持つとはつゆ知らず、服部才之進は加藤清正直筆の親書によって、通信使が宿泊する大徳寺に世話役人の一人として潜入しており、日がな一日することもない暇を持て余し、たまに新しい情報を得るために、こうして吉兆に現れるという訳であった。
「関白はいったいいつになったら帰って来る?」
待ちくたびれているのは使節団だけでなく才之進も同じで、お銀は、
「小田原城が落ちたあと、奥羽の方へ行っちまったからね。まだかかるんじゃないか?」
と他人ごとのように教えた。
そんな通信使のご機嫌をとるため、聚楽城の留守居の役人たちは、彼らを京都の物見に連れ出すこともしばしばだった。秀吉からは「わしの力を見せつけておけ」との命もあり、関白秀吉の圧倒的な権威権力と財力の威厳で、到底敵う相手でないことを朝鮮の者達に知らしめよと言うわけである。
その日は大徳寺から西に半里ばかりの所にある鹿苑寺に訪れた一行は、池に映し出されて黄金に輝く楼閣に目を見張る。
「これも豊臣殿の所有物か?」
「秀吉様は天下人であられる。愚門である。もともとは寺院だがな」
案内役を仰せつかった大徳寺の僧侶はそう説明した。
「寺院と申すのは仏教の建物であろう? 仏教ではこうも贅沢な建築様式を認めているのか?」
李氏朝鮮では儒教が国教であるため仏教は弾圧されており、僧は都に入ることさえできなかった。そして礼を重んじ、華美や贅沢を嫌う精神が尊ばれたため、建物全体に金を使うなど考えられないことなのだ。しかし、いま一大ブームを巻き起こしている茶の湯の世界では、その朝鮮文化の素朴さや静けさが、返って日本古来の精神ともいえる“侘び寂びの心”に共鳴して、朝鮮産の茶器が異常な高値で取引されている。
「この建物が豪華なのは、おそらく御仏への供養の心からでしょう。豪華なのはこの建物ばかりではありません。秀吉様が建てられた聚楽城を見れば、もっと驚きましょうな。ここに来られる途中、大坂城に寄られたのではありませんかな? 聚楽城はあの城に勝るとも劣らないきらびやかなものでございます」
案内役の僧は誇らしげに笑った。
使節団一行の護衛を務める中に軍官の黄進という見事な髭をたくわえた男がいた。軍官らしく気性が荒く、何かにつけて日本に戦争の意思ありとの難癖をつけようとその糸口を探っていたが、その男が不愉快そうに、
「どうも気に入らん、“仁”欠くも甚だしい! 我らに喧嘩を売っているのか!」
と突然叫んだ。“仁”とは儒教の根幹を為す“相手を思いやること”である。つまり質素を美徳とする儒教の国の使者を迎えるのに、絢爛豪華な建築物ばかりを見て回るのは何の当てつけかと怒っている。その剣幕に慌てたのは、通訳を兼ねて彼らと行動を共にしていた景轍玄蘇である。
「黄進殿、悪気はございません。これは単なる物見遊山。御一行を喜ばせるために趣向を凝らしているのでございます。どうかお気を悪くしないでください」
「いや、腹が立った! 我らに対する侮辱は我が国王の辱め。この案内人を斬ってやる!」
といきなり刀を抜いた。それには副使の金誠一が差し止めた。日本による朝鮮侵攻の意思の真偽を確かめるための使節が、現地で騒動を起こして戦争を導いたでは後世にどんな酷評を記されるか分かったものでない。
「慎め!」
と遮ったとき、黄進の前に一人の男が進み出て、「なんだ、貴様?」と黄進の朝鮮語の意味を知るはずもない男は、暇を持て余していたといった態度で、
「拙者、加藤肥後守清正が家臣で服部才之進と申す。貴公は戦がお望みか?」
と無表情に言った。その物見に同行していた服部才之進である。彼にしてみれば、付き添いというひどく暇な仕事の上に、朝鮮の軍人らしき男がいきなり刀を引き抜いたとこに対して俄かに血が躍ったこともあるのだろうが、主君清正がどことなし唐入りを急いでいるような気配も感じてもおり、どうせ戦になるならば遅かれ早かれ同じだといった妙な忠義心が働いた末の行動だった。しゃしゃり出て来た意図が分からない玄蘇は通訳を拒んだが、黄進がしきりに「何と言っておる?」と聞くので、「加藤清正という侍の家臣で服部才之進と申しております」とだけ訳して髭面の顔色を窺った。
「一介の付添人の分際で無礼であろう。いったい何の用か?」という黄進の言葉を、玄蘇がそのまま訳して伝えると、
「刀を抜いておいて何の用かはなかろう? 我が国においては刀は魂である。その魂を抜いたからにはそれなりの覚悟がおありと察し、僭上ながら出て参った。その案内役の僧は武器を持っておらぬ。そんな者を斬ったところで何の自慢にもならぬぞ。貴公も軍人なら拙者を斬って名を挙げよ。拙者は伊賀国随一の忍びの者だ。まあ、斬れればの話だが──」
あるいは才之進は異国の使節に対してこれが言いたかったのかも知れない。それには玄蘇も通訳に困って、すかさず、
「引っ込んでいなさい。さもなければ関白殿下から加藤清正公に厳重注意が下るぞ」
と脅した。「それは困る」と才之進が目を泳がせたのは、博多での謹慎処分以来、それを挽回する機会を逸するわけにはいかなかったからだ。ふと、玄蘇はあることをひらめいたように続けた。
「それとも──其方まこと伊賀者であるなら、ここで忍術とやらをやって見せよ」
と才之進に注文すると、黄進に対しては次のように伝えた。
「この者、伊賀の忍者でございまして、ぜひとも黄進殿に忍術というものをご披露したいと申しております。両国友好の場を血で汚すのもどうかと思います。ここはこの男に免じてどうかお気をお鎮め下さいませんか?」
「NINJA?」
黄進は才之進の顔を興味津々と見つめた。平和な時代が数百年続いている朝鮮にとって、諜報者など無用の長物である。「そんな者がいるのか?」と、金誠一も黄允吉も「ぜひ見てみたい!」と手を叩く。
「術は見世物ではない!」と才之進は閉口したが、加藤清正を盾に出されてはもはややって見せるより仕方ない。妙な忠義心から出た行動は、思わぬ方へと動いていった。
才之進は「ちっ!」と舌打ちをすると、近くの松の木の枝にひょいと飛び乗り、上方の太い枝に懐から取り出した細い縄の片方の端をくくり付けたと思うと、もう一方の端を握って木から飛び降り、金閣寺の建物めがけて一直線に駆け出した。金閣寺への手前は池である。誰もが池に飛び込んで泳ぐのか?と思いきや、才之進はやや上半身を起こした姿勢に変化させると、その勢いのまま水上を走ったのである。
それには一行も驚きの歓声を挙げた──。
それは水蜘蛛などの道具を使った水上歩行というものなどでない。水遁の術の一つ水上疾走術である。実は原理は簡単で、水を踏んだ片足が沈まないうちに次の足を踏み出すことの繰り返しだけなのだ。彼らに言わせれば足の裏全体を水面と平行に叩くようにして、素早く次の足を同じように進ませるのがコツで、後は“気”の使い方をコントロールするらしい。これは川や海のように波の立つ水面では少し難しく、特に波のない池であるのが都合良く、どういう原理か季節でいえば冬場の冷たい水の方が走りやすいのだと言う。とはいえ尋常の人間にはなかなかできるものでない。今は水上を優雅に走る才之進も、昔はよく小太郎と競い合ったものだが、どうもこの術に関しては小太郎に勝てたことがない。
水上疾走に呆気にとられていると、才之進は金閣寺の外廊から屋根の上に飛び乗った。そしててっぺんの鳳凰が飾られる台のところに、握ったもう一方の縄の端をピンと張って手際よく縛り付けると、今度は懐から鉤の手を取り出し縄に引っ掛け、ロープウェーのように滑り降りた。
それはまさに空を飛ぶ怪鳥のようで、これまた一行は驚愕のあまり言葉を失った。
やがて才之進は綱から飛び降り、夢幻でも見たかのような黄進の前に再び立った。あれよあれよと言う間の一瞬の出来事である。
「水遁の術からの空遁の術をご覧いただいた。そして最後は土遁の術じゃ──」
才之進はそう言ったと思うと、次の瞬間くるりと身体を一、二回転させると、足先で周囲の土を巻き上げ砂煙の霧を発生させた。気付けば霞んだ大気の中に、彼の姿は消えている。
使節団の者達も日本の者達も拍手喝采を送るのも忘れて、ポカンと口を開けたまま言葉も出ない。ただ書状官の許筬だけはその不可思議な光景を深く脳裏に焼き付けた。後に彼が執筆する『洪吉童伝』は、ひょっとしたら服部才之進がモデルだったかも知れない。
> 第2章 > 義智の苦悶
義智の苦悶
はしいろ☆まんぢう作品
翌天正十九年(一五九一)正月、対馬に戻った宗義智は、景轍玄蘇と柳川調信を付き添わせて朝鮮通信使一行を見送った。
それにしても困ったものだ──。
こたび関白秀吉が朝鮮国に命じたのは、明国征討の際に「わが属国の尖兵として明に入れ」という無理難題である。そもそも事の発端は、「朝鮮国王を従属させ上洛させよ」という無謀な命令を「国家統一祝賀の使節派遣」に話をすり替えて、秀吉を欺く形で進めてきたから、先方国には“属国”どころか服従の意思すらさらさらない。自業自得の末路と言ってしまえばそれまでだが、それでも義智は朝鮮との戦だけは何としても回避したい。
「秀吉様の真意が伝わった時点で戦は必定。ならば引き延ばせるだけ引き延ばし、その間に打開策を見つけるしかない。なあにどんな交渉事でも、針の穴ほどの抜け道はあるものだ」
と言う小西行長と協議した挙句、「和らげて伝えるしかあるまい」という事になり、今回も、
「我が国が明国へ入るために朝鮮国の“道を貸してほしい”」
と言葉をすり替えて朝鮮国王に伝えることにしたのだ。
嘘に嘘を重ねるとは正にこのことで、悩みの尽きない義智は、すでに金石城へ嫁いでいたマリアの顔を見つめてこわばった表情をほころばせた。
「何かお悩みでございますか? 顔に書いてございます」
「其方が心配することでない……」
「主の救いがありますよう、お祈り申し上げます」
義智はまだ幼さを残す新妻に、束の間の安らぎを覚えるのであった。
使節団一行と共に朝鮮国の首都漢城へ向かった玄蘇と調信は四月、そこを訪れる外交使節の逗留施設である東平館(倭館)に入った。そこは大名や商人のための接待専用の建物である。彼らを迎えたのは呉億齢という宣慰使を務める役人で、
「長旅、さぞお疲れでしょう。今宵はささやかな宴をご用意させていただきます」
と、社交辞令のように笑った。そして二人は二十九日、宮廷昌徳宮に招聘され、国王宣祖と対面することになる。そこは仁政殿と呼ばれる正殿で、王の即位式や臣下の礼など、朝鮮国における重要行事が行われる由緒ある場所である。
まずそこで、柳川調信の功績に対し、朝鮮においては従三品に当たる嘉善大夫の位が授けられる式典が行われ、続いて参席している幾十の重臣たちに向かって、
「して、こたびの使節派遣において、日本国はどうであったか?」
と宣祖が聞いた。もとより宣祖にしてみれば、“日本国統一祝賀”の通信使派遣であり、その本意は秀吉朝鮮侵攻の噂の真偽を確かめる意図があるからそれを聞いている。対して正使の黄允吉がこう答えた。
「王様、僭上ながら申し上げます。国王を名乗る豊臣秀吉なる男の眼光は爛々と輝き、暗い巌の下で輝く稲妻のようでございました」
これは『晋書』の故事、古代中国西晋の役人王戎と重ねている。王戎は幼少より非常に賢く、その眼光の鋭さから太陽を見ても目がくらむことがないと評された男であるが、職務には忠実な反面、収賄や不正で何度も弾劾されたり、その恨みをねちねちと根に持ち続けたり、ケチの代名詞としても有名な小人物である。
続けて書状官の許筬が付け足した。
「あの様子では、必ず近いうちに大挙して本国に攻め入って来るのではないかと思われます」
この二人は派閥でいえば西人である。その言葉を聞いて、仁政殿に集められた臣たちは騒然となった。そのときただ独り異を唱えたのが副使の金誠一である。彼は東人で、玄蘇を通して対馬が必死になって戦争をさせまいとしている動きも承知しており、それが成就することを信じて疑わない。
「万が一にもそれはございません。豊臣秀吉を私もまじかで見ましたが、あれはどう見てもただの凡人。仮にも国賓として我らを扱うべきところを、まだ幼き我が子を会見の場に連れてきて、小便を垂らしたのを見て阿呆のように呵々大笑しておりました。とても兵を起こして海を渡って来るような器ではありますまい。所詮日本国など蛮国でございます」
その発言を聞いて議場は安堵の空気に覆われたが、西人の者達は黙っていなかった。西人と東人との勢力争いは、ある意味議題など二の次で、互いの上げ足をすくうのに必死だったのだ。政治とは、そうして均衡を保ちながら中道を進むのが理想かも知れないが、数百年間、戦争というものを経験していない彼らの本心を探れば、その多くは、戦争がいかなるものかを知る者はなく、突然「戦争だ」と言われても、何をどう対処して良いかなど翻弄するより仕方ない。どちらかといえば金誠一の言葉を信じたい気持ちの方が強く、それ以前に戦争が起こるなど端から思っていないし思いたくもない。それは宣祖も同じであった。
「誠一の言をもって信となす!」
その判断で一応決着をみた評定であったが、東西両党の争いはこれを機に、一段と激しさを増していくことになる。
決議を知った軍官黄進は激怒した。彼は東人である。しかし日本で忍術というものを目の当たりにしてから、軍人としての本能が目覚めた彼は、経験したことのない戦争とはいかなるものか、また、己の実力がどれほどのものか知りたくて仕方なくなっていた。
「あの愚かな黄允吉でさえ日本の恐れるべきを知っているというのに、金誠一は何たる腰抜け!その慧黠さたるや許すわけにゆかぬ! 誠一を斬るべし!」
と配下の部下を集めてまくし立てた。その剣幕に部下たちは大いに慌て、なんとか彼を抑えて暴発を阻止したが、この騒動を受けて朝鮮王朝の軍事行政機関である備辺司の諸臣は、黄進の動きを玄蘇と調信に示し合わせるため、また、日本が朝鮮に“道を貸してほしい”と言っている真義を確かめるための酒饌の場を設けることを上申し、宣祖はこれを許可した。
黄進は、
「誠一も誠一なら、備辺司も備辺司だ!」
と朝鮮の首脳陣に大いに失望し、来たる戦争に備えて隠密で、朝鮮全土より骨のある腕利きを集めて、日本の忍者に対抗し得る特殊部隊の結成を思いついたのだった。
ともあれ東平館で黄允吉と金誠一を主催とした慰労会がもうけられ、誠一はそれに乗じて玄蘇に問うた。
「私は王様に向かってあのような事を申してしまったが、本当に大丈夫であろうな?」
「心配はいりません。関白秀吉様は明に入るのが目的です。そのためのには貴国を通らねばなりません。そのための道さえ貸していただければ、戦争はけっして起こりません」
玄蘇は全てを見越しているかのふうな落ち着いた口調で答えた。そうでもしなければ場がおさまらない。
「しかし我が国は明国の冊封国だ。裏切りになるのではないか?」
「まあ私の話を聞いて下さい」と、玄蘇は誠一に酒を注いで続けた。
「我が国は明国と久しく朝貢を交わしておりません。関白殿下はそれをよく思っていないのでございます。貴国はまずこのことを明国に伝え、貢路を開くことが先決でありましょう。考えてもみて下さい。その昔、貴国の前身である高麗国は、元兵を導いて我が国を侵略しようとしたのですぞ。その時は我が国が神風を起こして事なきを得ましたが、今その怨みを貴国に報せんとしても、何ら道義から外れてはおりますまい──ああ、脅すつもりはありません。歴史を述べただけでございます。何度も申しますが貴国は道さえ開いていただければ良いのです」
誠一はすっかり黙り込んでしまった。その様子に玄蘇はほっと胸を撫でおろす。
こうして五月、宣祖の答書を携えて玄蘇と調信は漢城を後にした。
二人が去った後、仁政殿では今回の出来事を明国に報告すべきかの可否を決めるための評議が行われた。伊斗壽という男が言うには、
「事は上国(明)に係る重大事。すみやかに報告して誠を尽くすべきだ」
と主張すれば、李山海と柳成龍は、
「もしこれを報告すれば、明国は我らが日本と通じていると思うだろう。とりあえず此度のことは伏せておくのが上策かと思います」
と言う。伊斗壽はこれを正して、
「事は重大です! 隣国が往来するのは必然と見るのが道理。もしこのことが他より明朝に伝わったとしたらどうでしょう? 我らが日本と同じ心を隠していると疑うでしょう!」
すると黄延ケが彼の意見に賛成して、宣祖もその義に従うことにした。そして金応南を使節に立て明国へ向かわせるが、その報告内容には、通信使を日本へ送ったことには一言も触れていなかった。
一方、宣祖の答書を受け取った宗義智は、ますます頭を痛めていた。その国書の趣意はこうである。
「貴国が明国に入らんとしていることを知り張皇している。貴国は朋友の国であるが、明国は君父の国である。もし貴国に便路を許したとすれば、これ朋友を知りて、君父を知らないことになる。これは人として恥ずべきことであり、いわんや礼儀の国においては考えられないことである──」
と、明は君父の国であるから討伐するなどあり得ない所以を綴ること数百言、おまけに秀吉の意思とは別に義智個人の要望として、永正七年(一五一〇)に倭寇が引き起こした三浦の乱以降、釜山浦一港のみに縮小されている交易口を、以前倭館のあった二浦、つまり薺浦と塩浦も開港してほしい旨を願い出た件については、
「先朝の約誓に定めたとおり金石のごとく固持する」
と、あっさり断られたのである。
このような内容の答書をそのまま秀吉に見せるわけにはいかない。
「どうしたものか……」と、日本と朝鮮国との板挟みの中で苦悶は続く。むしろ彼にとっては秀吉の唐入り拒絶よりも、『二浦開路之事、在先朝約誓已定、堅如金石』の方がショックであった。なぜなら、これまでかたくなに戦争反対の意志を貫いて来たのは、貿易による対馬の富国を望んでいるからであり、二浦開路を朝鮮国王に陳情したのは、秀吉の朝鮮侵攻を盾にちらつかせながら、対馬の生き残りの道を探ったからに他ならない。仮に二浦のうち一浦でも開港に前向きな姿勢が見えたとしたら、戦争回避への執念は更に大きくなったことだろう。
「こんな時、其方の父なら何とする?」
義智は戯れのつもりでマリアに聞いてみた。
「こんなときって、どんなときでございます?」
「後から虎に追い立てられて、行く手には鮐鰐がおる。鮐鰐の向こうは海だがわしは泳げん。鮐鰐の肉は美味じゃぞぃ。味方につけて虎に対抗する手もあるが、逆にその大きな口でガブリということもある……」
虎は秀吉、鮐鰐は朝鮮、そして鮐鰐の肉は交易で、海は明国を重ねた単なる思い付きの寓話だが、マリアは、
「まあ、因幡の白兎みたい」
と、可笑しそうにけらけらと笑った。
「因幡の白兎……?」
「だって因幡の白兎はワニを並べて背で海を渡ったでしょ? 騙されたワニは怒って皮をはいじゃったけど、兎は泣きっ面に蜂で更に八十神様に騙されて海水で身体を洗うの。あぁ、考えただけで痛いわ!」
「わしはウサギというわけか……」
義智はマリアの悪気のない話に苦笑した。
「そのウサギは最期、どうなったのであったかの?」
「大国主命に助けられたのでございます。父上がどうなさるか存じませぬが、わたくしなら──」
「どうする?」
「デウス様に祈ります」
「またそれか──」と、義智は呆れて笑った。しかし案外的を射ているかもしれないと思った。
かくなる上は命運を天に委ね、鮐鰐の背中に飛び乗ってみようか──?
こうして答書を受け取って間もない六月、義智は数名の家臣を伴い独り再び釜山に渡る。あわよくば朝鮮国王に直談判するつもりであった。そして釜山鎭支城(子城台)の門を叩いて荒々しい口調で通訳にこう告げさせた。
「対馬国主宗義智である。取り急ぎ、鮮廷に申し上げたき義があり海を渡って来た。どなたか国王と直接話ができる者はおらぬか!」
暫く待たされ、中から姿を現したのは釜山鎮の辺将(僉使)で水軍武官の鄭撥という男であった。鄭撥は倭人の正装姿の義智を見ると丁重に接客部屋に案内し、「対馬の国主がわざわざ何の用か?」と聞いた。
「先般わが国の使者が朝鮮国王より返書を持ち帰ったが、その内容が腑に落ちぬ。これから申す言葉を国王に伝えてほしい」
「王様に……?」
鄭撥は怪訝な表情を義智に送った。どうも漢城での評議の内容がまだ釜山鎮にまで伝わっていないようで、朝鮮にしてみれば秀吉の国書の対処などさして重要な事でないのだ。それ以前に鄭撥は、一介の水軍武官の身分で国王に会うことなどできぬといった様子で、
「聞くだけ聞こう。申してみよ」
義智は書状とともに次の言葉を一気に伝えた。
「我が国の関白殿下は、現在、明国に入るためおおいに兵船を造船し、将たちにその旨周知している。貴国はまずこのことを朝鮮全土に報じ、我が国と和を講じなければならない。修好の道を開けば、貴国は兵禍を免ぜられるであろう」
「どういう意味か?」
「国王に告げれば分かる!」
「困りましたな──東莱府の宋象賢様なら取り次いでくれるかもしれぬから、少し時間をいただきたい」
と、それから何の音沙汰もなく十日ほど待たされた挙句、返って来た返答が、
「その発言は朝鮮王朝を虚喝するものなり。返答無用」
だった。もはや取り付く島もない。
「これで朝鮮の心ははっきりした。彼らは秀吉に従う意思もなければ、我が対馬に対する温情もないのだ──」
そんなことは最初から分かり切っていたことだが、義智の心に芽生えたのは朝鮮に対するある種の敵対心だった。義智はむなしく釜山を後にし、朝鮮の事情をそのまま京都の秀吉に報告することにした。その際献上した朝鮮半島の詳細な地図は、朝鮮との決別を意味する彼の決意でもあった。
秀吉はこれを受けて「ゆくか──」と不気味に笑った。そして、
「義智、お前先鋒を務めよ」
それは既にこうなることは分かっていたというような口調だった。決意したとはいえ義智の一瞬の躊躇を見逃さなかった秀吉は、
「不服か?」と聞いた。
「身に余る光栄と存じます──しかしながら、いま対馬の財政は厳しく、朝鮮との交易収入が絶たれますと──」
「そんなことか」と秀吉は呵々大笑すると、彼に対して米穀一万石と白銀千枚、加えて兵器火薬を惜しげもなく与えたのだった。
これより日本は、朝鮮へ向けての戦争準備を加速させていく。
> 第2章 > 断ち切れぬ恋慕
断ち切れぬ恋慕
はしいろ☆まんぢう作品
話は前年の北条氏が敗れ、秀吉が天下を完全統一した時に戻る──。
小太郎はゆるやかな足取りで京に向かおうとしていた。
菖蒲を失い生きる希望をも失い、落胆の日々を過ごすうち、ふと脳裏に浮かんだのが竹馬の友である末蔵のへらへらとした笑い顔だった。
末やんは今どこにおるのだろう──
小田原で会ったお銀が伝えた京から姿を消したという末蔵に会えるとは思ってないが、行き先の何か手掛かりはあるはずだ。末蔵と会って酒でも飲み交わし、尽きない切なさやあふれ出る涙の思いを話さなければ、暗雲とした小太郎の胸は張り裂けそうだった。
と──、その歩みをぴたりと止めた彼は、振り向きもせず、誰もいない進行方向へ向かって大声を挙げた。
「どこまでついて来る気じゃ!」
小太郎から二、三十歩あまり離れた後方に十くらいの少女が一人、着の身着のまま家を飛び出したふうの着物をまとい、顔は泥を含んだ涙でうす汚れ、鼻をすすりながら小太郎が立ち止まるのに合わせて歩みを止めた。菖蒲の帰りを待ち続けていた蓮に相違ない。
「大きな声出さなくたって聞こえるもん!」
泣き腫らした真っ赤な目で言い返したその言葉は、やはり涙で震えていた。かれこれ四半日は歩き通しているというのに、いくら追い返しても子犬のようにつきまとって来るのだ。
それにしても質の悪い童だ。松井田の崇徳寺からずっと後を付けている。寺を発ってすぐに、辻で巻いてしまおうと、曲がったところで物陰に隠れて息を潜めたが、難なく探し当てられたのをはじめに、あるいは、姿が見えなくなるまで先を走って、高い木の上に隠れ潜んでも、追い付いたその童にすぐに見つけられてしまう。子供相手にそんなかくれんぼのようなことを何度も繰り返したが、忍びで鍛えた隠遁術がこの蓮には全く通用しない。あまり気味が悪いので「なぜわしのいる場所が分かる?」と聞いた。すると、
「だって息が聞こえるもん」
蓮は涙で腫れ上がった瞳で答える。呆れた小太郎は諦めて、とっとと歩みを進めるうちに、臼井峠の手前まで来てしまったという訳である。
「もう日が暮れる。迷子になっても知らんぞ!」
「ならないもん!」
「勝手にしろ!」
小太郎は再び歩き出す。その後を、蓮は距離を保って小走りに追いかけた──。
伊助に菖蒲を殺されてすっかり生気を失った小太郎は、それでも彼女の遺言を果たすべく、託された笛と燃え残った着物の片袖を小田原に届けはしたが、既に北条氏照はこの世の人でなく、墓前に供えてそのまま松井田へ来たものだ。
「夫婦になったら蓮と三人で暮らしたかった──」
菖蒲が言い残したその童女には、彼女の最期を伝えなければいけないと、使命にも似た感情を抱いたのだ。無論菖蒲とその童女がどのような関係であるかなど知らないが、松井田の崇徳寺に着いた時、蓮は相変わらず毬遊びに興じており、小太郎はその童女が蓮であることをすぐに知った。
かすかな足音に気づいた蓮は、見慣れない男の顔を驚いた様子で凝視していたが、やがて寺の中に駆け込んでしまうと、暫くして中から虎之助が姿を現わした。虎之助は、境内に呆然と立ち尽くす男が、以前京から大坂に向かう道中で会い、大坂城の大手門前でも仕損じた伊賀の甲山小太郎であることを認めると、
「何の用じゃ!」
と太刀の柄に手をかけた。八王子城に潜伏していた菖蒲からの密書で、なから小太郎の動きや事の流れは掌握していたが、もとより彼を信用しているわけでない。しかし戦闘意思の微塵もないその呆とした力ない眼を見て、あざ笑うかのように太刀から手を離した。
小太郎は心ここなしといった小さな口調で、
「ここに蓮という童がおるじゃろう。伝えてくれ、菖蒲はもう戻らん──と」
そう言うと、力の抜けた様子で立ち去ろうとしたのだった。
「待て、どういうことだ?」
「死んだ……」
それは聞こえるか聞こえないかほどの小さな声である。虎之助にはよく聞き取れず、「何と申した?」と聞き返そうとしたが、それより早く、小太郎の足にしがみついたのは、寺の中からキジのように飛び出して来た蓮であった。目を真ん丸に見開き、今にも泣き出しそうな顔で「ヤダ!」と叫んだ。
「離せ、申した通りじゃ。もうここに用はない」
「ヤダ!ヤダ!」
「ヤダと言われても死んだものは死んだのだ! 離せ!」
「ヤダもん!」
虎之助も菖蒲が死んだと知って唖然としたが、必死で駄々をこねる蓮の剣幕に同情して、
「伊賀者、もう少しその童に分かるように説明してやれ。ずっと菖蒲様の帰りを待っているのだ」
「そういえばお主の仲間の蜻蛉とかいう甲賀者も死んだぞ……お主も僧なら線香の一本もあげてやれ」
「なに? どういうことだ?」
「二人とも風魔にやられたのだ」と言ったきり小太郎は口をつぐんだ。その話をするのに最も辛いのは彼自身なのだ。しかしその童の無垢な涙を見た時、堰き止めていた感情が俄かに暴発した。
「そうよ!わしのせいじゃ! わしは菖蒲を守ると約束しておいて守れなんだ。お前が蓮か、わしを恨め!わしが菖蒲を殺してしまったのだ!」
小太郎はたまりかねて蓮を蹴とばすようにして跳ね除けると、そのまま逃げるように立ち去った。その後ろを転げるように蓮が追いかけた。
「蓮! 待て、戻れ!」
すかさず虎之助も追いかけようとしたが、その腕を、どこからともなく現れた飛猿が掴んだ。
「行かせてやれ。小太郎とて子供相手に無下なことはすまい」
「し、しかし……」
「蓮は菖蒲殿にしかなつかんかった。わしらにはもう留めておくことはできんよ」
虎之助と飛猿は、小太郎の後をちょこちょこと追いかける蓮を見送ったのだった──。
空を茜色に染めた夏の陽が暮れようとしていた。上空をいくつものカラスが透き通った声をあげて飛んで行ったとき、小太郎はようやく立ち止まり、まもなく蓮が追いついた。
「いま一度言う。わしについて来ても菖蒲には会えん。菖蒲は死んだ。だから帰れ。足手まといだ!」
「ヤダ!」
「お前はヤダしか言えんのか? 帰れ!」
「ヤダもん!」
蓮は鼻水を垂らしてわんと泣き出した。
「だって菖蒲お姉ちゃんと約束したもん! 帰って来たら折り紙して遊ぶって!」
「うるさい、泣くな! わしだって泣きたいのだ!」
「泣けばいいやん!」
「ばかやろう、大の大人が泣けるか!」
と言ったそばから小太郎の眼から涙がボロボロとこぼれだした。すると逆に蓮はきょとんとした顔で泣きやみ、
「なんでお兄ちゃんも泣くの?」
「うるさい!」
蓮も再び泣き出して、二人はすっかり陽が沈むまで泣き続けた。ところが人間いつまでも泣き続けていることはできないもので、くしゃくしゃの顔をしている蓮に気づいた小太郎は、
「おい、洟が垂れてるぞ」
と、自分の袖口でそれを拭き取ってやると、再び垂れてきた鼻水が提灯を作った。それには思わず蓮も吹いて、二人の涙は笑いに変わった。
気づけばすっかり夜の帳が降りている。
「腹が減ったなあ……」
その言葉を待っていたように蓮のお腹もぐうっと鳴る。人間どんなに悲しくても腹は減る。小太郎は四つん這いになって地面に耳を押し当てた。
「なにしてるの?」
「川を探している。今晩はそこで野宿だ」
「川ならあっち」と蓮がどこぞを指さした。
「なぜわかる?」
「だって音が聞こえるもん」
蓮が指さした方向を目指せば、二人はほどなく渓流沿いに出た。小太郎は蓮の耳の良さに驚きながら、小枝や木材を集めて火を起こし、川に入ってイワナやヤマメやコイなどを捕まえて来ると、細い枝に刺して焼き始めた。火を囲んだ無言の二人の顔に、赤い陰影が揺れている。
小太郎は懐から菖蒲から手渡された三寸ほどの銀のマリア像を取り出した。
「あっ、菖蒲お姉ちゃんの観音様──」
蓮は「どうして持ってるの?」といった表情でつぶやいた。
「観音様? どうやらこれはわしに渡したのではなく、お前に託したもののようだ。菖蒲の形見じゃ、蓮が持っておれ」
蓮は奪う様に握りしめると、じっとマリア像を見つめて「お姉ちゃん」とつぶやいた。
「わしはこれから京に向かうが宛はない。友人を探して流浪の旅になるやも知れん。悪い事は云わんから真田に帰れ」
「一緒に行く……」
小太郎はふと蓮の耳の穴をふさいでいる詰め物に気が付いた。
「なんじゃ、耳栓をしておるのか?」
蓮はコクリと頷いた。
「虎之助おじちゃんも飛猿のおじちゃんもキライ。幸村のおじちゃんはちょっと好きだけど、帰りたくない……みんな嘘つき……」
「うそはキライか?」
蓮はまたコクリと頷いた。
「わしも嘘つきじゃぞ。大ウソつきじゃ。嘘を付くのが仕事だからのう」
「でも菖蒲お姉ちゃんはお兄ちゃんのこと好きなんでしょ? だから一緒がイイ」
小太郎は言葉を詰まらせた。目の前の子童は、何もかも知っているかのような純粋な目をしていた。
「わしの周りには怖〜いおじさんたちがうじゃうじゃ寄って来るぞ。わしと一緒にいたら捕まって食べられてしまうぞ」
「怖くないもん!」
「まあいい、喰え」
小太郎は焼きあがった魚を蓮に渡した。余程腹を空かせていたのだろう、蓮はそれをむさぼるようにして食べると、やがて小さな寝息をたてて眠ってしまった。その顔に、どことなし菖蒲の面影を見た小太郎は、ひとつ笑んで夜空に輝く天の川を仰いだ。
それにしても妙な道連れができてしまったものだ。
小太郎は高山右近にも菖蒲の死を伝えておかなければいけないと思い加賀を経由したが、右近はまだ帰っておらず、一か月ほど滞在してから京に向かった。
京に着いた小太郎は真っ先に吉兆屋に顔を出し、お銀から朝鮮通信使が来ている事や才之進がその動きを探っている事など様々な情報を入手するが、
「それにしても小太郎ちゃんも隅に置けないねえ、で、相手は誰なのさ?」
と、お銀の関心は、今は店先で一人地面に絵を描いて遊んでいる蓮の存在だった。
「だからわしの子ではないと申しておろう。行きずりの童じゃ」
「へえぇ、小太郎ちゃんは理由もなく旅先で出会った童を連れまわすのかい? あぁ!分かった!妙に顔立ちが整った子だし、大きくなったら自分の女にしようという魂胆ね?」
「アホ申せ! なぜわしがそんな何十年も先の嫁の心配をせにゃならん。そんなに待つくらいなら手っ取り早くお銀さんを貰ってやるわい」
「何十年なんて大げさぁ、女の子の成長は早いんだよ、あと五、六年もすればあんな洟垂れ童女でも女に化ける。それにしても五、六年は少し長いか──私の方はいつでもいいけどねぇ〜」
お銀はからかうように色目を向けて小太郎の襟元に指先を忍ばせた。
「お銀さん、こんな昼間っから冗談はよせ。蓮に聞こえるぞ」
「聞こえるわけないでしょ、お子ちゃまはお外でお絵かきに夢中でちゅぅ」
すると、遊びに興じていたはずの蓮がすくっと立ち上がったと思うと、つつつとお銀の前に立ち尽くし、怒った目つきで彼女を睨んだ。
「あらやだ、聞こえちゃったの?……なによその目、ひょっとしてこの子ったら嫉妬してる?」
「そんなわけはなかろう。それよりわしは末やんの手掛かりを聞くためにここに来たのだ。何でもいい、知ってることを全部教えてくれ」
「末やん?ああ末蔵さんのことかい。前も話した通り聚楽焼の長次郎さんとこ出たきり行方知れずさ。本阿弥光悦さんとこ行ってみなよ。何か手掛かりがつかめるかも」
聞くが早いか小太郎は吉兆を飛び出した。
「ああ、この子どうすんのさ!」
「抛っておいても付いて来る。蓮は犬の鼻より耳が利く」
お銀を首を傾げたが、お銀を睨んだままの蓮は、
「小太郎兄ちゃんに手ださないで」
そう言い残すと、後を子犬のように追いかけて行った。
「なによあの小娘! 子供の振りしてすっかり女じゃない!」
お銀は呆れて舌を出して見送った。
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