雷神の門 大運動会
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伊賀者
 戦国の稲妻いなづまはこの男の頭上にも落ちた。
 戦乱の世に生きる者たちの定めは、時の勢力をくじくか屈服するか、さもなくば世俗から離れ、世捨て人のごとき生きるより仕方のない、弱肉強食の理不尽りふじんさにあがきながら生涯をおくることである。しかし若さは、その定めなる境遇を認めようとはしない。ある者は一国一城のあるじを夢見、またある者は武学をみがき立身出世の大志を抱く。そしてこの男もまた、ある宿敵を倒そうと躍起やっきになって働いていた。それは若さからくる世の中への不満とか希望とかとは少し違うかもしれないが、戦乱が招いた境遇といえばそれに違いなかった。
 ところが、生まれ育った伊賀の国を滅亡させた織田信長という悪鬼あっきが死んだと聞いたとき、男は目的を失い、それまで激しく心に燃えていた復讐の炎がふつと消えるのを感じた。
 目的地を失った船は大海原を漂流するしか道はない。この男はまさにいま、そんな心境の中で、余るほど身につけた忍びの術をもてあそばせながら、草むらに潜伏せんぷくするくわかまなどを握った極度に土臭いみすぼらしい農民たちの中にうずもれていた。
 時をたずねれば天正十五年(一五八七)になったばかりの冬―――。ところを訊ねれば……、
 はて?どこであろう。
 とにかく故郷というものを失ってから各地を転々と歩き回っていたから、いまどこにいるかも定かではないが、おそらく尾張を経って信州方面へむかっていたから美濃のあたり、山奥の小さな村にいることに違いはないだろう。
 黄昏たそがれからあたりは急に暗くなった。空気が冷たい分、空の星の色はえ、木枯らしの夜風は積もった雪の粉とともに体温をも奪って吹き抜けた。
 それにしても草むらにたむろする農民たちの熱気はそんな寒気をものともせず、その目にはどれも狂気じみたするどい光があった。その光の数は数百にものぼろうか。それもそのはず、この殺気立った集団は、これから目の前の屋敷にむかって一揆を起こそうというのであった。
 この頃、農民一揆というものが盛んに発生していた。特に一向一揆は一向宗という宗教を媒体ばいたいにして起こり、加賀で起こったそれなどは、守護大名を粉砕し一国を支配するに至るのである。宗教による結束の恐ろしさを見た織田信長は、一向宗への見せしめもあったのだろう、京都の比叡山延暦寺の焼き討ちという前代未聞の虐殺劇をおこなった。更に信長は、一向宗信徒に対しても殺戮をおこない、それによって各地の一向一揆は次第になりを潜め、ついには鎮圧されていく。しかしその農民主体で行われた一揆の本質をさぐれば、単に宗教上や政治上の問題ではなく、生活苦を強いられた社会的弱者の権力に対する憤りがあったと見るべきで、こと下克上げこくじょうの世にあっては、農民暴動への一触即発の緊張がたえずあったに違いない。
 「まったく妙なゴタゴタに巻き込まれてしまったな……」
 いきり立った農民の中で、さきほどの男がぼつりとつぶやいた。この男の名を甲山こうやま小太郎という。いわゆる彼は伊賀忍者である。
 年の頃なら二十歳。いや正確には十九である。が、身に着けた派手な紫色の陣羽織じんばおりは、暗闇を暗躍する忍びと呼ばれる類の者とは一線を画しているし、土で汚れたボロをまとった農民とはあきらかに違う風貌をして、これから勃発するであろう領主と農民との血の戦いに対してなどまるで歯牙しがにもかけていない様子で、隣でガタガタと身体を震わせている青白い表情の同じ年頃の男に、
 「お主がつまらん正義心など燃やすからいかんのじゃ!」
 と、鼻くそをほじった。話しかけられた見るからに気の弱そうな男は、
 「す、すまん……」
 と答える。この村の通りがかりに、しくしく泣くわらべと出会い、今晩暴動で命を落とすかもしれないその童の父の話を聞いて、どうにも素通りすることができなくなった経緯を、いまさらのように後悔したその男の名を、百地ももち末蔵すえぞうといった。二人は紀州伊賀上野で生まれ育った竹馬の友である。
 小太郎の方は、忍びの世界では名の通った甲山太郎次郎のせがれで、幼少より忍びの者としての術を教え込まれた。伊賀においては下忍の身分ではあったが、父の名を名乗れば誰もが一目おく忍術の達人である。一方末蔵の家は伊賀焼の焼き物職人で、上忍の百地三太夫がその職人の娘に懸想けそうして産ませた子であった。伊賀焼といっても当時はまだ芸術的域には達しておらず、かまで焼くものといえば茶碗や皿などの日常品で、伊賀焼が日本六古窯の一つに数えられる名品を作り出すのはこれより少し後のことである。
 わずか八里四方ばかりの伊賀の里は、東に鈴鹿、西に笠置、北に甲賀を境とした山々に囲まれた小国だった。しかもその国に入るには七〇もの険しいとりでを通過しなければならず、いわば国自体が城塞ともいえた。その中に、二人の故郷である伊賀上野はあった。
 いずれ忍びの者として、どこかの武将に雇われて諜報業務を仕事とするはずだった小太郎は、その地でうぐいすの鳴き声を聞き、かわずを追いかけ、野山に実る木の実を喰っては、雪が降れば忍び道具を作ったり手入れをしたり、忍術を身につける以外は、一般の農民と同じ生活を送るごく平凡な幼少期を送った。一方末蔵の方はもっぱら焼き物に夢中で、近年上層階級で流行の茶の湯などに心酔しては、自分の作る壺や椀の研究を重ねていたが、性格は対照的な二人はなぜかよく気が合い、暇を見つけては野山をかけめぐって遊んだものだった。
 古くから中央権力の支配を受けず、小さな豪族たちの集合体によってゆるやかな政治的な結びつきをなしていた伊賀の里には、『伊賀惣国そうこく一揆掟書おきてがき』という約定があり、一種独特な風気が存在していた。伊賀に忍術という諜報能力にすぐれた人材を輩出してきたのも、そうした地域性や政治のしくみがあったからだが、この土地の人間は、本職に加えて自分の得意な能力を磨くことを怠らなかった。例えば視力が優れた者や聴力が優れた者など、諜報工作に必要となればその能力が買われ、伊賀者同士の協力体制ができあがっていたのである。末蔵などは良い例で、彼はいっぱしの忍術などまるでできなかったが、声色こわいろという誰にも真似できない特技を持っていた。動物や鳥や虫の鳴き声はもちろん、薬売りの佐吉とか猟師の権三やら染物屋の孫六とか、身近な男のものまねは端から、女では女郎の梅桜とか金物屋のおかみさんとか、老若男女を問わず声や音の出るものならあらゆるものをそっくり真似た。その特技が実の父親である百地三太夫の目に留まり、彼の家では末蔵だけが百地姓を名乗ることを許されていた。
 話が飛んだが、いわば戦国時代においては伊賀全体が諜報機関の人材派遣的役割をなしており、服部家や百地家や藤林家といった上忍が仲介となって、全国の大名や諜報を必要とする組織に伊賀者を派遣するようなことを生業なりわいとしていたのである。
 ところが今から六年前にその悲劇は起こった。小太郎十二歳、末蔵十四歳の秋のこと。いわゆる後に天正伊賀の乱と呼ばれる事件である。
 その発端は天正七年(一五七九)にまでさかのぼる。
 破竹の勢いで近隣諸国を征服していく信長の世にあって、伊賀はその勢力に従うことなく、国主というものを持たない独立国家ともいうべき特異な自治共和制を保っていた。当時それを面白く思わない信長の次男織田信雄は、伊賀隣国の伊勢を支配していたが、その信雄と密通していたのが伊賀衆の下山甲斐という男である。
 「ただいま伊賀の結束が衰え出しております。落とすなら今かと……。それがし道案内をつとめましょう」
 と、その言葉を真に受けた信雄は九月、信長に無断で一万近くの兵を引き連れ、伊賀への侵攻を開始したのであった。
 ところが土地勘もあり従来からゲリラ的戦法をお家芸としていた伊賀忍び軍勢は、夜の暗闇に紛れてわずかな勢力でそれを粉砕し、たった数日のうちに信雄の侵略を抑え込んでしまったのだった。
 このとき戦略会議を部屋の廊下で眺めていた小太郎は、あざやかに作戦の指揮を執る百地三太夫の姿をはじめて見た。別称丹波守たんばのかみ正西まさゆきなるこの人物は、どこか人目のつかないところに隠棲していたのか、あるいは日ごろから何かに扮して人衆に紛れていたか、生涯ほとんどその姿を人前に現さなかったと言う。小太郎の隣にいた実の子であるはずの末蔵でさえ、実際それが父との初対面だった。
 「お主の親父殿はすごいのう!流石さすがじゃ!」
 小太郎は興奮気味に末蔵の肩を叩いたが、一方で三太夫の傍らで片腕となって働く父甲山太郎次郎を、神を崇めるがごとく誇らしく思っていた。
 その戦いで生き残った信雄勢は当初の半分以下の四千程度だったと言われる。無残な敗報を受けた信長は激怒した。これがいわゆる第一次天正伊賀の乱である。そして信長は伊賀に対して激しい憎悪を燃やしたのだった。
 それ以後小太郎は、父甲山太郎次郎になろうと、また、百地三太夫になろうと、それまで以上に忍びの技を磨いていたが、悲劇はちょうどその二年後に起こったのだった。信長が総勢四万四千という大軍を率いて大津波のごとく伊賀に攻め込んできたのである。これが第二次天正伊賀の乱である。
 当時の伊賀の人口が老若男女あわせておよそ十万というからには、とても相手にできる数ではない。そのうえ織田勢は、前回の苦い教訓から伊賀に内応者を作り、内部の詳細な情報を得ていたのに加え、軍には鉄砲隊や砲隊まで備えていたというから、いっぱしの有力大名相手に戦を挑む周到さである。
 対して伊賀勢は、戦闘要員が五千程度だったと言われている。多勢に無勢、これではいくら忍びの達人だったにせよ、歯が立つ相手ではなかった。伊賀は四方より攻められて、織田軍の徹底した焦土作戦と兵糧攻めに苦しめられた。しかも、夜も昼のごとき松明たいまつを焚き続けたものだから、闇を味方につける忍者の術も、その動きも身を潜める場所もすべて封じ込められてしまったのだった。
 信長軍は比叡山延暦寺で行った放火、破壊、殺戮を、この伊賀でも行った。それでも伊賀勢は女子供も武装して、必死に応戦して耐えたが、わずか半月という歳月を持ちこたえるのがやっとだった。
 そして小太郎の故郷、伊賀は滅んだ。
 父も百地三太夫も死んだ。
 更にまだ若かった母も、信長軍の荒くれ足軽に犯されて殺された。
 小太郎は、目の前の現実を理解できないまま、そこかしこに煙を吹く荒野を必死で逃げた。途中、欠けた焼き物を手にして呆然と立ち尽くす末蔵をみつけた。
 「末蔵、ゆこう!」
 「どこへじゃ?」
 「どこへでもじゃ!」
 小太郎は末蔵の手を引っぱって走り続けたのだった。
 この戦で信長に寝返った伊賀者もいる。また生き残った伊賀者たちも全国各地に散り々々になった。以来伊賀者は集団で行動するより、単独で行動する一匹狼的な忍びとして腕を売り、力ある武将に仕官するようになったのである。
 「旦那、頼みましたぜ」
 一揆を主導する若い農民が小太郎のところへ来て言った。
 「ああ、任せておけ!じゃが約束を忘れるな!」
 「へえ、十人斬ったら金一枚、二十人斬ったら金二枚……」
 「百人斬ったら?」
 「金十枚でございます」
 「お主ら百姓にそんな金があるのか?」
 「なあに、あのお屋敷さえ制圧すれば、二十枚だろうが百枚だろうが金庫に隠し持っているに決まってます。そしたら即、耳をそろえて払いますよ。いままで俺たちからさんざん搾り取ったんだ。とにかくばっさばっさってください」
 忍びは暗闇でも目が効く。小太郎はその表情に嘘がないことを読み取った。やがて一揆の主導者は興奮しきった士気を眉間に表すと、いよいよ「討ち入りだ!」と言わんばかりに農民の集団の中に紛れていった。
 「どうも気が乗らんなあ……」と、小太郎は再び鼻くそをほじった。
 「すまんのう……」と、末蔵はいま一度謝った。
 そして中途半端な形をした月が雲に隠れたとき、「行くぞ!」という大きな声があがった。すると、草むらに身を潜めていた百名ほどの農具を握った痩せ男たちが立ち上がったかと思うと、まるで獣のように一斉に屋敷に向かって走り出した。
 「小太郎、ゆくぞ!」
 腹を決めた末蔵も、それに従って草むらを半歩飛び出した。が、肝心の小太郎は屋敷とは反対方向へ向かって走り出していた。
 「小太郎、どこへゆく!屋敷はあっちじゃ!」
 「やめた!」
 「なにを申す!」
 「こんなくだらんお遊びに付き合うのはやめた!」と、小太郎はそのまま走っていく。
 「おい、待て!小太郎!」
 末蔵も小太郎の後を追うしかない。その後の農民一揆の顛末てんまつは知る由もない。暗い木枯らしの中、二人は行く宛てもなく走り続けていた。
 「俺はもっと大きなことをしたい!」
 走りながら小太郎は叫んだ。
 「大きなこととは何じゃ!」
 「わからん!だが、国を動かすもっと大きなことじゃ!」
 小太郎が乞うまでもなく、彼らを巻き込む風雲がすぐそこまで来ていたことは、この目的のない若い二人はまだ知らない。
 
> 第1章 > 贄川にえかわの宿
贄川にえかわの宿
 一日歩き通した二人は、御嶽山おんたけさんの頂に沈む夕陽を見た。どうやら中山道を進んで、いつしか信州は木曽谷にたどりついたようだった。二人は歩みを止め、夕日で色をあかく染めた深い雪が降り積もるだだっ広い平地に、そのまま身体を投げ出し一番星が輝く空を見上げた。
 「空は広いのう……」
 小太郎が言った。
 「これから俺たちは、どうするつもりじゃ?」
 末蔵すえぞうは疲れ切り、肩で息をしながらつぶやいた。
 「上田にでも行ってみようかな……?」
 信州上田には真田昌幸がいた。去る天正十三年(一五八五)、徳川家康と北条氏直は真田氏の制圧を図って信州上田に八千の兵を送り込んだ。ところが、それに対して昌幸は、わずか二千にも満たない兵力で迎え撃つが、実に四分の一の勢力をして徳川軍に圧勝したのである。この上田合戦を機に、真田氏の名は全国に知れ渡っていた。
 小太郎には小能制大(小よく大を制す)≠フ美学がある。信長の伊賀攻めにおいても、あれはけっして勝てない戦ではなかったと本気で思っていた。ただ信長の謀略ぼうりゃくに敗れたのだと信じて、それさえ読み切っていれば絶対に勝てたと、小太郎の根拠のない自信は、若さと無知からくる青年の特権だったろう。
 「真田は信玄についていた頃から、忍びの者を大事にしていると聞く。ひょっとしてわしの忍術も高く買ってくれるかもしれん」
 「真田かあ……。でも信長系の武将じゃないか。俺たちのかたきじゃ」
 「信長は鬼じゃ。だが、その傘下さんかの武将も鬼だとは限らん」
 「妙な理屈じゃの。しかしお主はいいよ、忍びの術ができるから……」
 末蔵はうらやましそうにつぶやいた。
 「お前だって声色こわいろができるではないか」
 「いや、俺は忍びには向いとらん。根っからの焼き物職人じゃ」
 「ならば朝鮮にでも渡るか?あの国は陶芸が盛んだというではないか。わしにはちっとも理解できんが……」
 小太郎は馬鹿げた話だと言わんばかりに末蔵に背を向けた。ところが末蔵ときたら「朝鮮か……」と、まんざら夢物語でもないかのように笑った。
 そのとき小太郎の腹が「ぐうっ」と音をたてた。
 「腹が減ったのう……」
 「贄川にえかわの宿場まで行くか?あそこには湯が湧いていると聞く」
 二人は突然なにかを思い出したように起き上がると、童子が鬼ごっこでもするように、中山道をそのまま東上していった。
 木曽の山間やまあいうように走る中山道の宿場町は、すべて木曽川に沿ってある。小太郎たちが向かった贄川宿にえかわじくは、美濃から向かえば木曽路最後の宿場で、そこを越えればもう塩尻だった。
 古くは温泉が湧いていたため『熱川』とも書いたとされるが、現在はすでに枯れてその形跡はなく、また『贄』とは、諏訪神社の供物に土地で獲れたさけますなどを供進したことから付けられたとも言われるが、江戸時代には女改めの関所として、また、木曽で伐採されたひのきなどの材木の密移出を取り締まる白木改めの関所として、木曽谷北側の重要な役割を担ってきた。
 女改めとは江戸幕府が始めた制度であるが、参勤交代で江戸にのぼった大名の妻子が国元へ逃げ出すことを警戒したもので、女手形には通行人の数や乗物の有無、その他出発地と目的地のほかに、禅尼ぜんに、尼、比丘尼びくに、髪切、小女の区別を明記することが義務づけられていた。そして関所には改め女という者がいて、そこを通る女性を取り調べるのである。
 贄川の関所にもこんな記録が残っている。病気の母親を見舞うため、娘を男装させて国元へ連れ帰ろうとした男が、この関所で見破られて断首されたと。いずれにせよ小太郎たちがいた時代にはまだそんな決まりはなかったろうが、女性の旅自体まだまだ非常に珍しいことだった。
 すっかり夜も更け、贄川の宿場にたどりついた小太郎と末蔵は、いくつか立ち並ぶ旅籠はたごの一軒に、すっと迷わず「宿をお頼み申す!」と入り込んだ。
 「なぜここにした?」
 と、旅籠の入り口に入って末蔵が小声で聞くと、
 「女よ。ほれ、女物の草履ぞうりがあるだろう」
 見れば客人用の下駄げた置きに、薄紅色うすべにいろ鼻緒はなおの草履がきれいに置かれていた。真冬の旅である。男連れには違いなかろうが、女の旅姿は目の保養にはなる。
 「まったくお前は目ざといのう」
 「あわよくば……」と勝手な想像でにやける二人は今、青春まっさかりなのだ。
 「さっ、どうぞどうぞ」と中から女将おかみらしき中年の女が出てきて、給仕に二人を部屋へ案内させた。
 「とりあえずめしをくれ!食ったら湯に浸かりにいく!」
 小太郎は腰の刀を抜くと、そのまま畳の上に大の字に寝転がった。
 「おとなりさんは女連れかい?」
 末蔵がすかさず聞いた。「それよ!」と、小太郎は耳をそばだてた。
 「はい。なんでも善光寺さんにお参りに行った帰りだとか」
 「女は若いか?」と続けざまに、上半身を起こして小太郎が聞いた。
 「は、はい」
 「器量はどうじゃ?」と、今度は二人口をそろえて聞いた。阿吽あうんの呼吸とはまさにこのことだ。
 「そんなこと知りません。ご自分でお確かめになれば?」と、給仕は「へんな客ね!」とは言わなかったが、「ただいまお夕飯をご用意します」と、そのまま不愛想ぶあいそうに部屋を出た。
 二人は隣部屋の女がどういった容姿か気になって仕方がない。そこである作戦を講じた。末蔵に先ほどの給仕の声色をさせ、女を部屋の外に呼び出して確かめようというのである。さっそく小太郎は音もなく、部屋の廊下から死角になる物陰に隠れ、末蔵は廊下と女の部屋を隔てる引き戸の前に立ち、寸分たがわぬ給仕の声で、
 「お連れの女の方に甘菓子をお持ちしました」
 と言って、すかさず小太郎のいる物陰に一緒に潜んだ。
 しばらくすると中から「はい」という透明感のある女の声がしたかと思うと、引き戸が開き、そこにこの世のものとは思えないほどの美しい女が顔を出した。年の頃なら二十歳前後、浅葱色あさぎいろ小袖こそでを着た身体は細く、袖からのぞかせたか弱そうな二本の腕は真っ白で、二人は思わず生唾なまつばを呑み込んだ。女はそこに誰もいないことに首を傾げ、すぐに戸を閉じて引っ込んでしまったが、俄然がぜん、小太郎と末蔵の気持ちは躍った。
 ところが末蔵には女より食器の方が気になるらしく、間もなく用意された川魚の膳を食いながら、しきりに器の漆器をほめたたえていた。そして食事を終えた二人は食休みもそこそこに、「湯に行こう」と手拭いを借りて宿を出た。
 贄川の湯は今となってはその効能を知る由もないが、寒い木曽の冬、長旅の疲れを癒すには十分だった。二人は気持ち良さそうに、小太郎は隣部屋の女のことを、末蔵は先ほど食べた膳の料理に使われていた紅と黒の漆器のことをそれぞれ考えていた。そして、
 「それにしてもあれは綺麗じゃった……」
 と、ぽつんとつぶやいた末蔵の言葉は、小太郎の競争心をあおるに余りあった。
 「おい、お前!ぬけがけは許さんぞ!」
 末蔵は驚いた顔で小太郎をみつめたが、すぐに誤解であることを領解りょうげした。
 「お主、なにを妄想しておる?俺が言ったのは先ほどの膳の器じゃ」
 「阿呆め!たかが茶碗や皿に、綺麗≠ネんて言葉を使うものか!わしは……」
 小太郎の言葉をさえぎって、末蔵は器の美について語り始める。こうなったら止まらない。
 末蔵の語るところによれば、吸い物の入っていた椀の曲線が特に美しかったという。そして米を盛った椀の握り心地といい、うるしを重ねて出した黒色と紅の色合いといい、あれは熟練の職人が作り出した芸術だと興奮気味である。木曽漆器が全国に出回るようになったのは江戸中期以降のこと。しかし良質な檜をはじめとする木材や漆の木が育つことから、木曽谷では当時から陶器より漆器を用いることが多かった。焼き物職人の末蔵にしてみれば、それはカルチャーショックでもあり、「俺もあんな茶碗を焼いてみたい」と盛んに言った。小太郎は欠伸あくびをしながらその話に付き合うが、茶器や食器などの器の話になると、どうにも手が付けられない末蔵であった。
 と、その時、二人しかいない温泉に、無造作に入り込むひとりの男があった。
 暗い上に湯煙があがっていてよく見えないが、それは背の低い猫背の、きゃしゃな割に隆々とした筋肉を持つ、どちらかといえば人間というより山猿に良く似た顔の男であった。小太郎にはすぐに分ったが、昼間に彼を見たならば、その顔は酒を飲んだように真っ赤だった。咄嗟とっさに小太郎の野性的な勘は、
 「ただ者でないな……」
 と思わせた。それは男の右肩から左腹部にかけて、大きな刀傷があることを見逃さなかったからだ。しかし、水蒸気を吹き出すような音の息をゆっくり吐き出しながら、気持ちよさそうに全身をお湯に浸かる男のすきだらけの仕草を見て、すぐにその考えを打ち消した。赤猿あかざる≠ニは、そのとき小太郎が付けたあだ名である。
 最初その赤猿に気をつかい、漆器の話を中断していた末蔵だったが、やがて湯に一人増えた雰囲気にも慣れてくると、再びその漆器談義を得意げに語り出した。そうして暫く話していると、途中から赤猿が親しげに話に割り込んできた。
 「木曽漆器に興味をお持ちでござるか?」
 顔からすると四十代とも六十代とも想像できたが、声から判断すればまだ二十代後半の精悍せいかんな青年のようだった。そして赤猿の芸術に対する知識も豊富で、末蔵さながらに漆器や陶器や磁器の美しさの違いなどを理論的に述べたかと思うと、末蔵にむかって、
 「ならば京の本阿弥ほんあみ光悦こうえつ先生に一度会うといい」
 と、さも旧知の友人でもあるかのように本阿弥光悦を紹介したのだった。途端、末蔵の目の色が変わった。いくら片田舎育ちでも焼き物職人のはしくれ、文化の最先端をゆく彼の名くらい知っていた。
 「そなた、本阿弥光悦先生のお知り合いか?」
 「いや、知らんでござる……」
 一瞬の期待を裏切られた末蔵の語気は荒くなり、世の中の光悦の評判を知りうる限り並び立てた後、「所詮しょせん雲の上の人だ。俺なんか到底相手にしてくれまい……」とつぶやいた。
 「見たところまだお若いのに実に惜しい!そんなに志が低いようではすでに将来も見えておるぞ。お主も青年ならば大志を抱け!光悦など雲の上から見下ろす大きな人間を目指したらどうでござる?」
 赤猿のその言葉は非常に穏やかであったが、図星の末蔵のかんに触れた。思わず「なに!」と、柄にない怒声を発して立ち上がったが、赤猿は末蔵の股間のモノを見て「まだまだ子供だの」と声高に笑った。
 先ほどから話に入り込めず、湯に浸かったまま無言で夜空を見上げていた小太郎だったが、いつにない末蔵の剣幕に、「落ち着け!」と後ろでなだめ、話題を変えようとして「貴公はどこの宿にお泊りか?」と聞いた。赤猿は相変わらず穏やかな口調で、
 「木槿屋むくげやといったかな?」
 と答えた。木槿屋といえば先ほど飯を食った宿も同じ名である。
 「ならばわしらと同じではないか!」
 「ほう、そうでござったか。なあに善光寺参りの帰りよ。木曽に入った途端に日が暮れ、冬の旅路、女連れゆえあそこに宿をとったでござる」
 と聞いて、小太郎と末蔵は顔を見合わせた。
 「とすると、貴公はあの娘の親父さんか?」
 「娘……?おお、菖蒲あやめのことでござるか」
 「アヤメ?あの娘、菖蒲というのか!」
 「なかなか綺麗なおなごでござろう?だが拙者の娘ではござらん。嫁でござる」
 「なにい!」と、今度は思わず小太郎の方が「こんな部細工な赤顔の男と、先ほど垣間見たあの可憐な娘が夫婦なんて信じられん!」とばかりに、ショックを隠し切れずに勢いよく立ち上がった。赤猿は小太郎の股間のモノを見て、末蔵のときと同じように笑った。
 ふいに恥ずかしくなった二人は再び湯の中に身体を浸すが、ばつが悪いというか、険悪な雰囲気というか、両者の間に作られた溝は、しばらく冬夜の静寂な空間を生み出した。しかし話す相手がいるのに何も話さないというのは、どちらかというとおしゃべりな小太郎には耐えられない。いつもの人懐っこさで、
 「ところでお主のその身体の刀傷、いったいどうされた?」
 と聞いた。赤猿は、
 「なんじゃ、見られていたでござるか。ずいぶん目ざといの……」
 と、少し警戒したように、「冬になるとこの古傷が痛み出して仕方がないのでござる」と、その訳を淡々と語り出した。赤猿の話はらちもない。なんでも今の嫁は去る豪商の家に奉公していた町娘で、そこに出入りしていたこの赤猿といつしか恋仲になったが、そこの若旦那が密かにその娘をものにしようと企んでいた。そのことを知った娘に「恐い」と打ち明けられた赤猿は、いわゆる駆け落ちをしようと手を携えて逃げ出した。しかし、追っ手に追いつかれてばっさり斬られたのだと、昔の武勇を誇らしげに語った後、
 「その娘が菖蒲でござる」
 と、さも幸せそうに哄笑した。そういう出来過ぎた物語を聞くと、話の筋に嘘がないか、また、矛盾がないか、必ず検証するのが小太郎の忍びとしてのくせというよりさがだった。
 「しかし追っ手に斬られたのなら、傷は背中にできるはずじゃないか」
 「拙者も必死だったゆえ、よく覚えておらんのでござる。咄嗟に菖蒲を守ろうと敵に正面をむけたのであろうな」
 「それに斬った相手は左利きだな。右利きならば傷は左肩から右腹部にかけてできるはずじゃ。お主のは逆じゃ。左利きの使い手はそう多くはない。それにそんな深手を負ってよく生き延びることができたものじゃ?」
 と言いながら、小太郎は自分の父が左利きだったことを思い出した。
 「運よく通りがかりのお侍さんに助けられましてな……」
 「お主も侍ではないのか?さっきからござる、ござる≠ニ言うておる」
 赤猿は「やけにしつこいな」という表情を作り、
 「拙者はしがない商人でござる。しかし今は戦乱の世、拙者にとていつ侍になる機会がめぐってくるやもしれんでな。豊臣秀吉様だってはじめは信長様の草履取りだったと言うではないか。今から侍のように振る舞っておかねば、その時になって困るでござる。人間いくつになっても大志を抱いておらねばな!」
 そう言うと赤猿は「菖蒲がさみしい思いをしておるといかん」と、高笑いを残して湯からあがっていった。小太郎と末蔵は、湯煙に消えていくその小柄な姿を見送った。
 
> 第1章 > 甲賀の飛び猿
甲賀の飛び猿
 さて、温泉を出て久かたぶりの布団に入ってはみたものの、小太郎の脳裏には夕食前に見た菖蒲あやめという名の女のことばかりが浮かんで、すると、なにやら股間がむずむずとしていつまで経っても寝付けない。おまけに風呂で出会った赤猿が、あの女の亭主と聞いたからには、隣の部屋で二人がいま何をしているのか気がかりで仕方がない。しかも隣部屋に通ずるふすまの向こうからは、いつまで経ってもこそこそ話が途切れないのだ。
 「末蔵すえぞう、寝たか……?」
 「いいや……、お隣が気になって眠れん……」
 「わしもじゃ」と、小太郎は物音をたてずに布団から抜け出すと、襖に耳をあて、赤猿たちの会話を盗み聞きしようと試みた。ところがその襖からだと距離があるらしく、忍びで鍛えた聴力をして聞き取ることはできなかった。
 「こりゃ天井に上がらんと聞こえんぞ」
 「そのうちナニ≠ェはじまるな……」
 すでに鼻の下を長くした小太郎と末蔵は、「のぞき見に行くか?」と思い合わせたように、自分たちの部屋からこっそり天井裏へ忍び込んだ。天井裏に身を隠すのは遁術とんじゅつのいろは≠ナ、そんなことなら末蔵にもできた―――。
 果たして赤猿と菖蒲あやめは、ちょうどいま小太郎たちの真下にいる。
 ところが会話の中身といえば期待していたものとは程遠く、世の中の情勢に関わる複雑な話をしているようで、二人が夫婦めおとでないことは、赤猿が菖蒲に対して平伏していることからもすぐに判った。小太郎と末蔵は首を傾げた。
 「拙者せっしゃ伏見ふしみまでしかお伴できません。その後、駿府すんぷに参らねばなりませんから。いやいやご心配は無用、拙者の手下どもが菖蒲様をお守りしてそのまま大坂まで届けてくれます」
 「承知いたしました。飛猿とびざるは駿府ですか。何用で?」
 飛猿とびざる≠ニ聞いて、小太郎の脳裏にはひとりの甲賀者の名が浮かんだ。
 甲賀こうがの飛猿―――。
 その名は忍びの者ならおそらく知らぬ者はないだろう。
 『身軽なことムササビの如く、刀を握れば九郎くろう義経よしつねの如し。がまがえるを家来に従え、毒蛇を自在にあやつる。走ればひと夜で百里の道をゆき、水土すいどとんずること七日間。雲霧うんむに潜んで瓢箪ひょうたんの如く現われ、雷雨らいうを起こして風の如く消滅する―――』
 この例えは買いかぶりの比喩ひゆに違いなかろうが、その忍術の巧みさは日本一とのうわさである。小太郎はいくら忍びでもそんな馬鹿なことができるものかといつも鼻で笑っていたが、当の飛猿は今、信州は真田家に仕えていると聞く。
 「あの赤猿め、甲賀飛猿に相違あるまい―――」
 いわゆる甲賀は伊賀の北側に位置する隣国である。伊賀と並んで全国に知れ渡った忍びの産出国であるが、伊賀の乱のような悲劇がなかった分、当時人材も多く活躍の場も広かった。その昔は互いに知り得た情報を交換しあい、両国繁栄のための協力体制もしっかりしていたが、こと織田信長の勢力が台頭するようになってからというもの、手柄の奪い合いやうその情報を流すような勢力争いが頻繁ひんぱんに起こり、そのうち互いの存在を警戒するようになっていた。
 甲賀も伊賀同様、国主というものを持たないそう≠ニ呼ばれる政治的組織を形成しており、信長台頭以前、その勢力は南近江みなみおうみの大名六角ろっかく義治の傘下さんかにあった。ところが永禄十一年(一五六八)、六角氏が信長に滅ぼされると、甲賀の立場は微妙なものとなる。信長にとっては敵対関係であり、伊賀同様の怪しい組織形態はけっして見過ごすことはできなかったはずである。いわば甲賀においても伊賀の乱同様の事件が起こってもおかしくはなかった。
 しかし地形がそこに住む人々に与える影響というのもけっして無視できない。甲賀の人々は国境から二里も行けば、さして地形的な障害もなく、日本一の広さを誇る琵琶湖びわこに達した。豊富な水と湖で獲れる食の恵みを受けられるその影響からか、四方を山で囲まれる土地の人間より人柄もおおらかで人当たりも良かった。要するに外交能力に優れていた。加えて甲賀出身の滝川一益かずますという武将は信長の重臣に取りたてられており、それゆえか伊賀の乱では甲賀は織田家に従属して派兵までした。以来両者の犬猿の仲はますます深刻なものとなり、信長もついには甲賀を攻めることはなかった。
 組織が大きい分、甲賀忍者は集団諜報術ちょうほうじゅつを得意とした。また甲賀には伊賀のように上忍、中忍、下忍というような身分はなく、地侍じざむらいの五十三家と、特に六角氏傘下以来の二十一家が中心となってその組織全体を束ねていた。家つまり領主とその土地に住む住民との関係はあっても身分はない、諜報活動においてはいわば甲賀飛猿こうがのとびざるのような技能有能者こそ、その親玉的な存在になり得たのである。飛猿の出現は小太郎の闘争心に、にわかに燃え上がる炎を点した。
 真下の会話は続いている―――。
 「大きな声では言えませんが、昌幸様の書状を家康に届けねばなりません」
 「昌幸様の?では、いよいよ……」
 菖蒲の声はどこまでも透明で、その中に腹の座った気丈な覇気はきが隠されている。「ただの女ではないな」と小太郎にはすぐに分かった。
 「左様。三月あたりには昌幸様は家康と会うことになるでしょうな。それにしても武田家が滅んでからの昌幸様のご心痛といったら見てはおれんでござる。いくら小さな大名とはいえ、徳川、北条、上杉の三者ににらまれ、おまけに大坂からは幸村ゆきむら様を人質に出せと言ってくる。昨年は昨年で家康の奴め、またりずに上田に攻め入ろうとするし―――。今は表面上、家康の配下にはなっているが、しかしそれは昌幸様の本心ではござらん。家康は煮ても焼いても喰えんぞ。いつ秀吉に反旗をひるがえすか知ったものではない。小国の定めとはいえほんとに辛いお立場でござる。だから今の真田家は近隣に愛想を振りまき、どっち付かずの均衡きんこうを保つことが肝要でござる。それゆえ菖蒲様の任務も相当重要ですぞ」
 「分っております」
 「まあ幸村様が大坂におりますので、首尾よく取り計らってくれましょう。菖蒲様は秀吉の近くに身を置き、その動きを逐次ちくじご報告くだされば良い。ご苦労をかけますがご容赦ください」
 「わたくしの定めでございます」
 「くの一か!」と、小太郎は思わず声をあげそうになった。菖蒲あやめは続けた。
 「ところで隣部屋の男連れですが、わたくしの顔を覗きに来たようでしたが……」
 小太郎は「しまった!勘付かれたか?」と末蔵の方へ目を移せば、末蔵は寒さのために体をがたがたと震わせている。天井裏に忍び込むまでは良かったが、どのような環境下であれ、長時間同じ場所に潜むという術を、この男はまだ会得していないのだ。
 「なに?隣の?菖蒲様のお顔を……?」
 「はい。少し気になったもので……」
 「なあに心配には及びませんでしょう。拙者も風呂で会いましたが、一人は陶芸の熱狂者で、もう一人の方は非常に勘繰かんぐり深い剣士のようでしたが、どちらもまだ毛が生えたばかりの青二才、おおかた物見遊山ものみゆさんの道中でありましょう」
 とその時、末蔵がくしゃみをしそうになった。小太郎は慌てて口をおさえたが、そのかすかな音は下の会話をぴたりと止めた。「しまった!」と思うと同時に小太郎は盛んに猫真似ねこまねをする。末蔵に猫の声色こわいろをせよというのである。末蔵はすかさず猫の鳴き真似をした。が、会話は再開されることはなかった。続いて小太郎は口元でねずみの声色をせよと伝えた。猫と鼠の争いを演じろというのだ。末蔵はすぐに了解した。それはまさに天井裏で繰り広げられる猫と鼠の死闘の争いだった。やがて猫は鼠を追いかけてどこかに行ってしまうというシナリオだが、ここが演芸場ならば拍手喝采を浴びる迫真はくしんの演技である。
 これならだませたと安心した時、薄い天井板をつらぬいて、小太郎の眼前に刀のやいばが突き刺さった。その一突きでバランスを崩した小太郎と末蔵は、そのまま天井板を破り砕いて真っ逆さまに飛猿の前に落ちた。
 「何者だ!」
 驚いたのは飛猿と菖蒲である。飛猿はすかさず戦闘の構えを取ると「貴様らか!」と叫んで、「どこの忍びだ!家康か!北条か!」と付け加えた。そのすさまじい殺気に「斬られる!」と思った小太郎は、
 「ここはわしに任せろ!末蔵は逃げろ!」
 と、力任せに末蔵を押し出し、障子しょうじを破って外に逃がした。末蔵は闇に紛れて命からがら逃げて行ったが、気付けば菖蒲までが小刀を片手に構えていた。
 「話を聞かれたからには生かして返すわけにはいくまい。残念だがお命あきらめろ」
 飛猿の剣幕はただならなかった。おそらく天井裏に忍ぶ気配に気付くのが遅かったことに自尊心を痛めたのだろう。と小太郎は思った。
 「聞かれてはまずい話だったのか?ふん、たいした内容ではなかったぞ!」
 から元気の小太郎は腰の太刀たちに手をかけた。が、右手は空をつかんで愕然がくぜんとした。まさかこのような展開になるとは思わず、部屋に太刀を置いたままなのにそのとき気付いた。小太郎の額や脇下からどっと冷や汗がにじみ出た。
 「貴様、伊賀者だな?」
 飛猿は早くも小太郎の正体を見破った。戦闘に入る直前の体位には、剣術においては各流派、忍術においても各派それぞれに特徴があるものである。あくまで闇の中にて任務遂行にあたる忍びの者にとって、相手に自分が何者か知られることは、本来あってはならないことである。それは少なからず戦意をくじく。しかしここでおくしてはならない。
 「そうよ!よく分ったな!甲賀こうがの飛猿!」
 と、その上をゆくはずの科白せりふを小太郎は吐いた。
 「ほほう、さっきの会話で拙者の名を知ったか」
 「一度立ちうてみたいと思っていたぞ!」
 相手の挑発を誘って油断を引き出す戦法だったが、さすがにそんな甘い手に乗る相手でない。
 「なにを抜かすか青二才め!貴様なんぞは片腕だけで十分でござる」
 と、すかさず飛猿は予告通りに片腕だけで、山猿のような素早さで小太郎めがけて真一文字まいちもんじに斬りつけた。大抵の人間ならこの時点ですべて終わるところだが、小太郎はひょいとやいばの軌跡より一尺ほど高く舞い上がったかと思うと、着地しざまにふところに隠し持っていた幾つかの小くない≠飛猿めがけて放った。さすがの飛猿も「まさか!」と思ったのであろう、忍び刀を両手で握り直し、闇に光った火花とともに、それらをかろうじてはじき飛ばした。
 「ほう―――、なかなかやるではないか。名を申せ」
 今度は飛猿の方が感心したふうな言葉をかけて油断を仕掛けた。しかし小太郎もその手には乗らない。
 「阿呆あほう!剣術使いではあるまいし、自分からなんなにがしでござい≠ネどと名乗る間抜けな忍びもおるまい」
 「そりゃそうだ」と言いながら万全を期したのであろう、飛猿は小太郎からけっして目を離さずに、菖蒲あやめに逃げるよう合図した。頷いた菖蒲は、そのまま廊下へと姿を消した。
 「お前の嫁さんもとんだ喰わせ者じゃ。くの一とはのう」
 さっきから強がってみせてはいるが、刀なしでは小太郎に勝ち目がないことは彼自身よく知っていた。先ほどから逃げるタイミングを見つけてはいるが、この飛猿、なかなかすきを与えてくれないどころか、睨めば睨むほど威圧感が大きくなるばかり。一方、飛猿には余裕があり、いつでも斬りかかれば容易に小太郎を仕留めたに違いなかった。
 ところがふとした拍子に、飛猿には妙な興味が湧いていた。それは小太郎の戦闘態勢の構えを見たときで、目の前の伊賀者の名を急に確かめたくなったのである。というのは彼の過去と深く関わりのある、彼にとってはちょっとしたけ事遊びに似ていた。そんなことにきょうじてみようと思ったのも、飛猿には小太郎をいつでも斬れる自信があるからだった。
 「実は拙者、伊賀者には多少の恨みがござってなあ」
 「そんなことは俺には関係ない!勝手に恨んでおればよい!」
 「それがそうはいかんのじゃ。毎年冬になると思い出す。お前さんも風呂で見ただろう、拙者の胸の刀傷。冬になるとこいつがしくしくと痛むのよ」
 「良い医者を紹介してやってもいいぞ!」
 「まあ人の話を聞け。この傷、追っ手に斬られたのではない。この傷を作ったのは、一人の伊賀者よ!」
 普通だったら日本一との噂の忍者を斬った同郷の忍び、「誰じゃ?」と困惑を招くところだが、小太郎に流れる忍びの血は、咄嗟とっさに次の算段を導き出していた。
 「伊賀の術は貴様ら甲賀の術の及ぶところではない!当然じゃ!」
 と言いつつも、まだ幼い頃、父が右手首に深手を負って帰ってきた時のことを思い出した。そのとき確かに父は言っていた。
 「わしが右利きだったら確実にやられていた。恐ろしい奴よ、甲賀飛猿―――」
 と。途端、「もしや猿を斬ったのは我が父甲山太郎次郎?」というひらめきが頭をよぎったその隙を、飛猿は確実に読み切っただろうが、彼は攻撃を仕掛けてこなかった。今の彼にとっては、小太郎を斬ることより、小太郎の名を言い当てることの方に興味があったのだ。
 「お主のその護身ごしんの八方構え、いったい誰に習った?」
 と、含み笑いで飛猿が叫んだ。
 「知らん!」
 「ほう、知らんでござるか。ならば拙者が教えてやろう。この傷を付けた奴も今のお主と同じ構えをしておった。その名は、甲山太郎次郎―――」
 寸分程の精神の乱れを生じる言葉を、小太郎は聞くまいとして更に警戒心を強めた。飛猿は続けた。
 「ついでに冥土めいど土産みやげにお主の名前も教えてやるよ。甲山太郎次郎の小倅こせがれ、甲山小太郎!どうだ、違うか?」
 飛猿は左のほおに不敵なしたり笑みを浮かべた。小太郎はそれに乗じてわずかにうろたえの仕草をつくった。
 「図星だな……」
 と言った瞬間、飛猿は先ほどの自分にかせた賭けに勝った満足感と優越感で、ほんの一瞬のすきを見せた。それこそ咄嗟に浮かんだ小太郎の作戦のチャンスの時だった。うろたえの仕草は意図的であり、飛猿に隙を作らせるための手段だったのである。
 まさにその一瞬の隙をねらって、小太郎は口中いっぱいに含んでいた胃液と唾液だえきの混合液を、霧状にしてぷうっ!≠ニ飛猿の顔めがけて吹きかけた。これは父に習った遁術だ。胃袋の周りの筋肉を使い胃袋を絞って中の胃液を口に運び、同時に梅干しなどのい食物を思い出して唾液を溜めるが、それも鍛錬によって大量ににじみ出させることができるのだ。そうして口の中いっぱいに溜めたその液体を、鼻から吸い込んだ空気で一瞬間のうちに噴出するのである。辺りは白いもやに包まれた。まさかのきりの発生にさすがの飛猿もひるんだ。と思った次の瞬間、小太郎は懐から二寸ほどの煙玉けむりだまを投げつけた。そして、またたく間に濛々もうもうと立ちおこる煙の中にすでに小太郎はいなかった。
 ふいを付かれた飛猿は既に時遅し―――。煙玉に含有されていた唐辛子とうがらしやら山椒さんしょうやら胡椒こしょうなどの成分でくしゃみは出るし目は沁みる。おまけに芥子けしなども含まれていたから、意識が朦朧もうろうとしてくる。そこで深追いをしてしまったら、小太郎が去る時に撒き散らしたはずの撒菱まきびし餌食えじきとなるところである。案の定小太郎はその遁術の常套じょうとう手段を忘れていない。飛猿ははやる心を自重した。
 やがて煙はおさまり、飛猿は小太郎が撒いた撒菱の一つを拾い上げ、悔し紛れに思い切り地面に投げつけた。
 「くそっ!」
 と叫んだ声は、贄川にえかわの宿に休む何人もの目を覚まさせるほどだった。飛猿は赤い顔を更に赤くさせ、じだんだ踏んだ。
 
> 第1章 > 豊臣の世
豊臣の世
 さてこのあたりで時代背景を述べておかねばなるまい。
 ―――天正十年(一五八二)六月、明智光秀の謀反により、本能寺で織田信長が死んだことはすでに多くの読者も知るところであろう。
 そのとき豊臣秀吉は―――もっとも当時は羽柴秀吉といったが、信長の家臣として備中高松城を攻めており、毛利輝元の家臣で城主の清水宗治むねはるとの戦いの真っ最中だった。信長急死の知らせを受けた秀吉は、後に中国大返しと呼ばれる大転換でただちに軍を京都に取って返し、山崎の戦いでまたたくまに明智光秀を討ち取った。そして京都における支配権を奪取した彼は、そこから天下統一への道を拓いていくことになる。
 秀吉の出生を探れば農民の子であるとか足軽の子であるとか、あるいは大工とか鍛冶かじ職人とか行商人の子であるとか諸説あるが、いずれにせよ貧しい下層階級の出であったことに違いはないようで、中には公卿くげの血を引いているといったものまであるが、これは後に関白になって以降の身分を汚さないための贋作がんさくだろうと考えられる。
 人の人格は、その幼少期に形成されるものであるとすれば、後に巨大な権力を手に入れ、現在では侵略といわれる朝鮮に対する蛮行ばんこうを行った秀吉にしても、その衣をはぎとっていけば、最後に残るものは貧しい幼少時代の経験が基になっているに違いない。その人間味臭い人柄は、正妻ねねや身内に宛てた手紙の内容からも推察することができるが、いわば秀吉とは、巨万の富と巨大な権力を運よくつかむことのできた、一介の田舎育ちの庶民であった。
 信長が死に、尾張の清洲きよす城で行われた後継者と遺領いりょう分割の割り振りを決める清洲会議では、織田家筆頭家老ひっとうかろう柴田勝家の意見を跳ね返し、秀吉は信長の嫡孫ちゃくそんであり織田信忠の長男であった三法師さんぽうし(後の織田秀信)を信長の後継者にと推し進めた。ところがこのとき三法師は若干三歳。勝家は大きな難色を示すが、秀吉には光秀征伐の戦功もあり、また山崎の戦いで秀吉とともに戦った池田恒興つねおき丹羽たんば長秀らの後押しもあり、結局、幼少の三法師の後見人こうけんにんとして、勝家が推していた信長の三男信孝を推する妥協案だきょうあんで丸め込まれてしまったのだった。
 また遺領分割においても、柴田勝家が秀吉の領地だった近江長浜の十二万石が与えられたのに対し、秀吉は明智光秀の旧領であった丹波や山城やましろ、更には河内かわちを与えられて二十八万石の増となったのである。織田家筆頭家老の勝家にとっては当然面白くないだろう。賤民せんみん出の草履ぞうり持ちが、自分の意見をくつがえし、更には自分より大きな大名になったのだから―――。そこから旧信長勢力を二分する両者の対立が始まるのである。
 その頃までの秀吉の成長を見てみると、彼は単に運の良さだけで成り上がってきたわけでないことが分る。草履取りで信長ほどの人物の歓心を獲得した人心をつかたくみな言動といい、一夜城いちやじょうや高松城の水攻めやなどの既知きちにとんだ発想力といい、その率先力で得た戦場での数々の功績、中国大返しに見られる時を逃さない敏捷びんしょうさ、そして三木みき殺しや鳥取城の飢え殺しなどの残忍さを見せながらも、その頭の良さと的確な行動は、下層階級育ちの生きるための知恵が媒体ばいたいとなってつちかわれた能力だったろう。
 秀吉と柴田勝家の対立は、やがて後に言う賤ヶ岳しずがたけの戦い≠ノ発展していく。その発端は秀吉が山崎に宝寺城ほうじじょうを築城したことにはじまる。
 山崎と丹波で検地を実施しながら、私的に織田家諸大名と友好を結んでいく秀吉の動きに不信感を募らせた勝家は、滝川一益いちますや織田信孝と同盟して秀吉に対する弾劾状だんがいじょうを諸大名にばらまいた。それに対して秀吉は、信長に違背いはいないことを示すため、信長の四男にあたる養子の羽柴秀勝を喪主もしゅに立て、盛大な信長の葬儀を行なうのである。そして天正十年(一五八二)十二月、織田信孝が三法師を安土あづちに戻さないことを理由に五万の兵を挙げ、宝寺城から佐和山城へ、そして柴田勝家の養子にあたる柴田勝豊かつとよが守っていた長浜城を手中に収め、さらに兵力を増強しながら美濃に侵攻して加治田城かじたじょうを落とした。やがて岐阜城に孤立した信孝は、三法師の引き渡しと生母および娘を人質に出すことで和議を結ぶ。
 翌年三月、ついに勝家は前田利家としいえの息子利長を先陣として、自らも三万の大軍を率いて近江おうみで秀吉に対峙たいじした。当初、秀吉に降伏していた柴田勝豊の家臣の寝返りや織田信孝の再挙兵に加え、大岩山砦おおいわやまとりで岩崎山砦いわさきやまとりででは重臣佐久間盛政さくまもりまさの奇襲の成功で勝家優勢に見えた。ところがそのとき美濃にいた秀吉は、戦場まで五二キロの距離をたった五時間で移動して、戦況は一気に逆転する。これが世にいう美濃大返しであるが、その勢いに押されて前田利家は戦わずに居城の府中城に単身逃げ戻り、勝家も越前に撤退することになる。
 打倒柴田勝家の秀吉はそのまま北上を続け、途中、前田利家の府中城に立ち寄ることになるが、当然利家とて籠城ろうじょう戦あるいは攻め殺されることを覚悟していただろう。が、そのときとった秀吉の行動が意外である。奇行きこうと言ってもいいだろう。単身で城に乗り込んで来たかと思えば、
 「おみゃあが頼りなんじゃ!」
 と、秀吉の科白せりふがこうだった。この一言で利家は秀吉に寝返ることになるが、前田利家は、その後平定された加賀と能登を与えられ、これが加賀百万石のいしずえとなると同時に、豊臣の五大老に数えられる豊臣政権の中枢ちゅうすう大名になっていく。
 一方、柴田勝家は北ノ庄城きたのしょうじょうに追い詰められた。そして、落ち行く城の天守閣九段目に登った彼は、
 「わしの腹を切り割く様を見て後学のために役立てよ!」
 と叫び、正妻のお市と侍女たちを一突きにした後、自らの腹を十文字に割いて自害して果てたという。
 そして織田信孝を自害に追い込み、やがて滝川一益も降伏した。ここまでが所謂いわゆる賤ヶ岳の戦い≠ナある。
 こうしてかつての織田家の実力者たちをほうむった秀吉は、信長家臣第一の地位を確立し、表向きは三法師を持ち上げつつも、実質的には織田家中を牛耳ぎゅうじることになる。
 この頃の秀吉には勢いがある。勢いに乗りつつもタイミングをけっして見逃さないしたたかさと、相手の気持ちを察し先手を打つ名人、人たらし≠ニも呼ばれた彼天性の才本領発揮ほんりょうはっきの感がある。天下統一もこの頃になると現実のものとして捕えていたに違いない。
 ところが天下を狙う秀吉にとって、目の上のこぶだったのが東国一の大名徳川家康である。
 天正十二年(一五八四)三月、かつての織田家臣たちをことごとく配下に置いてしまった秀吉に対し、信長の次男である織田信雄が宣戦布告をする。このとき彼に加担したのが家康だった。それに伴って四国の長宗我部元親ちょうそかべもとちかや紀伊雑賀衆ざっかしゅうなども決起した。
 対して秀吉は、関盛信せきもりのぶ(万鉄)や九鬼嘉隆くきよしたか、織田信包のぶかねといった伊勢の諸将を味方にし、さらに美濃の池田恒興を味方につけて、恒興つねおきは尾張犬山城を攻略し、また、伊勢においては峰城を落とした。世に言う小牧・長久手ながくての戦い≠フ緒戦は秀吉優勢に見えた。
 一方、家康と信雄の三万の連合軍は、羽黒の戦いで森長可もりながよしを破り小牧に陣を敷き、大坂から犬山城に入った秀吉軍十万の兵と、そこ小牧で睨み合いの膠着こうちゃく状態を続ける。
  そんな中、先の敗戦で雪辱に燃える森長可や池田恒興が、秀吉の甥にあたる三好秀次(豊臣秀次)を総大将にして三河奇襲作戦を開始した。ところが家康の張った監視兵の網にかかり、徳川軍の追尾を受けてあえなく二人は戦死する。この長久手の戦いによって家康の強さが証明されたわけだが、数の上では圧倒的な兵力であったにも関わらず、相次ぐ戦況悪化で秀吉は自らが攻略に乗り出すことを余儀なくされたのである。
 しかし信雄も家康も、秀吉の財力と兵力には圧倒されていたことは事実で、その後も秀吉は美濃における諸城を次々と攻略していく。そして信雄の自領も次々と落とされ、ついに十一月、信雄は伊賀と南伊勢、そして北伊勢の一部の割譲かつじょうなどを条件に、家康に無断で秀吉と単独講和に踏み切るのだった。
 この時点で家康も、秀吉と戦う大義名分を失い、しかも単独では事実上秀吉と対等に戦うことなどできなくなった。家康は講和の代償に次男於義丸おぎまるを秀吉の養子に差し出した。養子とは聞こえはいいが、つまり人質である。ところが秀吉にとって家康は、けっして敵にはまわしたくない存在だった。それどころか、なんとしても従わせたい存在だった。
 そして家康獲得のために考えた苦肉くにくの策が、妹の朝日姫を家康の正室として送り、さらには母のなか(大政所)をも人質として家康のもとに送ることだった。そしてそれと引き換えに、配下として上洛じょうらくするよう家康に促すのである。
 このあたりの秀吉の判断をどう見るべきだろう?
 政略のためとはいえ、庶民感覚の彼が、産みの母親と幼少期に苦楽を共にした実の妹を人質に出すとはどうしたことだろうか?
 秀吉は、家康ほどの器量ならば、むやみに自分の身内を粗末に扱うことはないだろうと考えたに違いないし、配下に従わせるためには、自分の一番大事なものを差し出せば、家康の慈悲じひの心にも訴えかけることができるだろうとも考えたろうが、それは一世一代の大きなけには違いない。身内を賭けの道具に使うとは、言い換えればこの時点で秀吉は、庶民の象徴的美徳である家族愛と、権力の象徴的悪徳である社会支配力とを交換したことになる。ここに筆者は覇権はけんの欲望にとらわれた人間の恐ろしさを見るのである。
 案の定、家康は秀吉への臣従を誓う―――。
 時の流れに乗ったとでもいうか、天を味方に付けたとでもいうか、その後の秀吉は一種のカリスマ性をはらんで突き進む。
 その後、紀伊を平定し、次は瀬戸内海を渡って四国へ総勢十万ともいわれる大軍を送り込む。それに対して四国の長宗我部元親は果敢に応戦するが、圧倒的な兵力の差で降伏を余儀なくされた。しかし元親は土佐を安堵あんどされることで許されるが、これこそ秀吉の真骨頂しんこっちょうなのだ。
 その後はほとんど戦うことなくして越中を治め、その勢いは飛ぶ鳥が如くである。
 その間、石山本願寺の跡地に、当時最大の要塞ようさいと言われた大坂城を築き、その絢爛豪華けんらんごうかな姿は「三国無双の城」とも称えられ、難攻不落の城とも言われた。
 そして一介の貧しい庶民から、日本最大の武将に成り上がった秀吉は、天正十二年十一月には従三位権大納言ごんだいなごんに、翌年三月には正二位内大臣ないだいじん叙位じょいされ、驚くことに朝廷の仲間入りを果たすのである。更に同年七月には関白にまで上り詰め、天正十四年十二月、つまりこの小説の書き出しにあたる少し前、彼は太政大臣に就任して豊臣姓をたまわった。このとき遂に、名実ともに日本という島国に豊臣政権が確立したわけである。
 ―――さて、時代背景はここまでにして、物語の本筋を戻そう。

 飛猿の手から辛くも逃れた小太郎は、そこから一番近い一里塚に向かった。兼ねてからの末蔵との申し合わせで、もしはぐれたら一里塚のたもとふみを埋めて居場所を知らせるという手筈てはずだった。
 果たして着いたところが文を掘り返すまでもなく、そこには黒い末蔵の影が立っていた。
 「おお!小太郎!無事だったか!」
 末蔵は小太郎を強く抱きかかえ、目にはたくさんの涙を浮かべているようだった。
 「恐ろしい奴じゃったのう。生きて帰れて何よりじゃ」
 甲賀飛猿の出現は、末蔵にとっても脅威だった。いくら小太郎が伊賀流忍術の達人だったとはいえ、実戦経験の少ない彼に飛猿を負かすことなど百に一つもないと半分諦めていたのだ。
 「それよりこれからどうする?大事な刀を宿に置いたままじゃ」
 小太郎は口惜しそうに言った。
 「明ければ奴らは発つじゃろう。暫く待って昼ごろまた宿に戻ってみよう。宿賃も払ってないしな」
 そのあたり、末蔵は律儀りちぎだった。このまま宿代を無心して、どこかにとんずらしてしまおうかとも考えていた小太郎は苦笑いを返したが、そこが末蔵を憎めないところであり、好きなところではあった。
 時刻は丑三うしみつ時だろうか。大気はますます冷え、宿に帰るわけにもいかず、その夜は近くにあった観音寺という寺の境内で休むことにした。野宿というものにはすっかり慣れっこで、屋根があれば上等なのだ。文無しの彼らが贄川の宿場に泊まろうとすることができたのは、先の農民一揆に加担する前金を、ほんの少しばかりせしめていたからである。今晩こそは温かい布団にくるまって眠れるところだったが、にわかに起こした助平根性すけべこんじょうのために、とんだ大損をした気分である。幸い境内の一か所にわらが積んであるのを見つけた。藁は布団がわりになる。
 いつもならどんな寒空の下でもすぐに寝付いてしまうところが、今晩に限ってなかなか寝付くことができなかったのは、飛猿のことが頭を駆け巡り、いらぬことを次々考えずにいられなかったからである。それは二人とも同じであった。しかしそれが二人の人生の進む道において、あきらかな方向付けを決定していくとは思いもしない。
 両手を枕に、眼を開いたままの小太郎は、ついさっきまで目の前にいた飛猿の体から放出される威圧感のことを考えていた。それは今まで経験したことのない恐怖とも呼べるもので、「父太郎次郎は、奴を相手にどのように戦ったのだろうか?」と、小太郎の興味はそれである。仮にあのとき太刀を持っていたとして、自分はどのようにしてあの危機を乗り越えたろうか?考えれば考えるほどおぞましい結果が見えて体を震わせた。
 一方、末蔵の方も飛猿のことを考えていたが、小太郎がすっかり無事で帰って来たことに安心したためか、その内容は温泉で言われた彼の「将来も見えておる」そして「大志を抱け」という言葉の意味だった。あのとき返す言葉も見つからず、感情に任せて怒ったまま我を忘れる自分がいた。怒ることなど滅多にない自分の憤りに彼自身が驚いたほどで、その原因の正体をつきつめているうちに、伊賀の乱が起こる前まで、のどかな里のかまで陶器を焼きながら、いつか上層階級の人間たちが自分の作品を競って買い求めて来るような茶器を作ってやろうと、そのことばかりを考えていた平和な夢を思い起こした。そして目的もなく放浪するような今の自分に疑問を抱きはじめ、それが不安となって大きく成長していくのを感じた。
 「今のままではいけない―――」
 そう思うのは小太郎も同じだが、末蔵の方が二つほど年上な分、加えて今は乱世、その気になれば小太郎の働き口などいくらでもあるはずで、末蔵にとってはいっそう深刻だった。そんな事を考えているうち、いつのまにか朝が来た。
 寺の住職が起き出し、少し騒がしくなったのを合図に二人は上半身を起こし、そのまま寺を後にした。そして木曽川を探し、水で顔を洗った。刺すような冷たさは、寝ぼけ眼をいっぺんに目覚めさせ、着物の袖でふき取った二人は、そのまま近くの大きな石の上に腰を下ろす。空を見上げると、雪でも降り出しそうなどんよりとした雲があった。
 「小太郎、このまま上田に行くのか?」
 末蔵がぽつんとつぶやいた。
 「いいや、まだ決めとらん。あの赤猿と同じ主君というのは気に入らん」
 すると、小太郎の言葉がまるで耳に入っていない様子の末蔵は、突然思い出したように大声を張り上げた。
 「実は昨晩、ずっと考えていたんだ。俺は京に行こうと思う!」
 「京に?なにしに?」
 「京に行って本阿弥光悦ほんあみこうえつに会う!」
 小太郎は馬鹿げた話を聞いたといったふうに笑った。
 「なんじゃあ?風呂で言ってた赤猿の口車に乗せられたか?」
 「いや違う!じゃが奴の言っていたことには一理ある。俺は目的もなくこのまま旅をしていていいのかとずっと考えていた。そしてあいつに言われて思い出したのだ。俺が本当にやりたいことを。俺は陶芸の道を究めたい!陶芸がやりたいんじゃ!本阿弥光悦なら今おのれが何をすべきか、なにか糸口を教えてくれるかもしれん!」
 小太郎は己の為すべき道を見つけた末蔵を祝福してあげたかった。反面、いまだ宙ぶらりんの自分の行く末を思わずにはいられない。
 「そうか……」
 「小太郎、お前はどうする……?」
 小太郎は言葉を詰まらせた。
 「どうすると言われてものう……」
 「俺と一緒にゆかぬか?どうせ確たる目的などないだろう?京へゆけば人も大勢おるし、きっと何か見つけることができるかもしれんぞ!」
 「京ねえ……」
 と言いながら、昨晩の赤猿と菖蒲あやめの会話を思い出していた。末蔵に付き合って京に出たところで、彼には陶芸をやる気などさらさらない。しかし大坂になら、秀吉の下に集まる武将を相手に、自分の技を売り込むこともできると考えた。何より今世間で噂の、大坂城というのをいっぺん見てみたいとも思った。
 「そういえば、昨日の菖蒲とかいう女、秀吉のところへ行くと言っておったな。ひとつわしも、大坂にでも行ってみようかな?」
 「女か……。まあこの際、女のケツを追い回すのもよかろう。そうじゃ、そうしろ!犬も歩けば棒に当たると言うではないか。真田のような田舎大名に仕えるより、豊臣の方が将来なにかにつけて有望じゃ!秀吉の近くにいれば、きっと仕事にもありつけるぞ。国を動かすような何かができるかもしれんな!」
 小太郎は末蔵の能天気な解釈に「ふん……」と苦笑いを作ったが、かくして末蔵と小太郎の二人は、一路上方かみがたへと向かうことになった。
 
> 第1章 > 聚楽城じゅらくじょう
聚楽城じゅらくじょう
 二人は中山道を西に、美濃、近江を経、京都は山城国三条大橋に着いたのが、贄川にえかわを出て五日目の朝だった。江戸時代の記録によると、江戸日本橋から京都の三条大橋まで、男の足でおよそ十四日から十五日、女連れなら十八日から二十日程度かかったそうである。贄川宿は中山道のほぼ中間点に位置するから、小太郎たちの歩みは一般の旅よりかなり速かった。小太郎だけならばもっと早く到着しただろうが、末蔵すえぞうと一緒ではそうもいかない。しかし末蔵も末蔵なりに早足で、京での夢に期待をふくらませ、疲れなどほとんど見せなかった。おそらく途中のどこかで菖蒲あやめたちも追い抜いたはずなのだが、女連れのそれらしき姿を見かけることはなかった。
 三条の鴨川かもがわの河原で連れ小便をしながら、「これからお主はどうする?」と小太郎が、すでにひとみをらんらんと輝かせている末蔵に聞いた。
 「とりあえず本阿弥光悦ほんあみこうえつがどこにおるのか探してみるさ」
 と、生きる目的を見出した末蔵は水を得た魚のように、その言葉はとても楽しそうである。
 「お前は?俺に付き合うか?」
 「いいや。ちと、わしゃ休む。しばらくは吉兆きっちょう≠ノ逗留とうりゅうするつもりじゃ。もし身の振り方が決まったら連絡してくれ」
 「わかった!」と、末蔵はまるで好いた女でも待たせているかのように立ち去った。
 吉兆≠ニは吉兆屋きっちょうや≠ニいう店の名称で、三条通りにある煮売にうり屋のことである。煮売り屋とは現在の居酒屋のような役割を担った店で、昼は蕎麦そばやうどんや団子だんごやお茶、夜になれば煮魚や煮物や吸い物や、あとは酒などを出して、町民や旅人たちの腹を満たしていた―――とは表向きで、実は伊賀者たちの情報交換の拠点である。玄関の脇に据えられた赤い番傘ばんがさと長椅子、こんに白字の吉兆屋≠フ文字がある大きな暖簾のれんをくぐれば土間が広がり、一尺ほどの段差がある座敷は八畳ほどで、障子の衝立ついたてでいくつかに仕切られていた。そして同じ土間には調理台と釜台かまだいがあり、壁際の棚にはいくつもの皿やどんぶりや椀や酒など、下にはひつが整然と並べられて、天井からは魚や鳥などもるされている。そこは要するに客をもてなす空間で、奥には店主や料理人やまかない達の休憩所と居間があった。一見なんの変哲もない平屋造りの店舗であるが、居間にある床の間の掛け軸の裏を覗けば、そこに一本のなわが釣り下がっていた。引けば天井から隠し階段が下りてくる仕組みで、つまり店舗の屋根裏は、伊賀者たちの情報交換や密談の隠れ家だったのである。
 三条大橋といえば東海道や中山道の始点、終着点でもあり、加えて古来、酒のある店には様々な情報が集まってくるものだ。伊賀の乱以前には月に二、三度、各地に散っている伊賀者たちが密かに集まり、忍びの隠語いんごいち≠ニ呼ばれる定期的な集会を開いていたが、近年はとんとそのうわさも聞かない。小太郎も幾度か父に連れられては、そこで美味うまいめしを食わせてもらったが、その間父は二階の部屋でその会議に出席していたのだろう。
 今は誰が店主を務めているのか、だが、伊賀者であればおそらく、無条件で快く受け入れてくれるはずだった。小太郎は六、七年振りかにその吉兆屋の暖簾をくぐった。
 「主人はおるか?拙者せっしゃ甲斐かいの国より参った浪人でござる。ちと道をお尋ね申す」
 諸国の浪人がいきなり店に入り、道を尋ねるのにわざわざ店主の所在を確かめるとは不審であるが、伊賀者同士にとってこれは暗文あんぶんなのである。甲斐を反対から読むとイカ≠ニなる。つまり伊賀の浪人が参ったぞという意味なのだ。朝も早く、まだ客などいない店内で、暇そうに掃除をしていた賄いの女が「へえ」と言って、奥の部屋に向かって「旦那様だんなさま、お客様どすえ!」と言った。おそらくその女も伊賀者だろう。
 間もなく店に顔を出したのは、小太郎も顔見知りの男である。思わず、
 「なんじゃ!さいじゃねえか!」
 と小太郎が叫んだその男の名を、服部才之進はっとりさいのしんといった。彼らは伊賀にいる頃から忍びの技を競い合ったいわばライバル同士で、本名を呼ぶのもなんだがしゃくに触って、小太郎は彼のことを才の字≠ニ呼んでいた。才之進も少なからず驚いた様子で、
 「小太郎、生きておったか」
 と、無表情の上、無感情な抑揚よくようでそう言った。
 「お前、吉兆の店主をやっておったか!」
 「柘植つげ殿は今はおらん」
 柘植とは店主の名であろう。才之進は続けて、
 「店先でそんな大声を出されたのではかなわん。来い」
 と、小太郎の手を引いて近くの雑木林ぞうきばやしの中に連れ込んだ。
 服部といえば伊賀では上忍クラスの忍びである。しかし才之進は分家の子で、伊賀の乱では百地三太夫ももちさんだゆうとは別部隊で戦っていた。小太郎とは幼な馴染みだが、昔から喜怒哀楽の感情というものをどこかへ置いてきてしまったかのように、笑顔を見せたこともなければ悲しい表情も見せたこともない。忍びとしては得な性質であるが、彼が何を思っているかは目の動きと言葉の抑揚で探るしかなく、時に感情の起伏が激しい小太郎はやきもきして、二人はよく喧嘩けんかもした。またある時は、どちらが伊賀一の忍びか決めようと果し合いをしたこともあるが、その時は両者の親に見つかって、「伊賀者同士優劣をつけるとは何事か!」と、こっぴどく太郎次郎に叱られた。そんな生意気な才之進でも、伊賀の乱以降生き延びていたことを知って小太郎は嬉しかった。ところが久しぶりに会ったその彼の最初の一言が、
 「何しに(京に)来た」
 だった。それもれものを触るような抑揚で、小太郎はカチンと頭に血が上ったが、ライバルの手前、「いまだ無職で、末蔵に誘われるまま何となしに」とも言えない。
 「大坂にちと用があるのじゃ。京へは何か有益な情報がないか、ついでに寄ったまでよ」
 ととぼけた。
 「大坂に?するとお主、秀吉に……。誰の使いじゃ?」
 と、早くも勘繰かんぐりをはじめた才之進だったが、「それはまだ言えぬ」と小太郎はお茶を濁してごまかした。
 「才の字の方はどうなんじゃ。今は誰の手下になっておる」
 「手下になどなっとらん!だが、加藤清正公の下で働いておる」
 「ほう、何とかの七本槍ななほんやりに数えられる槍遣やりつかいか」
 「俺が言ったのだから貴様も言え!」
 伊賀者同士には情報交換の義務がある。それが例え自分が仕える主君に不利な情報であったとしても、伊賀に有益な事柄であれば同郷の者として伝えなければならなかった。少なくとも伊賀の乱以前は。それは今でも風習として残っているはずなのだ。
 「だから今はまだ言えん!」
 「ほう?」と才之進は目にあざけるような笑みを浮かべ、「ひょっとしてお主まだプー太郎だな?京には仕事を見つけに来たのだろう」と、滅多めったに見せない笑いを浮かべた。
 ほぼ同じ実力の忍び同士である。一方は既に働き場所を見つけて活躍しているというのに、一方はいまだ生きる目的すら見い出せず、各地を彷徨さまよう放浪人。その現実は小太郎にとって屈辱だった。人間、図星な事を言われるとつい腹が立つ。小太郎の眉間みけんに表れた僅かな怒りの感情を読み取った才之進は、見下したように再度目だけで笑った。
 「なんとも気に入らん奴じゃ」と小太郎は思ったが、己と他人を比較して、片や優越感に浸り片や劣等感を覚えるとは、まだまだ二人は子どもであった。
 「まあ、せっかく京に来たのだから見物でもしていけ。そうじゃ、御所の近くに秀吉邸が完成したようだから後学のために見に行ったらどうじゃ?俺はじきに九州へ行くことになるが」
 才之進はそう言うと、笑顔ひとつ残さず吉兆の方へ戻っていった。小太郎は「ちっ!」と舌打したうちをした。
 才之進が言った秀吉邸とは、秀吉が九州平定後に聚楽第じゅらくだい、または聚楽亭あるいは聚楽城と呼ぶことになる豊臣秀吉の京都における邸宅のことである。
 大坂城の完成を見、関白となった秀吉は、すかさず京都に政庁の役割を果たすための聚楽第の建設に着手した。御所の西側約一キロ地点、当時は内野うちのと呼ばれていた平安京大内裏だいり跡地の北東部分、『聚楽じゅらく』とは『長生不老のうたまいあつむるもの』という意味で、これは秀吉の造語らしい。
 その規模、北は一条通りから南は下長者通しもちょうじゃどおりの北、東は大宮通りから西は裏門通りに囲まれた区間で、ほりを廻らせたところまでの敷地面積がおよそ二六万八千平方メートルというから、京都御所の約三分の一近くの広さを誇っていた。その内部は本丸、北ノ丸、南二ノ丸、西ノ丸とに別れ、本丸の北西角には金張きんばりの屋根瓦やねがわらで五層の天守閣がそびえていたことは、現在残されている屏風絵びょうぶえと、発掘して出てきた瓦の破片から知ることができる。それは邸宅とか政庁というよりまさに城郭だった。
 その建設工事は昨年(天正十四年)二月から着工され、小太郎たちが京都に着いた頃には建物自体はほぼ完成しており、庭園に使う石材の搬入はんにゅうが始まっていた。そればかりでない。秀吉はそこ聚楽第を日本一の城下町に仕上げるべく区画整理をし、周辺には譜代ふだいの大名屋敷を置き、大坂の堺や畿内きない有数の商人や文化人、芸術家たちを集め、一大文化商業都市を築こうとしていたのである。記録によると大坂城建築に関わった人員が延べ七万から十万人とされているが、聚楽第建設にはそれとほぼ同規模かそれ以上の動員があったと推測されている。それも僅か一年半あまりで完成させようというのだから、その頃の京都の街はお祭りのような忙しさでごった返していた。
 さて聚楽第に天守閣はあったか?―――とは研究者の間でしばしば話題になるところである。現在残されている三井記念美術館所蔵の『聚楽第図屏風』や、近年発見され上越市立総合博物館で公開された『御所参内さんだい・聚楽第行幸図ぎょうこうず屏風』には、その姿がはっきりと残されているものの、その絵図自体、実際に聚楽第を見て描いたものなのか、後年資料に基づいて描いたものだとか、あるいは描かれている建物は天守閣に似てはいるが天守閣の条件を満たしていないとか、様々に疑問視されている。その否定論を唱える最も重要な手掛かりは、当時諸国の大名の家臣やインドの使節団一行など、聚楽第の見学をした者たちの文献に、その天守に登ったという記録がないことである。さらに二度の聚楽第行幸に関する史料においても見当たらない。
 本来、己の権力と財力を満天下に示すため、その象徴でもある天守閣は、例え訪問者が遠慮えんりょしたとしても見せたがるところである。現に大坂城の天守閣には、秀吉自らの案内で、積極的に見せて回っているのである。
 もう一つは、聚楽第跡地に天守を支える天守台があった痕跡が少しもないという地形的根拠である。ここまで話すとどうやら聚楽第には天守閣はなかったと思えてくる。
 しかし逆に、天守閣はあったとする文献も存在することに、この議論はイタチごっこの感をていするのである。
 先に挙げた屏風絵は視覚的証拠として最たるものであるが、当時、周辺の大名達は、聚楽第へ行くことを登城≠ニ表記していることである。そればかりでない。もっと信憑性しんぴょうせいがあるものとして、吉田神社の吉田兼見という神主かんぬしが残した日記に、豊臣秀吉の側室で前田利家の三女、後に加賀殿と呼ばれる摩阿姫まあひめのことを聚楽天主≠ニ呼び、彼女のおはらいをした記録があると言うのだ。聚楽天主≠ニは聚楽第の天守閣の主、つまり、摩阿姫は天守に住んでいたのだと言う。また、秀吉の家臣である駒井重勝や公卿の山科言経やましなときつねの日記にも殿主でんしゅ≠フ言葉が見られ、これは紛れもなく天守≠フことを指しており、そこで後の聚楽亭主豊臣秀次から黄金を見せられたり、床の間の高価な織物を見せられたりしていると言う。
 これらを総合的に推理してみると、どうやら聚楽第には確たる天守閣はなかったものの、天守閣に似た、あるいは天守閣に相当する建物があったように思われる。だとすれば、浪費を惜しまない絢爛けんらん好きな秀吉にして中途半端な建造物ではある。それを立証するには、天皇の存在と、秀吉の朝廷に対する認識を考慮しなければならないだろう。
 時の天皇は後陽成ごようぜい天皇である。しかし長引く戦乱の世の中で、朝廷の権威は地に落ちていた。しかし日本書紀に始まる天皇の存在は、けっして消えることのないさがとして日本人民の血に流れ、その血は日本社会の下層階級で育った秀吉の中にも厳然と流れていたに違いない。
 当時の秀吉といえば既に日本国土の半分以上を手中に治め、政治的にも関白という地位を得ていたことは前述した。つまり全国の諸大名に対しては絶大なる権威を示しつつも、京都所司代に対しては朝廷の一機関という地位を明確にしておく必要があった。そのためには結婚披露宴で友人が新婦より派手であでやかな衣装を身に付けてはいけないように、御所より立派な建造物を建設してはいけなかった。合わせて聚楽第は公卿達との社交場にもなるはずで、城≠ニいう武家の代名詞のようなものでは朝廷には相手にされない。つまり逆の言い方をすれば、支配の権威として関白の位を利用するためには、天皇を尊重し、朝廷の威信を回復する必要があったといえる。
 その点、自身を神格化し、朝廷をも滅ぼそうとしていたきらいがある織田信長に対し、秀吉は朝廷に対しては至って日本人的発想を持ち、紛れもない日本人民の一人であった。
 しかし筆者は先に聚楽第のことを「金張りの屋根瓦で五層の天守閣がそびえ」「それは邸宅とか政庁というよりまさに城郭だった」と書いた。それはそれで間違いはないと思っている。時の秀吉の勢力は、おそらくこの言葉だけでは語り尽くせるものでなく、等身大のものでも肥大ひだいして見えてしまう近寄る者たちの委縮感であり、それこそ周囲を圧倒する当時の秀吉のカリスマ性なのだ。この項の題号を『聚楽』としたのもそのためである―――。
 小太郎は話のたねに行ってみようかとも思ったが、それより今はとにかく眠い。ひとまず寝ようと吉兆に戻った。
 「なんじゃ、また来たのか」
 と、吉兆二階の隠れ家に上ってみれば才之進がいる。
 「とにかくわしは寝るからお前は黙っていてくれ」
 と小太郎は布団を敷いて横になった。ところが才之進ときたら脇でいろいろ独り言のようにしゃべり出す。
 「いま大坂へ行っても仕官の口などないぞ。関白は九州征伐のため全国の大名を大坂に集めてはいるが、諸侯は出陣の準備に追われてそれどころでない。今日あたり宇喜多秀家が第一軍として出発しているはずじゃ。わしも今夜には大坂に戻る―――」
 彼は彼なりに小太郎のことを心配しているのだ。小太郎は目をつむりながら、その話を子守唄のように聞いていた。遠のく意識の中で才之進は秀吉の九州征伐について話していた。
 本州、四国を制圧した秀吉最後の目標は九州平定に違いない。ところが九州においてはいま、大友氏や龍造寺りゅうぞうじ氏を制圧した島津義久の勢力が拡大していると言う。それを押さえきれない大友宗麟そうりんが、秀吉に助けを求めてきたのが昨年の話、ついこの間のことである。それに対して関白となった秀吉は、朝廷権威をかざして島津義久と大友宗麟に停戦命令を発したが、九州平定を目前にした島津氏はこれをあっさり無視したのである。これによって秀吉には九州征伐の大義名分ができた。
 昨年十二月、秀吉は長宗我部元親、信親のぶちか親子と、十河存保そごうまさやすといった四国勢を豊後ぶんごの援軍として派遣するが、戸次川へつぎがわ(現大野川)において行われた合戦では、軍監仙石秀久せんごくひでひさの失策によって長宗我部信親や十河存保が討ち取られ、思わぬ大敗をきっしてしまう。その報を聞いて激怒した秀吉は、三十七ケ国の大名に大坂集結を命じ、自らが二〇万ともいわれる大軍を率いて、いま本格的な九州侵攻を開始していると才之進は言うのであった。
 「小太郎、場合によってはお前を加藤清正公に紹介してやってもよいが……、どうする?」
 小太郎は小さないびきをかきながら、「お前の世話にはならねえよ……」と寝言のようにつぶやいた。
 
> 第1章 > 本阿弥光悦
本阿弥光悦
 当時本阿弥光悦ほんあみこうえつは、一条戻橋あたりに居を構え、足利尊氏の時代から代々続く刀剣の鑑定や研磨けんま浄拭しょくじょうを業とする『ほんなみ』という店を父光二と一緒に営んでいた。当時二十九歳の青年ではあったが、父の仕事柄、幼少の頃から工芸万般に接する機会に恵まれたためか、今ではその眼力は父をも凌ぎ日本一だと専らの評判で、当代随一の目利きであり、また芸術家であり、現代的にいえば文化コンサルタントともいうべき青年実業家として名を馳せていた。
 刀剣を扱う店にして芸術とは少し異な気もするが、刀にはさやつばなどのように刀身以外の部分に使われる部品があり、その製作工程には木工や金工をはじめ、漆工、皮細工など様々な工芸技術とも密接につながっている。それに関連して今では漆器や陶器や磁器、また蒔絵まきえや染織や螺鈿らでんなど、仕事の巾は刀剣関連ばかりにとどまらず、様々な工芸芸術にも関わるようになっていた。光悦の芸術的眼力はそうした仕事を通して培われたものに違いなく、幅広い職人や文化人との交流の中で、自らも和歌を詠み、書を書き、漆器や陶器までも手掛けるアーティストでもあった。
 末蔵がそんな彼の居場所を探すのに雑作もなかった。街中で一人、二人に声をかければ、
 「光悦先生なら一条戻橋のほんなみ≠ニいう店におる」
 と、口をそろえたように教えてくれる。そのたび末蔵の鼓動は高鳴った。
 さて、ちょうどそのころ光悦は、自分の書斎に閉じこもったまま、墨をすり、真剣な表情でひとつの書物の書写をしていた。それは本阿弥家の菩提寺ぼだいじである本法寺の住職日通に依頼されたもので、光悦はその内容に読み入り、深い思索をしているようでもあった。
 もともと菩提寺の本法寺は、鎌倉時代の日蓮に淵源を求める法華経寺系の日蓮宗の寺で、開祖である日親が永享八年(一四三六)に建立した。法華経寺とは、日蓮の檀徒のひとり富木常忍ときじょうにんから派生した寺である。
 日蓮が時の権力者北条時頼に、自らの書である『立正安国論』を提出し国主諫暁こくしゅかんぎょうしたことに習い、本法寺の開祖日親もまた、時の将軍足利義教に「立正安国論」を献じ諫言かんげんした。ところがこれが将軍の忌諱きいに触れるところとなり、日蓮が打ち首を免れ佐渡へ流罪されたが如くに、二度に渡る投獄と、焼鍋を頭にかぶせられ、更には寺までも焼き払われるという大きな難に遭う。しかし嘉吉の乱で義教が死ぬと赦免され、その精神が時の天皇の感銘を得ることとなり、四条高倉辺りに本堂が再建された。その後、幾度かの移転をした末、天文年間には一条戻橋、現在の晴明神社あたりに移転されていた。
 本阿弥家と本法寺との縁は深く、その関係は寺を創建した日親の時代にまでさかのぼる。それは光悦の曾祖父に当たる本阿弥清信が、今の店を経営していた時の話である。
 当時清信は将軍足利義教に仕えていた。ところが、鑑定を誤ったか刀の研ぎが甘かったか理由は定かでないが、ある日、将軍の怒りに触れるという一家において重大な事件が起こった。清信は投獄されてしまうが、その獄舎で出会ったのが日親だった。
 清信は日親に身の上を話すうち、日親が語る日蓮の教えに深く感動し、やがて赦免されて出獄したあかつきに、日蓮の教えに帰依して本光という法名を授かった。以来本阿弥家はその信徒となって現在に至っている。
 そんな家で育った光悦も、日蓮のことを親しみを込めて日蓮御坊にちれんごぼう≠ニ呼ぶほどの熱心な信徒であった。寺から頼まれ事があると、いつも喜んでその仕事に打ち込んだ。つい最近にもこんなことがあった。秀吉が聚楽第を建設することになった時、本法寺があった区域は区画整理の対象となり、替地として与えられた寺之内に移転する際、父の光二と私財を投げうち、その再建に尽力したのである。今はまさにその引っ越しの真っ最中で、光悦は後に『三つ巴の庭』と呼ばれる庭園づくりに骨を折っていた。
 そんな光悦のところに末蔵が訪ねて来たのは、ちょうど昼時、聚楽第建設に関わる職人たちが休憩を取り始める時分だった。光悦の部屋のふすまの外で、奉公の女が、
 「光悦先生にお目にかかりたいという方がいらっしゃいますが、いかがいたしまひょ?」
 と言った。
 「すまぬが今は手が離せん。日を改めて来てもらうよう丁重に帰しなさい」
 「へい」と女奉公人は行ったようだったが、暫くたって再び、
 「あのお、光悦先生にお目にかかるまでは帰らないと申しております……」
 と言いに来た。
 「だから今は忙しいと言うておる」
 「でも……、光悦先生にお会いできなければ腹を切ると申して聞きません」
 「物騒なことを申すな。では、手がすいたらこちらから尋ねるゆえ、住所を聞いておきなさい」
 「へい」と再び引き返したが、暫くすると三度やって来て、
 「どうにも物分りの悪いお方で、待たせてもらうと、店先でお座りになってしまいました。あれではお客様のご迷惑になってしまいます。どうしまひょ?」
 「まったく!これでは集中して書写もできん」と光悦は筆を休ませ、「仕方がないから通しなさい」と迷惑そうに言った。
 こうして書斎に通された末蔵だったが、光悦はほんの一瞬彼の顔を見ただけで、
 「申し訳ありませんが、これが終わるまでそこでお待ちください」
 と言ったきり、末蔵をそっちのけに再び書写に没頭しはじめてしまった。末蔵は「これが噂の光悦か……」と、最初はいかにも緊張した面持おももちで横顔を眺めていたが、一時間経っても二時間経ってもいっこうに終わる気配がない。ついに「あのお……」と声をかけたところが、「もうじき終わります。声をかけないでくださいませんか!」と怒られた。
 その間、部屋に飾ってある漆器や陶磁器を眺めている中に、妙な美しさを持つ黄土色の素焼きの茶碗に目にいった。感激で思わず声を上げそうになった末蔵は立ち上がり、そろりそろりと近寄って手に取って見た。そうなると一時間でも二時間でもまったく苦にならない末蔵である。
 「さて、ようやく終わりました……」
 と、光悦は筆を置くと、正座して素焼きの茶碗をじっと凝視する末蔵に、「お待たせしました」と言った。ところが今度は末蔵の方が鑑賞に夢中で、光悦の声に気付かなかった。
 「お気に召しましたかな?」
 末蔵は「はっ」として、その茶碗をあったところに戻した。
 「この茶碗は、いったい誰が作ったのでしょうか?」
 光悦はやや嬉しそうな表情をして「ほう?貴方にその茶碗の良さが分りますか?」と言った。
 「なんというか……、素焼きのせいか、非常に素朴な中に、生きる力というか、あがきとでもいうか、苦しみの中で輝く純粋な光を感じます。これを作った人は相当苦労したのでしょう」
 光悦は末蔵を驚いたように見つめると、笑みを含んだ顔で、
 「それは朝鮮国で作られた沙鉢サバルというものです」
 と教えた。
 「朝鮮国……」
 「大坂の千利休せんのりきゅうが、輸入されたばかりの珍品じゃと言うて送ってきましてな。しかし私には、どうも悲しみばかりが伝わってきて好みません。朝鮮ではその茶碗は観賞用ではなく日常の食事で使っているというが、素焼きのうえいびつでつくりも荒く、どう見ても完成品とは思えません。まあ、そこがいま流行のび≠ノ通じるといったところでしょうが、貴方はどう思いますか?」
 「俺は伊賀で陶芸をしておりましたが、この茶碗には力強さを感じます。確かに悲しみも伝わってきますが、その悲しみに負けるものかという強い生気を感じる……」
 「ほう。よろしければ差し上げましょう。私より貴方が所持していた方が、その茶碗にとっても仕合せでしょう」
 「ええっ!よろしいのですか?」
 光悦は惜しげもなくその茶碗を末蔵に与えてしまうと、
 「ところで御用は何ですか?」
 と聞いた。末蔵は思い出したように正座をしなおし、背筋を伸ばすと、
 「不躾ぶしつけながら、本阿弥光悦先生に教えていただきたいことがあって参りました!」
 と平伏した。
 「はて、なんでしょう?」
 「俺は生涯、陶器づくりに命を懸けたいと思っております!」
 それは、それまで溜めてきた思いを一気に投げつけたような強い語気だった。ところが光悦ときたら、そよ風をあびるような涼しげな声で「それはよろしいお考えで。そうなさい」と言ったきり、筆具を静かに片付けはじめるのだった。末蔵は続けて、
 「将来、俺は日本一の陶芸家になろうと思う!」
 「それは頼もしい。ぜひ、そうなさい」
 末蔵にしてみれば、何かしらのアドバイスをもらえると期待していただけに、光悦の素っ気ない「そうなさい」という言葉は、不満を隠せないばかりか、逆に呆気あっけにとられて次の言葉が見つからなかった。さらに、暫くの間を作った光悦は、
 「それで?」
 と淡々と言う。末蔵はすっかり面食らった。
 ところが末蔵が何の返答もできないのを見てとると、
 「貴方はわざわざそんなことを言うために、私の仕事の手をわずらわせたのかい?」
 と、光悦はむくむくと笑い出した。
 「違います!陶芸に命を懸けるため、日本一の陶芸家になるために、何かしらのご教示をたまわりたいと思って来たのです!」
 「私に教える事なんて何もありません。貴方がそうしたいのなら、そうすればいい。でも貴方は迷っている。だから私のところに来たのでしょう?」
 光悦は今まで書いていた書を、「これを見なさい」と言うように末蔵に手渡した。
 本阿弥光悦といえば後に近衛信尹このえのぶただ松花堂昭乗しょうかどうしょうじょうに並んで寛永の三筆≠ノ数えられる書の達人でもある。見れば流暢りゅうちょうな漢文のようだが、末蔵にはさっぱり意味が分からない。「これは?」と聞くと、
 「いまさっきまで私が書いていた、日蓮御坊の立正安国論≠フ写しですよ」
 と答えた。そして光悦は、子供に諭すような優しい口調で続けた。
 「日蓮御坊の教義に因果具時いんがぐじ≠ニいうのがある。因すなわち原因と、果すなわち結果とは、同時にそなわっているという意味です。貴方が日本一の陶芸家になると決めた瞬間、すでに貴方は奥低おうていでは日本一の陶芸家なのですよ。問題は今の貴方の一念です。しかしさっき貴方はなろうと思う≠ニ言った。思う≠ナはいけません。なるのだ!≠ニいう決定けつじょうした一念に変えなければ、貴方は一生かかっても陶芸の道を究めるどころか、陶芸家にもなれないでしょう」
 「ここにはそんなことが書いてあるのか?」
 と、末蔵は立正安国論の文字を追ってみた。ところが難しい漢字ばかりで、やはり読むことができない。
 「そこには書いてありませんよ。そこには世の乱れの根本原因と、その打開策が書いてある」
 と、光悦はひと仕事終えた余裕からか静かに笑って、立正安国論の概略を説明しはじめた。
 光悦が語るところによれば、世の乱れは人の思想の乱れが根本原因だと言う。そして日蓮御坊の時代においては、根本法の当体である日蓮御坊をいじめたがゆえに正嘉の大地震が起こり、自界反逆難じかいほんぎゃくなんたる北条家の二月騒動が起こり、さらには他国進逼難たこくしんぴつなんたる元寇げんこうが起こったのだと言う。仏法では衣正不二えしょうふにと説くところから、主体たる人間と客体たる環境とは不二であるから、人間の思想の乱れはそのまま環境の不調に影響するという論理である。
 「思うに今の世を見よ。日本という小さな島国で、どんぐりの背比べの武将たちが、我先にと天下を治めようと殺し合いをしておる。なにも国を治めるのに戦などする必要はないと思わぬか?茶でもすすりながら話し合いをすればすむ事ではないか?私はどうも今の世が好かん。どうやら生まれてくる時代を間違えたようだ」
 光悦は遠くをみつめるようにつぶやいた。末蔵は「意味が解せぬ」といった腑抜ふぬけた顔で光悦を見つめ返した。
 「おお、ところでまだ名前を聞いてませんでしたね」
 末蔵はえりを正して、
 「申し遅れました。百地末蔵といいます」
 「旅客きたりて嘆いていわく……。日蓮御坊とは次元が異なりますが、いま正に貴方は自分の行く末を嘆いて私のところに来たわけだ」と光悦は笑った。
 「どうも俺には先生の申される意味がよくわかりません……」
 「今は分らなくても、陶芸の道に精進しぬけば分かる時が来るでしょう。そうだ、その道を究めようというなら、貴方によい働き口を紹介しましょう」
 と、光悦は長次郎という男を紹介したのだった。聞けばその男、「聚楽焼」の創始者であると言う。後に楽焼と呼ばれるようになるそれは、素焼きした後、加茂川から採取される黒石から作られた鉄釉てつゆうをかけて陰干しし、乾いてから再び釉薬ゆうやくをかけるということを十数回繰り返した後、およそ一、〇〇〇度の窯で焼成する。そして焼成中に釉薬が溶けたところで窯から出し、急冷すると黒く変色する。その色合いから黒楽茶碗とも言われるが、その新進気鋭な作風は、これから本格的に陶芸を学ぶ者にとってはぴったりだと光悦は言うのだった。
 こうして末蔵は、紹介状と長次郎の窯の場所を教えられ、
 「またいつでも来なさい」
 と本阿弥光悦に見送られながら彼の店を後にした。
 
> 第1章 > 妖艶ようえんふくろうやみ
妖艶ようえんふくろうやみ
 さて、末蔵が吉兆屋に着いたとき、小太郎は二階の座敷で高鼾たかいびきをかいていた。
 「小太郎!光悦に会ってきたぞ!」
 小太郎は「そうか……」と言ったきり寝返りを打った。忍びは熟睡はしない。いや、半分の脳はすっかり熟睡していても、もう半分の脳は絶えず周囲を警戒しながら気配を感じとっている。だから今の小太郎も、半分の脳でいびきをかき、もう半分の脳で末蔵と会話をするといった特技ができる。
 「俺は今から、長次郎という聚楽焼じゅらくやき窯元かまもとで修行をすることにした。お前はどうする?身の振り方は決まったか?」
 と、末蔵は少し興奮気味に話を続けた。
 「そう簡単に決まるわけがなかろう……」
 小太郎は寝言でそう答えた。口の中で唾液だえきを転がす「むにゃ、むにゃ」という音が寝言であることを物語っていた。
 「どうする?俺といっしょに行くか?」
 「むにゃ……、阿呆あほう、わしに泥んこいじりをしろと言うのか……?むにゃむにゃ……」
 「ならばこれにて暫しのお別れじゃ。俺は東山の清水寺の近くにおる。用があったら長次郎という焼き物職人を尋ねてこい。じゃあな!」
 「あいよ……。むにゃ……。おお、そういえば才之進に会ったぞ……」
 「服部才之進か?どこじゃ?」
 「今晩、大坂に行くと言っとったから、まだそのへんにおるじゃろ……?」
 「そうか!生きておったか!」
 末蔵は同郷の友の生存にすっかり喜んで、そのまま部屋をとび出した。
 「まったくせっかちな奴じゃ……」と、小太郎は目を覚まして上半身を起こすと、異常にのどが渇いていることに気付いた。すると手の届くところに茶瓶ちゃびんがあったので無造作に取って、注ぎ口をくわえようとしたところが、ふと、末蔵の手荷物の風呂敷包みの隙間に、ほどよい素焼きの茶碗を見つけた。
 「おや?光悦大先生殿の手土産かな?」
 小太郎はそれを取り出して水を数杯ついで、がぶがぶと喉に流し込んだ。そこへ「すでに大坂に発ったそうじゃ」と言いながら戻って来た末蔵は、「じゃあな小太郎、俺はいくぞ!」とせわしなく飛び出して行った。
 「ったく、いつからあんなにせっかちになったんじゃ……」
 と、手元の素焼きの茶碗に気付いた小太郎は、
 「おい!忘れものじゃ!」
 と叫んだが、末蔵はすでに吉兆屋を出た後だった。追いかけるのも面倒に思った小太郎は、「また届ければいいか……」と、さして気にする様子もなく、茶碗を枕元に置いて再び高鼾をかきはじめた。
 すっかり夜も更けて、ようやく目を覚ました小太郎は、吉兆屋の店内で大根と小魚の煮物を食いながら、何気なく三条通りを行きかう町人や旅人の様子を眺めていた。陽も暮れたというのに、人通りが多いことに驚いていると、そこに酒の入った銚子ちょうしを持ってきたまかないの女が、
 「お代はきっちり払っておくれよ」
 と言いながら、やや乱暴に小太郎の前に置いた。
 「それが仕官のない惨めな浪人様に言う言葉かい?伊賀者同士、困っている時は助けあうものだろう?」
 「それと扶持ぶち代とは別さ。こっちだって商売なんだからね!」
 女の名をお銀といった。もっともくの一としての俗称もあり、そちらの方は空蝉うつせみといった。小太郎がここ吉兆屋に来て初めて声をかけたのが彼女で、地獄耳の空蝉といえば京界隈かいわいで活動する忍びで知らない者はないほど京の情報に精通している。男勝りの口を聞くが、すっかり幼さも抜けた女盛りの年代で、今朝方突然訪れた十ほども若い小太郎とはすぐに冗談も通じ合うほど馬が合った。
 「おや?変わった趣味の湯のみだね?」
 お銀は手酌で酒を注ぐ素焼きの茶碗を見て言った。
 「わしの連れのモンじゃ。清水寺の長次郎とかいう窯元の所に届けにゃならん。知ってるか?」
 「長次郎っていえば聚楽第専属の陶器職人だよ。あんたの連れってさっき来た末蔵とかいう男だろ?長次郎んとこで働くとは、まったくうまいことやったもんだね!」
 「そんなに有名なのか?」
 「有名もなにも元々はかわら職人の棟梁とうりょうさ。なんでも秀吉が聚楽第の屋根瓦を見てさ、『この瓦と同じ茶器を揃えたい』なんて言ったもんだから千利休せんのりきゅうが張り切っちゃってさ、その長次郎さんに頼んで屋根瓦と同じ土で茶碗を作らせたって噂だよ。今じゃ天下御免の秀吉お抱えの流行作家さ!」
 と、そのときふいに小太郎が勢いよく立ち上がった。
 「なにもそんなに驚くことはないじゃないかい?」
 「お銀さん、ちょっと出てくる!」
 見れば小太郎の顔は紅潮している。そのまま太刀を腰にさして出ようとしたところを、
 「小太郎ちゃん、忘れ物だよ!相棒んとこ持ってくんだろ?」
 と、飲み残しの酒を一口にふくんだお銀は、そのまま素焼きの茶碗を投げた。小太郎はそれを受け取ると、懐にしまいこんで吉兆屋を飛び出した。
 「なんだい、慌ててさ!」とお銀は、走る小太郎の先を歩く女の旅姿を見つけてにやりと微笑んだ。
 小太郎の目に狂いがなければ、それは贄川にえかわの宿で出会った菖蒲あやめに違いない。二人の旅姿の男と連れ立って、女の旅装束姿が吉兆屋の前を通り過ぎたとき、小太郎の目に飛び込んだその女の気配には、贄川で見た冷たい殺気と同じものが隠されていた。小太郎は気配を消して一行の後をつけた。
 ところが闇が深まりふくろうき声が聞こえ始めたというのに、一行の歩みは止まらない。やがて九条の東寺をつっきると、羅城門をくぐって西国街道を進み始めた。
 「こりゃ大阪まで行く気かな……?」
 そう思った時、梟の声が俄かにやんだかと思うと、小太郎めがけて数羽の黒い小鳥が襲い掛かった。すかさず腰の剣を引き抜いた小太郎はその鳥を払いのけると、闇の中にいくつかの火花が散ると同時に、甲高い鉄がはじける音が響いた。それは鳥ではなく、手裏剣、あるいはクナイに相違なかった。
 「お主、三条あたりから我らをつけているようだが、何用か?」
 気付いた時には小太郎の背後に一人と、前方には菖蒲あやめを護衛する恰好の一人の男に取り囲まれていた。
 「旅の宿で出会ったその御嬢さんに、ちと御挨拶でもしようと思って後を付け申した。そっちこそいきなり武器を投げつけてくるとは物騒な挨拶じゃないか!」
 護衛する男が「お知り合いですか?」と菖蒲あやめに聞いた。
 「知らぬ。れ」
 表情ひとつ変えない冷酷な菖蒲の言葉に、男は小太郎の背後のもう一人に「やれ!」と目で合図すると、二人の男はほぼ同時に小太郎に斬りかかったが、一瞬消えたかに見えた小太郎は、またたくまに彼らの延髄えんずいに一太刀あびせて、後は剣を納めて菖蒲の正面に立って笑った。
 「こんな腑抜けた護衛では心もとなかろう。どうじゃ、わしを雇わんか?」
 菖蒲はその小太郎の笑みを少し驚いた表情で睨んだ。少なくとも今やられた二人の男は、甲賀でも腕の立つ忍びの者だったはずなのだ。
 「なあに心配はいらん。峰で打っただけじゃ。二、三日もすればひょっこり目を覚ますさ。わしは目的のない殺しはせん」
 「何ゆえ私をつけていた?」
 一度、贄川でも聞いたその声と、透き通るような肌の容姿は、やはり女神のように美しく小太郎の目に映った。
 「理由などない。お主が気になって後をつけただけじゃ」
 「伊賀者の言葉は信用できぬ」
 「それより菖蒲殿あやめどのひとりになってしまわれたぞ。大坂へはまだ遠い。わしを護衛に雇え。こんな夜中に女一人では山賊に襲われる……」
 そのとき菖蒲の表情に、ある種のひらめきが起こった微妙な変化を、小太郎はけっして見逃さなかった。それは小太郎をあやめるための算段ができたことを示す変化だと直感した。
 しばらく何も答えなかった菖蒲は、やがて「分りました、雇いましょう。で、いくら欲しいのか?」と聞いた。
 「わしは女からは金は取らん」
 商談が成立したところで、菖蒲は気絶している二人の男に近寄って「大丈夫ですか?」と声をかけた。
 「無駄じゃ、ほおっておけ。そのうち勝手に目を覚ます」
 こうして菖蒲と小太郎の二人は、会話もなく再び西国街道を歩き始めたが、東寺を出て最初の山崎宿まではまだ距離がある。おまけに少し進んだところで、行く手を桂川かつらがわがさえぎっていた。
 「菖蒲殿、こんな夜更けでは渡し舟は出ませんぞ。そのへんの民家で宿をとりましょう」
 幸いそこには渡し舟の待ち合い所と、周辺には一、二軒の茶屋を営む民家がある。小太郎はそのひとつの玄関の戸を叩くと、
 「すまぬ!旅の者じゃ!一晩の宿を貸していただけぬか!」
 と叫んだ。中から出てきたのは一人の老婆ろうばで、二人の姿恰好をじろじろ見つめると、不審そうに「どこの者じゃ?」と言った。
 「伊賀じゃ。実は駆け落ちして逃げておる」
 と、小太郎は口から出まかせの言葉に、菖蒲あやめを恋人にしてしまった図々ずうずうしさに内心笑いながら、贄川の宿であの赤猿も同じような事を言っていたことを思い出した。菖蒲には、嘘でも自分の嫁にしてしまいたいほど男の心をそそる怪しい美しさがあるのだ。
 老婆は「ふ〜ん、駆け落ちかい?」と、ぶつぶつ言いながら二人を家の中に招き入れた。それでも気をきかせて四畳半ほどの小さな部屋に二人を案内すると、行燈あんどんを点し火鉢に火を入れ「めしはまだだろう。あまり物しかないが持ってきてやるよ。風呂も奥にあるから勝手に使いな」と、旅人の扱いにはずいぶん慣れている様子だった。
 やがて老婆は部屋を出て行ったが、菖蒲はいっこうに口を聞こうとしない。小太郎は呆れて、しばらくは菖蒲に背を向けて手枕で寝転がっていたが、やがて老婆が大根の入ったかゆのような食事を茶碗に入れて持ってきた。
 「こんなもんしかないが食べなさい―――。まあ、若いうちはいろいろあるからね。あたしだって今はこんなババアになってしまったが、昔は色ごとの一つや二つ、あったものさ」
 老婆は本当に二人が駆け落ちした者同士と思い込んでいる様子だった。
 「ほう……、面白そうだね。ひとつ、聞かせてください」
 悪乗りを始めた小太郎の言葉に、
 「あの……」
 と菖蒲あやめがさえぎった。
 「先にお風呂をいただけませんか?」
 「そうかい、先にお風呂かい。まあ、今晩はゆっくり休みなさい」
 と、老婆は菖蒲を風呂に案内しようと一緒に部屋を出て行った。
 狭い部屋に一人残された小太郎は、大根粥を腹にかき込むと、ものの数分もしないうちに寝てしまった。まったくこの男、よく眠れるものである。つい夕刻まで吉兆屋で寝ていたはずだが、半日も経たずに、もう高鼾をかいている。小太郎いわく、これを寝だめの術≠ニいうらしいが、休める時に休むというのが幼少からのくせらしい。しかも片側の脳だけ熟睡して、もう片方の脳は周囲の殺気を常に意識している。
 どこかで啼いている梟の声に心奪われていると、やがて部屋の襖がサーッと開く音がした。次の瞬間、小太郎の嗅覚きゅうかくをついたのは、怪しい妖艶な麝香じゃこうの香りだった。小太郎は背中で菖蒲が戻ってきたことを知った。荷物の中からくしと鏡でも取り出したのだろう、やがて髪を整えはじめる気配を読み取ったが、髪に櫛を通すたび、その身体から香る甘い匂いは、ほのかな風に乗って小太郎の欲情を刺激する。
 髪に櫛を通す音と麝香じゃこうの薫り、そしてかすかな息づかいとたまに物と物とが触れる音―――。しばらくは官能的な空間の中で股間こかんをむずむずさせていた小太郎だったが、彼女が小さなせきをした拍子にたまらずひょいと跳ね起きた。
 「はよ、めしを食え。すっかり冷めてしまったぞ」
 と、菖蒲に視線を移したところが、視覚に飛び込んできたのは、うなじから肩にえりを落とし、いま少しで乳房が見えんばかりの妖艶な女の姿だった。
 菖蒲は「はっ!」としたように襟元を整え、次にあらわになっていた白い足のふくらはぎをすそで隠した。
 「す、すまぬ……」
 小太郎は慌てて顔をそむけて背を向けた。
 「いいえ……」
 菖蒲は正座をしなおして、再び髪に櫛を通しはじめた。
 それにしても狭い部屋なのだ。二人とも背を向けて座っている形になっているが、その間隔はたたみ一畳分もない。小太郎にしてみれば、彼女を抱こうと思えば雑作もない距離である。ところが話すに言葉もみつからない小太郎は、
 「わしゃ寝るぞ!」
 と言って、再び横になった。とはいえ贄川の宿で出会った一目惚れの女が、今はすぐ近くにいるのである。寝つこうにも寝つけるはずがない。
 しばらくして、菖蒲は髪結いを終えたようだった。ところが、次に彼女がとった行動は、それまでの彼女とはまるで別人の、男にしてみれば性本能が願っていたとおりの事だった。突然、小太郎の背中にすりよせるように身体を横たえたかと思うと、菖蒲はその柔らかい女の手を、男の襟から胸へと忍ばせてきたのである。更にはその男の首筋に、かすれた声のような甘い吐息といきを吹きかけ、その小さな気流の乱れは、小太郎の嗅覚をかすめた。
 「抱いてください……」
 と、確かに菖蒲はそう言った。そして、小太郎の身体を静かに仰向けにすると、彼のはだけた胸にその美しい顔をうずめた。
 強い麝香じゃこうの匂いは思考力を麻痺させ、目前には美しい女体があった。そして軟らかい肉体の感触は、もはや理性の支配するところではなくなり、小太郎はおもむろにその身体を抱き寄せた―――。
 「菖蒲殿あやめどの……」
 小太郎は彼女を優しく抱きながら、
 「お主、まだ男をったことがないな……」
 と、ふいにケラケラと笑い出した。
 「やめじゃ、やめじゃ!ヘタな芝居はこれまでにしよう!」
 途端、豹変ひょうへんした菖蒲あやめは、着物の内側に隠したはずの物をしきりに探し始めて戸惑った。
 「合口あいくちならここにあるぞ」
 見れば小太郎の右手に、先ほど身体にひそめ隠したはずの短刀がかざされている。「いつのまに?」との表情を隠し切れず、菖蒲あやめは観念したように顔をそむけた。
 「わしを殺しそこねたか?残念だが、そなたの腕ではわしは殺せん。第一、その惚れ薬はなんじゃ?そんな匂いをプンプンさせて部屋に入ってきたら、何かしようとしている下心が見え見えだ。それどころか、薬の成分まで相手に教えているのじゃ。麝香じゃこうは良いが、中にはちみつ芥子けしの実を混ぜているだろう。蜜は惚れ薬に使われ、芥子は意識を麻痺させる。そんなものが混じっていれば誰でも警戒するさ。男を落とすなら、もうちと控えめにせにゃ。それに、今の今までほとんど口を聞かなかった女が、いきなり『抱いて』はなかろう。猿芝居もここまで真面目に演じられたのでは、わしもどう対応してよいか迷ったぞ」
 相手が小太郎でなければ必ず仕留めていたに違いない。現に菖蒲は香水や惚れ薬など使わなくても、男を惑わせるには十分すぎる容姿をしていた。それは彼女にも自信があったし、小太郎もそう思っていたに違いない。ただ、相手が悪かった―――、菖蒲は悔しそうにしたまま動かなかった。
 「なぜ、まだ敵か味方か分らん者を殺そうとする?赤猿のとき然り、先ほどの二人の甲賀者しかり、そして今の菖蒲殿しかり。三たびも命を取り損ねてさぞ悔しかろうが、わしは殺すには惜しい忍びじゃ。味方につければきっと大きな仕事をいたしますぞ。その方がそなたにとっても得だと思うがの?」
 小太郎の言葉に、菖蒲あやめは荒い口調で言い返す。
 「密談を聞かれたからには排除するしかございますまい。我ら甲賀者は、もともと伊賀者が嫌いなのでございます。それとも忠誠を誓い、私どもと行動を共にすることができるとでも言うのですか?」
 「忠誠……?誰にじゃ?」
 「それは申せません」
 「海のものとも山のものとも分らぬ者に忠誠など誓えん。だが……」
 菖蒲は小太郎を見つめた。
 「菖蒲殿になら誓ってもよい」
 「なぜ命を取ろうとした私に、忠誠など誓えましょうか?」
 「惚れたからよ―――。いかんか?」
 「…………」
 小太郎は妙な成り行きになっていることを感じながら、先ほど彼女から取り上げた合口のさやを引き抜くと、やいばを自分の方へ向けて菖蒲あやめに持たせた。
 「さあ、殺したければ殺すがよい」
 菖蒲は小さく震えながら小太郎を睨みつけた。いま合口を突き出せば、先ほど仕損じた伊賀者の命を、いとも簡単に奪うことができるのだ。が、しばらくすると、菖蒲は力なく腕を降ろした。
 「大坂までは私の護衛をする契約です。殺すのはその後にいたしましょう……」
 菖蒲は乱れた着物を整えると、やがて背を向けて横になり、間もなく小さな寝息をたてはじめると、遠くで啼くふくろうの声が聞こえた。
 
> 第1章 > 伴天連バテレンの寺
伴天連バテレンの寺
 翌朝、桂川を渡った菖蒲あやめと小太郎の二人は、そのまま西国街道を進み、天王山を眺めながら山崎宿を経て、京と大坂のほぼ中間に位置する摂津せっつ高槻たかつき芥川あくたがわ宿にたどり着いたのが昼前だった。そこまで来ると一つの旅籠はたごで休息をとったが、菖蒲はふいに立ち上がり、
 「私はちょっと行くところがございますので、戻るまであなたはこの宿で休んでいてください。それと……、絶対に後を付けてはなりませぬ」
 と、足早に高槻城方面へ向かって行ってしまった。付けてならぬと言われれば、なお付けたくなるのが心情で、また一人で休めと言われても、暇を持て余すだけの小太郎は、すっかり彼女の行き先が気になって、そっと後を付けはじめた。
 高槻城に近づくに従って、なにやら普通の農村とは違う、言うなればどことなく異国の空気をはらんだ不思議な雰囲気が漂ってきた。小太郎は農作業にいそしむ一人の農夫を捕まえて、
 「このあたりはいったい誰の所領かのう?」
 と聞いてみた。
 「二年前までは右近うこん様の所領だったが、明石に国替えになってしまってからは、関白秀吉様の直轄領ちょっかつりょうだよ。まあ、右近様が細かなところまで心を砕いてくださったから、今のところワシたちも安心して暮らせるが、本当にありがてえお方だった……」
 「右近とは誰じゃ?」
 「お、おめえさん……、高山右近様を知らねえのか?」
 「高山右近……?そんなに偉いのか?」
 農夫は驚いた表情で小太郎の顔を覗きこんだ。
 「偉いもなにも、あんなに清いお方がこの世の中にいるもんか!このへんの教会やセミナリオ(神学校)だって全部右近様が建てたものだし、遠い異国からはド偉い宣教師の先生方を連れてきてくださって、五、六年前なんかは全国の伴天連バテレン信徒がこの地に集まり豪勢な復活祭が行われたのさ!美しい天使の歌声、ありがてえお話……、そりゃ見事なものだったよ!あの頃は良かったなあ……。それに城下で天国へめされる人が出るだろ?するとあんた、右近様みずからが棺桶かんおけを担いでお墓に運んでくれていたものさ。あんなもん賎民せんみんの仕事だろ?思い出すだけで涙が出てくるよ。ほんと、あんなスゲエお方は他にこの世におらん―――」
 「なんじゃ?右近とは伴天連大名か」
 「そんな言い方をしたら罰が当たるぞ!ウソは言わねえから、あんたも高槻城の教会に行ってごらんよ。そこにパイプオルガンという楽器があるから、死ぬ前に一度は聞いとくといいよ。この世のものとは思えないまっこと見事な音色に、魂が吸い込まれちまうから……、アーメン」
 農夫は熱心なキリスト信者だった。現に高槻には当時一万八千人ものキリシタンがいたという。しかもそのほとんどが高山右近と、その父飛騨守ひだのかみ友照ともてるの導きによって、実に領民の七割近くがキリストの洗礼を受けていたという事実は、この時代にしてまさに驚愕に値する。
 右近の父飛騨守友照はもともと熱心な仏教徒だったが、大和やまとの沢城主だった時、キリシタンを論破するつもりで招いたのが、琵琶法師でイエズス会員だったロレンソ了斎りょうさいという人物だった。ところがこのロレンソ、日本に最初にキリスト教をもたらしたフランシスコ・ザビエルの直弟子で、友照は論破するつもりが逆にキリストの教えにいたく感銘し、ダリヨという洗礼名を授かって入信したのが始まりだった。それと同時に家族と家臣を洗礼に導くが、このとき嫡子右近は十二歳、ジュスト(重友)という洗礼名を拝したのである。
 その後、紆余曲折を経て、友照が荒木村重の家臣として高槻城主になったのが天正元年(一五七三)のこと。そしてよわい五〇を過ぎた時その父は、晩年をキリシタンとしての生き方をまっとうするため、城主の地位を右近に譲る。このとき右近は正義と情熱に燃えた二十一歳という若さの青年だった。
 ところが、この親子による布教活動が激しかった。領内の神社という神社、仏閣という仏閣を次々と破壊し、神官や僧侶に迫害を加えてこの地を去らしめ、天正四年(一五七六)には待望の教会を建設し、天正十一年(一五八三)には修学寮を建て、領内に二十箇所もの礼拝堂を次々と建設していく。いわば高山右近という人物は、キリスト教徒にとっては名君だったかもしれないが、神道や仏教徒にとっては暴君以外の何者でもなかったわけである。ともあれキリスト教徒たる領民に慕われていたという点においては、評価すべき人物であったろう。
 天正六年(一五七八)、右近が与力として従っていた荒木村重むらしげが、織田信長に謀反むほんを起こすという事件が勃発ぼっぱつした。このとき右近は村重の有岡城に、妹や子を人質に出して誠意を示しながら、謀反を阻止しようと尽力したが失敗に終わる。
 村重討伐に動き出した信長にとっては、摂津の要衝こそは高槻城で、ついに右近に対し、
 「従わねば畿内の宣教師とキリシタンを皆殺しにし、教会を壊滅させる」
 と脅迫してきた。村重と信長の間で葛藤する右近は、イエズス会京都地区修院長であるオルガンチノ神父に助言を求めた。
 「どちらが正義か、神に祈って決断しなさい」
 と、これが神父のアドバイスだった。ところがイエズス会の京都地区修院長といえば京都地域全体の責任者である。当然信長とも通じていた。信長はオルガンチノ神父を高槻城に派遣し、開城を求めたのである。
 高槻城内は、信長との徹底抗戦か開城かで意見が真っ二つに割れた。徹底抗戦を唱える父の友照は、
 「村重のところへ人質に出した娘と孫の命はどうなる!信長と和平を結ぶくらいならこの場で切腹する!」
 と、オルガンチノ神父を軟禁してしまう。そこに至って深い苦悩にさいなまれた右近は、思いもよらない行動に出た。まげを切って突然城主を辞退したかと思うと、オルガンチノ神父を救出し、刀を捨て家族をも捨てて、神父を伴い紙衣かみこ一枚のみすぼらしい姿で、信長の面前に出むいたのである。
 信長はその姿に一驚し、
 「太刀を帯びよ!」
 と命じた。ところが右近はそれを拒否し、
 「どうか、このままの姿で追放してください!」
 と願い出た。城主自らが「城を追放してくれ」とは全てを放棄するということである。高槻城を好きなようにしてよいという実質的な開城の意でもある。右近は続けた。
 「しかし、一つだけ願いをお聞き届けください。今日よりはこの高山右近、すべての身分を捨て一介いっかいのキリシタン信者になり申すが、何卒なにとぞ、高槻城の家臣と領民、そしてキリシタンを保護するとお約束下さいますよう平に、平に御頼み申し上げます!」
 このとき彼は殉教じゅんきょうを覚悟していたのだろう。ところが信長は、
 「申したな、伴天連沙弥しゃみ(修行僧)めが……」
 と鼻で笑ったかと思うと、喜色をあらわにして、自らが着ていた小袖を脱ぎ、床の間に飾ってあった名刀「吉則」とともに右近に与えのである。更には、
 「この者に早鹿毛はやかげを褒美にとらせ!」
 と、秘蔵の名馬まで贈るのであった。
 結果的にこの右近の行動は、荒木村重の敗北につながる。そしてこの功績に対して信長は、再び彼を高槻城主とした上に、石高も二万石から四万石へという異例の報酬を与えたのだった。
 この際、徹底抗戦を指示した友照は、急いで荒木村重の有岡城へ走り、右近の非道を嘆きながら改めて忠誠を誓ったが、そのためか、村重が高山氏の人質を殺すことはなかった。しかし信長の荒木氏に対する処罰は厳しく、 六〇〇人もの一族を惨殺することになる。一方友照に対しては、右近の功によって死罪を免除し、北荘(福井県)への流罪という処罰のみにとどめた。
 この高山氏と高槻村を救った体験は、右近にとっても信仰心をますます燃え上がらせる要因になったに違いない。
 その後、本能寺の変で信長が没した後は、豊臣秀吉の忠実な家臣となって現在に至っているが、天下完全統一を図る秀吉が、いよいよ九州制圧に動き出した時、西国進攻に向けての人事で右近に対し、高槻から播州ばんしゅう明石への石高増の国替えを命じたのが二年前の天正十三年(一五八五)のことだった。
 それまで親子二代にわたって強力に布教を推進し、領民の大半をキリシタンに改宗させてきた右近にとって、高槻を離れる淋しさはいかばかりであったろう。それでも移転に際し、秀吉に対して高槻に残る信者の保護を約束させて、新たな使命の地、明石へと旅立つ。右近三十三歳の夏の出来事である―――。
 さて小太郎は、道草を食いながら歩いているうちに、すっかり菖蒲あやめの姿を見失った。仕方なく高槻城を目指して進んでいると、そのうちに今まで聞いたことがない不思議な音が遠くから聞こえてきた。規則正しい旋律だから音楽には違いないだろうが、笛でもない、しょうでもない、琴でもない、琵琶でも三味線でもなく、まして太鼓やつづみでもない、それはまったく不思議な音だった。それが先ほど農夫から聞いたパイプオルガン≠ニいう楽器であることに気付くのは、音が漏れてくる異国様式の建物の扉から中を覗いた時で、そこでは農民姿の人々が正面を向き、一心に中央の白い像に手を合わせている光景の脇で、不思議な音を奏でる四角い楽器らしき物体を見たのだった。
 「なるほど、これが伴天連の寺か……」
 そう思いながら小太郎は、教会の入り口の扉からその怪しげで不思議な光景を暫く眺めていた。
 このパイプオルガンは先ほどの農夫が語っていた天正九年に行われた復活祭で使用するため、遠くヨーロッパから運ばれてきた日本で初めて設置されたものだった。宣教師達はこのほか携帯用の小型オルガンを持ち歩き、行く先々で演奏しながら布教活動に使用していた。その音色を初めて聞く日本人達は、またたくまに魅了され、宣教師たちの間では、
 「オルガンさえあれば、日本人信者などいくらでも増やせる」
 と噂していたくらいだった。
 ふと、農民姿の聴衆の中に、一点、艶やかな旅姿の女がいた。菖蒲である。小太郎は「何故こんなところに?」と首を傾げながら、音楽が終わって、黒ずくめの服装をした片言の日本語を話す南蛮人の講和を聞いていたが、主≠竄辯愛≠竄轣A言っている意味はほとんど理解できなかった。やがて全員で「アーメン」と言ったかと思うと、参列者たちは黒ずくめの講和者のところへ順番に並んで、何やら色とりどりの鮮やかな小さな粒状の物を受け取り、受け取った者から順に外へ出てきた。ところがそのうちの数人は、懐かしそうに菖蒲あやめのもとに集まって、手を取りあい親しげに話しをはじめたかと思うと、やがて脇の扉から奥の部屋へと入って行った。
 「なんじゃ?それは?」
 小太郎は外に出てきた一人を捕まえて、手にした粒状の物を指してそう聞いた。
 「主の恵みであるコンフェイト(金平糖)という南蛮菓子です」
 「そんな色の菓子があるのか?ちょっとわしにもくれてみろ」
 「駄目でございます!これは私がいただいたのですから!」
 「うまいのか?」
 「うまいもなにも、もう、ホッペが……。欲しければ神父様にいただけばいい」
 小太郎は慌てて行列の最後尾に並んだ。神父の手元には小さなガラスびんと、中には赤や黄色や白や青のコンフェイトなる粒状の南蛮菓子がキラキラと輝いているように見えた。やがて小太郎に順番がまわってくると神父は、
 「神ノ恵ミアレ、アーメン」
 と言いながら手のひらに一粒だけ置いた。小太郎はそれを無造作に口中にほうり込んで、カリカリと歯で砕いてみたら、それが甘くて非常に美味い。思わずいま一度手を出して「もう一個くれ」とねだった。
 「一人一粒ガ、キマリデス。夜マタ、ミサ、アリマス。来テクダサイ」
 と、神父はガラス瓶にふたをしてしまうと、何も言わずに脇の扉から去ってしまった。
 「なんじゃあ!ケチじゃのう!」
 小太郎は不服を吐くと、正面の子を抱く母の白い像を見つめた。いわゆる聖母マリア像である。
 そして、この南蛮菓子こそ、宣教師達が布教の手段に使用しているもう一つの武器だと小太郎は思った。それは「カステラ」や「有平糖ありへいとう」、「ボーロ」など、それまでの日本には存在しない、小麦粉や砂糖や卵を原料とする甘い未知の食品だった。人を思い通りにあやつるには五感を制することが鉄則なのだ。小太郎は父太郎次郎からそう教わった。昨晩の菖蒲も香水で小太郎の嗅覚を制し、女体で視覚を制し、手を胸に忍ばせて触覚を制して男を操り、やがてはあえぐ声で聴覚を制し、したたる汗の味で味覚を制して自分を殺そうとしたに違いない。同様に宣教師たちは、その白い肌と青い目で視覚を制し、オルガンを使って聴覚を制し、南蛮菓子を使って味覚を制し、ミサに人を集めて福音香ふくいんこうの甘い香りで嗅覚を制し、その特殊な雰囲気で触覚を制し、更には日本人には理解しえない聖書の話をさもありがたく語って聞かせ、第六感をも制しているのだ―――と、小太郎は考えた。
 「いったい奴らのたくらみは何じゃ?本当に、純粋にキリストの教えを広めようとしているだけなのか……?」
 初めて出会う得体の知れない新興宗教に思いをめぐらせながら、ふと、菖蒲の事を思い出した。
 「あの女、くの一でなくキリシタンだったか……?」
 と音もなく、ひそかに屋根裏に忍び込んだ。
 南蛮装飾で飾られた部屋では、テーブルを囲んで菖蒲を取り囲むように、先ほどの神父と数名の武家の男らしき信者が座っていた。胸に十字架をあしらった首飾りをさげていたので、すぐにそうと知れたのだ。
 「右近様がいなくなって、布教の勢いはすっかり衰えてしまった」
 と、一人の若い武士らしい男が言った。
 「いや、菖蒲様が戻ってきてくれたのだ。いよいよこれからぞ」
 と別の男が言う。
 「申し訳ございません。私にはまだ別の仕事が……。たまたま通りかかったもので顔を見せに寄ったまで。いましばらくは戻ることはできません」
 菖蒲の言葉に、落胆したような空気が流れた。
 「ところでオルガンチノ先生、秀吉に不穏ふおんな動きは見られませんか?」
 菖蒲は黒装束の男をオルガンチノ先生と呼んだ。
 「今ノトコロ、ソウイウ情報入ッテキマセン。デモ秀吉ハ、我々ヤ、ポルトガル商人ノ動キヲ、探ッテル。近イ将来、何カ起コルカモシレナイ」
 オルガンチノと呼ばれた牧師は、少し周囲を警戒するような小声でそう言った。するとすかさず男の一人が「大きな心配ごとがひとつある」と話を続けた。
 「秀吉の九州征伐に備えて、九州の諸大名が武器、弾薬を手に入れるため、盛んにポルトガル商人と人身売買の取り引きをしていると言うのです。島津はともかくとして、中には有馬晴信や大村純忠等、キリシタン大名の名も含まれている。秀吉にしてみれば宣教師も南蛮商人も一緒なのだ。我らキリシタンに影響を及ぼさねばよいが……」
 「人身売買ですか……」と、菖蒲の声は悲しそうだった。
 「コノ件ニツイテハ、以前、バチカンカラ人買イスルナノ通達キテル。デモ、ダメ。ポルトガル商人、金モウケ第一ネ。イツマデタッテモ切レマセン」
 「それともうひとつ……」と、別の男が続けた。
 「右近様もそうでしたが、私たちは布教のために土着どちゃくの神社仏閣を破壊しすぎた。秀吉はそのことについても面白く思っていないはずです」
 「アナタ、ソレハ違イマス!」
 と話をさえぎったのはオルガンチノ神父だった。
 「私タチ、日本ノ人々救ウタメ来マシタ。人ハ懺悔ざんげニヨリ神ノ道ニ入レマス。主ハ逆ラウ者ニ遠クイマスガ、従ウ者ノ祈リヲ聞イテクレマス。ソシテ、主ハ言イマシタ。傲慢ごうまんナ者ノ家ヲ根コソギニシ、ト。神ニ従エナイ者は、ミナけものデス。異端いたんノ者ハ殺シテモ良イノデス」
 屋根裏で小太郎は身震いした。人を救うためと豪語ごうごしているキリシタンの教義は、実は人のための教えではなく、神のための教えなのだと直感した。
 「こんな低俗な教えを日本に広められたのではたまったものではない……」
 と小太郎は思った。少なくとも戦に明け暮れている各国の武将でさえ、末の太平の世を目指して戦っているのだ。―――と、まだ若い小太郎は単純にかつ純粋にそう考えている。中には名聞名利のために戦う者もいようし、覇権者になるために戦っている者もいよう。しかしそれらは自分であったり、身内であったり、狭小きょうしょうではあるが目的が人であることに違いはない。ところがいるかいないか分らない「神」といった抽象的なもののために行動するなど、小太郎には考えも及ばないことだった。
 「これはまず、菖蒲殿あやめどのを救わねば……」
 と、小太郎は屋根の隙間から射し込む陽の光をみつめた。
 
> 第1章 > 大坂城
大坂城
 高槻たかつきを発った二人は一番近くの淀川沿いの舟着場から、そこからは水路を使い、夕刻には大坂城下町の八軒家舟着場に到着した。そこから大坂城まではもう目と鼻の先である。舟を降りれば行きかう人々の活気は気のせいか、「ここは天下一の城下町や」とどこか誇らしげにも見えた。
 「御苦労でした。あなたの勤めはこれで終わりました。さあ、お行きください」
 と、菖蒲あやめ厄介やっかい払いでもするかのように言ったが、
 「真田幸村のところへ行くんじゃないのか?そこまでお伴つかまつる」
 と、勝手に彼女の後をついて歩く小太郎であった。遠くには大坂城の天守閣が見え、彼にとって初めて見るその勇姿はまさに圧巻で、「あれが秀吉の大坂城か……」と、口を半分開けたまま、町人に幾度となくぶつかりそうにもなった。
 近づくにつれ、その絢爛豪華けんらんごうかな姿をはっきり認められるようになり、夕陽に照らされて目を射るまばゆい光はすべて黄金で、五重にそびえる天守を包む黒漆くろうるしと屋根がわらの黒が、一層、装飾部の金色を引き立たせていた。世人が口々に言う如く、まさにこの世のものとは思えないほどの美しさである。
 やがて、菖蒲は京橋口の門まで来ると、番の男に、
 「信州尼ヶ淵あまがふち城主真田安房守あわのかみ昌幸の使いで参りました。真田幸村様に面会願います」
 と告げた。門番は証拠の書状を求めると、「しばらくお待ちください」と言って、それを事務処理の男に手渡した。そうして菖蒲と小太郎は、脇の待合所で待つことにした。
 「なんじゃ?幸村は城の中におるのか?」
 菖蒲は何も答えず、じっとあいに色を変える天を仰いでいた。
 当時、幸村は秀吉の人質として大坂にいた。そのころ豊臣と真田は敵対関係にはなく、家康はじめ四方を敵に囲まれた真田にとって秀吉は、むしろ友好的に事を運ばせたい存在であり、秀吉にとって真田は、徳川に付かせるにはあまりに危険な存在で、合わせて真田の天才的な戦略術に対しては、自分の手中に収めておきたい武将の一人であった。そのため幸村は、人質とはいえ形式上で、別段どこかに幽閉ゆうへいされるわけではなく、生活を拘束されるわけでもなく、実質は秀吉のお膝元で不自由なく暮らす居候いそうろうのような生活を送っていた。事実この期間の幸村に対して秀吉は、京の伏見に邸宅を与えていたくらいなのだ。もっとも今は、九州征伐の準備に伴い、大坂城内の西の丸の一角に蟄居ちっきょを命じられてはいたが、することもなく、暇をみつけては大坂城下町やその周辺の散策をするような、至って自由気ままな日々を過ごしていた。
 「それにしても大坂の街は京に劣らぬ賑やかさじゃ。ちと、そのへんを歩いてみんか?」
 小太郎の言葉に菖蒲は相変わらず何も答えない。
 「なんともつまらん女じゃのう……」
 と、そのとき二人の前を、数人の怪しい人影が取り囲んだ。見ればそのうちの二人は、京を出たとき襲ってきた菖蒲を護衛していた甲賀者に違いない。
 「虎之助、蜻蛉とんぼ……」と菖蒲の口からその二人の名がもれた。小太郎は面倒くさそうに、
 「おいおい、負けた腹いせの仕返しか?それにしてもずいぶんお目覚めが早かったじゃないか。もう少し寝ていても良かったのだぞ」
 と言いながら、腰の刀に手をかけ、ゆっくり立ち上がった。見れば全部で四人、否、物陰に息を潜めている者を含めれば十人いる。
 「ちょっと顔を貸してもらおう」と虎之助と呼ばれた男が言った。
 「わしはお前たちの替りに菖蒲殿をここまで送り届けてやったのだ。感謝こそされ無礼を受ける覚えはないぞ」
 「黙れ!伊賀者!」と今度は蜻蛉が言った。
 「ここは城門、できれば余計な騒ぎはおこしたくない。ついて参れ!」と虎之助。
 「騒ぎなど、わしの方はいっこうにかまわんぞ。迷惑をこうむるのはお前たちの主人だ。さしずめ真田幸村といったところか?悔しかったら刀を抜いてみろ!」
 と言いながら、小太郎は腰の刀を引き抜いた。いきり立った虎之助は「やむをえん」と刀に手を伸ばしたところが、そこに、パカパカと馬のひづめを鳴らせながら、騒ぎを横目に大坂城内に入って行く大名らしき十数名の一行があった。その最後尾を走って追いかける男の姿を確認した時、思わず小太郎は「才の字じゃねえか!」と叫んだ。なるほどそれは京の吉兆にいた服部才之進である。とすれば前方の馬に乗った大名は、彼が仕官をしていると言った加藤清正に違いない。
 才之進は一瞬立ち止まって、びっくりしたように小太郎を見た。
 「こ、小太郎……。なぜ大坂に?俺の後をつけて来たか?」
 「そんなんじゃない!それより、こいつらをなんとかしてくれ!」
 と、誰が見ても喧嘩が始まりそうな尋常でない空気の中で、周囲を取り囲む怪しげな甲賀者集団を指さした。
 「知らん、いま忙しい―――」
 と才之進は、路上に捨てられた紙屑かみくずでも見るように、そのまま一行を追いかけて城内へ入ってしまった。
 「まったく薄情な奴だ!」と、小太郎は助っ人を諦めて、刀を構えたまま相手の出方を待つことにした。そこへ、
 「お待たせして申し訳ない」と先ほどの門番がやってきた。と、気付いた時には、甲賀者たちは風のように消えていた。
 「そこもと、高山飛騨守友照の娘、菖蒲あやめと申す者に相違ないな?」
 「はい」と菖蒲は清廉な声で答えた。
 「真田幸村の侍女として迎え入れるようにとのお達しだ。城内に入ってよし!」
 高山飛騨守友照と聞いて、小太郎は「なにい?」と驚きを隠せず彼女の顔を見た。高山友照といえば、先に立ち寄った高槻村の元領主、高山右近の父親の名ではないか。とすれば、菖蒲という女は右近の妹ということになる。小太郎は、
 「それで高槻城に立ち寄ったのか?」
 と思いながら、門番に連れられて城内に入ろうとする彼女の後をつけたが、「お前は駄目だ!」と別の門番に差し押さえられ、「わしはその女の護衛だ!」と盛んに叫んではみたが、すでに閉門時間を過ぎた扉は、ガチャリと固く閉ざされた。
 「ちっ」と舌打ちをした小太郎だったが、考えることもあって、その日は大坂城下の旅籠に宿をとることにした。
 宿の座敷で腕を枕にし、横に末蔵から拝借した素焼きの茶碗に酒を入れ、それをちびりちびりとやりながら、小太郎の思考はめまぐるしく回転していた。
 高槻の宿場に着いた時、菖蒲は「絶対に後を付けるな」と言って出て行った。本当に付けてほしくないのであれば、行くことを控えるか、あるいは小太郎の目を盗んで密かに行くべきなのだ。それをわざわざ「付けるな」と言ったということは、高度な忍びの技を持ち、菖蒲に好意を抱いている小太郎に対しての言葉であるなら、逆に「付いて来なさい」と言っているのと同じである。そうだとしたら、
 「なぜ、あの教会のことをわしに知らせようとしたのか?」
 小太郎の勘繰りはいよいよ真に迫っていった。
 あそこで彼が知り得た情報は、菖蒲がキリシタンであるという事と、秀吉がキリシタンに対して抑圧を加える可能性があるという神父との密談の内容の二つである。仮に前者が目的だったとして、彼女にはどんなメリットがあるだろう。あるとすれば、彼女がくの一ではなく実はキリシタンだったという困惑を招き、小太郎を動揺させようとしたものか。しかしそれをしたところで無意味だし、もっと踏み込んで、「わしを洗礼に導こうとしたのか?」とも考えたが、いくら彼女が敬虔なキリシタンだったとしても、現在の二人の関係においては飛躍しすぎている―――。
 「いったい何を伝えたかったのだ……?」
 と、横になったまま酒をちびりと口に含んだ時、脳裏にひらめくものがあった。それは、先ほど知った菖蒲が高山友照の娘であり、高山左近の妹であるということが頭をよぎった時だった。
 昨晩、菖蒲は小太郎を殺め損ねた。しかも殺すことについては三度の失敗が重なり、少なくとも彼女は小太郎の忍びとしての実力を思い知ったに違いない。そして「契約」を口実に彼を従えたが、そこで彼のその力を利用する別の思惑を思いついた。それは神父との密談にあったとおり、万一、キリシタンが秀吉に迫害を受けるような事態になった時、兄である右近と父を守ってほしい……という彼女の淡い願いだという勝手な想像である。
 小太郎はアンテナの方向がピタリと一致したように、その心のメッセージを読み取った気がした。
 「かわいい女だ―――」
 と、小太郎は自分の推理を信じた。すると「よし、決めた!」と、突然むくりと起き上って茶碗の酒を飲み干したかと思うと、
 「わしは高山右近に仕えよう」
 と独り言をつぶやいた。
 ちょうどそこへ、宿の女中が部屋の障子を開けて顔をのぞかせると、
 「お客様、申し分けございませんが、お一人、相部屋でもよろしいですか?」
 と言った。
 「わしゃかまわんが」と答えて、同じ部屋に入って来たのが色黒い行商の男だった。男は恐縮しながら重そうな荷物をおろすと、「よろしゅう願います」と言いながら荷物にこびりついた雪を払い落した。小太郎は気にせず再び茶碗に酒を注いでいたが、すると、「おお……」と言いながらその男が無造作に近寄ってきた。
 「あ、あんた、この茶碗をどうしなはった?」
 「これか?これがどうした?」
 ゴミの中に宝を見つけたような顔をしたこの男の名を甚兵衛じんべえといった。その語るところによれば手に持ったこの素焼きの茶碗、朝鮮国で作られた沙鉢サバルという名品ではないかと興奮気味だ。なんでも千利休とも取り引きがあるとかで、一度彼のところに行ったとき同じ物を見たことがあると、目をらんらんと輝かせた。甚兵衛は主に大名相手に日常雑貨を売り歩いているから焼き物類の扱いも専門なのだと、「わしの目に狂いはない」と言い張った。更に詳しく聞けば、大名や上流階級の間で流行っている茶の湯の席では、いま、朝鮮産の焼き物のことが専らの評判で、欲しい人間は五万といるが、肝心の品が手に入らないのだとかねの匂いを漂わせた。
 「その品は、千利休さんと茶会をしたって、関白様に献上したって、目をまん丸くして驚かれる名品中の名品や。いったいどこで手に入れなはった?」
 「そんな高級な茶碗なのか……?」と、小太郎は信じられないといった目つきで、末蔵が光悦のところから帰って来た時のことを思い出した。
 「ど、どこってそりゃ、お前……、光悦大先生からのいただき物だよ……、多分……」
 「光悦って、あの本阿弥光悦先生か?」
 そう呟いた甚兵衛は、いよいよ本物であることを確信したのだろう、
 「さかずきがわりに使うなんてとんでもない話しやで!そんなんに使うなら、ひとつわしに譲ってくれへんか?」と、手持ちの商品と有り金の全てを小太郎の前に並べ、「これと交換というのはどや?」と小太郎の顔色を覗き込んだ。小太郎にしてみれば悪い気はしない。この茶碗がそんなに値打ちのある物なら、ここはひとつ価格を吊り上げられるだけ吊り上げてみようと、口から出まかせを語りはじめた。
 「馬鹿を申すな。それっぱかじゃこの茶碗は譲れん。なんといっても朝鮮国でも一、二を争う名匠が、天皇の依頼で十年の構想の末、丹精を込めて作り上げた逸品じゃと光悦大先生が申していた。焼き上がったとき、そのたくみは精根尽きて、その後数年間は土をいじれなかったそうじゃ。こんなガラクタとあぶく銭を並べたところで、一緒にしてもらっては困る」
 「ほな、なんぼならお譲りいただけますのか?」
 「そうじゃのう……、金十枚といったところかな―――」
 すると甚兵衛は少し考えた後、
 「分りましたわ。それで手を打ちまひょ」
 と、嬉しそうな表情をつくった。
 「でも、生憎いまは持ち合わせがありまへん。明日、堺のわての店で、耳を揃えてお支払いしますさかい、明日一緒に堺に参りましょう」
 小太郎は呆気あっけにとられて、「もっと高値を言えば良かった」と早くも後悔した。
 翌日、昨夜の申し合わせの通り、行商人の甚兵衛に連れられて堺の町に向かった小太郎だったが、歩いているうちに、沙鉢という高級茶碗が知り合ったばかりの強欲そうな商人の手に渡ってしまうのが惜しくて仕方なかった。それよりなにより、経緯いきさつは知らないがその茶碗は末蔵の物なのだ。売ってしまったことを知ったら一体どうなるか?
 幼少の頃一度、末蔵が「京の焼き物が手に入った」と、美しい色彩の京茶碗を見せてくれたことがる。それを手に取った小太郎は、ふいに出たくしゃみで落とし、ものの見事に割ってしまった。そのとき末蔵は三日三晩泣き続け、ついには「もう生きてはいけない」と、身投げして死のうとしたほどなのだ。
 それを思うととても売ることなどできない。否、末蔵のことはともかく、この茶碗は金百枚にも二百枚にも化ける代物なのだ。使いようによっては仕官の道が決まるかもしれない。それなら末蔵も喜んでくれるに違いないと自分を納得させ、もっと有効な使い道があるはずだと欲が出た。
 そうして判断をしかねているうちに、やがて堺の町に入った。
 かつてこの地は、摂津せっつ河内かわち和泉いずみの三国の境に位置しているところから「さかい」と呼ばれるようになった。戦国以前は漁港として発達したが、戦国期を迎えるにつれ西日本の海運拠点として使われるようになり、やがては明や南蛮などとの海外貿易の港として大きな発展をとげてきた、まさにその頃が堺の黄金時代だったといえる。
 その頃の堺は、会合衆えごうしゅうと呼ばれる商人独自の自治体制を形成していたが、織田信長がこの地を統治してからは、町には堺奉行の前身たる堺政所まんどころが置かれ、少し前までは石田三成がその代官を務めていたが、現在は堺の薬問屋の豪商小西隆佐りゅうさという男が務めていると言う。隆佐は小西行長の父親にあたる。
 秀吉が大坂城を築いてからは、城下町の方へと多くの堺商人が移住させられているため黄金期ほどではないが、貿易商として巨万の富をなした納屋なや助左衛門や、日比屋了珪ひびやりょうけいといった豪商や、町には鉄砲を作る鍛冶屋が立ち並んでいたり、あるいは千利休や今井宗久そうきゅうや津田宗及そうぎゅうなどの文化人の存在もあり、その活気はまだまだ健在だった。
 二人は紀州街道から大小路筋を曲がったところで、大きな屋敷が目に飛びこんできた。玄関に続く門の壁には十字をあしらった紋様がある。
 「これは誰の邸宅か?」と小太郎が聞くと、
 「ここは堺政所代官の小西隆佐様のお屋敷だ」
 と甚兵衛が言った。小太郎は「ふ〜ん」と答えたが、それにしても賑やかな町なのだ。
 「いま、各地の諸大名が大坂に集められておるやろ。そうでなくてもこの正月に、関白様が大坂城で茶会なんか開いたもんやから、それにあやかってこの堺におる千利休さんのところにも人がわんさと集まっておってな、毎日、あちこちで茶会、茶会の騒ぎやねん」
 「そんなに茶ばかり飲んでおって何が面白いのか?」
 「まあ、我々庶民には理解できない世界があるってことや。ほれ見てみい、あれは小西行長様に違いない」
 と、甚兵衛は馬に乗って辻を曲がる武士らしき男を指さした。
 「おおかた屋敷の茶室に客人を招いて、茶会でも開くのやろ」
 「小西行長……?誰じゃ?」
 「ほれ、代官の小西隆佐様の次男坊や。幼少の時に備前の魚屋ととやに養子に行ったんやが、その後、宇喜多家に気に入られて家臣になり、そのまま織田信長様に従ったって話やで。そんとき関白様に頼まれて水軍を率いるようになったんや。つまり日本水軍の大将といったところやな」
 「水軍ねえ……。しかし代官の息子ということは、そいつもキリシタンか?」
 「よう知っとるなあ!」
 「さっきの屋敷の入り口に十字の伴天連の印があったからな」
 「なるほど。きっと高山右近さんも一緒なんやろな。仲がよろしいそうですからな。とすると、日比屋了珪とか千利休さんも来ているかもしれまへんな」
 小太郎ははたと立ち止まった。
 「いま、何と申した?」
 「わて、なんと言いましたかいな?千利休さん?日比屋了珪?」
 「いや、その前じゃ」
 「高山右近でっか?」
 「そうじゃ!高山右近じゃ!いま、堺におるのか?」
 「おそらくやけどな。それが何か……?」
 「すまん、わしゃ用を思い出した。茶碗を売る話はなかったことにしてくれ」
 「そんな殺生な―――!金十枚でっせ!絶対おトクやないかい―――」
 甚兵衛は必死に引き止めようとしたが、そのとき既に小太郎の姿は煙のように消えていた。甚兵衛はきつねにでもつままれたような顔で、あたりを見回した。
 
> 第1章 > 招かざる客
招かざる客
 馬にまたがる小西行長の前に、突然現れてひざまずく黒い影は小太郎である。行長は慌てて馬を止めて「危ない!何者じゃ!」と叫んだ。
 「小西行長様でござるな?」
 「さようだが。いきなり無礼であろう!」
 「これから茶会を開くと聞いたが、拙者もぜひお招きいただきたい」
 「浪人の分際が顔を出すようなところではない。お引き取り願おう」
 「ぜひ小西様の客人たちにも見せて、自慢したき品がござる」
 小太郎は懐をごそごそやると、懐にしまっていた沙鉢を取り出した。途端、行長の目つきが変わると、
 「お主、それをどうした?」
 「茶会の席で申しましょう」
 行長は少し考えた後、「ついて来なさい」と言った。
 こうして通された小西隆佐の屋敷に設えられた四畳半の茶室には、薄茶色の小袖に浅葱色の裃を身に着けた凛々しい男と、黒ずくめの僧尼姿に茶人帽をかぶった六十も過ぎたであろう壮年が正座して静かに談笑していた。裃の男の胸には首から吊るされた銀の十字架が光っており、黒ずくめの壮年は手慣れた手つきで茶をたてている。一人は高山右近、もう一人は千利休である。やがて小西行長は小さな茶室の入り口をくぐるようにして中に入ると、「お待たせして申し訳ない」と謝りながら右近の隣に正座し、
 「来る途中で変な男に会いましてな。面白い茶器を持っておったので連れて来た」
 と笑い、少し高邁な口調で「入れ!」と言った。
 「なんとも狭苦しい部屋じゃのう!」
 作法どころか礼儀すらわきまえない小太郎は、鼠のように素早く茶室に入るなり空いている空間にでんと胡坐をかいた。
 「突然のお招き感謝いたす。拙者、仕官の口を探して放浪しておる甲山小太郎と申す者―――」
 “甲山”と聞いて、右近の視線が一瞬小太郎の方へ向いた気がした。
 この高山右近という男、キリシタンである前に人徳の人として知られ、牧村正春、蒲生氏郷、黒田孝高など、多くの大名が彼の影響でキリシタンとなっていた。その人徳故に、キリシタンに好意的な大名も多くおり、どんなに酒を飲んでも羽目を外さず、その真面目な人柄は秀吉も大いに評価した。茶道においては利休十哲と称されるうちの一人に数えられ、別の一人織田有楽斎は『清の病いがある』とまで言わしめるほどの高潔ぶりだった。
 宣教師ルイス・フロイスは著書『日本史』の中でこう記す。
 「ジュスト(正義)の名にふさわしい城主(右近)と交わったことほど、ヴァリニァーノ神父を満足させ驚嘆させたものはない。彼はまだ二八歳の青年だが、信長の最も勇敢な武将の一人であるにも関わらず、教会や神父に対しては謙虚であり従順であり、召使いのようである」
 と、キリスト教に対しては一層その人間性は際立ち、それが右近の武器でもあった。
 小太郎はその高潔な双眸に吸い込まれそうな感覚になりながら、
 「巷を歩いておったら小西様の館で茶会があると聞き、そこに高山右近様がおられると聞き及び、こうして参った次第」
 と言い、右近の方へ面を向け「高山右近様とお見受け申した」と言うと続けざまに、
 「拙者を雇っていただけぬか」
 畳に額をすり寄せるように平伏した。小西行長は高笑いを響かせながら、
 「いきなり何を申すかと思ったら仕官願いか。そんな話は後じゃ、ほれ、例の茶器を見せてみろ」
 と場をつくろったが、当の右近は至極真面目な顔付きで小太郎の生まれを問うた。
 「伊賀は上野にござる」
 「忍びか?」
 「雇うて損はさせぬ」と、小太郎は不敵な笑みを浮かべた。
 「なぜ私のところで働きたいのか?」
 「実は……」と、小太郎は大坂に来る道中高槻に立ち寄り、そこで見聞きした右近の人徳に感銘したのだと、菖蒲のことは省いたところでまことしやかに嘘を並べた。その話を信用したしないかは別として、右近は話をそらすように正面に置かれた重厚な茶碗を小太郎の正面に置くと、静かに、
 「まずは一服いかがかな?」
 と淹れたての茶を勧めた。作法などまるで心得ない小太郎は、ぶっきらぼうに「頂戴つかまつる」と右手で鷲掴みに一気に飲み干した。小西行長はその姿を見て苦笑いを浮かべたまま。
 「茶菓子もどうぞ」と右近は手前の菓子置きも勧めた。見れば高槻の協会でひと粒だけ食べたコンフェイト(金平糖)に違いない。小太郎は大喜びでふた粒ほどつかみ、口中に放り込むとカリカリと噛み砕いて「うまい!」と言った。
 「ときに、そなたの父の名は何と申しますかな?」
 右近の言葉は小太郎の全てを見抜いているかのような落ち着き払った声だった。そして「当てて進ぜましょう」と続けざまに出た「甲山太郎次郎ですな?」と的中させた右近に対して、小太郎は大きな警戒心を抱かずにはおれない。
 「こやつ、何者か?」
 と一瞬眼光に現れた懐疑の色を見てか知らずか、右近は穏やかな口調で続けた。
 高山右近は天文二十一年(一五五二)、摂津の国高山(現在の大阪府三島郡)の城主の子として産まれた。高山の姓はその地名を冠したものとも言われるが、もともとは、その先祖を探れば近江は甲賀の出であり、甲賀五十三家に高山家があるが、その始祖高山源太左衛門こそ祖であると、「私もそなたと同じ忍びの血を引いております」と右近は笑った。
 それは右近の父友照の親、つまり右近の祖父は重利と名乗る摂津高山の土豪であるが、もともとは近江南部を中心に勢力を奮った守護大名六角氏の傘下にあった。室町幕府による六角征伐、世に言う鈎の陣(長享・延徳の乱)では、後に甲賀流忍術の中心となるこの甲賀五十三家が巧みなゲリラ戦法で大活躍をする。ところが戦国時代の様相が深まると、近畿地方の勢力争いの混乱の中で、父友照は三好氏の勢力下にあった松永久秀の配下となり、永禄三年(一五六〇)大和国の沢城主を任される。
 高山親子の転機は永禄六年(一五六三)に訪れた。
 イエズス会宣教師ガスパル・ヴィレラが大坂堺で布教活動をすることを知った僧侶たちが、時の領主松永久秀に宣教師追放を願い出たことが発端だった。キリスト教と仏教の教義対決をさせた上で追放しようと考えた秀久は、公卿の清原枝賢を仏教側論者に立て、当時仏教に造詣の深かった友照らを審査役に抜擢して議論をさせたのである。キリスト側の論者はロレンソ了斎であったが、そのとき友照はすっかりキリスト教に傾倒してしまい、この年、ヴィレラ司祭を沢城に招き、ダリヨという洗礼名を受け改宗したのである。
 それに伴って翌年、右近もジェストという洗礼名を受ける。まだ十二歳の少年であった。同時に右近の母も洗礼名マリアとなり、妹も含め一五〇名ほどの家臣達がキリシタンとなったのであった。“妹”と聞いて小太郎の目付きが輝いた。
 「その妹、今はどうしておる?」
 右近は一瞬不審の色を表情に映したが、やがて悲しそうに、
 「可哀想なことをいたしました。和田惟政に嫁いでいましたが“白井河原の戦い”で荒木村重に敗れ人質に取られてしまいました。そして九年前、村重が信長に謀反を起こし、結局信長に殺されました。あの時、高槻のキリシタンを守るために私は信長に従うしかありませんでした。結果的に妹を売る形になってしまいましたがね」
 小太郎は「何の話だ?」と首を傾げた。聞きたいのはそんなことでない。
 「殺された? 妹は一人だけか? もう一人いなかったか?」
 「さて?テレジアのことでしょうか?」
 「テレジア?」
 小太郎は今まで“菖蒲”だとばかり思っていた魔性の女が、“テレジア”と呼ばれたことで聖女にでも出遇った新鮮さを覚えた。一方右近の方は、洗礼を受けた時は産まれたばかりの赤子だった彼女を思い浮かべながら、
 「まだあの子が四、五歳だった頃でしょうか? 沢城から芥川城に移る際、戦に巻き込まれてしまう身の上があまりに不憫で、高山家の縁者を頼って甲賀の山奥に隠し置いたのです。高槻城にいた頃はよく遊びに来ておりましたが、よほど甲賀の里が気に入ったとみえます。明石に移ってからは会ってはおりません。もう二十歳を過ぎておりましたかな……」
 「そろそろ婿を考えてやらねばなりませんな。はやり嫁ぎ先はキリシタン大名でしょうな?」
 脇から行長が口をはさむと、右近は「無論」と言うように笑った。
 「それよりテレジアを知っているのですか? どこでお会いになりました?」
 小太郎は話すのをはばかった。この鼻に付くほど丁寧な口調な男に、彼女が“くの一”であることを言うべきか否か迷ったのである。おそらく甲賀の縁者に預けたということは、それなりの末路を考えてのことだろうが、一大名の娘が忍びになったなど、武士にとってはあまり喜ばしいことでないはずだ。暫く沈黙を保っていると、
 「そなたが仕官をしたいと申しますから、私は家の話をしております。主従関係を結ぶのでしたら、隠し事はなしにしようではありませんか? それとも、誰かの依頼で私を探りに来たのでしょうか?」
 右近は優しげな口調を翻して、
 「だから伊賀者は信用ならぬと噂が立つ―――」
 とぶっきらぼうに吐いた。伊賀忍者の悪口にカッと血をのぼらせた小太郎は、
 「誰がそのような事を申した!」
 すると右近も行長も利休も、そのケツの青さに思わずプッと吹いた。小太郎は右近の挑発だったことに気づいて観念した。
 「テレジアというのは知らんが、高山飛騨守友照の娘で菖蒲と名乗る女なら、信州の真田安房守に仕えて今は大坂城内におる真田幸村のところにおるわい!」
 「真田? あの喰えぬ男として名高い天下のひねくれ者を、洗礼に導こうというのかな?」
 右近は楽しげに笑い声を挙げた。
 「あの女の目的は、真田昌幸をキリシタンにすることか?」
 菖蒲のことをいろいろ勘ぐっていた小太郎は、拍子抜けするほど単純な結論に思わず声をもらした。右近は続けた。
 「真意は彼女に聞いてみなければ分かりませんが、あの娘の中にはキリシタンの血と忍びの血の両方が流れております。どちらを選ぶも、また、どちらに流されるも、テレジアの自由であり運命でしょう」
 小太郎は、あの妖艶な乳房を思い浮かべながら、菖蒲の躰には悪女と聖女が同居しているのだと納得した。
 「ところでそなた、コウヤマ小太郎と申しましたな。テレジアのことを教えてくれたお礼といってはなんですが、小太郎さんの先祖のことを教えて進ぜましょう。コウヤマとは漢字でどう書きますか?」
 「亀の甲の“甲”に野山の“山”じゃ」
 右近は「やはりな」と含み笑いを浮かべると、
 「“甲”の字は昔、“高い”の“高”の字をあてていたと推察しますがいかがでしょう?実は当家も以前は“タカヤマ”ではなく“コウヤマ”と読んでおりました。つまり小太郎さんの先祖と私の先祖は同じ甲賀五十三家のひとつ高山家ということになります。これも何かの縁でしょう、仲良くしようではありませんか」
 小太郎は自分の血の中に甲賀の血が混じっていることを聞き虫ずが走った。伊賀者としての誇りを至上の名誉として生きてきた彼には、あの赤猿と同類であるなど許せない。しかし以前(織田信長という男が台頭する以前)は、山を挟んだだけの集落同士、甲賀も伊賀もなく情報を共有していたという話を思い出す時、「さもあらん」と納得してしまうのであった。
 「私は小太郎さんを仕官させてもかまいませんが、ひとつだけ条件があります」
 右近が言った。「なんじゃ?」と小太郎が言うより早く、
 「デウス様の洗礼を受けて下さい」
 「俺にキリシタンになれというのか?」
 「条件はそれだけですが、いかがしますか?」
 小太郎は高槻の伴天連の寺で目の当たりにしたキリシタンの妙な儀式と、屋根裏で盗み聞いた彼等の怪しげな密談でキリスト教に対する大きな不信感を抱いたことを思い出した。キリスト教の教義は“人のため”の教えでなく“神のため”の教えなのだと達観していた彼は、俄かには即答することができなかった。
 「私は近いうちに秀吉様に伴って九州へ立つことになります。それまでにお考えください」
 右近はそう言うと茶をすすった。現に彼がいま堺にいるのは、九州征伐において秀吉から前衛総指揮官の役目を命じられたからであった。
 「すっかり冷めてしまいましたな。淹れなおしましょう」
 利休は右近の茶碗を戻し、飲みかけの茶を捨て、先ほどからチリチリと小さな音をたてて沸いている茶瓶の湯で手際よくすすぐと、再び抹茶を立てはじめた。
 妙な息苦しさを覚えた小太郎は、「出直して参る、ごめん!」と言ったと思うと、煙の如く姿を消した。そして消えたそこには彼が忘れ置いた沙鉢があった。
 「おい! 忘れ物だぞ!」
 行長が大声を張り上げたが、小太郎は戻って来なかった。「どうしたものか?」と首を傾げた行長から沙鉢を手にした利休は、面妖な顔付で呟いた。
 「これは以前、わしが京の本阿弥光悦殿に差し上げた朝鮮の器に違いない。見ず知らずの妙な男によって再び戻されるとは不思議なことじゃ。およそ真に高貴な物は、自らを得るに相応しい持ち主を選ぶものか? 仕方ない、暫くわしが預かっておくことにしよう」
 茶室に招かざる客が去り、三人は落ち着きを取り戻して静かな談話を続けた。
 
> 第1章 > 大航海時代の中の島国
大航海時代の中の島国
 小さな島国である日本国内が戦乱に明け暮れていた頃、世界はどうであったか?
 『大航海時代』という言葉が象徴するとおり、それは羅針盤がヨーロッパに伝わったことと、造船技術の発展がもたらした、海を股にかけた地球的規模の新しい時代の到来であり、それは欧州西南のイベリア半島から興った。
 国でいえばヨーロッパ最西端に位置するポルトガルであり、またスペイン(イスパニア)であり、およそ海に突き出す半島や岬のような地形が文明の起点になったり、先駆者を輩出する傾向があるのは、海には人の夢とロマンを駆り立てる力があるからかも知れない。世界初の『航海学校』を創設したポルトガルのエンリケ王子が移り住んだのも、そこイベリア半島南端に位置するサグレス岬であった。長い間イスラム勢力からの圧力を受けてきたこの両国は、まだ見たことのない海の向こうの世界へと飛び出したのである。
 十五世紀半ばのヨーロッパとアジアを結ぶ交易は、地中海が大きな役割を担っていたが、その制海権はオスマントルコが握っていた。その高い関税から逃れるためには、ヨーロッパ諸国にとっては新しい交易ルートの開拓が不可欠だったのである。
 そのころポルトガルにおいてはエンリケ航海王子、スペインにおいてはカルロス一世の出現により、ヨーロッパ諸国に先駆けて中央集権型の国家が確立しており、イスラム勢力に対抗し得る力を蓄えつつ、北アフリカ沿岸への進出を果たし、やがては競い合って大海原へ乗り出すようになっていく。すると未知の国から得る利益で一夜で巨万の富を得るような者達も現れ、ついには一大航海ブームを巻き起こしたのである。
 一四八八年、ポルトガルのバルトロメウ・ディアスはアフリカ南端の『喜望峰』を発見し、その十年後には同じポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマは、『喜望峰』を経由しモザンビーク海峡を通ってインドに到達する。そしてインドから胡椒をはじめとする香辛料を持ち帰った。ヨーロッパで香辛料は古代から貴重品だったのである。
 十六世紀に入り、ポルトガルの軍人フランシスコ・デ・アルメイダは、国王の命により遠征艦隊を率い、インドのディーウ港の近くのアラビア海でイスラム勢力に勝利して、インドとの直接交易を獲得するに至ると、その勢いでマレー半島、セイロン島と次々東南アジアの国々を掌握せしめ、一五五七年にはマカオに極東の拠点を築きあげた。
 日本の種子島に鉄砲が伝来したのも一五四三年というからちょうどその頃で、その時渡ったたった二丁の鉄砲は、三十二年後の長篠の戦いでは織田信長の手により、槍や刀に替わる戦闘兵器へと変貌を遂げるのである。
 一方、ポルトガルに少し遅れをとっていたスペインは、航海探検家のコロンブスを雇い、彼が提唱していた「地球が球体であるならば、西に進めば東端にたどりつく」という西回りインド航路の開拓に乗り出した。コロンブスはもともとマルコ・ポーロの『東方見聞録』に記された黄金の国ジパングに強く惹かれていたというが、一四九二年、スペインのパロス港を大西洋へ出航した彼は、皮肉なことにアメリカ新大陸の発見という思わぬ結末を見る。
 アメリカ大陸には豊富な金銀があった。新たな交易品を得たスペインは、やがてかのアステカ帝国やインカ帝国をも植民地化し、ついには滅ぼしてしまうのである。
 アメリカ大陸の発見により大航海合戦は、今度はスペインが先んじた。するとポルトガルは、一五〇〇年にブラジルに到達して植民地とし、原住民に母国語を強要し、かつ富を奪っていく。
 対してマゼランを擁したスペインは、一五一九年、西回りで東南アジアのモルッカ諸島へ向けて航路開拓に出る。そして南アメリカ南端のマゼラン海峡を通過し、広大な太平洋を横断して、ついにグァム島に到達、一五二一年にはフィリピン諸島に至る。ここで住民の争いに巻き込まれたマゼランは殺害されるが、部下エルカーノが率いるビクトリア号は一五二二年、見事世界一周を成し遂げて、地球が球体であることを実証したのである。出航の際は五隻の船に二六五名いた乗組員は、このとき残された一隻の船には一八名が乗り合わせていただけだったという。一五七一年、フィリピンはスペインの植民地となるが、そうした権利をめぐって、スペインとポルトガルはしばしば摩擦を起こすようになった。ちなみにフィリピンという名は、当時スペイン王子であったフェリペ(後のフェリペ二世)にちなんで付けられた。
 新航路開拓と海外領土獲得競争がいよいよ白熱化してくると、両国間に激しい紛争が発生するのは必然だった。特に香辛料の一大産地であるモルッカ諸島の奪い合いは熾烈を極め、加えて他のヨーロッパ諸国の海外進出も重なり、独占体制を脅かされるようになった両国は、ローマ教皇に仲介を求める。
 こうして締結されたのが一四九四年のトルデシリャス条約である。つまりヨーロッパを除く地域で、西経四六度三七分を境に東側の新領土をポルトガルに、西側をスペインに属することが定められた。ところがマゼラン艦隊が世界一周を成し遂げた際、「地球が丸いのであれば、もう一本線を引かなければ意味がない」ということになり、一五二九年、東経一四四度三〇分の子午線を第二の境界としたのである。これがサラゴサ条約で、この際アジアにおける地位を保全してもらう代償としてスペインに賠償金を支払ったポルトガルにはマカオにおける権益が承認され、子午線の西側にあるフィリピンもまた、例外としてスペイン領として認められた。
 ところがこのサラゴサ条約が島国日本においては、一層複雑な状況を生み出す結果となった。現代の正確な地図でいえば、東経一四四度三〇分の子午線は北海道の摩周湖あたりを通ることになり、それより西にある日本列島のほとんどはポルトガル領有権内になるはずなのだが、当時のおおざっぱな地図によれば、日本は東西真っ二つに分断される形になった。つまり日本は極東であると同時に、イスパニアとポルトガルの衝突地点ともなり、両国の人種が入り乱れて日本の末をどう料理するか、虎視眈々と狙う格好の標的だったわけだ―――。
 総じて要約すれば『大航海時代』とは、ポルトガルとスペインが我がもの顔で世界を凌駕するやりたい放題の時代であり、きれいな言葉を使えば“海外貿易”であるが、その内実を問えば、未文明地帯の資源や源産物の略奪であり、原住民の奴隷化であり、汚い言葉を使えば“世界侵略”なのである。
 侵略される側から見れば、東南アジアや南米の原住民達は、なぜいとも簡単に彼等の奴隷となってしまったのか? それについては、それまでアジアを支配した封建主義や、南米に見られた神君主義が人々の精神を無気力にしていたという見方である。つまり命令されたり、服従することに慣れ切ってしまっていた原住民たちの前に、突然現れたポルトガル人やスペイン人は、見かけは非常に紳士的で、金持ちな上に頭も良い。そんな人間たちが技術革新で得た見た事もない珍しい品々を目の前でちらつかせ、おまけに彼等は驚嘆するほどの巨大な船でやって来た。最初から抵抗できるはずがないと諦めた原住民たちは、ヨーロッパの人々を“新しい主人”として容易に受け入れた。あるいは他者を受け入れる大らかな精神的土壌があったのだろう。
 それにしてもヨーロッパ人の世界進出には非道極まりない面が目に付き過ぎる。ここから白人至上主義というヨーロッパ人特有の傲慢さが生まれたのだと思うが、彼らにとって白人以外の人種は動物であり、人間ではなかった。白人種こそ世界に最たる霊長類であると過信した彼らの蛮行は、略奪や侵略はもとより、奴隷化した原住民達を人身売買の“物”にまでしてしまうのである。
 本来そうした人道を正す役割を果たさなければならないのが宗教のはずだった。
 ところがヨーロッパの宗教(カトリック教会)はといえば、大航海時代とほぼ時を同じくし、ローマ教皇を頂点とした巨大ピラミッド型の組織は強大な権力を持って形骸化していた。聖職者であるはずの牧師たちはその権威をかざし、迷える信徒を救うどころか、免罪符を売って金儲けの道具にしていたのである。
 その腐敗ぶりに立ち上がったのがドイツのマルティン・ルターであった。彼から始まった改革運動は、カトリックに対抗するプロテスタント諸派を誕生させながら、またたくまにヨーロッパ全土に激しい宗教革命の波を起こしていったのだ。
 そもそも『大航海時代』自体、ポルトガルとスペインによって開かれたようになっているが、実は当初、国家や商人が大航海に乗り出すためには、カトリック教会の長たるローマ教皇の許可が必要だった。ヨーロッパ諸国に先んじてポルトガルとスペインは、このローマ教皇からその大義名分を得ていたわけだ。
 しかもである、ローマ教皇は航海の許可を与えていたばかりでなく、先住民の奴隷化を認め、キリスト教徒に対しては征服戦争への参加を呼びかけた上に、加担者には贖宥(免罪)まで与えていたという事実を知れば、一体宗教とは何であろうかと誰もが首を傾げたくなるはずだ。少なくともカトリックには、白人至上主義という危険なイデオロギーを抑制する力がなかったばかりか、それを助長する働きを作り出したのである。
 そもそもキリスト教は一神教であり、世界はその神なる一人の手によって創られたと説く。ローマ教皇はその神の名代であるならば、世界はすべからくローマ教皇に従うべきだという論理は彼等の教義の上では成り立つかもしれないが、本来宗教の使命とは、一人の人の幸福を実現するために布教するものであり、原住民を蹂躙し、富を得るために布教するのではない。宗教の正邪を見極める一つの方法として、その宗教に属する人達の考え方や振る舞いを見ることは、大きな判断材料であるだろう。
 次々とプロテスタント諸派を生み出した宗教革命の嵐は、ヨーロッパ諸国で連鎖的に立ち起こっていた。
 そんな中、プロテスタント勢力に対抗するように創設されたのが『イエズス会』である。一五三四年のことだった。イグナチオ・デ・ロヨラを筆頭に、パリ大学の学友だった七名の同志は、パリ郊外モンマルトルの丘中腹のサン・ドニ聖堂に集い、清貧、貞潔の誓いとともに「エルサレムへの巡礼と同地での奉仕、それが無理なら教皇の望むところ何処へでもゆく」という誓いを立てるのである。その中には日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルもいた。
 そして『モンマルトルの誓い』を立てた一行はイタリアへ赴き、一五四〇年、正式にローマ教皇から修道会としての認可を得たのだった。極東の日本にキリスト教が伝来したのは、それからわずか九年後のことである。
 プロテスタントの増幅に危機感を抱いていたカトリック教会にとっては渡りに船だった。海外での新たな信者獲得のため、カトリック教国でもあるポルトガルとスペインが獲得した領土へ、使命感あふれる彼等を宣教師として派遣するようになったのである。
 つまりローマ教皇自身が海外侵略を強力に後押ししつつ、世界的な布教活動を開始する形になった。いわば原住民たちを蹂躙する暗黒の大航海時代の黒幕こそ、当時のローマ教皇と言われても仕方がないわけだ。
 年代と事柄を若干前後させながら記してきたが、大要はさほどずれていないと思っている。

 さてそんな大航海時代の中にあった島国日本の方へ目を移そう。
 天下統一を目前にした豊臣秀吉が、否が応にもその世界の動向に対峙しなければならない立場に置かれていたことを知るのは間もなくである。
 四国を治め、九州さえ平定できれば実質的な天下統一を果たすことになる秀吉は、最後の抵抗勢力である九州の島津氏討伐のため、八万の軍勢を率いて大坂城を発ったのが天正十五年(一五八七)三月一日のことだった。
 山陽道を下り、同月二十五日には本州側関門海峡の袂、赤間関に到着した彼は、異父弟の豊臣秀長と軍議を交わし、二十八日には海を渡っていよいよ九州に上陸する。更に小倉城を経て翌日には豊前馬ヶ岳(行橋市大谷)まで進軍を続け、四月一日には島津氏に味方していた秋月氏の守る、豊前一の堅城と言われていた岩石城をわずか一日で陥落させ、その後は筑後高良山を経由して同月十九日には肥後八代(熊本県八代市)に到着した。
 ここまで来れば島津氏の本拠地である薩摩はもう目と鼻の先、加えて秀吉軍は総計二十万の圧倒的な兵力を擁しており、もはや島津氏の降伏は時間の問題だった。
 そんなとき秀吉の前に現れたのが、ガスパル・コエリュというポルトガル人である。
 彼はイエズス会の宣教師であり、一五七二年(元亀三年)に来日し、九州地方における布教活動に当たり、イエズス会日本支部の準管区長も務めた。実はこのとき秀吉に謁見するのは二度目で、一度目は昨年(天正十四年)三月、九州地区の責任者として畿内の巡察を行った際、大坂城において日本における布教活動に対し正式な許可を得た時だった。
 そのときコエリュは秀吉にこう述べた。
 「日本全土がキリスト教に改宗した暁には、いよいよ次は中国でございます」
 これを通訳がどう訳したかは知らないが、秀吉は、
 「その折はそなた等の大型船を予に貸してくれるかな?」
 と言った。
 「それはもちろんでございます!」
 大いに気を良くした秀吉は、その見返りに布教の許しを与えたという経緯があった。
 日本全土を改宗した際には日本人を尖兵として、広大な中国に攻め入るという構想は、サラゴサ条約によって中国の領有権を持つポルトガルを祖国とした多くの宣教師達の共有認識だった。コエリュは肥後でもこれと同じようなことを述べた。
 「九州を抑えれば中国への道は開けます。神にご武運を祈りましょう、アーメン……」
 すると秀吉はコエリュの腹を探るように、
 「天下統一を果たした上は、まずは秩序立てた国を安定させ、大量の船を作って二、三十万の兵を率いて“唐入り”しようと思う。お前らポルトガル人はこれを喜ぶや否や?」
 と付け加えた。“唐入り”とは中国に行く事である。当時中国は明王朝であるが、仏教をはじめ中国が唐の時代に日本に流入した多くの文化の影響だろう、広く中国のことを“唐”の字を当てていた。するとコエリュはこう答えた。
 「大坂に凱旋される際は、ぜひ長崎にお立ち寄り下さい。関白殿下が驚かれる物をお見せしましょう」
 「帰りは博多に寄るつもりじゃ」
 「承知いたしました。ではそちらに」
 当然秀吉は、彼等が提供してくれるであろう大型船を思い浮かべた。ルイス・フロイスの『日本史』には、中国征服をほのめかせた秀吉の言葉を聞いたポルトガル人らの答えを聞いた時、「関白は無上にご満悦の様子だった」と記している。
 秀吉にとっての“唐入り”の構想は、このときに初めて降って湧いて出たようなものではない。「唐入り」という構想自体は既に織田信長が抱いていたことは、フロイスの証言するところであるし、信長のそれは家臣たちの割譲を目的としたものであった。
 秀吉が信長のその構想を聞いていたとするのは想像に難くなく、彼が初めて「唐人り」の意思を言明したのは、天正十三年(一五八五)九月三日付けの一柳末庵に宛たの朱印状の文面の中でである。そこには、子とも思う作内(加藤光泰)に要の城である大垣まで任せたのは、「日本国は申すに及ばず、“唐国”迄仰せ付けられ候心に候か」とある。つまり「唐人り」を子飼いの部将のために命じるのだと言っている。
 九州平定に自ら足を運んだのも、この「唐人り」のための重要拠点となる九州を、一刻も早く統治しておきたかったからとも取れ、少なくともこの時点でポルトガル人と秀吉の利害は一致していた。
 九州平定の方は、その後迅速な速さで薩摩国内に進軍した秀吉が、陸と海からの攻撃を開始し、島津方は女、子どもを巻き込んで善戦したが、五月八日、島津義久の剃髪をもって終結する。
 そして島津氏の降伏を見て帰途につく秀吉であるが、その翌日の九日には正室寧々の侍女である“こほ”という女性に宛てた書状の中で、戦勝報告と合わせてこんなことを言っている。
 「かうらい国(高麗国)へ御人しゆ(衆)つか(遣)はしかのくに(国)もせひはい(成敗)申つけ候まゝ、其あひた(間)はかた(博多)にとうりう(逗留)申へく候事。」
 高麗国とは朝鮮のことで、「朝鮮へ人を遣わして成敗を申し付けたままなので、暫くは博多に滞在する」と。更に熊本から本願寺に宛てた六月一日付けの朱印状には、対馬の宗氏の朝鮮との交渉状況を窺わせる内容が記される。
 「高麗国の事、対馬の者(宗氏)からは、いろいろ御調物を備え、重ねて人質を進上すると聞いている。懇ろと言えども申しておくが、調物などという気遣いは無用であると我が国は思っており、高麗国王が参内するという言葉が聞きたいのである。もし滞るならば、かの国へ人を送り追究したうえで成敗するつもりである。」
 天下統一を果たした直後の秀吉は、かなり上機嫌で有頂天になっていたに違いないが、続けざまに朝鮮のことを気にしているのは、次に成すべきことが朝鮮に関係していることを示す手がかりではないか。しかもこの内容から読み取れるのは、秀吉にとって朝鮮は、従わせるべき相手であって攻撃対象ではないことだ。つまり何のために朝鮮を従わせるのかが問題である。
 人の思考や思惑といったものは、言動に顕われるよりも、増して手紙で文字に記すよりも、遥か先の事を、しかも深く考えているものである。既に秀吉の頭の中では、ポルトガルの威光と文明力を後ろ盾にして、唐入りを果たす道筋のイメージがすっかり出来上がっていたに相違ない。それが戦国時代に天下人となった英雄の性であり、責任でもあった。
 
> 第1章 > 宣教師とポルトガル商人
宣教師とポルトガル商人
 その頃小太郎は長崎にいた。
 高山右近の臣下となるためにはキリスト教への改宗を条件に突き付けられた彼だったが、どうしても神の存在というものが信じられず、返答をうやむやにしたまま「九州討伐が終わったら結論を出す」と、秀吉に従軍する右近に伴って九州まで来ていたのである。
 「長崎はこの国におけるキリスト教のメッカですから、そこで洗礼を受けるのも良いでしょう」
 と、右近は小太郎の随行を気にする様子もなかったが、彼の言う通り長崎にはキリスト教信者が多い。というのもここは日本初のキリシタン大名と言われる大村純忠の領地で、ポルトガルとの貿易のために長崎港を開いた彼はバルトロメオという洗礼名を受けてより、宣教師ルイス・アルメイダやガスパル・ヴィレイラのもと積極的な布教活動をしてキリシタンの一大拠点を作りあげていたからである。仏寺を改造してトードス・オス・サントス教会を設け、一時は信者数六万人を越えていたとも言われ、その数は全国にいる信者の約半数を占めるほどの、右近にとっては尊敬に値する人物だった。
 ポルトガルの通商責任者であるドミンゴス・モンテイロという男もイエズス会日本本部におり、秀吉が薩摩で九州平定を成し遂げると、ひと足先に帰路に付いた右近は、その足で長崎に赴いたというわけだった。そこには熊本で秀吉に謁見したコエリュもおり、右近に少し遅れて小西行長や黒田孝高(官兵衛)も合流する手はずだった。
 「おお小西殿、薩摩での水軍の活躍、噂が聞こえてきましたぞ」
 行長の顔を見るなり、右近は嬉しそうに出迎えた。このたびの薩摩の戦い(平佐城の戦い)では、先鋒を任された小西行長が平佐城を激しく攻め込み、島津氏降伏の最後の決定打を放ったのである。
 「なあに、大したことはないさ」
 行長は満面に笑みをたたえて答えたが、ふと右近の近くにいた小太郎に気付くと、
 「なんだお前、なぜここにおる?」と馬鹿にしたように笑った。一、三〇〇程の兵を率い、進軍先で秀吉本陣を必死で守っていた右近の近くを、助けるでもなく守るでもなく全く意味もなくただ追い回していた小太郎は、
 「いちゃ悪いか!わしだって戦陣に加わっておれば、義久と義弘の首など二つ揃えて右近殿に献上しておるわい!」
 と行長の功績に当て付けるように言った。その強がりに呆れたように「なんだ、まだ入信しておらぬか?」と行長はまた嘲た。
 「なかなか頑固な男でのう」と右近もあきれ顔で言うと、
 「官兵衛殿はどうした?」と、行長は小太郎を軽くあしらったまま話題を変えた。
 「日向国方面から薩摩攻めを行ったから、博多で落ち合うつもりだろう。我々だけで参ろう」
 右近と行長が向かったのは大村純忠の邸宅であった。九州平定において大村は秀吉に従ったが、すでに病床にあり出陣すること叶わず、二人はそれを見舞うつもりもあったのだ。
 大村の凄さというか無謀さは、キリスト教やイエズス会に対する一途さにある。天正遣欧少年使節をヨーロッパへ派遣したのも彼だが、自分の領地であった長崎港周辺と、天草湾側の茂木地籍をイエズス会に寄進してしまうという敬虔さである。生来住み慣れた自分の土地とはいえ、もとをただせば日本の国土、独断で国外の者達に譲ってしまうのはどうか? そうなるとポルトガル商人にとってはやりたい放題で、硫黄や銀、海産物や、刀や漆器はもちろん、やがては日本人を奴隷として買い取り海外へ売りはじめた。それがヨーロッパ人のいつもの手段であり、じわりじわりとその国を植民地化していくのだ。
 屋敷に着くと、右近は小太郎に「ここで待っていなさい」と命じた。ところが、どんな話をするのか気になって仕方がない小太郎は、いつもの通り屋根裏に忍び込んでこっそり会話を聞いてしまおうと考えた。
 床に就いている純忠は二人の姿を認めると、「本来ならばお迎えに出なければならぬところを……」と言いながら気怠そうに上半身を起こし、二人をそばに手招いた。枕元には鳥かごに飼われたメジロが一羽、止まり木の間をはねている。
 「そろそろ私も死ぬようじゃ。さて、私はデウス様のもとへ行けようか?」
 既に精気も薄く、純忠の死はすぐそこまで迫っているようだった。
 「バルトロメオ様が天国に召されないようでしたら、なだまだ未熟な私どもは一体どうなってしまいましょう。どうかお気持ちを安らかに」
 右近は純忠の手を握った。
 「たびたびヴィレイラ神父に来ていただき、来世の話をしてもらうのじゃ。それによると魂が肉体から離れた瞬間に審判があるらしい。それは人生の善行と罪の差し引きではなく、心の奥底が自分だけのための人生だったか、神と隣人のための人生だったかが判定対象になるそうじゃ。恥ずかしい話、私はこの審判が怖くて仕方がない。私の人生はどうであったかと自分でもわからんのだ」
 屋根裏の小太郎は、「神の顔色を伺いながら生きる人生などまっぴらだ」と思った。また「神に裁かれるより、己が満足して死ねる生き方の方が幸福だ」とも思った。屋根裏に聞こえる純忠の声は弱々しく続く。
 「最後の罪償いに拘束している捕虜達を釈放してあげようと思う」
 そして枕元のメジロをしみじみ見つめながら「こいつも籠から出して自由にさせよう」と呟いた。
 「小鳥といえどもデウス様が作られたものですからなあ。きっとその思いは通じるでございましょう」
 と、今度は行長が言った。このわずか後、大村純忠は静かに息を引き取る。
 純忠を見舞った右近と行長は、ポルトガル通商責任者モンテイロに会うためイエズス会日本本部に向かった。現在の長崎県庁がある場所にそれはあったと伝わるが、二人を出迎えたコエリュは握手を交わすと、さっそくモンテイロに二人を引き合わせた。二人の要件は、
 「豊臣秀吉関白殿下が日本国を統一された。されば南蛮貿易を代表する貴方は関白殿下にご挨拶に行かねばならない。その際、この度の戦で荒廃化してしまった博多の復興を願い出て、我々キリシタンにとって布教しやすい都市計画をご提案するのだ」
 であった。
 「もっともだ」という話になり、数日後、モンテイロを伴った右近と行長は、コエリュと一緒に長崎湾を小型帆船に乗って、秀吉の逗留予定地である筑前博多は箱崎湾に向かって出航する。初めて南蛮船に乗る機会を得た小太郎は大いに喜んだが、「家臣でもない小太郎殿を乗船させるわけにはいかぬ」と右近に差し止められ、願い叶わず陸路で後を追いかけるはめになり、「チッ!」と舌打ちをしたものだ。
 コエリュが小型船を選んだのは博多周辺の港は浅瀬や暗礁が多く、大型船の出入りには不向きだったからである。しかし小型帆船とはいえフスタ船と呼ばれるそれは、当時にして最新型の船で、風を受けるマストが二つあり、左右合わせて二十二本のオールによって人力で進む。船底も合せて詰め込めば二、三百人は乗れようか、漕ぎ手は奴隷や囚人を使っていたが、複雑な地形や不安定な風向きの場所に非常に強く、小回りも利くから言うなれば戦闘向きの船だった。しかも数台の最新型の大砲を積み込んでいたから、思わず右近も行長も目を丸くした。
 「これを秀吉様に献上すれば、関白殿下もたいそうお慶びになるでしょう」
 その言葉を聞いたコエリュは不思議そうに、
 「献上?」
 と言って首を傾げた。
 「とんでもございません。そんなことをしたら我々は大損です」
 このコエリュという人物、宣教師である前に商人だった。
 実はこの頃日本にいる宣教師達の間では、キリシタン領主に対して過度の軍事援助は慎むようにとの方針が打ち出されてた。これはイエズス会東インド管区巡察師ヴァリニャーノが決めたもので、彼は日本における宣教方針として“適応主義”を取っていた。つまり自国の習慣にとらわれず、日本文化に適応させたやり方で布教を進めるやり方である。そのためか織田信長とも非常に良い人間関係を築いたわけだが、この頃彼は日本にいない。コエリュはこれを無視して軍用船を売り込む腹でおり、もしこのときの折衝人がコエリュではなくヴァリニャーノであったなら、日本の歴史はまた違った形になっていたかも知れない。
 右近と行長は顔を見合わせたが、「南蛮人の流儀というものもあるだろう」と、そこは荒立てずに黙っておいた。

 秀吉が筑前箱崎の筥崎八幡宮に到着したのは六月七日のことである。
 そこで秀吉は、今回の九州征伐における業績を加味しながら、さっそく九州の国割りの沙汰を言い渡す。それによると、小早川隆景に筑前・筑後・肥前一郡の約三七万石を、黒田官兵衛には豊前の六郡約一二万五、〇〇〇石を、立花宗茂に筑後柳川城一三万二、〇〇〇石を、毛利勝信に豊前小倉約六万石をそれぞれ与える。また大友宗麟の子義統には豊後一国を安堵し、対馬の宗氏も安堵と決める。そして肥前の所領の沙汰を言い渡すとき、思わず声を挙げたのが長崎の所領を持する大村純忠の子喜前であった。このたびの島津氏討伐においては、病床に伏す父の替わりに秀吉に従って出陣している。
 「恐れながら申し上げます。ただいま長崎の一部はイエズス会に寄進してございます。万が一にも国替えなど仰せつけられましたなら、長崎の宣教師はじめキリシタン達は路頭に迷うことに相なります。何卒、何卒、安堵の沙汰を!」
 このとき秀吉の目つきが変わった。
 「どういうことか?」
 と、その言葉はあまりに穏やかで、喜前は恐ろしさのあまり言葉を失った。
 「長崎の地を南蛮人に与えたと申すか?いったい誰の許しを得たのか?」
 喜前の額から大きな脂汗が光って見えた。
 「この日本の国土を誰のものと心得る? 純忠のものではないし、わしのものでもない。増して南蛮人のものでもない、この国の帝たる天皇のものぞ! 貴様は天皇を穢す気か!」
 秀吉はカッと頭に血をのぼらせた。浅はかな一人のキリシタン大名は、己の魂をキリストに差し出したばかりか、国土まで彼等に差し出してしまったのである。加えて彼等の、日本各地で信者達を煽動し、土着の寺社を破壊し僧侶らを追い出す蛮行も知っていた。そして大村純忠や高山右近のようなキリシタン大名が、破竹の勢いで増殖している現状が、かつての一向宗の反乱と重なって空恐ろしくなった。当然宣教師等の日本への出入りに伴って、貿易も盛んになり利をもたらすことも存知の上で、このとき秀吉の中でキリスト教が日本にもたらす害毒の大きさを思い知ったのである。
 「ただちに大村純忠を呼べ!」
 「父はいま病床にあり、明日をも知れぬ身の上。拙者が承ります故なんなりと」
 秀吉は刀を抜いて立ち上がった。喜前は命を観念した。
 そのとき秀吉の脳裏に浮かんだのは熊本におけるコエリュの言葉だった。
 『関白殿下が驚かれる物をお見せしましょう―――』
 ぐっと憤りを鎮めた秀吉は、刀を鞘に収め静かに言った。その“驚くモノ”を見てからでも遅くないと思い返したのだ。
 「今日のところは安堵とする。追って沙汰を言い渡す。さがれ!」
 こうして血を見ることは免れたが、翌年(天正十六年)教会領であった長崎は没収され、秀吉の直轄領となる。
 一方、敵対した島津氏には、義久には薩摩、義弘には大隅、家久の嫡子豊久にはそれまでの土地をそれぞれ安堵し、同盟していた秋月氏や高橋元種は移封という極めて温情ある処分を下したのだった。
 ともあれこの日の諸大名の関心は、今回の九州平定によって日本国内にはすでに分け与えられる土地がなくなってしまったということだった。一国一城を夢見て戦ってきた者たちにとっては一種の失望感が生まれ、泰平の世というものを知らない戦国の武将達は、
 「これからは卒なくしていれば安泰じゃ」と言ったり、
 「関白様のことだから次の手を考えていなさるに違いない」と、口々に噂した。しかし当の秀吉は、六月十五日には対馬の宗義調とその養嗣子である義智に対し、朝鮮国王を上洛させるための使者を派遣するよう命じる。すでにこのとき次なる展開に向けて、彼は実質的な手を打っていた。
 モンテイロとコエリュを伴った右近と行長が箱崎浜に到着したのは、秀吉が筥崎宮に入って間もなくのことだった。一行はさっそく秀吉に面会を求め、モンテイロは天下統一の祝賀を述べるとともに、今は焦土と化している博多の復興案を持ちかけた。
 「それは予も考えているところじゃ、申してみよ」
 するとコエリュは、すでに復興後の博多の町を見ているかのような顔で、
 「港をポルトガルとの貿易港とし、市内にはキリシタンを多く住まわせます。いま市内にある寺院と神社は排斥し、替わりにイエズス会の教会を建設させるのが良いかと存じます。関白様が支那に進出するにしても、我等の文明はなにかとお役に立ちましょう」
 すると秀吉は、
 「それはよき考えじゃ、そうするがよい」
 と鼻で笑ったことに、あまりに簡単に要求が通ったコエリュとモンテイロは、拍子抜けの顔を見合わせた。ところが次の言葉を聞いたとき、モンテイロは蒼白になった。
 「ただし、その代わりに長崎は返上してもらう」
 「ちょっとお待ちを!」
 思わずモンテイロは叫んだ。長崎開港の歴史は浅いとはいえ、ようやく外国人居住地もでき、イエズス会の日本本部も近年できたばかりなのである。その上、教会も次々と建っており、ようやく日本の拠点として機能しはじめているというのに、「長崎を返上して博多に移れ」とはそれまでの苦労が水泡に帰す。モンテイロの慌てようを弄ぶように秀吉は続けた。
 「大村純忠が長崎をそちらに寄進したというのは本当のようじゃのう。長崎を奪っておいてなお飽き足らず、博多まで奪ってどうするつもりじゃ? お主らは何を企んでおる?」
 「奪うなんて滅相もありません。私達は博多に理想の世界を創りたいだけなのです」
 「理想ねぇ……」と秀吉は呆れた表情を作った。
 「私達に野心などございません」と今度はコエリュが続けた。
 「そもそも博多の港は浅瀬が多く、我々の大型船は入ることができないのでございます。純粋に布教をしたいだけでございます」
 「お主はさきほどポルトガルとの貿易港にしたいと申したばかりではないか」
 コエリュは墓穴を掘った。
 「これはあくまで私達のご提案ですので忘れてください」
 モンテイロはすっかり貿易のための博多開港案を取り下げた。
 ともあれ博多の町割りは進められる。当初秀吉の計画では、九州統治の要として、また対・明、対・朝鮮のための政治的軍事都市を構想したが、博多湾の性質から新城建設は取り止めとなった。そして秀吉の直轄都市としてそれまで通り商業を中心とした復興を目指し、石田三成をはじめ五名の町割奉行を任じる。その中に小西行長も加えられた。その時の『定め書き』によれば“楽市楽座令”をはじめ侍が住むことを禁じるなど、その後博多は一大商業都市として発展していくことになる。
 「ところでコエリュ殿、肥後八代においてわしに見せたきものがあると申していたが、いかに?」
 「それは後日改めて……」
 「楽しみにしておるぞ」
 秀吉はコエリュを威嚇するような笑みを浮かべ、
 「今宵は九州平定の戦勝祝いじゃ。お主らも存分に楽しんで参れ」
 言ったと思うと農民育ちの無作法な態度を露わに、
 「女を呼べ!じゃんじゃん酒を出せ!町中の女を集めて今宵は大騒ぎするぞい!」
 と高らかに声を挙げた。その上機嫌な秀吉に、一緒に居合わせた右近も行長もほっと胸を撫で下ろしたものである。
 ところが―――
 酒はすぐに振る舞われたが、いくら待っても女が来ない。さすがにしびれを切らせた秀吉は、「女はどうした、女は!」と不機嫌な声を荒げた。すると、
 「町に女が一人もいない」
 と、ある家臣の一人が言う。筥崎宮からほど近い立花山城主で、このたびの戦でも先陣切って大活躍した立花宗茂を呼んで尋ねてみても、「知らぬ、分からぬ」の始末で、ついに、
 「一人もいないとはどういうわけじゃ!梅干し婆さんでも何でもいいから連れて来い!」
 ということになった。そして家臣たち総出で町に繰り出し状況を調べると、次第に町の様子が見えてきて、どうやらいないのは年頃の女性ばかりでなく、働き盛りの若い男性の姿も見えないようだと―――異常な事態に右近と行長も顔を見合わせた。
 「何か起こっているようじゃな?」と行長が言う。
 「あいつを使ってみましょうか?」と右近が応えた。
 そうして呼び出された小太郎はすでにほろ酔いの目をして、「いよいよオレを雇ってくれる気になったのか?」と右近に聞いた。
 「約束はたがえません。洗礼を受けたら雇いましょう。ただ、いま町から女性がいなくなっているらしいのです。その訳を小太郎君に探って来てほしい、明朝までに。できますか?」
 「容易いことだが、雇われてもないのに忍び働きはできぬ」
 「お礼は存分にいたしましょう。なんならテレジアの秘密をお教えしましょうか?」
 菖蒲の洗礼名テレジアの名を聞いて、小太郎は途端にやる気を出して、
 「そういうことなら仕方があるまい」
 言うが早いか風のように姿を消した。
 「いいのかい、あんな約束をして?」
 「なあに、秘密といってもあの子が五歳の頃の秘密しか知らんよ。おねしょをしてたとかね」
 右近は笑って筥崎宮の中へ戻って行った。
 
> 第1章 > 南蛮船
南蛮船
 なぜこの町には若い女性がいないのか?
 その訳を探れと言われても、小太郎に宛てがあるわけでない。ひとまず仲間を集めて知恵を借りようと思った彼は、懐から“呼び笛”を取り出した。呼び笛というのは伊賀に伝わる二寸ほどの竹でできた細い笛で、吹いても音は鳴らない。否、鳴らないのではなく一般の人には聞こえない音域の超音波を発する。これは仲間を招集する時に使われるが、鍛えても聞こえるようになる者は伊賀の中でも限られており、それでも薩摩遠征が終わり、筥崎宮周辺に集められた大名の中には、伊賀者を雇っている者もいるだろうと、呼び笛を吹きながら既に夜の帳が下りた民家の周辺を走って回った。その聞こえない音は「手を貸してほしい」という意味で、音を感知して同意する者は、互いの主君への忠誠の壁を越え、伊賀者同士で無条件の協力体勢を作る暗黙の了解なのだ。無論互いの立場やその時の状況もあるから強制力はないが、そのゆるやかなつながりは、同郷の者同士で助け合おうとするごく自然な母国愛の一種なのである。
 すると間もなく二、三の伊賀者らしき男達が集まってきた。見ればその中の一人は、京都の吉兆屋で会った服部才之進である。加藤清正に雇われたとかで大坂城でも会ったが、その時は取り込み中でろくに会話もしていない。
 「なぜお前がおる!」
 思わず小太郎は声を挙げた。
 「それはこっちのセリフじゃ。大坂にいたのではなかったのか。何の用じゃ?」
 才之進は独特な抑揚のない口調で言ったが、ライバルである小太郎の招集に乗ってしまった上に、「なぜいるか」といてはいけないような一声を投げかけられて、内心かなり気分を損ねている。
 「わしにもいろいろ事情があるのじゃ」
 小太郎は集まった男達の顔を一瞥した。その伊賀者たちは、それぞれ竹島与左衛門の下忍新堂小猿、伊賀玉滝の五郎助、千賀地保長の下忍野村孫八と名乗った。小太郎は「わざわざ呼び出して申し訳ない」と謝った後、
 「拙者、百地三太夫が下忍、甲山小太郎と申す」
 と名乗った。すると才之進以外の者は「もしや、あの甲山太郎次郎殿のご子息か?」と口々に驚いた。それが才之進にはまったく不愉快で、早くも「帰る」と言い出した。
 「まあいいから聞け」
 と、小太郎は右近から請け負った捜索事由を、「関白秀吉自ら命じられた大事な任務である」と誇張して伝えた。瞬転、才之進は動揺を悟られまいとした口調で、
 「お主、秀吉に仕えておるのか? どのようにして取り入った?」
 と、いまや天下人となった秀吉に仕えていると言う小太郎に対しての嫉妬心を隠しながら、再び「俺はやらん、帰る」と冷たく言った。しかし他の者達は「甲山太郎次郎殿のお子とあらばさもあろう」とひどく感心した様子で、すっかり乗り気である。
 「やらぬのは自由だが、この任務遂行の暁には、関白秀吉からがっぽり褒美をもらえるに違いない。場合によっては仕官への推挙をしてやってもよいが……」
 小太郎はすました顔で才之進に目をやって、相変わらず感情というものをほとんど表情に出さない才之進の目が、僅かに泳いだのを見て楽しんだ。
 才之進は考えた。この憎たらしい小太郎よりも先に情報を入手して秀吉に報告してしまえば、こいつを蹴落とし、自分が秀吉直下の諜報衆として雇ってもらえるのではないかと。
 「仕方がない、やってやろう。今回は貸しだ」
 才之進は心の中でほくそ笑む。
 「すまぬがよろしく頼む。期限は明朝日の出までじゃ。鳥居の脇に大きな楠がある。知り得た情報はその木の根元に埋めておいてくれ」
 そうして五人の伊賀者は、それぞれ闇の中に消えたのであった。
 小太郎たちがてんでに捜索を続けている頃、秀吉のところにはその家臣たちによって次々と新しい情報がもたらされていた。「この町周辺では昔からしばしば神隠しが起こるらしい」とか「十六歳の少女が拉致されるのを目撃した人物がいる」とか「これほど若い男女がいなくなったのは近年のことで、さらわれた者はどこかに売られている」とか「それはさらわれたのではなく、自ら売られに行ったのだ」とか「どうやら黒幕はポルトガル商人だ」と、その実態が徐々に明らかになっていく。要約するとこうである。
 少し前、この辺りは九州屈指の大名大友宗麟が治めていた。彼は博多の海路の便を活かしアジアとの貿易で大きな利益を得たが、キリスト教の進出に伴いポルトガルとの貿易にも乗り出し、更なる富を築きあげることに成功する。ところが本州側からは毛利氏、南からは島津氏の勢力が強まってくると、強大な軍備の必要性が生じ、「自分はキリスト教を保護する者である」と言って、ポルトガルから鉄砲の火薬の原料である良質な硝石を輸入するようになった。ちなみにこの頃の宗麟はまだキリシタンではない。
 軍備というのは金食い虫である。しかも当時のことだからポルトガルは取り引きにべらぼうな価格を提示した。ついに金策に困った挙句、ポルトガルが要求してきたのが人身による取り引きだった。彼等はどこの国でも同じような事をして自国の富を築いていたのである。宗麟は承諾せざるを得なかった。そんな中ひと役買ったのがもともと商才に長けた当時の博多の商人たちだった。そして人身もポルトガル人達に売れば金になることを知り、すっかり味を占めたのである。
 その後宗麟の力は、天正六年(一五七八)の耳川の戦いで島津氏に大敗して急速に衰えていく。キリスト教の洗礼を受け、「ドン・フランシスコ」と名乗ったのはその直後のことで、島津氏が秀吉に降伏する直前に病死したとされるので、この時はすでにこの世の人ではない。
 その島津氏との争いの舞台となった博多は前述したとおり焦土と化していたわけだが、この土地の者はこの土地で生きていかなければならなかった。知恵のある商人は、その後もあの手この手で働き盛りの男女を集めてはポルトガル商人に買い取らせていたり、生活に困窮した農民の中には、自らの人身を売ることで家族を守る者もいた。そんなことを何年も続けていくことで、すっかり若者がいなくなってしまったということらしい。
 日本における人身売買の歴史はこの頃に始まったわけではない。古くは日本書紀の中にもその記述は見られるが、中世以前からの律令制の下では、誘拐や人身売買は流刑などの厳しい処分対象であった。しかし飢饉や疫病などで政情不安が生じると、「人買い」は闇の商売としてしばしば文献にも登場するが、それは一面、貧しい農民たちが生き延びるための苦渋の手段でもあった。いずれにせよ人身を物や道具のように売り買いの対象にするなど許せるものでなく、しかも秀吉にとっては自国の国力である国民を、外国人の金儲けの道具にしているばかりか、海外に流出させている事実が許せない。そして大友宗麟の名を聞いたとき、
 「またキリシタンか!」
 と激怒した。遠目に酒飲みに興じるコエリュとモンテイロの姿を見れば、その白い肌の色や金髪や、高い鼻筋や青い目が、統一したばかりのこの日本を征服せんと企むサタン(悪魔)に見えた。秀吉は上機嫌な態度を装って「日本の酒はお口に合いますかな?」と、二人の盃に酒を注ぎに近寄り、
 「わしに見せたき物とはいったい何じゃ? もったいぶらずに早く教えてくれぬか?」
 とコエリュに迫った。もっとも秀吉にはそれが何か薄々勘付いている。今彼が最も欲しい物とは、南蛮技術により造られた最新型の船なのだ。優秀な船さえあれば、唐入りなど容易に果たせると考えていた。しかもそれを献上してもらえるものと思い込んでいる。
 一方コエリュは秀吉を不機嫌にさせてしまうのも本意でないので、
 「関白殿下にはかないませんなあ。船でございます。“フスタ”という最新型の戦闘船でございます」
 と答えた。秀吉は「ほう」と言って目を細めると、
 「明日、わしをその船に乗せろ」
 と高みから言った。
 「明日はちょっと無理でございます」
 「なぜじゃ?」
 「実は明日、箱崎浜から長崎へ運ばなければならない大事な荷がございまして……。一日、二日中には戻って参りますので、どうかそれまでお待ちください」
 「わしより大切な荷とは何じゃ?」
 コエリュは言葉を詰まらせた。すかさず隣のモンテイロが目配せをして首を横に振るのを見て、
 「関白殿下のお頼みとあらば仕方ございません。では明日、乗船していただきましょう」
 コエリュは苦笑いを浮かべてそう言うと、自分の盃を飲み干して秀吉に返盃した。コエリュは日本のそうした作法をすっかりわきまえている。
 ちょうどそこへ加藤清正がやって来て秀吉に耳打ちをした。すると「伊賀者?」という言葉が秀吉から洩れた。続けて「お前が替わりに聞いておけ」と命じたが「直接でないと申せないと言いますもので」と、清正はすまなそうに答える。秀吉は面倒臭そうに「信用のおける者か?」と聞けば、「私に仕える忍びでございます」と答えるので、仕方なく筥崎宮に設えた陣所に移動した秀吉は、清正が連れて来た伊賀者と対面した。
 「面を上げて手短かに申せ。予は忙しい」
 顔を上げたのは才之進である。
 「申し上げます。関白様より承りました女人消失の件につきまして、重要な情報をお持ちしました」
 「前置きはよい、はよ申せ、結論からじゃ」
 「はっ!」と才之進は珍しくやや緊張した面持ちで、
 「人身売買が行われております」
 と誇らしげに言ったが、終わらぬうちに「もうよい、下がれ!」と秀吉は、一喝して不愉快そうに立ち去った。才之進の情報収集にかかった時間は確かに早かった。しかし秀吉はそれより早かったのだ。蒼白になったのは清正で、「恥をかかせおって!」と、才之進は暫くの謹慎処分を言い渡される。

 さてその頃小太郎はといえば、おおよその人身売買の事実を知って、さらにはその証拠を見つけ出そうとしていた。そして一番怪しいと睨んだのが長崎で乗り損ねたあの最新型の南蛮船で、その船の中を探ろうと筥崎宮からほど近い箱崎浜にやってきた。
 暗闇ではあるが半分くらいの月明かりと篝火のおかげで、忍びの者にすれば動くにまったく支障はない。浜から海の方へ長くのびる波止場の脇には、南蛮船と地元の漁師たちの小さな和船が所狭しと並んでおり、長崎で乗り損ねたその船は暗闇の中で重厚な威厳を放っていた。
 波止場の入り口に据えられた粗末な建物は、乗り組み員達の休憩所になっているに違いない。その建物の入り口では松明が炊かれ、門番であろう、日本人にはとても見えない上半身裸の大きな体つきの男が、椅子に座って腕組みをしている。小太郎は夜中に海辺を散歩する住民の風体でその男のところへ寄って行き、
 「わしは異国というものに非常に興味があるが、あの南蛮船はお主らの物かの? ちと中を覗かせてもらえんか?」
 と、何食わぬ顔で波止場の方へ乗り出した。すると男は慌てた様子で立ち上がり、怒鳴るような異国語を発したと思うと、小太郎の前に立ちはだかったのである。
 小太郎はギクリと我が目を疑った。
 眼前にはややぽっちゃりとした男の腹部があり、少し見上げれば筋肉隆々とした男の胸板が脂で光っていた。更にその上にあるはずの顔は分厚い胸に隠れて毛むくじゃらな髭しか見えず、次の瞬間丸太のような両腕が、小太郎の子供のような体を掴もうと動いた。
 咄嗟に後方へ飛び退けた小太郎はその男の全貌を見た。身長二メートル以上はある猪のようなごっつい体つきをした巨大なポルトガル人だった。
 こんな男に掴まれたらひとたまりもない―――。
 小太郎は誤魔化しの笑みを浮かべながら「南蛮船を見せてくれ」と交渉を続けたが、男は訳の分からない言葉をくり返すだけで全く会話にならない。しかしその大男の怒り狂ったような剣幕と、身振り手振りのジェスチャーから、
 「出て行け! ここはお前の来る所ではない! 言うことを聞かなければ殺すぞ!」
 と言っているのが解かった。
 仕方なく正面突破を諦めて、海の中から船に近づくことにした小太郎は、竹筒を出して海に潜った。身体を水中に潜め、竹の先端だけ外に出して息継ぎをしながらじっと隠れたり水中を移動するいわゆる水遁の術であるが、父から聞いた話では、ある城に忍び込もうとした忍者が、掘の水の中でチャンスを待って、五日間絶え抜いた者がいるそうだ。今の小太郎でさえ半刻も潜っていればあっぷあっぷなのに、そんなに長い間水に浸かっていたら、身体は水ぶくれになるだろうし、第一何も食べないで五日もいるなど絶対不可能だと、あの時の小太郎も反発したが、父は「いるのだから仕方がない」と答えたものだ。
 難なく右近たちが長崎から乗った南蛮船の脇にたどり着いた小太郎は、鉤縄を投げて船べりにひっかけ、そろりそろりと登って甲板の上を覗きこんだ。そこには見張りであろう三、四人の男達がランプで照らされた机を囲み、ガラス製の透明茶碗で赤い飲み物を口にしながら、何やら薄い札を使った遊びに興じているようだった。赤い飲み物はワインで、薄い札とはトランプであろうが小太郎は知らない。
 先程の大男と比べれば皆痩せ男だった。とはいえ小太郎と比較すればひと回りも二回りも大きな西洋人であるが、「これなら倒せる」とヒョイと甲板に躍り出て、瞬く間に腹部や延髄を蹴り飛ばし、トランプが机から落ちる間に全ての者達を気絶させてしまった。
 「南蛮人などたいしたことはないのう」
 小太郎はそうつぶやくと、さっそく船の上を詮索し始めた。
 二本のマストからは無数のロープが垂れ下がり、その多さだけでも驚くというのに、舳先は前方に鋭く突き出し、錨を巻くろくろは黒い怪物に見えた。更に驚くのは船首楼甲板に備え付けられた二門の大砲で、砲口を左右に向けた光景はあらゆる者を征服せんとする野望の塊のように感じる。左右のヘリに沿って整然と並ぶのは漕ぎ手の艪櫂席で、今は収められた長いオールが斜めに立てかけられており、甲板の中央には主屋形があって、前方には小さな机と先ほど気絶せしめた数人の西洋人が倒れている。
 小太郎は船の後方に移動した。そこは二階建ての豪華な操舵室で、中に入れば大きなポルトガル国旗が目に飛び込んだ。見たこともない美しい装飾の机や椅子や燭台や、棚には西洋食器が所狭しと並べられ、いくつもの樽と、鍵がかかって中には行けないが、奥には更に部屋が続いているようだった。たいていのことには驚かない小太郎も、これには感嘆のため息を漏らさずにいられない。
 ふと「ゴトリ」と、床下から何か物が落ちる音がした。小太郎は甲板に戻って足元の床にそっと耳を当てた。
 「誰かいる―――」
 それは無数の人間の、何か悲嘆に暮れる息づかいだった。どうやら床下にはまだ部屋があるようで、小太郎は拳の関節で数度床を叩いてみると、途端にその人の気配は消えてしまった。
 「誰だろう?」
 今度は一種のリズムを形成した音で、同じ床を叩いてみた。
 トン、トン、ト、トー、トーン、ト、トン、トー、トー……
 実はこれ、伊賀に伝わる情報伝達手段のひとつである。いわゆるモールス信号のようなものだが、そのリズムの意味は同じ伊賀者の間でしか通じない。無論船底にいるのが誰かは分からない。ポルトガル人かもしれないし、伊賀者である可能性などは皆無に等しい。しかし音の規則性に気付く者があるとすれば、何らかの反応が返ってくると思った彼は、『誰かいるのか?』と何度か信号を送った。
 すると船底から反応が返ってきた。ところが、ある規則だったリズムを形成しているのに、意味が全く読み取れない。小太郎はすぐに思った。
 「伊賀のものではない―――」
 と。とすれば、このような情報伝達手段を持っている者があるとすれば、彼には甲賀者しか思いつかなかった。
 それにしてもその反応は必要以上に激しく、まるで助けを求めているように何度も何度も繰り返される。「きっと船底へ通じる入り口があるはずだ」と思った彼は、甲板の上を探し始め、やがて主屋形に入ったところの床の一部に、人の出入りができるほどの大きさの戸口のような箇所を見つけた。ところが取っ手は頑丈な鎖で何重にも巻かれ、西洋の大きな錠前で堅く閉ざされている。錠前破りなど忍びの“いろは”であるが、
 「こんな錠前は見たことがない」
 とつぶやきながら、懐から持ち合わせの忍び道具を取り出した。そして様々な形状をした針のような物を鍵穴に差し込んでは、錠前を開けることに専念し始めた。
 どれほどその錠前と格闘していただろうか―――突然赤い松明の光が彼の背中を照らしたのだ。「ハッ!」と振り向いた時にはすでに遅く、彼の頭上に巌が落ちて来たとも思える激しい衝撃が走った。錠前を破ることに夢中になり、まったくの不覚である。遠のく意識の中で、波止場の入り口で門番をしていたあの大男の姿を認めたきり、小太郎はその場に泡を吹いて倒れた。
 
> 第1章 > 船上の稲妻
船上の稲妻
 「おい、目を覚ませ!」
 暗闇の中、男勝りの荒い囁き声は女のものだった。
 「ううっ……」とうめき声を吐きながら深い眠りから覚めた小太郎は、おぼろげな視界に写し出された女の顔に焦点が合った時、ガバリと上半身を起こして思わずに「菖蒲殿……」と声を挙げた。見間違えるはずもない、それは大坂城で別れて以来、ずっと脳裏にこびりついて離れない、美しいあの女の泥に汚れた怪しげな表情である。
 「ここはどこじゃ? なぜここにおる?」
 小太郎はうずくように痛む頭を押さえて暗い周囲を見回した。すると細長い倉庫のようなところに、泥で汚れた農民姿や町人姿をした若い男女が二、三〇名ほど、鉄製の手枷・足枷につながれ、うずくまるようにしてじっと息をひそめて眠っている光景を見たのであった。
 「南蛮船の船底じゃ。私らは奴隷としてこれから長崎に運ばれる」
 菖蒲は他人事のように言うと、「あんなデカいだけの男にやられるとはお主も頼りにならぬの」と吐き捨てた。その言葉で小太郎は、錠前を開けようとしている最中に、ポルトガルの大男に脳天を殴られたことを思い出した。そして「あの信号は菖蒲殿であったな。“木叩き信号”が甲賀にもあるとはのう」と感心したように呟いた。
 「そんなことよりこの鉄の重りをはずしてくれ。動きずらくて仕方がない」
 幸い小太郎は足枷もされず、縄で縛られていただけだったので腕や肩の関節をはずし、縄抜けの術ですぐに自由になったが、忍び刀を押収されたらしく、鉄を切る道具といえば“しころ”と呼ばれる楕円形をした携帯用の鋸しかなかった。本来は家屋などへ侵入する際に邪魔な木材を切るための道具で、左右両側に刻まれた刃は粗びきと細びきになっており用途によって使い分けるものである。
 「このシコロはな、伊賀一の鋸職人だった湯本爺さんに作ってもらった特製じゃ。鉄だって切れるぞ、信長に殺されたが―――」昔を思い出すようにしみじみ言うと、「手と足、どちらから自由にしてほしい?」と聞いた。
 「逃げるには足が先じゃ、早よしろ!」
 泥で汚れてはいるが、美しすぎる脚線を見て生唾を飲み込んだ小太郎は、その柔らかいふくらはぎを遠慮がちに握って足枷の鉄に切り込みを入れた。
 「まだか?ひとつ切るのにこんなに時間がかかっていたら、とっくに日が昇ってしまうぞ。日が昇ったら船が出る。そしたらここにいる者達の脱出する機会は失われてしまう。早くしてくれ」
 「ここにいる者らを逃がすつもりか?」
 「当たり前じゃ!この者達は、何も知らずに南蛮へ売られようとしておるのじゃ」
 菖蒲は人が変わったように感情的になった。
 「およそ耶蘇たちが考えそうなことじゃ」
 「違う! これは欲深い商人どもの仕業なのだ」
 「キリシタン達もその片棒を担いでいるではないか」
 「違う! デウス様はそのような事はなさらない」
 「テレジア……」と呟いたのは、罪もない哀れな若者を救おうとしている菖蒲が、神から遣わされた天使のように見えたからである。しかし彼女のその目は、信じる宗教を否定された憤りからか、泣きそうな真剣さで小太郎を睨みつけるのであった。
 「右近に会ったぞ」
 小太郎が静かに言った。「兄上に……?」と、菖蒲の鬼のような目つきが俄かに郷愁を帯びたものに変わると、「達者でしたか?」と付け加えた。鉄を切る手を動かしながら、大坂城で別れてから現在に至るまでの経緯を話しているうちに、ようやく片方の足枷がはずれ、もう片方の作業に取り掛かった小太郎は、着物の裾からはだけるなまめかしい彼女の太腿を見ていた。
 「菖蒲殿はなぜ博多になんぞおる? 大坂城の真田幸村のところにおったのではないか?」
 以前感じたような鋭い殺気は潜めているのか、目の前の菖蒲は妙にしおらしく、静かに身の上を語り始めた。その内容に嘘は感じられない。
 幸村の侍女として大坂城に入った菖蒲は、間もなく九州討伐の秀吉護衛を命じられた幸村に随行して九州まで来たのだと言う。もう一つの動機は、九州におけるキリシタン大名の良からぬ噂の真意を確かめたかったのだと、「お主も高槻の教会で盗み聞いていたであろう?」と付け加えた。「やはり知ってたか。喰えぬ女だ」と小太郎は思った。北九州から薩摩へ向かった軍を離れた彼女は、博多で人身売買の実態を探るため逗留するが、ついに奴隷の一時収容所を発見したところで、例のポルトガルの大男に拉致されて「このありさまじゃ」と珍しく笑った。そして、
 「どうしてか分からぬが、監禁されている間中、お前が来てくれるのではないかと思えて仕方がなかった」
 と言った。彼女のしおらしさは、どうやらそれが現実となった小太郎に対する信頼の芽生えからきているようである。小太郎は、
 「わしはお主に惚れておるからのう」
 と、以前も漏らしたような戯れを口にした。それは本当でもあり嘘でもあった。小太郎自身よく分からない感情なのである。
 「早くしろ、もう日が昇る」
 暗い船底の木の隙間から、ほのかな光が入り始めていた。

 さて日が昇り、秀吉を引き連れたコエリュがフスタ船の乗り場にやって来た。そこにはモンテイロや秀吉の側近はもちろん、高山右近と小西行長も居合わせた。
 「本当は“ナウ船”という大型船をお目に入れようと思ったのですが、この港は遠浅のため乗り入れることができませんでしたので、やむなくこの“フスタ船”をご覧にいれます。小型ではありますが人力で動きますので小回りがきき、最新の大砲も積んでございますので必ずやご満足いただけることでしょう」
 コエリュはこう言うと、門番の大男に目配せをした。大男は小太郎を船底の倉庫に押し込めた例のポルトガル人で、船上の乗り組員達に「partida !!」と叫ぶと一行を船に乗せ、自らも乗り込んだ。こうして穏やかな湾内のクルージングが始まったのである。
 風を受ける二本のマストのロープを巧みに操る乗組員たちはみなポルトガル人だったが、何より目に付くのは船の両サイドで号令に合わせて必死にオールを漕ぐ痩せこけた男達の様子であった。よく見れば真黒に日焼けした彼等はポルトガル人ではなく明らかに日本人で、それを問い質そうとする秀吉の関心をそらすようにコエリュは操舵室を案内したり、船首と船尾に据えられた最新型の大砲を見せ、使い方など説明して回るのであった。
 「いかがでございましょう?」
 と、自慢げに言うコエリュに向かって秀吉が聞いた。
 「船を漕ぐ者達はみな我が国の民のようじゃが、いったいどうしてここにおる?」
 近くにいた右近と行長は焦燥して秀吉の顔色をうかがった。
 「この者達はみな罪人でございます」
 コエリュは平然と答えた。秀吉はその強かな顔を見て、
 「船底が見たいが」
 と言った。
 「船底は倉庫になっているだけです。今は長崎への積み荷で乱れ放題の有様。とても関白殿下にお見せできるような状態ではございません、どうかご勘弁を」
 「かまわぬ、見せよ」
 「私に恥をかかせないで下さいませ」
 「見せよと申しておる!」
 コエリュは言葉を失った。モンテイロは「逆らってはまずい」と彼を促した。
 船底といってもいくつかの部屋に区切られており、奴隷として売り渡す者達を監禁していたのはその中でも一番奥のスペースであった。さすがにそこまで案内しなければ良いと判断したコエリュは、
 「こちらでございます」
 と、甲板中央の主屋形の中へ秀吉を案内したのであった。その厳重に封鎖される戸口の鎖を見た秀吉は「随分と用心深いのう」と皮肉を言うと、「ええ、貴重な物ゆえ盗まれたら一大事です」とコエリュは何食わぬ顔で答え、例の大男に錠前の鍵を開けるよう命じた。
 やがてジャラリジャラリと鎖が外された時、戸口を開くよりも早く、いきなり中からムササビのように飛び出した大きな黒い物体があった。それには一同驚愕して、大声を挙げて全員尻餅をついた。
 一同正気に戻ってその黒い物体を確認すれば、女を抱えた男が一人、こちらを睨んで身構えているではないか。言わずと知れた小太郎で、抱えられている女を見て、右近が「テレジア」と呟いたのを行長が聞いたのと同時に、小太郎は「兄上」と呟く菖蒲の声を聞いた。
 小太郎は右近の姿を確認すると、
 「驚かせて済まなんだ。右近殿、日の出にはちと間に合わなんだが、この南蛮船は奴隷輸送の船である。船底の奥に南蛮人に拉致された者達がおるぞ。直ちに救出してやるがよい!」
 と叫んだ。そのうち戸口の中から、手枷・足枷をしたままの若者たちが、一人二人と地面から湧くように姿を現し、秀吉が「どういうことじゃ?」とコエリュに問い質すと、
 「みな犯罪人でございます」
 と白を切る。
 「どのような犯罪を犯したのか、一人一人の罪状を説明してみよ」
 コエリュはカッと頭に血をのぼらせて、「あの不届きな密航者を殺せ!」と大男に命じた。小太郎は菖蒲を抱えたままひらりと甲板に躍り出たが、次に聞こえたのは大男が放った大きな銃声だった。見れば髭を蓄えた大男の両手には、当時海賊たちが使っていたのと同じ、いわゆるラッパ銃が握られている。
 「昨晩の仕返しをしてやろうと思ったが、飛び道具とは卑怯ではないか!」
 小太郎は挑発するように叫んだ。すると大男は二発、三発と乱射した。ところがこのラッパ銃、至近距離においては恐るべき威力を発揮したが、揺れる船などで容易に弾込めができるよう発射口がラッパのように広がっている分、命中率が非常に低い。しかも一発放てば弾を込めるのに時間が必要で、通常は何丁ものそれを腰に巻いて戦うのである。案の条、発砲された弾は全てあらぬ方向へ飛んでいき、全て打ち尽くしてしまった大男は銃を捨て、今度は朝星棒を取り出した。
 朝星棒とはモーニングスターとも呼ばれる西洋の金棒のようなものである。二尺ほどの棒の先端に金属球があり、その金属球の周りには無数の尖った金属や刃物がついた打撃殺傷の武器である。しかもこの大男が手にしたのは、その身体の大きさに合わせた朝星棒だったから、長さはおよそ三尺ほどで、先端には二、三〇キロはあろうと思われる棘付きの巨大な鉄球がついていた。それをまるで扇子でも扇ぐようにして、軽々とブルンブルンと音をたてて振り廻し始める。むしろ大男にとっては銃より得手だったのだ。
 あんな巨大な鈍器に当たったりでもしたら、頭はかち割られ、骨は粉々に砕けて即死である。小太郎は菖蒲を舳先の船首楼に控えさせ、「ちと待っておれ」と言ったと思うと、トビウオのように大男の前に立ちはだかった。
 「ほれほれ、腕力だけで振り廻しておったらまったく力が無駄であるぞ!武器というのは腰で扱うものじゃ!」
 とはいえ小太郎は何も武器を持っていない。次の瞬間、大男の金属球が小太郎の脳天めがけて振り下ろされた。が、砕けたのは南蛮船の分厚い床で、その衝撃で船が大きく傾いだ。「どこに消えた?」とキョロキョロ周囲を見回す大男だが、当の小太郎は男の大股の間を潜り抜け、反対側にいた右近の腰の刀を「ちと拝借」と言って引き抜いたと思うと、すかさず大男めがけて斬りかかったのである。しかしそこは大男も負けてはいない。向かってくる刀の芯をめがけて朝星棒を振り下ろせば、玄界灘に響く鈍い金属音は、右近の刀を真っ二つに砕いていた。小太郎は折れた刀を見て目を丸くした。
 「右近殿! もうちとましな刀はなかったか?」
 すると秀吉が「これを使うが良い!」と、小太郎に自らの太刀を投げて渡した。それを受け取った小太郎は、鞘から刀を引き抜いて、その刃渡りをしみじみ見つめた。
 「これは見事な太刀じゃ……一生かかってもお目にかかることはなかろう」
 まさにいま隙だらけの小太郎目がけて、大男の朝星棒は左側から襲って来た。と、小太郎の姿が夢か幻の如く消え、次の瞬間轟いたのは、大男の怪獣のような叫び声だった。そのとき既に小太郎は、秀吉の前にひざまずき、鞘に収めた太刀を返納していた。
 その一瞬の間に何が起こったのか肉眼で見た者は一人もない。ただ、大男の左足の上に、朝星棒から切り落とされた先端の金属球が、痛々しく足に突き刺さっていたのを見ただけである。
 小太郎は風のように菖蒲の待つ船首楼に戻ると、身体を抱き上げ、
 「ごめん!」
 と言い残して海に飛び込んでしまった。
 船上の者たちは暫く呆気に取られていたが、やがて秀吉は苛立ちを隠せない様子で「今すぐ船を岸に戻せ!」と命じた。
 その様子をつぶさに見ていた右近と行長は、すっかり蒼白になってコエリュに言った。
 「このままでは秀吉様は、どのような沙汰を下されるか考えただけで恐ろしくなります。一刻も早くご機嫌を回復させるには、どうだろうか、このフスタ船を今すぐ秀吉様に献上してはくれまいか?」
 右近の言葉に行長も続いた。
 「あの剣幕だからそれだけでは足りんだろう。大型のナウ船を二、三隻ほど……」
 「バカを申すな」とコエリュは笑った。
 この頃日本にいる宣教師達の間では、キリシタン領主に対して過度の軍事援助を慎むようにとの方針が打ち出されている。コエリョの行動はこれに対して行き過ぎたものであった。その方針を打ち出したのはイエズス会東インド管区巡察師のヴァリニャーノで、この頃彼は日本にはいない。彼は日本における宣教方針として「適応主義」を取った。つまり自国の習慣にとらわれず、日本文化に適応させたやり方で布教を進めることである。そのためか織田信長とも非常に良い人間関係を築いているし、もしこのときの折衝人がコエリュではなくヴァリニャーノであったなら、日本の歴史はまた違った形になっていたかも知れない。
 コエリュは続けた。
 「そのような高価なものを、本国の許可なしで私の一存だけでできるわけがないだろう」
 「大村純忠様はあなた方のために、長崎を寄進したのですぞ!」と行長は続けた。
 「信者が神のために献納するのは当然だろう」
 行長がカッとなってコエリュの襟首を掴んだのを、慌てて右近が押し止めた。
 「お主はどこまでお人好しなのじゃ!」
 行長は右近にそう吐き捨てると、掴んだ襟首を払い、そのまま二人を睨んで立ち去った。
 さて筥崎宮に戻った秀吉は、早々にコエリュを呼びつけて詰問を開始した。
 「先程、船底に積まれ、鎖につながれていた者達は、奴隷として南方へ連れて行こうとしていたのではないか? また、あの櫂を漕いでいたのも囚人でなく、お前たちが奴隷とした者達であろう」
 秀吉はきっちり裏を取った上でこの話をしている。現にこの時代、ヨーロッパ方面へ売られた女性を主とした奴隷の数は五〇万人にも及ぶとする説もある。一五八二年(天正十年)にローマへ派遣された少年使節団一行も、世界各地で多くの日本人が奴隷として扱われている光景を見て驚愕したという記述が見られる。「行く先々で家畜同然に売られる日本人を親しく見たとき、激しい念に燃え立たざるを得なかった」「実際、あれほど多くの男女や童が、世界中の多くの地域で売りさばかれ、みじめな賤業に就くのを見て、憐憫の情を催さない者があろうか」―――と。秀吉は続けた。
 「わが国では人買いは禁止しておる。お前たちは何故それほどまでにキリスト教を熱心に布教し、日本人を買って奴隷として船に連行するのか?」
 するとコエリュはこう答えた。
 「ちょっとお待ち下さい。ポルトガル人が日本人を買うのは、日本人の方から売りつけて来るからではありませんか」
 その屁理屈についに秀吉は激怒した。そのうえコエリュは、
 「我々宣教師の後には、ポルトガル王国はもちろん、あの無敵を誇るスペイン艦隊がついていることをお忘れなく」
 と威圧をかけてきたのである。この翌年、スペイン艦隊はイギリスによってアルマダの海戦で敗れることになるが、もはやこのとき、秀吉の堪忍袋の緒は切れた。
 
> 第1章 > 伴天連追放
伴天連追放
はしいろ☆まんぢう作品  

 筥崎宮から博多湾沿いを西へ二里ばかり行ったところに姪浜があった。そこは当時キリシタンの町があり、右近はそこの小さな教会に陣を張っていたが、小太郎が菖蒲を伴って姿を現したのは間もなくの事である。
 妹との久し振りの再会に右近は顔をほころばせたが、それも束の間、遠くを見るような目で深いため息を落とした。
 「気分がすぐれないようですが……いかがされました?」
 菖蒲はその目の奥に潜む大きな不安を見て、ただならぬ事態が起こっていることを察した。
 右近は「コエリュ神父がのう……」と言いかけたが、「いや、テレジアが知ったところでどうなるものでもない」と、今度は隣の小太郎に目を向けて、
 「そうじゃ、関白様がそちに褒美を取らすと申して、この刀を拝受した。大切に使いなさい、“正宗”だそうです」
 と、南蛮船の上でポルトガルの大男と闘った際に秀吉が小太郎に投げ渡したあの太刀を手渡した。忍び刀としてはやや長いが、名刀『正宗』と聞いて小太郎の心は踊った。
 「さすが関白秀吉じゃ、気前がいいのう!」
 と遠慮の微塵も見せずに受け取るが、
 「そろそろ洗礼を受けてはどうか?」
 と迫るので、「用があったらまたお呼び下され」と、そそくさと小太郎はその場を立ち去った。
 「兄上も妙な男を雇ったものですね」と菖蒲が言えば、
 「まだ雇ってはおらぬわ。お前が目当てで仕えたいと来たのじゃ。だから洗礼を受けたら雇うと言うた。まあ入信も時間の問題だろうが、お前からも誘ってやりなさい」
 「なかなかの曲者ですよ」と菖蒲は小太郎の後姿を見送った。
 それから暫く菖蒲は右近のところに留まることになる。暇をもてあそぶ小太郎は、しょっちゅう彼女のところに顔を出しては、贄川で会った赤猿のことや、なぜ真田に仕えるようになったかなどを執拗に聞き出そうとしたが、そのたび適当にあしらわれ、やがて話す事が尽きてしまうと埒もない世間話をするようになった。その時も庭の野草を摘んでいる菖蒲を見つけて、「何をしておるのじゃ?」と近寄り、開口一番、
 「百合の花か。菖蒲殿も割としおらしいところがあるのう」
 と冷やかした。
 「これはマドンナリリー、純潔の花じゃ。キリスト教では聖母マリア様の花と言う」
 と、菖蒲はその純白の花を優しく手に包み込み、そっと上品な鼻先を近づけた。
 「わしは花菖蒲の方が好きじゃ。良い香りがして邪気を払う。菖蒲殿の花じゃ。ほれ、あそこにもある」
 小太郎はそこに行き摘み取ろうとしたが、花の盛りは既に終わり、萎れて枯れた花びらを残すのもわずかだった。すると菖蒲が言った。
 「私は嫌いじゃ。黒だか紫だか分からぬ霞がかった色をして。いっそ真っ黒に咲いてくれれば少しは諦めもつこうに。私はこの真っ白なマドンナリリーになりたかった……」
 その悲しげな横顔は、彼女の中に潜む闇の部分を映しているように見えた。その視線に気づいた菖蒲は、
 「どうじゃ、少しは洗礼を受ける気になったか?」
 と話をそらす。
 「またその話か」と呆れた小太郎は、このところ毎日、菖蒲ばかりでない右近にも同じことを言われ続けているのだ。
 「お主は私に惚れておるのではないのか?」
 菖蒲はまた、以前彼に迫った夜と同じ妖艶な表情を浮かべて、怪しげな色香を漂わせた。
 「惚れておるが、それとこれとは話は別じゃ」
 「ではあれは嘘か? お前は以前、私に忠誠を誓うと申したではないか」
 「嘘ではない」
 「ならば私の言うことに従え」
 「うむ、分かった、従おう……」
 「では今日にでも洗礼を受けるぞ」
 「仕方がない。菖蒲殿にそこまで言われたら従うしかあるまい」
 小太郎はそれまで拒み続けてきた頑なな心が、いとも簡単に融けていくのを感じながら、本気とも冗談ともとれる口調で呟いた。
 とそこへ、
 「右近はおるか?」
 馬を飛ばした小西行長が血相を変えてやって来た。
 「兄上なら中に。それより小西様、たった今この小太郎が入信の決意を固めてございます。これより教会へおもむき―――」
 「なんじゃお前、まだいたのか?」と菖蒲の話もそこそこに、行長は小太郎を一瞥してぶっきらぼうに言ったまま、
 「そんなことより右近はどこじゃ。えらい事になってしまったわい!」
 と、馬を飛び降り、陣所になっている建物の中へ走って行く。菖蒲も尋常でない様子に肝を冷やし、その後を追いかけ右近を呼び出した。
 「小西殿、そんなに慌てていかがなされた?」
 私服姿の右近が姿を見せると、息せき切って行長は、懐から一通の書状を取り出した。
 「これは?」
 「秀吉様がコエリュ神父に宛てた詰問書じゃ。これからわしは、これを神父に届けにゃならん……さて、困った、困った……」
 右近は書状を手にし、「ちと、よろしいかな?」と中身を確認すれば、その表情がみるみるこわばっていき、やがて身体がワナワナと震え出すのが見てとれた。その内容はこうである。

一、汝ら耶蘇衆は何ゆえ仏僧のように寺院内だけの説法にとどまらず、全国の者まで煽動するのか? これより伴天連は下九州に留まり、今までのような布教はしてはならない。もし不服とあらばマカオへ帰りなさい。
一、汝らは何ゆえ牛や馬の肉を喰らうのか?
一、これまで商人たちが奴隷として連行した日本の民を本国に連れ戻しなさい。
一、もしこの要求が受け入れられなければ、すぐに伴天連衆を追放する。

 それは詰問書というより命令書だった。行長は右近の顔を伺いながら、
 「もうじきお主のところにも、これと同じような詰問書が来るはずじゃ。それまでに考えを整理しておけ……と言っても無理じゃろうが、覚悟はしておいた方がよい」
 と、深いため息を落として立ち去った。
 その夜、行長が言った通り、右近のもとに秀吉からの使者が来た。その使者とは右近の茶の湯の師でもある千利休で、彼は秀吉の九州征伐に同行して博多にいた。右近は菖蒲に茶を立てるよう命じると、利休を応接用にあてがっている小さな部屋に案内し、
 「さて、突然利休様がかような所にいらっしゃるとは、いかがな赴きでしょうや。ご覧の通りの仮住まい、ろくなおもてなしもできませんが、ただいま茶を立ててございますので、暫くお待ちください」
 と対座した。無論用向きの察しはついたが、使者に秀吉側近の利休を使うとは、秀吉にとっての右近の重要さを物語っている。利休はやや神妙な面持ちで、
 「実は右近殿にとっては、あまり良くない知らせをお伝えしなければなりません」
 と言った。そこへ襖が静かに開くと、茶を持った菖蒲が現れ、利休は右近を気遣って話すのをやめたが、当の右近は、
 「妹のテレジアににございます。お気兼ねなく」
 と続けると、菖蒲に向かって、
 「今、この時の私をよく見ておきなさい」
 と静かに言った。すると今度は天井を気にかけた利休は、
 「天井裏にもネズミが一匹いるようですが……」
 案の定、天井裏には事態を重く感じた小太郎が、いつものように盗み聞きしようとじっと息を潜めていたのであった。勘付かれるなど思いもよらない小太郎は、「ハッ」と天井板から耳を離し、利休の感の鋭さに舌を巻く。右近は小さく笑うと、
 「きっと私に仕える忍びの者でございましょう。害を加えることはありませんので、こちらもお気兼ねなく」
 と言った。利休は静かに頷くと、ようやく秀吉から託された右近宛の詰問書を取り出し、やがてゆっくり話し始めた。要約するとこうである。
 『予は右近の説得で身分ある武士や武将たちの間に伴天連の教えが広まっていることを非常に不快に思っている。兄弟でもない者たちの団結は、天下に累を及ぼすに至ることが案ぜられるからである。加賀国をはじめ全国各地で反乱した一向宗の習いが隠しようのない事実であり、本願寺の僧侶には天満の地に寺を置くことを許しているが、一向宗には許したことはない。ましてや国郡や領地を持つ大名が、その家臣達を伴天連に帰依させようなどありえないことである。 高槻、明石の者をキリシタンにし、また寺社仏閣を破壊したことは理不尽極まりない悪行である。よって今後とも大名の身分に留まりたければ、直ちに信仰を捨てよ。』
 覚悟はしてはいたが、右近は次の言葉は見つからなかった。そして脇に単座する菖蒲もまた、何か言いたげな様子で右近を見つめているだけで、利休も、
 「関白様にはいかにお返事をお伝えいたしましょうか?」
 と言ったきり、暫く無言の時が流れた。
 ようやく右近が口を開いたのは、菖蒲の入れた茶がすっかり冷めてしまった頃である。
 「前にも一度、武士を捨てる覚悟を決めたことがございます。私が高槻にいる頃、あの時は織田信長様でございました。高槻のキリシタンを守るためには、そうするより仕方がないと考えたのでございます。確かに私は高槻や明石の家臣たちをキリスト教に導きましたが、だからといって関白殿下を侮辱した覚えは全くございません。それでも信仰を捨てよと言うのであれば、例え全世界を与えられようと承諾いたし兼ねます。デウス様のこと、及びその教えに関する限りは、一点たりとも変えるわけには参らぬ故、私の身柄、封禄、所領につきましては、関白殿下のお気に召すようお取り計らい下さい」
 利休はその潔さに感服したが、これほどの人物を失う損失を惜しんだ。
 「どうだろうか? 今の言葉をそのまま関白様にお伝えしたのでは、怒りを買うのは目に見えています。ここは表向きだけでも関白殿下の意に沿うようご返答されては? 私の見たところ、関白様はそうお望みの節もございます」
 「意に添うとは信仰を捨てることでございます。口先だけの嘘など申せません」
 屋根裏の小太郎は、菖蒲の色香にほだされて、洗礼を受けると言った自分を顧みて苦笑した。
 「本当にそのままをお伝えしてよろしいのですな?」
 「はい。よろしくお願い申し上げます」
 と、右近は深々と頭を下げたのだった。
 ところがそれから暫くして、再び利休がやって来て、新たな秀吉の言葉を伝えた。それは、
 「所領は没収するが、熊本に転封した佐々成政に仕えることを許す。それでなお信仰を捨てないのであれば、今日本にいる宣教師と一緒に外国へ追放する」
 というものであった。つまり信仰さえ捨てれば武士でいることを許すと言うのである。
 しかし右近は、必死の利休の説得をも拒み、
 「この信仰が、師である利休様や、君である関白秀吉様の命令より重いかどうかは分かりませぬが、武士というのは一度志した事は曲げるものではないと存じます。たとえ師君の命と言えども、志を変えるのは不本意にございます」
 と、毅然と言い放ったのである。それを聞いていた小太郎はひどく感心し、利休が帰ったあとで右近の前に跪くと、
 「拙者、胸を撃たれ申した。我ら忍びの世界に武士の義などはございませんが、やはり右近殿は、キリシタンである前に武士でござったか!」
 と言った。すると、
 「あれは利休様を納得させるための便宜です。人の基が魂であるなら、武士などただの飾りにすぎません。人の真価は着ている衣を全てはがして、ようやく見えてくるものではないかな?」
 小太郎は己にとっての衣とは何か、魂とは何かを考えた―――。
 こうして天正十五年(一五八七)六月十九日夜、フスタ船で眠っていたモンテイロとコエリュのもとに、世にいう『伴天連追放令』が届けられたのである。日本にキリスト教が伝来してよりおよそ三〇年、まさに晴天の霹靂とも言える事態であった。

 定
日本ハ神國たる處、きりしたん國より邪法を授候儀、太以不可然候事。
其國郡之者を近附、門徒になし、神社佛閣を打破らせ、前代未聞候。國郡在所知行等給人に被下候儀者、當座之事候。天下よりの御法度を相守諸事可得其意處、下々として猥義曲事事。
伴天連其智恵之法を以、心さし次第二檀那を持候と被思召候ヘバ、如右日域之佛法を相破事前事候條、伴天連儀日本之地ニハおかせられ間敷候間、今日より廿日之間二用意仕可歸國候。其中に下々伴天連儀に不謂族申懸もの在之ハ、曲事たるへき事。
K船之儀ハ商買之事候間、各別に候之條、年月を經諸事賣買いたすへき事。
自今以後佛法のさまたけを不成輩ハ、商人之儀ハ不及申、いつれにてもきりしたん國より往還くるしからす候條、可成其意事。
 已上
 天正十五年六月十九日     朱印

 おおよその大意はこうである。

一、日本は神の国であるから、キリスト教は邪法であり布教してはならない。
一、大名は天下の法律に従うべきで、一時的にその領土を治めているだけなのだから、土地の民を信者にし、寺社を破壊することはあってはならない。
一、キリスト教の信者を増やそうと考えるのは日本中の仏法を破ることになり、日本にキリスト教徒を置いておくことはできないので、宣教師は今日から二十日以内に自国へ帰ること。キリスト教徒でありながら違うと言うのはけしからぬことである。
一、商売をする貿易船の出入りはこれとは関係ないので今後も続けること。
一、これからは国法を妨げるのでなければ、商人でなくとも日本に来ることは問題ないので許可する。

 この布令により一夜にして高山右近は国賊になった。己にとっては一信仰者の信念を貫いたわけであったが、ただひとつ心残りなのは、ここまで自分について来てくれた家臣たちの今後の身の上である。中には信仰の日もまだ浅い者もおり、眠れぬ夜を過ごした彼は翌朝、家臣達を集めてこう言った。
 「私は我らの主なるデウス様の名誉と栄光のために、長年待ち望んでいた苦しみを味わえる機会が与えられたことは返って喜ばしいことである。皆の者が危険に身命を捧げて私に尽くしてくれたことに感謝するが、それに報いることができない身の不甲斐なさに悔いるのみである。それは全能なるデウス様の偉大な御手に委ねるしかないことを分かってほしい。皆の者は主の教えをわきまえているだろうから、来世においてはその報いとして無限の栄光と財宝を与え給うだろう。どうか勇気をもって信仰に励み、自ら範を示し、良きキリシタンとして生きることを望む。皆の者には妻子や家族もあろう。私の友人の中には、皆の者を喜んで迎え入れてくれる武将もいるだろうから、これからはその者を頼っていくがよい」
 右近の突然の言い渡しに、呆気にとられる者も、理解できない者も、泣き出す者もおり、中には「死ぬまでお供仕る!」と髻を切り落とす者もいたが、この日をもって右近の家臣団は解散した。
 やがて小西行長はじめ黒田官兵衛、その他右近と親しくしていたキリシタン大名達が次々と彼のもとに訪れ、口々に「考え直せ」と言った。しかし右近の固い決意を知ると、「これからどうするつもりじゃ?」と心配に変わった。しかしそれは彼自身が一番知りたい事であり、
 「こうなった以上、もうここにはおれぬことは分かっていますが、かといってどこに身を潜めて良いかも分からぬ。どうしたものだろうか?」
 と呟いた。
 「ならばここからも見えるあの能古島に暫く隠れていてはどうか?」
 と黒田官兵衛が提案したのに続き、
 「それはいいかも知れん。わしはいま博多町割り奉行の仕事が忙しい故、そちらが落ち着いたら淡路島へ行こう。それまでそこにおれ」
 と行長も賛同して、右近は従うことにしたのであった。そうして菖蒲と二、三名の家臣を引き連れて、その日のうちに小船に乗り、追われるように姪浜を後にする。小舟が浜を離れようとする時、
 「小太郎君、雇ってやれずに申し訳なかった。こういう訳だ。でも私より立派な大名はたくさんいます。良い仕官先が見つかるよう祈っています」
 と、右近は最後に小太郎にそう言った。その悲しげな目を見たとき、思わず小太郎はその小舟に飛び乗った。
 「お伴つかまつる!」
 小太郎にも分からなかった。右近はもはや大名ではなく、社会的に見れば一介のキリスト教信者に成り下がったのである。そんな男に仕えたところで、立身出世の夢はおろか、身につけた忍びの術を活かせる場さえないことも知っていた。それでも小舟に飛び乗ったのは、右近の隣に寄り添う菖蒲の、無機質とも思える透明な瞳を見たからであった。
 この後、右近は小西行長を頼り、彼の所領であった小豆島に身を隠す。更に翌天正十六年(一五八八)には、旧知の前田利家に引き取られ、加賀藩の客将として金沢で過ごすことになる。
 
> 第1章 > 高麗茶碗
高麗茶碗
はしいろ☆まんぢう作品  

 さて読者は、小太郎の竹馬の友である末蔵という男を覚えているだろう。
 話は少し遡るが、彼は本阿弥光悦に紹介された聚楽焼の窯元長次郎のところへ行く途中、光悦からもらった高麗茶碗がないことに気付き、慌てて吉兆に引き返す。ところが小太郎は既におらず、まかないのお銀に聞けば、
 「なんか慌てて出て行ったよ。あんたんとこ行ったんじゃなかったのかい?汚らしい古びた茶碗持って行ったから」
 末蔵は、小太郎が持っているならすぐに手元に戻って来るだろうと、その日は諦めて長次郎に弟子入りするが、修行を始めて三日経っても七日経っても小太郎が現れることはない。逃した鯛は大きく見えるもので、末蔵の頭の中では、あの沙鉢という素焼きの茶碗が一生かかっても作り出すことのできない幻の最高傑作となって輝き出し、それが自分の物であるにも関わらず手元にないことが大きく悔やまれた。やがて「小太郎め、どこにおる!」と修行にも身が入らず、ひと月ほど経ってついに、
 「きさま、やる気があるのか!そんなことじゃあ一生かかっても“モノ”にならねえぞ!」
 と、師の長次郎にどやされ、末蔵も苛立っていたから、
 「こんな所にいたって所詮高麗茶碗など作れない!俺は高麗物の沙鉢が作りたいんじゃ!」
 とついつい言い返してしまった。すると長次郎の顔がみるみる赤くなって、
 「なんだその口の利き方は!高麗茶碗が作りたいんだったら朝鮮へ行け!こっちは貴様などに用はないから即刻出ていけ!」
 と、早々に聚楽焼窯場を追い出されたのだ。
 末蔵は小太郎を恨みながら路頭に迷うが、とどのつまりは本阿弥光悦に再び会って、全ての事情を正直に話して頭を下げることしか思いつかない。
 「困った御人じゃ」
 光悦はそう言いながらも、目の前に困った人がいれば抛っておくことができない性分だった。
 「一丈の堀を越えぬ者、十丈・二十丈の堀を越うべきかと言う。一事も全うできぬお主が、どうして陶芸の道を成就できようか?本当に一流の陶芸家になる決意があるのかい?」
 と、くどいほど聞き返した。すると末蔵はこう答えた。
 「光悦様から戴いた沙鉢を失くしてはっきり判ったのです。私がやりたいのは聚楽焼でなく高麗焼なのです!私は高麗国へ渡り、本場の窯で修行を積みたいのです!」
 その言葉の中に、ようやく燃えるような若い情熱を認めた光悦は、
 「大阪の堺に高麗茶碗を扱う商人を知っていますので、一度彼に相談してみるとよいでしょう」
 と紹介したのが、日朝貿易で巨万の富を築き上げ、今は南蛮貿易も行い栄華を極め尽くした博多の島井宗室という豪商だった。宗室はもともと博多で酒屋や金融業を営んでいたが、大友宗麟に見い出されてより主に明や李氏朝鮮との貿易を中心に利益を挙げ、やがて豊臣秀吉の保護を得るようになってから、博多を拠点に畿内はもとより対馬に至る貿易航路を築き上げた人物である。
 光悦の紹介状を握りしめ、末蔵が堺に来たとき宗室は不在であったが、やがて戻って来たのは、ちょうど小太郎が右近に従って博多湾の小島能古島に移ってから数日後の事だった。宗室は見慣れぬ若者を接待用の部屋に通すと、
 「関白さんが伴天連追放令を出して今博多は大騒ぎじゃ。だからわしは武士とキリシタンには絶対になるなと申しているのだ」
 と言いながら、奉公人に連れられ対面に座った末蔵を気にする様子もなく、本阿弥光悦からの紹介状を読み出した。このとき島井宗室五〇歳、その堅実で抜け目のない鋭い視線がやがて末蔵を睨んだ。
 「光悦殿の紹介と言うから会ってみたが、見ればなんの取り得もなさそうなただの若造。ほんにあの方は人が良すぎる。申し訳ないがわしも何かと忙しい身でな。お引き取り願おう」
 と、端から相手にする気もなさそうに軽くあしらった。話も聞いてもらえず帰るわけにもいかない末蔵は必死であった。
 「取り得ならございます!」
 するとどこからともなくウグイスの声がしてきた。宗室は不思議そうに周囲を見渡し、
 「はて、もう夏だというのにウグイスとは珍しい」
 と、季節外れのその声に耳を傾けた。すると今度はキジバトの声が聞こえてくる。
 「さて、朝でもないのにキジバトが啼き出したぞ。ほれ、お主にも聞こえるだろう」
 と思えば今度はホトトギスが啼き出した。
 「これはどうしたことか?山でもないのにホトトギスが啼いておる。キツネにでもつままれておるようじゃ」
 と宗室は目を丸くした。やがて末蔵が、
 「私でございます」
 と平伏すると、宗室はしばらく意味がのみ込めないといったふうな顔をしていたが、それらの鳥の声がみな末蔵の声色であることを知り、「面白いやつじゃ!」とすっかり感心して笑い出した。伊賀で鍛えた声色の技が、まさかこんなところで役立つとは思ってもない末蔵だが、こうして宗室の懐に見事飛び込むことに成功したのである。
 「で、わしに相談とは何じゃ?」
 「私を高麗国へ連れて行ってください!」
 「高麗国へ?行ってどうする?」
 「高麗茶碗の作り方を学びたいと存じます!」
 「高麗茶碗の作り方……?学んでどうする?」
 「日本に持ち帰り、陶芸の道を究めたいと思います」
 「極めてどうする?金が欲しいか?それとも名声か?」
 「それは……宗室様がご商売をするのと同じでございます」
 「わしと同じ?では金儲けがしたいのだな?」
 「宗室様がそうであるなら……」
 このようなやり取りには末蔵は慣れていた。相手の質問に乗りつつ、いつしか逆の立場に転じる話術である。小太郎などは巧みなもので、彼との付き合いの中で自然と身についたものと思われる。
 「勘違いしないように言っておくが、わしが金が好きなのは裏切らないからだ」
 「私もそうです。技術は裏切りません」
 宗室は少し考え事をしているふうだったが、やがて、
 「確かに日本の陶芸技術は李氏朝鮮国と比較すればかなり遅れているといえようが、お前は朝鮮がどんな国か知っておるのか?」
 「存じませぬ」
 「ならば教えてやろう、あの国は差別の国じゃ。国王のもと、両班といわれるひと握りの特権階級の下に、あらゆる職業の人間が虐げられ、お前の目指す陶芸職人などは奴隷同然の扱いをされておるのだ。それでも朝鮮へ行きたいか?」
 「それは日本も同じでございましょう」
 「どうしてそう思う?わしは一介の酒屋の倅じゃ。しかしこうして豪商と呼ばれる地位を築いたぞ。それにあの関白秀吉様などは土まみれの農民の出じゃ。それに側近の石田治部様も、もとは小さな寺の小姓だったと聞いておる。日本という国は、己の力量、才覚次第で天下人にもなれる国だと思うが」
 「そんなことはありません。光悦様から戴いた沙鉢には、計り知れない力強さが宿っておりました。あれは奴隷などには作れません」
 末蔵はそう答えた瞬間、沙鉢を受け取った時の本阿弥光悦の言葉を思い出した。「悲しみばかりが伝わってきて好まない」「歪でつくりが荒く完成品とは思えない」という。
 「もしかしてお前が見た力強さとは、虐げられた人間たちの苦しみのあえぎ声かも知れぬのう。確かにあの妙ちくりんな形状は器ではあるが、雑とも取れるし、無作為とも取れる。それがたまたま大陸から伝わった高度な焼き窯の技術によって洗練された陶器に生まれ変わっているのかも知れぬ。利休殿などはあの高麗茶碗の中に、人の生命を感じているやいなや。つまりそれが詫び寂びというわけか」
 宗室は光悦と同じようなことを言った。そして、
 「まあ、わしも聞いた話で、実際に朝鮮で暮らしたわけではないからのう。それよりどうじゃ、金儲けが目的なら良い芝居小屋を紹介してやるぞ。お前ほどの声色ができれば一躍人気者になれるに違いない」
 と笑った。
 「どうする?それでも高麗国へ行きたいか?」
 「行きます。行かせて下さい!」
 末蔵は、どんな苦しい境遇に陥ったとしても、あの沙鉢を作る技術を習得したいと思った。
 「よし分かった、連れて行ってやろう。だが旅費はあるのか?」
 「旅費?」
 「当たり前ではないか。人一人を異国へ連れて行くのだ。船賃は勿論のこと、食費もかかる。まさかただで行こうなどと思ったか?」
 「出世払いでお願いします」
 「それは駄目じゃ。そんな宛てにならぬものに金は賭けれぬ。こういうのはどうか?」
 宗室が提案したのは末蔵の声色を金に換える法である。何せ商売の性質上全国のあちこちに拠点があったから、「わしに伴い港、港で声色興行を行え」と言うのである。忍びの術は忍び仕事を成就するためのものであり、それ自体を仕事にしたり金儲けの道具にしてはならぬとは伊賀にいた時くどいほど言われたが、この際仕方がないと思った末蔵は承諾する。こうして間もなく堺を発つが、皮肉なもので声色興行は各地で大絶賛され、旅費どころか大きな利益を生んだ。そうなると手放すには惜しくなった宗室は、
 「いっそ陶芸など諦めて、このままわしと一緒に各地を回らぬか?贅沢な暮らしもできるぞ」
 と引き留めたが、末蔵の決意は変わらなかった。
 そして彼が対馬に到着したのは、堺を発っておよそ半年後の冬の事だった。

 この頃(天文十六年)の対馬の守護大名は宗義調である。
 彼は二十年ほど前、一旦は家督を養子である宗茂尚に譲り隠居するが、茂尚が早世したため、その弟である義純に家督を継がせた。ところがこれも早世したため、更にその弟である義智を当主としたが、秀吉の九州征伐に伴って再び当主となっていた。その戦いに参陣した義調は本土を安堵されることになったが、もっとも地理的に古代より日本と大陸との海上中継地となってきた対馬は朝鮮との関係も非常に深く、秀吉にしてみれば今後の情勢を考える上で特に重要な位置にある人物だったわけである。
 居城である金石城に末蔵を伴った島井宗室を迎え入れたのは前当主の宋義智で、
 「いつものことながら船旅ご苦労である。ごゆるりと過ごされよ」
 と一行を城内の一番良い部屋に案内した。対馬という小国は、朝鮮や大陸との人脈はあっても、物資を流通させるためには商人の力が不可欠で、島国を治める宋氏の繁栄は、そうした貿易によるしかない。このとき義智は、まだ二十歳の凛々しき青年である。
 「当主はどうされた?」
 いつもなら真っ先に出迎えるはずの義調の姿がないことに、宗室は首を傾げた。
 「朝鮮国王を上洛させよと、関白様から無理難題を押し付けられましてな、その交渉に気を病み、このところどうも床に臥せりがちなのだ……」
 「あの気丈な義調様がなあ―――」
 そのはずであった。当時より少し前、対馬海峡沖には倭寇と呼ばれる海賊船が頻繁に出没し、密貿易をするため朝鮮南岸を荒らし放題に荒らしていた。“倭”とは朝鮮から見た日本を指す言葉で、“倭寇”とは直訳すれば“日本からの侵略”であるが、実際倭寇の船に乗る海賊たちはそのほとんどが中国人だったと言われ、一部に朝鮮人や日本人、あるいはポルトガル人がいたと言う。一五一〇年の三浦の乱以来日朝関係は徐々に国交を回復していたが、そのピークとも言える事件が一五五五年に勃発した乙卯達梁倭変と呼ばれるものである。七〇隻余りの倭寇船が朝鮮の全羅道南部の達梁浦を襲撃し、大被害を与えたばかりか達梁城を落とし城将らを殺傷拉致したのである。その首謀者が中国人の王直という密貿易商で、彼らは肥前の五島列島を拠点としていた。事件を受けて李氏朝鮮は倭寇討伐に乗り出すが、それに協力したのが義調だった。海賊の取締りを強化し、その情報を朝鮮側に提供したのである。その功績により義調は朝鮮との貿易拡大に成功し、宗氏の貿易における繁栄をもたらしたのである。いわば義調にとって朝鮮は恩人ともいえる大のお得意様であり、良好な友好関係を継続することこそ宋氏繁栄の命綱だったのだ。それを秀吉が、
 「一年以内に朝鮮国王を従属させ上洛させよ。もし交渉に失敗したら朝鮮に出兵する」
 と言うのである。対馬は朝鮮の港を借りて貿易をしているだけの関係なのに、いきなり日本に服従せよなど筋違いも甚だしい。しかも拒めば戦争をしに行くなど、どこの世界にそんな道理があったものか。苦渋の末、秀吉の本意を伏せて使者を派遣することにした。
 「日本統一を果たした新国王を祝賀する通信使を派遣してほしい」
 と、朝鮮国王上洛要求を通信使派遣要請に変えたのだ。事態をできる限り穏便に収めようとする義調なりの配慮ではあったが、万一露見でもされたら宋家など一巻の終わりである。昨秋九月に日本国王の使者と偽って派遣した柚谷康広という家臣はいまだ帰って来ない。五六歳の義調は命をすり減らすほど肝を冷やしながら首を長くしている訳なのだ。
 「朝鮮と戦争などされたら、我々の商売あがったりです。今宵はそんな暗い話は抜きにして、大いに飲み明かしましょう。面白い男を連れて来ましたゆえ」
 と、宗室は義智に末蔵を紹介した。無論この時点では宗室も義智も、まさか日本が朝鮮と戦争をするなど夢にも思っていない。
 「面白い男?裸踊りでも見せてくれるのかな?」
 義智は笑いながら同じ年頃の末蔵に目を向けた。
 こうしてその夜は酒宴が催され、さっそく末蔵は笑いの種にされる。始めは宗室に聞かせたような鳥や動物の鳴き真似から、やがて波の音や船の音を真似て見せ、ついには料理や酒を運ぶ給仕の女達なども即興で真似れば、会場は大爆笑の渦に飲まれた。気を良くした義智は、末蔵を近くに呼び寄せ、
 「褒美をとらせよう。なんなり申せ」
 と言う。ここぞとばかりに末蔵は、
 「高麗国へ渡りとうございます!」
 「朝鮮へ?行ってどうする?」
 すると宗室が「この者、陶器の技術を学びたいのだそうです」と言葉をはさみ、義智は不思議そうに末蔵を見つめた。
 「行くは容易いが、言葉も分からぬ国でどうやって技術を学ぶつもりじゃ?」
 末蔵は今さらのように気づいた顔をして「それは行ってから考えます」と答えた。
 「朝鮮への入り口は釜山浦という港だ。そこに倭館と呼ばれる日本人居住区がある―――」
 と義智は教えた。この倭館、以前は朝鮮南岸の三ヵ所に存在しており全盛期には数千人もの日本人が居住していた。ところが李氏朝鮮による規制に反発した日本人が起こした“三浦の乱”により一旦はすべて閉鎖されるが、釜山浦の一か所だけは復活し、以来そこが唯一の朝鮮への窓口となっている。
 「そこに朝鮮語ができる者がおるから、付き添いをするよう命じよう」
 「有り難き幸せにございます!」
 末蔵は思わぬ好意に平伏した。こうして彼は、対馬から出港する船に乗り、日本の輸出品とともに朝鮮半島へ渡るのであった。
 
> 第1章 > 儒教の教え
儒教の教え
はしいろ☆まんぢう作品  

 対馬の最北端に位置する鰐浦から朝鮮南岸まで、直線距離にしてわずか四九キロ余り、その日の風向きにもよるが大抵五時間もあれば釜山浦に到着してしまう。石積みの防波堤から桟橋が延び、そこに係留した貿易船を降りた末蔵は、これから待ち受ける未知の世界に足をすくませた。
 すると岸の倉庫らしき建物から数十人のみすぼらしい服を来た老若男女が船の方に押し寄せて来たかと思うと、高官らしき男の指示に従って、船に乗り込み積み荷を運び出し始めた。高官らしき男は荒々しい朝鮮語で、その言葉の意味は理解できないが怒っているようでもあり、見るからに重そうな積み荷を落とすような者がいれば、その痩せ細った身体を容赦なく棒で叩き付ける。その光景に末蔵は目を丸くした。
 「驚くことはない、いつものことだ。彼らは奴隷なのさ。そして、この日本から持って来た胡椒や硫黄や生薬などが、帰りには高麗陶器に変わっているって寸法さ。ほれ、あそこに見えるのが倭館だ」
 渡航中の船内で仲良くなった乗組員が教えた。
 末蔵は防波堤の中央あたりにある番所へ行き、欠伸をしながら鼻毛を抜く朝鮮の圖書役人に渡航手形を見せると、そのまま倭館へ向かう。そして倭館の入り口にある警備用の建物で滞在査証を受けるのだが、ここの文引役人もまるで働く気がない様子で、末蔵の顔をチラリと見ただけで難なく中へ入ることができた。穏やかというか平和というか、朝鮮の検察の警戒心の薄さにホッと緊張した胸をなで下ろす末蔵である。
 倭館の役人詰所に来た彼は、さっそく宋義智に書いてもらった書状を渡し、すると中から倭館詰め宗家家老を名乗る男が出て来た。義智直々の書状を手にして何事かと慌てた様子であったが、末蔵の特に偉そうでもない身なりを見た途端、安堵の色を浮かべ、
 「陶器の窯場の視察か?若殿がそちに通訳の者を付けよとのことじゃが、あいにく皆漢城の方へ行っており今ここには適当な者がおらん。むかし通訳をしておった恒居倭の孫六爺さんがおるからあの人に頼んでみよう」
 と、さげすんだ目で言った。およそ外見だけで人を判断するのはいつの世も常であろうか。現に偽造の国書を持った柚谷康広に伴って、通訳達は皆出払っていた。倭館詰め家老が言う恒居倭とは、朝鮮に渡ったまま帰国せずに永住するようになった者達のことである。
 「老いぼれてはいるが耄碌はしておらん。朝鮮を知る生き字引じゃぞ」
 と揶揄するような笑みを作りながら、一人の役人を呼び寄せ、その老人の家まで案内するよう言いつけた。
 その老人が住むという粗末な家は龍頭山と呼ばれる丘の麓にあり、この辺り一帯が倭館の敷地なのである。日本人居住区とはいえ敷地内に住む朝鮮人も多く、両者は持ちつ持たれつの関係を保ちながら、特に貿易に関係する仕事においては、時には親兄弟よりも密接に結び付き、利益を共有する強固な自治体を形成しているのである。
 「孫六爺さん、仕事だよ!」
 役人の声に呼ばれて、やがて中から七〇も過ぎたと思われる腰の曲がった老人が姿を現した。孫六爺さんと呼ばれたその老人は、凄みのある目付きで末蔵をじっと睨み、家の入り口際に無造作に置かれた壊れそうな台に座らせると、「おい、お茶!」と叫んで自らも座った。末蔵を案内した役人は孫六爺さんと顔を合わせているのが苦手な様子で、末蔵を日本から渡って来た者であることを簡単に伝えただけで、「拙者は仕事がある故これで失敬」とそそくさと帰ってしまったが、やがてお茶を持って屋内から姿を現したのは、末蔵と同じくらいのうら若き美しい女であった。末蔵は暫くその容姿に見とれていたが、お茶を置いて家の中へ入ってしまうと、
 「お美しいお孫さんですねぇ」
 と、老人の顔色を窺いながら聞いた。すると老人は気分をそこねた様子で、
 「孫じゃねえ、オレの細君だ。手ぇ出したら承知しねえぞ!」
 末蔵は呆気に取られて皺だらけの孫六爺さんの顔を見つめた。
 「もともとは白丁だ。売られて暴行を受けているところをオレが助けて嫁にした。朝鮮の婢はいいぞぉ、泥と糞にまみれておるが、丁寧に磨けば女になる」
 白丁とはいわゆる賤民と言われる者の中でも最下層のレッテルを貼られた被差別民のことである。それはもはや人間とは認められず、姓を持つことも結婚も許されず、日当たりのいい場所や瓦屋根の家に住むことも禁止され、職業といえば屠畜業や食肉商、あるいは皮革業や骨細工などをしなければならず、文字を習うことも公共の場に出入りすることも、死んでなお常民より高い場所に墓を作ったり墓碑を建てることも許されない。この頃の朝鮮にはそうした差別意識が当然のように存在している。
 「おいおい勘違いするな。オレだって十年前までは日本から連れて来た女房がいたんだ、病気で死んだが。奴婢を嫁にするようになったのはそれからだ。あいつで三人目。なあに飽きたら売ってしまうだけさ。ここは女の使い捨てができる国だぞ。どうだ最高だろう?」
 「絶倫ですね……」
 末蔵は老人の股間を見つめて開いた口がふさがらない。
 「ところで仕事とは何だ? オレもすっかり高麗人になってしまったわ。働くのが億劫で仕方がないわい」
 儒教思想の影響だろう。朝鮮の上層階級の者達は、学問に勤しみ、秩序と体裁を重んじる意識が非常に強く、日常的な煩事にとらわれない生き方が美徳とされていた。よって働く事を卑しむのである。すっかり高麗人になったとはその意で、それでも久しぶりの仕事が嬉しいらしく孫六爺さんは破顔一笑したが、そんなことを知らない末蔵は、見るもの聞くことが驚くばかりで、一種の拒絶感を覚えずにはおれなかった。
 「私は日本から高麗茶碗の作り方を学びに海を渡って来ました。ところがいかんせん朝鮮語が分かりません。そこで通訳をお願いしたいのです」
 末蔵は懐から一握りの銀貨を取り出して孫六に渡した。それは対馬を離れる際に島井宗室から「これだけあれば向こうへ渡っても二、三年は暮らせるだろう」と餞別として受け取ったものである。この頃の李氏朝鮮での取り引きは主に布を貨幣代わりに使っており、銀貨はあまり一般的でないが、孫六爺さんは明国へ行けば大変な価値になることを知っていた。何食わぬ顔をして受け取ると、「三島茶碗ならうちにもあるぞ」と、日本での価値を知っているぞとばかりに見せてくれたのが紛青紗器と呼ばれる茶碗である。“三島茶碗”というのは当時の日本の茶人達が伊豆国の三嶋暦の文様に似ていたところから名付けた高麗茶碗の別称であるが、末蔵にしてみれば、今にも倒れそうな掘っ立て小屋のような家から、まさか日本では屋敷が一軒でも二軒でも建ってしまう最高級の器が、これほど無造作に出て来るとは思わない。ギョッとしながら手に取って、それをしみじみ見つめてみれば―――薄鼠色の地に箆や櫛で紋様を付けた粘土に白土の化粧土を塗り、最後に透明釉を掛けて焼成した姿はこの世の物とは思えない美しさである。
 「まさにこれだ……。俺が作りたいのはこれなんだ……」
 末蔵は感嘆のため息を落とした。
 「陶器を焼く窯ならこの辺にもあるが、その等級の陶磁器を作りたいのなら漢城のある京畿道の方へ行かねばならんだろう。広州に分院窯がある。そこに知り合いがいないわけではないが、どうする?」
 分院窯というのは官窯のことで、主に宮廷内で使われる陶磁器を製造する国営の陶窯場である。末蔵は目を輝かせた。
 「行きます!連れていってください!」
 孫六爺はさりげなく「少し遠いから金がかかるぞ」と付け加えると寒空を見上げ、
 「ではもう少し暖かくなったら行くとしよう。それまでうちにいるがよい」
 季節は冬である。春になるまで末蔵は、孫六爺さんの家で世話になることにし、その間朝鮮語の勉強や、文化、風習などを学んで過ごすことにした。
 それにつけても孫六爺の博識なことに驚かされる。最初はただの助兵衛なだけな爺さんかと思ったが、その話の内容を聞いていれば、井の中の蛙であった末蔵は恥ずかしくなるほどだった。
 もともと対馬の宋氏に仕える文官をしていた孫六爺は、やがて対朝貿易に関わる仕事を任されるようになり、一五四七年に朝鮮と対馬宗氏との間で丁未約条が結ばれたときに朝鮮に渡って来た。これは朝鮮への来航者を取り締まるための規則だが、それまでも朝鮮と対馬の間では倭寇がらみの紛争がたびたび起こっている。しかし孫六爺さんに言わせれば、李氏朝鮮は一三九二年の開国以来およそ二〇〇年の間、宮廷内のいざこざはあっても国内を揺るがすような大きな戦争は一度もない平和な国なのだと誇らしげに教えた。なるほど戦乱に明け暮れる日本では考えられないことだが、末蔵も戦争の世より平和の方が好きである。
 なぜか―――?と孫六爺は問う。
 それは、李氏朝鮮は明国の王に認められた国家であり、明国の冊封国つまり従属国であり、巨大な明国の力に絶えず守られているからだと自問自答した。
 「しかしそれだけでは平和な国家は作れない。外からの侵略は防げても、内部からの紛争は抑えることができないからだ。そこで内部統制を図るため朝鮮が導入したものがある。何だか分かるか?」
 無論末蔵に答えられるはずがない。孫六爺はそのポカンとした顔を嘲るように、
 「儒教じゃ」
 と言った。
 「儒教とは孔子の教えであろう。“君子危うきに近か寄らず”とか、君子の徳を説いたアレじゃ」
 そのくらいなら末蔵でも答えることができた。
 「そんなお粗末な知識では一生かかっても科挙に合格することはないのう」
 科挙とは朝鮮の官僚登用試験のことであるが、孫六爺はその浅はかな知識に高笑いすると、やがて儒教について語り出した。
 そもそも彼の話によれば“儒教”とは“経世済民”の教えであると言う。すなわち読んで字の如く『世を経(治)め、民を済(救)う』ことであるが、その心は、武力による覇道を嫌い、仁・義の道を実践し、上下秩序の分別を弁えることである。体系的に言うならば―――、
 第一に『長幼の序列』である。つまり正統な権威を守ることで社会秩序を得ようとする考え方で、正統な権威とは大きく君主、祖先、父親、先輩の順に連なる上下関係を言い、ここから厳然とした儒教カーストともいえる身分制度が生まれた。すなわち当時の朝鮮では、頂点に君臨するのが国王であり、その下に国王の結縁関係に当たる王族や貴族が存在し、その下に官僚、役人としての両班と呼ばれる階級がある。さらにその下には中人と呼ばれる階級があり、これは低い官職者や比較的家柄が高い者達である。彼らには科挙を受ける資格が与えられ、財力さえあれば学校に通うことも許されるが、両班に対しては絶対服従で、たとえ試験に合格して官僚になったとしても上級官職に昇格することはない。さらに中人の下には常民という階級がある。これはいわゆる一般庶民層で、彼らは農業や商工業を営んでいたが、学ぶことが禁止されていたので科挙の受験資格はない上に、衣服は白のみ身につけることを許され、家屋には門を作ることが禁止されていた。更にその下には賤民、つまり最下層となる奴隷階級がある。
 「お前が目指す陶器職人などはこの賤民の部類だぞ」
 と孫六爺は付け足した。人口の比率でいえば両班以上の役人階級は全体の一割にも満たない程度で、以下中人、常民階級が五割、残りの四割が賤民階級だと言う。いわば李氏朝鮮とは、奴隷がいなければ国自体が存続できない奴隷制国家なのだ。
 「本来儒教とは“済民”を目的としているはずなのに、上下秩序を重んじるあまり、返って真逆の民を苦しめる形を作ってしまうとはなんとも皮肉な話だろう」
 と、孫六爺は他人事のように笑った。
 第二に『父親孝行』である。家庭の中においては父親の権限が絶対であるということだ。祖父はそれ以上の権威を持ち、それは祖先崇拝にもつながる。つまり上下関係を明確にすることが家の秩序を守ることになり、そこで形成される忠孝や献身、儒教教義の骨格である五常つまり仁、義、礼、智、信といったものが社会秩序である『長幼の序列』を支える裏付けになっているのだと孫六爺は語る。
 第三には『形式や学問の尊重』である。これは感情や思い付きに頼るのではなく、“四書五経”等のような先師らの儒教経典に基づく行いをしていく事である。すなわち「論語」「大学」「中庸」「孟子」の四書と、「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」の五経を深く学び、それを実践することを怠らない。
 「こういうことを言えば儒教とはまるで立派に聞こえるが、実はこの教えにはぬぐいきれない決定的な欠点が存在するのじゃ」
 と、末蔵が聞く聞かないに関わらず、孫六爺は自分の世界に入り込んでしまったかのように続けた。
 「儒教とはなべて男に対する教えであり、そこに女は登場しないということじゃ。つまり―――」
 第四には『男女の有別』である。すなわち男性と女性の性別の違いで、社会における役割を厳然と区別したことである。それは『内外区分』とも言う概念であり、男性は“外”の役割を果たし、女性は“内”の役割を果たすことが本来の秩序と説く。つまり女性は家庭内の事だけをしていれば良く、公的な領域へ出てはならないという考えだから、結果的にそれが極端な女性蔑視の性格を持つに至るわけだ。
 孫六爺さんは若々しい妻を抱き寄せると、末蔵の見ている目の前で、その豊満な胸を揉み出した。末蔵は目のやり場に困り、思わず「やめてください」と声を挙げた。
 「おお、すまん、すまん。あんたにはちと刺激が強すぎたかな?」
 孫六爺さんはすました顔で話を続けた。
 例えば両班の家であっても、嫁いだ女性は外に出ることを許されず、他の男と話をすることも見ることさえ禁じられ、ひどい話になれば他の男に触れた日には腕を切断されたり、家を追放されることもあった。とにかく女性は男児を産むことに専念させられ、しかも随母主義といって生まれてくる子は母親の身分を引き継ぐことになっていたので、賤民の子は一生賤民として生きるしかない。女性は女房でも娘でも奴隷同然の扱いをされ、もっと悲惨な話を挙げれば、娘を嫁に出す時は、妊娠できる身体かを証明するために娘を強姦し、妊娠させた状態で嫁入りさせる“試し腹”という行為まであると言う。つまり儒教で定めた女性の“内”の役割とは、いきつくところ男子を産むことが最終的な目的であったため、いつしか女性の人権など認めない社会へと発展してしまったのだと、これが孫六爺の分析である。
 奴婢の女性になればまだひどい。それは人ではなく物品で、常に売買、略奪、譲与、担保等の対象である。彼女たちはただ主人の財産であり、殴られても犯されても売り飛ばされても、ついには殺されても、主人には何の罪も課せられない。少し容姿が美しければ、たちまち性の道具にされて、巷には年頃の娘の遺棄死体を見かけることも珍しくない。
 「それを思えばオレの女房など幸せな方じゃい」
 孫六爺は再び妻を抱き寄せた。その美しい女の体を見つめながら、なるほどそういう事情があるのならそうかもしれないと末蔵は思った。
 「戦争のない世が平和と言うなら、今の李氏朝鮮は平和といえよう。しかし平和を保つためにはどこかにしわ寄せが行くものじゃ。儒教による差別社会はその平和の歪なのだろう。それが人の社会の業というものか? とどのつまり儒教とは、国を統治する者の側の教えであり、万人の教えではないということだ」
 末蔵はもともと正義感の強い男である。織田信長に伊賀を滅ぼされ、ゆく宛てを求めて小太郎と旅をしていた時も、行く先々で困った人を見かければ、力もないくせに救いの手を差し伸べなければ気が済まなかった。またそういう人とも出会って来た。本阿弥光悦然り、島井宗室然り、宋義智然り、皆こんな自分のために力を尽くしてくれたのである。その正義感に根拠はなかったが、孫六爺の話を聞いて、眼前に李氏朝鮮という巨大な敵が出現したような気がした。しかしこの時の末蔵は、そんなものを相手にしている余裕はない。
 「一日も早く高麗茶碗の技術を身につける―――」
 こうして三ヶ月ほど経ったあるうららかな日、一頭の馬を借り、そこへ孫六爺さんを乗せた末蔵は、一路漢城のある京畿道へ向けて出発したのであった。若さに満ちた彼の心は、一流の陶芸家になるべく前途洋々たる希望に燃えていた。
 
> 第1章 > 両班(リャンパン)と山賊
両班(リャンパン)と山賊
はしいろ☆まんぢう作品  

 釜山(プサン)を発った末蔵は、東莱(トンネ)、機張(キジャン)と経由して、梁山(ヤンサン)では右手に早春の千聖山(チョンソンサン)を眺めながら、その雄大な姿に胸を膨らませてゆっくり北上した。
 村と村をつなぐ交通といっても当時のことだから、うっすらと窪(くぼ)みのあるようなところを辿(たど)る野歩きのようなもので、まだ残雪のある道は果てしなく続く。街道沿いの宿泊場所といえば藁(わら)ぶき屋根の簾(すだれ)で囲っただけの“酒幕(チュマク)”と呼ばれるそれで、居酒屋を兼ねた日本で言う旅籠屋(はたごや)の役割をなしてはいるが、それも歩いても歩いても稀に見るだけで、運悪く通り過ごしてしまえば野宿で一夜を明かすしかない。
 そうして五日ばかり歩いて密陽(ミリャン)という農村に到達した。大きな屋敷を見つけた孫六は、
 「今晩はあそこに泊めてもらおうじゃないか。毎晩野宿では身体がもたん」
 と、まだ太陽が西に傾いてもいないのに、とっとと屋敷に向かって歩いて行くので、仕方なく末蔵もそれに続いた。孫六は屋敷の庭にいた官人と思われる男をつかまえ、流暢(りゅうちょう)な朝鮮語で「漢城府へ向かう倭国(わこく)の者だが、今晩泊めてはもらえまいか?」と交渉を始めた。すると間もなく家主である朴(ぼく)氏を名乗る在郷の両班(リャンパン)が出てきて、ニコニコ笑いながら二人を屋敷内に招き入れた。その会話の内容は、三ヶ月ばかり朝鮮語をかじっただけの末蔵には理解できなかったが、後で孫六に聞いたところでは、
 「対馬の使者がたびたびここを通る時よく宿を提供しておるそうじゃ。なんでもそのたびに気前よく支払いの褒美(ほうび)をもらうとかで、わしらも大歓迎してくれるようだぞ。今晩は久しぶりに酒宴にありつけそうじゃな」
 と嬉しそうに鼻の下を伸ばした。その意味は更に後になって分かることだが、末蔵はとりあえず風呂に入りたいと思った。思えば対馬を発ってより、風呂というものを見たことがない。孫六は朝鮮には風呂に入る文化がないのだと教えたが、家主に頼めば二人の休む座敷内に“モッカントン”という木で作られた丸い浴槽を用意してくれ、その中に下女達がお湯をなみなみと入れてくれた。
 「さあ入れ」と孫六は言ったが、彼や下女達にじろじろ見られていてはさすがに入りずらい。「むこうを向いておれ」とお願いし、丸裸になって湯に浸かれば、途端に孫六と下女達が笑い出す。
 「な、何がおかしい?」
 「この国では真っ裸で体を洗うのは賤民(チョンミン)だけじゃ。両班(リャンパン)達は服を脱がずに必要な部分だけを洗うのが流儀じゃ」
 とはいえすでに二人の下女が、末蔵の腕や背中を優しい手で洗ってくれている。末蔵は顔を真っ赤にして恥ずかしさに耐えるしかない。
 そうしているうちに屋敷の大広間に案内されると、驚くことには宴の準備がすっかり整っており、赤や青や黄色で彩られた部屋には涎(よだれ)が出そうな料理と酒が並べられ、脇には美しく着飾った女達が、おのおの琴や二胡(にこ)や笛や太鼓などを持って座っているではないか。主賓席に座らされた末蔵は恐れ多くなって、「これはいったいどうしたことだ?こんな歓待を受ける覚えはないが」と脇に座った孫六に聞くと、
 「日本でも郷に入りては郷に従えというではないか。これは彼らの真心なのじゃ。素直に受け入れるのが礼儀というものだ」
 とすまし顔で言う。間もなく姿を現した家主は、連れて来た二人の男を「私の息子達だ」と自慢げに紹介し、いきなり、
 「さあさ、遠慮なくやってくれたまえ!」
 と朝鮮語で叫べば、やがて楽器が鳴り出して、これまた赤や黄色や紫の衣装で美しく着飾った五、六人の若い女達が部屋に入って来たかと思うと、音楽に合わせて歌や踊りを舞い始めた。
 呆気(あっけ)にとられた末蔵に、「これが妓生(キーセン)じゃ」と孫六が教えた。彼の説明によれば、妓生(キーセン)とは宴会などで楽技などを披露し客人を歓待するための女性達であると言う。「歓待といってもいろいろあるがな」と孫六は笑ったが、そのほとんどは賤民階級に属し、その中でもやはり身分が存在し、高い者になれば宮中や両班を相手にできるが、低い者はいわゆる奴婢(ぬひ)で、「今ここで踊っている女たちは、みな家主の財産だろう」と孫六は言った。末蔵にはよく意味が分からなかったが、主人や息子たちに次々と酒を勧められ、ほろ酔いの中で全てが楽しく、また美しく見えるようになっていた。孫六はといえば主人や息子達と楽しそうに酒を酌み交わし話し込んでいるが、言葉が分からない末蔵はただ笑って答えているだけだった。
 ふと、妓生(キーセン)が歌い出した音楽に、末蔵は吸い込まれるように聞き入った。

 날좀보소날좀보소날좀보소(私を見て、少しでいいから私を見つめて)
 동지섣달꽃본듯이날좀보소(冬咲く花を見るように、ずっと私を見てください)
 아리아리랑스리스리랑아라리가났네(アリアリラン、スリスリラン、アラリガナンネ)
 아리랑고개로넘어간다(アリラン、峠を越えてゆく)
 정든님오시는데인사를못해(愛しいあなたに私の手は届かない)
 행주치마입에물고입만방긋(前掛けくわえてにこりと笑う)
 아리아리랑스리스리랑아라리가났네(アリアリラン、スリスリラン、アラリガナンネ)
 아리랑고개로넘어간다(アリラン、峠を越えてゆく)

 「これは何という曲じゃ?」
 末蔵が孫六に聞くと、孫六は主人に聞いて教えてくれた。
 「この地方に古くから伝わる“アリラン”という民謡だそうじゃ」
 「どういう意味の歌じゃ?」
 孫六は再び主人に聞くと、
 「主人もよく知らぬようだが、筒直伊(トンジキ)が身売りで峠を越えて行く歌ではないかと言っておる」
 筒直伊(トンジキ)というのは婢女(ひじょ)のことである。およそ人権も認められていない一人の奴婢の娘が、身分の高い男を好きになり、その切ない思いを伝えられないまま遠い国へ売られていく情景を歌っているのだと末蔵は思った。
 「もう一度歌ってください」
 末蔵は何度も何度も歌ってもらった。酒の力もあったのだろう、そのうちとめどなく涙があふれ出した。驚いたのは孫六と主人たちである。
 「いったいどうして泣いておる?」
 と問い詰めれば、
 「同じだ、同じなのだ―――俺が本阿弥光悦様から戴いた沙鉢(サバル)の茶碗を手にした時の気持ちと!この切なくもあり、力強くもあり、美しくもあり……、俺の心を揺さぶるこの力はいったい何か……?」
 末蔵は目の前に置かれた盃の酒を涙と一緒に飲み干した。するとすかさず息子の一人が「まあ飲め飲め!」と酒を注ぎ足す。酒と一緒にそのやるせないような気持ちを飲み込んでいるうちに、急に酔いがまわった末蔵は「アリアリラン、スリスリラン……」と呟きながら、そのまま鼾(いぼき)をかいて眠ってしまった。
 どれほど眠っていたか知れないが、「おい、そろそろ寝るぞ」と孫六に膝をつつかれて目が覚めた時には、すっかりお膳も片付けられて、主人も二人の息子達もいないかわりに、目の前には十六、七の鬼もほころぶ若い娘が俯きがちに座っていた。
 「この娘は誰じゃ?」
 と孫六に目を向ければ、彼は三〇くらいの美しい女性を抱き寄せて接吻(せっぷん)しているではないか。
 「おお、やっと目を覚ましたか。部屋を移してもう寝るぞ」
 「寝るって……?この女達は誰です?」
 「お前の方は長男の娘さんじゃそうだ。で、わしの方は次男の嫁(よめ)さんじゃ。最初家主は自分の妻はどうかと勧めたが、さすがに六十の婆(ばあ)さんはのう……」
 と「郷に入りては郷に従えじゃ」と言いながら、孫六は女を連れて大広間を出て行ってしまった。
 まったく意味がのみ込めない末蔵は酔いも醒めてしまい、暫くは言葉の通じない娘を相手におろおろしていたが、やがて娘が手を引いて立ち上がるので、連れられるまま案内された部屋に入った。そこには既に布団が敷かれており、娘が「どうぞ」と布団の脇に座るので、仕方なくその布団で寝ることにした。ところが横になった途端、娘が添え寝するように入り込んで来たかと思うと、いきなり末蔵の股間に手を伸ばしてきたのであった。
 「なにをする!」
 驚いた末蔵は跳ね起きた。驚いたのは娘も同じで、何かいけない事をしてしまったかというおののいたような目で見つめ返すと、今度は上半身の服を脱ぎ、小さな乳房を露わにして末蔵にすり寄った。これまた末蔵も驚いて、
 「離れよ!」
 と娘を突き飛ばすと、そのまま部屋の外に追い出した。
 「いったいこの国はどうなっておるのじゃ……」
 末蔵はそのまま眠れない夜を過ごした。
 翌朝、眠い目をこすりながら早々に両班の屋敷を発った末蔵だが、「もう二、三日ゆっくりしていきましょうや」と言う孫六は、昨晩は相当いい思いをした様子で名残惜しそうに言う。
 末蔵は両班の屋敷を出るときに支払った謝礼のことを思い出して不機嫌だった。あのとき家主が催促するような目付きで「昨晩はいかがでしたか?」と聞いて、「いやあ、大変に満足であった」と答えた孫六が「謝礼を渡せ」と言うのだ。とはいえ宿代の相場も知らない末蔵は、懐から路銀の入った袋を取り出し戸惑っていると、孫六はその袋の中に手を突っ込んで、無造作に握りしめた銀貨を主人に渡してしまったのである。それがどれほどの価値になるかは知らないが、受け取った主人は満足げに快く二人を送り出したのである。
 「あんなに路銀を払ったのでは、目的地に着くまでにすっからかんになってしまうわ!」
 「えらくご機嫌斜めだな?」
 「当たり前だ!なんだ昨日のあの娘は、いきなり無礼であろう!」
 馬上の孫六は驚いたように「末さんはあんなに可愛い娘を抱かなかったのかい?」と言う。いつのまにか末蔵のことを末さんと呼ぶようになっている孫六が言うには、
 「あれは客妾(ケクチョプ)というこの国のおもてなしの形なのだ。郷に入りては郷に従えと何度も言ったではないか」
 「金を払うのは俺だ! もう二度と両班の家には泊まらん!」
 末蔵はそう吐き捨てると、話すのも嫌になって密陽(ミリャン)から大邱(テグ)へと続く峠道を、孫六を乗せた馬の手綱を引いて歩いた。その頭の中では昨晩妓生(キーセン)達が歌ってくれた“密陽(ミリャン)アリラン”の明るくも物悲しいフレーズがいつまでも鳴っていた。
 ♪アリアリラン、スリスリラン、アラリガナンネ……
 「婢女の娘はどんな思いでこの峠を越えたのだろう?」
 と思いを馳せながら―――。

 大邱(テグ)を過ぎて尚州(サンジュ)に着いた時である。
 この辺り一帯を包括しているのであろう大きな両班の屋敷の前に、ものものしい姿をした馬が十数頭つながれていた。
 「王族か貴族かなにかの旅行かな?」
 孫六はそう呟いた。尚州(サンジュ)はこのころ慶尚道(キョンサンド)(嶺南)有数の政治的中心地なのだ。
 「両班(リャンパン)の家になど泊まらぬぞ!」
 末蔵は見向きもしないで通り過ぎようとしたが、
 「おおっ!」
 と声を挙げた孫六に思わず足を止めた。見れば豪勢な馬の鞍(くら)に、対馬の隅立(すみた)て四(よ)つ目結(めゆい)の家紋が刻まれているではないか。
 「少し前に対馬の柚谷康広(ゆずややすひろ)という使者が、国書を持って漢城に向かったと聞いておる。もしかしたらその帰りかもしれぬぞ!」
 まさかこのような場所で同郷の日本人に会えるとは思っていない孫六は、馬を飛び降り年に似合わぬ速さで屋敷の方へ駆けて行く。末蔵はため息をつきながらその後を追いかけた。
 下人に呼び出されて中から姿を現したのは柚谷付(ゆずやづき)の通訳の一人で、孫六の顔を見た途端「爺(じい)さんではないか!」と驚きの声を挙げた。何年か前まで一緒に仕事をしていた同僚のようだ。孫六は自分がここにいる事情を末蔵を紹介しながら説明すると、国書の顛末(てんまつ)などそっちのけで「ここの家には良い女子(おなご)はいるか?」と聞いた。
 「おるにはおるが、美人はみな柚谷殿が独り占めして、おかげでこっちには余り物しか回って来んさ」
 と苦笑した。その柚谷康広(ゆずややすひろ)という男、頭は切れるが傲岸(ごうがん)な性格で、「我は日の本の国代表の使者である!」と言わんばかりに、行く先々で朝鮮人を馬鹿にしたような言動を積んでいた。しまいには漢城において国王たる宣祖(ソンジョ)昭敬王の面前で、
 「お前達の槍はなんと短いことか。弓も刀も子供の玩具(おもちゃ)かと思ったわい。こんな武器では国は守れまい。我が国に服従せよとは言わんが、このたび日本国王となった関白秀吉様に、せめてお祝いの言葉くらい伝えておいた方が身のためだと思うが」
 と高邁(こうまい)に言い放った。この時の柚谷の態度を朝鮮の史書である『懲録(ちょうひろく)』には「挙止倨傲(きょしきょごう)=立ち居振る舞いが驕(おご)り高ぶっている)」と記す。当然宣祖(ソンジョ)も腹を立てたに相違ない。
 そんな事情を気にする様子もなく、日本国使者を笠に着た一行は、尚州(サンジュ)在郷の両班の屋敷で帰路の宿をとっているというわけである。
 「ちっ、今晩はおこぼれに預かろうと思ったが、それではつまらんなあ」
 孫六が言った。
 「相変わらず性欲が強いのう。どちらにしろ我々も明日発つ……」
 「爺、もうよいだろう。早くゆくぞ!」
 柚谷付の通訳の言葉をさえぎって末蔵が言うと、そのまま孫六を置いて歩き出した。
 「どうも朝鮮の風紀になじめぬようじゃ。まだまだケツが青いわい。では、またのう」
 孫六は末蔵の後を追いかけた。
 「おい、この先は聞慶鳥嶺(ムンギョンセジェ)の峠だ。山賊や虎が出るから気を付けろ!」
 柚谷付通訳の忠告に手を振って応えた孫六は、体を重そうにして再び馬にまたがった。
 二人がこれから越えようとする聞慶鳥嶺(ムンギョンセジェ)の峠とは、慶尚道と漢城を結ぶ街道の最大の難所と言われる地点である。小白(ソベク)山脈の鳥嶺(チョリョン)山の“鳥”の“嶺”とは、鳥さえも休まずに越えることができない峠という意味で、南の地方から漢城で行われる科挙の試験を受けるために、どれほどの者がこの峠に行く手を阻まれたろうか。
 そんな話をしながら今日中に峠を越えてしまおうとする二人の前に、突然熊や虎などの獣の皮や薄汚い麻の衣服をまとった真っ黒な男たちが、手や手に剣や槍を持ってゆく手を遮った。数える暇などなかったが二、三十人はいるだろう。孫六は恐れおののき、
 「まずいぞ末さん、山賊だ」
 と言った。
 厳格な階級社会の上に成り立つ李氏朝鮮の最下層で苦しむ白丁(ペクチョン)出身者の中には、世を恨み、復讐を抱きながら生きるいわゆる賊になる者もいた。それは世の常ともいえるだろうが、完全に社会システムから切り離された彼らは自由ではあったが、ひとたび役人に見つかれば捕縛され、命を絶たれる大きなリスクも背負っていた。だから通常彼らは行政の目の届かない山奥や、ほとんど人の住まない僻地(へきち)などに徒党を組んで生活し、武闘の技術や力を鍛え、普段は猟や盗みなどして糧を得て、時にこうして財産のありそうな者を襲っては追剥(おいはぎ)をして生きるより仕方がない。半分野生化している分、理性を持つ人間には空恐ろしい存在で、彼らには道理も儒教の教えも通用しない、力だけが正義の輩である。それはすなわち朝鮮儒学の序列至上主義が生み出した負の遺産でもあったわけだ。だからその存在を知っている人は、旅をする時は必ず有能な護衛を頼むか、あるいは大勢でまとまって移動するのだが、末蔵たちのように身軽な旅人は彼らの格好の標的だった。
 気付けば二人はすでに周囲を取り囲まれて、賊の頭(かしら)と思われる大熊のような男がカラスのような気味の悪い声で何か叫んだ。
 「着ている物、持っている物、そして馬……全て差し出せば、命だけは助けてやると言っておるが……末さん、どうする?」
 孫六はぶるぶる怯えながら山賊の言葉を通訳した。
 「できるわけがなかろう!」
 末蔵も叫んだ。
 「ダメじゃ、そんな事を伝えたら殺される……」
 「では、どうすればよい?」
 「ここは奴らに従うしかないじゃろう!」
 山賊達は真っ黒な顔に黄色い歯をのぞかせながら、やがて手にした武器を振り回し始めた。武器にしてはなんとも華奢(きゃしゃ)に見えたが、人を殺傷するには十分そうだ。
 末蔵は考えた。このまま路銀まで奪われてしまったら、たとえ生き延びたとしても路頭に迷うだけである。今大切な物は、命の次に金なのだ。と突然、
 「ううっ!」
 と叫んで腹を抱えてうずくまった。驚いた孫六は「どうした?」と馬から降りて背中をさすると、末蔵は苦しそうにこう訴えた。
 「持病の腹痛が出た。今すぐ薬が飲みたい!と奴らに伝えろ。交渉はその後だ!」
 孫六は末蔵に言われるままその言葉を山賊達に伝えた。すると、
 「いいだろう」と山賊の頭が答えた。どうやら山賊にも山賊の一分があるらしい。
 末蔵は懐から薬を取り出す振りをして一粒の路銀をつまみ、銀貨だと分からないように口に含むと、目をつむってゴクリとのみ込んだ。そして二粒目を取り出して同じようにのみ込むと、
 「医者から症状が出たら、この薬を二十粒ほど飲めと言われておる。伝えろ!」
 孫六がそう山賊に伝えれば、山賊達は「早くしろ!」と急かした。
 これは伊賀で習った咄嗟の時に大事な物を隠す技である。小太郎はよく「呑み込みの術」と言っていたが、のみ込んだ物は排泄物と一緒に外に出す。実は末蔵がこの術を使ったのは今が初めてで、異物を喉に通す違和感には耐え難いものがあったが、それでもようやく銀貨を二十粒ほどのみ込んだ。路銀はまだたくさん残っていたが、ここで命を落とすわけにはいかない。残りは潔(いさぎよ)くあきらめて、
 「おお、ようやく楽になったわい。で、条件は何じゃ?」
 と言ったものの、結局身ぐるみ全てはがされて、路銀と馬まで奪われて、丸裸にされてなんとかその窮地(きゅうち)を乗り切った。末蔵もそうだが孫六も哀れな姿で、年も祟って歩くのもおぼつかない。仕方がないので末蔵は、そのみじめな老人を負ぶって峠を越えた。
 
> 第1章 > 奴婢の娘
奴婢の娘
はしいろ☆まんぢう作品  

 峠を越えて最初の村で、とりあえず二人は衣服を手に入れた。衣服といっても奴婢が着るような、目の粗い麻でできた薄汚れた白のパジ赤古里だが、ふんどし一丁姿では寒い上に人目も気になるからないよりましだ。胃袋におさめた二十粒ほどの銀貨も野糞をして取り戻したが、奪われた路銀のことを思うと悔やんでも悔やみきれなかった。
 忠清道の中心として栄える忠州まで、普通の人の足なら三日ほどで着くところを、孫六を背負う末蔵は六日かけてようやく到着するのであった。
 「分院窯のある広州まではあとどのくらいかかるのかのう?」
 末蔵は半分やけくそになって、背中の孫六にこう嘆く。
 「漢城府の手前だから、あと五日といったところかな? でもこの速さだから十日はくだらんだろう。ほれ、もうちと早く歩け、歩け―――」
 口ばかり達者で、自ら歩こうとしない孫六の態度に頭にきた末蔵は彼を抛り投げた。
 「いたたたた……こら、何をする! 老人を労わらぬ狼藉者は朝鮮を追い出すぞ!」
 「この助兵衛じじいめ、老人が聞いて呆れるわい!」
 と、そこに突如として女の泣き叫ぶ声がした。
 何事かと目をやれば、一軒のあばら家から、まだ年端もいかない十五、六の薄汚れた小娘を強引に連れ出す、道袍や中致莫を着た官人らしき数人の男たちが出て来た。その後を追いかけるように白い赤古里を着たこれも汚れた中年の女が飛び出して、何か叫びながら官人の足にしがみつく。すると別の官人が容赦なくその女を蹴りつけた。
 「オンマ!オンマ!」
 と泣き叫ぶ小娘の様子はやはり尋常でない。官人も大声で何か怒鳴っているが、中年の女は同じ言葉をわめいて頭を下げるだけで、道行く者は見て見ぬ振りをして通り過ぎるだけだった。
 「何をもめておる?」
 末蔵は孫六に聞いた。孫六は先ほどの官人の大声から、すっかり事の概要を掴んでいる。
 「紅い衣を着た男がおるじゃろ?あいつは両班じゃ。どうも屋敷の屋根の修繕をしたらしい。その修繕費を払わなければならないので娘を連れて行くと言っておるな。この娘なら容姿が良いから高く売れるとさ」
 「家の修繕費のためにあの娘を売るつもりなのか?」
 「あの母親と娘はおそらく白丁だろう。あの両班の所有物だからどうにもならんよ。さあ、行こう、触らぬ神に祟りなしじゃ……」
 孫六が歩き出したとき、更に甲高い娘の悲鳴が鳴り響いた。官人の一人が刀を抜いて、母親の首を斬りつけたのだ。おそらくあの様子では即死だろう、娘は両班の腕を振り切り母親の背中にしがみついて「オンマ!」と泣き叫ぶ。
 「白丁を殺しても罪にはならぬ。可哀想なことだ……」
 そう呟く孫六の脇を、風のように駆け抜けたのは末蔵であった。
 「バカっ! やめろっ!」
 と言った時には、体当たりで両班を突き飛ばし、末蔵は娘を守るような格好で構えている。突然なにが起こったか分からない官人達も、おのおの刀や護身用の武器を手にして身構えた。
 「あの馬鹿め! 厄介を起こしやがって」と孫六は迷惑そうに騒ぎの方へ寄って行った。
 末蔵は泣き叫ぶ娘に「よいか、逃げるぞ!」と言った。そこへやって来た孫六が、
 「いやはや、すみませんねえ、こいつはアホな倭国の男で、この国の習いを全くわきまえません。娘は返しますのでどうかご勘弁を」
 と朝鮮語で弁解したところが、着ていた服が悪かった。完全に白丁と誤解された孫六は、刀を持った一人に頭をかち割られて激しく血しぶきをあげ倒れた。
 驚いた末蔵は「孫六爺!」と叫んだが遅く、既に孫六は息耐えた。末蔵は刀を持った男をキッと睨みつけると、刀を振り下ろすより早く懐に飛び込んで頭突きをかませば、男は後方へ吹っ飛んで、その隙に娘の手を強引に掴んだと思うと、そのまま韋駄天の如く逃げ出した。両班の男は真っ赤な顔で激怒して、
 「逃すな!ひっとらえろ!」
 と叫ぶと、瞬く間に周囲は捕り物帖さながらの大活劇が始まった。
 驚くのは先ほどの騒ぎは見向きもしないで通り過ぎた者達が、まるでゾンビにでもなったように襲ってくる事である。およそ褒美を目当てに両班に加担する中人、常民階級の者達であろう。末蔵はそれを押しのけへし分け、辻を曲がった深い藪の中に娘もろとも逃げ込んだ。
 「どこへ行きやがった?」
 という朝鮮語が、潜む藪の中に聞こえた。
 「この藪の中に紛れたんじゃないか?」
 末蔵は息をひそめ、まだ泣き止まない娘の口を押さえ、敵を欺くために咄嗟にコオロギやキリギリスの鳴き真似をした。冷静に考えればこの時季に鳴くはずのない虫だが、そのあまりのリアルさに疑う者はいない。
 「虫が鳴いているぞ?」
 「人がいれば虫は警戒して静まるはずだ」
 「ここにはいない、あっちだ!」
 と、なんとかその場を切り抜けたのだった。末蔵はほっと溜息をついた。
 「いま動くのは危険だ。暗くなるまでここで待とう」
 末蔵は小さな声で言ったが、日本語が通じるはずはない。
 娘はひどく怯えている。さもあろう、いきなり両班に連れ去られようとしたばかりか、目の前で母親を殺され、挙句にどこの誰だか分からぬ男に拉致されたのである。恐怖と悲しみと不安の感情がごっちゃになって、気が動転して泣くしかないのだ。
 末蔵は孫六に教わった片言の朝鮮語を思い出した。
 「ケンチャナヨ?(大丈夫か?)」
 すると娘は、泣き腫らした透き通った両目を末蔵に向けた。その怯える瞳からこぼれ落ちる涙の通り道は、痩せた二つの頬を土で真っ黒に汚していた。末蔵はにっこり微笑むと、腰の竹筒に入った水を自分の赤古里の袖にしみ込ませた。
 なぜ竹の水筒を持っているかといえば、山賊に襲われ丸裸にされた後、峠道を歩きながら黒曜石や珪質頁岩、あるいはチャートやサヌカイトやガラス質の安山岩などの石を探して、割って刃物の換わりにし、次に竹林を見つけた時に、その竹を切って作ったのである。これも伊賀で習ったサバイバル術だが、水で湿らせた袖を雑巾の換わりにして汚い娘の頬の土を拭き取れば、次第に若さ特有のきめ細かな白い肌を覗かせて、頬に続いて鼻や額や耳などの泥も拭きとってやれば、すっかり綺麗な生娘の顔になった。
 末蔵は瞠目した―――。
 以前孫六が「婢女は磨けば女になる」と言ったのは本当だと思った。その幼さの残る表情に楊貴妃のような美しさを見たのである。
 「密陽……」
 と思わず呟いたのは、あの密陽の峠を越える時、ずっと頭の中で鳴っていた密陽アリランに詠われた奴婢の娘のイメージが、たったいまさっき母親を殺され、まさに売られようとしていた目の前のこの美しい娘と重なったからだった。
 「水、飲むか?」
 「…………イェ(예)」
 不思議と言葉が通じた。娘は、末蔵が敵でないことを知り、竹筒の口をそっと唇に添え、その桜のような唇から静かに水を含むと、小さな音をたてて飲み込んだ。すると突然なにかを思い出したように、
 「어머니의 곳에 가지 않으면」
 と呟いたと思うと、藪の中から飛び出そうと体を起こした。言葉は分からないが、母親のところへ行こうとしているのだとすぐに察した末蔵は慌てて抱き止めた。
 「いま出て行ったら捕まって売られてしまうぞ。暗くなるまで待て」
 暫く娘は末蔵の腕の中から抜け出そうと暴れていたが、そのうち無理だと諦めると、やがて彼の腕に顔をうずめて再び泣き出した。末蔵はその生娘の細い身体を押さえつけるように抱いたまま、名前も知らないその娘をいつしか“密陽”と呼んでいた。
 やがて日が暮れ夜の帳が降りると、藪の中から顔を出した末蔵は密陽に「いくぞ」と言った。密陽は不思議そうな顔をして首を傾げた。
 「母のところへ行くのではないのか? 俺も孫六のことが無念でならぬ」
 密陽の手を引いて路地に出た末蔵は、周囲を警戒しながら昼間騒ぎがあった現場へと向かった。町中は忠清道在住の捕盗庁の役人と思われる武装した男達が出歩いており、密陽と末蔵を血眼になって探していた。この様子では既に京畿道へ通じる国境沿いも封鎖されているに違いない。末蔵は建物や雑木林に身を隠しながら密陽の家の前へ近づいたが、そこにも二人ほどの捕卒(警官)が見張っており、死体は既に片付けられていた。
 すると密陽が末蔵の手を引き走り出した。連れられて着いた場所が死体置き場である。そこには既に白骨化したものから腐って異臭を放つもの、およそ理由もなく殺された白丁達の墓場に相違ない。その中に無造作に投げ捨てられた孫六の死体を見つけた末蔵は駆け寄って「助けてやれずにすまなんだ」と黙祷して合掌すると、隣には同じく密陽の母親が捨てられており、密陽は死体に抱き着いて号泣した。
 「これからどうする?」
 末蔵は密陽の肩を叩いて言ったが、密陽は「逃げてもムダよ!」とまた泣いた。不思議なもので、特定の言葉を引き出すような特別な状況もあるのだろうが、彼女の話す朝鮮語が末蔵には解かった。
 すると背後が俄かに明るくなったと思うと、松明を手にした五、六人の捕卒が「いたぞ!」とばかりに現れたので、咄嗟に密陽の手を引っ張って逃げ出した末蔵だが、一瞬遅く、二人はその捕り物役人達に取り囲まれた。
 「わしらをどうするつもりじゃ!」と末蔵が叫んだ。
 捕卒達は聞いたこともない言葉に首を傾げて顔を見合わせたが、やがて「言わずと知れたこと!」と言うように刀を引き抜いて末蔵めがけて襲う。末蔵は観念して密陽をかばって顔を伏せた―――。
 そのときだった。
 刀を振り下ろす捕卒の腕に、閃光のような矢が突き刺さったのは。捕卒は悲鳴を挙げてうずくまったが、振りむいた末蔵が次に見たのは信じ難い光景だった。忘れもしない聞慶鳥嶺の峠で遭遇したあの山賊達と同じような格好をした盗賊団だったのだ。盗賊団と思ったのは、みな明らかに役人とは思えない服装をしており、かといって賤民のようなみすぼらしい格好をしている訳でなく、何より刀や弓などを手にした二、三十人ほどの男達は、徒党を組んで捕卒達を取り囲んでいたからである。
 五、六人の捕卒達は恐れをなしたように後ずさりし、逃げようとしたところを盗賊団に取り押さえられた。盗賊団の中から姿を現したのは、顎髭を蓄えた四十前後の逞しげな男である。しかしその鋭い眼光には何かに情熱を傾ける憎しみにも似た悲しい気配が宿っていた。筆者は朝鮮語が分からないので、ここからはセリフを日本語に翻訳して続けるとしよう。
 「私は林巨正の嫡子、林百姓と申す! 白丁の民を苦しめる横暴を見るに見兼ねて参上した!」
 その名乗りを聞いた盗賊団は、申し合わせてでもいるかのように、捉えた捕卒達の武器や服を根こそぎ奪い取ると、林百姓と名乗った男の足元にその戦利品を積み上げた。
 「さっそくこの品を布に換え、貧しき者達に分け与えるがよい!」
 「はいっ!」
 と、部下の数人の盗賊はそれらを抱えて闇の中へ消えてしまった。
 さて、この林百姓という男であるが、いわゆる義賊と呼ばれる者の類である。日本にも石川五右衛門や鼠小僧次郎吉、近年ではルパン三世という善を成す盗賊がいるように、李氏朝鮮にもそれに当たる英雄がいる。先ほど林百姓は、自分の祖父は林巨正であると名乗ったが、彼こそがその一人である。
 林巨正は白丁出身の盗賊で、一五五九年というからこの小説の三十年ほど前、貴族や政府の圧制に苦しむ農民以下の下級層を組織して反乱を巻き起こした英雄である。いわゆるこれが林巨正の乱と言われるものだが、反乱は黄海道を中心に京畿道、平安道、江原道へと拡大したが、やがて官軍の大規模な討伐により鎮圧され、最後は捕らえられて処刑される。
 また洪吉童がいる。
 彼は実在の人物ではなく、一六〇七年ごろ許筠という文人によって書かれたハングル文字最古の小説と言われる『洪吉童伝』の主人公である。設定は、貴族の家には生まれるのだが、母親がいわゆる奴婢の女中であったため身分が卑しく、やがて家を捨て“遁甲法”という怪しげな術を覚え、山賊団を束ねて“活貧党”の首領となる。そして貴族や役人達を懲らしめ、奪った金品を貧民に分け与えるのである。自分を捉えに来た刺客を惑わしたり、八人の分身を作ったりする法術は忍者にも似たようなものがあるが、空を飛ぶに至っては孫悟空も真っ青だ。
 さらに時代を進めれば張吉山である。
 彼は十七世紀後半の実在の人物であるが、面白いのは普段は旅芸人であるが、裏の顔が剣契と言われる賤民達の秘密結社の頭というから“必殺!仕事人”を彷彿とさせる。芸人職は当時は賤民階級であり、やはりこの英雄も最低の身分でありながら権力に立ち向かうという構図は他の二人と同じで、この三人がいわゆる“朝鮮三大盗賊”と言われている。
 やがて、林百姓と名乗った男は末蔵を一瞥し、
 「命は大切にされよ」
 と言い残して立ち去ろうとした。
 「お待ちください!」
 末蔵は林百姓の足元へ駆けていき、お礼を述べて続けた。
 「私の名は百地末蔵と申します。高麗茶碗の作り方を学ぶため、日本から海を渡って参りました。ところが釜山から広州の分院窯に行く途中、賊に襲われ身ぐるみ剥がされ、この町に着いたところで、この娘が身売りされ泣き叫ぶところを見かけました。我慢ならずに助けたところがこの有様です。通訳の爺さんも殺されました。どうか私を広州まで連れて行って下さい!」
 無論、言葉が通じるはずもない。林百姓は「誰か、この男が言っている意味が分かる者はおらぬか?」と盗賊団の者達に言ったが、異国語が分かる者などいるはずもない。
 林百姓は、今度は密陽に向かって「この男はお前の何だ?」と聞いた。
 密陽は末蔵を見つめると、
 「母が殺され、私も殺されかけたところを、この男に命を助けられました」
 と答えた。
 「この男はなぜ、白丁であるお前を助けたのか?」
 「分かりません……ただ、この方は朝鮮の民ではありません」
 「朝鮮の人間ではないとするとどこの国の者だ? 明国か、それとも倭人か?」
 “倭人”という単語に末蔵は反応した。孫六から日本人のことを“ウオジェン”と言う事を学習していたのだ。
 「そうだ! 俺は倭人だ! 海を渡ってここに来た!」
 林百姓は「倭人?」と呟くと、末蔵の顔をじっと見つめた。朝鮮人にとっては軽蔑する存在ではあっても敬う対象ではない。林百姓は再び密陽に向かってこう言った。
 「両班に逆らったとあらばもはや生きてはいけぬぞ。これからどうするつもりだ?」
 密陽は何も答えず再び末蔵の顔を見つめた。その瞳がどうすれば良いか聞いていた。
 「とりあえず今はこの人に匿ってもらうしかなかろう」
 末蔵の言葉を理解したのかは分からないが、密陽は静かに立ち上がると、
 「どうか私たちを匿ってください」
 と頭を下げた。
 こうして末蔵と密陽は、林百姓が率いる盗賊団に伴って南漢江を渡り、およそ京畿道と忠清道と江原道の堺が交差する原州の雉岳山は、人目の届かない山奥のアジトに身を隠すことになったのであった。そこはちょっとした集落になっており、女もいれば子供もいた。なので密陽は林百姓の妻が住む家で預かってもらうことにし、末蔵は一角に小さな家を建ててもらい暫く住むことにしたのだ。ここで朝鮮語を覚え、一刻も早く広州の分院窯へ行かねばならないと考えた。
 陶芸家を目指すつもりの末蔵の命運は、こうして思わぬ方向へと導かれていくのであった。
 
> 第1章 > 小田原攻め
小田原攻め
はしいろ☆まんぢう作品  

 さて、末蔵が林百姓に匿われているころ小太郎はというと、加賀は金沢城主前田利家の賓客として暮らす高山右近のもとで、することもなく広い庭園の石畳の上に寝そべって流れる雲をボッと見つめていた。時に天正十七年(一五八九)、季節は晩秋である。
 「暇じゃ……まるで暇じゃ。こうも暇では体がなまる」
 菖蒲はすでに信州上田は真田の城に戻ってしまったし、小太郎の話し相手といえば庭園の池を泳ぐ錦鯉か、さもなければ聖書とやらの日本語翻訳に没頭し、時たま息抜きで世間話をしにやって来る隠棲の右近くらいである。このときも暇そうな小太郎を見つけた右近が寄って来て、
 「このまま私のところにいてもする事など何もないぞ。お前が入信しないから正式に雇ったわけではないが、こういつまでも近くにおられては私の方が申し訳なく思えてくる。前から言っておるが、小西行長殿のところで働いてはどうか? 新地の南肥後に赴いて以来、統治にもなかなか苦労しておる様だからね」
 「わしはどうもあの男が分からぬ。仕えて信用に足る人物なのか?」
 と、小太郎は気のない返事で答える。
 博多で伴天連追放令が発布されたとき、右近は全てを捨て自らの信仰心を貫いたのに対して、行長の方は自分がキリシタン大名であることをうやむやにし、肥後の領主であった佐々成政の失政に乗じて、肥後の南半分を領することになったのが昨年七月のことである。当初、西岡台(中世宇土城)に居住していた行長は、小さな山城を別の場所に新しい城を建設しようと国人衆に普請したが、それを拒んだのが天草の国人衆だった。それだけなら首を傾げることもなかったが、天草の地にはキリシタン信者が多く、城の普請要求を拒否した筆頭の志岐鎮経はじめ五人衆はことごとくキリシタンなのである。
 「なぜ同じキリシタンでありながら、行長は天草五人衆に受け入れられず、また、天草五人衆は行長を受け入れなかったのか―――?」
 小太郎の疑問はそれで、それを言うと右近は、
 「小西殿は私のようなキリシタンを庇護するために、あえて悪役を演じているのだ」
 と答える。現に右近は彼に庇護されながら金沢に流れて来た訳だった。
 「まったく右近殿はお人好しじゃのう」と呆れるが、小太郎の見解は、
 「小西行長はキリシタンの面を被る商人じゃ」
 である。さしたる志を持つでもなく、そのくせ己を有利な立場に導く駆け引きには長け、それはまるで商人の本質と同じに見えるのだ。もともと大坂堺の商家の出であるから仕方のないことかもしれないが、商人ならば己の利益にだけ固執していれば良いものを、行長の場合、秀吉の忠臣かといえばそうも見えず、キリシタンかといえばこれもまた頷けるものでなく、ただ少しばかりの海運術を笠に巧みに世渡りをする成り上がり者にしか見えない。それをあえて口にすることはなかったが、認めなければいけないのは、その才において一介の商人から今や南肥後十五万石の大名へと成長を遂げた事実だった。ちょうどそのころ肥後では天草国人一揆が起こっていた。右近はここにいるよりそこで働いた方が「お前の技術を活かせるだろう」と言っている。
 小太郎が乗り気になれないのにはもう一つ理由がある。行長が南肥後の領主となった際、北肥後を領すことになったのが加藤清正である。秀吉の意図は図れないが、そんなゴタゴタしている最中の肥後になど行ったら必ず、
 「また才の字に遭う―――」
 清正のところには同郷の服部才之進がいる。博多の一件以来、腹を立てているに違いないことを思うと、
 「今度会ったらただではすむまい―――」
 であった。怒った時の彼の恐ろしさはよく知っていた。一度伊賀で技比べをした際、手裏剣投げの勝負で勝ったことがあるが、その勝因は投げる直前に彼の手裏剣に細工を施したからだった。
 「おい、何か妙な細工などしてないだろうな? ちょっと見せてみろ」
 と検査をする振りをして、見えないように彼の手裏剣に鼻の油をたんまりすり込んだ。手裏剣の扱いにおいては才之進の方が上手だったはずで、同じ的をめがけて同時に投げた時、才之進の指先が僅かに滑り、その分小太郎の方が正確な位置に突き刺さったわけだった。手裏剣投げに絶対の自信を持っていた才之進はすかさず、
 「おい、何か塗っただろう?」
 と、憤慨を隠して小太郎を責めたが、知らぬ顔でとぼけた小太郎に才之進はいきなり飛びかかり刀で頸動脈を切りつけた。もし小太郎でなかったら確実に死んでいたろうが、すんでのところで身をかわし、
 「油断した才の字の負けじゃ!」
 と負けん気で言えば、
 「卑怯な手を使い、今のは負けたうちに入らん!」
 「忍びの世界に“卑怯”という言葉などないんじゃ!」
 と取っ組み合いの喧嘩が始まった。その時の才之進の血走った目が尋常でなかった。感情を表に出さない分、狂気がほとばしり、およそ「忍びの者は冷酷非情であれ」とは伊賀の上忍であった百地三太夫の教えであったが、その教えに忠実すぎる才之進に恐怖を抱いた。それは野生というより無機質な冷めたい感情とでも言おうか、心というものを持たない殺人鬼だった。小太郎はそのとき初めて、
 「殺される―――」
 と肝を冷やしたわけだが、その彼に会うことには何とも気が引けた。
 話は変わるが、小太郎が行くまでもなく肥後の天草国人一揆の方はその後まもなく鎮圧させられる。それは同じ肥後を分かつ小西行長と加藤清正の確執を産む原因にもなった。そもそも事件の発端は行長が国人衆に築城普請をしたことにあるから行長の問題ではある。天草五人衆の拒絶を受けて十月、行長は一揆の中心者である志岐鎮経と一戦交えて志岐城を攻略するが、それを知って援軍を出したのが清正だった。
 「同国の一揆ゆえ助太刀いたす」
 すると行長はこう答えた。
 「お気遣い誠に痛み入るが、此度の戦、当方の問題にて援軍は無用である」
 ところが清正にも引けない理由があった。というのは天草諸島は、秀吉の唐入りにおいては海上における重要拠点でもあったからだ。天草を掌握することは、小西だけの問題にあらず、日本国の問題であるというのが清正の論理だった。一揆鎮圧の手柄を自分のものだけにしたい行長は出陣を思いとどまらせようと説得するも清正は引かず、結果的に両人で一揆を制圧した形になった。行長にしてみれば何とも腑に落ちない勝利である―――ともあれこの二人は後の朝鮮出兵において大きな役割を演じることになる。
 その頃秀吉はというと、九州征伐により従わせた島津義久に琉球王朝の服属を命じ、武力による討伐をちらつかせた求めに屈した琉球は九月、「天下統一の慶賀」という名目で王使を上京させた。更には名胡桃城をめぐる真田氏との争いを惣無事令違反と見なし、北条氏に対して宣戦布告の陣触れを発したのが十二月の事。惣無事令とは大名間の領土紛争などにおいては全てが豊臣政権が最高機関として処理に当たることを定めたもので、九州征伐を終えてなお、北条氏政・氏直親子はじめ東北の伊達政宗等、いまだ上洛要請に従わない大名は目の上のたん瘤だった。名実共に天下統一を世に知らしめるには小田原征伐こそが最後の仕事であった。とはいえ、兵力の上では圧倒的な差があることは歴然で、秀吉にしてみれば無駄な戦などせずに済ませ、次なる戦い、つまり明国入りしたいところであった。
 小田原征伐の命を受けて、俄かに小太郎の周囲も騒がしくなった。前田利家の出陣に右近が同行することを知ると、
 「ほれ、肥後になど行かんで良かったわい」
 と、小太郎は活躍の場を得たことに小躍りして喜んだ。
 「我らは北国軍として東山道で信濃を経由し、上杉と真田と合流して碓氷峠から関東に入ることになった。つきましては小太郎君はどうしますか?」
 と右近は聞いた。真田と聞いて菖蒲を思い浮かべた小太郎はますます喜んで、
 「どうするもないわ。行くに決まっとる!」
 こうして天正十八年が明ける。
 前田利家が軍を整える時間も惜しい小太郎は、「出立はいつじゃ」としきりに右近に迫ったが、ついに待ち切れず「偵察のため先に参る!」と言って加賀を飛び出したのが正月の半ばの事だった。行く先は菖蒲がいるはずの信州は上田城に違いない。久しぶりに再会できることを思うと心をはずませながら東山道を進む小太郎である。この頃中山道はまだ成立しておらず、近畿から東北方面へ行くには律令時代からの東山道を用いており、この道はその昔信濃国府が置かれていた上田を経由している。塩尻から上田に入ったところでふと歩みを止めたのは、一瞬いやな殺気を感じたからだった。と、次の瞬間、行く手に立ちはだかっていたのは見覚えのある、刀を手にした赤い顔をした男であった。
 「上田に何をしに参った?」
 忘れもしない、それは贄川の宿で出会った甲賀の飛猿に違いない。小太郎は咄嗟に身構えて、
 「ちと待て! 今回は味方同士じゃ。うぬとやり合う理由はない」
 飛猿は不審そうな目付きで小太郎に戦意がないのを見定めると、静かに刀を鞘におさめた。
 「味方同士とはどういう意味じゃ?」
 「秀吉の小田原攻めよ。わしが仕える高山右近殿が、このたび前田利家軍に参戦することになった。ほれ、お主の主君真田安房守と仲良く進軍することになっとるじゃろう? わしはそのための偵察に来たのだ」
 「高山右近?」
 飛猿は何かを察知したように含み笑いを浮かべ、
 「菖蒲なら上田にはおらぬぞ」
 図星の小太郎は察しの良すぎる赤猿に舌打ちをした。ごまかしのきかぬ男である。
 「上田でないならどこにおる?」
 「幸村様に伴って先に小田原方面へ向かったわい」
 「また幸村か!」と小太郎は嫉妬に似た感情を抑えながら「ではわしも向かうとしよう」と言って、関わりたくない相手から逃げるように飛猿の脇を通り過ぎた。
 「同じ相手を敵にするなら、どうじゃ、今回のみわしらと手を組まぬか?」
 意外な飛猿の言葉に小太郎は引き留められた。
 「手を組む? 組んでどうする?」
 「北条家には厄介な忍び集団がおる」
 「風魔党か?」
 小太郎は昔どこかで聞いてすっかり忘れていた風魔党忍者の存在を思い出すと、久しく眠っていた闘争心が湧いて無性にうずうずしてきた。それは父太郎次郎から聞いた北条家に仕える忍びの者の話である。
 相模は足柄山の麓、風間谷に忍者集団が住むという。足柄峠の金時山に伝わる金太郎伝説はその祖先で、北条早雲に仕えてより諜報活動や巧みな攪乱の術で北条家の繁栄をもたらしたと聞く。その日本人とは思えない大きな体格は、中近東方面から大陸を渡って来た異民族が土着したものか、馬を巧みに乗りこなし、集団的な攪乱術を得意とし、特に火を操る技にかけては伊賀の術より上手かも知れぬと太郎次郎は言っていた。
 ある時は敵陣に忍び込み敵将を生け捕り、またある時は敵の馬の綱を断ち切りその馬を意のままに操って夜討ちをかける。はたまたあちこち放火したかと思うと、四方八方に紛れる者達が同時に勝ち鬨を挙げ敵をさんざん攪乱し城を攻略した。
 その頭は襲名制で、今は五代目風魔小太郎が一団を従える。
 身の丈七尺二寸(2m16cm)、筋骨荒々しくむらこぶあり、眼口ひろく逆け黒ひげ、牙四つ外に現れ、頭は福禄寿に似て鼻高し―――
 「まるで化け物じゃ」
 と、風魔小太郎の風貌を話しながら太郎次郎の豊齢線が深い溝を作った。その名を知ったとき、自分と同じ名前であることに闘争心がむらむらと湧いたのを覚えている。確か第二次伊賀の乱が勃発する少し前だったと思う。武田勝頼と北条氏との黄瀬川の戦いにおける風魔忍者の噂話が伊賀にまで伝わってきたのだった。闇夜に紛れた攪乱により目覚しい戦果を挙げたこと、大雨強風で黄瀬川が荒れる中、騎馬で川を渡って武田陣営を奇襲した話、武器、食料の略奪はもちろん、大きな体で手当たり次第将兵を生け捕り、なぶり殺し、陣馬の綱を片っ端から切って火を放つと、鬨の声を挙げて敵の戦意を恐怖に陥れた。そんな戦法を毎夜のように続けた。
 「力だけで敵をねじ伏せるなど忍者とはいえん」
 とまだ子供だった小太郎は反駁した。
 「いや、そうでもないのじゃ」
 と言って教えてくれた話が印象に残った。
 ある夜、武田方の忍者十名ほどが一矢報いようと風魔党の中に潜り込んだ。武田といえば忍者を巧みに使う武将としても有名である。ところが、風魔小太郎がある合言葉を言ったと思うと、おのおの松明を灯して互いに声を出し合い立ち座りの動作を始めたのである。当然そんな申し合わせを知らない武田忍者はすぐに見破られ、ことごとく斬られたというのである。これは“立ちすぐり・居すぐり”という風魔流の紛れ込んだ敵を見分ける術で、その話を思い出して、
 「さては赤猿め、風魔忍者に苦手意識を持っておるな?」
 と、「手を組もう」と言った飛猿を見つめて小太郎はほくそ笑んだ。
 「風魔など伊賀の手にかかれば取るに足らん。しかし甲賀にとってはしぶとい相手と見える。手を借りたいというのであれば協力してあげてもよいが」
 小太郎の本心は、あの噂に聞いた風魔忍者と戦ってみたくて仕方がない。その高邁な言いように今度は飛猿の顔に「相変わらず子供だのう」という嘲けた笑みが漏れた。
 「ついて来い。安房守様に引き合わせよう」
 飛猿が言った。
 「その必要はない。協力はするが真田の家臣にはならん。いずれ会うこともあろうからな」
 「しかし風魔の戦術の事前知識も必要だろう?」
 「必要ない。おおかた察しがついておる」
 小太郎は「先を急ぐ」と言い残すと、そのまま歩き出した。
 「鼻っぱしの強い小僧だ……」
 飛猿はその後姿を見送った。
 
> 第1章 > 調略の準備
調略の準備
はしいろ☆まんぢう作品  

 小田原城は、戦国最強の武将と恐れられた武田信玄をして、また、軍神と崇められた上杉謙信をして落とせなかった難攻不落の城である。関東統一を視座に入れて勢力を広げてきた北条氏は、この城を拠点に無数の支城をはりめぐらせ、特に重要地点には一族の者を城主に据え、各支城との迅速な情報伝達を実現するため伝馬制度を充実させていた。鉢形城や滝山城もそのひとつで、永禄一二年(一五六九)に武田信玄が小田原攻めを行った際も、この二つの支城は落ちなかった。もっとも滝山城の方は陥落寸前にまで追い込まれたが、その戦いで防御が不十分であることを思い知らされた城主北条氏照は、「滝」には「落ちる」という意味があることも嫌い、更に急峻で攻めにくい地形を求めて八王子城を築いた。そしてその八王子城こそ、関東の西を護る小田原城最後の砦であった。
 前田利家をはじめとする北国軍は、かつて信玄が経由した街道をたどり小田原へ進軍する予定であるが、一足先に偵察に出た真田幸村は、菖蒲と二、三の忍びの者を引き連れて、碓氷峠から上野国の松井田、箕輪、平井を経、武蔵国に入って鉢形を過ぎた。やがて一行は八王子城と目と鼻の先にある阿伎留神社に到着すると、おのおの人目を忍んで物陰に身をひそめて旅装束を着替え、やがて互いの恰好を確認し合うように集まった。彼らの風貌は織物商人を装い、幸村と菖蒲はさながら夫婦で、そこに荷物運びの奉公人に扮した甲賀者と、もう一人はそれを護衛する修験者を装っている。一行は諜報活動のためにそんな変装を松井田城下、鉢形城下でも繰り返してきたのだ。
 「八王子城には北条家きっての強者、北条氏照がいる。用心して参るぞ」
 修験者の男が言った。北条早雲にはじまる後北条家の現在の当主は第五代氏直であるが、家督を譲っていたとはいえ実質の権力はその父親である四代氏政が握っていた。氏照はその氏政の弟であり、“北条一の弓取り”との噂は、豊臣秀吉が最も警戒した人物の一人であるとも言われる。その意味からも八王子城の攻略は、今回の小田原攻めにおける肝とも言えた。
 「なあに、まさかその城内に上杉に通じる間者がいるとは夢にも思っておるまいて」
 今度は荷物運びの一人が言った。見覚えのある顔──そうだ、菖蒲が京から大坂に向かう途中、小太郎を襲った二人の甲賀者に違いない。修験者に扮している方は虎之助と呼ばれていた男であり、もう一人は、
 「蜻蛉、声がでかい!」
 そう、蜻蛉。菖蒲はきつい目付きで「聞かれていたらどうする」と周囲を四顧して彼を戒めた。この二人、どうやら以前より菖蒲護衛の任務を任されているようだ。もっとも修験者に扮した虎之助は甲賀者でなく、信州は戸隠の山奥で忍術の修行を積んだ戸隠流の使い手であった。信玄の時代から真田家に仕え、忠義心においては誰よりも熱いものを持っている。その様子を幸村は静かな笑みを浮かべて見守っていた。
 上杉の家臣に藤田能登守信吉という男がいる。またの名を用土源心と言った。戦国の世にあって生涯主君を渡り歩くが、こと上杉家に仕えていた時の彼は、調略をもって城を落とす名手である。上杉家に謀反し対立した一連の新発田重家討伐においては、天正一三年(一五八五)に新潟城と沼垂城を落とし、天正一五年(一五八七)には赤谷城への救援部隊を阻む功績を挙げて赤谷城攻略の立役者となり、更には新発田勢の重臣五十公野信宗が篭城する五十公野城を落城させ、内乱終結に大きな功績を残した。しかもその城落としの常套手段はいずれも調略によるもので、五十公野城攻略の時は城を包囲すると、家老の河瀬次太夫や近習の渋谷氏などを寝返らせ、城門を開かせ総攻撃で城主信宗を討ちとった。
 しかし、もともと源心が調略の策士であったかといえばそうではない。彼に調略の味といろはを教えたのは、何を隠そう幸村の父真田安房守昌幸なのである。
 用土源心はもともと武蔵国の生まれで北条家の家臣であった。天正六年(一五七八)五月に上杉謙信が死去して家督争いが勃発(御館の乱)すると、上野国沼田城は北条氏の支配下となり、このとき猪俣邦憲が城主となり、少しして城将を任されたのが源心である。地理的に関東と越後、そして信濃を結ぶ軍事上の重要地点としてこの城は、上杉氏と北条氏と武田氏の争奪劇を繰り返していく。
 その後まもなく上杉景勝と武田勝頼が同盟関係になると、勝頼は真田昌幸に沼田城攻略を命じた。天正七年(一五七九)九月、昌幸は沼田城周辺の名胡桃城と小川城を攻略し、両城を拠点に沼田城攻撃を開始する。そのとき源心は、
 「いつのまにか情勢が逆転しておる!」
 と、驚きを隠せなかった。沼田同様北条支配下にあったはずの名胡桃城代の鈴木主水重則と、小川城主の小川可遊斎が俄かに寝返っていたのである。その時は援軍が駆け付けたため沼田城は落ちることはなかったが、その危機が昌幸の調略によるものであると知った時、大きな敗北感とともに、昌幸への羨望が目覚めたのであった。
 翌年閏三月、真田昌幸は再び沼田城への攻撃を開始した。そして五月、ついに沼田城を無血開城することに成功するわけだが、その際、城主の猪俣邦憲は小田原へ逃れたが、用土源心は降伏して昌幸の臣下となったのだった。
 「このたびの沼田攻略の一件、まっこと見事でござった。ひとつ安房守殿の調略の勘どころ、この源心めにご教示下さらぬか? きっとお役に立てましょうぞ」
 源心が昌幸に問うたとき、昌幸は源心のしたたかさを見抜いてこう答えた。
 「わしのような弱小武将が城を落とそうとしたなら、まず人を落とすのが鉄則じゃ。城の要となっている人物を見つけ出し、その者の弱点を見極める。大抵の人間は“利”で落ちる。”利”を用いて駄目なら”情”を用い、”情”で落ちずば”義”を用いる。”義”の中でも最も効果的なのは”恩義”というものじゃ。調略とはそういうものぞ」
 「ならば安房守殿は何を用いて落ちるか?」
 「そうよのう……」と昌幸はしばらく考えたあと、
 「信玄公の命とあらばこの命惜しくない」
 と答え、続けて、
 「源心殿、わしがかような手の内を敵とも味方とも知れぬそこもとに教える心が解るかな?」
 と言った。その鷹のような眼光に源心は震えあがった。昌幸は「今わしは、お前に”恩”を売ったのだ」と言っている。その”恩”を恭順で報いるか謀反で報いるか、「お前の人間性を最期まで見届けてやるぞ」と、それは脅迫にも似ていた。
 その後、武田氏支配下に置かれた沼田城は、引き続き用土源心が城代を務めることとなり、加えて目付役の意味もあったのだろう、真田家縁故の海野幸光、輝幸兄弟らが城代に据えられた。ところが天正九年(一五八一)、元沼田城主の庶子である沼田平八郎景義が、北条氏の援助を得て沼田城奪還の狼煙を挙げる。源心はその闘い(田北の原の戦い)に敗れたが、昌幸は偽の起請文で景義を沼田城内に招き寄せ、城内で刺殺し沼田氏を滅亡させた。
 天正十年(一五八二)三月、織田信長の勢力拡大によって武田勝頼が自害し武田家が滅びると、主君を失った昌幸は行き場を失う。そのとき源心は昌幸にこう問うた。
 「武田家が滅びたいま、安房守殿を動かせるものは何か?」
 と。すると昌幸は軽くあしらってこう返した。
 「何もなくなった」
 昌幸は信長の武田討伐で戦功を挙げた滝川一益の傘下に降り、沼田城主は滝川氏にとって代わった。そして六月、本能寺の変で信長が没すると、滝川一益は明智光秀を討つため京へ向かうが、その機に乗じた北条氏直は、関東最大の野戦と言われる神流川の戦いを演じ、結果的に敗れた一益は本拠地伊勢に逃亡し、その隙に昌幸は沼田城を奪還して北条氏に臣従した。その後も昌幸は徳川家康に臣従したり、天正一三年には上杉景勝に臣従して人質として幸村を越後へ送る。わずか三年の間で武田から織田、織田から北条、北条から徳川、徳川から上杉とあざやかな転身振りを発揮するが、それは戦国時代の様相を浮き彫りにするものでもあろう。
 その間源心も上杉景勝を頼って越後へ逃れ、以後彼は上杉家臣として活躍していたのである。
 その源心は武蔵七党の一つ「猪俣党」の出であるとも言われ、幼少を過ごした武蔵国には旧知の有力者も多かった。八王子城で普請奉行を務める平井無辺という男もその一人で、今回秀吉から小田原征伐の命がくだったとき、源心は真っ先に昌幸と連携を図った。
 『こたびは上杉と真田、前田に従い、共に小田原を攻めることに相なり申した。しかるに吾輩は上杉の家臣でもあるが昌幸様の臣下でもある。武蔵国は我が故郷にて友人も多く、調略は吾輩の役目と深く決意しているところだが、故郷を離れてより幾星霜、旧知の友も心変わりしているかも知れない。ついては昌幸様の諜報力を持って網を張っておいて頂きたく、平にお願い申し上げ候』
 と、以下に調略対象となる者の名がつらつらと書き記してあった。昌幸は、
 「あやつめ、たった二言三言のわしの教示で、調略の要領をつかんだとみえる。したたかな奴よ」
 と舌を打った。諜報力で網を張ってほしいというのは昌幸子飼いの忍びの者達を各支城に潜伏させておいてくれという意味で、源心旧知の者達に背信の可能性はあるか、あるいは弱みはないかなど、探りを入れてほしいと言うわけである。無論言われなくとも手を打つつもりであった昌幸だったが、謀反を起こす可能性のある具体的な人物の情報を得たことは大きな収穫だった。こうして幸村を偵察に向かわせたわけなのだ。

 古来武蔵国を流れる多摩川沿岸では麻や絹織物の生産が盛んであった。稲作や生糸づくり等の大陸文化を持ち込んだ高麗人が帰化した場所だからとも言われるが、西行法師がこの地を通った際、

 浅川を渡れば富士のかげきよく桑の都に青嵐吹く

 と歌ったことから、江戸時代に入ると八王子一帯は「桑都」とも呼ばれるようになる。
 北条氏照が滝山城に入った際、八日市、横山、八幡の三宿を開いて城下町を形成するが、拠点を八王子城に移すと三宿をそのまま移転させて同じ城下町を作った。それが現在の元八王子である。八日市ではその名の通り、毎月八の付く日に市が開かれ、天正年間(一五七三〜九二)の詩歌には、

 蚕飼う桑の都の青嵐市のかりやに騒ぐ諸人

 と歌われるほどの大賑わい見せていた。特にこのころ現れた『紬座』という絹織物を扱う座は大人気で、幸村一行が織物商人を装ったのもそのためだった。
 「おい、貴様ら! いったい誰の許可を得てここで商売をしておる!」
 八王子城下を見回る二人組の役人が、見慣れぬ顔の商人の市座を見付けて、ひどい剣幕で叱り付けた。そこでは幸村と菖蒲、そして修験者姿の虎之助がへらへらと笑いながら織物を売っていた。蜻蛉ともう一人の甲賀者はどこかに身を潜めているようだ。秀吉が小田原征討令を発してよりここ八王子も、みな神経をピリピリとがらせているのだ。
 「へえ、けっして怪しい者ではございません。あっしらは桐生の織物を扱うしがない商人でございます。八王子の紬座の人気を聞きつけて、こうして桐生よりはるばる売りに参った次第。許可が必要とは存じませなんだ」
 威厳も風格も感じないただそそっかしいだけの言い訳は幸村が吐いた台詞である。役人の一人は「桐生?」とつぶやくと、もう一人は「桐生といえば由良国繁殿の所だ。先日、北条氏直様と共に弟の長尾顕長殿を引き連れて小田原城に入ったと聞いておる」とささやいて、やや不審をやわらげて再び幸村たちを睨みつけた。
 「お前は店主か?」と問うと幸村はすかさず「へえ」と答えた。
 「この女は?」
 「あっしの妹でごぜえます。兄の口から言うのもなんですがね、なかなかの器量よし。ひょいとこの織物を身にまとえば百人力の売り子に早変わりって寸法ですわい。しかしこいつにしてみれば旅先でよい嫁入り先を見付けるっていうつまらぬ欲望を抱いているみたいですがね、それほど世の中は甘かないって話しでさぁ! はっはっは」
 役人は菖蒲の姿をじろじろと見つめた後、ひと回り大きい図体の修験者に目をやった。
 「この入道は用心棒でございます。追剥から身を守るために雇っております。なあに見かけは強面ですがね、根はやさしい奴なんでさあ」
 二人の役人は申し合わせたように、
 「まずは平井様に報告だ。素性が知れるまで一の櫓にでも放り込んでおけ」
 と、お縄をかけたような乱暴振りで、三人を城の方へと引っ張って行った。
 
> 第1章 > 風魔猪助参上
風魔猪助参上
はしいろ☆まんぢう作品  

 櫓に押し込められた幸村と菖蒲と虎之助は、手筈通りのシナリオに目を細めた。こうしていればやがて身元改めの奉行との対面となるはずである。用土源心からの書状によれば、八王子城の奉行は平井無辺という男が就任しているはずであり、八王子城築城の際、普請一切を任されていたから城の構造を知り尽くしているという。今回のミッションは平井無辺の調略であり、第一段階として菖蒲を城内に潜入させることだった。
 ふと虎之助が柔和な表情を険しい目つきに変えて、小窓のある方をきりっと睨んだ。
 「どうした?」
 菖蒲の言葉に首を傾げた虎之助は、不思議そうに、
 「気のせいか? 人の気配を感じたのだが……」
 とつぶやいた。
 暫くして三人は、先ほどの役人に連れられて御主殿と呼ばれる敷地内の会所に通された。すぐ隣には政務が行われる主殿があり、そこは城主氏照の居住区域でもあり、今は小田原城へ登っているため横地吉信という老臣が城代を務めている。やがて平伏する三人の前に、上級官僚らしき人の良さそうな中年の男が姿を現わした。
 「八王子奉行平井無辺と申す。面を上げよ。その方ら、城下にて無許可で桐生織の反物を売っていたと申すが誠か?」
 「へえ、滝山紬や横山紬の評判を聞きつけましてな。あっしらの桐生紬もひとつあやからせてもらおうと思いやして。しかし知らぬとは恐ろしいことで、なんとも申し開きようがございません……」
 幸村の芝居も板についたものである。
 「知らなかったのでは仕方あるまい。しかしこの城下にはこの城下の決まりがある故、従ってもらわねば困る。決まりでは異国の者があそこで商売するには、粗利益の八割五分を上納していただくことになっておるが、異存がなければ約定にご署名ください。その方らの身元が確認でき次第、自由にご商売なさるがよい」
 「八割五分!……そりゃべらぼうじゃありませんか、四公六民が相場じゃございませんか?」
 「異存ならば別へ行きなさい」
 幸村は菖蒲と虎之助と相談するような芝居を打ったかと思うと、
 「ひょっとして戦が起こるんですかい?」
 と鎌をかけた。
 「なぜそう思う?」
 「そりゃあ、場所代が高すぎるからです。巷じゃもっぱらの噂ですよ、関白秀吉様が小田原をお攻めあそばすんじゃないかって。桐生からの道中、そこかしこで耳にしましたからな。しかし戦をなさるのはお侍さんの勝手ですが、あっしらのような民、商人がとばっちりを受けるのはいただけませんな」
 「口を慎め!」
 脇に控えた役人が声を荒げた。
 「まあよい。お気に召さんのならお引き取り願おう。私もその方らの相手をしているほど暇ではないでのう」
 無辺が立ち上がろうとしたところを、「ちとお待ちください」と幸村は引き留めた。
 「分かり申した、手を打ちましょう。旅の路銀にもならんがこれも後学のためじゃ。よいの、百合!」
 と幸村は菖蒲の肩をポンと叩くと、菖蒲は「お兄様!」と白々しい声を挙げた。
 無辺は座りなおすと「それではこれより身元を改める」と言うと、最初に生まれと名を聞いた。幸村はうそぶく様子もなく、
 「生まれは武蔵国寄居の郷、名を小野弥八と申します。今は上野国仁山田の郷にて小野屋と申す織物の商いをしております。そしてこちらは妹で百合と申します」
 「これなる小野弥八の妹、百合にございます」
 菖蒲は三つ指をつき慇懃に頭を下げた。続いて虎之助が、
 「拙僧は足利養源寺の修行僧で虎無斎と申す。腕にはちと覚えがございますれば、こたびは弥八殿に旅の護衛を頼まれて同行しておる」
 無辺は「お主はよい」というような顔をしてから「父の名は?」と聞いた。
 「太之助だか巳之助だか……よく存じませんが、用土家の足軽農民だったと聞いております。なにせ幼少の時ゆえ覚えがなく、父が武田信玄と戦い三増峠の戦いで討ち死にした時、この百合は母のお腹の中にいたそうです。母のことはよく覚えております。名を福といいましたが、その母もこの子を産んで間もなく死にました」
 『寄居の郷』『用土家』と聞いて、一瞬無辺の目付きに変化が生じたのを幸村は見逃さなかった。それより横で話を聞いていた虎之助の方が、「可哀そうな話です。だから弥八殿はほおっておけないんです!」と突然おいおい泣き出した。
 「では誰に育てられたか? 商売の仕方はどこで覚えたか?」
 「はい。あっしが七つの時に用土新左衛門様に拾われまして、以来小姓として雇われました。その間百合はお館様のご配慮で、用土家の遠縁に当たる上野国仁山田の小野家に預けられたのでございます。商売の手習いは御館様の元で覚えた次第です。そう、用土新左衛門と名乗る以前は藤田重連であったと聞いております。ご存知ありませぬか?」
 「知るも知らぬも、藤田重連殿といえば北条氏邦様の義理の兄君ではないか!」
 無辺は目を丸くした。北条氏邦はこの八王子城主北条氏照の実弟である。まさかそのような突拍子もない話が、八王子城下に紬を売りに来た商人の口から飛び出すとは思わない。そして『城主』の『実弟』の『義弟』の『小姓』という、近いようで遠い関係に惑わされながらも、話しの筋に何の矛盾も見い出すことができなかった。むしろ目の前の織物商人の機微ある言動の中に、この男の幼少期の非凡な才覚を見抜いたであろう藤田重連の姿が脳裏に浮かび、少年期、藤田兄弟とは顔を合わせるたびにとても気が合った懐古の思いがよみがえっていた。幸村の声には、そう直感させてしまう重みがあった。
 「沼田の一件ではさぞ無念であったろう……」
 無辺は気の毒そうにつぶやいた。
 沼田の一件とは、天正六年(一五七八)五月に上杉謙信が死去した越後の内紛状態の隙に、北条氏が沼田城を占領したときの事である。当初その城将に据えられたのが藤田重連であるが、それを不服とした北条氏邦は、こともあろうに義兄弟である重連を毒殺してしまったという事件である。領土問題や勢力格差において二人の間に大きな確執があったようだが、北条領内においては口にするのもはばかれる事件なのである。用土源心が沼田城将となったのは、その兄の後釜としての棚からぼた餅的な起用だったわけである。
 「主人を失ったあっしは行く宛もなく、妹を頼って小野家の商売を継いだというわけでさぁ」
 「そうか、辛い思いをしてきたようだな」
 無辺はしみじみと弥八の顔をみつめた。
 「まあ、辛い生活には慣れっこです。たまにお館様の弟さんが気遣って、越後の日本海で採れた乾物など送ってきてくれますし、ありがたいことでさぁ」
 「弟? 弟とは藤田信吉殿のことか?」
 「よくご存じですねぇ! 用土能登守源心様でさぁ。あの方もご苦労なされて、今は上杉の家来になっているようですがね──おっといけねえ、口がすべった。上杉は北条様の敵ですからねぇ。今のは聞かなかったことにしてくだせえ、商売の妨げになっちまう」
 無辺は苦笑いを浮かべた。
 こうしていくつかの尋問を重ねて身元改めが終わり、約定に署名をし終えた三人は、さも名残惜しそうな様子を作りながら会所を出ようと立ち上がった。すると無辺が我慢しかねたように呼び止めた。
 「待たれ。藤田兄弟と縁故のある者と知って手ぶらで帰すわけにはゆかぬ。あの世の藤田重連殿に申し訳が立たぬし、なにより坂東武者の名が廃るわい。この八王子城下にいる間、何か一つだけ望みを叶えてやるゆえ、なんなり申せ。いつまでここにおる?」
 「へえ、次の市まで逗留しようと思っております。身に余るお言葉で急には思いつきませんゆえ、次回上がり高をお持ちする時までに考えて参ります。それまでお待ちいただけますか?」
 「よかろう」
 幸村たちにとっては渡りに舟だった。これからどのように菖蒲を潜入させようかと算段を練る予定であったが、向こうから寄って来たのだ。喜びを無表情の奥に隠しながら、三人は御主殿を後にした。
 「それにしても尋問の最中、ずっと人の気配を感じなかったか?」
 戸隠の山奥で鍛えた敏感にして鋭い感覚の持ち主である虎之助は、数間離れたところの鼠や蛙の呼吸さえ聞き分けた。その虎之助が歩きながらそう言った。
 「いや、何も感じなかったが……幸村様は?」
 菖蒲は幸村の顔を見た。
 「いや、別に。しかし小田原には北条早雲の時代から風魔党忍者が陰で動いていると聞く。もしかしたら先ほどの話、どこかで盗聴されていたかもしれんな」
 菖蒲は歩みを止めて振り返った。
 「捨ておけ」
 「しかし」
 「用土新左衛門の小姓だったなどという話、今となっては調べようもない。死人に口なしとはこのことだ。それに仁山田の小野屋の方には既にくノ一を潜り込ませておる」
 「さすが幸村様じゃ」
 虎之助は感心しきりにつぶやいた。
 御主殿からその三人の後姿が見えなくなった頃、平井無辺の前に風のように現れた黒い影がひざまずいた。
 「どうした猪助」
 その黒い影は小田原あたりでは乱波と呼ばれる風魔党忍者であった。名を二曲輪猪助、またの名を風魔猪助と言う。
 「あの者達、怪し過ぎます。話が出来すぎております」
 床下に忍んで、先ほどの会話を全て聞いていたのである。
 「なあに、心配はいらんだろう。藤田重連殿の小姓をやっていたと聞いて驚いたが、話を聞く限りおかしなところはなかった」
 「そこが怪しいのでございます。どうもあの女と入道、拙者と同じ匂いがするのです。上杉、あるいは真田の乱波かと……」
 「そんなことはあるまい」と言いつつ、無辺は俄かに心配になった。
 「手下を上野国仁山田の郷に向かわせ、小野屋なる織物商が本当にあるか調べさせます。拙者はあの者どもに不審な動きがないか引き続き見張ります」
 「まあ時期が時期ゆえ、用心するに越したことはないの。うむ、わかった、そうせい」
 猪助と呼ばれた乱波は、そのときすでに姿を消していた。

 こうして十日が過ぎ、次の八の付く日の市で商売を終えた幸村と菖蒲は、虎之助に帰り支度と、十日の間に城下に放っておいた二人の甲賀者からの情報を整理させるために残し、二人で御主殿へと赴いた。迎え入れた平井無辺はひどくご機嫌で、「儲かりましたかな?」と上がり高の清算を終えたのだった。
 「なにか良いことでもございましたか?」
 幸村が上がりの一割五分を受け取りながら聞いた。
 「その方らが思いのほかたくさん売り上げてくれたので、なんとも嬉しくてたまらんのじゃ」
 無辺がご機嫌なのはそんなことでない──。先日派遣した風魔猪助配下の乱波が、仁山田の小野屋に関する情報をもたらしたのだ。それによれば、
 『確かに小野屋なる織物の店がございました。そこの女中に確認したところ、ひと月ほど前、確かに店主の弥八と妹の百合は、八王子に紬を売りに行くと言って出たそうでございます』
 という事実確認が取れたのである。無辺にしてみれば、ひょんなところから現れた紬売り商人の言葉が嘘でなく、旧知の藤田兄弟有縁の者に会えたことが嬉しくて仕方ない。
 「ところで弥八、わしは望みを一つ叶えてやると申したが、何か考えてきたか?」
 と満面の笑みで聞いた。すると幸村はモジモジしたふうを装って暫く口にするのをためらった。
 「どうした?」
 「考えるには考えて参りましたが、どうにもこうにも恐れ多くて……」
 と菖蒲の方に目をやった。
 「なんじゃ、もったいぶらずになんなり申せ」
 「はあ……」と弥八は戸惑いながら、「実は……」と当初からの腹積もりを申し訳なさそうに話し出した。
 「このたび妹の百合を同行させたのにはもう一つ別の訳がございまして……」
 「嫁入り先を探しているという話か? お主らをひっ捕らえてきた役人から聞き及んでおるわ」
 「いやはや! ご存じでございましたか! さすが天下の八王子のお奉行様だ!」
 「で?」
 「誠に申し上げずらく僭越な望みなのですが、このたび平井無辺様とお近づきになれたのも、亡きお館様のお引き合わせではないかと勝手に感じ入りまして……そのお、なんといいますか……この百合をご城下のお女中として奉公させてあげることはできないものかと……いや、すんません、つまらねえ兄心です、忘れてくだせぇ!」
 無辺は「その気持ち、よーくわかるわ」といったふうに大きく笑った。ますます利発で情深い弥八という男が気に入ったと見える。
 「さようなことか、容易いことだ。この城におれば、勇ましく、かつ、粋な坂東武者を選り好みできるだろうからな」
 「え? で、では……」
 「今すぐにでも召し抱えよう。わしとて藤田殿と縁故ある者を近くに置けば、なにもしてやれなかった重連殿の供養にもなるじゃろうて。なんならわしの側妻に迎えてもよいぞ」
 無辺と藤田兄弟との間にどのような人間関係があったかは知らないが、その高笑いの中に、百合を側妻にしてもよいという言葉がまんざらでない中年のいやらしさを確認した幸村と菖蒲は、心の中で「しめた!」と手を打った。
 
> 第1章 > 触発の炎
触発の炎
はしいろ☆まんぢう作品  

 上田で甲賀の赤猿──いや飛び猿と遇って、菖蒲を追いかけて来たものの、どうした行き違いか会うことはなく、そのまま小田原城下まで来てしまった小太郎である。
 秀吉の小田原攻めに対抗する準備のためか、小田原城に続々と入場する家臣たちの兵で溢れ、町は少し前に見た大坂城下さながらの賑わいを見せていた。このまま何もせずに引き返すには惜しい小太郎は、せめての慰みに物見遊山でもして戻ろうと、口中清涼、臭い消しに効くと噂の相州小田原『透頂香』とはいかなるものかと、その薬を扱う宇野藤右衛門の屋敷を探してみたり、今宵は小田原の女と遊んでいこうと金の心配をしながら色町はないかと方々を歩きまわっているうちに、ある質屋の前を通りかかったところで、
 「小太郎ちゃんじゃないか!」
 彼を呼び止める女の声がした。見れば京の三条通りの煮売り屋吉兆屋≠ナ、賄いの女中をしていたお銀ではないか。
 「お銀さん!」と思わず小太郎は大声を挙げた。
 「あんた一体どこにいたんだい? ちょっと出て来るって吉兆屋を飛び出したっきり、全く帰って来ないから熊にでも喰われちまったんじゃないかってずいぶん心配してたんだ。あの後あんたの連れが『小太郎はどこにおる!』って大騒ぎして大変だったんだから!」
 「おお末蔵か。相変わらず土いじりをしておるか?」
 「そうそう末蔵っていったね。それが長次郎さんとこ飛び出して姿を消しちまったままなのさ。ほれ、光悦さんから紹介された聚楽焼のおっしょさん、いただろ」
 「そういえばそんな事を言っておったなあ」
 「のんきだねえ、うらやましいよ。早く茶碗を返してあげなよ」
 小太郎は大坂で高山右近を見付け、その茶会の場に忘れて来てしまった茶色い古びた茶碗のことを思い出して苦笑いした。まさかそれが今は千利休の手元にあることは知る由もない。
 「なくしちまったのかい? 知らないよ、末蔵さん、あんな剣幕だったから、もしかしたら死ぬかも知れないな──」
 「おいおい脅かさないでくれよ──」
 「それより女は見つかったか?」
 「おんな?」
 「あれ? 女のケツを追っかけて吉兆屋#び出したんじゃなかったのかい?」
 小太郎は目ざとい女狐だと閉口しながらも、今もまた同じ女を追いかけて小田原くんだりまで来てしまっている自分を顧みながら、その成長のなさに情けなく肩を落とした。
 「お銀さんこそこんな所で何してんだい?」
 「動乱の起こるところ伊賀者あり、ってね」
 「仕事か? どんな仕事だ、何を探っとる!」
 「目の色を変えたところを見ると、相変わらず職に飢えているな。まあ小太郎ちゃんには関係ないことよ。それより今晩この店で市≠ェ開かれるんだけど顔出していかないかい? 何か耳寄りな情報が得られるかもよ」
 市≠ニは忍びの隠語で、立場や仕官先への忠義を越えて行われる伊賀者同士の情報交換の場のことである。伊賀の乱以降、機能しているいないは別として、京の吉兆屋≠フような、表向きはなんの変哲もない店舗や家屋が全国に点在していると聞いている。小田原には質屋の孫六という伊賀者が町人になりすましており、いままさに通り過ぎようとしていた質≠ニ掲げた看板の店がそれだった。主人の孫六は三十半ばの男で嫁も子もあったが、彼が忍びであることはつゆほども知らない。市の日は、決まって「仕事仲間の寄り合いがあるから」と言って女房子供を城下町を囲う土塁の外側にある実家に帰らせていたから、今は店内には孫六とお銀がいるだけだった。
 「孫六さん、仲間だよ」
 と言ってお銀は小太郎を紹介すると、孫六はむすりとした表情で一瞥しただけだった。
 「根は悪い人じゃないから気にしないで」
 お銀はそう言うと奥の土間で、市で振る舞うのであろう大きな鍋の、作りかけた煮物の火加減を調節しながら味見した。小太郎は狭い店内を見まわして、
 「それにしても小田原城下のど真ん中によくこんな会所があったものだ。風魔にでも見つかったら一巻の終わりじゃないのか?」
 と感心すると、すかさず、
 「孫六さんは伊賀者でもあるけど風魔党でもあるんだよ。下手な忍びよりよほど信用できるって風魔の間でも評判なのさ、ね、孫六さんっ」
 と替わりに応えるお銀はなんとも先ほどからお喋りな女であるが、そうして相手からうっかり秘密を聞き出す、それが京で鳴らした彼女が地獄耳の空蝉≠ニ呼ばれる所以である。
 「ふん、諜報の傍ら別の職業をする話なら巨万と聞くが、流派で二足の草鞋を履いた忍びなど聞いたことがないわ」
 孫六は小太郎を睨みつけると、
 「やることは一緒じゃ」
 と、質入れのあった刀の手入れをしながらぶっきらぼうに呟いた。
 一息つく間もなく、お銀は京を出てから現在に至るまでの経緯を根掘り葉掘り聞くものだから、小太郎は高山右近の所で暇をもてあそばせながらなんとなく仕えていることや、キリシタンになれとしつこく誘われていること、そして、今回の北条攻めでは菖蒲を追って小田原まで来たとは言えず、少し話を盛って偵察に来ていることなど、適当にあしらいながら答えた。
 「高山右近ていったら博多の追放令に逆らって左遷されたキリシタン大名だろ? それじゃ今回小太郎ちゃんは前田利家の下で働くわけだ。とりあえず仕事があって良かったじゃないか」
 「良いものか! あんなお人好しの伴天連主君に仕えていても体がなまるだけじゃ。俺はもっと大きな仕事がしたいのだ」
 お銀はその強がりを見抜いて腹を抱えて笑った。

 やがて夜の帳が降り、周囲の家の明かりも一つ二つと消えていくと、どこからともなく闇に紛れて音もなく、一人二人と黒い影が質屋に集まってきた。それが十ばかりになって暫くしたとき、「嘉兵衛はどうした?」と誰かが言った。
 「どうも昨晩、城内に忍び込んだところを風魔に見つかって殺られたようだ」
 「小田原城内に? また無茶なことをする」
 「あいつは宇喜多秀家に仕えていたな? よほど切羽詰まった事情があったのだろう」
 と、口々に話し出すと、それはもう市の始まりだった。
 「まあこれを食いながらおやりよ」と、お銀が振る舞った椀の煮物をすすりながら、まずは風魔党忍者のことが話題となった。小太郎は何も言わずに耳を傾けていただけだが、大方話の内容は次の通りである。
 現在風魔党忍者を束ねているのは五代目風魔小太郎という男で、その配下の乱波の数は二〇〇人とも三〇〇人ともされ、その基本的な行動は一組四〇名から五〇名からなる集団によるもので、それぞれの組が城の警備や諜報の任務に当たっているという。主だった人物としては二曲輪猪助だとか太田犬之助とか風間主水正とか妙円斎とかの名が挙がったが、個々で行動する伊賀者に対して団体で襲撃を仕掛けてくる風魔は非常に厄介で、ひとたび目を付けられたらもはや逃れることはできないだろうと、その存在は市に参加する者たちの脅威でもあるようだった。
 なるほど考えてみれば、北条家は昔から諜報活動といえば風魔党を使っていることは小太郎も知っていたから、北条側に仕える伊賀者など数えるほどしかいない。なので忍びの者の立場から見れば、今回の北条討伐は、北条風魔党忍者対伊賀はじめ甲賀その他諸々の忍びという構図が出来上がっているわけだ。その北条家に仕える貴重な伊賀者の一人が、市の場所の提供者である孫六であった。口数が少なく、いつも場所を提供するだけで会話にはほとんど口をはさまないその孫六が、この日珍しく口を開いた。
 「どうやら北条は籠城して関白を迎え撃つつもりだ」
 そして淡々と続けるには──
 現在北条家内部は、当主が秀吉と謁見して戦を避けるべきとする穏健派と、戦うべきだとする主戦派に分かれていると言う。ところが実質的な権力者である当主氏直の父氏政は徹底抗戦を主張しており、どうにも秀吉に屈服するのが嫌であるらしい。北条家は代々武家の名門であるのに対し、秀吉はもとを正せばただの農民出の成り上がり者である。兵や財力ではとても及ばないと知りつつも小田原城の堅固さを過信している節が見られる。かつてその城を手にした北条早雲の時代より防衛の拡張工事を着実に続け、その護りの堅さは今や大阪城をも凌ぐものになっていることを自負しつつ、実際に過去の戦でも落ちたことがないという話を神話のように持ち出した。確かに町全体を含む巨大な惣構えの中には耕作地もあり、籠城しても数年は持ちこたえることが想定できるのに対し、秀吉は何十万もの兵を動かして来るわけだから長期戦に持ち込めば秀吉軍の兵糧も尽きるに決まっているという算段である。加えて北条家には東北の伊達家が付くし、今は秀吉になびいている徳川家康とて、婚姻関係は裏切れないと見て必ず北条に味方すると信じている。客観的には数に勝る秀吉有利に見えるが、その勝利への道筋が北条氏政の口から出ると、まことしやかに聴衆を信じ込ませる力があるのだと、孫六は静かな口調で話し終えた。
 小太郎は一言も言わないまま話の成り行きを見守っていたが、突然、
 「この戦、もし北条が勝ったら天下はどうなる?」
 と声を挙げた。その愚問に、参集者の視線はその見慣れない若僧の顔に集まった。
 「おお、紹介が遅れたが、こいつは甲山太郎次郎さんの倅で小太郎ってんだ」
 お銀が言うと、不審な空気が一瞬にして尊敬と羨望に変わった。小太郎にしてみれば、いまだ父親の威厳に守られていることにいい気持ちはしない。「誰に仕えている?」とか中には太郎次郎との思い出を語り出す者もいたが、小太郎は一蹴して、
 「北条が勝ったら天下はどうなるか教えてくれ」
 と繰り返した。
 「それは十中八、九ありえんな」と誰かが言った。
 「そんなことは聞いておらん。勝ったらどうかと聞いておる」
 「そりゃお前さん、戦乱の世に逆戻りだな。ようやく関白さんが天下統一を果たしたのに、次の覇者をめぐって再び大混乱になる」と他の誰かが言った。
 「それがなぜいかん? わしらはそれで飯を食ってるんじゃないのか」
 「いかんとは言ってないさ。ただ、また死人が大勢出る」
 「死人がなんだ! わしらの里はあの信長に滅ぼされたのだぞ! それが天の報いなら、天は戦乱を望んでおるのじゃ!」
 議論の趣旨を著しくたがえるその激しい発言に、
 「小太郎ちゃん、やめときなよ。そんな事を言ったって仕方がないじゃないか」
 とお銀はさえぎったが、小太郎の心に暫く眠っていたやりどころのない信長に対する憎悪の炎は、再びメラメラと燃え始めたのだった。それは、高山右近に伴って、九州征討から今に至るまでの平穏すぎる日々に慣れてしまっていた伊賀者の血が、同じ里の者と接触した際に発火した化学反応かも知れなかった。小太郎は我を失って、
 「わしは北条に付く!」
 と叫んだ。その行為が右近に対する裏切りになることなど全く考えていないどころか、小太郎の脳裏には菖蒲さえもいなかった。
 思わず孫六も小太郎を見つめる。
 「孫六さんといったな。天下をひっくり返すためならおれは何でもする。北条家の重臣と引き合わせてくれぬか?」
 「小太郎ちゃん本気で言ってるのかい?」とのお銀の驚きを横目にして、孫六は小太郎の目をじっと見つめ、
 「ならばあのお方が良かろう」
 とボソリと言った──。

 翌朝、早々に目通り叶ったのが八王子城主の北条氏照である。孫六が小太郎を紹介するのに氏照を選んだ理由は、現在北条家内で分裂する主戦派と穏健派の内、この氏照こそが抗戦論を牽引する中心人物であるからだった。彼は評定のため今は小田原城内にいる。目通りといっても城内の屋敷内で引き合わされたわけでなく、忍びが主君と話をする時は、大抵庭先とか廊下とか床下や天井裏などに隠れて、けっして目立たない場所で密かな言葉を交わすのが通例である。
 この時も寝起きの厠を出た氏照をつかまえて、「お話しがございます」と、孫六は廊下を歩く彼を引き止めた。
 「なんじゃ、孫六か。手短かに申せ」
 「実は北条家に仕えたいと申す伊賀者がおりまして」
 「伊賀者? だめじゃ、伊賀者は信用おけぬ」
 「それが、関白秀吉に恨みを持つ者にて、何でもするから雇ってくれと乞われまして」
 「何でも=c…?」
 忍びの言うところの何でも≠ニは刺し違えても≠ニいう意味である。氏照は表情ひとつ変えず、
 「会おう」
 と言った。孫六は呼び寄せる手招きをすると、そこに風のように一人の男がひれ伏した。
 「伊賀の甲山小太郎と申す。お見知りおきを」
 「裏切ったらどうなるか知っておろうな?」
 「無論」
 氏照はしばらく小太郎の小気味よいしたたかな顔を凝視すると、「猪助はおるか!」と声を挙げた。すると、これまたつむじ風のようにいま一人の男が現れて同じ場所にひれ伏した。風魔猪助であった。
 「この者を預けるゆえ自由に使え。伊賀者じゃそうな。もし違背の兆しが少しでも見えたら即座に斬り捨てよ。──甲山小太郎、それでもよいか?」
 「御意!」
 氏照はそう言い残すと、何事もなかったかのように座敷の奥へ戻った。
 
> 第1章 > 刺殺命令
刺殺命令
はしいろ☆まんぢう作品  

 その頃、高山右近を伴った前田利家一万八千の軍は金沢を発っていた。それに先立ち上杉景勝も一万の軍を率いて春日山城を発ち二者は信濃で合流し、そこに真田昌幸軍三千と松平康国軍四千も加わり総勢三万五千の大軍は、北国軍を形成して一路小田原を目指した。そして徳川家康二万の軍勢もまた駿府を発ち、ついに本陣豊臣秀吉率いる三万二千が小田原へ向けて京を発っしたのが三月一日のことだった。
 次々ともたらされる各方面からの出陣の知らせを受けて領内の武将は小田原城に結集し、籠城戦に備えて備蓄米を搬入し、城の西側の砦となる箱根足柄に塁を築いたと思えば、そこに当主氏直の叔父にあたる佐野氏忠を向かわせ防備を固めるといった、小太郎が城下に来たのはまさにそんな大混乱の最中なのである。
 その日、風魔猪助直属の配下に置かれた小太郎は、城下町のはずれに建てられた粗末な陣所のような所に連れられた。今にも壊れそうだが小ぎれいにしている狭い大部屋には十数人の猪助の部下が交代で雑魚寝をしている。夜中に活動をしている彼らにとっては、太陽が昇るこれからの時間が休息の時間なのである。
 「皆の衆、起きろ!」
 猪助に叩き起こされた部下たちは、おのおの眠そうな目をこすりながら猪助の横に立つ見慣れない男に目をやった。
 「い組に配属された甲山小太郎という。少しばかり伊賀流忍術の心得があるそうだが今日よりは風魔じゃ。我らのしきたりをしっかり教えてやれ!」
 「へえ」
 と返事したきり、小太郎には自己紹介の機も与えないまま、部下たちは再び横になってしまった。猪助は小太郎に「そのうち慣れるわ」と低い声で言うと、続けて、
 「お主には今晩、さっそく仕事をしてもらう。寝れる時に寝ておけ」
 と付け加えた。小太郎は「わしは七日七晩寝ずとも動ける。余計な心配は無用」と返したが、
 「無理はするな。先は長い」
 身体が大きく厳めしい顔付きをしている割に、根は案外人間味があるのではと思われる猪助は、そう言い残すと小太郎の肩を叩いてどこかへ行ってしまった。
 小太郎は腰の刀を肩に抱え、部屋の隅の空いている場所に腰を下ろして、背を壁にもたれて目を閉じた。すると近くに寝ていた男が、
 「なかなか良い腰の物を持っておるではないか。鞘の紋は五三桐だな。どこで手に入れた?」
 と聞く。五三桐は豊臣の家紋だが、秀吉から貰った『正宗』にすぐ目を付けるとは、なかなか目ざとい男ではないか。
 「憎っくきあの秀吉の馬廻りの家来の家に忍んで盗んでやったのさ」
 と小太郎はとぼけ、
 「ところでお前らの頭のあの風魔猪助って奴は偉いのか?」
 続けて目を閉じたままの恰好で聞いてみた。すると男は「よくぞ聞いてくれた」とばかりに上半身を起こし、「あんた運がいいよ」と答えて目を輝かせる。その話によると──
 風魔党は現在『い組』から『す組』の『いろは四八組』により構成されており、その組は六人の大組頭に配分されていると言う。猪助は大組頭の一人であるらしく、その大組頭を統括しているのが五代目風魔小太郎である。今ここにいる『い組』の者たちは猪助直属のいわば特殊部隊であり、『い組』は他の組より格が高いのだと教えた。その男が誇らしげに言うには、
 「猪助様は風魔小太郎様に次ぐ実質の風魔党二番頭だ──」
 らしく、その忍術の腕や馬術や鉄砲術においては、歴代の風魔小太郎の誰よりも勝っているだろうと力説した。「ならばなぜ頭になれぬ?」と小太郎が聞くと、それには訳があるらしく、理由はいくら聞いても教えてくれなかった。しかし男は最後に、
 「あの方の下で働いていればそのうち分かるよ」
 とだけ言うと、そのまま寝息を立て始めた。小太郎はつまらぬ勘ぐりはやめにして、日が暮れるのを待つことにした──。
 日没にはまだ早い刻限、うつらうつらとしていた小太郎に、
 「甲山、ゆくぞ」
 と起こしたのは猪助である。「小太郎」と言わず「甲山」と呼んだのは、頭と同じ名に敬称を省くことを憚ったからかも知れない。
 「仕事か? どこへ行く?」
 「どこでもよい。付いてこい」
 猪助は小太郎に馬を与えると、小田原城郭を飛び出した。
 風を切って走る馬上で小太郎は、さすがに馬を使いこなす忍び集団の駒は速い上に乗り心地が良いなと感心したが、やがて相模国から武蔵国に入ったところで「少し馬を休ませる」と言って猪助は駒を止めた。手綱を近くの木に結び付けると、日はもう西に傾きかけている。
 「仕事とは何だ? どこへ向かっておる?」
 眼前に広がる武蔵野を眺めて小太郎は聞いた。
 「お前は俺の言う通りに動いておればよい。余計な詮索はせぬことだ」
 「そうはゆかぬ。わしにも心というものがある。あんたの言うがまま動いて、それが北条に害のある働きだったらどうする?」
 猪助は小気味よい返答にムッとした表情をつくった。
 「海の物とも山の物とも知れぬお前が、俺が信用できぬと申すか?」
 「忍びをやっとる奴は誰も信用せぬことにしておる。理由くらい聞かせてくれてもよかろう」
 猪助は不敵な笑みを浮かべ、
 「人を斬ってもらう──」
 と静かに言った。″人斬り≠ニは小太郎にとってはできれば避けたい仕事である。
 「それは男か? 女か?」
 「女だ」
 「女は斬らぬ。そんなもの、あんたが殺ればよいではないか」
 「なに?」と言った瞬間、猪助は刀を抜いてそのまま小太郎を斬りつけた。しかし小太郎はサッと後方に翻って難なくその刃をかわした。
 「ほう、少しはできるようだな」
 猪助は感心して刀を鞘におさめた。
 「まあ聞け。女は女でもくノ一だ」
 「くノ一だろうと女は斬らぬ」
 「それが北条に害をなす女だとしてもか?」
 小太郎は少し考えて「誰だ?」と聞いた。
 「最近八王子城に仕官した侍女だ。奉行の平井様にたいそうのお気に入られようで、八王子城を警護するは組の連中も手が出せん」
 「そこで後腐れのないわしに殺らせようってわけか。どうも気に食わん。たかが女一人斬ったところで天下は動かんだろう。その女、本当にくノ一なのか?」
 「口の減らない小僧だ。やりたくなくば今すぐここを去れ。風魔党はお前など必要としない。氏照様は必要がなければ即刻斬り捨てよと言われたが、お前とて命は惜しかろう。最初だけ見逃してやるから二度と我らの前に姿を見せるな。ゆけ」
 その決断の早さに小太郎は慌てた。と同時に、猪助が風魔党の頭になれない理由が分かった気がした。主君に斬り捨てよと命じられたにも関わらず、この男は「逃げよ」と言う。情け≠ヘ忍びの者として致命的な欠陥ではないか。小田原のい組の陣所で男が「お前は運がいい」と言ったのはこのことで、非情≠ノなりきれないほんの僅かの優しさに、小太郎は猪助に自分と同じものを見た気がした。
 「ちと待て、やらぬとは言ってない」
 早口に隠れた動揺を、猪助はすっかり見抜いていたかも知れない。
 「どっちじゃ、はっきりしろ」
 「わ、わかった、引き受けた──で、その女の名は?」
 「百合」
 小太郎は博多で純白の百合の花を愛でていた菖蒲の姿を思い出した。
 「初仕事ゆえ十日与える。片がついたら小田原に戻れ。次の指令を与える」
 猪助は再び馬にまたがった。
 二人が八王子に到着した頃はすっかり夜も更けた。猪助は八王子城警護のは組の屯所になっている宗関寺に小太郎を連れて部下に紹介だけすると、自らは更に先に北にある鉢形城に向かって馬を走らせて行った。
 は組の組長を任されていたのは半助という髷を結った男で、猪助は半助にだけ小太郎に与えた任務を伝えていた。
 「おい新入り、今回の仕事はお前が風魔党に入るための試験も兼ねているみたいだぜ。俺たちは手を貸してはいけないそうじゃ。猶予は十日、その間に殺れなかったら斬り捨てろとのお達しだ。せいぜい頑張れ」
 と冷ややかに言った。
 「こんな片田舎の山城の警備がどれほどのものか知らぬが、三日もいらぬわ」
 小太郎は腰の政宗をキラリと煌めかすと静かに鞘におさめた。「びっくりするじゃねえか!」と叫んだ半助の髷がバサリと地面に落ちたのも見ず、小太郎は闇に姿を消した。

 八王子城主北条氏照の正室を比佐と言う。彼女はもともと木曾義仲の血を引く滝山城主大石定久の娘である。後北条家第三代当主北条氏康の三男氏照は、比佐を娶り一旦は大石源三氏照を名乗って滝山城主となるが、家督を継ぐと北条姓に復し、大石氏を北条配下に置いて八王子城を築き居城とした。二人の間には貞心という一人娘があった。貞心は、氏照の重臣山中頼元に嫁いだものの早くに夫を亡くし、その所領に龍淵山天応院を中興開基して出家する。しかし間もなく、彼女自身も後を追うように他界したのが、およそ一年半ほど前のことである。
 一方、跡継ぎを得るため氏照には豊という名の若い側室がいた。殊の外笛吹きが上手であったため城の者は皆お笛の方≠ニ呼んでいたが、八王子城内の同じ御主殿に住む二人の間には女同士の確執があった。それは些細なところに顕われるもので、お笛の方は寂しくなると氏照から所望した『雲丸』という愛笛を吹いたが、比佐はその音が聞こえるたびに「うるさい!」と言って機嫌を悪くするのだ。侍女たちは困り果てていたが、そのお笛の方の世話役として召し抱えられたのが百合と変名した菖蒲である。
 「百合はおるか?」
 と仕官してより、年は菖蒲の方が七つ八つ下のはずだが、その関係は菖蒲が姉に見えるほどのお姫様育ちのお笛は、夜も寝静まった頃に百合を呼びつけては、
 「わらわは笛が吹きたい」
 と駄々をこねた。
 「外はお寒うございます。明日、日が昇りましたら、山の曲輪へ参ってお吹き遊ばすのがよろしいでしょう」
 「いやじゃいやじゃ、いま吹きたい」
 百合は困ったが、ついに押し切られてお笛を星空の下へ連れ出した。御主殿の虎口とは反対にある搦め手門の門番に事情を話し、水汲み場へ通ずる細い道を下れば館の脇を流れる城山川に出た。そこにはおよそ二間ほどの高さから落ちる二筋のしぶきをあげる『御主殿の滝』と呼ばれる滝壺があり、そこでならいくら大きな音を出しても滝の音でかき消され、比佐の耳には届かないというわけだった。
 「どうぞ存分にお吹き下さいませ」
 「いやじゃ。こんなに水しぶきがうるさければ、笛の音が氏照様に届かぬではないか」
 こうなると百合はいつもあの手この手でお笛をなだめる。
 「笛は心で奏でるものと聞いたことがございます。お笛様のお心は、きっと小田原のお館様にとどきましょう」
 「それはまことか──なれば……」
 と、ようやくお笛は懐から『雲丸』を取り出すとおもむろに吹き始めた。春にはまだ早い冷たい大気は、彼女の細い指先を凍てつかせたろう。
 「おや? 笛の音……?」
 根小屋と呼ばれる城下町から家々が軒を連ねる大手門前広場を歩いて来た小太郎は、篝火が燃える八王子城の大手門までやって来た。堅く閉ざされた門を見上げているうちに、どこからともなく聞こえてきたのは確かに笛の音に違いない。それは川の流れの音に混ざって聞こえずらくはあったが、小太郎はその音に耳を澄ました。思えば音楽を聴くなど、高槻で立ち寄ったセミナリオで聴いたオルガン以来かも知れない。山城の構造を探ることなどすっかり忘れた彼は、暫しその笛の音色に聞き入った。
 「こんな夜更けにいったい誰が?」
 やがて好奇心に駆られるまま城山川の流域に立つと、その渓流の川上に向かって歩き出した小太郎は、小さな滝壺の脇、暗闇の中、岩を腰掛けがわりに佇む二人の女の姿をとらえると、俄かに目つきを変えた。
 「菖蒲どの……」
 すると笛の音がぴたりと止み、「たれじゃ?」とお笛から小さな声がもれた。
 「菖蒲どのではないか!」
 見まごうはずのない小太郎は、小躍りして二人の女の方へ駆け寄った。黒装束の不審な男の出現にお笛は別段驚く様子もなく、
 「あやめとはたれじゃ? 百合の知り合いか?」
 と聞いた。
 「ゆり……?」
 ‶菖蒲≠ナあるはずの女が‶百合≠ニ呼ばれたことから、猪助から「斬れ」と命じられた女が菖蒲であることを知ると同時に、小太郎は彼女が名を変えて城に忍んでいるとすぐに察しがついた。その安請け合いしてしまった仕事に早くも後悔の念が湧く。
 「存じませぬ!」
 菖蒲は咄嗟に関係を否定した。彼女と会いたいがためだけに小田原までやって来た小太郎は心外だった。
 「何を申す、わしじゃ、小太郎じゃ」
 言い終わらないうちに彼女の口から思わぬ大声が発せられた。
 「曲者じゃ! 誰かあるか!」
 その悲鳴に似た叫び声に驚いたのが、滝壺の水汲み場から細い崖路をあがったところの搦め手門の警備についていた門番である。足元もおぼつかない真っ暗闇の小道を転びながら駆け下り、腰の刀を引き抜いて小太郎の前に立ちはだかった。そして、懐にしまっておいた警笛を高らかに鳴り響かせると、途端に遠くのあちこちで同じ警笛が鳴り出し、御主殿の警備に付いていた侍はもちろん、どこからともなく風魔の″は組≠フ連中も現れて、小太郎は瞬く間に取り囲まれた。菖蒲に気を取られてさえいなければ逃げる隙などいくらでもあったはずだが、こうなってはさすがの小太郎も逃げ場を失った。
 侍の一人が手にしていた篝火が小太郎の顔を照らしたとき、風魔の一人が「あいつじゃねえか」と呟いて前に出たのは″は組≠フ組長の半助である。彼にしてみれば猪助の密命で動いている小太郎を知っているし、曲がりなりにも十日間は世話を任された新入りなのだ。御主殿の侍女の命を狙っていることなどは話せるはずもなし、すぐには殺せない理由がある。
 「この曲者は私らが追っかけていた伊賀者に違いありません。こいつの処分は我ら風魔党に任せちゃくれませんか」
 騒ぎを聞いて駆け付けた平井無辺は、「よかろう」と言ってお縄にした小太郎を半助に引き渡したが、屯所に戻った小太郎はいい笑い者だった。
 「三日もいらぬとほざいた割にはとんだ茶番だったな。今晩の騒ぎで城内の警備も厳しくなるだろう。貴様に本当に殺れるのか?」
 半助は髷を切られた恨みを嘲笑に変えて、他の仲間とお縄にされた小太郎を囲んで馬鹿にした。
 
> 第1章 > 主君を持たぬ者
主君を持たぬ者
はしいろ☆まんぢう作品  

 菖蒲が百合と変名して豊の方付きの侍女として御主殿にいることを知った小太郎は、その日より館の水汲み場である滝壺近くの雑木林に潜み隠れることにした。半助の言う通り警備は厳しくなり、流石の彼も敷地内に忍び込むのは困難で、あえて危険を冒すよりそこで待っていれば必ず会えるに違いないと考えたのである。
 周囲を崖に囲まれた滝の音しかしないひっそりとした空間は、やがて戦火でまみえるであろうことなど知る由もなく、たまに雑木林から飛び立つ鳥の姿に驚かされながら、小太郎は足元に芽吹く蕗の薹を摘んで口に含んだ。ここ数日、ずっと草陰に潜んでいるものの、滝壺に現われる者といえば御主殿の勝手仕事の給仕であろう館で使う水汲みの女中だけで、たまに別の用事で来たかと思えば着物や布類の洗濯をして帰る者達だった。
 猪助との約束である十日も近づいたある日中のこと、思惑通り菖蒲は再び豊の方を連れて姿を現した。どうやらいつもの駄々を聞き入れて、笛を吹かせに来たに相違なかろう。豊は懐から愛笛『雲丸』をおもむろに取り出すと、前と同じように美しい音色を奏で始めた。小太郎は気配を消してそっと近寄り、
 「なかなかのお手前じゃのう」
 驚いた菖蒲は再び声を挙げようとしたところを、今度はそれより早く小太郎はさっと彼女の後ろに回り込み、口をおさえて、
 「声を挙げるな。乱暴するつもりはない」
 と、豊に目を向け微笑みかけた。豊は別段驚いた様子もなく吹くのをやめて、
 「おぉ、そなたはこの間の賊か?」
 と言った。
 「賊ではござらん。あまりに笛の音が美しかったゆえ聞き惚れていただけじゃ。この前はとんだ邪魔者が入って心行くまで聞くことができんかったが、今日はこうしてこの悪戯な口を押えておるゆえ安心でござる。よろしければもう少し聞かせてはもらえまいか?」
 豊はニコリと笑み「よし」と言って再び笛を奏で始めた。その傍らで、小太郎は菖蒲を後ろから抱きしめた格好で口を押えたまま聞き入った。
 そうして一曲吹き終えたところで、豊は歌口から唇を離した。
 「そなたは百合の何なのじゃ? わらわが奏じておる横で見せつけるように抱き合っておられては、気が散ってどうも気が乗らぬ」
 「ならばこの百合に声を挙げぬよう命じて下さいませ」
 小太郎は菖蒲のこめかみに頬をすりよせるようにして言うと、豊は「よし」と頷き「百合、声を挙げるなよ」と命じた。小太郎はゆっくり菖蒲の口から手を離すと豊の方の前に跪いた。
 「拙者、甲山小太郎と申します。どこから話せばよいか──実は拙者この女に惚れておりまして、なんと申しましょうか──この百合を追っかけて小田原まで行ったのですが、会えずじまいで八王子に寄ったところが、どこからともなく美しい笛の音、音に誘われるままやって来ましたところ、こうして百合とばったり会ったという次第でございます」
 「そなた、小田原まで行ったのか?」
 豊は二人が会ったことよりも小田原に行ったということの方に強く反応して、驚いたような声を挙げた。当時女性の身で遠出するなど、輿入れの時でなくば余程の事がない限りあり得ない時代である。八王子から小田原といえば、今でいえば海外へでも行く感覚であったろう。たとえ男であってもそのような遠出ができる者は、ある程度の地位を有すると信じていたから、
 「小田原まで行ったのなら教えておくれ。お館様は息災でありましたか?」
 と聞いた。
 「お館さま……?」
 小太郎は首を傾げると、豊の脇の菖蒲が「この城の城主北条氏照様のことだ。このお方は氏照様のご側室お豊の方様である」とぶっきらぼうに教えた。
 小太郎は、孫六に連れられた小田原城内で会った偉そうな男が氏照と呼ばれていたことを思い出し、途端、菖蒲がこの城に潜んでいる理由がいっぺんに解した気がした。
 「あぁ、あのお方か──すこぶる達者であったぞ」
 「そうか! 達者であったか! わらわの事は何か申しておったか?」
 豊はなくした宝物を見付けた時のように歓声を挙げた。
 「はい──毎晩お方様の吹かれる笛の音がこの小田原まで聞こえてくる──そう申しておりました」
 脇の菖蒲は「適当なことを申すな」という訝しい表情を作った。
 「そうか! でも変じゃな? わらわは毎日吹いておるわけではないぞ。吹きたくともお比佐殿がうるさいと申して吹けぬのじゃ」
 「お比佐……?」
 すると再び菖蒲は「氏照様のご正室だ」と教えた。
 「きっとそのお慕いするお心が、笛の調べとなってお館様へ届いているのでございましょう」
 菖蒲は「よくもまあ次から次と女子を喜ばす言葉が出て来るものだ」と、訝し気な表情を感心に変えた。
 「そなたもそう思うか?」と豊は無邪気に喜んだ。
 「ところでそなた、百合に惚れていると申したな。百合はそなたの事をどう思っておるのじゃ?」
 「それは当人に聞いてみないと分かりません」
 小太郎は意地悪そうに、また、豊は興味津々とした表情で菖蒲の顔を覗き込んだ。菖蒲はばつが悪そうに下を向いてしまうと、
 「ほぉ、まんざらでもなさそうじゃな」
 豊は可笑しそうにからからと笑う。
 「違います! 好いてなどおりません──」
 「ほれ、知り合いではないか。この前は存ぜぬと申したのに?」
 「それは──」
 「まあよい。男女の関係は犬も喰わぬと申す。わらわがいては積もる話もしにくかろう。御主殿へ引き返すゆえ、ゆるりとしてゆくがよい」
 豊は彼女なりに気を利かせて館に戻ろうと急な細径を登り出した。それを手助けするように菖蒲が付き添うと、
 「小太郎殿、御主殿への坂道はきつくて困る。送り届けてもらったら必ずそなたの元へ行くよう命ずるので、暫し百合を貸してたもれ」
 お姫様育ちの割に案外物分かりの良い田舎っぽさを感じる豊の方に好感を持ちながら、小太郎は「では暫しお待ち申しておる」と答えて二人を見送った。
 こうして四半時もしないうちに戻って来た菖蒲は「何をしに来た!」とぞんざいな声を挙げたのである。
 「久しぶりに会ったというのに‶何をしに来た″はなかろう」
 「兄上のところにいたのではないのか? それにしてもよく風魔党の連中に捕らわれて生きて戻って来れたものだ。もっともあの程度のことで死ぬとは思っておらぬが……」
 小太郎は苦笑いを浮かべると、この度の北条攻めで高山右近が前田利家に同行して小田原に来る事を伝え、「その偵察に来たのだ」とうそぶいた。
 「どうせ偵察を口実に私に会いに来たのであろう。小太郎は私に惚れておるからの」
 「図星じゃ」と笑いながらそれが本当になっていることを感じつつ、小太郎は以前博多で「花菖蒲より白百合が好きだ」と言った彼女の恍惚とした表情と照れ隠しの今の表情を重ねて、愛おしさのあまり菖蒲をすぐにでも抱きしめたい感情にとらわれた。
 「菖蒲殿の方こそこんなところで何をしておる? 百合と名前まで変えているのを見ると、おおかた真田幸村あたりの小賢しい忍び働きでもしておるのじゃろう。何を企んでおる?」
 菖蒲はすっかり油断していた。まさか兄である右近の配下にいた者が俄かに北条側に翻っているとは夢にも思っていない。その上、自分を疑う者から暗殺命令を帯びて現れたなど思いもつかなかった。それより隠していた小太郎と再会した歓びの方が勝って、うっかりこれまでの経緯を安易に話してしまうのである。
 そうなると逆に小太郎の方が罪悪感を抱き始めた。今、目の前の女は男を疑う事もなく、用土新左衛門の縁者と謀って城内に忍び込み、奉行の平井無辺を調略せんと工作している事まで話し出す。「くノ一とはいえやはり女は情に流される」と哀れみに似た感情を抱きながら、小太郎は菖蒲の唇に人差し指を当ててそのお喋りな言葉を遮った。
 「わしに会って嬉しいのは分かるが、ちと話し過ぎではないか? もし、わしが北条側に付いており、八王子城に仕官した女を間者と疑う者から暗殺を命じられてここに来ていたとしたらどうする?」
 言われてハッと言葉を止めた。彼女にしても元々おかしいと思っていたことだった。なぜ小太郎が突然目の前に現れたのか? なぜ風魔党に捕らえられたはずが無傷で逃げ出す事ができたのか? そして再び現れたのか? 自分に惚れているからという理由で結びついていたこれらのおかしな点が別の理由でつながった時、菖蒲の表情はみるみる鬼のような形相に変わった。と、懐に隠し持っていた短剣をいきなり小太郎に斬りつけた。しかしその刃が小太郎の頸動脈から鮮血を噴き出させたと思ったのは気のせいで、彼の左腕は菖蒲の短剣を握った右腕を掴み抑え、ぐいっとか細い身体を引き寄せたと思うと、その唇に自分のそれを強く重ね合わせていた。
 「やめろっ! 何をする、離せ!」
 菖蒲は必至でもがいたが、やがて激しい吐息と共に口の中に入り込んできた得体の知れない肉の塊で言葉が遮られ、もはや言葉ではなくなった。菖蒲はその肉の塊が小太郎の舌であることを知った。そして女の本能が目覚めたように全てに身を任せようと意識が遠のいた瞬間、ハッと我に返ったくノ一としての本能は、その肉の塊を力任せに嚙みついたのだった。
 それには小太郎もたまらない。思わず後ろにのけぞって、「ちと待て!ちと待て!」と逃げ腰の左掌を前に出して叫ぶが舌が痛くて言葉にならず、普通なら傷口を舌で舐めるものだがその舌がやられたものだから手の施しようがない。しかも舌には、噛み切ると焼いたスルメのように丸まって気管を詰まらせる性質がある。舌を噛み切って自殺する者の死因はほぼ百パーセント窒息死であることをご存知だろうか。それを知っている小太郎は、慌てて右手の人差し指と中指を口の中に突っ込み、喉をふさいでいる舌を引き出して気道を確保した。この術はくノ一が男を殺す際の常套手段なのだ。哀れ小太郎はその初歩的な技に引っかかって、指を突っ込んだ口から真っ赤な血を垂れ流し、その形相を生肉をそのまま喰らう獣のようにして苦しんだ。
 「お前は豊臣の味方か、それとも北条の味方か! どっちじゃ、答えろ!」
 菖蒲の剣幕もすさまじい。兄の家臣というだけですっかり気を許し、秘密工作まで話してしまった上に、女にとっては貞操として守るべき大切な唇まで奪われてしまったのである。もはや小太郎は許すまじ男であり、手にした短剣を8の字に振り回して獣のように襲い掛かった。
 「ちと待て悪かった、そんなに怒るな。わしは菖蒲殿の味方じゃ!」
 と叫んだ小太郎だが、右手の指を咥えているため言葉にならない。ついに川底の石に滑ってドボンと滝壺の中に落ちた。そこに覆いかぶさるように菖蒲が乗って、手にした短剣は小太郎の喉元を突き刺そうと振り下ろされた。左手は水面に顔を出そうともがき、舌を押える右手と口の隙間からは冷たい水がガボガボと口中に入り込む。小太郎が命を諦めたのはこれで二度目で、一度目の才之進と技比べをした時の悪夢が再び脳裏によみがえり、人間というものは殺される時は案外身内の手によるものかも知れないと、状況とは裏腹な妙に落ちついた意識の中で小太郎は思った。
 ところが振り下ろされた短剣は水を斬ったのである。そればかりか殺意に満ちていたはずの菖蒲は小太郎を救い出し、川縁へと引きずりあげたのだった。
 「大丈夫か!」
 「大丈夫なものか! 死ぬかと思ったわい!」
 その言葉にならないモゴモゴとした台詞を聞いて、菖蒲は俄かに笑い出した。
 「どれ、見せてみろ」
 菖蒲は小太郎の口を開かせると舌からドクドクと流れ出る血を見て「こりゃまずい」と呟き、
 「止血をする。変な気をおこしたら今度こそただではおかんぞ」
 と言ったと思うと、自らの舌を伸ばして傷口に押し当てた。小太郎は目を見開いた。が暫くすると静かに目を閉じ、されるがままに全身の力を抜いた。
 ──妙な気分である。本来なら殺しに忍んだ女に殺されかけたと思えば逆に助けられている。まな板の鯉のように仰向けに寝そべって、舌と舌を合わせた菖蒲の身体から漂う色香に酔いしれている己がいた。小太郎には菖蒲という女がいまだに分からない。つい先ほどまで地獄界に生きる殺人鬼だったのが、一転、菩薩界に住む仏に変じた。彼女に言わせればそれは仏ではなく聖母だと言ったかも知れないが、生死の淵にいるというのに股間のモノははちきれんばかりに大きくなっているのだ。
 やがて菖蒲は唇を遠ざけ「ここを押えておれ」と言って小太郎自身の指で傷口を押えさせると、周囲を四顧して薬草になりそうな植物を探した。そして両手いっぱいの蓬の葉を集めて来てすりつぶし、腰に吊り下げていた印籠から粉末の薬を混ぜ合わせ、出来上がった塊を無造作に小太郎の口の中に押し込んだ。
 「不便だろうが暫くそうしておれ。そのうち血も止まる」
 蓬が止血に効くことは小太郎も知っていたが、印籠の粉薬は甲賀の物か。それよりなぜ自分を助けたか知りたくて、言葉にならない声を投げかけた。おそらく彼女もその思いを伝えておきたかったに違いない。難なく意思が通じると、
 「主君を持たぬお前が急に哀れになった。もし私だけがお前の主人になれるなら、なってやっても良いと思ったのだ。どうだ? 私の配下になるか?」
 もはや小太郎は菖蒲の傀儡である。その輝く瞳を見つめてコクリと頷いた。
 こうして片言ながら話せるようになった小太郎は、北条家に付いて風魔党の猪助という忍びの下で百合の殺害を目論んで来たことを伝えた。「呆れた奴じゃ」と菖蒲はぼやいたが、北条家の中で百合を間者と疑っている人物が猪助だけであることを知ると、手にしていた印籠を小太郎に授けた。
 「これは?」
 「薬入れじゃ。二雁金五月の紋が彫ってあるだろう。それは上野国猪俣党一族用土家の家紋じゃ。私が用土新左衛門の縁者であることを証明する物だ」
 もちろん偽造である。しかし真田幸村のスパイ工作の裏には、これほど周到な下準備が積み重ねられていることを知るとき、小太郎は己の浅はかさを思わずにはいられなかった。
 「それをどう使うかはお前が考えろ」
 小太郎は何か重大な物件を手渡された気になって、いつになく緊張した面持ちで「わ、分かった……」と口ごもって答えた。その表情と仕草に思わず菖蒲はぷっと吹き出して、小太郎に接吻して立ち上がった。
 「い……いまのは何じゃ?」
 「知らぬ──自分で考えろ!」
 菖蒲は照れ隠しをして立ち去った。その後ろ姿を見つめて、
 「テレジア……」
 と小太郎は呟いた。
 
> 第1章 > 筒抜け
筒抜け
はしいろ☆まんぢう作品  

 果たして猪助との約束の期限である十日が過ぎた。八王子を守護するは組≠フ連中は、問答無用で小太郎の殺害を企てたが、それを難なくかわした彼は猪助に会うため小田原へ向かった。い組≠フ屯所で小太郎の帰りを待っていた猪助は、
 「女ひとり殺るのに随分と時間がかかったな」
 と皮肉たっぷりに迎え入れたが、舌を痛めた小太郎の呂律が回らない言い訳に、顔を真っ赤にして「しくじったのか!」と怒声を浴びせた。
 「ひくちっかなではない。ひゃらなかってたけた」
 「何を言っているか分からん。もっとはっきり申せ!」
 猪助は小太郎の口の動きで正確な発音を確認しながら、「しくじったのではない、殺らなかっただけだ?」と繰り返し、「つまらん言い訳はよい!」と叫んで背の忍び刀を引き抜いた。
 「はやはんが! はしはははひをひけ!」
 「今度は何だ?」
 と再び口の動きを確認して「早まるな、わしの話を聞け──だと?」と繰り返し、込み上げる怒りをぐっと抑えた。小田原界隈では泣く子も黙る≠ニ称される風魔党である。そのヤクザな集団に対し小太郎の度胸には舌を巻くが、それに免じて「話しだけ聞いてやる」と情けを掛けた猪助は、刀を鞘に納めて、近くにいた部下に、
 「おい、塩を用意しろ」
 「塩なんか何に使うんです?」
 「つまらねえ事を言ったらこいつのべろに擦り込んでやるのさ」
 と言って、屯所の奥の部屋つまり猪助専用の控え室に小太郎を連れ込んだ。
 「事と次第によっては塩を擦り込むだけでは済まんぞ」と猪助は意地悪な笑みを浮かべ、そこからちぐはぐな会話が始まった。小太郎の話を要約するとこうである。
 初日に忍んだところが役人に見つかり、お縄になっては組≠ノ引き渡されたところまでは猪助も報告を受けていた。その後、寝首をかきに御主殿に忍び込もうとしたが、警備が厳しくなっていて入ることができず、御主殿の滝に潜んでいたところに折よく百合がやって来たのだと言う。これ幸いとばかりに刀を抜いて、斬り殺そうとしたところが、
 「なにゆえに私が殺されねばなりませぬ?」
 と女が言った。かれこれしかじかと説明すれば、
 「なんたる不幸。幼き頃より用土家に仕えてきた身の上なのに、どうして豊臣の間者と間違えられたのでしょうか。これでは死んでも亡き父母に顔向けができませぬ」
 としくしく泣き出すので、可哀そうに思ったわし(小太郎)は「ならば間者でない証拠を見せよ」と問うた。すると女が懐から取り出したのが、
 「からじゃ(これじゃ)──」
 と、小太郎は菖蒲から受け取った二雁金五月の用土家の家紋が刻まれている印籠を猪助に差し出した。猪助はそれを手に取ってじっと見つめ、
 「これを本当に侍女が持っていたのか?」
 小太郎は「持っていたからこうしてわしの手元にある」と、ボソボソとした発音で答えた。
 「最初に申したはずじゃ。わしは女は斬らぬ。今回はそれが北条に害をなすくノ一だと言うので引き受けたが、くノ一でないことが証明された以上、斬るにはあまりに不憫と思った。逆に聞くが、二曲輪さんはどうしてあの女をくノ一だと思ったか?」
 「小賢しい奴だ」と顔をしかめた猪助に理由などない。単なる忍びとしての直感なのだ。
 「それよりなぜまともに喋れぬ。ちょっとべろを見せてみろ」
 今度は小太郎が言葉を詰まらせた。まさか思いを寄せる女にディープキスをして舌を噛み切られたなど伊賀者の名折れ、忍びの大恥、口が裂けても言えない。
 「熱いそばを喰って火傷した──俺を斬るか? それとも解雇するか?」
 猪助は暫く考えた。いますぐ斬ってしまうのは簡単だが、なかなか腕の立つ伊賀者のようだし、殺害に行かせた先で己のポリシーを貫くために証拠の品を掴んで来るとはなかなか賢い奴ではないか。手なずければ自分の片腕として使えるだろうが、一癖も二癖もある信用ならない厄介者であるのは間違いない。ならばできるだけ大きな仕事をやらせて使い捨てるのも悪くない。失敗して必定、うまくいけば儲けもの──猪助は不敵な笑みを浮かべると、
 「いま一度機会を与えよう。だが、しくじったら今度こそ死んでもらう」
 と低い声で言った。
 「何をすればよい? また人斬りか? 女なら斬らんぞ」
 「男だ。しかも大物だ」
 「秀吉か? それとも徳川か?」
 猪助は途方もない人物の名を呆れ顔で聞いたあと、まことしやかに「真田安房守昌幸を斬れ」と言った。
 「真田昌幸……」
 今度は小太郎が暫く考え込んだ。
 「秀吉や家康に比べれば赤子同然、たかだか数千の兵を従えた田舎侍だ。お主ほどの忍びにできぬ仕事ではなかろう」
 「できぬ仕事ではないがそいつはちと高くつく。それなりの報酬をいただかんとできぬ」
 「北条で働きたいと申したではないか。報酬を出せと言うか?」
 「当たり前だ。北条に付くとは言ったが安請け合いするつもりはない。ある意味真田安房守は秀吉や徳川より質が悪い。上田城の戦いでは僅か数千の兵で何万もの徳川軍を破ったと聞く。なによりあそこには甲賀飛猿がいる。とても一筋縄ではいかん」
 「甲賀飛猿? 天下一との噂のあの忍びか?」
 猪助の目付きが俄かに変わった。同じ忍びの者としてやはり気になる存在らしい。
 「天下一とは甚だあやしいが、かなり腕がたつのは事実じゃ」
 「知っているのか?」
 「知るも知らぬもわしは赤猿と呼んでおる。一度だけ立ち合うたことがあってな、まあ、あの時はわしが勝ったがの」
 本当は命からがら逃げのび、なんとか一命をつないだわけであるが、猪助の前でそんなことは言えない。「あいつが天下一ならわしは閻浮提一じゃ」と白を切って続けた。
 「確かに安房守を斬れば北から攻めて来る前田の軍勢に大打撃を与えることができるが、わし一人ではちと難しい。しかし、あんたが手を貸してくれるならできん話でもない。なんせ赤猿の奴、風魔に苦手意識を持っておるからな。それとも甲賀が怖くてわし一人にやらせるか?」
 猪助はニヤリとほほ笑んだ。
 「風魔と甲賀の技比べか……面白そうじゃの」
 真田安房守昌幸暗殺とは半分思い付きで出たものだが、もし可能ならば刺し違えても相手に不足はない。それに北条家が武田家と争っていた頃、武田にいた甲賀忍者に風魔が圧勝したという話を聞いたことがあり、なんとも此度も負ける気がしない。猪助はひとつ小太郎の挑発に乗ってみようと考えた──。
 その密談の内容が真田側に筒抜けになっていたのは、菖蒲の下僕となった小太郎が、その後たびたび彼女と密会しては風魔の動きを克明に伝えていたからである。そのころ真田幸村は、前田隊と上杉隊と合流するため軽井沢に滞在する真田昌幸隊の先発として、碓氷峠を越えたところの北条領内、松井田の崇徳寺という寺にいる。その菖蒲からの密書を虎之助から受け取った幸村はすぐに飛猿を呼びつけ、「北条領内で父上の人相と背格好の似た者を数人集めよ」と命じた。幸村にとって父上≠ニは真田昌幸の事だから、「昌幸の影武者を用意せよ」と言っていることは、勘ぐり深い飛猿のすぐに察するところである。
 「菖蒲殿からの密書ですな? なんと書いて?」
 「甲山小太郎という伊賀者を知っておるか?」
 「甲山……? ああ一度贄川の宿で行き会いました。なんでも甲山太郎次郎の倅らしいのですが、まだまだケツの青いヒヨっコです。そういえば最近上田でも会いましたな。前田隊の偵察だとかで小田原方面へ向かったようです。ですが、あ奴がなにか?」
 「北条に寝返って風魔党と手を組んだそうだ。それだけなら捨て置くが、父上暗殺を目論んで動き始めたそうじゃ」
 飛猿の顔色が変わった。つい先日上田で会ったときには「手を組まないか」と誘ったばかりなのだ。そればかりでない。菖蒲の話では彼女の兄に当たる高山右近のもとで働いていたはずだが、小田原に行った途端北条に寝返るとはなんという変心ぶり。呆れてあいた口がふさがらない。
 「ま、昌幸様を? あいつめ、煮ても焼いても喰えぬと思ったが。しかしなぜそれを菖蒲殿が?」
 「その小太郎とやらを下僕に従えたそうじゃ」
 「え、あの男を? いったいどうやって? 若気の至りというか、跳ねっ返りの半端ないへそ曲がりで、屁理屈ばかり並べるこんちき野郎ですよ」
 飛猿がめずらしく真っ赤な顔にライバル心を表わしたのを見て、幸村は「どうやら人を従わせる才は菖蒲の方が上のようじゃな」と笑った。
 「我が戸隠流にはくノ一はおらんが、どうせ女の色≠使ったのじゃろ。拙僧もあやかりたいものだ」
 脇で話を聞いていた虎之助が、寺の境内で遊ぶ一人の童女を眺めて呟いた。無邪気に遊ぶ年端もいかないあの子娘も、いずれ甲賀流くノ一の色≠覚えて働くのであろうと憐れんだのだ。見れば年の頃なら十ばかり、その童女は飛猿が甲賀の里から連れてきた子で名を蓮(はちす)といった。もともとは菖蒲がどこぞで拾ってきた孤児であるが、彼女を姉あるいは母のように慕い、「菖蒲姉ちゃんは今どこじゃ?」としつこいほど駄々をこねるので、後学のためにと今回の戦に連れて来た。というのは表向きで──
 「菖蒲姉ちゃんがどうしたの? いま菖蒲姉ちゃんのお話ししてたでしょ?」
 と蓮が飛猿のところに駆け寄ると、
 「なんじゃ、聞こえてしまったか」
 飛猿は蓮を抱き上げる──その童女には尋常ならぬ特技があった。それはとてつもなく聴力が優れていたことである。幸村と飛猿と虎之助の三人の大人の会話を、遊びに夢中になっていた数間先で感知して、菖蒲の話題と知るや我がことのように駆け寄ったのだ。その敏感すぎる聴覚のため普段から耳栓をしているが、はずせば五、六〇間先(百メートル程度)のひそひそ話をも聞きわける力があった。それゆえに甲賀の里では気味悪がられ、いつも一人でいるところを可哀想に思った飛猿が、
 この能力、幸村様の護衛に使える──
 と、菖蒲も加わるこのたびの北条征伐に同行させたわけだ。耳が良い分彼女には世の中の雑音が必要以上に聞こえた。妬みの声、企みの声、蔑みの声、裏切りの声、世の中はそんな忌まわしい声で満ちていた。おのずと人間不信に陥った彼女を救ったのが菖蒲であった。菖蒲はくノ一である反面、宗教心を通して純粋に彼女と接していたのであろう。ひどく内気な彼女も、菖蒲にだけは心を開いたのである。もっとも子童を戦闘の最前線に連れて歩くのは危険だからいつも安全性を確保した上での随行だが、いままさに戦が行われようとしている北条領内の松井田に連れて来れたのには理由がある。それはこの後に説明することになるだろう。
 「ねえ、女の色≠チてなあに?」
 無邪気な蓮の質問に、飛猿は顔をしかめていらぬ事をぼやいた虎之助を睨んだ。
 「蓮はまだ知らんでもよいことじゃ。というより、この虎おじちゃんは甲賀のくノ一に対してなにか大きな勘違いをしているようじゃ」
 「なにが勘違いじゃ、くノ一なぞ所詮女じゃ」
 飛猿のしかめっ面に虎之助がさげすんだように言った。この時代、女性蔑視の考え方はごく普通にある。
 「おい、女郎と甲賀のくノ一を一緒にするな。他は知らんが甲賀の女は人一倍貞操観念が強いんだ」
 更にこの時代、職業に対する偏見もごく普通にある。どうもこの二人、そりが合わぬところがあるらしい。飛猿は続けて、
 「甲賀のくノ一が色≠使うのはその男に心底惚れた時よ、つまりそれは忍びを辞める時じゃ。くノ一とはこの虎おじちゃんが言うような破廉恥なものではけっしてない。蓮もよくよく覚えておくのだぞ。女は貞操が命と心得よ」
 と、些細なことで衝突する二人の大人に戸惑った様子の蓮を諭す。現にくノ一といえば色≠武器に諜報活動を行うというイメージが定着しているが、その主な働きといえば、奉公に出た先や嫁いだ先の家で、甲賀に有益な情報を聞き得た際には郷土に報告する義務だけだった。ゆわゆるそれは一般的な婚姻生活の中にもある嫁姑の愚痴などを実家に漏らすようなごく当たり前な行為であり、それを義務としているところにくノ一たる所以がある。実際のところ数からいっても男の忍びに比べて格段に少なく、まして遁術や幻術などを使える者などごく稀なのだ。菖蒲のように敵陣に潜入するような危険な仕事を許されるのは、それなりの技量や能力を持ったくノ一のみで、飛猿にしてみればくノ一<Cコール色≠ニ勘違いする甲賀を知らない者が、あたかも知ったかぶって未来ある童女のいるところで言う虎之助の無神経さが勘に触る。一方戸隠流の虎之助にすれば、日の本一と称される甲賀、いわんや飛猿の実力を認めがたいといった嫉妬に似た気持ちもあったのであろう。そんな険悪なムードに終止符を打つため、
 「言い争いはつまらぬ。勝劣は働きで示せ」
 と、脇で幸村が一笑に伏した。
 「働きで示せと申されましても、敵の動きがこうも筒抜けなら既に我らが勝ったも同然。勝ちが見えているのに勝劣を競うのも馬鹿げているかと」
 「用心に過ぎたことはなかろう。戦いというのは最後に勝てばよいものじゃ。松井田の次は箕輪、岩槻、鉢形……まだまだ先は長い。私の算段では北国軍における小田原最後の砦は八王子。あそこが最大の激戦地となろう」
 「だからといって紬問屋に変装して幸村様自らが現地に赴くことなどなかったのでございます。度を過ぎた危険はお控えいただかなければ、この飛猿、命がいくつあっても足りません」
 「どうせそう言うと思って虎之助に伴を頼んだのじゃ。同じ信州育ちゆえか、そういうところでは妙に気が合う、のう虎之助。いずれにせよ八王子が決戦地だ。それまではのらりくらりと風魔に花を持たせて油断させておくのも策のひとつだろう」
 「わざと負けろと?」
 幸村は声を挙げて笑った。
 すると、俄かに耳栓を外した蓮が表情を変え、深い森に囲まれた崇徳寺から、木々しか見えないはずの遠くを見つめた。
 「どうした? 蓮──」
 「誰か来る……お馬さんの足音……、一つ、二つ、三つ……五人いる」
 途端に緊張感を表わした飛猿と虎之助は蓮と同じ方向を向いて耳を澄ましてみたが、忍びで鍛えた二人の聴力ですら、そよ吹く風の音のほかは何も聞こえない。
 「敵か? 味方か?」
 「わかんない……でもお馬さんのおしりを叩くのは男の人の声」
 「おそらく大道寺政繁殿だろう」
 涼しい顔をして幸村が呟いたのは敵であるはずの北条方の松井田城主の名であった。幸村はやがてのっそり立ち上がると、ほどなく蓮が言った通り馬にまたがった五人の武者たちが崇徳寺の境内に姿を現した。そのうちの一人は幸村の予想通り松井田城主大道寺政繁である。
 
> 第1章 > 八百長合戦
八百長合戦
はしいろ☆まんぢう作品  

 実は七日ほど前の時点で大道寺政繁は既に、幸村との間で戦わずして松井田城を明け渡す密約を結んでいた。しかも開城後は前田、北条軍に加わって、小田原討伐に参戦する意思まで伝えていたのである。当時の戦といえば、戦いに敗れれば切腹などしない限り勝者の陣列に加わって戦うのは普通のことだが、戦う前から敵陣の傘下に下ればそれは明らかに裏切りである。その調略を幸村はいとも簡単にやってのけた。なんのことはない──豊臣の世となった国内の情勢を丁寧に語り、北条家の置かれている立場や軍事力の差等、ありのままをそのまま伝えたところ、合理的に物を考える政繁の方からすり寄ってきたのだ。敵陣の寺に悠長に居住まっていられるのも、また、蓮を敵陣内に同行できたのもそのためなのだ。
 ところがそのころ小田原攻めの本陣豊臣秀吉はすでに箱根の山を越えており、
 「松井田城はまだ落ちぬのか!」
 と、その攻略の遅れに神経を尖らせていた。
 「急くのう……」
 と、最近の幸村の悩みはもっぱらそれだった。
 寺の本堂に通された大道寺政繁は、年の頃なら五〇代半ば、彼を含めて五人で訪れた政繁は、両脇に二人ずつ居並ばせるとそのまま胡坐をかいて座った。すぐ両隣りの二人は、おおかた嫡男直繁と若い方はその息子孫九郎で、残りは家老あたりの重臣だろう、せかせかと幸村に会いに来たのだ。虚無僧姿の虎之助はさっそく茶を立てもてなし、
 「幸村様はただいま身支度をしております。いましばらくお待ちください」
 と言い、五人を残して本堂を下がった。寺の境内では相変わらず蓮が毬つきに興じている。
 当の幸村は奥の部屋におり、身支度はすっかり終えているというのに、書物を読んだままいっこうに立ち上がろうとしなかった。飛猿がいないところを見ると、すでに真田昌幸の影武者探しに出て行ったと見える。
 「ただいま五人、茶菓子を出して本堂にて待たせております」
 障子の反対側で虎之助がそう伝えると、
 「うむ。魂胆がいまひとつ読めぬ。しばらく泳がせて様子を見よう」
 幸村は表情ひとつ変えずに読みかけの頁をめくった。
 そのまま一時(一時間)ほど経過したろうか。そろそろしびれを切らす頃合いを見計らうと、
 「虎之助、蓮を呼べ」
 と命じ、境内で毬遊びに興じていた蓮を奥の部屋に招き入れた。そしてちょこんと座わった蓮に、文机の下に置いた南蛮漆器の小櫃から一粒の飴を取り出し与え、
 「蓮や、遊んでいたところを悪かったが、あのおじちゃん達は何を話していたかい?」
 と優しく聞いた。政繁たちにしてみれば、まさか境内で遊んでいる童女にひそひそ話を聞かれているとは夢にも思っていないだろう。
 「なんか、カワゴエとか、ハチガタとか、コモロとか、ハチオウジって言ってた。なんか忘れちゃったけどあそこの土地も悪くないって言ってた」
 脇にいた虎之助が、
 「おおかた戦後の報酬の話しですな。拝領を申し出ようとしているのだ」
 と笑った。現に政繁は過去に河越城代を務め、松井田に来る前は信濃の小諸城を任された経歴を持つ。地の利を知る土地は、領土として自分のものにしておきたいところだろう。また、鉢形や八王子というのはこれから小田原に昇る際に経由する予定の地名であり、松井田に比べれば小田原に近く集落としても規模が大きい。その意図が見え見えではないか。
 「ほかは?」
 と幸村は更に聞いた。
 そもそも大道寺家といえば代々北条家に仕える古参の家臣である。政繁自身、氏康、氏政、氏直と北条三代に渡って仕えてきた。永禄十二年(一五六九)の武田信玄との三増峠の戦いや、天正十年(一五八二)、織田信長が本能寺の変で死んだ直後の織田方滝川一益との神流川の戦いでは、河越衆≠ニ呼ばれる軍団を率いて武功も挙げている。それが北条が危なくなったからといってこうも簡単に豊臣に鞍替えするその心が幸村には理解しかねた。政繁に対して懸念があるとすればそれだった。
 蓮は続けた。
 「オダワラにはまだ知られてないって。あのおじちゃんたち、人をだましているの? 兵隊さんが送られて来てなにか困っているみたい」
 「こりゃ小田原から無理難題を押し付けられたと見える。きっとその相談だ」
 虎之助は前触れもなく突然政繁が現れたことに合点した様子で頷く。蓮は更に続けた。
 「それから、幸村のおじちゃんを手玉にとってみせるって笑ってたよ」
 童とはいえ遠慮のない言葉に虎之助は冷や汗を流して幸村の顔色を覗き込んだ。
 「よし、会おう」
 やがて幸村は虎之助を従えてそのまま本堂へ向かった。
 開城交渉は忍びを通して書面にて行っていたから、実際二人が会うのはこれが初めてである。
 「いやぁ、申し訳ござらん。すぐにでも送らねばならぬ書状をしたためておりました。だいぶお待たせしてしまいましたな」
 「いや、なんの。こちらこそ突然お伺いしてしまいましたからな。事前に連絡しなかった当方が悪いのでございます」
 幸村より年の功が勝る政繁は、一層謙虚な姿勢でそう答えると、両脇に控える嫡男直繁と孫九郎を紹介した。
 「して、今日はどのような赴きで?」
 「それが……」と、政繁は目で直繁に合図すると、一通の書状を幸村に見せた。それは小田原の北条氏政からの下知で、上野国との国境の要、碓氷峠を死守せよとの主意が書かれたものだった。幸村は今更のように、
 「北国から豊臣の前田軍が北条を攻める。碓氷峠を越えて最初に突き当たるのが政繁殿の松井田城、北条の立場なら貴殿が守るのは当然の話。こんなことは端から承知の上で無血開城を約束されたのではないのか? そのような下知は捨て置けばよいではないか。一日も早く城を明け渡してもらわねばこちらが困る」
 「それがその……そうもできない事情ができまして……」
 と、政繁は小田原から一〇〇名の兵を引き連れて派遣されて来た凄腕の武将が松井田城に入城したことを伝えた。
 「その者の名は?」
 「与良与左衛門と申しまして、生まれは信州、元は武田に仕えていたようですが、なにせ馬術が達者な上に長槍の名手にございまして、気性が荒く、『戦はいつじゃ! 坂東武者の心意気を見せてやれ!』と盛んに騒ぎ立てるものですから、松井田城内に控えた二〇〇〇名ほどの者たちもついその気になって、日に日に抗戦の機運が高まっているのでございます」
 「ヨラヨラとすぐに倒れてしまいそうな弱そうな名じゃの。そんな者は毒殺でもなんでもして殺してしまえ」
 虎之助が他人事のように言い放った。
 「ただでさえいきり立っているのに、そんなことをしたら与良一〇〇名の派遣兵が暴発して大混乱です。私としては極力穏便に事を運びたい。何か良い手段はないかと、こうして真田様のお知恵を借りに来たのでございます」
 政繁の言葉に嘘は見当たらない。
 「それは困りましたなあ。こちらにも太閤秀吉様からしきりに書状が届いておりましてな。たった今も、付城を築いて攻撃を強化せよとの命令が来たばかりなのじゃ。そして直ちに松井田城周辺に火を放ち、篭城軍の士気を削いで兵糧攻めに入いれ──と。いかがしたものか?」
 幸村はうそぶいた様子でそう言った。
 「それはちょっとお待ちください」
 政繁は焦燥して苦笑いを浮かべた。
 なるほどこの大道寺政繁、表向きは勇猛な軍人のように見えるが、実質はどちらかといえば文人──というより商人としての気質が強い男だった。特に内政手腕に優れ、河越城代を務めていた頃は領内の治水事業をはじめとして、金融商人を積極的に登用したり、掃除奉行や火元奉行などを設けて城下の振興と発展に尽くした。また、八王子から日光へ至る後に千人同心街道と呼ばれる街道沿いに坂戸宿を開いたり、鎌倉代官としては寺社の統括にも尽力していた。
 幸村は少し困り果てたふうを装ったが、やがて妙案でも思いついたように、
 「その与良与左衛門とやらを抑えることができぬのなら、戦をするしかあるまい」
 と涼し気に言った。
 「それは困ります! 時世がこうなった以上、この大道寺駿河守政繁、豊臣と共に戦おうと決意しておりますのに、最初から勝ち目のない相手と戦いでもしたら松井田など壊滅です。後の戦いのために兵力は温存しておきたい」
 その焦り様に幸村は声を挙げて笑った。どうやら政繁に対して抱いた懸念は杞憂だったようである。「やはりこの男、小者だ」と思ったのだ。
 「戦をするといっても本気でするわけではない。戦う振りをするだけだ。実際戦うのは与良与左衛門と我が軍のみ。そなたの兵は勇敢に戦っている素振りだけ見せておればよい。そうよのう、見分けが付くように腕に白い布でも巻いておけ。我が軍には攻撃せぬよう伝令しておくゆえ。さすれば政繁殿の坂東武者としての名誉も守れるのではなかろうか?」
 「なるほど──八百長合戦というわけですか!」
 と、政繁は幸村の才に感心したように手を打った。と、すかさず目の色を変えて、
 「で……いまからこんな話も難ですが……この戦が終わった暁には──」
 幸村は蓮から聞いたことだとすぐに察しがついた。
 「知行のことであろう。分かっておる。川越だろうが鉢形だろうが小諸だろうが、あとは八王子か? 好きな場所を申せ。関白秀吉様に進言しておこう」
 政繁は「なぜ知っているのか?」と驚いたように直繁らと目を合わせると、
 「ありがたき幸せ! さすればこの政繁、身命を賭して戦禍を挙げて御覧に入れましょう!」
 と平伏した。
 「狸商人め──」
 虎之助は心の中であざ笑った。

 かくして、大道寺政繁と真田幸村が碓氷峠で八百長合戦を演じたのはそれから間もなくのことである。
 切り立った妙義山のふもと松井田坂本に、前田、上杉軍を迎え撃とうと大道寺政繁隊八〇〇の兵が集結した。腕にはみな白い布を巻いている。一方、前田、上杉軍からは真田幸村隊が本軍より一足先に威風堂々と姿を現した。それを坂本の町はずれの坂へ上からいち早く目撃したのは、一番槍で手柄を挙げようとしている血気盛んな武者である。馬にまたがり十文字の槍を提げて、頭上でブルンとひと振りすると、脇に抱えて磐根石という地籍の辻堂のある所で迎え立った。その勇猛そうな男こそ与良与左衛門──よもや松井田城主の大道寺政繁と敵将真田幸村が通じているなど露ほども思っていない。
 「拙者、北条家家臣与良与左衛門と申す! 信州で産湯をつかり、元来は甲州侍であるが、このたび小田原より加勢に参った! 我こそはと思う者は前に出で、いざ尋常に勝負!」
 と叫んだ。政繁隊の中で騎馬に乗っている者は与良だけだったので、その存在はひどく目立つ。すると幸村隊の中から一人の男が、
 「我れは真田家嫡男真田信幸が家人吉田政助と申す! お相手仕ろう!」
 と勇み出た。軍の中でも腕に覚えのある剣術の達人らしい。日本に鉄砲が伝来してより半世紀、天正三年(一五七五)織田信長による長篠の合戦で華々しいデビューを飾った火縄銃であるが、田舎の方ではまだまだ戦といっても平安時代以前の一騎打ちなどごく普通に行われていた。名乗り合った二人はつつつと前へ進み出て、互いの間合いを測って身構えた。騎馬上で槍を構える与良に対して、吉田政助と名乗った男は長い大太刀を握っている。
 間もなく「えいっ!」という掛け声と同時に槍と大太刀が火花を飛ばし、そこから一進一退のチャンバラ劇が始まった。与良と彼が率いる一〇〇名の兵だけは命を賭けた本気の戦闘である。その様子を見計らい、吉田政助やや不利と見極めた幸村は、近くにいた飛猿に合図を送った。それを受けた飛猿は、その場からすっと姿を消すと、まさにいま行われている一騎討ちが一望できる見晴らしの良い坂の上の高台にやって来た。そこには桑の木が生えており、木の根元ではひっそりと息をひそめて戦いの成り行きを眺める男が一人。
 「主水、やれ」
 飛猿が言った。その男は鉄砲の名手で名を富沢主水と言う。
 「本当にいいんですかい? あっちは正々堂々とやり合っているのに、ちと卑怯じゃありませんかね?」
 「戦に卑怯もヘチマもないわい! いいからやれ」
 「へえ……」
 と、富沢主水は桑の木を台にして、火縄銃の筒先を与良に向けて身構えた。次の瞬間、パンッ!という大きな破裂音がしたかと思うと、騎馬の上からまさに最後の一撃を喰らわそうと十文字の槍を頭上に構えた与良の脳天から一筋の鮮血が飛び散り、その身体が大きな音を立てて馬上から落ちた。
 「なにがあった?」
 と、一騎打ちに歓声を挙げていた者たちは固唾を飲んで、しばらくは無言の空気を作り出したが、それが与良与左衛門の最後であったことを悟ると、与良を大将に担ぎ上げていた小田原派遣の一〇〇名の兵たちは、大声を張り上げて一斉に幸村隊に突進して来たのだ。
 磐根石の通るだけでも困難な狭い場所は、瞬く間に大乱闘の戦場と化した。ところが与良隊の背後に控えていた腕に白布を巻いた政繁隊はといえば、手にした太刀で空気を斬っていたり、突っ込む振りをして引き返したり、鉄砲を握る者は空に発砲したりと、大声ばかりを発して賑わせ役を演ずるばかり。こうなっては多勢に無勢、最初の与良隊の勢いも束の間で、アッと言う間に鎮圧させられた。
 こうして真田幸村は、自らの手を汚すことなく敵を追い崩して名を挙げる。
 その後手筈通りに、大道寺政繁が内外に降伏を表明して松井田城を明け渡したのが四月二十日のことだった。その後政繁は前田軍の一員として、各地で大暴れすることになる。
 
> 第1章 > 鉢形城下のめ組
鉢形城下のめ組
はしいろ☆まんぢう作品  

 松井田城が落ちてからというもの、前田、上杉、真田の北国軍はその周辺の小田原支城を次々と陥落させていく。もともとこのあたりにある城は地理的に国境付近に位置しているため、武田、上杉、北条等の勢力争いの時代から絶えず時の情勢に影響されながら生きるしかない宿命を担っている。北条攻めのこの時は、たまたま北条勢力下にあったというだけで、織田信長の絶頂期には傘下の滝川一益の支配下にあったし、それ以前は武田と上杉の間を行ったり来たり、おのずと支配者に対する忠義心も薄くなり、世の中が豊臣の時代になったといえば、家の命運を賭けてまで北条に組しようとする者は稀だったと言ってよい。
 道案内を買って出た大道寺政繁を得た北国軍は、厩橋城(前橋城)、箕輪城と、大きな戦いもせず開城勧告などだけで難なく落とす。
 ところが秀吉にしてみればそれがどうも気に入らない。
 「もっと派手に戦って、豊臣に逆らえばどうなるか、天下に思い知らせてやれ!」
 と言うのである。現に秀吉本陣の豊臣秀次を総大将とした七万の部隊は三河国山中城を攻撃し、織田信雄を総大将とした四万の部隊は伊豆国韮山城を攻め、北条側に甚大な被害をこうむらせている。
 「遅い!」
 と、やきもきする秀吉は、ついに武蔵国、上野国などの各方面へ援軍部隊を派兵した。そうして上野方面にやって来た浅野長政、木村重茲と徳川四天王の一人本田忠勝らは、幸村たちのいる北国軍が攻めようとしていた岩槻城を先に攻撃し、千名余の犠牲者を出させて瞬く間に落城させると、そのまま北国軍と合流して次なる鉢形城へと向かった。豊臣軍の進撃はまさに破竹の勢いで、その背景には、各支城の兵力のほとんどが籠城戦のため小田原城に集結していたことが挙げられる。
 こうして各方面へ武力行使の檄を飛ばす当の本人秀吉はといえば、小田原城を眼下に一望できる笠懸山(石垣山)に陣を敷き、新たな城を築きはじめた。海からは長宗我部元親、宇喜多秀家、九鬼嘉隆らの兵糧輸送を兼ねた水軍を出動させて、完全に小田原城を包囲する格好になった。そして世に言う一夜城のパフォーマンスを披露したかと思えば、大坂から側室の茶々や茶人千利休を呼び付けて、茶会や能楽を開いて余裕綽々のふうを見せつけ、
 「我こそ天下人じゃ!」
 といった強烈なアピールを下々の庶民にひけらかすのだ。
 次々と支城陥落の知らせがもたらされる小田原では、
 「やられっぱなしじゃねえか。猪助さんよ、こんなんで本当に北条は勝てるのか?」
 と、小太郎が鼻をほじりながら言う。痛めた舌もだいぶ良くなり、言葉もはっきり発音できるまで回復している。おまけに風魔党二番頭に向かって上から目線で「猪助さん」と呼ぶようになったのは甚だ無礼で、
 「貴様なに様だ! 小田原は籠城の城じゃ、心配するな」
 と、内心穏やかでない猪助は怒った。
 「早く動かぬと真田昌幸が小田原まで来てしまうぞ」
 「うるさい分かっとる! 準備は進んでいる。鉢形へ行くぞ」
 「鉢形? そこでやるか?」
 「あそこは″め組≠フ管轄だ。″い組≠フ手の空いた連中を引き連れて行けば三、四十名くらいになる。そこで例の作戦で一気に片を付けてしまおう」
 「ならば八王子を通るな。すぐに出るのか?」
 「無論」
 「ではわしは別で行く」
 と言って小太郎は猪助の前に手を差し出した。
 「なんじゃ?」
 「印籠じゃ。ほれ、八王子城に百合という侍女がいただろう。親の形見だと言っておったアレじゃ。大事な物のようなのでわしは別行動であの女に返してから鉢形へ向かうことにする」
 と惚けつつ、猪助の目を盗んでは屯所を抜け出し、たまに菖蒲に会っている。それを猪助は、彼が二度と帰らぬ覚悟でいるのだと勘違いした。
 「屁理屈ばかり言うくせに意外に律儀なところがあるの」
 と、感心した様子で用土家家紋の入った印籠を返した。謀や欺が日常の忍びの世界に棲むくせに、こうした義理堅い行為が好きな男なのだ。
 「鉢形に着いたらどこに行けばよい?」
 「城下町に『恵』と言う名の髪結いの店がある。そこが″め組≠フ拠点だ」
 「髪結い?」
 小太郎は変わった職業に首を傾げた。それに、「″め組≠ニ『恵』を掛けるとは風魔にしては洒落てるじゃないか」と付け加えた。
 「組頭の名をお恵さんと言うんだよ。風魔きってのくノ一だ」
 「女組頭か! 美人か?」
 「そりゃぁもう! 八十過ぎの梅干し婆さんだがな」
 小太郎のがっかりした様子に猪助は腹を抱えて笑った。
 「急に行く気が失せたわ。そんな婆さんをよく頭なんぞに据えておくのう。風魔の実力が知れる」
 「あなどると痛い目に合うぞ。お恵さんは幻術の使い手だ」
 「幻術……?」と小太郎は鼻で笑った。彼は幻術など信じていない。昔父からそういうものがあるという話は聞いたことがあるが、そのやり方を教えてくれる者など身の周りに一人もなかった。そのはずである、誰もできないのだ。それでも噂話をかき集め、「もしや」と思ってひと月ほど山に籠ったこともあるが、修行の途中で大きな蜂に刺されてげんなりと山を逃げ降りた。
 「それに」と猪助は続けた。
 「占いができる。なんでも蒙古に伝わる暦から占うらしいが、過去も未来も十中八九当ててしまう。なんでもチンギス・ハーンの世界征服の陰にはその占いができる占星術師がおったらしくての、どこで覚えたか知らぬが婆さんの十八番なのさ」
 これまた小太郎は鼻で笑い、
 「そりゃいいわい。さっそく着いたら風魔が甲賀に勝てるか占ってもらおう」
 と聞き流して二人は別れたのである。
 小太郎は単独行動で八王子城の御主殿の滝に行くと、いつかも使った超音波を発する“呼び笛”を吹いた。会いに来たことを知らせるのに何か良い手はないかと菖蒲と話した時にこの手段を思い付き、吹いてみれば彼女にもかすかだが「聞こえる」と言う。「ではこの滝でこれを吹くゆえ聞けたらわしが来た印じゃ」と、以来それが二人の間の約束事になった。
 半時もすると菖蒲が姿を現して、
 「今日はなんじゃ?」
 とぶっきらぼうに言った。
 「いよいよ風魔が動くぞ。これを返しに来た」
 と例の印籠を手渡すと、つい先ほど聞いた鉢形城下で真田昌幸を狙うことから、風魔は三、四十名の騎馬を使った戦法をとることや、鉢形城下町には幻術使いのくノ一がいることなど、猪助から得た情報を包み隠さず伝えるのだった。そしてひと通りの話しが済むと、なにかをねだるように菖蒲の顔をじっと見つめた。二人の間での暗黙の了解で、話の内容が有益な情報であれば菖蒲が小太郎に接吻するのである。
 「仕方がないのう、褒美じゃ。目をつむれ」
 と、菖蒲は自分の唇を小太郎のそれに重ねた。小太郎はまさに飼い馴らされた犬である。
 「今日のはもうちと価値があると思うが……」
 「仕方がないのう──」
 と、も一度菖蒲が唇を合わせると、小太郎は無意識のうちに菖蒲の襟もとから手を滑り込ませ、その柔らかい胸を揉み始めた。
 菖蒲は小太郎の股間を蹴りつけた。小太郎は犬のような悲鳴を挙げる。
 「調子に乗るな!」
 うずくまる彼を置いて、菖蒲は御主殿へと帰って行った。

 さて、こうして鉢形城下に到着した小太郎は、さっそく『恵』という髪結いの店を探した。
 鉢形城はその築城年代は定かでないが、文化、文政年間(一八〇四〜一八二九)に編纂された武蔵国の地誌『新編武蔵風土記稿』には、平安中期すでに平将門が館を築き、源経基がこの城にたむろして攻撃したという記述がある。いずれにせよその歴史は古い。後北条氏のこの時代は、上杉と北条と武田との勢力争いの中で周辺支城の中心として防衛の要としての役割を担ってきた。そんなことから城下町は、鉄砲小路や鍛冶小路などの地名が後に残るほどの軍需産業の町であり、今は北条氏邦の居城である。このときほとんどの支城の城主は小田原城に集結していたが、氏邦は「こたびの戦いは大規模な野戦をすべき」と強く主張し、小田原籠城戦を主張する者達と対立して鉢形城で敵を迎え撃つ覚悟を決めていた。
 軍需の町には男の職人が多く集まる。おのずと色町も形成されていく。この当時の髪結いの仕事といえば主に女郎を相手にした女髪結いで、たいてい女郎小屋が隣立する色町あたりに店を構え、『廻り髪結い』といって客に呼ばれると道具を持ってその小屋に出張し、女郎の希望に合わせて髪を結ったり、化粧や着付け、その他諸々の容姿全般に関わるサービスを提供した。なるほどそのような場所にはゲスな噂話から特殊機密までくそみそ一緒の様々な情報が集まるわけで、「うまいことを考えたな」と小太郎は感心しながらようやく見つけた店の暖簾をくぐった。
 中に入ると臭いほどの香の薫りが立ち込めており、一瞬彼は顔をしかめた。しかし暫くするとその匂いは心地よいものに変わり、急に気分が優れてくるのを感じた。
 「頼もう! 誰かおらぬか?」
 小太郎が声を挙げると、中から三十路前後の美しい女が現れ、彼はその美しさに目を見張った。
 「ここにお恵さんという婆さんがいるはずだが、知らんか?」
 「伊賀の甲山小太郎様ですね。猪助さんから聞いております。わたくしがその恵でございます」
 「ウソを申すな。猪助から八〇過ぎの梅干し婆さんと聞いておる」
 「まっ、御冗談を。確かに今年三十路を迎え、とっくに娘盛りは過ぎましたが、八十の老婆とは猪助さんも御冗談が過ぎますねぇ」
 と上品に笑う。容姿も美しければその笑い声まで美しい。小太郎はうっとりとその女に見惚れ、「さては猪助め、わしを驚かせようと嘘を言ったな?」と合点して、恵に誘われるまま店の部屋に上がり込んだ。
 「ときに、猪助はどこじゃ?」
 「あら、大組頭である猪助さんをつかまえて呼び捨ては良くありませんわ」
 小太郎はいつしか彼を呼び捨てにしている自分に初めて気づく。
 「わしは伊賀者じゃ。どうも風魔の習いには馴染めぬ。悪意はない、許せ」
 恵は微笑むと「こちらに着いてすぐにどこかへ行きました。お帰りはいつになるか分かりません。小太郎様が来ましたらここで待つよう仰せつかっております」
 小太郎は「では暫く寝かせてもらう」と、部屋の真ん中にごろりと寝ころんだ。
 「することがないのならお髭でも剃りましょうか?」と恵が言った。髪結いは客が男であれば髭も剃ったし耳も掻く。小太郎は口の周りに手を当てて無精髭が伸びていることを気にした。
 「髪結いの専門家に髭を剃ってもらったことなどないが折角じゃ、ひとつお願いしよう」
 とその言葉に甘えることにした。
 すると恵は彼の頭の脇に寄って正座をすると、太腿をポン、ポンと二度ほど叩いた。ここに頭を乗せろと言っている。小太郎は言われるまま少し照れくさそうにその膝枕で横たわると、恵は湿った布を顔にかぶせ、道具箱からきらりと光る剃刀を手に取った。刃物に敏感な小太郎は、一瞬敵意に似た殺気を感じたが、ジョリジョリと剃刀が頬を走り出すと、やがて心地よさにうっとりとして目を閉じた。それが終わると、
 「お耳もついでに掻いておきますね」
 と、恵は道具箱から耳かきを取り出し耳を掃除しはじめる。
 「小太郎様はおいくつになりますの?」
 恵が怪しげな艶のある声で聞いた。
 「今年二十二になる」
 「お若いですのね──」と、恵の体から漂ってくる甘い香りが妙に気になる。小太郎は男と女のまずい空気を感じながら、胸がドキドキしてくるのを覚えた。
 するとあろうことか、耳搔きの手が止まったと思うと、恵の右手は小太郎の手を掴み、自分の襟もとにそっと忍び込ませると、ぐいっと押し当てて溜息だか吐息だか分からない妖艶な声を挙げた。小太郎はゾクっと驚いて、ここに来る前に立ち寄った菖蒲の柔らかな乳房を思い出すと、急に罪悪感に駆られて手を引っ込めた。
 「ウブね……」
 と、恵は目を細めて微笑むと、今度はその右手を小太郎の臍と袴の間から股間に伸ばし、その大きくなった生殖器を優しくさすりはじめた。小太郎は何が何だか分からないままその心地よさの中に飲まれていったが、突然脳裏に菖蒲の顔が目覚めると、
 「やめよ!」
 と飛び起き、
 「困る! わしには心に決めたおなごがおる!」
 と叫び、快楽に麻痺した思考を呼び覚まそうと、恵の道具箱の中から先の尖った道具を掴み取り、夢中で自分の肘の内側に突き刺した。
 これは“目覚ましの術”である。脳が何らかの理由で働かなくなった際に、自分を正気に立ち戻らせるための術であるが、一般的には眠気を覚ます時にごく普通に使う。が、場合によって、例えば相手の話術に乗せられて正しい判断が付きかねたり、欲望の虜になって己を忘れたとき、あるいは特殊な場面としては催眠術にかかって我を失ってしまったりした時に役立つ。人間の肘の内側には痛点が集中しており、そこに強い刺激を与えると激しい痛みを感じ、自分を取り戻すことができるのだ。効果的な場所としては肘の内側のほか膝の裏側や首の回りもそうだが、最も利き手でやりやすい箇所が左肘の内側なのである。そのほか鼻や人中や唇と言う者もあるが、これは後で傷が残る心配があるのでそこに刺す者はほとんどない。
 その激痛の電撃が身体中に走った瞬間、小太郎は我に目覚めて驚愕した。そこには背の曲がったヨボヨボした老婆が一人、左手に耳搔きを握って座っているではないか。
 「なんじゃ、小太郎さんには好いたおなごがおるのか?」
 とその老婆は続けていたが、小太郎は唖然としたままその皺で潰れた顔を凝視した。
 「いったいどういう訳じゃ? あんた、本当に恵さんなのか?」
 「いかにも──」と、突然今にも死にそうな笑い声を挙げながら「術が解けてしまったか」と苦しそうに笑い転げた。
 実は小太郎がこの店に入った瞬間から恵の幻術にかかっていたのだ。あの異様な香の薫りがそれだった。香の中に強い麻薬性のある植物のエキスが混ざっているのであろう。その香りを嗅ぐと脳を麻痺させる効果を生むらしい。どうやら風魔には、人の意識を朦朧とさせ、幻影を見させるいわゆる幻術が本当に存在するようだ。小太郎は狐につままれたように次の言葉を失った。
 「猪助さんがの、『幻術を馬鹿にしていたから挨拶代わりに見せてやれ』と申してな。しかしよくこの術から逃れたものじゃ。長い間生きとるがお前で二人目だ。もう一人は甲賀の──なんと申したかの?」
 「飛猿か?」
 「そうじゃ、猿じゃ。赤い顔をしておった」
 小太郎は心の中で「あの赤猿め!」と思った。
 
> 第1章 > 蒙古占い
蒙古占い
はしいろ☆まんぢう作品  

 猪助はいまだ帰って来ない。
 幻術の存在に大きな衝撃を受けた小太郎はすっかり黙り込んでしまった。
 「だいぶ驚いているようじゃのう。あんなものはまだ序の口じゃい。本気でやったらお前など廃人にしてくれるわい」
 小太郎は恵婆さんの顔をキッと睨んだ。
 「いったいどういう絡繰りじゃ? あの匂いの香の中には何が入っている?」
 「阿呆、よそ者に風魔相伝の秘密を教える馬鹿がどこにおる。そこまで耄碌しとらんわい」
 「後継はおるのか? なんならわしが継いでやる手もあるぞ。どうせ老い先もないだろう」
 「余計なお世話じゃ。残念だがわしには四〇人の子がある」と、店の離れで暮らす子供たちの話をしはじめる。女郎たちが産み落として育児を放棄された孤児たちを引き取り、自分が育てているのだと言う。大きい者は既に五〇を越えるが、まだ乳飲み子もおり、風魔党“め組”はその子供たちで構成されているらしい。幻術はその者達に伝えてあり、一人前になって他の組で活躍する者もいるからそれを含めれば一〇〇名以上は養育したはずで、ここで暮らす者は今、猪助に伴って出払っているのだと言った。
 小太郎は「しまった」と思った。猪助は昌幸暗殺を騎馬を使った戦術でやると話していたが、正確には幻術を使いながら騎馬でやるのだ。そのことを菖蒲に伝えられなかったことを今更のように悔やんだ。
 「腹が減っただろう? 何人かは残っているはずだから紹介するわい」と、婆さんは店内に吊り下がっている土瓶ほどの大きさの鐘を無造作に叩くと、やがて店に一人の若い女が現れた。
 「婆上、呼んだか?」
 「楓、すまぬがこの男にめしでも作ってやってくれ」
 楓と呼ばれた若い女は「また術を使ったのか?」と鼻をつまみながら店内に入り込むと、小太郎の顔をチラリと見て「ぷっ」と笑った。年の頃なら十七、八、美人ではないが人懐っこそうで可愛げのある顔付きの女で、小太郎は身づくろいを整えると胡坐をし直した。
 「変な気を起こすなよ。既に夫もいる」
 「人のあそこをさすっておいてよく言うわい!」
 小太郎はそれより顔を見られて笑われた事の方が気になる。楓は再び顔を見て「ぷっ」と吹き出した。
 「なにが可笑しい?」
 「えっ?」
 「“え”ではない。いま、わしの顔を見て笑ったろう?」
 楓は少し言いにくそうに、
 「だって──女難の相が出てるから」
 と、また顔を覗き込んで三度「ぷっ」と吹く。
 「楓は人相占いをやっておるのだ」と婆さんが言ったので、小太郎は面妖そうに顔を数度こすってその奇特な若い女から目をそらした。言われてみれば思い当たる節がある。この店に来た途端、美しい女に犯されそうになり、結局それは婆さんだったが女に違いはない。それに菖蒲のことにしても、舌を噛み切られた上に今では下僕となり下がり、接吻をエサにいいように使われている。これも難といえば難に思える。
 「ちょうどいい鮎があるじゃないか」と、楓が作り始めたのは鉢形あたりではよく食べられているという鮎めしで、鉄釜に米を入れて出汁で浸して囲炉裏に吊るし、その周りで串刺しの鮎を焼き始めた。
 楓が人相占いができると聞いて、小太郎は猪助が言っていたチンギス・ハーンの陰にいたという占い師の話を思い出した。
 「婆さんもできるそうじゃないか。ここに来たら一つ占ってもらおうと思っていたが、此度の戦い、風魔と甲賀、どちらが勝つ?」
 すると婆さんはとっくに知っているといった顔をして「風魔に決っとる」と言った。
 「占いもせずになぜ分かる?」
 「少し前に占った。ちゃんと風魔と出たわい」
 「ならば北条と豊臣、どちらが勝つ?」
 「それは──」と言いかけて、婆さんはふと言葉を止めた。
 「お前はよそ者だから教えるが、猪助たちにはけっして言うでないぞ。戦意をくじくことになるからのう」
 「では──やはり……」
 恵婆さんは静かに頷いた。小太郎は占いなど信じてないが、こうも真顔で答えられては「何かありそうだ」と思わずにいられない。脇の楓は北条家の行く末を心配する様子もなく、
 「ねえ、この男の将来も占ってあげなよ。好きな女がいるみたいだしさ!」
 と、また小太郎の女難の相を見て、からかうように口をはさんだ。すると婆さんも、
 「そういえばさっき、心に決めた女がおるとか言っておったなあ」と囃したてた。
 楓の話によれば、恵婆さんの占いは“蒙古占い”といって、蒙古の暦に基づいて占う占星術らしく、占う対象の主だった事象を暦に照らし合わせると、蒙古石にその未来が映し出されるのだと言う。風魔の中でもその占いができるのは婆さんだけで、楓を含む他の“め組”の者たちでも、いくらやり方を教わってもできないのだそうだ。婆さんによれば、
 「血で読むのじゃ」
 らしく、自分は風魔一族の血を引いており、その昔、風魔一族は海を渡った大陸からこの地に住み着いた蒙古の血を受けついでいるからだと言った。風魔が騎馬戦術を得意とするのもそのためで、どこの馬の骨とも知れぬ女郎から生まれたお前(楓)たちには「所詮無理なのじゃ」と諭した。それに、
 「蒙古占いは時世を占う高貴なもので、恋占いなんぞには使えぬ」
 とぼやく。
 「あら、おかしいわ。私と鼠のことは占ってくれたじゃない」
 鼠というのは楓の夫の名である。二人が一緒になる前「非常に相性が良い」と占いの結果を教えてくれたのだと楓は照れくさそうに言った。
 「女はそういう話になると目の色を変えるから好かん」
 小太郎は馬鹿らしくなって身体を床に横たえた。
 「男は皆そう言うが、誰と誰がひっつくかという話は、その者の人生、もっと言えば世の行く末を決定づける可能性をはらむ重大問題じゃ。伊賀の若僧よ、ここに来たよしみで教えてやるが、人の歴史は、男を陰で操る女が作っていると言ってもよい。そう言うお前の将来が気になってきた。ひとつお前とその女の行く末を占ってやろう」
 と、しなびた箪笥の中から一面に意味の分からない記号が刻まれた大きな机と、瑪瑙の一種であろうか彼女らが“蒙古石”と呼んでいる赤と緑の混ざった漬物石ほどの大きさのごつごつした岩を、楓に手伝わせながら重そうに取り出すと、囲炉裏の前に大切そうに置いた。
 「小太郎、お前の生まれはいつじゃ?」
 「生まれ? 永禄十二年如月じゃ。それがどうした?」
 と言いながら彼は「何が始まる?」といった顔つきで体を起こした。
 「その女の生まれは?」
 小太郎はふと首を傾げた。菖蒲とそんな話などしたことがない。年は二つほど上であるが、誕生月についてはなんと言っていたかとんと分からぬ。しかし菖蒲という名の由来を聞いたとき、「産まれた時に花菖蒲が咲き乱れており、それが私の名となった」ことや、その日は節句で「邪気払いに産湯に菖蒲を漬けたそうだ」と言っていたことをふいに思い出し、
 「永禄十年端午の節句の日じゃ」
 と答えた。
 「年上かぁ」と、楓は興味津々とした様子で言ったが、婆さんの方は机に刻まれた無数の記号を指で追うと、目を閉じて呪文のような言葉をつぶやき、次の瞬間パッと目を見開くと蒙古石のごつごつした表面を睨むように凝視した。
 すると──
 「異国の神が見える。その女、ひょっとしてキリシタンか?」
 小太郎は驚き、「なぜ分かる?」と婆さんの隣りに寄っていき、凝視している石の表面を見てみたが何も見えはしない。婆さんは続ける。
 「その女の生命は両極端じゃの。菩薩と第六天の魔王が同時に住んでおるぞ。己でも制御できずに苦しんでるようじゃ──こりゃ一緒になっても苦労しそうじゃのう」
 「余計なお世話じゃ」と言いつつ、思い当たる菖蒲の言動が小太郎の脳裏にちらつく。
 「まあ安心しなされ。女もお前のことが好きなようじゃ」
 「そうか!」と小太郎は喜びを隠せない。
 「しかし変じゃのう──?」と婆さんは言葉を止めた。
 「どうした? 何が見えるのじゃ?」
 「それが……女の未来が見えん──どこか遠い異国へ行ってしまったか、あるいは……」
 「あるいは──なんじゃ? 教えろ!」
 「だが、女を必死で追いかけているお前がいる──これは日本ではないな……どこだ?」
 「ではなにか? わしは将来、菖蒲のケツを追っかけて異国へ渡るということか?」
 今ここにいるのも同様、菖蒲を追いかけて来た自分を顧みて、その成長のなさに愕然と肩を落とす小太郎である。
 「ふ〜ん、アヤメっていうのかい。残念、一緒になるのは難しそう」
 楓が他人事のように笑ったので、小太郎は「いちいち気の障ることを言う女だ」という顔を作って、
 「もうよい。将来を知ったところでどうなるわけでもなかろう。わしは占いなど信じん! 寝る!」
 と言って、もといた場所に戻って横になってしまった。
 「鮎めし、もうすぐできるよ」
 「いらん!」
 楓は「すねちゃった」と笑いながら、鮎の焼き面を裏返した。

 猪助が“め組”の拠点に戻って来たのは、その日も暮れた真夜中の丑三つ時を過ぎた頃である。恵婆さんと楓が夜なべをしながら雑談をしている反対側で、小太郎は囲炉裏に背を向けて鼾まじりの寝息をたてているところへ、
 「小太郎、着いたか」と猪助は入りざまに声をかけたが、起きる様子のない寝姿を見て「七日七晩寝ずとも働けると申したくせに」と呆れ、次に楓に目を向けて、
 「楓も来ておったか。鼠が帰ったぞ。大手柄じゃ! 倉賀野城に忍んで敵の軍議をすっかり聞いて戻って来たわ。逃げ戻る際に少し怪我をしたようじゃ。手当てしてやれ」
 と言った。倉賀野城とは鉢形城の支城の一つで、北国軍はもうすぐそこまで迫っていた。楓は「そうか!」と叫ぶと、まるで恋人に会う時のように出て行った。
 猪助は囲炉裏の釜の中の鮎めしを見つけると、「ありがたい、いただくぞ」と言って丼によそい、がつがつと旨そうに食べ始めた。
 「ところでお恵さん、例の物は準備できてるか?」
 猪助がめしを口に含みながら、もぐもぐとした口調で言った。
 「猪助、行儀が悪いぞ。食うか喋るかどちらかにしろ。全く育ちの悪さは隠せんのぉ」
 と恵婆さんは呆れた口調で言ったが、その様子が何かおかしい。両手で様々なジェスチャーを作って猪助に信号を送りながら、顔付が明らかに言葉の内容とは異質の緊迫感を伝えていた。猪助にはそれが風魔の手話であることがすぐに知れた。恵が手話で伝えた言葉とは、
 『声を出すな。この伊賀者、敵と通じておるかもしれん』
 だった。それを受けた猪助は、
 「このめしは楓が作ったのか? いつのまにか料理の腕を上げたな、うまい!」
 と言いながら、茶碗と箸を置いて、
 『そんなことはあるまい。腕も立つし、見かけによらず義理堅い』
 と手話で返した。恵婆さんは続けた。
 『さっき占いでこの男の心を覗いたのじゃ。なにやら我らに知られてはまずい秘め事を持っているようだ。伊賀に、眠りながら人の話しを盗み聞く“寝だめの術”があると聞いたことがある。伊賀者は信用ならん。この男、寝た振りをして我らの話を聞いているかもしれん。用心に越したことはない。手話で話そう』
 猪助は「まさか」という表情を作って手枕で横になっている小太郎の背中を見つめた。
 案の定、小太郎は“寝だめの術”で、猪助が部屋に入って来た時からすべての会話を無意識のうちに聞いている。そして楓の夫である鼠が敵陣に忍んで帰って来たという話を聞いた時、「そんなことはあるまい」とすぐに思った。あの飛猿が風魔の二流、三流の忍びの気配に気づかず、しかもやすやすと取り逃がすはずがないのだ。「わざと泳がせたな」と、自分の情報が真田に伝わっていることを感じながら菖蒲の姿を思い描いた。
 その背後では猪助と恵婆さんの手話による会話が続く。
 『鼠がどんな情報をもたらしたのだ?』
 『敵はいま倉賀野城にいる。鉢形をどう攻めるか軍議を開いたらしい。その話を床下に忍んでそっくり聞いたのじゃ──それはそうと例の準備はできたのか?』
 『ぬかりはないわい。“まやかし玉”三〇〇と“め組の幟”人数分、きっちり揃えた』
 二つとも幻術に必要な道具である。
 『腕が鳴るのう、甲賀忍者どもに目にもの見せてやる』
 恵婆さんは小太郎の背中に目を向けた。
 『この伊賀者は陣列に加えるのか? やめておけ、我らの手の内を教えるようなものじゃ』
 『お恵さんの言う通りにするよ』
 猪助は喰いかけの鮎めしをかき込んだ。
 
> 第1章 > 倉賀野軍議
倉賀野軍議
はしいろ☆まんぢう作品  

 上野国の支城はことごとく豊臣軍が制圧した。前田利家を総大将とする北国軍は、いよいよ武蔵国に侵攻するため、倉賀野城周辺の神社仏閣や近くの支城などに軍隊を分散させると、兵に暫しの休息を取らせた。土着の農民に扮した鼠は、前田利家や上杉景勝ほか、各部隊の大将らしき武将達が倉賀野城に入城していくのを見届けると、夜を待って忍び装束に変じ、敵の知らない抜け道を通って城の中へと忍び込んだのだった。
 本丸御殿の大広間に次々と武将たちが集まって来たとき、鼠はその床下に潜り込むことに成功した。まさに広間では鉢形城攻略の軍議を開こうというときである。
 上座に前田利家が座し、両脇に子の利長と家臣の奥村永福、長連龍らを控えさせ、その対面には直江兼続を従えた上杉景勝──彼は用土源心(藤田信吉)をはじめとする数名の家臣も伴っていたほか、真田昌幸とその子信幸と幸村、松平康勝らが居並び、更には岩槻城を落としたばかりの秀吉直属の家臣浅野長政の使番の男がいた。使番というのは戦場を監察したり伝令を伝えたり、時に敵軍への使者などを務める役職で、長政からの重要な伝言を預かって来たと見える。利家は鉢形城とその周辺の地形が描かれた大きな地図を広げると、
 「おのおの方、休む暇もなくかたじけないが、関白秀吉様から早く鉢形城を攻めよとの催促しきり。これより武蔵国に進軍するが、聞くところによれば鉢形城は難攻不落、城主北条氏邦は三、〇〇〇の兵で我らを迎え撃ち、籠城戦で対抗する構えを見せているらしい。いかに攻略するのが利口か、意見を聞かせてほしい」
 すかさず使番の男が叫んだ。
 「なにを悠長な事を言っておりますか! 関白殿下はその呑気な攻撃姿勢に苛立ち、浅野長政様はじめ木村重茲様をわざわざ徳川の軍勢まで伴わせて上野国へ派兵したのでありますぞ。長政様のところには『鉢形城はまだか』と再三詰問状が届いており頭を痛めておられます。兵力は敵の十倍以上、こんな軍議など開いている間に攻め込んでしまえばよいではありませんか!」
 「言葉を慎みなさい! この陣営の総大将は前田利家様である!」
 と大声を張り上げたのは直江兼続だった。一転、穏やかな口調で、
 「鉢形城は北条にとって北を守る重要拠点だ。敵は決死の覚悟で望んで来るに違いない。十倍の兵力とはいえ、下手な攻撃をすれば無駄な犠牲を増やすだけ。兵が多いからこそ、その利を生かした最善の軍略を探るのだ」
 「その通りだ」と言ったのは真田信幸である。もっともな道理に使番の男は黙り込んでしまった。
 利家は昌幸の顔を見て聞いた。
 「ときに安房守(真田昌幸)殿は武田信玄公の家臣だったと聞くが、確か信玄公も小田原を攻めたことがあったと記憶する。三増峠の戦いでは安房守殿が一番槍の名を挙げたそうではないか」
 それは永禄十二年(一五六九)の武田信玄による小田原攻めである。昌幸は使番として武田四天王の一人に数えられる馬場信春に仕えて参戦した。当時昌幸二十二歳、
 「昔のことで忘れてしまいましたわい」
 と豪胆に笑った。
 「そのときも鉢形城を通ったのではありませんかな?」
 利家は稀代の策士と聞こえる昌幸を頼りにしているところがある。五年前、領地をめぐる問題で徳川家康が真田討伐を決行して上田城を攻めた時、徳川軍約七、〇〇〇の兵に対して真田軍はわずか一、二〇〇の兵で迎えうった。そしておよそ兵力に6倍の差があるにも関わらず、彼が大勝利をもぎ取った話はいまや天下にとどろき渡っていた。
 「鉢形城は甲斐や信濃からの侵攻の備えとして作られた城である。北は荒川の断崖で防備を固め、南は深沢川の天然の堀、御殿に至る城内各所は土塁と戦闘用の郭が取り巻くように置かれ、地形をうまく取り入れた非常に堅固な造りをしており申した。それにはさすがの信玄公も舌を巻いたと見える、ろくに攻撃もせずそのまま南下してしまいましたわい」
 と、昌幸はまた豪胆に笑った。
 「上杉謙信公も鉢形城を攻撃したことがあったと思うが?」
 利家は次に上杉景勝に目を向けた。景勝は隣りの直江兼続に「お前が話せ」と目くばせをした。
 「おそれながら──それは天正二年(一五七四)のことを仰っているのでしょう。しかしながら、あのときは城に火を放ったのみで、落城には至っておりません」
 利家はため息に似た声で、
 「かの信玄公も謙信公も落とすことが出来なかったというわけか……」
 と呟いた。
 「違います。謙信公の場合は北条家のなりふりかまわぬ他領侵略に業を煮やし、牽制目的で仕掛けたものと思われます。本気で城を落とそうとしたわけではありません」
 上杉家をかばうように用土源心が言った。確かに戦国最強ともいわれる上杉謙信は、戦乱続きの世にあって、自領を拡大する目的でなく、他国からの要請に応じ秩序を回復のために出兵した。彼が『義の武将』と称される所以である。謙信による関東出陣一連の戦いのひとつ鉢形攻めも、当時上杉領だった上野国に同盟を破った北条氏政が侵略したのが発端なのである。鉢形は北条領なので自らは同盟を破ろうとはしなかったと言うわけだ。
 「どちらにしても落ちなかったのは事実だろう」と、使番の男が上杉家臣団の方を見てささやいた。
 「さて、どうしたものか? 直江殿ならどうなさるかな?」
 「敵は籠城の構え。しかし関白殿下が睨みをきかせている小田原からは援軍は来ないものと思われます。ならば城を包囲し補給路を断ち、根気強く開城交渉を進めるのが得策かと」
 利家は秀吉の激怒する顔を思い浮かべて「そうじゃのう」と言った。
 「どれほどの貯えがあるか知らぬが、そんなことをしていたら小田原での戦が終わってしまうぞ」と言ったのは松平康勝だった。本来ならその席には兄の康国がいるはずだったが、兄は先の石倉城攻略の際、開城時の混乱の中で城代の寺尾左馬助に殺されてしまった。すかさず康勝が仇を討ったものの、兄を亡くした悲しみは「なんとしても手柄を立てる!」という強い復讐心に変わっていた。
 「心理的に追い込めばそんなに時間はかからんと思うが」と何か策があるような含み笑いで昌幸が言った。
 「なにか妙案でも?」
 「妙案というわけではないが」と、昌幸は発言権を幸村に譲った。鉢形攻略については父子三人で既に話し合っている。幸村は「申し上げます」と一礼すると、広げた地図の方へつつつと寄って行った。
 「鉢形城周辺には花園城をはじめとして、東に猪俣城、虎ケ岡城、花園御嶽城、円良田城、金尾要害山城、天神山城、仲山城、千馬山城、南に目を向ければ高見城、中城、青山城、腰越城、安戸城、杉山城、小倉城、菅谷城と細かな支城が無数にございます」
 幸村はそこで一旦言葉を止めた。なにやら床下に人の気配を感じたのだ。するとそれまでより一層大きな声で、
 「中でも補給路の要が虎ケ岡城。まずそこを落とし、次に鉢形城の砦としての役割を担う花園城を落とします。そうして順に片っ端から支城を落としていけば、いつまでも籠城などと言ってはおれますまい」
 「それでも落ちなければどうする?」と兼続が言った。
 「小田原城が落ちたと流言します。さすればさすがの氏邦も焦るに相違ない」
 「天下の豊臣軍にそんな姑息な真似をさせよと申すか?」と使番の男は怒った。
 「戦というものはどんな手段を使おうが勝てばよいのだ」と昌幸はもとより開き直っている。
 そうして鉢形城攻略作戦がまとまったのを聞き届けると、鼠は一目散に鉢形へと戻ったのである──。

 「鼠の聞き得た情報は以上だ」
 と、髪結いの店内で“は組”と“め組”合わせて四十名ほどの忍び装束を身に着けた部下の前で猪助が言った。北国軍の兵達が徐々に鉢形に入りはじめ、五月も中旬を過ぎると城下町はその兵達で膨れ上がっていた。そしてついに上杉隊の先鋒を任された用土源心が、鉢形城兵と小乱闘を起こし、北条側の松村豊前という男が討ち死にしたという報が巷に飛び交う五月二十九日のことである。
 「いよいよ敵が動き出した。よいか、よく聞け。何度も言うが決戦地は小田原じゃ。鉢形はいわば捨て駒である。我らの標的はあくまで真田安房守昌幸ただ一人。鉢形城下に何があろうとそれ以外には目をくれるな!」
 と作戦の内容を話し始めた──。
 鼠の情報によれば、北国軍前田、上杉軍本体は、赤浜街道を通って東から鉢形城に攻め込み、包囲が完了した時点で開城交渉を開始する。その間別動隊の真田昌幸隊は、鉢形城北西にある虎ケ岡城を陥落させ補給路を断ち、続いて花園城を攻める計画だと言う。猪助はこの移動の時が昌幸討伐のチャンスであり、彼は必ず荒川沿いを下って来るはずで、決行場所は馬が走ることのできる平坦な野原が広がる“末野”で、風の吹き溜まりが起こる場所を見付けたと言った。真田隊の兵数はおよそ三、〇〇〇、そのほとんどは歩兵で細い街道沿いを歩いて移動する。“は組”はおのおの“め組の幟”を持って騎馬でその場所に待ち伏せ、“め組”は風の流れを読んで“まやかし玉”を炊けと指示した。どうやらそこで幻術を使うらしい。
 “は組”に混ざって神妙そうな顔を装う小太郎は、初めてこの店に入って恵婆さんの幻術にかかった時のことを思い出していた。強烈な香の匂いが立ち込めていたが、それが“まやかし玉”から出た匂いであるとすれば、“め組の幟”は奥の部屋への入り口にあった大きな“め”の字が書かれた看板であろうと考えた。“め”の字には、子供が蜻蛉を捕まえる時に指を回転させるのと同じ効果があるらしい。しかしそれだけで幻術にかかってしまうのか?と思ったとき、三十路女に変じた婆さんが出て来る直前に呪詛のような声が聞こえたことを思い出した。
 「あれか!──」
 と小太郎はひらめいた。風魔の使う幻術とは、麻薬の薫りで脳を麻痺させ、“め”の字の効果で脳を混乱させ、最後に何らかの呪文を唱えて完全な催眠状態を作り出し、敵を意のままに操るのだ。そうなるとその呪文がどういうものか知りたい。
 猪助の作戦は大掛かりである。昌幸三、〇〇〇の兵をことごとく幻術にかけて、わずか四〇名の風魔忍者を何万もの騎馬集団が攻めて来たような幻を見せるというわけだ。そして敵が混乱している間に昌幸の首を取る。もっともそれには条件が揃わなければならず、雨天であれば“まやかし玉”に火は使えないし、風は強すぎても弱すぎてもいけない。
 「雨が降ったらこの作戦は延期だ」
 と猪助は最後にそう言った。
 「おれは何をすればよい?」
 小太郎が聞いた。恵婆さんの忠告を受けた猪助は彼を作戦の頭数には入れていない。かといってそんなことを言えばまた屁理屈を並べて言い含めるのに一苦労するのは目に見えている。
 「お前にはもっとも重要な任務を与える」
 「なんじゃ?」
 「作戦決行中、甲賀飛猿を抑えておれ」
 「相分かった!」
 小太郎は再び飛猿と戦えると思うと胸が躍った。

 真田昌幸暗殺計画はすっかり整ったが、肝心の北国軍はなかなか動かない。そのうち岩槻城を落とした浅野長政と木村重茲、更に徳川家臣の本田忠勝、鳥居元忠らが合流して、北国軍は五万規模の大軍隊に膨らみ、完全に鉢形城を包囲した。普段は六千にも満たない鉢形城下町は祭りさながらのごった返しようで、食料、物資はみるみる底をつき、異常な価格高騰を招いて町民は混乱状態に陥った。
 「いったいいつになったら動くのじゃ」
 と、猪助は最近苛立ちを隠せない様子だが、商売大繁盛の恵婆さんはひどくご機嫌で、
 「こんなことならずっといてもらいたいものだ」
 と銭勘定をしながら呑気に笑った。
 北国軍が動かないのには訳があった。しびれを切らした秀吉が、「いったい鉢形はどうなっておるのじゃ! 今すぐ現状を報告しろ!」と、ついに総大将の前田利家と、上杉景勝を小田原に呼び付けたのである。総大将不在では動けるはずもない。
 「やれやれ……利家公も利家公なら関白も関白じゃ。こんなんではいつまで経っても戦が終わらぬではないか……」
 とぼやくのは本田忠勝で、鉢形城南西およそ一点数キロあたりに位置する車山に石火矢発射台を築きはじめた。石火矢とはいわゆる大砲のことで、日本で初めてそれを使ったのは大友宗麟とされる。彼はポルトガル人から購入したそれを“国崩し”と名付けたが、その名の通りその破壊力はすさまじく、一発放って命中すれば、石垣や城郭を大破させ、地震のような衝撃を与えたというから当時にして脅威に値する代物だった。しかし初期のものは命中率も低く、飛距離も数百メートルほどであったようだが、国内で改良が重ねられ、これより少し後の大坂の陣では、歴史を変えたと記す文献に残るほどまでに性能を上げている。その石火矢を二十八人の力士を使って山頂まで運び上げた忠勝は、
 「ちまちまと開城交渉などせずとも、こいつを一発ぶっ放せば一気に片が付くものを……」
 と、最新型の兵器を撫でながら呟いた。
 石火矢発射台が築かれはじめたという報が北条氏邦にもたらされた時、彼は蒼白になった。単なる籠城戦なら半年でも1年でも持ちこたえてやるが、最新兵器を持ち出されたとあっては話は別だ。そんな武器は鉢形城にもないし、現代で言えば核兵器の的が自国に向けられたのと同じような感覚であったろう。慌てて家臣のひとり小前田越前守という男を呼びつけると、
 「どうやらこの戦い、我らが圧倒的に不利のようじゃ。わしはこの城と命運を共にするつもりだが、妻子を巻き込むのはなんとも忍び難い。どうか室と子を城下の外へ逃がしてほしい」
 と申しつけた。こうして正室大福御前とその末子光福丸は、無事に鉢形城を脱出する。
 一方、開城交渉に臨んだのは上杉家臣用土源心である。もともと彼は氏邦の親戚でもあり、秩父方面には知り合いも多い。さっそく末野にある正竜寺を訪ね、住職の良栄和尚に仲介を頼む調略に動き始める。
 かくして鉢形城陥落の時は、刻一刻と迫っていった。
 
> 第1章 > 宿敵対決
宿敵対決
はしいろ☆まんぢう作品  






 「動いたぞ!」
 その一報をもたらしたのは鼠であった。ついに真田昌幸が、虎ケ岡城への攻撃を開始したと言いながら「城を見張っていた別の“め組”の組員が知らせに来たので間違いない」と息を弾ませた。虎ケ岡城を守っているのは矢那瀬大学という男である。いずれにせよ兵力はほとんど出払っているため、城に残っている者など僅かな数だ。無駄な抵抗はせずに城を明け渡すだろうことは既に計算尽くで、
 「出撃じゃ!」
 猪助は叫ぶと、風魔党の男たちは疾風のように拠点を飛び出し末野へ向かう。
 小太郎も自分の動きは明確だった。虎ケ岡城が攻撃されたとあれば、勝つことを達観視しているはずの飛猿なら、そのときすでに次の標的である花園城の偵察に出ているはずだと踏んでおり、彼もまた馬を走らせ花園を目指す。鉢形城下からだと一里にも満たない距離だから馬の脚なら僅かなものだ。
 猪助の話によれば花園城主は藤田政邦という男で、鉢形城代を兼任しているため今は城主不在らしい。「そんな城ならわし一人でも落とせるわい」と小太郎は豪語したが、相手が飛猿とあればそうもいくまい。どんな手を使って倒すか、そのときの状況を見ながら臨機応変に戦わなければ、何をしてくるか分からない相手である。
 「今日は刀も忍び道具も持っているし、前のようにはさせぬ!」
 と、勝つ気満々の小太郎は、やがて花園城が築かれている小高い山の麓の諏訪神社に到着した。周辺には猫の子一匹いる気配もなく、戦前の妙に静まり返った空気を吸い込んだ小太郎はそのまま馬を降りて大きな吐息を吐くと、軽快な足取りで神社の石段を駆け上がった。
 と──、
 「待っていたぞ、太郎次郎の倅!」
 空の方から声がした。聞き覚えのある、それは飛猿に違いない。小太郎は空を見上げた。
 「どこじゃ、赤猿──姿を見せよ!」
 新緑の若葉が芽吹き始めた木々の間から、空の淡い青が覗いて見える。この木の上のどこかに飛猿が潜んでいると思えた。
 「北条に寝返ったそうじゃないか?」
 「どちらに付こうがわしの勝手じゃ! お前らに有益な情報は、菖蒲を通じて流してやっているはずじゃ!」
 「それが解らぬ。北条に付いたお主がどうして敵に情報を流す? 魂胆は何じゃ!」
 「なりゆきじゃ」
 と、空にばかり気をやっていた小太郎は、足元の土に生き物の気配を感じて、「土遁の術か?」と思い直した。
 “土遁の術”とは“土”の利を活かした“遁術”の一種である。遁術──すなわち忍者の術とは、身を守り逃げるために発達してきた特殊技能で、本来は攻撃を目的としたものでない。ところが飛猿ほどの使い手になると、相手を惑わす大きな戦闘術になり得た。その基本は“五大”つまり「地」「水」「火」「風」「空」にあり、“五大術”とも“五薀術”とも“五輪術”とも“五常術”とも“五方術”とも“五智術”とも“五時術”とも言われる。その中で「地」の利を用いた術をいわゆる“土遁の術”と呼び、一般的には土に穴を掘り何日も潜み隠れる技を言う。同じように水中に潜み隠れる技を“水遁の術”と言うが、中には水上を歩いて見せたり、たっぷりと胃に含んだ水を口から吐き出して相手を威嚇するような技もあり、「水」の利を用いた技はひっくるめて“水遁の術”と呼ぶ。だから“火遁の術”と言えば「火」の利を用いた技のことであるから、油を飲んで口から火を噴いて見せたり、煙幕を炊いて霧に隠れたり、もっと言えば鉄砲術や砲術、あるいは狼煙を挙げることなども“火遁の術”に属しているわけだ。また“風遁の術”とは「風」の流れを読み、その勢いや特性を利用した技で、風魔党の幻術のように麻酔の香りを風に乗せるのもその内に入るだろうし、中には人の吐く息を利用した術もある。噂では季節風や台風などを利用して敵陣に攻め込んだという話も聞く。そして“空遁の術”は空を飛んで見せたり、宙に浮いて見せたり、あるいは鳥を操ったり雨を降らせてみたり、「空」の利を用いた技は小太郎の憧れの術でもあった。中でも雷を自在に操る“雷槌落とし”は生涯を懸けて習得したい技であり、父の甲山太郎次郎はこれができた。父曰く、
 「これは億劫の辛労を尽くして一念三千世界に帰命せなできん」
 であるが、その意味がまったく理解できない。また曰く「これは術というより法じゃ」であるが、これまた理解できずに今の年に至った。
 ──これらの“五大術”が基本となって、やがて太陽の光を利用した“日遁の術”や、月を利用した“月遁の術”などが編み出され、更に発達すると、木の性質や形等を活かした“木遁の術”や、金属を利用した“金遁の術”などが生まれ、近年では“分身の術”だの“空蝉の術”だの、あるいは“妖術”だの“幻術”だのと思い思いの術を開発させてきたという経緯がある。忍者と呼ばれる者達はそれぞれ得意分野を持っており、小太郎もそれら全てを使いこなせるわけでないが、その概要と本質はおおよそ掴んでいるつもりである。
 小太郎は生き物の気を感じる土に目をやり小さくほくそ笑むと、腰の正宗をひらりと引き抜き、
 「そこか!」
 と叫びざまに切先を土に突き刺した。刹那、地面が爆発したかのように土の塊が飛び散ったと思うと、中から五、六人の飛猿が姿を現わして小太郎の周りを取り囲んだ。
 小太郎は驚愕した。土遁の術からの分身の術への見事な連携である。しかもその分身の術の見事さは、見まごうばかりの華麗さだった。
 通常“分身の術”といえば、視覚の残像を利用した時間残像や補色残像、あるいは運動残像を利用したものである。時間残像というのは、例えば電球の光は交流の電気で光っているため、六〇ヘルツの場合は実際一秒間に一二〇回点滅しているわけだが、人の目にはチラツキを感じない。それと原理は同じで、今度は同じ場所で撮った立ち位置の違う二枚の写真を、交互に連続して見せると、あたかも同じ人間が二人いるように見えるという原理を使ったものである。しかし人間の動きには限界があり、小太郎が目にしたことのある“時間残像分身術”は、せいぜい上半身のみを二つに見せるだけのもので、左右両方向に激しく動かしている本人の労力を知るとき、滑稽さを越して哀れみさえ覚えたものである。次の“補色残像分身術”というのは小太郎が最も得意とするもので、ある特定の色を暫く見つめた後に、その色を視界から消去すると補色が残像として残るという原理を利用したものである。例えば白装束を纏って暗闇の中に立ち、敵にある一点、例えば目などに注目させておき、ある瞬間白壁の前に移動して自分は姿を消すと、白壁にはあたかも人がいるような残像を残すのだ。そして最後の“運動残像分身術”というのは、暫く一定方向に移動しているものを見つめさせておき、突然その運動を停止させると、それまでと反対方向に動いているように感じる残像術である。例えば電車の窓を流れる景色を見ていた後、電車が停車すると駅が前へ動いていくように感じるのもその原理の一つだ。
 ところがこれらの分身術は、いずれも視覚の癖を利用したものなので曖昧さがあり、個人差もあってあまり実用的でない難点がある。ところが飛猿のそれときたら、分身した姿は五、六人の上に、どれもくっきりと実在しているように見えるではないか。
 小太郎は「ただの分身術ではない!」と咄嗟に身構えた。次の瞬間、分身した一匹の赤猿が小太郎めがけて襲い掛かった。すかさず手にした太刀を真一文字に振り下ろすと、確かに肉を斬った感触とともに、真っ赤な鮮血が飛び散った。間髪を入れず二匹目が襲い掛かってきた。それも振り下ろした刃を上に翻し右斜め上方に振り上げれば、これまた鮮やかな返り血が柄杓で水を撒いたように小太郎の顔面に降りかかった。
 「違う! こいつは飛猿の分身ではない──本物の生き物だ!」
 そう思う間もなく次々と襲い掛かって来る獣をばっさばっさと斬り捨て、最後の一匹を斬り捨てた時、小太郎は自分が倒した動物がすべて忍び装束を着せられたニホンザルであることを知り愕然とした。彼が分身の術と見立てた技は“口寄せの術”であった。“口寄せ”とは所謂イタコなどの霊媒師が霊魂を呼び寄せることを言うが、忍術の場合、動物を呼び寄せて使役させる事を言う。江戸時代の読本に登場する架空の忍者自来也は大蝦蟇蛙を呼び寄せるが、飛猿は猿を呼び寄せ自在に操ることができた。おそらく“飛猿”の名の所以でもあろう。
 「出て来い、猿回し!」
 そう叫んだ瞬間、上空より小太郎の眼前に舞い降りた黒い影──咄嗟に後方に飛び退いたが、
 「ちと待て!」
 と促したのは飛猿の方だった。
 「こないだの胃液はなしじゃぞ。臭くて三日めしが食えんかった」
 「人をイタチみたいに言うな! 今日こそお前を倒す!」
 「そこじゃ。太郎次郎の倅よ、どうも俺にはそこが分からん」
 「甲山小太郎じゃ、名で呼べ!」
 「ならば小太郎、お主は菖蒲殿の家来になったのであろう? ならばわしらの味方ではないか。拙者には戦う理由が見出せぬ」
 「菖蒲の家来にはなったがお前は敵だ」
 飛猿は「あ〜ぁ可哀そうに……」と言いながら、周辺に散らばるニホンザルの死骸を一カ所に集めると、小太郎の存在を気にかける様子もなく合掌して目を閉じた。
 「隙だらけだぞ。来ぬならこっちからゆくぞ」
 「だからちと待て、大儀名分もなくお主を殺してしまったではなんともすっきりせんし、なにより菖蒲殿に申し訳が立たん。わしとお主が戦わなければならぬ理由が知りたい」
 「簡単だ。日の本一の忍びは一人おればよい」
 「ではなにか? この戦いは日本一を決めるための戦いか? お主は忍びのくせに己の名誉のために術を使うのか?」
 「なにっ!」
 「つまらん、つまらん。どうせ術を使うなら、天下のために使ったらどうか? それ以前に、すでに菖蒲殿に負けているではないか。となると天下一の忍びは菖蒲殿じゃなぁ」
 「菖蒲は女だ、数の内に入らん!」
 「小太郎よ、いつから菖蒲殿を呼び捨てするようになった? 菖蒲殿の生まれをたどれば甲賀五十三家のひとつ高山家の血筋であるぞ。身の程を知れ」
 飛猿にとって五十三家はいわば無条件の上司のような存在である。いくら忍びの腕は達者でも身分の違いには逆らえない。
 「甲賀五十三家? そういえば右近が申しておった。我が甲山家もその昔高山家の分家として派生したそうな。いわばわしと菖蒲は親戚筋じゃ。呼び捨て御免じゃ」
 「なにっ?」
 と、今度は飛猿が声を挙げた。
 「お主、伊賀者でなかったのか? つまらん冗談を言うとただでは済まんぞ」
 「わしが言ったのではない、右近が言ったのじゃ。わしとてこの身に甲賀者の血が流れていたとしたら、なんとも据わりが悪い。だからそう思わんことにしている」
 「ええい、どうもやりづらい。今のは聞かなかったことにする」
 と飛猿は、俄かに湧いてきた小太郎に対する憎悪に似た感情を抑えきれずに、山桜の木にひょいと登ると、仕込んでおいた綱をグイっと引っ張った。すると周辺の雑木の中から小太郎めがけて一斉に弓矢が放たれると、弓矢はことごとく小太郎の体に突き刺さった。ところが、ドサリと音を立てて倒れたのは一本の朽ちた木で、当の小太郎はすでにそこにはいない。
 「変わり身の術……小癪な真似を」
 飛猿は消えた小太郎の気配を探った。
 一方小太郎は、飛猿が登った木からは死角になる松の大木の陰に隠れて、息を潜めて思案した。花園城に着いた途端に猿に襲われ、あらかじめ仕込まれた弓矢に狙われた。これは飛猿が自分がここに来ることを知っていて、既に周到な準備を重ねて待ち受けていたことを意味する。下手に動けば他にどのような罠を仕掛けているか知ったものでない。真っ向勝負をしたのでは俄然不利であることを認めざるを得ない小太郎は、場所を替えて戦わなければ負けることを早くも悟った。かといってむやみに飛び出せば飛猿にチャンスを与えるだけで、「どうも奴とはいつも不利に置かれる機運があるな」と舌を打つ。
 「どうした小太郎! わしが怖くて動けぬか?」
 早くも飛猿は挑発してきた。それに乗って声を挙げれば、自分の居場所を教えることになる。小太郎には敵の出方を待つしかなかった。
 「松の陰に隠れておることは分かっておるぞ。はよ出てこい!」
 居場所を知っていながら次の攻撃を仕掛けてこないのは、ここが安全な場所であるからだと判断した小太郎は、
 「阿呆! その手に乗るか!」
 と声を挙げた。
 「やはり松の陰に隠れておったか」
 「あてずっぽうで言ったのか? 卑怯だぞ猿!」
 「だからお主は青二才と言われるのだ」
 「青二才だと? 誰がそんな事を言った!」
 「わしの周りの者はみ〜んな言っとるわい。幸村様も菖蒲殿も」
 「菖蒲も?」
 会えばつっけんどんだがしおらしい女性の一面を見せる菖蒲が、陰でそんなことを言っていると思ったら無性に腹が立った。なんとか腹の立つことを言い返してやりたい小太郎は、
 「そんなことより、こんな所でわしの相手なんぞしておって良いのか?」
 と言い返した。
 「どういう意味じゃ?」
 「真田安房守はここへは来んぞ! おそらく今頃首をかかれとるわい! 早く戻った方が良いのではないか?」
 「風魔党にか? 阿呆! 昌幸様が風魔ごときにやられるわけがなかろう」
 飛猿は鼻で笑った。
 「どう思おうが勝手だが、風魔の占いでも甲賀が負けるとちゃんと出たわい」
 「占い? おぉ、婆さんに会ったか! 元気にしておったか」
 「元気も元気、性欲も旺盛じゃ。あんたのことも覚えておったぞ」
 「そりゃそうだろう。婆さんの幻術を破ったのはわしが初めてとか言っておったからの。小太郎も見たのか?婆さんの幻術」
 「わしで二人目だそうじゃ」
 「お主も破ったか! なかなかやるではないか」
 「風魔はその幻術を使って安房守を殺るぞ。この情報は菖蒲からもいっていないはずじゃ。わしが鉢形に来てから知り得たものだからな」
 「なぜそれをわしに教える?」
 「もうすでに作戦が決行されたからさ」
 「では、小太郎こそなぜここにおる? その作戦に加えてもらえなかったのか?」
 「わしの任務は赤猿、お前の動きを封じることだ」
 「能天気なやつよのう……婆さんは人の心を覗く。お主がわしらと通じていることはとっくにお見通しのはずじゃ」
 「ではなにか? わしは最初から──」
 「仲間はずれってことだな。風魔党がよそ者に自分たちの戦術の手の内を見せると思うか?」
 小太郎は顔を真っ赤にして「猪助めっ!」と叫んだ。
 「赤猿、こっちからふっかけといて悪いが、この戦い、一時休戦というわけにはゆかぬか?」
 「もとより、わしにはお主と戦う意味が見出せん」
 こうして小太郎と飛猿は、昌幸暗殺計画が実行される末野へと向かう。小太郎は奇しくも飛猿との対決を免れることに成功した。
 
> 第1章 > 真田昌幸討たれる
真田昌幸討たれる
はしいろ☆まんぢう作品  

 小太郎と飛猿が末野へ向かう頃、猪助による真田昌幸暗殺計画はまさに実行されようとしていた。山城である虎ケ岡城はわずか一〇〇人あまりの兵で必死に抵抗したが、数の力で難なく攻略を成功させた昌幸は、山を降りて麓を流れる荒川沿いに出た。そしてそのまま花園城方面へ向かって進軍するが、数千もの兵が片田舎の細い街道を移動するわけだからおのずと長蛇の列になる。しかも馬に乗っている武将は大将クラスの僅かな数で、そのうえ昌幸の周りを取り囲むようにして歩く護衛の馬廻り達は、「真田安房守昌幸様ここにあり」と言わんばかりの大きな赤い六文銭の旗を掲げていたから、彼の存在は遠くからでもよく分かった。
 「あいつじゃ、間違いない。いい具合に風も吹いておる。奴が野に出たら“まやかし玉”を炊け」
 葦の茂みからその行列を見つめていた猪助は部下の一人にそう命じると、自らは“は組”の騎馬隊が待機している場所へ行き、黒頭巾の一部をマスク替わりにして鼻と口を覆うと、忍び刀を背負って馬にまたがった。黒頭巾は“まやかし玉”から出る匂いと煙封じの役割もあるのだろう。
 やがて昌幸がひらけた野に出たとき、芳しい微香と共に、あたりは俄かに靄が立ち込め、瞬く間に周辺を深い霧のように覆った。昌幸の兵達は「何事か?」と言いながら足を止め、周囲を四顧して警戒を深めたが、やがて心地良い香りにうっとりとして、すっかり緊張感を和らげた。
 「この霞は何か?」
 馬上の昌幸が聞いた。
 「今日は少し肌寒く、近くに川が流れておりますゆえ、霧が立ち込めたのでありましょう」
 「それにこの匂いはなんじゃ?」
 「およそその土地々々の匂いがあるものでございます。きっとこの土地特有の植物が香っているものでしょう。良い香りではありませんか、新緑の候ですなぁ」
 馬廻りが知ったかぶって答えた時、行列の脇、霞の中に、“め”の字の書かれた幟を掲げた二、三〇騎程の馬に乗った忍び装束の一隊が忽然と姿を現した。
 昌幸はぴたりと馬の歩みを止めた。
 小太郎と飛猿が現場に到着したのはちょうどその頃だった。二人は辺くにあった農作業用の掘っ立て小屋の陰に身を潜めると、じっとその様子を伺った。
 「はじまるぞ。鼻をつまんでおけ、さもなくばお主も幻術にやられるぞ」
 飛猿が言ったので、小太郎は言われるままに鼻をつまむ。するとどこからともなく意味の分からない呪文のような声が空から降ってきた。声の出どこは風魔の騎馬隊からのようである。小太郎は「例の呪文だ」と思いつつ、
 「何と言っておるのだ?」
 飛猿は全てお見通しだとばかりにニンマリ笑んで「梵語じゃ」と答えた。しかし梵語なら小太郎も多少は知っている。特に『वै(臨)』『(兵)』『हः(闘)』『हँ(者)』『ं(皆)』『स(陣)』『ीः(裂)』『(在)』『मँ(前)』の九字からなる護身法なら、仏神の加護により病魔や災厄を身から遠ざけるとされ、その“印”の結び方から“呪”の唱え方まで、物心つくころには覚えさせられたものだ。それぞれに対応した梵語があり、また、それぞれに諸仏、諸菩薩、諸天善神の名が対応している。「臨」には「毘沙門天」と「天照皇大神」、「兵」には「十一面観音」と「八幡神」、「闘」には「如意輪観音」と「春日大明神」、「者」には「不動明王」と「加茂大明神」、「皆」には「愛染明王」と「稲荷大明神」、「陣」には「聖観音」と「住吉大明神」、「裂」には「阿弥陀如来」と「丹生大明神」、「在」には「弥勒菩薩」と「日天子」、「前」には「文殊菩薩」と「摩利支天」という意味があり、朝晩には勤行のように“印”を結び“呪”を唱えることを習慣づけられた。子供心にあるとき、
 「そんな仏神が本当におるのか?」
 と不思議に思ったことがあるが、
 「それらは人の形をしているわけではない。お前の周りの働きのことを言っておる。お前が良い行いをしておれば仏菩薩はお前に良い働きをしてくれるし、悪い行いをしておれば悪い働きとなって顕われる」
 と母が教えてくれた。
 「目に見えぬのならわからん」
 と応えれば、
 「目で見ようとするから見えぬ。感ずるのだ。肌や身で“観”ずる──さすれば諸天善神、諸菩薩の御姿が観えてくるものじゃ」
 幼い小太郎は「そんなものか」ときょとんとした顔を向けたが、その愛する母は、織田信長の伊賀攻めの際、うす汚れた足軽に犯された挙句にあっけなく殺された。そして伊賀も滅び去ってしまった時、全てがただの観念であることを悟ったのだ。
 ともあれ、もともと九字護身法などは、仏教、とりわけ密教から派生し、日本で独自の発展をしてきたものである、そもそも忍者のルーツをたどれば天台と真言の密教を修行する山伏等が祖とされているからそれらの梵語とは無関係でない。ところが風魔が唱える“呪”は、小太郎が知るところの梵語とはまるで別物で、その流暢すぎる発音や抑揚は異国の言葉そのものだった。
 「奴らの梵語は日本に伝わる真言密教由来のものではない。むしろ大陸から直接もたらされた原語に近い言葉ではないかとわしは見ておる。風魔の先祖は大陸から渡って来た騎馬民族だという話を聞いたことがあるからな」
 飛猿はこれから起こる出来事に興味津々な様子で言った──。
 さて、突然の出来事に慌てた昌幸であるが、
 「何奴じゃ!」
 と敵を威嚇するような大声を挙げた。ところが周囲の兵達は一人二人とみるみる顔が蒼白になっていき、やがてざわめきが生じたかと思うと、ついには口々に奇声を発した。そのはずである、行列の前に突如として現れたのは、戦ってもとても勝ち目などなさそうな驚異の武装をした、数万とも思えるほどの数の大騎馬軍団であったからだ。昌幸隊の兵士はことごとく幻術にかかり、その陣列は一気に乱れた。中には逃げ出す者も出て、将たる昌幸までが驚きのあまり馬上から転げ落ちる始末。
 飛猿はその戦術を観察しながら、
 「見てみろ、慌てているのは兵達だけじゃ。さすがの幻術も馬には効かぬと見える」
 見ればなるほどその通りで、慌てふためく兵達の中で、歩みを止めた馬だけは呑気に足元に生えている野草を食べている。まるで高見の見物の飛猿は、馬とは対照的な逃げ惑う兵達の様子を見ながら、さも面白そうに声を出して笑った。そうなると小太郎の方が心配になって、
 「安房守を助けにゆかんでよいのか?」
 と聞くと、
 「なあに大丈夫だ。昌幸様は簡単にはやられはせん」
 と、飛猿は戦う気などないといった様子で観察に夢中であった。
 そうこうしているうちに、猪助を先頭にした風魔の騎馬隊が一斉に駆け出し、落馬した昌幸一点めがけて疾駆した。それでも立ち向かう弱腰の歩兵達を跳ね除け蹴散らし、馬から飛び降りた猪助は背の忍び刀を引き抜いたと思うと、えも言われぬ速さで昌幸の首をかき斬り、生首を高くかざして「退散じゃ!」と叫んだ。
 それは時間にして一分にも満たない目の覚めるほどの鮮やかな活劇のようだった。風魔の騎馬隊が一陣の風のように立ち去った後は、首のない昌幸の亡骸を抱き上げて、兵達の動揺と慟哭の声が響き渡ると、やがて霧も晴れていった。
 「簡単にやれてしまったぞ……?」
 小太郎は呆れて飛猿に目をやった。飛猿は慌てた様子もなく「まっ、そういうことだな」と他人ごとのように呟やくと、小太郎の肩をぽんと叩いて、
 「次に会うのは八王子か? まあそれまでにどちらに付くか、も一度よく考えておけ」
 と言い残すと、煙のように姿を消した。小太郎は飛猿のあっけらかんとした態度に首を傾げつつも、負けたような思いになって「チッ」と舌打ちをした。

 小太郎が髪結いの店に戻ったとき、中では“め組”の女達が忙しく動き回っていた。「小太郎ちゃん、お帰り」という楓の明るい声に迎え入れられた彼は、
 「なんの騒ぎじゃ? 祭りでも始めるか?」
 と聞けば、
 「これから祝杯を挙げるんだってさ。すごいのよ、真田昌幸の首を捕ったのよ!」
 と我が夫の手柄のように喜んだ。
 「猪助はどこじゃ?」
 小太郎は浮かれた気分になれるはずもなく、いの一番に猪助にもの申したいことがある。
 「離れで身支度してるよ。すぐに小田原へ報告に行くんだって」
 言い終わらぬ楓の目の前から一瞬にして消えた小太郎は、離れの猪助が着替える部屋へ無造作に入り込んだ。
 「よう甲山、ご苦労であった。お前が飛猿を抑えていてくれたおかげで昌幸の首を捕ったぞ」
 と、いきなり現れた無礼な小太郎に腹を立てる様子もない猪助は、部屋の隅に置かれた風呂敷に包まれた四角い箱を指さしてひどくご機嫌な様子で言った。中に昌幸の生首が入っている。
 「そのことじゃ! なぜわしに飛猿の相手なんぞさせおった」
 「なにをいきり立っておる? 飛猿の相手はお前にしかできぬ仕事と思ったからに決っとる。お前も喜んでおったではないか。不服だったのか?」
 「風魔の戦術をわしに知られぬためではないのか? わしを信用しとらんのであろう!」
 「さては飛猿に入れ知恵をされたな? 信用なんぞ最初からしておらぬわ。それがいやなら今すぐ出てゆけ。風魔はお前なんぞ必要としておらぬ。端から申したはずだ」
 のっけからそう言われてしまえば、小太郎には返す言葉がない。猪助は続けた。
 「わしはこれから昌幸の首を持って小田原へゆくが、甲山はどうする? これから“め組”の連中は宴会じゃそうだ。お前もたまにはゆるりと酒でも飲むがよい。次の指令は追って伝えるから、しばらくは鉢形におれ」
 「どうせここもすぐに落ちる」
 「いや分からんぞ。真田昌幸が死んだとあらば士気は一気に北条に傾く」
 「どちらが勝とうと興味がないわ。わしは天下をひっくり返したいだけじゃ。酒飲みはやめにして、次の戦場になるであろう八王子へ先に行っておることにする」
 そんなことを言って一刻も早く菖蒲に会いたい。このやるせない心のもやもやを打ち明けて、早く楽になりたかった。
 「熱心じゃな。まあ信用されるように励め」と、猪助は袴の帯をぎゅっと締めて、大小の刀を腰にさすと、風呂敷包みの箱を持って颯爽と部屋を出ようと襖を開けた。
 と、その時、血相を変えた一人の“め組”の男が跪き、
 「ただいま猪俣城が落ちたとの報が入りましてございます。それが……」
 男は少し言いにくそうに言葉を止めた。猪俣城は虎ケ岡城や花園城同様、鉢形支城の一つである。
 「それが──どうした?わしゃ忙しい、はよ申せ」
 「真田安房守が現れたとかで……」
 「バカを申すな、奴の首ならここにある!」
 と、まるでタイミングを計っていたかのように別の男が現れて同じように跪くと、
 「申し上げます。ただいま真田昌幸により天神山城が陥落したとの報告が入って参りました」
 と急報を告げた。猪助の表情がみるみる鬼のように変わっていった。小太郎は、猪助が昌幸の首を捕ったとき、少しの動揺も見せずに笑って様子を眺めていた飛猿の赤い顔を思い浮かべて合点した。どうやら時を同じくして真田昌幸が何人も出没しているらしい。
 「影武者か!」
 猪助は身体をぶるぶる振るわせて手にした風呂敷包みを床に叩きつけると、せっかく着付けた紋付き袴を脱ぎ捨て、
 「甲山、ついてこい!」
 「わしはこれから八王子に参る」
 「勝手にしろ!」
 猪助は叫んで荒々しく部屋を出て行った。
 その報は小太郎にとってもどことなし不愉快だった。猪助からは小間使い程度にしか扱われず、つい先ほどまで一緒にいた飛猿は影武者のことなど一言も言わなかったし、今ごろどこぞでほくそ笑んでいるかと思うと、その才に嫉妬もしたし腹も立った。結局自分はいずれからも蚊帳の外に置かれてもてあそばれているだけと思うと、先ほど抱いていたさるせなさに輪をかけて菖蒲に会いたい。小太郎は悔しさを振り払うように鉢形を発った。

 真田軍の周辺支城攻略の報が次々ともたらされたころ、鉢形城の大手門前には前田軍が布陣し、搦手門の方には上杉軍が布陣して、もはや開城は時間の問題と思われていた。ところが北条氏邦は降伏する気配も見せず、かといって天然の要害とも言える城への直接攻撃にはなかなか踏み切れない前田利家は躊躇していた。
 その態度についにしびれを切らせたのが徳川家臣本多忠勝だった。予ねてより築いた車山の発射台から石火矢攻撃を開始したのである。これにより城内は甚大な被害を被った。さらにはその騒ぎに乗じて徳川家臣の平岩親吉も、大手門の北側にある諏訪曲輪を攻撃して占拠する。このことで状況は大きく動く。ついに北条氏邦は、城兵の助命を条件に開城を決意したのである。時に天正十八年(一五九〇)六月十四日の事である。このとき鉢形城に籠城していた城兵には、士族ではない領民も多数含まれていたという。
 氏邦は剃髪して菩提寺である正龍寺に蟄居し名を宗青と改めた。鉢形開城の報告を受けた秀吉は「なぜ氏邦を切腹させぬ!」と激怒するが、一刻も早く小田原を落としたい秀吉は、前田、上杉連合軍を直ちに八王子城攻略へと向かわせた。その後氏邦は前田利家の預かりの身となり、鉢形を後にして加賀に赴く。そして慶長二年(一五七九)、五十七年の生涯を閉じる。
 
> 第1章 > 菖蒲あやめの決意
菖蒲あやめの決意
はしいろ☆まんぢう作品  

 夜も明けようとする頃、八王子に着いた小太郎はまっすぐ御主殿の滝に来た。来たるべき戦いに備えてだろう、城山川のやや下流には堰が作られており、滝壺には満々たる水をたたえ天然の水堀となって御主殿の守りを固めていた。小太郎は滝の上方にある水汲み場に立ち、「まだ眠っているだろう?」と思いつつ呼び笛を吹く。常人には聞こえない笛の音が、胸の高鳴りに合わせて激しく揺れているのが分かった。暫く吹いて諦めた頃、その愛しい女は彼の前に立っていた。
 「どうした、こんな時間に。よほど明日にせぬかと恨めしく思ったが、うるさくて困るので出てきてやった」
 そう言いながらも薄化粧を施し、口に紅をさした菖蒲の表情は心なしか明るい。
 「おう、会いたかったぞ」
 小太郎は彼女を静かに抱き寄せた。
 「いきなりなんじゃ、離せ!」
 菖蒲はその腕を払って背を向けた。久し振りに会ったというのに、そのそっけない態度に温度差を感じながら、それでも「照れているのだろう」と思い直して「すまぬ……」と謝る小太郎に、菖蒲は「許す」と笑って見せた。
 「鉢形の方はどうであった? 風魔の目論見はうまくいったか?」
 最初はやはりその話題である。すべてを知っているような含み笑いで菖蒲は聞いた。
 「赤猿にまんまとやられたわい。影武者を使うとはよう考えたのう。あれは幸村の策であろうか?」
 「察する通りじゃ。稀代の策士であろう。それでいて私と同い年というのだから驚きじゃ」
 「なにっ?」と小太郎は声を挙げた。彼女と年が同じといえば自分とも同年代だ。もし幸村と同じ立場であったとして、果たしてあのような鮮やかな策を考え出せるかといえば甚だ疑問である。小太郎は自分以上にできる男の存在にますます落ち込んだが、菖蒲に知られては向きが悪いので、気を取り直して話を続ける。
 「鉢形城も間もなく落ちるだろう。次はいよいよ八王子だな。しかし滝壺を水堀にしてしまうとはうまいことを考えたな。菖蒲の方の算段は首尾よくいっておるのか?」
 小太郎は聞いた。
 「北条に付いたお前に話す馬鹿がどこにおる」
 「それもそうじゃ……」と小太郎は寂しそうに、深い淵のような滝の下流の揺れる水面を見つめて一つ小さなため息を落とした。
 「いつもの調子はどうした──何かあったか?」
 会えばから元気な小太郎の今日の様子がいつもと違っていることくらい、最初にひと目見たとき既に気づいている。
 「なんにもないわ。菖蒲の顔を見たからもう大事ない」
 「なんじゃ、話してみよ。私はお前の主人じゃ。主人は家来のことを知る義務がある」
 「話したら接吻してくれるか?」
 「それとこれとは話は別じゃ」
 菖蒲は少し怒ったふうを装って、近くの岩に腰を下ろした。
 「実はのう……」と、小太郎は胸のもやもやを、懺悔するキリスト信者のように語り出した。もとよりそれを聞いてほしくて菖蒲に会いに来たのだ。
 猪助を手玉に取って風魔を使い、天下をひっくり返そうと思ったところが、結局幻術の秘儀の秘密もつかめないまま都合よく働かされてしまったこと。表面上は頼りにしているような素振りをしながらも、め組の婆さんも猪助も結局疑いの眼で自分を見ていたこと。風魔の昌幸暗殺作戦においても、自分を作戦の中核に据えて進めてきたにも関わらず、結局最後は主戦場には従わせることなく、逆に飛猿と戦ってみたいという戦闘本能を利用されて丸めこまれてしまったこと。また、飛猿との決闘においても、最初から自分の動きを見透かされ、戦い始めた時には勝てる見込みがないことを思い知らされてしまったこと。そのうえ飛猿は、自分の相手をするばかりでなく、そのときすでに昌幸の影武者計画を実行しており、すべて計算通りに事を運んで、自分はそのレールの上を走らされていただけであったこと。加えてその策が(今知ったことだが)、自分と同年代の幸村が考えたものであること。おまけに飛猿にも軽くあしらわれ、赤子でもなだめるように「もっとよく考えて味方になれ」と誘われたこと──。思い出すほどにはらわたが煮えくり返り、
 「猪助も飛猿も幸村も気にくわん!」
 足元の小石を掴んで淵へ投げ込んだ。
 「術が弱くなっているのか?」
 と菖蒲が言った。忍術にもいろいろあるが、戦いにおける策や身のこなし、あるいはその時の状況に応じた閃きなども、全部ひっくるめて“術”と言う場合がある。例えば腕の立つ忍者の事を“術が切れる”とか“術回しが上手だ”といった表現をする。菖蒲はさも楽しそうに、
 「それでどうした?」
 その声は他人ごとのように涼し気だった。小太郎はむっとして彼女を睨む。
 「それより菖蒲、お主はわしの知らぬところで、わしを青二才と言っとるそうじゃないか」
 「そんなことを言った覚えはない。いったい誰が申した?」
 誤解だとばかりに彼女は咄嗟に答えたが、ふと何か思いついたように“ぷっ”と吹いた。その仕草が、髪結いの店にいた楓が「女難の相が出ている」と笑った様子とあまりに似ていたので、小太郎はますます腹が立ってきた。
 「なにが可笑しい?」
 「ひょっとして飛猿がそう申したか? まんまと乗せられおって。そういうところを青二才だと言ったのであろう。私は言ってはおらんぞ」
 菖蒲は可笑しくて、珍しく声を挙げて笑った。その表情が可愛くもあり、美しくもあり、無性に愛おしくなって、小太郎は今すぐにでも抱きしめたい衝動に駆られた。
 「ほれ、いま確かに“青二才”と申したぞ!」
 菖蒲の笑いは暫く止まらなかったが、やがて、
 「小太郎、お前は周りのことにいちいち腹を立てているようだが、それらは小太郎自身の鏡であるということを忘れておるのではないか?」
 と言った。
 「どういう意味じゃ?」
 「お前を取り巻く環境は、お前自身が作り出しているということじゃ。風魔や飛猿の小太郎に対する振る舞いや所業は、お前の心をそのまま映しているのだ。小太郎は、風魔や飛猿や幸村様に腹を立てているのではなく、己自身に腹を立てておる」
 「なぜわしがわしに腹を立てねばならん?」
 「未熟だからであろう」
 気にしていることをずけずけと言う女である。その言葉は父親同様日の本一の忍者を名乗りたい彼の心に深く突き刺さったが、彼女が言うと不思議と腹が立たない。
 「知ったようなことを言いおって。こんな話をして損をした気分じゃ!」
 「私が慰めるとでも思ったか?」
 「思った──」
 小太郎は菖蒲のところに寄っていき、その隣に腰を下ろして彼女の横顔をじっと見つめた。そしてめ組の婆さんが「その女もお前を好いておる」と占った言葉を思い出し、この美しい女が自分のものであると信じると、夢心地で瞳や眉や唇や、うなじに生える産毛などをうっとりとして見とれるのだった。思えば贄川の宿で会ってより、一度は命を狙われ、博多では逆にその命を救い、気づけばいつのまにか今のような妙な関係になっている。人の縁とは不思議なもので、誰がこうなることを予想しただろう。そのくせ彼女の生まれや生い立ちなどについては何ひとつ知るわけでなし、感情だけが先走って無性に股間を熱くする。所詮男女の関係とはそんなものか?と納得するも、無意識のうちに鼻の下が伸び、目じりが異様に下がっているのが自分でも分かることが嫌だった。
 「どうした? また妙な気を起こしたら痛い目にあうぞ」
 菖蒲は警戒して少し離れて座りなおす。
 「のう菖蒲……普通おなごというのは男が落ち込んでいたら、何も言わずに優しく抱きしめてくれるものではないのか?」
 「それはどんな妄想じゃ? 私は女郎ではない。望むなら女郎小屋に行け」
 「お主でなければだめなのじゃ……」
 小太郎は菖蒲の方へすり寄った。菖蒲は戸惑ったように上半身をしなやかに遠ざけたが、その肩は、男の強い腕によって引き戻された。
 暁鐘を迎えようとする東の空は、ほんのわずかに白み始めていた。菖蒲の貞操観念はその状況から逃れようと必死に言い訳を模索した。
 「そろそろ笛様を起こす準備をしなくてはならん──すまんが──」
 と顔を向けた時、その口に小太郎が吸い付いた。菖蒲は目を見開いた。
 「やめろっ!」
 と抵抗するも無理やり押し倒されて、二人は一面に萌え出したばかりの雀の帷子の中にずれ落ちた。菖蒲は小太郎の腕の中で必死にもがいたが、もう女の力ではどうにもならない。
 「やめよ! お前を嫌いになってしまうではないか!」
 小太郎はふっと力を緩め、両手で女の両腕を抑えたままその瞳を凝視した。そこには唇を強引に奪ったあの日と同じ、夜叉のような光が宿っていた。
 「今度は舌を噛み切るだけでは済まんぞ。お前のあそこを掻き切るぞ!」
 小太郎は「ハッ」と我に返った。舌を噛み切られた時のことを思い出したのと同時に、くノ一が男を殺める時の最終手段を知っていたからである。くノ一などどこに刃物を隠し持っているか分からない。膣の中に常備していると聞いたこともある。つまり性交渉をするときばかりは、どれほど腕の立つ達人でも一瞬の隙が生ずるという動物本能的な欠点があることだ。これまでもそうして生殖器を切られたという男を知っていたし、忍びにとってそれはとても不名誉なことでもあった。
 小太郎は菖蒲から離れて「なぜ拒む!」と叫んだ。
 菖蒲は襟元を整えながら悲しそうな目をした。
 「なあ小太郎……お前の術が以前より衰えているのは、もしかして私のせいではないか?」
 「そんなことはあるまい」
 「しかし聞いたことがある、女に懸想した途端に術が使えなくなった話を──」
 「そんなことは──」と言いつつ、思い当たる節がある──というより図星ではないか! 小太郎は今更のように自分の中の彼女に対する恋慕の思いが誠であることに驚いた。
 「お前は本当にこんな私を好いてくれているのか?」
 「前から申しておる」
 「伊賀者は信用ならぬと教えられた。それに、私はサタンかも知れぬぞ。自分で自分がようわからなくなる時がある──」
 「承知しておる。でも、己のことをそんなに悪く言うな。菖蒲はわしにとっては菩薩じゃ」
 「またそんなことを……。忍びの言葉はみな信用できん。特に伊賀者はな。しかしお前なら信用してもよいと思うておるのじゃ」
 菖蒲は混乱する気持ちを抑えるように、すくっと立ち上がると川の際に立ち尽くした。
 「実は少し前から考えていたことがある──」
 「なんじゃ?」
 「此度の戦が終わったら、くノ一をやめようかと思うておる」
 意外な言葉に小太郎は首を傾げた。しかしそれは彼女の決意であり、彼女の人生における大きな決断でもあった。その気持ちを小太郎が理解するには、あまりに彼女のことを知らな過ぎた。
 「やめてどうする?」
 菖蒲は急に恥じらいを見せると、小さな声で確かにこう言った。
 「お前さえよければ……夫婦になろう」
 「な、なんと申した?」
 「女に二度も言わせるな!」
 小太郎はまさか彼女の口からそのような言葉が出るとは夢にも思っておらず、呆然自失して言葉を失った。しかしその真剣な眼光を見た時、俄かに天に昇るような幸福感を覚えた。これまでにも楽しい事や嬉しくなる事は幾たびもあったが、これほど複雑で、かつ胸がときめくような歓喜が湧いてきたのは生まれてこのかた初めてのことだった。
 「いやか?」
 「そんなはずはなかろう。だが少し驚いた。お主の方こそこんなわしでよいのか?」
 菖蒲は「うむ」と頷き、「お前は悪い奴ではない、いいやつだ」と言った。
 「異存はあるか?」
 「ない──わしは天下一の果報者じゃ」
 菖蒲がしおらしく微笑んだとき、空の白は少しずつ辺りに光の生命を吹き込み始めた。
 「そうと決まれば、一刻も早くこの戦いを終わらせなければならんのう」
 「なんじゃ、天下をひっくり返すという野望はもう終いか?」
 「お主を妻にすること以上の野望がどこにある?」
 「相変わらず歯の浮いたような科白がよく出てくるものじゃ」
 「生まれつきじゃ」
 菖蒲は呆れたように笑むと、急に神妙な顔つきに変えて、
 「ひとつだけ約束してほしいことがある」
 と言った。
 「なんじゃ?」
 「私はデウス様に仕える身。同じものを信じてもらえぬか?」
 小太郎は静かに頷いた。

 
> 第1章 > 嵐の前
嵐の前
はしいろ☆まんぢう作品  

 鉢形城を落とした北国軍はそのまま南下し、八王子城下町の手前に位置する横川村に到着すると、八王子城に降伏勧告の使者を出した。これまでさほど大きな戦いもせずに支城を開城させてきた前田利家は、ここでも同様の手段で臨もうとしたのである。
 「関白秀吉様の使いである。鉢形城はじめ周囲の城は既に明け渡たされている。八王子城も悲劇を見る前に早々お渡し願いたい」
 八王子城主は北条氏照であるが、前述している通り彼は精鋭一万の軍勢を率いて小田原城に詰めている。このとき留守居で城代を務めていたのは横地監物吉信という五十算の家老で、城にはもう老臣と、わずか五〇〇あまりの兵が残っているだけだった。ところが横地監物はその使者を斬り捨て、徹底抗戦の構えを見せたのである。
 利家は横川村に陣を敷き、上杉勢には城の東側の案下に火を放って威嚇するよう命じると、自らは上杉景勝と一緒に、小田原の笠懸山にいる豊臣秀吉のところへ、鉢形城攻略成就の報告に出たのであった。ところが面会した秀吉は「ご苦労であった」のねぎらいの言葉ひとつかけるわけでなく、
 「いつまでやっとる!」
 と激怒したかと思えば、利家の北条氏邦に対する厳罰の甘さを散々愚痴る。
 「が、しかし、関白様も降伏した者の命は助けて来たではございませぬか?」
 と言おうものなら、
 「ばっかもん!時と場合によるというのが分からんか!此度の北条は火種を残すわけにはいかん、根絶やしじゃ!信長公もそうしてきたのじゃ!」
 と取りつく島もない。挙句、
 「次は三日で落とせ!」
 と無理難題を吹っ掛けた上に、
 「いま利家の軍勢は三万か? 老いぼれしかおらぬ八王子を落とすにそんなにいらぬ。半分を忍城へ援軍に回せ」
 けんもほろろに突き返された。
 ちょうどその頃、館林城を落とした石田三成率いる別動隊は、忍城攻略に手間取っていた。三成は、秀吉が備中高松城を攻略した時と同じ水攻めの作戦を取るが、折からの大雨で堤が決壊し、逆に自軍に被害が出るといった憂き目を経験している真っ最中である。
 「あの剣幕では今度ばかりは和平交渉などと言っておれまいな」
 顔を見合わせ頭を抱える利家と景勝は、陣に戻るとやむなく直江兼続や真田親子を忍城へ派遣するのである。

 八王子城下は日に日に緊張感を増していた。
 城下を脱出して城に立て籠ろうと試みた五人の僧尼が前田兵に捕らわれ、「城内の様子を教えよ!命だけは助けてやる」と執拗に責められるがついには口をわらず、怒った兵はその五人の尼を斬り捨てた事件や、また、滝村の宝蔵院という男は将兵と小競り合いを起こして殺された。
 そんな著しく不穏な空気を読み取って、周辺の領民達は農民、商人を問わず陸続と城に結集していた。城に籠城し、城と命運を共にしようという者も少なくない。実にその数二千とも三千とも言われており、その半数近くが女、子供であったと想像すると、例えそれが触れによる召集だったにせよ、氏照という人物の領民からの慕われようが伺い知れる。
 大奥の敷地は御主殿と会所が建っている更にその奥にある。
 「最近ずいぶんとお館の周りが賑やかじゃのう?」
 城主氏照の側室お豊の方が、子供たちの遊び声が飛び交う外を気にして吹く笛の手を休めた。
 「お笛様、お稽古中でございます。怠ると氏照様が悲しまれますぞ」
 「それを言うな彦兵衛。わらわは笛を吹くのは好きじゃが稽古は嫌いじゃ」
 通称笛の彦兵衛は、本名を浅尾彦兵衛清範という武士で笛の名手であった。予てより氏照の笛の相手をして大変に気に入られていたが、豊の笛の指南役として普段から御主殿への出入りを認められていた。
 「わらわも遊びたい」
 「だめでございます」
 豊はぷっと膨れた顔を作ると、いつものように「百合、百合はおるか」と声を挙げた。
 「ここに──」と、菖蒲は襖を開けて平伏した。
 「藤菊丸を呼べ。一緒にすごろくがしたい。笛の稽古はもう飽いた」
 藤菊丸というのは氏照と豊の間に生まれた今年五つになる子の名である。この時代、上級武家の子の養育は乳母の仕事であるが、特に正室に嫡子がない場合、側室の子は正室の子として育てられたため、日常の生活は常に別々であるのが普通だった。
 「ただいま御主殿の庭にて、村の子どもらと遊んでおります」
 「それでこんなに賑やかなのだな? でもどうして村の童が御主殿に来ておるのじゃ?」
 「豊臣の兵が八王子城の周りを取り囲んだ様子にございます。それで行き場を失った領民たちが城に集まっているものと……」
 「戦が起こるのか? 百合、なんとかせよ。わらわは戦が嫌いじゃ」
 「御心配には及びませぬ。戦はおそらく起こりませぬ」
 菖蒲は平井無辺調略による無血開城のための工作をしている。調略工作といっても彼と直接接触してどうこうするわけでなく、城の者から情報を引き出し、知り得た情報を流すだけの役割を担うが、血を見るのは彼女とて不本意なのだ。すると、
 「なぜそんなことが言えるのだ?」
 笛の彦兵衛が怪訝な顔をして、「お主、坂東の生まれでないな?」と懐疑の目を向けた。一瞬「しまった」と思った菖蒲は、
 「きっと氏照様がお守り下さいましょう」
 と付け加えた。
 「その通りじゃ彦兵衛。疑うのは良くないぞ。百合はいいやつじゃ」
 豊がそうかばった時、庭の方から法螺貝の音がした。「戦が始まったのか?」と豊は驚いたが、続いて子供たちの大きな笑い声が響いたので、
 「おそらく“お祓い四郎兵”でございましょう」
 と彦兵衛が言った。城中公認の陣貝吹きだが、いつも自慢話ばかりしており、不意にお祓いの真似事をする変人だったから皆からそう呼ばれている。あることないことでっちあげ、大法螺をふくので周囲の者達は誰も相手にしなかったが、子供たちからは絶大な人気を博していた。老中の一人中山勘解由家範は、
 「よいではないか。陣貝吹きだけに法螺も吹くさ」
 と笑ったものだが、その子供たちの声があまりに楽しそうだったので、ついに耐えられなくなった豊は、「ちとわらわも行って見て来る!」と立ち上がると、そのまま部屋を飛び出した。
 「やれやれ、お笛の方様の天真爛漫さにも困ったものだ……」
 一人残された彦兵衛は、大きなため息を落とした。

 その彦兵衛の一番弟子に、狭間の郷出身の隼人という名の青年がいた。彼は宴でよく獅子舞が演じられると、ひときわ目立って笛を吹いたものだが、あるとき氏照が催した月夜峰の宴に出席できなくなった笛彦兵衛は、代理に彼を推挙した。その音色を聞いた氏照は、すっかりその才能に惚れ込んでしまい、以来宴といえば必ず狭間隼人の顔があった。
 そしてもう一人、宴といえば必ず呼ばれる姫がいた。氏照の家臣で篠村左近之助の一人娘、安寧という名の美しい乙女である。
 気付く読者もいるかも知れないが、この“安寧”という名は日本人名ではない。“アンネ”もしくは“アンナ”の当て字である。中国由来の言葉で世の「安寧(穏やかで安定していること)」を願って『安寧寺』とか『安寧門』というのもあるが、その時代有数の権力者が刮目するほどの、且つ、宴のような華やかな場所には常に置いておきたいほどの美貌の持ち主となれば、これはもうハーフであろうと筆者は考えた。問題はこの時代の小田原、鎌倉地方周辺に西洋人女性がいたかである。
 “アンネ”といえばドイツ人女性に多い名だが、当時の日本はドイツとの国交はない。あるとすればポルトガルかスペインだが、ポルトガルではあまり一般的な名でないのに対し、スペインでは“Anna”と綴って“アンナ”と読む女性名は一般的だ。日本の戦国時代のドイツは神聖ローマ帝国の一部であり、ルドルフ二世が皇帝だった時代である。ルドルフ二世は厳格なカトリック教徒で、幼少をスペインで過ごしイエズス会からも絶大な影響を受けていた。そのようなことを鑑みると、大航海時代の船に乗って、ヨーロッパから一人の女性がこの国に渡って来ていたとしても決して不思議でない。しかもトルデシリャス条約からの一五二九年のサラゴサ条約による日本列島分断の歴史においては、西日本がポルトガルの領域圏であるのに対し、東日本はスペインの領域圏である。日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルはスペイン人であるが、西日本の薩摩半島に上陸したのは遭難のためで意図的なものでない。とすれば、九州地方にあれほど頻繁にポルトガル人が渡航していた事実と重ねて、小田原や鎌倉にスペイン人が渡航していないのはおかしな話だ。
 ところがそのあたりの資料が見つからない。『北条五代記』には唐人渡来の図もあるし、一五六五年(永禄九年)には浦賀に明の船が来航した記録もあるので、後北条氏が明と貿易をしていたことは確かだが、とすれば南蛮船も来ていなければ不自然だ。
 昭和五十二年(一九七七)より継続的に行われている発掘調査では、主殿敷地内からベネチア産のレースガラスの破片が見つかっている。現地ガイドの説明によれば、北条氏照の家臣に間宮若狭守という者がおり、彼は天正八年(一五八〇)に使者として織田信長の安土城へ行っている。八王子城が関東の安土城と呼ばれるのもそのためで、石垣や御主殿へ続く虎口門からの石段の造りにその面影が見られる。ベネチア産のレースガラスは、その視察の土産として信長から拝受したものではないかとそのガイドは推察しており、この時代の小田原領内で、この手(西洋産)の品が見られるのは八王子城だけだとも言っていたが果たして本当なのだろうか。ちなみにこの間宮若狭守は、江戸後期に樺太や蝦夷の測量を行った間宮林蔵の先祖であるという。
 日本におけるキリシタンの歴史は九州を筆頭にした西日本が中心で、東日本におけるキリシタンが歴史に登場するのは慶長年間に入ってからである。ではそれまで全くなかったかといえば、それまた首を傾げなければならず、鎌倉にキリシタンがいたことは日本のキリシタン史では知られた話であるらしい。秀吉が九州で発したバテレン追放令によりキリシタンは一旦散り々々になるが、当初徳川家康は、貿易の実利を求めてそれを黙認していた。だから実質、家康が江戸幕府を開く以前から西日本のキリシタン信者が江戸に移住したり、宣教師が関東や東北で布教を始め、鎌倉にも立ち寄った記録も残っている。
 こうしたことを総合的に判断すると、やはりこの時代、八王子に西洋人女性がいたとしてもけっして間違いとは言えないとほぼ強引に結論付けた。所詮ベースとなる物語自体、伝承の域を脱しないのでその方が面白い。ともあれ北条氏照は、この“アンネ”という娘をたいそう可愛がり、城下の宴にはいつもそばに置いていた。
 そうして若い狭間隼人とアンネ姫は、宴といえばいつも顔を合わせるようになった。ひとり身の隼人がその西洋の血が混じる美しい姫の姿をひと目見て心惹かれない道理がない。やがて二人の目線が合うようになり、ついには姫の方もその美しい笛の音を奏でる凛々しい青年の熱い視線を感じると、頬を赤らめて目をそらす。その二人の様子を氏照も薄々気づいていた。
 ところが隼人には越えがたい悩みがある。身分の違いだ。アンネ姫が士族の娘であるのに対し、彼は城下町はずれの貧しい農民の子。しかし惹かれ合う二人にとって身分の壁は、曇りひとつなく磨かれた見えないガラスのようだった。けして結ばれることのない苦悩に苛まれながらも、ある日こんな約束をした。
 「熊野神社に来て……」
 アンネ姫が屋敷のある近くの神社に彼を誘った。彼女の父篠村左近之助は、八王子城下より北に一里ばかり離れたところ、滝山街道近く熊野神社周辺の森の中にクルス紋の家紋を用いた小さな屋敷を構えていた。妻は南蛮女性で、名は──知らない。青い目をした金髪の妻は、城下に出るとやたらに目立つので、それを気にした夫妻は目立たぬ森の中でひっそりと暮らしていたわけである。それ以来、熊野神社が若い二人の逢引の場所になった。
 「これを見て?」
 アンネが足元の小さな小石を拾って隼人に見せた。
 「石ではないか……これがどうした?」
 「ただの石ではないわ、小さいでしょ?小さな石──」
 「小石か?」
 「小石ではないわ、恋しい……」
 「なるほど──」
 隼人はそう呟くと、同じような石を拾って笑って見せた。するとアンネはその石を手に取り、髪を結っていた紐をはずすと、二つの小石を堅く結び付けた。
 「来て!」
 と、嬉しそうに駆け出す後を追えば、すぐに境内に生える樫の神木の前で立ち止まった。
 「この神社はね、そのむかし、諸国を旅した仲の良い夫婦が最後にやっとたどり着いて、紀州の熊野大社を祀ったところなんだって。素敵な話でしょ?」
 そう言うと、先ほど結びつけた小石を根元に奉納して、二人は目を閉じ手を合わせた。するとその功徳か、間もなく氏照から二人に思わぬ沙汰が下った。
 「次の月夜峰の宴で、笛と和琴の共演をせよ」
 と言うのである。アンネに和琴のたしなみがあることを氏照は知っていたようだ。そして迎えた当日、二人は八王子城の重臣達がいる前で、見事な演奏をやってのけた。大喜びの氏照は、
 「今の共演を聴いて勘づいた者もいるかと思うが、この二人は完全にできておる!」
 会場から笑いが起こった。
 「しかし笛吹きの隼人は農民出、士分の娘を嫁にとることはできん。しかしここはわしに免じて二人の婚姻を認めてやってほしい。隼人に士分を与えたいと思うが、左近之助どうじゃ?」
 もとよりアンネの父左近之助も南蛮妻を娶るほどの当時にして大変な変わり者である。おまけにキリシタンということもあり、主の下では男も女も平等という概念は当時の武士達より開けた考えを持っていた。
 「仰せのままに」
 宴は大いに盛り上がり、それから間もなく二人は結ばれた──。

 このめでたい話は城内でも有名である。菖蒲がその話を初めて知ったとき、脳裏にふと浮かんだ男は小太郎だった。
 そのアンネをはじめ士族の女房達は、みな御主殿大奥の庭園にある楼閣に集められていた。そしてときたまそこからもれる和琴の音は、アンネが奏でているものだった。女房達にせがまれたものか、自ら弦を弾いたものか──しかしその和やかな音色は、城に立て籠る者達の萎えそうな心に、確かに希望の灯をともしていた。
 そのころ菖蒲と夫婦約束を交わした小太郎は、ときたま前田兵が巡回して緊迫した空気を漂わせる八王子城下町の中を、鼻歌を歌いながら、浮かれた気分で闊歩している。

 
> 第1章 > 大誤算
大誤算
はしいろ☆まんぢう作品  

 甲賀忍者の情報伝達の手段は、通常真夜中、梟とか野良猫とか蛙の鳴き声を真似て、相手に来たことを知らせ、人目の付かない物陰で密会して密書のやり取りや口伝をする。甲賀忍者の蜻蛉は、その動物の鳴き真似が他の誰よりも上手だった。菖蒲と幸村とのこれまでの連携も、蜻蛉と他数名の甲賀者とを介して行われていたが、その夜も闇で梟が鳴くと、目を覚ました菖蒲は周囲に人の気配がないことを確認し、音もなく外に現れて物陰に身体を潜めた。
 「菖蒲様、飛猿さんからの伝言です。館を出よ──と」
 「どういうことだ?」
 菖蒲は声にならない小さな声で聞き返した。
 「のっぴきならない事態が生じました。幸村様は忍城へゆかれました。作戦は中止との事です」
 「言っている意味が分からんが?」
 「とにかく明日にでも隙を見つけて館を出、八王子からお逃げ下さい」
 「納得がゆかぬ。飛猿はいまどこじゃ?」
 「滝山の熊野神社におられます」
 「私が行って直に聞く。案内せよ」
 と菖蒲は音もなく寝所に戻り、隠ししまっていた忍び装束に着替えると、再び音もなく現れて、蜻蛉の後を追いかけた。八王子城下は風魔党は組の縄張りだが、何度も行き来している蜻蛉にとっては我が家の庭と同じで、どこに蛇が隠れ、毒蜘蛛が潜んでいるか熟知しており、町民に扮している同じ甲賀者の手を借りて、難なく城下を抜け出した。
 やがて熊野神社に着いた時、「ここは噂に聞く狭間隼人と安寧姫の願掛けの場所ではないか」と思い出したが、一息つく間もなく闇の中から飛猿が現れて、来るとは思っていない菖蒲の姿を認めると、
 「菖蒲殿ではないか、一体どうした?」
 と懐かしそうに呟いた。実に半年ぶりの再会である。
 「“館を出よ”とはどういうことじゃ?」
 開口一番菖蒲が聞くと、
 「実は状況が変わった」と飛猿は事態の急変を告げた。
 話によれば、関白秀吉からの強い要請で、忍城への援軍として兵の半分を回さなければならないとかで、真田昌幸様も信幸様も幸村様もそちらへ行かなければならなくなったのだと言う。なんでも戦わずに進軍して来たことが秀吉には不服のようで、今度ばかりはさすがの前田利家公も何も言い返せずに小田原から戻って来たそうじゃと付け加えた。
 「八王子城はどうなる?」
 「幸村様不在では作戦の続行は不可能じゃ。おそらく戦は免れん。早ければここ数日中に狼煙が挙がる。菖蒲殿も一刻も早く城を立ち去られよ」
 と涼しい声で飛猿は答えた。
 「今までの調略工作は無駄になったということか?」
 「一番悔やんでいるのは幸村様じゃ。なんせ最初から自ら手を打っておられたからの。人の石垣からなる坂東武者の城を無血開城してみせると意気込んでおられたわい。ご心痛お察し申し上げたいのう」
 「ほれ、用土源信と申す者がおったろう? そいつも忍城へ行くのか?」
 「あいつは八王子城攻略の要じゃ。こちらに残るだろうな。しかしなんといっても役不足は否めん──」と言った時、彼女の口から用土源信の名が出たことに不審を感じた飛猿は、
 「ま、まさか、菖蒲殿も残るなどと言うのではないでしょうな?」
 と早口で言った。菖蒲は言葉を詰まらせた。
 「情が湧いたか? 甘いですぞ菖蒲殿。それとも何かあり申したか? どちらにせよ悪いことは言いません。幸村様の命令でもある。そうじゃ館を出たら真っ先に蓮のところへ行ってやるのがよい。いま松井田で虎之助が面倒を見ておる。菖蒲姉ちゃんはまだかまだかと半べそをかいておるぞ」
 「蓮か……早く会いたいものじゃ」
 「そうせい、そうせい。わしはこれから蜻蛉と忍城へ向かわねばならん。それとも菖蒲殿も一緒に参りますか?」
 「城でやり残していることがある」
 「そうですか、わかりました……くれぐれもバカなことはお考えなさるな!」
 飛猿はいつになく厳しい口調でそう言った。そこへ、
 「何の相談じゃぁ?」
 突然男の声がした。咄嗟に身構えた飛猿は、闇の中に立つその姿を一瞬にしてとらえ、
 「こ、甲山小太郎、いつの間に?」
 と声を挙げた。
 「お、お前──どうしてここにおる?」
 続けて驚きの声を発したのは菖蒲である。
 「悪いと思ったが、御主殿からずっと後を付けて来た」
 飛猿は怒ったように「付けられていたことに気づかなかったのか?」と蜻蛉の方を睨んだ。
 「相手がわしでは仕方あるまい。あまりそいつを叱ってやるな」と、いつもの減らず口をたたいた小太郎は、静かに菖蒲と飛猿の正面に寄って来た。戦闘意思はないと見定めた飛猿は、
 「ちょうどよいところに来てくれた。ひとつ借りをつくりたいがどうじゃ。菖蒲殿を無事に八王子城まで届けてくれぬか。城下は風魔がぴりぴりしておって危険だ」
 「わしも風魔党の一員じゃぞ。それでもよいか? しかし待てよ?わしは菖蒲の下臣でもあるなあ?」
 「どっちじゃ?」と、飛猿はまどろこっしい奴だなと頬をひくりとさせた。
 「大丈夫だ。小太郎は私の言う事なら聞く」と菖蒲が言った。小太郎は「余計なことを」と顔をしかめた。
 「それより何の話をしていた?」
 「お主には関係なかろう」
 「大ありじゃ、わしと菖蒲は──」と調子に乗って言いかけた時、「小太郎!」と菖蒲が遮った。気持ちは分かるが今言うべきことではない。飛猿は不審そうに二人の顔を交互に見つめて、「なんじゃ、なんじゃ、気になるではないか」と言ったが、続けて、
 「まあよい。では一つだけ教えてやろう」と、間もなく八王子城は戦場になるであろうことを教えた。そして、「わしは別の場所で仕事ができたゆえ行くが、お主もいつまでも風魔になんぞに仕えておらんで、今のうちに次の仕事を探しておけ」と悪たれを吐くと、蜻蛉と一緒に風のように消えてしまった。それを見送った小太郎は、
 「煙管の煙みたいなやつじゃのう」と冷やかした。
 「気が合いそうじゃのぉ」
 菖蒲は小太郎の顔を見てまたぷっと吹いた。
 「なにが可笑しい? しかし、その忍び姿もなかなかよいなぁ」
 「ばか──っ」
 木々のさざめきを作って二人の間に初夏の温かい黒い風が吹き抜けた。
 「いよいよ戦か──」
 小太郎がぽつんと呟くと、「一刻も早く城を出よ」と言われた事や、菖蒲は今聞いた情報をそのまま話すのだった。
 「どうするつもりじゃ?」
 すると少し考えて菖蒲はこう答えた。
 「今回のこの任務は、私が忍びとしての最後の仕事じゃ。どんな形で終わろうと、最後まで成り行きを見届けたいのだ……」
 小太郎はやさしく微笑んだ。
 「菖蒲がそう決めたなら、そうするがよいさ」
 「だが小太郎──」
 菖蒲は少し悲しそうな目をしてその名を呼んだ。
 「城の連中は思いのほか結束が固い。女子供まで槍を持って戦う覚悟じゃ。少数ではあるが火の玉となって敵を迎えうつだろう。あの城は簡単には落ちぬ。燃え尽きるまで」
 「怖いのか?」
 「うむ……」と菖蒲は初めて彼の前で弱気を見せた。
 「そうなったら小太郎、──私を守ってくれるか?」
 「無論」
 菖蒲は安心したようにニコリと微笑み、熊野神社の石段をゆっくり下り始めた。が、途中まで来たとき、不意に何か思いついたように境内に駆け戻ると、足元に転がる小さな石を拾って小太郎に見せた。ここが狭間隼人と安寧姫の二人が結ばれた願掛けをした場所であることを思い出したのだ。もとより浮世の戯言であることは知っている。己の住む世界とはあまりにかけ離れた俗世間の習わしであることも承知のうえで、それでも成就祈願の真似事をしてみたくなったのは、彼女自身知らない心の奥でくすぶっていた淡い乙女心であったに相違ない。
 小太郎は、彼女の白い掌に乗せられた小さな石を見て「なんじゃ?」と言った。
 「小石じゃ、お前も拾え」
 「なぜじゃ?」
 「いいから拾え──いや、そんなでかいのじゃダメだ、もっと小さな石だ、小石(恋し)じゃ!」
 「これでどうじゃ」と小太郎が拾った小石を、菖蒲は奪うように取り上げると、自分の拾った小石と重ね合わせ、黒頭巾の紐を引きちぎって堅くぐるぐる巻きにした。
 「なにをしておる?」
 「いいから見ておれ」と、続いて樫の御神木のところに立つと、堅く結んだその二つの小石を、根元に奉納して両手を合わせた。
 「なんの真似じゃ?」
 「いいからお前もやれ」
 小太郎は首を傾げた。ここは熊野神社である。この名の神社は熊野権現という三人の神を祀っている場所だと聞いたことがある。しかも忍びの者が神社の境内で手を合わせるなどあまり見たことがない。更にそのうえ菖蒲は、
 「お主はキリシタンではないのか?」
 「そのキリシタンの娘もこうしたのじゃ」
 「デウスさんが怒るのではないか?」
 「デウス様は八百万の神の頂点におわす神じゃ。ここの神とも通じておろう。つべこべ言わずにやれ!」
 小太郎は言われるままに両手を合わせた。

 鉢形城が落ちてからまだ五日と経っていない。
 前田利家を総大将とする豊臣軍は、横川に陣を敷いたとはいえ、万全な体勢を整えるには時間がかかる。城下周辺は今、突貫工事の建設ラッシュで、城へ通ずる全ての道を封鎖したかと思えば、仮の陣所や物見櫓、大砲を据える台場などが次々と建っていく。その様子に肝を冷やしながら、八王子城内御主殿の広間では深刻な軍議が行われていた。正面には北条氏照正室の比佐が飾り物のように置かれ、その脇に城代の横地監物が座している。他は老中、奉行などの重臣たちの面々で、その中に風魔党二番頭二曲輪猪助の顔もあった。
 城を取り囲む敵の兵力はざっと見て一万五千、迎え撃つ北条方は多く見積もっても三千足らず。しかもそのほとんどが戦の経験などない領民たちで、武士と呼べる者など五百人ほどしかない。加えてその頼みの綱の武士たちも、みな四〇を越えた古参ばかりで、たまに若者がいたかと思えば、まだ元服したばかりの十五、六の少年だった。戦って勝ち目など皆無なのだ。
 「氏照様が必ず来て下さる。援軍を待つしかない」と言う者もいれば、「開城やむなし」と言う者もいる。「城を枕に死ぬる覚悟で先制攻撃を仕掛けるべし」と言う者もいれば、「敵が動くまで待て」と言う者もいた。しかしいっこうに結論が出ないまま時間だけが過ぎた。
 そんなとき庭の方から子供たちの遊ぶ声が響いた。
 「うるさい! 静かにさせよ!」
 普段は穏やかな老中の一人、中山勘解由がいきなり怒鳴った。しかし「子供じゃ、よいではないか」と言う者など一人もない。
 そんな緊迫した空気とは裏腹に、側室の間では豊が菖蒲を相手に世間話に花を咲かせていた。ひょんなことからある夜滝に忍んで来た小太郎のことを思い出した豊が、「その後会っておるのか?」と執拗に聞くので、「この戦が終わったら一緒になるつもりだ」と顔を赤らめたところ、まるで自分のことのように喜んで、
 「それはめでたい! 祝いには何が欲しい?」
 と、全国津々浦々の名産品の話をし始め、「わらわが着ているこの振袖も、氏照様が京の都の西陣から取りよせてくれたものなのじゃ」と自慢げに見せるのだった。ところがその話にも飽きてしまうと、
 「わらわも氏照様にはよ会いたい……」
 と、ため息を落とし遠くを見つめた。
 「ところで朝から広間では何の話し合いをしておるのじゃ?」
 急に話題を変えてケロリとしているのはいつものことだった。しかし今日の場合は昨夜のある出来事を引きずっているようで、「そういえば昨晩、お比佐殿も呼ばれたと得意気に申しておったが、なぜわらわは呼ばれないのだ?」と不服を漏らす。
 「それはおかしなことですねぇ?」と菖蒲は吹っ掛けた。今更城内の動向を知り得たところで、情報を流すところなどないというのに、この城の行く末がひどく気になるのだ。
 「お笛様は氏照様の御内儀にございます。一緒にお話をお聞きになってはいかがです?」
 菖蒲にとっては側室付き侍女として、大広間の脇に控えて話の内容を聞ける絶好の機会だ。
 「それはよい。じゃが突然わらわが行って、皆がびっくりするのではないか?」
 「おそらくこの城の将来に関わる重要な会議をしていると思われます。その場にお笛様がいないでは、氏照様も悲しまれましょう」
 「百合の言う通りじゃ。よし、参る!」
 豊はそう言って立ち上がると大広間に向かい、軍議が行われている障子を無造作に開けた。そして「わらわも混ぜてくれ」と平気な顔をして比佐の隣にちょこんと座る。菖蒲は隣の部屋で襖を背にして控える正室付きの侍女に向かって目礼すると、その隣に正座した。
 なんの進展もない軍議に豊が現れたことで空気が一変し、氏照家臣たちは再び議論をかわし始めたが、とどのつまりは妙案など出るはずもなく、ついにしびれを切らした猪助は口をはさんだ。
 「風魔衆の二曲輪猪助と申す。恐れながら──かような軍議を続けていても、状況は何もかわりませんぞ。先の鉢形城では北条氏邦様もひと月以上よく持ちこたえられましたが、結局のところ敵の石火矢で総崩れと相成り申した。石火矢を配備されてからでは我らの勝機はなくなりましょう」
 「なにか策でもおありか? 申してみよ」
 横地監物が言った。
 「我らが生き残る道はただひとつ──敵の布陣が完全に整う前に、いや、もっと申せば、こうしている今この瞬間にでも、奇襲攻撃を仕掛けて前田利家の首を取る以外ありません」
 猪助は小軍が大軍と戦う必勝法を知っていた。それは奇襲戦法しかない。北条忍者集団風魔党の十八番である。それ以前に彼にとっては、鉢形の末野で謀られた真田昌幸の首のことを思い出すと腹の底から煮えくりかえる。将の首を討ち取ることは、彼の悲願ともなっていた。
 「源九郎義経の一ノ谷の戦い然り、毛利の厳島の戦い然り、また織田の桶狭間の戦い然り、そして我らが先師北条新九郎氏康公も、河越城の戦いで上杉、足利の大軍を僅かの兵力で破ったのじゃ。勝利はそうやってもぎ取るものではないか!」
 と吠えた。北条新九郎氏康は後北条家第三代目の当主である。天文十五年(一五四六)の「河越城の戦い」は、関東の政局を決定した重大な戦いで、北条家に勝利をもたらした彼の名は、いまや伝説的なものとなって彼らの精神的支柱ともなっていた。
 「しかしなあ、失敗したらどうじゃ? やはり氏照様が来るまで力を温存しておく方が……」
 と言ったのは平井無辺である。彼は端から籠城派で、本音を言えば無駄な血を流すことには反対して、できることなら開城の方策を訴えたいところであった。ところが、
 「氏照様は来ん!」
 と猪助が問答無用で叫んだので、無責任に聞こえたその言葉に「なぜそのようなことが言える!」と、籠城派の者達が立ち上がって目くじらを立てた。
 「よーく考えてみよ! 氏照様の守る小田原城とて、秀吉に睨まれて身動きが取れる状態ではない! 援軍など送っている場合ではないのだ!」
 小田原の様子を誰よりも知っているだけに彼の言葉には説得力があった。
 「いきり立って仲間割れしている場合ではないぞ! まあ座れ」
 監物は立ち上がった者達をなだめると、昔の佳き時代を思い出すように、
 「新九郎氏康様は天下に名だたる名将だった。関八州を平定したのも新九郎様であったのう。さっき猪助が申した河越城の戦いは夜襲であったな。どうじゃ皆の衆、年はとったが我々とて坂東武者のはしくれじゃ。氏照様のためにも、城を枕に死ぬる覚悟を決してみぬか?」
 城代にそう言われては、もはや異存を申す者などない。
 通説では八王子城の合戦は豊臣方が先に仕掛けたことになっている。八王子方にしてみれば百に一つの勝ち目もない戦であるから当然の発想ではあるが、筆者はふと首を傾げてしまう。豊臣方が先に仕掛けたとすれば不自然な点がいくつかあるからだ。
 一点目は戦が始まった時間と状況である。記録によれば前田利家が攻撃を開始したのは六月二十三日深夜、午前二時から三時とするものや午前一時から三時とするものがあり、しかもそのとき夜霧が立ち込めていた。豊臣は数万の兵である。仮に武力行使の決定がなされていたにしても、領民を含めた僅か数千の敵を相手に、わざわざそのような攻めにくい時間を選ぶだろうか?これは明らかに奇襲する側に利のある時間と状況なのだ。
 二点目は戦が開始された直後は、八王子方が優勢だった点である。豊臣方が先に仕掛けたとすれば、記録にあるような無残な押され方はしないはずであり、これは明らかに八王子方が念入りな罠を仕掛けていたことを意味するのではないだろうか?
 三点目は利家が最初に開城勧告の使者を送ったとき、城代横地監物はその使者を殺してしまったとされる点である。これは明らかに抗戦の構えである。
 四点目に、豊臣勢が鉢形城を落としてから八王子城攻めまでの日数が短いのではないかと思う点である。鉢形城陥落が六月十四日で八王子城攻めが六月二十二日深夜だからその間八日。数万の兵がおよそ一〇〇キロの道のりを移動するのに最低でも一日二日はかかるとして残り六日間、大将の利家が秀吉に謁見していたとしたら更に一日減ることになり、鉢形城でその威力を発揮した石火矢の運搬と設置の時間を考えればおそらくこの六月二十二日というのは最短だったとも言えるだろうが、鉢形を落とすのに一ケ月以上かかっている上に、八王子城も山の地形を利用した天然の要害であり、前身とも言える滝山城はかの武田信玄をして落とせず、それより強固な山城攻略にかくも安易に攻め込むものか?
 五点目に、これまで前田利家率いる北国軍は、さして大きな戦火を交えることなく開城勧告を主に支城を落城せしめて来た。それが秀吉の激昂を買ったからといって短絡的に行動に移すとは少し考えづらく、攻めるにしてももっと盤石な備えをしてからだろうと筆者は思う。
 八王子方にしてみれば、氏照が精鋭部隊を小田原城へ引き連れて行ってしまった時点で、城主の本城にて戦う覚悟を読み取っていただろうし、戻って来ないことは予測の範疇の上で、城主が戦う以上開城など考えなかった。何より六点目に、小田原城を守る氏政をはじめ、八王子城の氏照、そして鉢形城の氏邦はことごとく主戦派であり、彼らはみな「一代のうち数度の合戦に負けたことがない」とされる第三代当主北条氏康の子である。北条早雲以来、着実に成長、発展してきた北条家の“名門の誇り”があった。人間とは利害で価値を測るのでなく、最後は崇高な精神的価値に生きる動物でありたい。彼らには、籠城であれ野戦であれ、最後まで戦うしか道は残されていなかったに違いない。もしその状況の中で、仮に大将の首さえ討ち取ることができればという水中撈月な話が実現可能になったとしたら、奇蹟の夜襲成功を成し遂げた三代氏康の魂が、自分たちにも宿っていると考えても不思議はないのだ──。
 監物の言葉を受けて議論し尽くした強面の武将たちの視線が、最後の決断を求めて正面に座る正室比佐の方へ一斉に注がれた。
 「な、なんじゃ、その眼は──こ、この重大な局面を私に決めろと申すか?」
 比佐は目を丸くして震え上がった。そのとき、
 「よいではないか」
 と重い空気を引き裂いたのは豊の高い声だった。
 「わらわはようわからんが、その身体のでかい男が申したことが一番わかりやすかったし、良いと思ったぞ。いろいろ悩んでおらんでそうすれば良い」
 袋小路に突き当たり、万策尽きて次の一歩を踏み出せない時、ふと飛び出してきた鼠に驚いて、思わぬところに道を見出したような、豊のあっけらかんとした言葉はそこにいる者達の腹を決めさせた。菖蒲は静かに瞳を閉じた。

 
> 第1章 > 暗闇の布陣
暗闇の布陣
はしいろ☆まんぢう作品  

 八王子城の布陣は腹さえ決れば電光石火の如くであった。
 深沢山山頂の本丸に氏照正室の比佐と側室豊が産んだ嫡子藤菊丸を隠すと、それを城代の横地監物吉信と大石信濃守照基の守りで固め、その下の「小宮曲輪」と「中の曲輪」と「松木曲輪」は優将中山勘解由家範と狩野飛騨守一庵らが守り、そして山城の麓に向かって「金子曲輪」「山下曲輪」「近藤曲輪」と、それぞれ勇猛果敢で知られる近藤出羽守綱秀や金子三郎右衛門家重らに固く守らせることにして、城山川を挟んだ山の尾根伝い、見張りの役割を担う「太鼓曲輪」には、機転の利く平山左衛門尉綱景が付くことに決まった。山城の曲輪というのは本丸までの急峻な細道に作られた人の立ち入れる平坦な部分を言い、屋敷が建つ曲輪もあれば、櫓や倉庫が置かれた曲輪もある。いずれにせよ土塁で高く盛られた上などにも設けられ、攻撃に適した場所である。そこに石弓などの罠を仕込む作業が急ピッチで進められ、翌日にはでき得る限りの準備を整えた。
 大手門から太鼓曲輪の山裾を城山川に沿って進めば、右手前方に川を渡す曳き橋がある。その下は城山川を堰き止めて作った天然の水堀、橋を渡れば御主殿の敷地内に通じるが、曳き橋さえ落としてしまえば敵は御主殿内には入って来れない落とし橋の作りになっている。それは逆に言えば完全なる孤立を意味し、まさに背水の陣の構えで戦いに臨む計画なのだ。
 「曳き橋より火の手が挙がったら戦闘開始の合図だ!」
 そう申し合わせると、おのおのは持ち場に散った。六月二十二日の事である。

 敵に城の意向を伝える使者の役目を言い使ったのは平井無辺であった。上杉将兵の藤田信吉(用土源信)や大道寺政繁とも旧知であることからその重要な任を託された。趣意は開城勧告の使者を殺害してしまったことへの謝罪と、領民の命は助けるという条件を受け入れてくれるなら開城もやぶさかでない旨の伝達である。もちろんこれは奇襲を隠すため、敵の油断を誘う策であるが、もともと開城を望んでいた彼は、敵を欺くに適任とされたのである。
 無辺は書状を懐にしまうと、馬に乗って御主殿を出るところであった。
 「無辺様!」
 呼び止めたのは菖蒲である。無辺は厳しい表情をほころばせて「おお、百合か」と馬を止めた。
 「こんなことになってすまなんだ。暇を与えるゆえ、もう館を出るがよい。お前はもともとここの人間ではないからの。もう会うこともなかろう」
 「城の外は危険です。おやめください」
 「そういうわけにはいかん。使者を仰せつかった。そうじゃ、藤田信吉に会うてくるぞ。なにか伝えおくことはあるか?」
 無辺は百合が藤田信吉(用土源信)にゆかりのある者だということを思い出した。
 「源信様はいま、先鋒を仰せつかり、川口の館(現・調井神社)におられます」
 無辺は首を傾げた。
 「なぜ百合がそんなことを知っておる?」
 「兄上が私のことをひどく心配しており、頼って行くようにと便りをくれたのです」
 「そうであったか。兄は今どこじゃ? 商売は繁盛しておるようか?」
 「兄上はいま、忍城下です」
 「なに、忍城に? あちらも秀吉軍に包囲されて大変な様子じゃ。巻き込まれなければよいがなぁ……。ではさらばじゃ」
 無辺は馬の横腹を蹴った。
 「無辺様!」
 「なんじゃ?」
 「どうか戦をくい止めて下さいませ!」
 それは菖蒲の本心だった。無辺は馬上で振り向いて、ひとつニコリと笑うとそのまま曳き橋を渡って行った。

 さて、こちらは風魔党は組の屯所宗関寺である。夜の帳が降り、俄かに集合した六、七十人の忍び装束の組員達は、猪助を取り巻いておのおの動きの最終確認をしていた。普段より組員が多いのは、小田原からい組の精鋭メンバーを呼び寄せたからで、みな猪助の片腕として働いている者達ばかりだから、実質、風魔党最強の忍び集団と言えた。
 「曳き橋に火の手が挙がった時が戦闘開始の合図じゃ」
 と猪助が言う。夜襲作戦の全容はこうである。
 火の手が挙がるのを確認したら、各曲輪から陣貝が鳴り響く手筈である。その音を聞いて慌てた豊臣軍の各陣所にはそれぞれ数人のは組の組員を潜ませておき、一斉射撃で敵をあぶり出す。そうしたら深追いはせずに城に向かって走り、敵を八王子城の入口にある近藤曲輪までおびき寄せるのだ。そこに鉄砲隊を潜ませておき、できるだけ引き付けたところで片っ端から討ち取り、あらかじめ仕込んでおいた石弓や落とし穴を使って殲滅せしむ──。
 深夜で視界が悪いという条件は同じだが、「ならば土地勘や地形を知り尽くした我らが圧倒的に有利である」と猪助は確信を込めて言った。
 「騒ぎを受けて必ず前田利家は現れる。それを待ち伏せ一気に襲撃して首をとる!よいか!」
 「おうっ!」
 暗闇に男たちの不気味な声が響いた。
 ただしこの作戦には最初から大きな欠点がある。兵数の少なさだ。長引けば長引いた分だけ不利になるのは明らかで、こちらが優勢なうちに利家を討つことができなければ「この戦は負ける」と猪助は断言する。まさに一瞬の時を逃すことのできない一髪千鈞を引く計画なのだ。
 猪助はその最も重要な利家襲撃部隊に加える十人の名を挙げた。絶対に失敗の許されない部隊であるから、い組の者が中心だったが、そこには組組長の半助が加わり、あとは、
 「甲山、お前も加われ」
 と厳しい目つきで言った。
 「わしは御主殿の守護に回りたい」
 「なにぃ?」
 「いつぞや殺しに忍んだ百合という侍女を助けてやりたい。罪滅ぼしじゃ」
 「ずいぶんとその女にこだわるな? 利家の首を取れば戦は終わる。敵は御主殿まで到達せぬ」
 猪助は不審の眼で小太郎を睨んだ。
 「相分かった──」と小太郎は仕方なく答えた。

 そのころ使者として城を出た平井無辺は、川口の館に陣を張る用土源信のところにいる。ところが彼の心には一つの蟠りが生じていた。それは城を出る時に百合が、兄からの便りの話をしたことによる。道中、前田軍の兵らしき者達に「どこへ行く?」と尋問を受け、そのたび事情を説明することになったが、いま城下は豊臣の兵があちこちに見え、考えてみれば城への道はすべて遮断されている。外部から城に便りなど届くはずがないのだ。用土源信が川口に陣を構えたのもここ一日、二日の間であるはずで、そのとき既に城下は豊臣軍に占拠されていたはずだから、源信の居場所を百合が知り得るはずがない。
 「なぜ知っていた?」
 蟠りの正体はそれである。不審が不審を呼ぶと、彼女が城に現れた日にまで記憶が遡り、いかにも不自然な面だけが際立つ。そして、あのとき風魔党の猪助も「話が出来すぎていて怪しい」と言っていたことを思い出すと、無辺の顔は蒼白になった。
 「もしや──豊臣の間者か──?」
 無辺は源信に城からの伝達事項を忠実に伝えると、
 「百合という娘を知っておるか? お主の兄、藤田重連殿の小姓をやっていた男の妹だ。年は二十歳程かの?」
 と聞いてみた。すると源信は「はて?」と首を傾げた。
 「上野国の仁山田にある小野屋という紬屋で奉公していたと聞く。お主もそこにたびたび越後の魚を贈っていたのではないのか?」
 「ますます分からんぞ……第一、仁山田に知り合いなどおらぬし、兄貴が小姓を雇っていたなどという話も聞いたことがない……」
 「やはり──」と無辺は百合が間者であることを確信した。
 となると、別れ際に彼女が「戦をくい止めてほしい」と言った言葉は意味が逆で、「早く戦をやれ」ということになる。しかし奇襲をすることは評定で決定したことであるし、自分は開城の意思があると敵の油断を導くために来たわけで──、百合が戦をさせようとする意図が理解できない。彼の頭は混乱した。
 一方源信の方は、覚えのない女の名が出てきたことの背景に、真田の思惑が働いていることに勘づいて「話を合わせておくべきだった」と後悔していた。二人は互いの腹の内を探り合いながら次の言葉を見つけた。
 「久し振りに会ったのじゃ、酒でも飲むか?」
 と源信は近くの男に命じてどぶろくを用意させた。
 「我らの寄居の郷(鉢形)もいまや関白殿下のものだ。小田原城とてじき落ちる。無駄な抵抗をして多くの命を失うより、城を明け渡した方が利口だとは思わぬか? 時代というのは変わるものじゃ。変化変化の連続じゃ。わしはつくづく思う、兄が身内の手によって殺され、流れ行きついたところが上杉よ。お主が坂東武者でございと威張っていられるのは、たまたまここにずっと居ることができたからであって、ひとたび場所や環境が変われば、人はそれに順応して生きていかねばならん。ひとつ問うが、お主は何のために奉行をしておる? 氏照のためか?国のためか?己のためか?」
 源信は盃に酒を注ぎながら言った。
 「わしは源信殿とは真逆じゃ。ここに居ることができたればこそ、ここに恩義を尽くすのじゃ。それが人の道と心得る」
 「では問うが、人の道とは何じゃ? 意地を通して命を落とすことか? 実はわしは戦が嫌いじゃ。だから調略をもって城を落とすことを覚えてきた。そして上杉景勝公も前田利家公も極力血を流さぬようにここまで進んできたのだ。ここ八王子でもできれば無駄な血は流したくないと思っておるだろう。帰って横地殿に伝えよ、一刻も早く城を明け渡せと」
 「戦をしたくないのはわしとて同じ──」
 と無辺が呟いたとき、百合が「戦をくい止めてほしい」と言った心は、間者という立場を越えて、一人の人間としての本心の言葉ではなかったかと思い直した。国は支配している者のためにあるのではない。そこに住む民のためにあるのだ。不作の年も、年貢の取り立てが厳しい時も、たとえ明日食べる飯がなくても、まったく希望を見いだせない日々が続こうとも、それでももがきながら生きようとする民が、どうして国のためになら死んでもよいと考えるものか。もしそんな民がいたとすれば、それは権力という圧力に扇動されているか、時の教育に洗脳されているだけなのだ。
 「やはり戦などしてはいかんのう……」
 と無辺は己の本心を吐露した。
 「どうした? 急に深刻な顔をして?」
 源信は無辺の変化に気づいてそう言った。無辺は思い悩んだ表情のまま、
 「これを言ったらわしは子々孫々、末代まで裏切り者の烙印を押されることになる」
 と呟いた。
 「しかし言わねば領民を殺すことになるだろう。真の坂東武者とは単に勇ましい武将のことではなく、領民のために生き、尽くす官僚武士のことではあるまいか?」
 無辺は城の決定を裏切ることはできても、自分を裏切ることはできなかった。
 「間に合うだろうか?」
 「なんじゃ、申せ」
 無辺は奇襲作戦の秘密を打ち明け、その作戦が決行されてしまう前に、作戦中止の指示を出すよう城代横地監物に訴える行動に出る決意をしたのだった。
 「まだ間に合う! 急げ!」
 無辺は八王子城築城の際、自らも縄張りをした普請奉行でもある。城の構造に関しては他の誰よりも詳しい。上杉兵を率いた用土源信は、その彼の案内で、城の者にもあまり知られていない城の北西にある搦め手口から山頂の本丸へ通ずる裏道を走った。

 そのころ御主殿の曳き橋を守護する数人の兵は、篝火を炊き、橋にべっとりと油を塗る作業を進めていた。一人の兵が柄杓で油を撒きながら、
 「なんだか霧が出てきたぞ」
 と、周囲を見渡して言った。
 「視界が悪ければ悪いほど我らには有利に働くはずじゃ。なんせわしらは目をつむっていたって城下を歩けるからなあ。きっと八王子権現様が微笑んでくれているのさ」
 「平井無辺様がまだ戻られんが……」
 「ひょっとしたら捕虜にされた可能性もある。定刻になっても戻らなかったら、諦めて火を放つしかあるまいな」
 そのとき、どこからともなく悲し気な笛の音が聞こえてきて、兵達は顔を見合わせて微笑み合った。
 「笛彦兵衛と隼人だ……戦の前に師弟の共演とは、粋なことをしてくれるねぇ」
 するとそこに楼閣から漏れる和琴の音が重なって、音楽が華やかなものに変わった。
 「安寧姫が加わったぞ。いや、今は隼人の嫁だから姫ではないな、奥か」
 その音は側室の間にも降り注ぎ、まさに眠ろうと床に就いた豊まで、
 「この音はなんじゃ?」
 と百合を呼び、「わらわも吹きたい」と庭に出て、氏照下賜の『雲丸』を奏で始めた。
 そうなると、太鼓曲輪に控えていた陣太鼓打ちまで軽快なリズムを刻み始め、八王子城内は祭りさながらの愉快な空気に包まれた。陣貝吹き担当のお祓い四郎兵も太鼓曲輪に詰めていたが、当時北条家に加護されていた宝生座が演じる能楽『羽衣』を、見よう見真似で上半身裸になって踊り始めたものだから、そこにいる者達は緊張を忘れて腹を抱えて大笑い。太鼓曲輪を任された平山綱景も、
 「これで豊臣兵も大きな油断をするに違いない」
 と笑いながら眺めていたが、調子に乗ったお祓い四郎兵が、突然手にした陣貝を吹こうとしたものだから、綱景は慌てて差し止めた。
 「ばかもの! 陣貝など吹いたら、戦が始まったと勘違いするではないか!」
 四郎兵はなんの悪びれもなく「へえっ」と頭を掻くと、
 「では次は『花月』をご覧いただきやしょう!」
 と、再びへたくそな舞を踊り始めた。
 その笛と琴と太鼓の音は、これから起こる悲劇をまるで知らないように、いつまでも響いているのであった。

 
> 第1章 > 利家、絶体絶命
利家、絶体絶命
はしいろ☆まんぢう作品  

 関白秀吉の大勘気を喰らった前田利家は、八王子城下犬目の陣所に宿営していた。ここを立つとき利家は、お礼に兜を置いていったことから甲神社となり、その周辺を甲ノ原と呼ぶようになって現在に伝わる場所である。
 つい先ほど、用土源信からの使者が「八王子城が開城の検討をしている」旨を伝えると、再度開城勧告の書状をしたためて使者に託した利家は、一層憂患の表情を浮かべて外に出、
 「力攻めで落とせと言われてものう……」
 と、ため息を落として、八王子城のある方角の空を眺めた。
 ──すると、闇夜の中にぼんやりとではあるが、薄いオレンジ色の光が目に飛び込んだ。「火事か?」と思えば、遠くの方で法螺貝の音が鳴り響き、なにやら佳からぬ予感が胸を覆う。
 「何事じゃ?」
 「はっ、ただいま調べに走らせます!」
 「遅い!火の手が挙がって陣貝が鳴っておるのじゃ。これは小競り合いの騒ぎではないぞ、すぐ馬を用意せい!」
 と慌てて甲冑を身に纏い、支度をしている最中にも、
 「八王子軍奇襲!」
 「大道寺政繁隊出撃!」
 「難波田憲次隊、木呂子友則隊同じく出撃!」
 「山本家基様討ち死に!」
 と次々と急報が飛び込んできた。蒼白になった利家は「出陣じゃ!」と大声を張り上げると、数十名の家臣を従え、馬にまたがって犬目の陣所を飛び出した。

 そのとき城の入り口で近藤綱秀が守りを固める近藤曲輪は大騒然となっていた。近藤曲輪はもともと綱秀の屋敷が建っている場所であるが、そこに今は百名近くの守り手が鉄砲を握っており、風魔党の挑発に乗って猪突猛進して飛び込んだ豊臣兵は、瞬く間にその伏兵に討ち取られ、闇夜の中にばったばったと倒れていく。曲輪には篝火ひとつ炊いてなく、少し遠くで燃える曳き橋の炎の明かりだけが城の存在を教えているだけで、進撃する兵達が握る松明は、皮肉にも敵に自分の居場所を示すだけの目印になっていた。その上、霧が立ち込め足元も見えないために、倒れた兵に躓いた者は、後から押し寄せる兵達の障害となって転倒の連鎖反応を導けば、櫓の上からその塊めがけて、弓矢が夕立のように放たれた。
 「引けっ!」
 と退却命令が飛び交えば、細い道では退く兵と進撃する兵とがぶつかり合って、右往左往するところを上から容赦なく石弓や熱湯が降ってくる。この攻撃で先鋒の大道寺政繁隊は数百人もの兵をあっと言う間に失うことになる。
 「下手に飛び出せばやられるぞ!」
 と、そこからしばらく鉄砲の打ち合いが始まった。すると山下曲輪の櫓の上に松明を持った一人の男が姿を現わし、
 「我こそは北条氏照様が家臣、近藤出羽守綱秀である! 見事この首とって関白秀吉にご覧ぜあられよ!」
 と叫ぶ。これまた挑発に乗った豊臣兵は、遠くて当たるはずのない鉄砲をバンバン撃ち込み、無駄に弾を使うだけ。
 その近藤綱秀には十七になる布衣という名の美しい末の姫がいた。美しいながらも気丈な性格を持つ布衣姫は、普段から薙刀の稽古を怠ることなく、この時も御主殿を守り抜こうと、襷、鉢巻を撒いて薙刀を抱え、おびえる女、子供たちを鼓舞して回っている。

 ちょうどその頃、前田利家出撃の報を待つ猪助を頭とした利家襲撃部隊は、息を潜めて宗関寺で待機していた。そこへ、
 「藤田信吉の陣所がもぬけのからだ! 鉄砲を放った時には既に誰もいなかった!」
 と伝えに来たは組の組員がいた。藤田信吉といえば平井無辺が使者として向かった場所だ。猪助は一抹の不安を覚えたが、いまさらどうこうできるわけでない。
 「捨ておけ」と言ったとき、
 「利家が犬目の陣所を出たぞ!」
 と息せき切って報告に飛び込んだのは、は組組長の半助だった。
 「ゆくぞっ!」
 猪助は勢いよく立ち上がると、先陣きって馬に飛び乗り、城に押し寄せる豊臣兵には目もくれず、利家が向かって来る陣営めがけて逆方向に一直線に突き進んだ。その後ろを疾風のごとく追いかける風魔騎馬隊の最後尾には、なにやら乗らない顔付の小太郎がいた。
 果たして利家本陣の騎馬隊と襲撃隊が鉢合わせしたのはそれからすぐのことである。将を取り巻いて進み来る騎馬隊の旗指物がことごとく前田家家紋の加賀梅鉢だったのと、将と思われる男の鎧兜がひときわ豪華できらびやかだったのですぐにそれと知れた。それでも真田昌幸のときの失敗があるから、馬上から目を皿のようにしてその具足を睨みつければ、並の大名などには真似できるべくもない金小札白絲素懸威胴丸に相違ない。
 「あやつじゃ!」
 猪助は雷鳴のように叫んで利家を守りながら進軍する騎馬兵の中に突っ込んだ。途端に利家の陣列は乱れ、落馬する者や馬上から槍を振り回す者などで、大混戦劇が始まった。
 利家を守る兵は百人以上に膨らんでいたろうか、それを僅か十人たらずで襲撃したのである。所詮勝ち目などない──と思われたところが、闇の中で目が利き騎馬を使いこなす忍び集団は、自分の馬から敵の馬へと飛び乗って、馬上の兵の首を掻き切り、馬から落ちた者は相手の馬の脚を斬って落馬させ、すかさず刃を突き刺し、再び馬に飛び乗ったと思えば、騎馬の横側にしがみつく恰好で馬の体を盾にして乗りこなす見事な馬術で、あれよあれよと言う間にその数を減らしていった。
 中でもひと回り身体の大きな猪助の殺陣はそれに輪をかけて鮮やかで、その動きに寸分の無駄もない。いつかい組の誰かが言っていた通り、忍び刀を持たせれば飛ぶ蠅を斬り、騎馬にまたがれば天を駆け、鉄砲を持たせれば一丁先の雀を落とすと比喩された技は、まさに歴代の風魔小太郎の誰より勝っていると言っても過言でないだろう。彼の横を駆け抜ける騎馬兵は、どこを斬られたのか分からないまま落馬し、遠くで背後から襲われそうな味方を見れば、鞍に据えつけた鉄砲を抜いてその敵を一撃で撃ち倒し、槍を掴んで兵もろとも投げ飛ばす怪力を見せたかと思えば、突然馬上から消えて五人の歩兵を同時に斬り捨てる芸当もやってのけた。
 「こりゃ風魔が勝つぞ?」
 騎馬戦が不得手な小太郎は馬から降りて、自分の所に寄って来た兵だけを相手にしながら、他人事のようにその光景を眺めていたが、やがて、十数人の騎馬兵が護衛する利家に、じりりと詰め寄った猪助の姿を見た。
 「利家の親衛隊じゃ。あいつらは猪助とてそう簡単には殺れまい」
 馬上の猪助は奪った槍を一振り二振りして、気合とともに先頭の兵に突き刺せば、バランスを崩した馬が隣の馬を巻き込んで倒れた。すると周りで戦う数人の風魔忍者が放った手裏剣が、ことごとく兵が乗る馬の脚に突き刺さって倒れ、利家も馬を失った。将を射んと欲すればまず馬を射よとはまさにこのことで、騎馬戦術法を熟知している風魔の見事な連携プレーだ。
 猪助は馬を飛び降りて、槍を捨て忍び刀に持ち替えた。すかさず親衛隊の一人が斬りかかったが、次の瞬間目も留まらぬ速さで倒れ込むと、続く一人も一回、二回と太刀と太刀との火花を飛ばしたものの、やはり同じように倒れて息絶えた。
 猪助の周りではその戦いの邪魔立てはさせまいと、い組の連中が円を描くような陣を作って激しい奮戦をしている。その激闘の中で、やがては組の半助が斬られ、次に二、三のい組の男も手傷を負って戦闘から離脱した。
 その後も猪助は利家の親衛隊を一人二人と斬り捨てたが、次に出て来た男はただ者でなかった。体格は猪助と同じくらいだが、その目付き、その構えからは殺気というより洗練されたそよ風のような気が漂っている。
 「富田重政と申す。お相手仕ろう」
 富田重政といえば中条流(冨田流)創始者冨田九郎左衛門長家の三代目、天下に名を馳せた剣豪である。猪助は俄かに目つきを変えた。
 「どうする猪助──」
 と小太郎が目を凝らした時、倒れ込んだままの恰好で脚を掴む一人の男がいた。
 「なんじゃい、うるさいのう」とその手を振り払おうと蹴り返したところが、小太郎はその男の顔を見て驚愕した。
 「う、右近──高山右近殿ではござらんか! どうしてこんなところにおる?」
 「それは私の台詞じゃ……」
 右近は落馬して腰を痛めているようで、苦しそうに小太郎の襟元を握って身体を起こした。
 「偵察に出ると申して金沢を出たきり、一向に戻ってこないもので随分と心配したのであるぞ。いったいどこで何をしていたのですか?それにその恰好──まさか、この襲撃集団の仲間になっていたのですか?」
 小太郎は猪助と富田重政の勝負の行方を見届けたいのに、まったく間の悪い登場である。ところが小太郎にはないがしろにできない訳があった。
 「そういえば、兄上に報告しなければいけないことがあるのじゃ」
 “兄上”と呼ばれたことに右近は首を傾げた。
 「実は……その……なんじゃ……菖蒲と夫婦になることにした──」
 この状況でそれはなかろう。右近は暫く言葉を失ったが、やがて我に返って、
 「そんなことより又左衞門殿(前田利家)を助けてやって下さい。彼にはこの命を捧げても報い得ない恩義があるのです」
 と小太郎の手を握って頼み込む。命を捧げても報えない恩義とは、右近が伴天連追放令で追われている際、利家に匿われたことを言っているのであろう。小太郎にとっては菖蒲の兄から結婚の許しを得たいところであったが、
 「うむ──仕方がない、わかった」
 と頷くと、激しい戦闘状態の渦中へムササビのように飛んで行き、今にも斬りかかろうとしていた猪助の前に立ちはだかった。
 「なんだ甲山、どけ!」
 「猪助、すまぬが急に利家を守らねばならぬ事情ができた」
 「つまらんことを言うとお前もろとも斬り捨てるぞ!」
 猪助は容赦なく小太郎を斬りつけたが、そのひと突きひと振りを巧みにかわした小太郎は、ひらりと後方に飛び退いて、富田重政に向かって小声で「鼻と口を押えて利家を連れて逃げよ」と告げると、懐から団子ほどの大きさの黒い塊を取り出して、猪助の足元に向かって投げつけた。すると“ボウッ”という音をたてて破裂したかと思うと、凄まじいばかりの煙を吐き出し、視界零パーセントの暗黒の世界を作り出した。そればかりでない、ようやく煙がおさまってきたかと思えば、先ほどまで猛烈な戦闘を繰り広げていた周辺の兵やい組の者達までも、おのおのしきりにくしゃみをしたり、鼻を垂らして目を真っ赤にさせて、涙をボロボロ流して戦いどころでない。
 いわゆるそれが伊賀に伝わる煙玉の威力であった。硝石を細かく砕いてすりつぶし、そこに砂糖を加えて混ぜるのが基本だが、更に山椒や胡椒、唐辛子や山葵などを大量に含ませて団子状に丸める。それを破裂させると煙と共に、周囲に飛散した刺激物が目や鼻を強く刺激して敵の戦闘力を極端に奪う。
 だがそのへん猪助はさすがで、小太郎が煙玉を取り出した時にはすぐにそれと知った。呼吸を止めて目や鼻を覆っていたからその被害は免れた。しかし煙が次第に消えていった時には、前田利家は既に逃走を始めていて、もはや残った風魔の手勢だけではそれを追いかける余力は残っていなかった。
 猪助は一発必中の時を逃した。
 怒髪天を突く形相で渾身の力を込めて忍び刀を振り下ろせば、太さ二、三尺ある丸太とて一刀両断するはずだった。ところがそれを頭上で受け止めた小太郎の刀は、猪助の刀を真っ二つに砕いてしまった。
 「ほう、流石名刀正宗じゃ」
 小太郎は刃こぼれ一つしていないその刀を見て驚いた。
 「退却じゃあ!」
 猪助は小太郎の顔を睨み付けると、残された数人の風魔党を引き連れて鳥のように去った。

 そのころ近藤曲輪は大道寺政繁隊の執拗な攻撃によって徐々に押されていた。兵数も少なければ武器弾薬も底をつき始めていたのである。
 「風魔衆の猪助はまだか?」
 と山下曲輪の近藤綱秀は焦燥の色を隠せなかったが、ついに鉄砲の弾が切れると自ら槍を握って櫓を飛び出した。それを合図に両陣営入り乱れの接近戦となるが、多勢に無勢、決死の奮闘虚しく綱秀は山下曲輪の土となる。
 「本丸目指して進めぃ!」
 大道寺政繁は標高四六六メートルの急峻な八王子城を登りはじめた。

 城代に奇襲作戦中止を訴え出ようとした平井無辺は、あるかないか分からないような獣道を登ってついに本丸守護のために作られた一つ「小宮曲輪」に出た。しかしそのとき既に曳き橋には火が放たれ、奇襲作戦の火ぶたは切って落とされていた。麓の方からは激しい鉄砲の打ち合いの音が聞こえている。
 「小宮曲輪」を守っていたのは中山勘解由家範である。八条流馬術の達人で槍の名手でもある彼はこのとき四十三歳であった。茂みの中から突然現れた無辺の姿に驚くと、次々と現れる上杉兵の多さに慌てながらも手にした槍を身構えた。
 「取り急ぎ監物様に訴えたき義があり申す!」
 無辺は叫んだ。
 「よもや裏切ったか!その後ろの兵は何じゃ!」
 見れば細い獣道、曲輪まで上がって来れない上杉兵達は、つかえて鈴なりの列となって下方まで延びていた。その列を伝ってバケツリレーのように、ちょうど用土源信の手元に届いたのは使者が預かって来た前田利家の書状である。源信はその書状を広げて前に進み出、
 「残念ながらお主らの奇襲は失敗じゃ。この通りたったいま、前田利家様から開城勧告の書状が届いたわ。その方らの要求を受け入れ、そなたらの命も助けたいと申しておる。即刻抵抗を中止させよ!」
 このとき源信は、利家が辛くも襲撃を回避したことを知らない。しかしタイミングがタイミングだけに、てっきりそう思い込んだ。書状を受け取った勘解由の体は、読み進めるうちにわなわなと震え出す。そして、
 「もはやこれまでか──だがこの期に及んで敵のお情けを頂戴するわけにはいかぬ。私は北条家の武士である」
 そう言い残してその場に正座し甲冑を脱ぎ捨てると、腹部を開いて短剣を突き刺した。その一部始終を曲輪の建物の中から覗いていた勘解由の妻は、後を追うように自刃する。
 監物のいる本丸へ向かおうとした無辺らの前に、今度は、死に際に最後のひと花を咲かせようと老臣狩野飛騨守一庵が立ちはだかった。彼はいわゆる宿老で、現代の議会でいえば議長に当たる重鎮でもある。そこに、
 「ただいま近藤曲輪が落ち、敵が金子曲輪に侵入してきました!」
 という報が飛び込んだものだから一庵の闘志に一層大きな火が点いた。「中の曲輪」と「松木曲輪」の兵達を、無辺と源信が登って来た「小宮曲輪」に集中させて、茂みの中の細い獣道に向かって一斉射撃をしたものだから、行き場のない上杉兵達は山の斜面を転げ落ちた。
 こうして一庵は奮闘するも、麓の方から攻め寄せる豊臣兵が、金子曲輪を落としてここに到達するのは、もう時間の問題だった。

 
> 第1章 > 八王子城の悲劇
八王子城の悲劇
はしいろ☆まんぢう作品  

 近藤曲輪が落ちると、豊臣軍は堰を切ったように城内になだれ込んだ。本丸がある山の方面へ向かう兵と御主殿へと向かう兵とが二分し、御主殿へ向かった兵は焼け落ちた曳き橋の袂で躊躇するものの、後ろから暴風雨の水路の激流の如く押し寄せた兵が、やがて破裂した水道管のように列を乱せば、清らかな城山川を堰き止めて作られた淵を泳いで渡り切る。水堀さえ渡ってしまえばもう御主殿はすぐそこだが、高く積み上げられた土塁を登るには何人もの兵が協力し合う。転げ落ちながらもそれでも数が数だけに、やがて一人二人と這い上がる。
 一方、月夜峰の本陣で騒ぎを聞きつけた上杉景勝も、大軍を率いて出羽山の尾根を進撃し、上ノ山から太鼓曲輪に押し寄せた。太鼓曲輪は城山川南側に盛られた土塁の尾根伝いに細長く伸びた曲輪で、敵の侵入を防ぐために五メートルから十メートルの堀切があった。守備をするのは平山綱景だが、もともと見張り専用の曲輪であるから少人数の上に腕利きの武将もいない。堀切なども時間稼ぎの役割を果たすだけで、やはりそこも数の力で押され雑作もなく壊滅させられると、景勝はそのまま御主殿のある方へと嵐のように進軍を続けた。
 その太鼓曲輪、闇夜の残り火の中に、夜風にさらされた幾人もの死体が残る。すると、その中の一人が指をピクリと動かして息を吹き返した。お祓い四郎兵である。彼は血だらけでボロボロになった衣服の泥を払ってヨロヨロと立ち上がると、己の使命を思い出したかのように命尽きるまで陣貝を吹き続けるのだった。

 あちこちでうなり響くその音は衰えることはない──。
 しかし御主殿を守る兵は僅かなものである。その中に笛彦兵衛と狭間隼人の姿もあった。あとは鍬や鎌を刀や槍に持ち替えた領民の男たちで、何人かの女たちも混ざっている。近藤綱秀の末娘布衣姫は、既に命を落とした父のことも知らされぬまま、覚悟を決めた美しい表情を恍惚とさせ、焼け落ちた曳き橋の小さくなった炎を見つめていた。
 楼閣に身を潜めている女たちはみな恐怖におののき、身体をブルブルと震わせ身を寄せ合い、小さな子を持つ母などは、子を強く抱きしめたまま念仏や題目を唱えていた。そんな中にふと鳴り出したのは美しい和琴の音である。アンネが皆を勇気づけようと、その張り詰めた弦をはじいたのだった。
 「子らよ、怖くはないぞ、泣くでない。私の腹にも子があるが、泣いてはおらぬぞ、我を見よ」
 と、アンネは母性の笑みを湛えて、ひたぶるに弾き続ける。
 その音色が外を守護する者の耳にも届いた。
 やがて御主殿最後の砦となる虎口門が打ち壊され、冠木門も破られると、そこから二人、三人、ついには怒涛のように豊臣兵が侵入して来て、弓兵は館めがけて容赦なく火矢を放った。
 「させるな!」
 八王子兵がどっと豊臣兵に攻め入れば、たちまち御主殿周辺は竜騰虎闘の大混乱に陥った。ところが衆は寡に敵せず、みるみる数を減らしていけば、それにはたまらず御主殿広間や会所に立て籠っていた女、子供、年寄りどもも、みな我先にと逃げ出して、ついに建物の障子に火が燃え移れば、大奥の楼閣の者たちも悲鳴を挙げて飛び出した。
 阿鼻叫喚の地獄とはまさにこのことを言うのであろう。武器も持たない逃げ惑う女子供を、豊臣兵は手心なく斬りつける。唯一の逃げ道であった御主殿の滝に通じる門前は前古未曾有のパニック状態。門を出た急な細い坂道を転げ落ちては、次々に滝の中に身を投げた。
 笛彦兵衛も倒れ、狭間隼人も大きな手傷を負って息も絶え絶え。布衣姫も女ながらによく奮戦したが、とうとう深手を負って燃える館の片隅に座り込んで天を仰いだ。
 「きれい……」
 彼女が見たのは満点の星空とも見まごうオレンジ色の無数の火の粉である。彼女は最後の力をふり絞ってヨロヨロと立ち上がると、おぼつかない足取りで父を探しに前線を離脱した。
 燃える楼閣、炎の中に、たった一人残って琴を弾き続けるアンネの姿があった。やがて壁が音をたてて崩れ、弦もプツリと切れた時、彼女の目の前に現れたのは背に矢が突き刺さり、這いつくばって手を伸ばす血まみれの狭間隼人である。
 「隼人!」
 アンネはその身体にしがみつき、ドクドクと流れ出る血をふき取るが、もはや愛する夫は虫の息──隼人はアンネの手を力なく握りしめ、
 「逃げよう……」
 かすれる声でかすかに笑った。
 次の瞬間、楼閣の屋根は崩れ落ち、二人は炎の中に消えた。

 どこをどう歩いて来たのか分からない──布衣姫が力も尽きて身を横たえたのは、御霊谷と呼ばれる地区を流れる川のほとりだった。父の守る近藤曲輪にたどり着いたことまでは覚えているが、既に戦いが終わり、死体だけが風に吹かれる静けさを見た時記憶が途切れた。どうやら朦朧とした意識のまま、夢遊病者のような彼女の姿を横目に見る、戦いに乗り遅れ雑談などしている豊臣兵がたむろする大手門前広場を横切り、太鼓曲輪の尾根を越えてここまで来たものらしい。布衣は急に喉の渇きを覚え、川の水をすくおうと手を伸ばした。ところが淀みに映る己の顔を見て言葉を失った。城下を歩けば男たちはみな振り返るその美しい顔が、焼きただれて見るも無残に膨れあがっている。はだけた肩も胸も真っ赤に焼けただれ、ふためと見れぬ醜い姿となっていたのである。
 そこに通りかかったのが菖蒲救出のため、御主殿に向かって走って来た小太郎である。
 「おい娘、御主殿はどうなっておる?」
 ところが娘は背を向けたまま何も答えない。小太郎は不審に思って肩に手を置けば、
 「見ないで!」
 布衣は発狂したごとくに叫んだ。そのとき小太郎は彼女の焼けただれた横顔を見た。そのことで、御主殿がただならぬ事態になっていることを知り、再び疾風のように駆け出した。それから間もなく布衣姫は、その川に身を投じたと伝わる。

 御主殿の火の手は豊のいる側室の間にも刻一刻と迫っていた。さすがの菖蒲も気が急いて、
 「お笛様、お逃げください」
 いつにない厳しい口調で豊を見つめた。
 「皆はどうした?」
 「すでに館を出たものと」
 「藤菊丸はどこじゃ?」
 「比佐様とご一緒に本丸の方に」
 「困ったのう……」
 豊はそう言って遠くを見ると、
 「わらわが館を離れてしまったら、氏照様が帰った時に心配するのではないか? それにしても熱い──」
 豊は羽織った氏照からもらったと言う艶やかな西陣染めの振袖を脱ぐと、その上に愛笛雲丸を置いて扇子を仰いだ。
 「百合は熱くないのか? 難であればそちだけでも外に出て参ってよいぞ」
 「そういうわけにはいきませぬ。私はお笛様の侍女でございます」
 「強がりを申すな。さきほどから額に汗が出ているではないか──」
 そう言って自分の袖口で汗を拭きとると、
 「仕方がない、では一緒に外の空気を浴びに参るか?」
 「はい」
 菖蒲は豊の腕を引っ張るように、速足で御主殿の外に出た。思った通り建物の虎口側は大きな炎に包まれて、大奥の方に猛然と燃え広がってくる。
 「おぉ、やっぱり外は気持ちがよいの!」
 ひんやりとした空気が首筋の熱を奪い、豊が気持ちよさそうに深呼吸したとき、二人は数人の豊臣兵に取り囲まれた。菖蒲は咄嗟に懐の合口を引き抜いた。
 「そなた達は何者じゃ?」
 豊はいつもの口調で社交辞令のように言ったが、何も答えないので、
 「豊臣の兵にございます」
 菖蒲は小声で教え、続けざまに「逃げます」と言って豊の手を引っ張った。
 「まて、部屋に着物と笛を置いたままじゃ。取りに戻らねば」
 菖蒲は困った。豊を炎の中へ行かせるわけにはいかないし、今にも襲い掛かろうとしている兵を前に、まさか豊ひとり残して自分が取りに戻るわけにもいかない。躊躇した菖蒲に一人の兵が襲い掛かった。菖蒲はその刃をはじこうと合口を振り上げたとき、敵の刃をかわしたのは雷のごとく現れた小太郎だった。
 「何をしていた! 遅いぞ!」
 「すまぬ、ちと野暮な仕事に使われた。そういえば右近に会ったぞ」
 「兄上に──?」
 菖蒲は少し驚いた表情をしたが、
 「そんなことよりお笛の方様を頼む!」
 と言うと、燃え広がる炎の中へ飛び込んだ。
 「おい菖蒲!どこへゆく!」
 その隙に豊臣兵が一斉に小太郎を襲った。それらを名状しがたい早さで斬り捨てた小太郎だったが、気づけば周りには何十人もの兵が集まって来ているではないか。
 「こりゃキリがないわい。菖蒲め、どこ行った……」
 そのとき菖蒲は炎の中を、豊の振袖と雲丸を握って側室の間を飛び出たところ──戻ったときには豊をかばいながら小太郎が猛戦奮闘している最中で、彼女が来たのを確認した小太郎は、
 「目と鼻と口をおさえろ。最後の一つじゃ!」
 と言って敵の足元に煙玉を投げつけた。濛々と煙が噴き出す中、三人はなんとか窮地を脱したが、御主殿の敷地内はどこもかしこも豊臣兵だらけでもはや逃げ道などない。その上そろそろ東の空も明るみはじめ、ますます見つかりやすい状況が生まれていた。すると菖蒲が「こっちじゃ」と二人を誘導して走る。それは彼女と連携をとるため、甲賀の蜻蛉が密かに引いた御主殿内で最も人目が付かない道筋で、掘立物から石灯籠へ、石灯籠から溝へ、溝から塀へと移動して、蜻蛉が空けた塀の穴を潜り抜ければ御主殿の外に抜け出せた。ところが三人が出た場所は、幾百もの屍が横たわり、血の色で真っ赤に染まった御主殿の滝だった。
 「見てはいけません!」
 思わず菖蒲は豊の眼前に立って視界を遮った。しかし既に遅く、豊は腰が砕けたように膝を落として、
 「これはいったい何の有様じゃ? わらわはいったい何を見ておる?」
 放心状態となってもう何も喋べらなかった。
 「追手が来る。早くここを去らねば危険じゃ」
 小太郎が言ったので、菖蒲は豊の体を抱き上げた時である。どこからともなく飛んで来た矢が豊の胸に突き刺さった。豊は「うっ」と呻って血を吐いた。続けざまに数本の矢が飛んで来て、小太郎はそれを刀ではじき飛ばしたが、睨んだときには射手は頭を引っ込めてしまった。豊は自分の血を見て我に返った様子で、
 「百合……ひょっとしてわらわも死ぬのか?」
 意識が遠のいているのだろう、その言葉には覇気がない。
 「そんなことはございません!早くここから逃げましょう!」
 しかしもう呼吸さえ困難と見え、菖蒲の襟元を力の限り掴んで最期の言葉を口ずさむ。
 「百合、ひとつ頼みがあるが聞いてくれぬか?」
 「なんなりと──」
 「この着物と雲丸を氏照様に届けてくれ……」
 豊は息を引き取った。幼少より感情を持つなと教えられた菖蒲の瞳から、幾筋もの露がこぼれ落ちたのを小太郎は見た。
 その時である。先ほど弓を射って頭を隠した数人の豊臣の射手が、突然御主殿の崖を転げ落ちて来たのだった。射手がいた所に目をやれば、そこには数人の黒い人影が立っている。風魔の残党を引き連れた猪助に相違ない。
 「甲山、どこに参る?」
 「どこへゆこうとわしの勝手じゃ!」
 「邪魔だてしておいて、生きて戻れるとでも思ったか」
 「おお、すまなんだ。しかしあれにはいろいろ事情があったのじゃ」
 猪助はカモシカのように御主殿の崖を下ると小太郎の前に毅然と立った。そして豊の亡骸を抱く菖蒲を睨み、
 「最初からお笛の方様をそうするつもりでいたな!」
 「違う!」と叫んだ菖蒲に、猪助はいきなり斬りかかる。その懐に飛び込んで猪助の大きな体を抑えつけた小太郎は、
 「菖蒲、逃げろ!」
 と叫んだ。ところが、菖蒲が豊の着物と笛を掴んで立ち上がったところを、今度は別の風魔の男が火車剣を放った。火車剣とは中心に火薬を仕込んだ手裏剣で、導火線に着火して投げると攻撃物を爆破し引火を導く。菖蒲は手にした着物を煽るようにして火車剣をはじいて包み込むと、次の瞬間破裂して着物の裾がメラメラと燃え出した。その身のこなしで彼女を完全にくノ一と見切った猪助は、
 「アヤメとは誰じゃ!」
 鬼のように叫ぶと、菖蒲は裾が燃える着物の襟を、頭にかぶるようにして走り出した。
 「逃がすな!追え!」
 五、六人の風魔の男たちは菖蒲の後を追いかけた。そうはさせまいと懐から取り出して放った小太郎の小苦無は、二人の風魔の足に突き刺さって倒れ、どのように移動したのか小太郎は、残りの四人の風魔の行く手に立ちふさがった。が、その隙に、小太郎の抑えつけから自由になった猪助は、すかさず菖蒲を追い始めたのだった。
 「まずい!」と思った小太郎は、すぐに猪助を追おうとしたが、風魔の一人が投げ込んだ鎖鎌の鎖が足にからまり、転倒して逆に四人に囲まれた。
 「逃げよ!菖蒲!」
 次の瞬間、彼を襲った鎖鎌の刃が二の腕を斬った。反射的に正宗を引き抜き襲った男の経脈を斬り返したが、取り囲む風魔の残党は先の利家襲撃に加わっていたい組の強者たちで、小太郎といえどもそうやすやす倒せる相手ではない──。

 そのころ、本丸目指して激しい銃撃戦の末金子曲輪を破った豊臣軍先鋒隊は、用土源信率いる上杉隊を寄せ付けずに奮戦している狩野一庵の曲輪に津波のように押し寄せた。そうなったらひとたまりもない、あえなく一庵の命も潰える。
 本丸、山頂曲輪の大石照基は、城代の横地監物に言った。
 「もはや再起の時を待つより仕方ございません。ここは私が食い止めますので、その間に檜原城へお逃げ下さい!」
 檜原城は北条家に重く用いられた土豪平山氏重の居城で、秀吉の北条攻めにおいても最後まで抵抗した城の一つである。この後も八王子の敗残兵を収容して籠城することになるが、このときはまだ落ちておらず、監物らにとっては最後の望みだったのだ。平井無辺がもたらした利家の書状はすでに監物の手に届いており、彼は比佐と藤菊丸の顔を見つめて言った。
 「前田利家はお方様と子の命は救うと言っておりますが、いかがしましょう?共に参りましょうか?」
 とはいえ、女子供の足が共ではすぐに見つかり捕らえられるのは目に見えていた。比佐は目を閉じて答えた。
 「氏照の城が落ちて細君が生き延びたとあらば、末代までの笑い者となりましょう。かくなる上は自害するよりほかありません。介錯をお願いします」
 世に言う坂東武者とは、こうした女性の潔い性質に支えられていたのかも知れない。比佐と藤菊丸は八王子城の本丸で果て、横地監物は山伝いに敗走するのであった。その時間稼ぎに大石照基は獅子奮迅の闘いを見せるが、間もなく城の守備兵達はことごとく討ちとられ、城は落ちた。
 東の空に太陽が昇り始めた時分のことである。

 
> 第1章 > 落情らくじょう
落情らくじょう
はしいろ☆まんぢう作品  

 八王子城が落城したとき炎の中に、キラキラと燃える金色の着物の片袖が飛んでいくのが見えたと言う。後にその片袖は氏照の側室豊の方の召しもので、小田原の氏照を慕って舞っていったのだと伝えられるが、菖蒲が豊の燃える着物を持って走る様はまさにそれだった。
 御主殿の滝から左手に落ちた曳き橋を見た彼女は、そのまま大手門を出て門前広場を駆けた。燃える着物の炎が尾を引いた光景は流星さながらで、その後ろを猪助が韋駄天が如く追った。
 猪助も速いが菖蒲も速い──
 このあたりは氏照家臣の屋敷が立ち並ぶ根小屋と呼ばれる場所だが、菖蒲はその屋敷の路傍に置かれた荷車を足掛かりに、ひょいと屋根の上に飛び乗り、燃え尽きようとしていた着物の炎を叩き消し、かろうじて燃え残った片袖を抱えて再び走った。
 一方、残り三人の風魔に取り囲まれた小太郎は、敵の攻撃をかわしながらなんとか足にからまる鎖を解いた。早く猪助を抑えなければ菖蒲が殺られるという焦りから躍起になるが、なんとも手ごわくなかなかその状況を脱する隙を与えてくれない。既に煙玉は尽きたし、下手な忍び道具も通用する相手でない。何か利用できるものはないかと周囲に意識を張り巡らせば、一人の風魔の近くの木の枝に、二、三匹の蛇がとぐろを巻いているのを見つけた。これ幸いとばかりに、
 「お主、その木から少し離れた方が良いと思うがの」
 小太郎の不意な言葉に乗せられまいと、男は何も答えず身構えたままだったが、
 「見たところマムシじゃ。わしにやられる前にそいつにやられるぞ」
 蛇は蝮でなく毒を持たない青大将だったが、現にこの城周辺には蝮がよく出ることをその男は知っていた。蛇と聞いて恐れる人の多いことを利用した小太郎の心理作戦だが、案の定、男は横目で木に目線をやれば、僅かにギョッとした気を発して隙を作った。それが狙い目で、小太郎の手から飛び出した八方手裏剣は男の腕に突き刺さり、刀を落としたのを合図に残りの二人の風魔が同時に小太郎に斬りかかる。それを右手の太刀と左腕の鎖帷子で受け止めた小太郎は、片方の男の体を足掛かりに木の上に飛び乗った。と思えば枝の蛇を投げつけ、その隙に猪助の後を追い始めたのだった。
 御主殿の滝から大手門につながる上の道に出、二人の風魔が追って来るのを確認した小太郎は、門の少し手前で撒菱をばら撒いて門をくぐった。細かな遁術だが優秀な忍者はそうしたことを忘れない。門をくぐる直前というのは足元より障害となる門の方へ目がいくもので、思惑通り二人の風魔の足裏深くに撒菱が突き刺さり勢いよく転げた。目をみはるような不可思議な忍術といっても、実はこうした小さな遁術の積み重ねで、その点小太郎の方が一枚上手だったと言えよう。
 そのとき菖蒲は城から半里ばかり下ったところの明観寺の境内で猪助に追い込まれた。走り続けても体力の差でいずれ追い付かれ、城下を熟知する猪助からは逃れられまいと判断した彼女は、右手に見えた寺に咄嗟に飛び込んだのだ。
 菖蒲は肩で息をしながら合口を引き抜いて身構え、猪助も背の刀を抜いてじりりと詰め寄った。
 「女狐め──甲山と通じていたな?」
 眉間から声を出しているかのような猪助からはプラズマのような殺気がほとばしっている。菖蒲は呼吸を整えながら、身に迫りくる死の恐怖と戦っていた。
 その時である。
 どこからともなく季節外れのトンボが飛んで来たかと思うと、一直線に猪助の背中に噛みついた。猪助はチクリとした痛みを感じて振り向けば、そこに黒装束の一人の男が立っている。
 「蜻蛉!」
 思わず菖蒲が叫んだのは、飛猿と一緒に忍城へ行ったはずの彼の姿を認めたからだ。となれば今飛んで来たトンボは蜻蛉型の手裏剣で、突き刺さった先には毒が塗ってあるに相違ない。甲賀のそれは鳥兜と毒空木と毒芹などを調合した特に殺傷力の強いものなので、普通の人間であれば四半時もしないうちに身体に異変が生じ、泡を吹いてやがては死に至るはずである。菖蒲は窮地を脱する光明を見出した。
 「菖蒲さん、やはりまだ八王子におられましたか。飛猿さんが“どうも気になる”と心配され、こうして私を遣わせました。間に合ってよかった」
 「あなどるな。こいつは風魔一の使い手だ!」
 言うより早く、猪助の切先は菖蒲の心臓めがけてロケット花火のように走った。それをかろうじて交わした彼女だが、勢いに押されて倒れ込むと、すかさず今度は蜻蛉が猪助の背中に斬りかかった。その剣を難なくはじき返した猪助は縦に横にと刀を振り、すばしっこい蜻蛉の身体を追い回せば、その一振り一振りが彼の黒装束を切り裂くのが見て取れた。
 「だめだ、格が違う──」
 菖蒲はそう思いつつ「早く毒が回れ……」と念じたが、見る見る追い込まれた蜻蛉は、猪助の刃によって咽喉を掻き切られて果てたのだった。
 「蜻蛉!」
 と叫んで、菖蒲は倒れた彼のところへ駆け寄ろうとしたが、テレポーテーションでもしたかのような猪助は彼女の行く手を遮った。もはや涙を飲むより仕方ない。こうとなっては蜻蛉の分まで自分が生き延び、故郷甲賀で彼の帰りを待つ女房子供に、彼の最期を伝える使命を帯びた。あとは毒が回るまでの時間稼ぎをすることしか思いつかない菖蒲は、
 「私を斬るか? 斬るならば斬れ!」と猪助を睨んだ。
 「言われなくともそうするさ」と猪助が刀を振り上げたとき、
 「最後にいい思いをさせてやろうと思ったが残念だ」
 菖蒲は最後の賭けに出た。
 そこで問答無用の刀を振り下ろしてしまえばいいのに、「その手には乗らぬ──」と言ってしまうところが、猪助が五代目風魔小太郎になれなかった性がある。どうも彼には非情になりきれない忍びとしての甘さがあるようだと言っていた小太郎の言葉を思い出した菖蒲は、
 「甲山小太郎のことだ」
 と俄かに妖艶な笑みを浮かべ、襟元を僅かに下げて艶めかしいうなじをのぞかせたのである。普通の男なら生唾のひとつも飲み込むところだが、果たして猪助は乗って来るだろうか──?
 「なんだ──? どうせ最後だ、聞くだけ聞いてやろう」
 猪助の険しい表情に変化は見られなかったが、菖蒲は「かかったな」と思った。
 「さっき小太郎が言っておったが、燃える御主殿に来る前、あいつは高山右近に会ったと言った。前田利家に同行している武将だが、もともとあいつは右近に仕えていたのじゃ。というからにはお前が実行した利家襲撃作戦に小太郎も加わったということになるが、私の話を聞いてなにか思い当たる節があろう?」
 猪助は表情に面妖な色を作った。あるもないも利家を斬ろうとしたまさにその直前に、突然小太郎が邪魔をして千載一遇の機を逃してしまったのだ。その失敗により八王子城は無残に落ちた。その雪辱を思い出すだけで猪助は気が狂いそうになるほど腹わたが煮えくり返る。そして、あのとき小太郎が「急に利家を守らねばならない事情ができた」と言った言葉が、自分を背き、高山右近の命令に従ったものだと知ったとき、小太郎に対する憎悪は再び炎のごとく燃え上がり、顔を真っ赤にさせた。
 菖蒲は自分が右近の妹であることは言わない。憎悪が自分に向くことを避けたからである。ここは猪助の憎しみの感情をすべて小太郎へ向けておく必要があったのだ。菖蒲は続けた。
 「やはりな。利家を仕損じたのは小太郎が邪魔だてをしたからであろう」
 挑発を誘うような笑いに「黙れ!」と猪助は再び刀を振り上げた。
 「待て、早まるな! まだ話は終わっておらぬ」
 菖蒲はゆっくりと続ける。
 「実はこの戦が終わったら、私は小太郎と夫婦になる約束をしている」
 これは意外な展開だ。てっきり小太郎へ激しい憎悪を向けさせたと思いきや、その小太郎と自分が結婚すると言う。「なに?」と猪助の目付きがまた変わった。その変化の中には、小太郎がしきりに百合という侍女にこだわっていた理由が理解できたということもあるだろうが、もう一方に、いま目の前に立っている美しい女が、けっして許すことのできない男の妻になることに対する嫉妬と羨望が入り混じっていることも見てとれた。
 「やはりこやつも男だ──」と、菖蒲は猪助の心の動きをとらえたことを確信した。
 「お前は小太郎が憎くはないか?」
 「言うな! お主を斬ったら次はあいつだ!」
 「それよりもっと面白いことをせぬか? 小太郎に最大の屈辱を味あわせるという──。私とてまだ死にとうはない。そこで相談をしたいのだが──」
 「最大の屈辱……? 命と引き換えにわしと手を組もうとでも言うか?」
 猪助は警戒しながらも菖蒲の目を暫くじっと見つめた。その目の中には、それまで猪助自身が出会ってきた数々の女忍者と同じ、目的のためなら手段を選ばぬしたたかな怪しい光が宿っている。猪助は彼女の相談とやらを聞くだけ聞いてみようと思った。
 一方菖蒲は、表情ひとつ変えずに猪助の目を見つめ返していたが、内心では「早よ毒が回れ!」と必死に念じていた。どうもこの男、免疫があるのかそれとも余程体が鈍いのか、でなければ蜻蛉の放った手裏剣に毒が塗っていなかったか、それとも刺さりが浅かったか、一向に毒が利く様子が見えないことに、焦りを表情に出すまいと必死に努めた。
 「小気味よいくノ一の目じゃ。なんじゃ、申せ──」
 猪助が言った。ついに菖蒲はくノ一としての最後の手段を持ち出すより仕方ない。
 「私は小太郎の妻となる。しかしまだ一度も男女の契りを交わしたことはない。あいつは私の最初の男となろう。しかし、妻になるはずの女が別の男に犯されたとあればどうじゃ。小太郎にとってお前が最大の屈辱となろう。どうだ? この穢れなき身体、小太郎より先に抱いてみたいと思わぬか?」
 猪助はニヤリと微笑んだ。
 「なかなか面白い相談だ──だがくノ一の言葉は信用できぬ。信じて欲しくばまずはその小刀を鞘に納めてこっちに渡してもらおう」
 菖蒲は言われるとおりにした。すると猪助も刀を背の鞘に納め、その細い女の身体をぐいと抱き寄せ、菖蒲の華奢な顎を大きな指で掴んで口元に引き寄せた。見つめれば見つめるほど美しい女だ──。
 ところが刹那、男の欲情に満ちた目が、何かに驚くような目つきに変わった。ようやく毒が利いてきたものか、身体の異変に気付いた猪助は、先ほど斬り捨てた男が最初に投げた手裏剣に毒が塗ってあったことを悟ると、これまでの埒もない会話が、毒が回るまでの単なる時間稼ぎであることを知ったのだった。
 「何が塗ってあった?」
 「なんの話しじゃ?」
 「とぼけるな。さっきお前の仲間が放った手裏剣じゃ!何の毒じゃ!」
 「知らぬ」
 「知らぬわけがなかろう!」
 猪助は背中の刀を引き抜き、今度こそ菖蒲を斬らんと見がまえた。
 「私を斬れば解毒の法を失うぞ」
 菖蒲が静かに言ったとき、猪助は体の不調を覚えながらも不敵な笑みを浮かべた。
 「生憎だが、わしら風魔の頭衆の忍びに毒は通用せぬ。幼き頃より微量の毒を含ませた飯を食わされ抗体ができておる」
 とはいえ苦しそうな目付きからすれば、甲賀の毒の方が風魔のそれよりやや勝っていたのだろう。その時──、
 「待て猪助!」
 彼の背後で聞き覚えのある叫び声がした。小太郎である。ようやく菖蒲を見つけて現れたのだ。猪助はすかさず切先を菖蒲の咽喉元に突き付け、人質をとるようにして面を向けた。
 「ほう、い組のあの連中から逃れて来るとは、貴様もとんだ喰わせ者だな!」
 小太郎はすぐに「いつもの猪助ではない」と察した。余裕がなく、切羽詰まった眼は、すぐにでも菖蒲を殺そうと血走っている。小太郎はこれまでにない危機感を覚えずにいられない。
 「猪助わかった! なんでもするから菖蒲を離せ!」
 「もう遅いわっ!」
 言ったと思うと、猪助の太刀は菖蒲の柔らかな胸を貫いた。彼女の着物がみるみる血に染まっていくのがはっきり分かった。小太郎の瞳孔は壺のように見開かれ、「菖蒲っ!」と叫んだ時には猪助はその場を立ち去ろうと走り出す──。
 ところが激情した小太郎の速さといったらない。ツバメか獲物を狙うカワセミのように猪助に追いつくと、闘争本能をむきだしにして風に乱れた柳のように太刀をぶんぶん振り回す。一見滅茶苦茶だがその刃の動きには寸分の無駄もないことは戦う猪助が身で知った。
 これにはさすがの猪助もたまらない。おまけに毒の回った身体ではかわすのがやっとで、ついに小太郎の刃が猪助の片腕を斬り落とすと、猪助は腕から吹き出る血しぶきを目潰し替わりにして、狂ったように襲い来る小太郎の目に吹きかけた。それによって小太郎は視界を失い、その隙に猪助は姿を消した。
 「どこじゃ猪助!出てこい!」
 余力のままに狂気の太刀を振り回す彼の背後で、
 「小太郎……」
 という菖蒲の呻きに似た声が聞こえた。小太郎は「はっ!」と我に返り、猪助の血でかすれる視界の中に、倒れたままの菖蒲の姿を見つけた。咄嗟に駆け寄り身体を抱き上げ、
 「菖蒲!死ぬな!」
 と、いつか彼女が自分にしてくれた止血をしようと、彼女の懐にあるはずの用土家の家紋の入った薬入れの印籠を探したが、菖蒲はその動作を差し止めるように彼の手を握った。
 「もうよい……」
 その手には三寸ほどの大きさの銀で作られたマリア像が握られていた。おそらくお守りのように片時も離さず持っていたものに相違ないが、小太郎は初めて目にするそれに、彼女が死を受け入れようとしているのを感じ取った。
 「菖蒲! だめだ! 死んではいかん!」
 「お前と会えて、楽しかった……」
 小太郎はその手を強く握り返した。すると安らかな表情で微笑んだ菖蒲は、遠のく意識を引き戻すように、
 「小太郎──私の最後の望みを聞いてくれるか?」
 「なんじゃ!」
 菖蒲は力なく懐から豊の方の愛笛雲丸を取り出すと、
 「この笛とそこの着物を北条氏照に届けてはもらえぬか──」
 「こんなときに他人の心配などしておる場合か!」
 「主君を持たぬお前には分からぬ……頼む……それと……」
 「わかった! もういい体力がもたん、何もしゃべるな!」
 「松井田に蓮という名の童女がおる。お前と夫婦になったら三人で暮らそうと考えていた……」
 「菖蒲、しっかりしろ!」
 「あぁぁぁ……よい気持ちじゃ……」
 菖蒲の瞳から生気が消えた──その瞬間、頭の中で何かが切れたようなキーンという甲高い音が耳鳴りのように鳴り響けば、思考は何かの光源の世界に抛り込まれたように真っ白になった小太郎は、無造作にその亡骸が自分の身体と一つになれ!とばかりに抱きしめた──。
 とめどなくこぼれ落ちる涙と、彼女の血が作った赤い水たまりに、気付けば雲間から漏れた朝の陽が差し込んでいる。すると、
 「小太郎──」
 その陽光が彼の名を呼んだ気がした。見上げれば一筋の光の中に、まばゆいばかりの天使が昇天していく姿を彼は見た。
 「テレジア……」
 小太郎は涙を拭いた。

 八王子城落城の悲劇の有様が小田原に伝わると、北条家の士気は著しく低下した。こと城主であった氏照の落胆は床を叩いて号泣したほどで、それまで強硬派の旗印でもあったその男の悲しみの姿は、彼自身の威信をも失墜させる。
 そして間もない天正十八年(一五九〇)七月五日、北条氏政と氏直親子は降伏し、天下の名城と謳われた小田原城はついに開城するに至る。 当主氏直は家康の娘婿だった縁もあり一命は助されるも流罪、 氏政は切腹を命ぜられそれより四日後に自らの命を絶つ。そして氏照も同様、

 天地の清き中より生まれきてもとのすみかに帰るべらなり

 という辞世を残してこの世を去った。享年五十一とも四十六とも言われる。ここに北条早雲以来五代に渡って関東に栄えた北条氏は滅亡した。
 ついに天下を完全統一した豊臣秀吉は、次なる戦国の舞台への扉を開くのだった。

     【第一章 終わり】
 
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朝鮮通信使
はしいろ☆まんぢう作品  

 豊臣秀吉の小田原征討の最中、九州より海を渡った対馬で一組の夫婦が誕生していた。対馬領主宗氏第二〇代当主宗義智と、小西行長の娘妙である。妙の方は父行長の勧めで洗礼を受けており、キリシタンの間では“マリア”と呼ばれているが、このとき義智二十二歳、妙はまだ十五歳の生娘であった。もっともこの時期義智の方は大忙しで、ろくに婚礼の儀などしている暇がなかったので、後日改めてという話で妙も納得していた。
 ここで読者に思い出してほしいのは、末蔵という男が朝鮮へ渡った時の話である。確か天正十六年(一五八八)の初春であった。当時対馬領主は宗義調であったが、秀吉の「一年以内に朝鮮国王を従属させ上洛させよ」という無謀な命令を受け、その調停のため朝鮮王朝との板挟みの中で、彼はその年の十二月に仕事半ばでこの世を去っていた。その後領主になったのが義智というわけだが、義調から引き継いだ難題の遺産はそのまま大きな悩みとなる。
 義調は苦慮の末、実現不能な秀吉の“朝鮮国王上洛要求”を、それでも見込みのありそうな“日本国統一祝賀のための通信使派遣要請”に話をすり替え、国使の名のもとに柚谷康広という男を朝鮮へ派遣したが、帰国した柚谷が秀吉と面会した際、
 「どうも彼らは日本への海路がわからぬと申しまして──」
 朝鮮側の言葉をそのまま伝えると、秀吉は、
 「ばっかもん、そんな稚児のような返事を聞くために朝鮮まで行ったのか!」
 と大激怒。根掘り葉掘り聞かれてついに柚谷は、朝鮮側の本心を「我が聞き出したのだ」と鼻高々に話してしまう始末。つまりその理由として、一つに書簡の内容が傲慢であること、二つにもともと日本は身分の低い者が国王になってしまう低俗国家であること、三つに日本は明国に属さないので要請に応える必要はないと言われた事である。それをそのまま伝えたわけではないだろうが、「交渉の失敗はおのれの裏切りによるものじゃ!」と秀吉の逆鱗に触れた柚谷は、哀れにも処刑されてしまうのだ。
 その後、何の進展もない朝鮮国王上洛問題において、秀吉が宗義智に対して遅参の責めを問うたのが天正十七年(一五八九)三月の事。慌てた義智は同年六月、先般柚谷と共に朝鮮へ行った対馬以酊庵(後の西山寺)の僧景轍玄蘇を正使に立て、義智自身は副使となって、家臣柳川調信や博多の豪商島井宗室ら二十五名を伴って再び朝鮮へ渡ったのだった。
 そしてなんとか朝鮮側を説得し、翌年三月、つまり秀吉が北条攻めに動き出した頃、三〇〇名を有する朝鮮通信使は首都漢城府を発った。四月二十九日には釜山から海を渡った一行は、対馬に一ケ月ほど滞在した後、義智と共に京都へ向かう。
 その際、壱岐で一行を出迎え、そこから同行したのが小西行長である。その際、対馬へ帰る一隻の舟に飛び乗ったのが小西マリアこと妙であった。新郎はこれから朝鮮使節団を連れて京へ向かうというのに、祝言の儀式もせずに、新婦はこれから対馬の金石城へ嫁ごうというのである。
 そもそもこの縁談を持ち出したのは小西行長である。
 もともと大坂堺の商人の出で、瀬戸内海の制海権を握っていた村上水軍らを統括する力を持っていた行長は、貿易で同じ海を行き来し、また義智に同行して朝鮮へ渡った島井宗室とは旧知で家臣のような関係だった。加えて、水軍統率力に長けた行長が南肥後十五万石を与えられた背景には、秀吉の計画している唐入りと深く関係している。その意味からも朝鮮への玄関口ともいえる対馬の存在は極めて重大で、できることなら掌中に抑えておきたい腹があったのだった。現に以前秀吉からの耳打ちを受け、先代の宗義調に対してアプローチもしていたが、なかなか接触できないままで、ようやく島井宗室に朝鮮国での見聞を求める機を得たのが、彼が帰国して直後のことである。
 「ときに宗室、対馬の宗義智殿はいまおいくつになるのかな?」
 「さて? 二十歳は過ぎていると思いますが、なかなかどうして、まだお若いのに細かなところにまで気をまわされ機転の利く方でございます。そのくせ肝が据わっておりますな」
 と、朝鮮の漢城府での出来事を好意的に評価する。つまりそれは、朝鮮国王宣祖に謁見した義智が、再度通信使の派遣を強く要請した一部始終である。
 「海路が分らぬならわたくし自らが水先案内人を務め申す」
 と義智が宣祖に申し出た。仮にも日本を代表して参内した使者であり、対馬の国の領主でもある。その彼自らが水夫にもできる案内を「私が」と言ったところに宗室は深く感銘したと言う。ところが朝鮮側は「誠意を見せてほしい」と、数年前に倭寇が引き起こした事件を持ち出した。
 「対馬へ逃亡した謀反人、沙乙背同を引き渡せ」
 と要求してきたのである。朝鮮人の罪人など対馬に逃亡していると言われても、どこをどう探してよいか分からない。しかしこの無理難題に対して義智は、すぐさま同行の柳川調信を対馬に帰し、短時間で見事にやってのけてしまったのだと、その機転の早さを宗室は褒めた。それによってついに断る理由をなくした朝鮮側は、通信使派遣を約束したという経緯があると語った。更に義智はその返礼を忘れず、宣祖に孔雀と火縄銃を献上したのだと宗室は感心しきり──。そこで行長は、
 「ところで義智殿に細君はおられるのかな?」
 と意味深に聞く。
 「まだのようです。なにせ先代の義調様が亡くなられてから、朝鮮のことで頭がいっぱいでございますからなぁ、それどころではありますまい」
 「そうか!」と行長は手を叩いた。
 「実はわしには十五になる娘があってな、親の口から言うのも難だがなかなかの器量良し──」
 「ひょっとして縁談話ですか?」
 宗室には一つだけ気にかかる点があった。行長の娘小西マリアといえば商人にまで聞こえるキリシタンの強信者である。伴天連追放令が出てまだ間もないのに、その娘を宋家が受け入れてくれるかという心配である。
 「先方がどういう反応を示すか分かりませんが、行長様の意向はお伝えいたしましょう」
 と一応宗室は承ったが、その心配をよそに、宗家にとってもけっして悪い話ではなかった。というのも、小西行長といえば瀬戸内海の荒くれた海賊たちをまとめ上げた極めて優秀な外渉能力の持ち主であり、伴天連追放令の時などは自らがキリシタンでありながらそれを逆手にとって振る舞った上に、小豆島一万石から南肥後十五万石への大出世を遂げた稀に見る調整能力の持ち主だったからだ。その反面、陰ではかつてのキリシタン大名たちを匿い、その家臣たちを引き取ったという噂も耳にしており、単なる世渡り上手というわけでなく、義理堅い面も持つ男のようだという噂も耳にしていた。一見つかみどころがないように見えるが、義智が注目したのはその場、その状況における行長の巧みな交渉力だった。加えて関白秀吉からの買われようもたいしたもので、義智にとってけして損な話でない。
 「願わくば小西行長殿の力、是非とも対朝問題を解決するに欲しい」
 と利害が一致したのである。
 縁談はとんとん拍子で進み、ひと月もかからないうちに、「朝鮮の使節団を京都へ連れて行くので、壱岐で落ち合い嫁をもらい受けよう」と話がまとまった。つまりあからさまな政略結婚であり、このときの妙は、行長にとっては対馬を買う手付金のようなもので、宗家にとっては行長の才を手に入れるための人質のようなものだった。
 「ふつつか者ですが、どうぞよろしゅう」
 「こちらこそよろしくお願い申す」
 この壱岐での一瞬の対面が義智と彼女との最初の出会いであり、婚姻の誓いの言葉といえばそれだった。その後小西マリアこと小西妙は、数奇な運命をたどることになるわけだが、このとき行長は三十二歳、義智とは十ばかり離れた義父となったのだった──。
 義智の最大の心配事は対馬国の未来である。予てより明や朝鮮との貿易により栄えてきたこの小国は、両国間の友好的な関係こそ生命線なのだ。それを秀吉から威嚇されるように「交渉に失敗したら朝鮮に出兵する」などと言われ、万一それが現実のものとなってしまえば、もはや対馬が栄え生き残る道などない。
 「なんとしても戦だけは避けたいのだ」
 道中、義智は行長の目を見つめてすがるように吐露した。
 「こうとなっては嘘は貫き通すしかあるまいな……」
 行長の言う“嘘”とは、このたび来日している朝鮮使節は、秀吉にとっては服属の意を示すものであるのに対し、当の使節団にとっては、表向きは単に国家統一の祝賀を装ってはいるが、その腹は、秀吉による朝鮮侵攻の噂の真偽を確かめる意図がある──いずれにせよその大きな認識の喰い違いのことである。その発端を作ったのは紛れもなく対馬宋氏であり、それを嘘と言われては、義智も「やはりまずかったであろうかのう?」と、苦悩の声でうつむいた。
 「否、そうとも限らん。現に関白様の言葉をそのまま朝鮮側に伝えていたとしたら、今ごろ北条征伐など後回しにして、とっくに朝鮮征伐じゃ!とわめいているに違いない。そなたらの策は苦肉にしてやむを得ぬ判断だったと思うぞ。実を申すとわしも戦より商売の方が好きじゃ。戦などせずに、共に栄える道を探りたいものじゃ。なあに、どんな難問だってどこかに蟻の隙間ほどの打開策はあるものじゃて」
 行長の含みある言葉は、義父としての優しさであったか、義智はその手を握った。
 「とりあえず今は、この嘘が関白様に露見せぬよう、万全の手を尽くすことじゃ」
 二人は景轍玄蘇と柳川調信を交えて様々な謀議を凝らすのである。
 朝鮮通信使一行が、宿舎にあてがわれた京の紫野にある龍宝山大徳寺に到着したのは七月二十一日のことだった。これより後の世になり、朝鮮からの使節団は四度に渡りこの寺を宿坊とすることになる。このとき豊臣秀吉は小田原からまだ帰っていない。

 朝鮮側の正使の名を黄允吉と言いこのとき五十四歳、副使の名を金誠一と言いこのとき五十二歳の尊老の臣だった。
 当時の李氏朝鮮の政治は大きく西人と東人と呼ばれるいわゆる二大派閥によって構成されており、黄允吉は西人、金誠一は東人に属していた。現代でいえば与党と野党のような感じだろうが、形で言えば西人は首都である漢城府より西側に住んでいた者が多く、東人は東側に住んでいた者が多かったことからそう呼ばれるようになったが、思想的な面から言えば、朱子学の解釈の違いによって政治の進め方も大きく異なり、特に国王宣祖の時代は激しい勢力争いの渦中にあった。このときは政権が西人にあったため黄允吉が正使となったのであろうが、他には書記官として許筬という男も同行している。ちなみに彼は、後にハングルで書かれた最古の小説と言われる『洪吉童伝』の作者となる人物であり、他は何十人もの輿持ちや旗持ちや護衛など様々な役割を担った役人たち、その総勢三〇〇人というからには中には管楽衆と言う町を移動するときにパレードを行ったり、一行が暇を持て余さないように芸能を披露するような、艶やかな衣装の五〇名余りもの芸人たちも伴っていた。
 一行が対馬に滞在する一ケ月の間に、こんな出来事があった。
 景轍玄蘇の以酊庵で、通信使を接待した時の話である。自国不在の間に溜まっていた雑務処理のため、通信使を待たせてしまった義智は時間に遅れ、やがて駕籠に乗ったまま門をくぐり、石段の手前で駕籠から降りた。それを見た金誠一は、
 「無礼者! 籠に乗ったまま門をくぐるとは何事だ!」
 と激怒したのである。“礼”を深く重んじる儒教の国では重大な作法違反だったらしい。金誠一は「帰る!」と怒鳴って席を立つ。死ぬ思いでやっとここまで事を運んで来た義智は蒼白になって、駕籠かきの男をその場で打ち首にして許しを請い、なんとか事なきを得たのである。
 その後の宴で金誠一のご機嫌をとるため玄蘇は彼に近づいた。ところがこの二人、なんとも気が合い、互いの身の上を話すうち、すっかり意気投合するのである。
 やがて、玄蘇は対馬の置かれた微妙な立場を話すに至り、金誠一の同情を引き出すことに成功した──と書けば下心があるようでいやらしく思われるが、国家間の問題といっても、それを打開するのは所詮一個の人と人との繋がりなのである。
 二人は相談して、宣祖から秀吉に宛てられた国書の一部を改竄して、当たり障りのない文章に書き替えた。
 それにしても秀吉が凱旋する日程を見越して入京したというのに、当の秀吉はなかなか帰ってこない。そこで小西行長は秀吉に会うため小田原方面へ向かい、小田原城を落としたあと奥羽に行っていた秀吉が帰る途中の駿河で会うことが叶う──それが八月二十日のこと。
 「朝鮮の者が来たそうじゃな。しかし話が違うぞ、わしは国王に上洛せよと命じたのじゃ」
 「はい。しかしながら仮にも一国の王たる者、なにかと忙しいのでございましょう。しかし此度はこうして服従の意を示す使節を送って来たのでありますから、宋義智の尽力が徒労とならぬようお計らいを……」
 「まあ仕方がない──。そういえば娘を宗家に嫁がせたそうじゃな?」
 秀吉は石田三成あたりから聞いた情報を機嫌良さそうに言った。
 「はい、これで朝鮮、明国への足掛かりができてございます」
 「相変わらず抜け目がないのう。期待しておるぞ」
 話しは二言三言で終わったが、朝鮮が服属したという印象を植え付けることには成功したのだった。
 ところが九月一日に大阪城に凱旋した秀吉は、なかなか使節団と面会しようとしなかった。そこには「国王のいない使節団ごときに会っている暇なんぞないわい」と言うような、明らかに朝鮮を見下し「我こそ日本国および朝鮮国の王である」といった権威を植え付けようとした意図がある。さすがに正使の黄允吉も、
 「いったいどうなっておるのだ!」
 と腹を立てたが、玄蘇になだめられた金誠一に制止させられ、待つしかないと諦めるより仕方なかった。
 こうして小田原凱旋から二か月以上待たされた十一月七日、ようやく聚楽城においてその日を迎えたのである。そして彼らの面前に現れた秀吉は、彼らの表現によれば、
 「背たけが低く醜い上に、顔はやつれて褪せた黄黒い色をしており、威厳もないただのおじさんだった。ただ眼光だけが閃々として人を射るようであった」
 と伝える。式典の場は宴席が設けられ、朝鮮管楽衆の演奏が披露され、通信使は玄蘇と金誠一によって一部改竄させられた、当たり障りのない日本統一を祝賀する内容の国書を提出するが、ここで一旦秀吉は中座する。そして再び現れた時には普段着に着替え、まだ一歳と六か月の我が子鶴松を抱いていたのであった。すると鶴松は無邪気に部屋の中を飛び回り、そこにいた者達は顔を伏せ畏まったままだったが、秀吉だけはひどく上機嫌でその様子を見ていたと言う。ところが鶴松がお漏らしをしてしまう。それを見た秀吉は大笑い、侍女を呼んで後始末をさせるが、それには国賓扱いを受けていると思っていた通信使たちも驚愕するよりない。対馬で駕籠に乗ったまま門をくぐった義智の無礼どころでない。一応、正使と副使はそれぞれ銀四〇〇両を受け取り、その他の者は身分相応な褒美が与えられその場はおさまるものの、一行が秀吉と面会したのは、この半日程度のただ一度きりであった。
 秀吉からの返書もないまま帰路についた通信使は、返書を待って大坂堺で半月も逗留し、ようやく届いたそれを読んだ義智と玄蘇は血の気を失った。
 そこには──
 冒頭に「朝鮮国王閣下」とあり、「予(秀吉)はここ三、四年の間に乱れた六十余州もの国々を統一した。もともと予は日輪の申し子である」という趣意の前置きをした後、
 『作敵心者、自然摧滅、戦則無不勝、攻則无不取』
 つまり、「予に対して敵心があればおのずと摧かれ滅びるであろうし、予が戦えば必ず勝利し攻め落とせぬものなどない」とある。続けて、
 『一超直入大明国、易吾朝之風俗於四百餘州、施帝都政化於億萬斯年者、在方寸中』
 つまり、「一気に明国に入って我が国の風俗を大陸の隅々にまで行きわたらせ、未来永劫に続く帝都を築くのは我が心中にあるのだ」との野心が綴られ、極めつけに、
 『貴国先駆而入朝……後進者不可作許容也』──つまり、「貴国は先駆して予の属国として明国に入れ。遅れることは許さぬ」。『予入大明之日。』──つまり、「予は大明国に入る日輪だ」と豪語する。そして文末には、
 『則弥可修隣盟也』──「いよいよ朝鮮国は我が国と同盟を結ばねばならぬ」、『予願無他、只顕佳名於三国而已』──「予の願いはただ一つ、三国に我が名を顕し遺すのみ」──。そして最後に『方物如目録領納』──つまり「方物は目録通り領納されよ」とあった。
 「どういう意味か?」
 黄允吉が問うた。どういう意味もない──秀吉は唐入りするにあたり、朝鮮国服属を前提にした国書を綴っているのだ。しかも義智に対しては、文中の『予入大明之日、将士卒臨軍営、則弥可修隣盟也』の意味について、国書を届けに来た使者に「もし明国を攻める際は、朝鮮には道案内をさせよという意である」との伝言まで伝えたのである。そうはいっても──義智と玄蘇は冷や汗をかきながら偽りの説明で誤魔化すより仕方ない。すると金誠一が、
 「ならばこの“閣下”と“入朝”と“方物”というのはおかしい。書き直してもらえ」
 と厳しい口調で責めた。儒教に厳格な彼らに言わせると、“閣下”というのは君主以外の閣僚、臣下などに用いる敬称なので削除し、“入朝”というのは使いが朝廷に参内することで、我が王様は秀吉の使いでないので言い改める必要があり、“方物”というのは位の上の者から下の者へ贈る貢物のことなので別の言葉に改めよと言うのである。ところがこの時点で黄允吉の堪忍袋の緒が切れた。
 「もうよい! いつまでもこんな低俗な国にはおられん! 早く帰って王様にありのままを伝えようぞ!」
 と、けんもほろろに帰国してしまうのであった。
 このことが原因となり、両国間の関係は悪化の一途をたどる。その流れはもはや行長にも義智にも止めることはできなかった。

 
> 第2章 > 肥後の虎
肥後の虎
はしいろ☆まんぢう作品  

 小田原での忍び仕事を終えて、京の三条大橋袂の煮売屋吉兆≠ノ戻ったお銀は、そこに逗留していた服部才之進の姿を見て「才ちゃんいたのかい?」と言いながら、行商の旅支度からいつもの賄い女中の普段着に着替えた。才之進は相変わらず表情ひとつ変えず、「小田原の方はどうであった?」と低い抑揚のない声で聞く。
 「北条の負けさ。関白の大軍相手に勝てるわけがないよ。それより小太郎ちゃんに会ったよ」
 「なに? 小太郎に?」
 才之進は気になる心を隠すように呟いた。
 「なんか突然“俺は北条に付く!”なんて言っちゃってさ、それっきり会ってないけど、どうせどこかで肩を落としているよ」
 才之進は小馬鹿にするような笑みを左の口元に浮かべた。
 「才ちゃんの方はどうしたんだい? 肥後の加藤清正んとこじゃなかったの?」
 「京で仕事だ。高麗からの国使の様子を探るよう清正様から仰せつかった」
 「そうだってねぇ、噂では聞いたけど朝鮮国使はいま京か……。暫くここを空けただけで、地獄耳のお銀も形無しだね──。で、いつまでいるんだい?」
 「さあな? 国使が帰るまでといったところだ──」
 無表情な彼の言葉に、お銀は呆れたように笑った。
 加藤清正は小田原には行かなかった。天正十六年に肥後十九万五千石の大名へと大出世を遂げた彼は、任地に赴いてより隣国小西行長の南肥後で発生した天草衆の反乱を鎮圧させると、その報告のため秀吉のいる大坂へ登った。大坂には彼を育てた母伊都もいたので、彼女に会う目的もあったのだろう。折しも秀吉は北条討伐の準備の最中で、状況によっては出陣の覚悟もしていたが、
 「お前は肥後におれ」
 と秀吉から軽くあしらわれた。その言葉の裏には平定したばかりの九州に不穏な動きが起こらぬよう見張っておれという意味があるが、更にその先の唐入りのための準備をしておけという含みもあった。清正はすぐにその心を酌み、従うが、そこから肥後における治水事業をはじめ、千葉城と隈本城のあった茶臼山丘陵一帯に新しい城郭を築きはじめる。それが現在の熊本の礎となった。
 事実、清正が赴任する以前の肥後は有力な大名がおらず、小さな国人衆が無数に割拠する時代が続いていた。北条征伐の前、九州征討を終えた秀吉から統治を任された佐々成政は、彼の政策に反発する国人衆の一斉蜂起により失脚していた。その流れの中で清正は、農業振興のための治水に関わる土木工事を推し進め、特に農閑期には男女を問わず徴用し、しかも給金を支払らったと言うから、土着の民もみな喜んで協力したのだった。
 それは川の流れを変える壮大な計画で、熊本城の築城に際しては内堀と外堀を備えるために、また、下流の方では流路を分けたり堰を作ったり、また氾濫がなくなるようにと、その一大河川改修事業により、肥後は広大な穀倉地帯や畑作地帯をも生むのである。
 その他、商業政策としては田麦を特産化して南蛮貿易に参入したり、秀吉の唐入りに備えては、敵の侵入を防ぐため、国境の近くや要地に支城を設けて重臣を城主に当て、所領を認め、独自の軍事経営さえも認める“備”という制度を確立したり、細かな事では、罪や粗相を三度起こすと切腹を申し付けるといったいわゆる現代で言うところの“三振法”も取り入れるような、賤ヶ岳の七本槍の一人に数えられる勇ましい武将にして、それらの者と一線を画す政治家でもあった。
 「隈本」を「熊本」と改称したのも彼で、慶長十一年(一六〇六)に完成した城を眺めながら、
 「“隅本”より“熊本”の方が勇ましかろう」
 と言ったのがきっかけであるとの逸話も残る。
 そして清正は、彼の旗印にも象徴されるように、非常に熱心な法華経の信奉者であった。その生涯において、題目の「妙」「法」「蓮」「華」「経」の五字を冠した寺を全国に五つ建立したとされ、その一つ、二十五歳の時に父の菩提を弔うために大坂に建てた本妙寺は、後にわざわざ肥後の城下に移すといったことまでした。
 彼の信心は母伊都の影響であり、母は清正が生れる前から題目を唱えていた。父は戦で足を負傷し、武士から刀鍛冶に転身した加藤清忠という男だが、物心つく前に他界したので母一人子一人の貧しい少年期を送る。しかし顔も知らない父のために寺を建立するくらいである。伊都の家庭教育は、「父親があってお前がいるのだ」といった“親”の徳を最大限に伝えていたに相違ない。そして生活苦に負けない母の力強い生き方を見て、おそらく信仰に目覚めていったのであろう。
 伊都は清正を近くの妙延寺に通わせ、住職の円享院日順から学問を習わせる。彼にとって日順は“師”に当たる人物と言えよう。また、豊臣秀吉とは母同士が親戚関係であったようで、そんな縁から十くらいの年から近江長浜城の城主になった当時羽柴秀吉の小姓として仕え、以来その将来を嘱望されながら、秀吉子飼いの武将として大きく成長していく。清正の生涯は秀吉という“主”に対する忠誠の人生でもある。
 戦に出れば常に題目を口ずさみ、手柄を立てれば法華経の功徳力と感謝する純粋な信心で、年を追うごとに信仰を深めていった。
 晩年の彼の座右の銘は『履道応乾』──。“履道”とは道を踏むことで、“乾”は“天”とか“君”とか“父”を表すので“応乾”とは天や主君に応じるという意味になる。彼の言う“道”とは法華信仰の道なので、要約すれば法華経を信じ天命に応じ主君に応えるとでも訳そうか。いずれにせよそこには信仰を通した深い人間哲学が浮かび上がる。
 だから主君秀吉が「唐入り」と言えば、疑うこともせずに突き進むのが加藤清正と言う男であった。その秀吉から、いま世界を凌駕するポルトガル、スペインの話を聞かされる。彼らは宣教師を巧みに使い、海外諸国を植民地化してあの強かな青い目で世界を征服しようと目論んでいる──。彼らの最終目的は広大な明国で、いま我らが何もしなければ、近い将来日本も彼らの属国に落ち、ついには明国への尖兵としていいように使われるに相違ない。ならばその前に、我らが先に唐入りし、ポルトガル、スペインに対抗しうる東洋の大帝国を建設する必要があるのだ──と。現にこの時期秀吉は、朝鮮に限らず琉球、インド、フィリピンなどの東南アジア諸国にも服従を促す威嚇的な国書を送っている。
 その野望ともとれる構想は、極東の国に生まれ、世界に目覚めた者の使命にも聞こえた。
 清正にとっては伴天連の教えなど外道である。外道とは仏法に説かれる人間生命の三世観(過去世・現世・未来世のこと、すなわち生命は永遠であること)すら説いていない下等な教えである。そんなものを世界宗教にさせるわけにはいかない。これは主君の言う通りにしなければ大変な事になる──すなわち唐入りこそが天の生業に従うことになるのだと納得していた。そしていま京に来ている朝鮮通信使の動向こそが、これから清正自身がどう動けばよいかの鍵を握っていたわけである。
 そんな重要な意味を持つとはつゆ知らず、服部才之進は加藤清正直筆の親書によって、通信使が宿泊する大徳寺に世話役人の一人として潜入しており、日がな一日することもない暇を持て余し、たまに新しい情報を得るために、こうして吉兆に現れるという訳であった。
 「関白はいったいいつになったら帰って来る?」
 待ちくたびれているのは使節団だけでなく才之進も同じで、お銀は、
 「小田原城が落ちたあと、奥羽の方へ行っちまったからね。まだかかるんじゃないか?」
 と他人ごとのように教えた。
 そんな通信使のご機嫌をとるため、聚楽城の留守居の役人たちは、彼らを京都の物見に連れ出すこともしばしばだった。秀吉からは「わしの力を見せつけておけ」との命もあり、関白秀吉の圧倒的な権威権力と財力の威厳で、到底敵う相手でないことを朝鮮の者達に知らしめよと言うわけである。
 その日は大徳寺から西に半里ばかりの所にある鹿苑寺に訪れた一行は、池に映し出されて黄金に輝く楼閣に目を見張る。
 「これも豊臣殿の所有物か?」
 「秀吉様は天下人であられる。愚門である。もともとは寺院だがな」
 案内役を仰せつかった大徳寺の僧侶はそう説明した。
 「寺院と申すのは仏教の建物であろう? 仏教ではこうも贅沢な建築様式を認めているのか?」
 李氏朝鮮では儒教が国教であるため仏教は弾圧されており、僧は都に入ることさえできなかった。そして礼を重んじ、華美や贅沢を嫌う精神が尊ばれたため、建物全体に金を使うなど考えられないことなのだ。しかし、いま一大ブームを巻き起こしている茶の湯の世界では、その朝鮮文化の素朴さや静けさが、返って日本古来の精神ともいえる“侘び寂びの心”に共鳴して、朝鮮産の茶器が異常な高値で取引されている。
 「この建物が豪華なのは、おそらく御仏への供養の心からでしょう。豪華なのはこの建物ばかりではありません。秀吉様が建てられた聚楽城を見れば、もっと驚きましょうな。ここに来られる途中、大坂城に寄られたのではありませんかな? 聚楽城はあの城に勝るとも劣らないきらびやかなものでございます」
 案内役の僧は誇らしげに笑った。
 使節団一行の護衛を務める中に軍官の黄進という見事な髭をたくわえた男がいた。軍官らしく気性が荒く、何かにつけて日本に戦争の意思ありとの難癖をつけようとその糸口を探っていたが、その男が不愉快そうに、
 「どうも気に入らん、“仁”欠くも甚だしい! 我らに喧嘩を売っているのか!」
 と突然叫んだ。“仁”とは儒教の根幹を為す“相手を思いやること”である。つまり質素を美徳とする儒教の国の使者を迎えるのに、絢爛豪華な建築物ばかりを見て回るのは何の当てつけかと怒っている。その剣幕に慌てたのは、通訳を兼ねて彼らと行動を共にしていた景轍玄蘇である。
 「黄進殿、悪気はございません。これは単なる物見遊山。御一行を喜ばせるために趣向を凝らしているのでございます。どうかお気を悪くしないでください」
 「いや、腹が立った! 我らに対する侮辱は我が国王の辱め。この案内人を斬ってやる!」
 といきなり刀を抜いた。それには副使の金誠一が差し止めた。日本による朝鮮侵攻の意思の真偽を確かめるための使節が、現地で騒動を起こして戦争を導いたでは後世にどんな酷評を記されるか分かったものでない。
 「慎め!」
 と遮ったとき、黄進の前に一人の男が進み出て、「なんだ、貴様?」と黄進の朝鮮語の意味を知るはずもない男は、暇を持て余していたといった態度で、
 「拙者、加藤肥後守清正が家臣で服部才之進と申す。貴公は戦がお望みか?」
 と無表情に言った。その物見に同行していた服部才之進である。彼にしてみれば、付き添いというひどく暇な仕事の上に、朝鮮の軍人らしき男がいきなり刀を引き抜いたとこに対して俄かに血が躍ったこともあるのだろうが、主君清正がどことなし唐入りを急いでいるような気配も感じてもおり、どうせ戦になるならば遅かれ早かれ同じだといった妙な忠義心が働いた末の行動だった。しゃしゃり出て来た意図が分からない玄蘇は通訳を拒んだが、黄進がしきりに「何と言っておる?」と聞くので、「加藤清正という侍の家臣で服部才之進と申しております」とだけ訳して髭面の顔色を窺った。
 「一介の付添人の分際で無礼であろう。いったい何の用か?」という黄進の言葉を、玄蘇がそのまま訳して伝えると、
 「刀を抜いておいて何の用かはなかろう? 我が国においては刀は魂である。その魂を抜いたからにはそれなりの覚悟がおありと察し、僭上ながら出て参った。その案内役の僧は武器を持っておらぬ。そんな者を斬ったところで何の自慢にもならぬぞ。貴公も軍人なら拙者を斬って名を挙げよ。拙者は伊賀国随一の忍びの者だ。まあ、斬れればの話だが──」
 あるいは才之進は異国の使節に対してこれが言いたかったのかも知れない。それには玄蘇も通訳に困って、すかさず、
 「引っ込んでいなさい。さもなければ関白殿下から加藤清正公に厳重注意が下るぞ」
 と脅した。「それは困る」と才之進が目を泳がせたのは、博多での謹慎処分以来、それを挽回する機会を逸するわけにはいかなかったからだ。ふと、玄蘇はあることをひらめいたように続けた。
 「それとも──其方まこと伊賀者であるなら、ここで忍術とやらをやって見せよ」
 と才之進に注文すると、黄進に対しては次のように伝えた。
 「この者、伊賀の忍者でございまして、ぜひとも黄進殿に忍術というものをご披露したいと申しております。両国友好の場を血で汚すのもどうかと思います。ここはこの男に免じてどうかお気をお鎮め下さいませんか?」
 「NINJA?」
 黄進は才之進の顔を興味津々と見つめた。平和な時代が数百年続いている朝鮮にとって、諜報者など無用の長物である。「そんな者がいるのか?」と、金誠一も黄允吉も「ぜひ見てみたい!」と手を叩く。
 「術は見世物ではない!」と才之進は閉口したが、加藤清正を盾に出されてはもはややって見せるより仕方ない。妙な忠義心から出た行動は、思わぬ方へと動いていった。
 才之進は「ちっ!」と舌打ちをすると、近くの松の木の枝にひょいと飛び乗り、上方の太い枝に懐から取り出した細い縄の片方の端をくくり付けたと思うと、もう一方の端を握って木から飛び降り、金閣寺の建物めがけて一直線に駆け出した。金閣寺への手前は池である。誰もが池に飛び込んで泳ぐのか?と思いきや、才之進はやや上半身を起こした姿勢に変化させると、その勢いのまま水上を走ったのである。
 それには一行も驚きの歓声を挙げた──。
 それは水蜘蛛などの道具を使った水上歩行というものなどでない。水遁の術の一つ水上疾走術である。実は原理は簡単で、水を踏んだ片足が沈まないうちに次の足を踏み出すことの繰り返しだけなのだ。彼らに言わせれば足の裏全体を水面と平行に叩くようにして、素早く次の足を同じように進ませるのがコツで、後は“気”の使い方をコントロールするらしい。これは川や海のように波の立つ水面では少し難しく、特に波のない池であるのが都合良く、どういう原理か季節でいえば冬場の冷たい水の方が走りやすいのだと言う。とはいえ尋常の人間にはなかなかできるものでない。今は水上を優雅に走る才之進も、昔はよく小太郎と競い合ったものだが、どうもこの術に関しては小太郎に勝てたことがない。
 水上疾走に呆気にとられていると、才之進は金閣寺の外廊から屋根の上に飛び乗った。そしててっぺんの鳳凰が飾られる台のところに、握ったもう一方の縄の端をピンと張って手際よく縛り付けると、今度は懐から鉤の手を取り出し縄に引っ掛け、ロープウェーのように滑り降りた。
 それはまさに空を飛ぶ怪鳥のようで、これまた一行は驚愕のあまり言葉を失った。
 やがて才之進は綱から飛び降り、夢幻でも見たかのような黄進の前に再び立った。あれよあれよと言う間の一瞬の出来事である。
 「水遁の術からの空遁の術をご覧いただいた。そして最後は土遁の術じゃ──」
 才之進はそう言ったと思うと、次の瞬間くるりと身体を一、二回転させると、足先で周囲の土を巻き上げ砂煙の霧を発生させた。気付けば霞んだ大気の中に、彼の姿は消えている。
 使節団の者達も日本の者達も拍手喝采を送るのも忘れて、ポカンと口を開けたまま言葉も出ない。ただ書状官の許筬だけはその不可思議な光景を深く脳裏に焼き付けた。後に彼が執筆する『洪吉童伝』は、ひょっとしたら服部才之進がモデルだったかも知れない。
 
> 第2章 > 義智の苦悶
義智の苦悶
はしいろ☆まんぢう作品  

 翌天正十九年(一五九一)正月、対馬に戻った宗義智は、景轍玄蘇と柳川調信を付き添わせて朝鮮通信使一行を見送った。
 それにしても困ったものだ──。
 こたび関白秀吉が朝鮮国に命じたのは、明国征討の際に「わが属国の尖兵として明に入れ」という無理難題である。そもそも事の発端は、「朝鮮国王を従属させ上洛させよ」という無謀な命令を「国家統一祝賀の使節派遣」に話をすり替えて、秀吉を欺く形で進めてきたから、先方国には“属国”どころか服従の意思すらさらさらない。自業自得の末路と言ってしまえばそれまでだが、それでも義智は朝鮮との戦だけは何としても回避したい。
 「秀吉様の真意が伝わった時点で戦は必定。ならば引き延ばせるだけ引き延ばし、その間に打開策を見つけるしかない。なあにどんな交渉事でも、針の穴ほどの抜け道はあるものだ」
 と言う小西行長と協議した挙句、「和らげて伝えるしかあるまい」という事になり、今回も、
 「我が国が明国へ入るために朝鮮国の“道を貸してほしい”」
 と言葉をすり替えて朝鮮国王に伝えることにしたのだ。
 嘘に嘘を重ねるとは正にこのことで、悩みの尽きない義智は、すでに金石城へ嫁いでいたマリアの顔を見つめてこわばった表情をほころばせた。
 「何かお悩みでございますか? 顔に書いてございます」
 「其方が心配することでない……」
 「主の救いがありますよう、お祈り申し上げます」
 義智はまだ幼さを残す新妻に、束の間の安らぎを覚えるのであった。

 使節団一行と共に朝鮮国の首都漢城へ向かった玄蘇と調信は四月、そこを訪れる外交使節の逗留施設である東平館(倭館)に入った。そこは大名や商人のための接待専用の建物である。彼らを迎えたのは呉億齢という宣慰使を務める役人で、
 「長旅、さぞお疲れでしょう。今宵はささやかな宴をご用意させていただきます」
 と、社交辞令のように笑った。そして二人は二十九日、宮廷昌徳宮に招聘され、国王宣祖と対面することになる。そこは仁政殿と呼ばれる正殿で、王の即位式や臣下の礼など、朝鮮国における重要行事が行われる由緒ある場所である。
 まずそこで、柳川調信の功績に対し、朝鮮においては従三品に当たる嘉善大夫の位が授けられる式典が行われ、続いて参席している幾十の重臣たちに向かって、
 「して、こたびの使節派遣において、日本国はどうであったか?」
 と宣祖が聞いた。もとより宣祖にしてみれば、“日本国統一祝賀”の通信使派遣であり、その本意は秀吉朝鮮侵攻の噂の真偽を確かめる意図があるからそれを聞いている。対して正使の黄允吉がこう答えた。
 「王様、僭上ながら申し上げます。国王を名乗る豊臣秀吉なる男の眼光は爛々と輝き、暗い巌の下で輝く稲妻のようでございました」
 これは『晋書』の故事、古代中国西晋の役人王戎と重ねている。王戎は幼少より非常に賢く、その眼光の鋭さから太陽を見ても目がくらむことがないと評された男であるが、職務には忠実な反面、収賄や不正で何度も弾劾されたり、その恨みをねちねちと根に持ち続けたり、ケチの代名詞としても有名な小人物である。
 続けて書状官の許筬が付け足した。
 「あの様子では、必ず近いうちに大挙して本国に攻め入って来るのではないかと思われます」
 この二人は派閥でいえば西人である。その言葉を聞いて、仁政殿に集められた臣たちは騒然となった。そのときただ独り異を唱えたのが副使の金誠一である。彼は東人で、玄蘇を通して対馬が必死になって戦争をさせまいとしている動きも承知しており、それが成就することを信じて疑わない。
 「万が一にもそれはございません。豊臣秀吉を私もまじかで見ましたが、あれはどう見てもただの凡人。仮にも国賓として我らを扱うべきところを、まだ幼き我が子を会見の場に連れてきて、小便を垂らしたのを見て阿呆のように呵々大笑しておりました。とても兵を起こして海を渡って来るような器ではありますまい。所詮日本国など蛮国でございます」
 その発言を聞いて議場は安堵の空気に覆われたが、西人の者達は黙っていなかった。西人と東人との勢力争いは、ある意味議題など二の次で、互いの上げ足をすくうのに必死だったのだ。政治とは、そうして均衡を保ちながら中道を進むのが理想かも知れないが、数百年間、戦争というものを経験していない彼らの本心を探れば、その多くは、戦争がいかなるものかを知る者はなく、突然「戦争だ」と言われても、何をどう対処して良いかなど翻弄するより仕方ない。どちらかといえば金誠一の言葉を信じたい気持ちの方が強く、それ以前に戦争が起こるなど端から思っていないし思いたくもない。それは宣祖も同じであった。
 「誠一の言をもって信となす!」
 その判断で一応決着をみた評定であったが、東西両党の争いはこれを機に、一段と激しさを増していくことになる。
 決議を知った軍官黄進は激怒した。彼は東人である。しかし日本で忍術というものを目の当たりにしてから、軍人としての本能が目覚めた彼は、経験したことのない戦争とはいかなるものか、また、己の実力がどれほどのものか知りたくて仕方なくなっていた。
 「あの愚かな黄允吉でさえ日本の恐れるべきを知っているというのに、金誠一は何たる腰抜け!その慧黠さたるや許すわけにゆかぬ! 誠一を斬るべし!」
 と配下の部下を集めてまくし立てた。その剣幕に部下たちは大いに慌て、なんとか彼を抑えて暴発を阻止したが、この騒動を受けて朝鮮王朝の軍事行政機関である備辺司の諸臣は、黄進の動きを玄蘇と調信に示し合わせるため、また、日本が朝鮮に“道を貸してほしい”と言っている真義を確かめるための酒饌の場を設けることを上申し、宣祖はこれを許可した。
 黄進は、
 「誠一も誠一なら、備辺司も備辺司だ!」
 と朝鮮の首脳陣に大いに失望し、来たる戦争に備えて隠密で、朝鮮全土より骨のある腕利きを集めて、日本の忍者に対抗し得る特殊部隊の結成を思いついたのだった。
 ともあれ東平館で黄允吉と金誠一を主催とした慰労会がもうけられ、誠一はそれに乗じて玄蘇に問うた。
 「私は王様に向かってあのような事を申してしまったが、本当に大丈夫であろうな?」
 「心配はいりません。関白秀吉様は明に入るのが目的です。そのためのには貴国を通らねばなりません。そのための道さえ貸していただければ、戦争はけっして起こりません」
 玄蘇は全てを見越しているかのふうな落ち着いた口調で答えた。そうでもしなければ場がおさまらない。
 「しかし我が国は明国の冊封国だ。裏切りになるのではないか?」
 「まあ私の話を聞いて下さい」と、玄蘇は誠一に酒を注いで続けた。
 「我が国は明国と久しく朝貢を交わしておりません。関白殿下はそれをよく思っていないのでございます。貴国はまずこのことを明国に伝え、貢路を開くことが先決でありましょう。考えてもみて下さい。その昔、貴国の前身である高麗国は、元兵を導いて我が国を侵略しようとしたのですぞ。その時は我が国が神風を起こして事なきを得ましたが、今その怨みを貴国に報せんとしても、何ら道義から外れてはおりますまい──ああ、脅すつもりはありません。歴史を述べただけでございます。何度も申しますが貴国は道さえ開いていただければ良いのです」
 誠一はすっかり黙り込んでしまった。その様子に玄蘇はほっと胸を撫でおろす。
 こうして五月、宣祖の答書を携えて玄蘇と調信は漢城を後にした。
 二人が去った後、仁政殿では今回の出来事を明国に報告すべきかの可否を決めるための評議が行われた。伊斗壽という男が言うには、
 「事は上国(明)に係る重大事。すみやかに報告して誠を尽くすべきだ」
 と主張すれば、李山海と柳成龍は、
 「もしこれを報告すれば、明国は我らが日本と通じていると思うだろう。とりあえず此度のことは伏せておくのが上策かと思います」
 と言う。伊斗壽はこれを正して、
 「事は重大です! 隣国が往来するのは必然と見るのが道理。もしこのことが他より明朝に伝わったとしたらどうでしょう? 我らが日本と同じ心を隠していると疑うでしょう!」
 すると黄延ケが彼の意見に賛成して、宣祖もその義に従うことにした。そして金応南を使節に立て明国へ向かわせるが、その報告内容には、通信使を日本へ送ったことには一言も触れていなかった。
 一方、宣祖の答書を受け取った宗義智は、ますます頭を痛めていた。その国書の趣意はこうである。
 「貴国が明国に入らんとしていることを知り張皇している。貴国は朋友の国であるが、明国は君父の国である。もし貴国に便路を許したとすれば、これ朋友を知りて、君父を知らないことになる。これは人として恥ずべきことであり、いわんや礼儀の国においては考えられないことである──」
 と、明は君父の国であるから討伐するなどあり得ない所以を綴ること数百言、おまけに秀吉の意思とは別に義智個人の要望として、永正七年(一五一〇)に倭寇が引き起こした三浦の乱以降、釜山浦一港のみに縮小されている交易口を、以前倭館のあった二浦、つまり薺浦と塩浦も開港してほしい旨を願い出た件については、
 「先朝の約誓に定めたとおり金石のごとく固持する」
 と、あっさり断られたのである。
 このような内容の答書をそのまま秀吉に見せるわけにはいかない。
 「どうしたものか……」と、日本と朝鮮国との板挟みの中で苦悶は続く。むしろ彼にとっては秀吉の唐入り拒絶よりも、『二浦開路之事、在先朝約誓已定、堅如金石』の方がショックであった。なぜなら、これまでかたくなに戦争反対の意志を貫いて来たのは、貿易による対馬の富国を望んでいるからであり、二浦開路を朝鮮国王に陳情したのは、秀吉の朝鮮侵攻を盾にちらつかせながら、対馬の生き残りの道を探ったからに他ならない。仮に二浦のうち一浦でも開港に前向きな姿勢が見えたとしたら、戦争回避への執念は更に大きくなったことだろう。
 「こんな時、其方の父なら何とする?」
 義智は戯れのつもりでマリアに聞いてみた。
 「こんなときって、どんなときでございます?」
 「後から虎に追い立てられて、行く手には鮐鰐がおる。鮐鰐の向こうは海だがわしは泳げん。鮐鰐の肉は美味じゃぞぃ。味方につけて虎に対抗する手もあるが、逆にその大きな口でガブリということもある……」
 虎は秀吉、鮐鰐は朝鮮、そして鮐鰐の肉は交易で、海は明国を重ねた単なる思い付きの寓話だが、マリアは、
 「まあ、因幡の白兎みたい」
 と、可笑しそうにけらけらと笑った。
 「因幡の白兎……?」
 「だって因幡の白兎はワニを並べて背で海を渡ったでしょ? 騙されたワニは怒って皮をはいじゃったけど、兎は泣きっ面に蜂で更に八十神様に騙されて海水で身体を洗うの。あぁ、考えただけで痛いわ!」
 「わしはウサギというわけか……」
 義智はマリアの悪気のない話に苦笑した。
 「そのウサギは最期、どうなったのであったかの?」
 「大国主命に助けられたのでございます。父上がどうなさるか存じませぬが、わたくしなら──」
 「どうする?」
 「デウス様に祈ります」
 「またそれか──」と、義智は呆れて笑った。しかし案外的を射ているかもしれないと思った。
 かくなる上は命運を天に委ね、鮐鰐の背中に飛び乗ってみようか──?
 こうして答書を受け取って間もない六月、義智は数名の家臣を伴い独り再び釜山に渡る。あわよくば朝鮮国王に直談判するつもりであった。そして釜山鎭支城(子城台)の門を叩いて荒々しい口調で通訳にこう告げさせた。
 「対馬国主宗義智である。取り急ぎ、鮮廷に申し上げたき義があり海を渡って来た。どなたか国王と直接話ができる者はおらぬか!」
 暫く待たされ、中から姿を現したのは釜山鎮の辺将(僉使)で水軍武官の鄭撥という男であった。鄭撥は倭人の正装姿の義智を見ると丁重に接客部屋に案内し、「対馬の国主がわざわざ何の用か?」と聞いた。
 「先般わが国の使者が朝鮮国王より返書を持ち帰ったが、その内容が腑に落ちぬ。これから申す言葉を国王に伝えてほしい」
 「王様に……?」
 鄭撥は怪訝な表情を義智に送った。どうも漢城での評議の内容がまだ釜山鎮にまで伝わっていないようで、朝鮮にしてみれば秀吉の国書の対処などさして重要な事でないのだ。それ以前に鄭撥は、一介の水軍武官の身分で国王に会うことなどできぬといった様子で、
 「聞くだけ聞こう。申してみよ」
 義智は書状とともに次の言葉を一気に伝えた。
 「我が国の関白殿下は、現在、明国に入るためおおいに兵船を造船し、将たちにその旨周知している。貴国はまずこのことを朝鮮全土に報じ、我が国と和を講じなければならない。修好の道を開けば、貴国は兵禍を免ぜられるであろう」
 「どういう意味か?」
 「国王に告げれば分かる!」
 「困りましたな──東莱府の宋象賢様なら取り次いでくれるかもしれぬから、少し時間をいただきたい」
 と、それから何の音沙汰もなく十日ほど待たされた挙句、返って来た返答が、
 「その発言は朝鮮王朝を虚喝するものなり。返答無用」
 だった。もはや取り付く島もない。
 「これで朝鮮の心ははっきりした。彼らは秀吉に従う意思もなければ、我が対馬に対する温情もないのだ──」
 そんなことは最初から分かり切っていたことだが、義智の心に芽生えたのは朝鮮に対するある種の敵対心だった。義智はむなしく釜山を後にし、朝鮮の事情をそのまま京都の秀吉に報告することにした。その際献上した朝鮮半島の詳細な地図は、朝鮮との決別を意味する彼の決意でもあった。
 秀吉はこれを受けて「ゆくか──」と不気味に笑った。そして、
 「義智、お前先鋒を務めよ」
 それは既にこうなることは分かっていたというような口調だった。決意したとはいえ義智の一瞬の躊躇を見逃さなかった秀吉は、
 「不服か?」と聞いた。
 「身に余る光栄と存じます──しかしながら、いま対馬の財政は厳しく、朝鮮との交易収入が絶たれますと──」
 「そんなことか」と秀吉は呵々大笑すると、彼に対して米穀一万石と白銀千枚、加えて兵器火薬を惜しげもなく与えたのだった。
 これより日本は、朝鮮へ向けての戦争準備を加速させていく。