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義智の苦悶
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 翌天正十九年(一五九一)正月、対馬に戻った宗義智は、景轍玄蘇と柳川調信を付き添わせて朝鮮通信使一行を見送った。
 それにしても困ったものだ──。
 こたび関白秀吉が朝鮮国に命じたのは、明国征討の際に「わが属国の尖兵として明に入れ」という無理難題である。そもそも事の発端は、「朝鮮国王を従属させ上洛させよ」という無謀な命令を「国家統一祝賀の使節派遣」に話をすり替えて、秀吉を欺く形で進めてきたから、先方国には“属国”どころか服従の意思すらさらさらない。自業自得の末路と言ってしまえばそれまでだが、それでも義智は朝鮮との戦だけは何としても回避したい。
 「秀吉様の真意が伝わった時点で戦は必定。ならば引き延ばせるだけ引き延ばし、その間に打開策を見つけるしかない。なあにどんな交渉事でも、針の穴ほどの抜け道はあるものだ」
 と言う小西行長と協議した挙句、「和らげて伝えるしかあるまい」という事になり、今回も、
 「我が国が明国へ入るために朝鮮国の“道を貸してほしい”」
 と言葉をすり替えて朝鮮国王に伝えることにしたのだ。
 嘘に嘘を重ねるとは正にこのことで、悩みの尽きない義智は、すでに金石城へ嫁いでいたマリアの顔を見つめてこわばった表情をほころばせた。
 「何かお悩みでございますか? 顔に書いてございます」
 「其方が心配することでない……」
 「主の救いがありますよう、お祈り申し上げます」
 義智はまだ幼さを残す新妻に、束の間の安らぎを覚えるのであった。

 使節団一行と共に朝鮮国の首都漢城へ向かった玄蘇と調信は四月、そこを訪れる外交使節の逗留施設である東平館(倭館)に入った。そこは大名や商人のための接待専用の建物である。彼らを迎えたのは呉億齢という宣慰使を務める役人で、
 「長旅、さぞお疲れでしょう。今宵はささやかな宴をご用意させていただきます」
 と、社交辞令のように笑った。そして二人は二十九日、宮廷昌徳宮に招聘され、国王宣祖と対面することになる。そこは仁政殿と呼ばれる正殿で、王の即位式や臣下の礼など、朝鮮国における重要行事が行われる由緒ある場所である。
 まずそこで、柳川調信の功績に対し、朝鮮においては従三品に当たる嘉善大夫の位が授けられる式典が行われ、続いて参席している幾十の重臣たちに向かって、
 「して、こたびの使節派遣において、日本国はどうであったか?」
 と宣祖が聞いた。もとより宣祖にしてみれば、“日本国統一祝賀”の通信使派遣であり、その本意は秀吉朝鮮侵攻の噂の真偽を確かめる意図があるからそれを聞いている。対して正使の黄允吉がこう答えた。
 「王様、僭上ながら申し上げます。国王を名乗る豊臣秀吉なる男の眼光は爛々と輝き、暗い巌の下で輝く稲妻のようでございました」
 これは『晋書』の故事、古代中国西晋の役人王戎と重ねている。王戎は幼少より非常に賢く、その眼光の鋭さから太陽を見ても目がくらむことがないと評された男であるが、職務には忠実な反面、収賄や不正で何度も弾劾されたり、その恨みをねちねちと根に持ち続けたり、ケチの代名詞としても有名な小人物である。
 続けて書状官の許筬が付け足した。
 「あの様子では、必ず近いうちに大挙して本国に攻め入って来るのではないかと思われます」
 この二人は派閥でいえば西人である。その言葉を聞いて、仁政殿に集められた臣たちは騒然となった。そのときただ独り異を唱えたのが副使の金誠一である。彼は東人で、玄蘇を通して対馬が必死になって戦争をさせまいとしている動きも承知しており、それが成就することを信じて疑わない。
 「万が一にもそれはございません。豊臣秀吉を私もまじかで見ましたが、あれはどう見てもただの凡人。仮にも国賓として我らを扱うべきところを、まだ幼き我が子を会見の場に連れてきて、小便を垂らしたのを見て阿呆のように呵々大笑しておりました。とても兵を起こして海を渡って来るような器ではありますまい。所詮日本国など蛮国でございます」
 その発言を聞いて議場は安堵の空気に覆われたが、西人の者達は黙っていなかった。西人と東人との勢力争いは、ある意味議題など二の次で、互いの上げ足をすくうのに必死だったのだ。政治とは、そうして均衡を保ちながら中道を進むのが理想かも知れないが、数百年間、戦争というものを経験していない彼らの本心を探れば、その多くは、戦争がいかなるものかを知る者はなく、突然「戦争だ」と言われても、何をどう対処して良いかなど翻弄するより仕方ない。どちらかといえば金誠一の言葉を信じたい気持ちの方が強く、それ以前に戦争が起こるなど端から思っていないし思いたくもない。それは宣祖も同じであった。
 「誠一の言をもって信となす!」
 その判断で一応決着をみた評定であったが、東西両党の争いはこれを機に、一段と激しさを増していくことになる。
 決議を知った軍官黄進は激怒した。彼は東人である。しかし日本で忍術というものを目の当たりにしてから、軍人としての本能が目覚めた彼は、経験したことのない戦争とはいかなるものか、また、己の実力がどれほどのものか知りたくて仕方なくなっていた。
 「あの愚かな黄允吉でさえ日本の恐れるべきを知っているというのに、金誠一は何たる腰抜け!その慧黠さたるや許すわけにゆかぬ! 誠一を斬るべし!」
 と配下の部下を集めてまくし立てた。その剣幕に部下たちは大いに慌て、なんとか彼を抑えて暴発を阻止したが、この騒動を受けて朝鮮王朝の軍事行政機関である備辺司の諸臣は、黄進の動きを玄蘇と調信に示し合わせるため、また、日本が朝鮮に“道を貸してほしい”と言っている真義を確かめるための酒饌の場を設けることを上申し、宣祖はこれを許可した。
 黄進は、
 「誠一も誠一なら、備辺司も備辺司だ!」
 と朝鮮の首脳陣に大いに失望し、来たる戦争に備えて隠密で、朝鮮全土より骨のある腕利きを集めて、日本の忍者に対抗し得る特殊部隊の結成を思いついたのだった。
 ともあれ東平館で黄允吉と金誠一を主催とした慰労会がもうけられ、誠一はそれに乗じて玄蘇に問うた。
 「私は王様に向かってあのような事を申してしまったが、本当に大丈夫であろうな?」
 「心配はいりません。関白秀吉様は明に入るのが目的です。そのためのには貴国を通らねばなりません。そのための道さえ貸していただければ、戦争はけっして起こりません」
 玄蘇は全てを見越しているかのふうな落ち着いた口調で答えた。そうでもしなければ場がおさまらない。
 「しかし我が国は明国の冊封国だ。裏切りになるのではないか?」
 「まあ私の話を聞いて下さい」と、玄蘇は誠一に酒を注いで続けた。
 「我が国は明国と久しく朝貢を交わしておりません。関白殿下はそれをよく思っていないのでございます。貴国はまずこのことを明国に伝え、貢路を開くことが先決でありましょう。考えてもみて下さい。その昔、貴国の前身である高麗国は、元兵を導いて我が国を侵略しようとしたのですぞ。その時は我が国が神風を起こして事なきを得ましたが、今その怨みを貴国に報せんとしても、何ら道義から外れてはおりますまい──ああ、脅すつもりはありません。歴史を述べただけでございます。何度も申しますが貴国は道さえ開いていただければ良いのです」
 誠一はすっかり黙り込んでしまった。その様子に玄蘇はほっと胸を撫でおろす。
 こうして五月、宣祖の答書を携えて玄蘇と調信は漢城を後にした。
 二人が去った後、仁政殿では今回の出来事を明国に報告すべきかの可否を決めるための評議が行われた。伊斗壽という男が言うには、
 「事は上国(明)に係る重大事。すみやかに報告して誠を尽くすべきだ」
 と主張すれば、李山海と柳成龍は、
 「もしこれを報告すれば、明国は我らが日本と通じていると思うだろう。とりあえず此度のことは伏せておくのが上策かと思います」
 と言う。伊斗壽はこれを正して、
 「事は重大です! 隣国が往来するのは必然と見るのが道理。もしこのことが他より明朝に伝わったとしたらどうでしょう? 我らが日本と同じ心を隠していると疑うでしょう!」
 すると黄延ケが彼の意見に賛成して、宣祖もその義に従うことにした。そして金応南を使節に立て明国へ向かわせるが、その報告内容には、通信使を日本へ送ったことには一言も触れていなかった。
 一方、宣祖の答書を受け取った宗義智は、ますます頭を痛めていた。その国書の趣意はこうである。
 「貴国が明国に入らんとしていることを知り張皇している。貴国は朋友の国であるが、明国は君父の国である。もし貴国に便路を許したとすれば、これ朋友を知りて、君父を知らないことになる。これは人として恥ずべきことであり、いわんや礼儀の国においては考えられないことである──」
 と、明は君父の国であるから討伐するなどあり得ない所以を綴ること数百言、おまけに秀吉の意思とは別に義智個人の要望として、永正七年(一五一〇)に倭寇が引き起こした三浦の乱以降、釜山浦一港のみに縮小されている交易口を、以前倭館のあった二浦、つまり薺浦と塩浦も開港してほしい旨を願い出た件については、
 「先朝の約誓に定めたとおり金石のごとく固持する」
 と、あっさり断られたのである。
 このような内容の答書をそのまま秀吉に見せるわけにはいかない。
 「どうしたものか……」と、日本と朝鮮国との板挟みの中で苦悶は続く。むしろ彼にとっては秀吉の唐入り拒絶よりも、『二浦開路之事、在先朝約誓已定、堅如金石』の方がショックであった。なぜなら、これまでかたくなに戦争反対の意志を貫いて来たのは、貿易による対馬の富国を望んでいるからであり、二浦開路を朝鮮国王に陳情したのは、秀吉の朝鮮侵攻を盾にちらつかせながら、対馬の生き残りの道を探ったからに他ならない。仮に二浦のうち一浦でも開港に前向きな姿勢が見えたとしたら、戦争回避への執念は更に大きくなったことだろう。
 「こんな時、其方の父なら何とする?」
 義智は戯れのつもりでマリアに聞いてみた。
 「こんなときって、どんなときでございます?」
 「後から虎に追い立てられて、行く手には鮐鰐がおる。鮐鰐の向こうは海だがわしは泳げん。鮐鰐の肉は美味じゃぞぃ。味方につけて虎に対抗する手もあるが、逆にその大きな口でガブリということもある……」
 虎は秀吉、鮐鰐は朝鮮、そして鮐鰐の肉は交易で、海は明国を重ねた単なる思い付きの寓話だが、マリアは、
 「まあ、因幡の白兎みたい」
 と、可笑しそうにけらけらと笑った。
 「因幡の白兎……?」
 「だって因幡の白兎はワニを並べて背で海を渡ったでしょ? 騙されたワニは怒って皮をはいじゃったけど、兎は泣きっ面に蜂で更に八十神様に騙されて海水で身体を洗うの。あぁ、考えただけで痛いわ!」
 「わしはウサギというわけか……」
 義智はマリアの悪気のない話に苦笑した。
 「そのウサギは最期、どうなったのであったかの?」
 「大国主命に助けられたのでございます。父上がどうなさるか存じませぬが、わたくしなら──」
 「どうする?」
 「デウス様に祈ります」
 「またそれか──」と、義智は呆れて笑った。しかし案外的を射ているかもしれないと思った。
 かくなる上は命運を天に委ね、鮐鰐の背中に飛び乗ってみようか──?
 こうして答書を受け取って間もない六月、義智は数名の家臣を伴い独り再び釜山に渡る。あわよくば朝鮮国王に直談判するつもりであった。そして釜山鎭支城(子城台)の門を叩いて荒々しい口調で通訳にこう告げさせた。
 「対馬国主宗義智である。取り急ぎ、鮮廷に申し上げたき義があり海を渡って来た。どなたか国王と直接話ができる者はおらぬか!」
 暫く待たされ、中から姿を現したのは釜山鎮の辺将(僉使)で水軍武官の鄭撥という男であった。鄭撥は倭人の正装姿の義智を見ると丁重に接客部屋に案内し、「対馬の国主がわざわざ何の用か?」と聞いた。
 「先般わが国の使者が朝鮮国王より返書を持ち帰ったが、その内容が腑に落ちぬ。これから申す言葉を国王に伝えてほしい」
 「王様に……?」
 鄭撥は怪訝な表情を義智に送った。どうも漢城での評議の内容がまだ釜山鎮にまで伝わっていないようで、朝鮮にしてみれば秀吉の国書の対処などさして重要な事でないのだ。それ以前に鄭撥は、一介の水軍武官の身分で国王に会うことなどできぬといった様子で、
 「聞くだけ聞こう。申してみよ」
 義智は書状とともに次の言葉を一気に伝えた。
 「我が国の関白殿下は、現在、明国に入るためおおいに兵船を造船し、将たちにその旨周知している。貴国はまずこのことを朝鮮全土に報じ、我が国と和を講じなければならない。修好の道を開けば、貴国は兵禍を免ぜられるであろう」
 「どういう意味か?」
 「国王に告げれば分かる!」
 「困りましたな──東莱府の宋象賢様なら取り次いでくれるかもしれぬから、少し時間をいただきたい」
 と、それから何の音沙汰もなく十日ほど待たされた挙句、返って来た返答が、
 「その発言は朝鮮王朝を虚喝するものなり。返答無用」
 だった。もはや取り付く島もない。
 「これで朝鮮の心ははっきりした。彼らは秀吉に従う意思もなければ、我が対馬に対する温情もないのだ──」
 そんなことは最初から分かり切っていたことだが、義智の心に芽生えたのは朝鮮に対するある種の敵対心だった。義智はむなしく釜山を後にし、朝鮮の事情をそのまま京都の秀吉に報告することにした。その際献上した朝鮮半島の詳細な地図は、朝鮮との決別を意味する彼の決意でもあった。
 秀吉はこれを受けて「ゆくか──」と不気味に笑った。そして、
 「義智、お前先鋒を務めよ」
 それは既にこうなることは分かっていたというような口調だった。決意したとはいえ義智の一瞬の躊躇を見逃さなかった秀吉は、
 「不服か?」と聞いた。
 「身に余る光栄と存じます──しかしながら、いま対馬の財政は厳しく、朝鮮との交易収入が絶たれますと──」
 「そんなことか」と秀吉は呵々大笑すると、彼に対して米穀一万石と白銀千枚、加えて兵器火薬を惜しげもなく与えたのだった。
 これより日本は、朝鮮へ向けての戦争準備を加速させていく。