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(47)ドタバタ開会式

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 果てしなく透き通った秋空にまばゆい閃光がはじけ、少し遅れて大きな破裂音が連続的に鳴り渡った。
 今日は蛍ヶ丘小学校の校庭大運動会当日。朝早くから家庭科室には婦人会のおばちゃん達が集まり、お米を磨いだり、馬鈴薯や人参や玉葱を切ったり、慌ただしくも世間話をしながら楽しそうに一日が動き出していた。
 「今日一日、どうかよろしくお願いします!」
 挨拶に訪れた城田と愛は、中心者の成沢先生に深々と頭を下げて、「任しといて頂戴!」という頼もしい返事を聞いた。
 やがて登校して来た子ども達は、それぞれ教室内の自分の椅子を、校庭西側の本部席の北側と、トラックを挟んだ東側に学年・クラスごとに整然と並べ、また、各委員会に所属する児童達は、それぞれ与えられた役割の準備に余念がない。その中、保健委員会の子ども達は、本部席南側に設けられた救急本部に集まり、鶴田美由紀先生の話を聞きながらいくつか置かれた救急箱の中身の最終チェックや、万一に備えてタンカやAEDなどの備品を整えていたが、子ども達はそこにいる見慣れない顔の白衣の中年女性を気にしていた。
 「今日一日救護班と一緒に、皆さんのお手伝いをしてくれる方を紹介します」
 美由紀はその女性を紹介した。
 「須坂市立須高病院の看護師長をされている児玉詩織さんです。児玉さんは病院の現場で実際の患者さんを相手に仕事をされている看護のエキスパートですから、皆さんにとっても、とてもいい勉強になると思います。どうか一日、仲良くしてあげてくださいね」
 すかさず「今ご紹介に預かりました児玉詩織と申します。今日一日……」と話し始めた看護師のその女性は、根っからの子ども好きのようで、瞬く間に救護班の子ども達と仲良くなって、美由紀はそこからはじかれる形となった。そもそも十段円塔で万一のことがあっては大変と、五木市長が気を回して手配してくれたものだが、毎年運動会といえば救護の城を守って来た美由紀にとってはあまり歓迎すべき人物でなく、また、市からの派遣とあっては断ることもできなかった。
 「なんか今日一日、超暇になりそう……」
 と、美由紀はため息交じりにつぶやいた。
 そんな彼女のところに、「美由紀先生、おはようございま〜す!」と、超ご機嫌な様子の二人組の男が近寄ってきた。言わずと知れた金髪中村とアゲハのヤッシャンである。先週にも増して強烈な香水の匂いをプンプンさせる二人に、思わず美由紀は反射的に逃げ出した。ところが、
 「先生、逃げなくたっていいじゃないですか!」
 と、いきなりアゲハに腕を掴まれて、すっかり逃げ場を失って、中村とアゲハは久し振りに話ができる喜びから矢継ぎ早に質問を投げかけるのだった。
 「いい天気ですね?」 「ご機嫌いかがです?」 「お加減はどうですか?」 「先週は体調を崩されたようですが大丈夫?」 「先生に会えなくて淋しかった」 「そのジャージ姿お似合いですね」 「お昼一緒に食べましょう」 「ついでに夜の食事もご一緒しません?」 「お酒も一緒に飲みましょう?」 「いい飲み屋があるんです」…………
 そうしているうちに急に頭痛がしてきた美由紀は左手で頭を押さえ、右手で二人の言葉を遮りながら、
 「わかった、わかったから! ちょっと待って、ホント……、ああダメ、具合悪くなってきた……」
 と言ったと思うと、突然吐き気をもよおし、だんだん意識が遠くなり、その場にしゃがみ込んで遂には倒れてしまった。
 びっくりしたのは中村とアゲハである。何が起こったのか訳も分からずおろおろしていると、そこに「鶴田先生、大丈夫ですか!」という保健委員長の女の子の悲鳴に似た声が挙がった。
 「あなたたち、何やったの!」
 二人を叱りつけたのは児玉看護師長だった。二人から漂う強烈な香水の匂いに顔をしかめると、救護班の子ども達に向かって「タンカ! 早くタンカを持って来て!」と叫んだ。慌てた子ども達はたった今準備したばかりのタンカを広げると、美由紀を乗せて保健室へ駈け出した。
 「い、一体、何がどうなっちゃったの?」
 腑に落ちない中村が責任を感じて呟いた。
 「多分そのニオイ、嗅覚過敏症。あなたたち、周りに迷惑だからすぐにその服、着替えて来なさい!」
 そう叱りつけると児玉は子ども達の後を追いかけて行った。

 朝のゴタゴタにあたふたしながら、いよいよ開会式が始まった。
 さわやかな風と空気に包まれて、赤と白に分かれた全校児童はきれいにグランドの中央に居並ぶと、「はじめの言葉」に続いて児童会長成沢輝羅々の「開会宣言」を待った。来賓席には五木市長はじめ井ノ原教育長の姿や地域の市議会議員、区長・副区長はじめ地域の民生委員や交番の警察官、公民館長や児童館長、あとはPTA役員はもちろん、各種ボランティア団体の代表とか地域老人会のお年寄り達が並び、池田伸兵衛さんの姿もそこに見えた。
 その様子を追うSTBのテレビカメラの前では、美人アナウンサーの周防美沙江が実況をしており、隣には娘の瑠璃がマイクを持って、子どもアナウンサーとしてアシスタントを務めている。
 「さあ、雲一つない快晴の下、いよいよ須坂市立蛍ヶ丘小学校の校庭大運動会の開会式が始まろうとしています。今日一日、実況を担当するのはこちらの子どもアナウンサー」
 「周防瑠璃です! 元気いっぱいやりますので、どうぞよろしくお願いします!」
 「そして私、周防美沙江でお送りして参ります。さて、瑠璃ちゃんはここ蛍ヶ丘小学校の4年生ということですが、今日まで練習はどうでしたか?」
 「はい、ちょっときついこともありましたが、みんな一生懸命に取り組んでいたと思います。午前中は綱引きや男子の騎馬戦や女子の竹引き合戦が見どころです。そして午後に行われる5、6年生の組体操は特に注目して欲しいです。そこで披露する予定の十段円塔は、世界でもまだ誰も成功したことがないと言われています。実はまだ練習でも一回も成功したことがありません」
 「さて、練習でも一回も成功したことがないというその十段円塔ですが、私達STBはその挑戦の模様をずっと追ってきました。果たして今日は成功するのでしょうか? ゼッタイ見逃せませんネ!」
 「は〜い、OKで〜す!」と都会気取りのサングラスをしたプロディーサーがカメラを止めて、何度か映像を確認したり撮り直しをすると、瑠璃は既に開会式が始まっている4年敬組の列へと戻って行った。
 進行は輝羅々の開会宣言に続いて烏山校長の挨拶、次に五木市長の挨拶と続き、最後にPTA会長音無宗司の番となっていた。白いジャージ姿の音無は、緊張した面持ちで体操台のマイクの前に立つと、ひとつ咳払いをし「えぇ〜っ」と言ってから、「おはようございます! 今日は待ちに待った運動会です!」と話し始めた。
 「昨日テレビを見ていましたら、今日、ここ蛍ヶ丘でも、皆既日食が観測できるそうです。理科の時間で勉強した人もいると思いますが、皆既日食というのは太陽が月に隠されて、夜のように暗くなる現象です。そして、ここ蛍ヶ丘で次に見れるのは、三六〇年後といいますから、その時は多分、私も皆さんもこの世にはいないでしょう」
 子ども達の間でクスリと笑い声が起こり、息子の太一は「また余計なこと言って」というような真っ赤な顔で俯いた。
 「今回の運動会のテーマは″蛍ヶ丘の光りよ一つになれ!≠ニ聞きました。三六〇年に一度きりのこの時に、皆さん一人一人の元気を集め、大きな『元気玉』にして宇宙へ投げ飛ばそうではありませんか! どうか怪我のないように、精一杯自他の花を咲かせて下さい」
 なんだか解かったか解からないような内容であったが、そんな独特な雰囲気が彼の良さであり、短所でもあった。一応役目を終えた音無は、一礼をして壇上を下りる。
 そして選手宣誓に続いて、全員で赤白対抗の運動会の歌『ゴーゴーゴー』を歌い、その後は体操のできる間隔に広がって準備体操をしてから競技開始となった。
 そのとき城田にとってひとつの心配事が発生していた。
 「牧建設のクレーン車が到着していない」
 と言うのである。予定では開会式前には車両をグランド横の道路に付けて、命綱の準備を終えていなければならないところだが、牧社長の息子がいる5年生の牧航貴の母親に事情を聞けば、
 「実は三日前に群馬県の建設会社にクレーン車を貸し出したのだが、建設工事が長引き、昨日返却される予定の車両がまだ返って来ない。昨晩遅く、主人が取りに行ったから、午前中には間に合うと思う」ということだった。組体操は午後だから、お昼休みに準備をすれば問題ないだろうと、その時はそれで済んだ話である。
 さて、校庭東側のギャラリーには、例年とは比較にならないほど大勢の人達が観覧していた。その多くはSTB放送を見て期待を募らせた地域住民や、午後の組体操に駆り出された面々であるが、まだ来ていない人達も大勢いたのでお昼頃には満席になり、収容できない人も出ることが予想された。駐車場も区の方にお願いし、町内の公会堂やスーパーや薬局やコスモス園という老人介護施設、その他空き地や路上等、スペースというスペースは駐車できるように手配してもらったのでなんとかなりそうだったが、実際には想定外の対応に追われることも考えられた。
 そのころ保健室に運ばれた美由紀を取り囲むように、数人の救護班の子ども達と児玉看護師長が楽しげな会話をしていた。グランドの方からは軽快なBGMやスターターピストルの音が聞こえ始めていた。
 「鶴田先生、ほんとうに大丈夫ですか?」
 一人の子どもの質問に、「たぶんね」と笑顔で児玉は応えた。
 「病気?」
 「嗅覚過敏だと思う。嗅覚障害の一種で、ほら、女性が妊娠した時のつわりと同じようなものよ」
 「弟が生まれる時、私のお母さんもつわりがひどいって言ってた!」
 「そう、つわりの場合、吐きけや嘔吐などの症状が出て、好きな食べ物が変わったりするの。でも一時的なものだから病気ではないと言われているわ。でも鶴田先生の場合、妊娠じゃないからねぇ。匂いと人の情動には大きな関係があるの。ほら、いい香りを嗅ぐと気持ち良くなるじゃない、アロマセラピーなんかはこうした香りの特性を活かした治療法なのよ。逆に嫌な臭いをかぐと人は気分が悪くなる。鶴田先生はきっとあの匂いが大嫌いだったのね」
 「そういえば、あの男の人達、へんなニオイしてた!」
 児玉は目をキラキラさせて話を聞く子ども達の尊敬を鷲掴みにしていた。ちょうどそこで美由紀が「ここどこ?」と言いながら目を覚ます。
 「鶴田先生が気が付かれましたよ。もう心配いらないから、皆は運動会の方へ戻りなさい」
 「はーい」と、子ども達を帰した児玉は、ベテラン看護師の口調で「運動会当日に養護教諭が倒れるなんて語り草ね」と笑った。美由紀は舌を出して自分の頭をコツンと叩いた。
 「でも子どもってカワイイのね。なんだか鶴田先生がとっても羨ましい。こんな素敵な経験をさせてもらってすごく感謝しているの。今日一日救護班の子ども達は私に任せて、鶴田先生は無理をしないで、ゆっくり運動会観戦をしていてかまいませんよ」
 こう言い残して児玉は保健室を出て行った。彼女にとって今日の経験が非常に貴重なことだと知った美由紀は、自分が戻って返って邪魔をすることになっても申し訳ないと思い、救急本部には緊急時だけ駆けつけることにして、遠慮なくその言葉に甘えることにした。