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(39)仲たがい

 ネット小説ランキング>一般・現代文学 コミカル>大運動会 ←励みになります!  => 十段円塔配置図
 片づけを終え、クレーン車を出してくれた牧社長に、来週の本番当日のお願いをして見送った城田と愛は、少々疲れた様子で休日の職員室に戻った。するとそこでは菅原政子教頭をはじめ五、六人の先生方が、先ほどホームビデオで撮影したばかりの十段円塔崩壊の様子を、テレビに映して熱心に見ているところだった。
 「あれ? 教頭先生、ビデオに撮ってくれていたんですか!」
 忙しさの中で練習のビデオ撮影など考えも及ばなかった城田は喜びの声を挙げたが、刹那「ここよ、ここ!」という教頭の声にかき消され、そこにいた者達の視線は、スローモーションで映し出されるテレビ画面に釘付けになった。まさに崩れ落ち始めた瞬間をとらえた映像である。
 「五段目のあたりね……ほら、この子! なんだか肩をゆすっているようにも見えるわ」
 一緒に見ていた5年愛組の安岡花子先生が指を指して言った。映像では、その子の肩の上に立っていた子の足元から崩壊が始まっているようだった。
 「本当ね。誰かしら? 小さくてよく見えないわ……。城田先生、この子、誰だか判る?」
 菅原教頭が城田を手招きで呼んだ。画面を見た瞬間、彼にはすぐに判った。
 「うちのクラスの原田萌さんだ―――」
 「原田さんて、日の出食堂の?」
 5年信組の本木弘先生に続いて、6年信組の八木先生が、
 「それじゃこの隣は水島友太君ってわけか。二人の間に何かあったのかな?」
 と首を傾げて言った。城田にしてみれば何かあった≠ヌころの話でない。この計画を始めた当初からの懸案だったのだ。それを知っているのは彼からその悩みを密かに打ち明けられていた愛だけで、彼女は他人事のように「どうするのよ!」という冷ややかな横目線で城田を牽制し続けた。すると、慎重型で普段からあまり発言などしない性格の5年敬組の新田先生が、「ちょっといいですか?」と口を挟んで、映像を崩壊する少し前まで戻すよう要求した。菅原教頭は言われるままに「あら、最近は巻き戻し≠チて言わないのね」とつぶやきながら、リモコンの早戻し<{タンを押して、やがて再生された映像を見ながら、
 「ストップ!」
 と、新田先生は小さな声で叫んだ。
 「ちょっと見えずらいんですけど、ここをよく見て下さい。一段目のここです。ほら、この二人、足を蹴り合っていませんか?」
 全員、画面を凝視した。なるほど判かりずらくはあるが、一段目の別チームの隣り合う男性の足が、互いのふくらはぎを蹴り合っているように見える。
 「いったい誰と誰?」
 これは由々しき事態だとばかりに安岡先生が追及しはじめた。
 「一人は真っ赤な運動靴を履いてるなあ」と、八木先生が気が付くと、
 「クック・モットの水島社長! 水島友太君のお父さんよ!」
 と、愛が思い出したように言ったので、全員の視線が彼女に向けられた。
 「休憩中に水島さんを見かけたものだから、私挨拶に行ったんです。ほら、当日のお弁当の話がなくなっちゃったから謝らなきゃいけないと思って。本人は『気にしないで』って言ってくれたんだけど、なんだか目が怒っていたから私、頭を下げたんです。そしたら派手な靴が目に入って、思わず『ステキな靴ですね』って言ったの。そしたら『運動会のためにネットで2万円で買った』んですって、ナイキの真っ赤なシューズ!」
 「金持ちはイイねぇ〜」と本木が羨ましそうに言った。
 「じゃあ、もう一人は誰なの?」と安岡の追及は止まらない。ふと、「この男性の隣にいるの、本木先生じゃないかしら?」と指を指した。他人事でなくなった本木はテレビ画面に食い入って、
 「た、確かに俺だ……」
 とつぶやくと、周りから「先生と同じチームにいた誰かよ! 思い出して!」と急かされながら、間もなく本木は「はっ!」としたように手を叩いた。
 「原田さんだ! 日の出食堂の!」
 城田は頭を抱えた。子ども同士の関係ばかりでなく、親同士までもが犬猿の間柄を露骨に現して、十段円塔崩壊の重大な原因を招いていたとは、もはや弁明の余地など皆無だ。両店舗の仲の悪さを知っている先生方も、「あの二人ならばやりかねない」とか「きっと当日の弁当がなくなった腹癒せに互いの憂さを晴らしているのだ」と口々に言い出して、たまらず愛は城田の腕を引っ張って廊下に連れ出した。
 「どうするんですか? 今の体勢じゃみんな納得しませんよ!」
 「分かっていますよ、そんなこと!」
 「なら、やっぱり萌さんと友太君の位置をずらしましょう。私、ずっと前から忠告していたはずですよねェ! それに一段目だってチームの位置をずらせば済むことじゃないですか。まだ一週間ありますし、なんとかなりますよ!」
 「それでは根本的な解決にならないじゃないか。今の一人一人の持ち場を導き出すのに、アンケートで身長や体重、過去のスポーツ経験などを聞き出して、どれだけ考え抜いて組み合わせた位置か桜田先生だって知ってるじゃないか。下手に動かしたらそれこそ力のバランスが偏って、今より失敗のリスクが大きくなるんだよ!」
 愛はぷいっと怒って「城田先生のわからずや!」と叫んだ。
 「どっちが分からず屋さ!」
 「もういいっ!」
 愛は理由も分からず涙が込み上げて、職員室に入ろうと足を向けた。ところが城田はそれとは逆の方向へ歩き出したものだから、
 「どこ行くんですか? こんな大事な話をしてる時に」
 愛の質問に城田は何も答えない。
 「どうせ春子さんのところでしょ? お昼だし、あそこの唐揚げ美味しいですものね! せいぜい楽しんで来ればっ!」
 愛にも分からなかった。まさかそんな乱暴な言葉が自分の口から飛び出すとは。しかし憤りだか嫉妬だか悲しみだか何だか解からない感情が爆発して、思わず出た言葉がそれだった。本人に解からない感情など城田にも判るはずがない。
 「何をそんなに怒っているの?」
 「知らないっ!」と投げ台詞を言い放ち、続けて出た「勝手にしろよ……」という声は小さくて、城田の耳には届かなかった。

 城田は学校を飛び出して日の出食堂へ向かった。
 全体練習を終えて帰って、さっそく午後の営業を開始していた店主の原田は、威勢の良い声で「いらっしゃい!」と彼を迎え、
 「こりゃ城田先生、さっきは残念でしたねェ、もう少しだったのに!」
 と、店内に数人いる客の注文の調理の手を動かしながら言った。城田はカウンター席に座るとラーメンを注文し、そういえばお金はあったかと、まだ一、二枚の千円札が入っているはずの財布の中身を確認した。
 「今日はお向かいさんの弁当でなくていいんですかい?」
 厨房の原田は中華鍋に野菜を投入しながら嫌味な笑みを浮かべたが、「あんた、やめなよぉ」と妻の良美は「すいませんねぇ」と笑顔で謝りながら、サラリーマン風の男に頼まれたお冷を運んで行った。
 城田は何から切り出そうかと店内のテレビを見るともなしに眺めていたが、やがて、
 「はい、一丁あがり! チャーシュー少しサービスね」
 と、目の前に置かれたラーメンをすすり始める。もうとっくにお昼時間を過ぎた店内は、城田を残して最後の客を送り出し、店主の原田は椅子に腰かけ暇そうに新聞を読み始めた。
 「あのお、今日の全体練習のことなんですけど……」
 城田は器のスープを飲み干してから、ようやく言った。
 「あと少しだったのにね。本番は成功させやしょう!」と、即答の原田に何の悪びれも見られない。
 「そのお……、水島さんと何かあったのですか?」
 すると原田は新聞を読むのをやめ、「なんでそんなことを聞くのか?」と言いたそうな表情で城田を見つめた。
 「いやいや、深い意味はないんです。ただ、今日なにか二人の様子が変でしたので……」
 「なんだい、見られてたんですかい? 先生にゃかなわないなぁ」
 原田は観念して蹴り合いの経緯を話した。
 「いやなに、たまたま隣に水島の奴がいたもんでね、『景気はどうか?』と尋ねたんだ。そしたらいきなり俺の足を踏みつけやがったんだ。頭にきたから蹴り返してやっただけのことだよ。いや、申し訳ない!本番は絶対しねえからよ。今回は許してくんない!」
 どうやら円塔が崩れた原因が自分にもあったことに気付いているようで、原田は素直に謝った。
 「でもどうして景気を聞いただけで足を踏むのでしょう?」と城田。
 「そんなこたあ奴に聞いてくんねえ。小学校の頃は仲良かったんだけどなあ」
 「えっ? 同級生だったんですか?」
 「そうだよ。二人とも蛍ヶ丘小学校の卒業生さ。でも中学校にあがってからかな? 馬が合わなくなったのは。まあ、別々のクラスになったということもあるんだが―――まあ心配しなさんな、本番は必勝鉢巻≠巻いて臨みますから!」
 愛想のいい原田はそんなことをぼやいた。
 「本番は本当にお願いしますよ。一部の呼吸の乱れが全体の失敗につながりますので」
 城田はそれ以上のことは聞き出せず、勘定を支払って続けて水島の家に向かった。
 「やあ、城田先生! 今日はあと少しでしたのに、残念でした」
 妻の美樹に呼ばれて玄関先に出て来た水島の声は明るかった。彼もまた少しの悪びれもなく原田と同じようなことを言って詫びたが、結局原田と水島の二人の間にある怨念に似たわだかまりの根源を究明することはできなかった。
 城田は頭を抱えたまま学校へ戻った。