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小説・大運動会
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(35)疑問
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=> 十段円塔配置図
城田は遺書のことが気になって、その日桜田と九時ころまで残業すると、別れてそのままクック・モットへ向かった。車で乗り込めば、また向かいの日の出食堂の原田に目撃されるのではないかと恐れて、公民館の駐車場に車を置き、警戒しながら徒歩で向かった。周囲をキョロキョロしながら、いかにも怪しげにクック・モットの店内に入り込んだ城田であったが、やはりその不審な光景を、原田夫妻は明かりを消した二階の窓から覗いていた。夜九時過ぎとはいえ、よほど店が暇なのだ。
「おい、城田先生がまた紅矢んとこへ来たぞ」と店主の友則。
「しばらく姿を見せなかったのにねえ」と妻の良美が応えた。
「きっと俺たちのことを警戒しているのさ。運動会の仕出し弁当一、〇〇〇食の予定が、ジャガイモ3箱、タマネギ2箱、ニンジン1箱に変わっちまったんだ。こっちは大損だよ。このままじゃすまねえぞ」
「よしなよ。注文もらえただけでもヨシとしなくちゃ。それより今日はどんな展開があるのかな?」
と、二人は楽しみにしているテレビドラマの続きでも見るようなはしゃぎようだった―――。
「いらっしゃいませ! あら城田先生、先ほどはどうもありがとうございました」
と、城田を迎え入れた春子は、どことなし明るく見えた。以前は店内に入った途端、睨むような陰険な空気を作り出していたのに、胸につかえていた大悟の死の真相を打ち明けることができたことによってか、重くのしかかっていた苦悩が少し軽くなったのであろう。
「どうしたの? 夜なのにサングラスなんかしちゃって?」
城田は「別に」と言いながらサングラスをはずすと、いつものから揚げ弁当を注文した。
「春子先生、このお店はテイク・インできないの?」
「なにそれ?」
「テイク・アウトの逆さ。ここで食べていきたいんだけど……」
春子は兵悟らしいつまらないジョークに笑いながら、
「うちは食堂ではありません。お向かいさんに行ったら? 教え子の店でしょ」
と返した。
「実は話しがあるんだ……」
城田の真面目な目付きから、大悟の事だと察した春子は、少し考えて、
「じゃあ二階で食べて行ったら? もうじきお店閉めようと思ってたとこだから」
と言って希を呼びつけると、「城田先生にお茶出してあげてちょうだい。大事な話があるんだって」と言いつけた。希はちょっと嬉しそうに、「城田先生、どうぞ」と言って彼を二階へ連れて行った。
間もなくクック・モットの店の電気が消えたのを見て、原田夫妻は顔を見合わせた。
「おい、電気が消えたぞ! 城田先生、まだ中にいるよな?」
「ちょっと〜どうすんのよ〜!」と妻の良美は興奮気味である。
「こりゃ、きっと、やっちゃうな……」
友則の言葉に、暗がりの中でエッチな想像をした二人は、互いの目を見つめ合った。そしてゆっくり手を握り合い、新婚当初を思い出すように顔を近づけていった。
「ねえ、なにしてるの〜?」
驚愕仰天して声のする方を見れば、襖を開けた4年生の輝が、眠そうな目をこすりながら不思議そうに見ていた。
「なんだおまえ! まだ起きてたのか、早く寝なさい!」
二人ははじけるように離れて、冷や汗をぬぐった。
希に連れられて二階にあがった城田は、整理整頓の行き届いた居間の中央に置かれた座卓の前に胡坐をかいた。希の躾もよくできていて、「先生、これを使って下さい」と座布団を持ってきたり、「オレンジジュースもありますが、お茶でいいですか?」と聞いてから小さなキッチンに入って、その小さな手で、湯呑茶碗を出し、茶筒のフタを開けて急須に茶葉を投入し、魔法瓶のお湯を注ぎ、その気配からも生真面目で健気な性格がよく伝わってきた。
その間、城田はふと小さな仏壇に目をやると、写真立ての中、眼鏡にスーツ姿で笑う大悟を見つけた。城田は「大悟……」と呟いた。
「希ちゃん、先生もお線香あげさせてもらっていいかな?」
「どうぞ」
城田は仏壇の前に正座して手を合わせた。間もなく希はお盆の上に、お茶の入った一碗の湯呑を茶卓の上に置くと、そのまま仏壇の前に座る城田の右側にちょこんと座った。
「先生、お父さんの話を聞かせてください」
希は城田が家に来ることを待ち望んでいたかのように、つぶらな瞳を輝かせた。思えば彼女は、父親といっても写真に写る平面の父親しか知らないのだ。城田は優しい微笑みを浮かべると、自分の知っている大悟について、自らが思い出すように語り始めた。
「ほらお父さん、黒縁の眼鏡をしてるだろ? これはね、大学時代に買ったものなんだ。先生とお父さんは一緒にラグビーをやっていて、お父さん、試合の最中に落としてしまったんだ。そしたら相手の選手が踏んずけてもうたいへん! フレームがこんなふうに曲がってしまってね」
城田は身振り手振りのジェスチャーを加えて顔までゆがめたものだから、希はケラケラ笑い出した。
「買ったばかりの眼鏡だったからお父さんもう泣きそうになってね、こんな顔して……。諦めがつかなかったのだろうね、友達で溶接をやっている人がいてさ、その人の道具を借りて必死に直していたよ。でも本当にもとどおりに修理してしまったんだ」
「だからここが膨らんでいるんだ!」
希は写真に写る大悟の眼鏡の一部がちょっとおかしいことに気付いていて、そこを指さして言った。
「よく気がついたね! この眼鏡に愛着があってずっとしてたんだね。とっても器用で、とっても物を大切にする人だったよ」
「へえ〜、ほかには?」
「ほら、このネクタイ、お酒を飲んで酔っ払うと頭に巻くんだ。そして何すると思う? モーツァルトを歌うんだ。『魔笛』とか『フィガロの結婚』。先生はぜんぜん分からなかったけど、それがけっこう上手でね。音楽会の時なんかお母さんたちのPTAコーラスに入って、お父さんは決まってテノールをやるんだけど、すっごく目立っていたなあ……」
「それから、それから?」
「そうだなあ……、お母さんも知らない秘密の話をしようか?」
希は目をランランと輝かせた。
「実はお父さん、『おニャン子クラブ』の大ファンだったんだ」
「知ってる! 『AKB』とか『SKE』とかのずっと昔に流行ったのでしょ?」
「そう。その中で『河合その子』というアイドルが大好きでね、レコードを買ってきては先生に聞かせるんだ」
「へえ……、お母さんに似てる?」
「そうだなあ、ちょっと似てるかな? 目のあたりとか口もととか……」
二人はそんな話をしながら大笑いしているところへ、
「ずいぶん楽しそうね、何の話? お母さんも入れてもらおうかしら」
と、仕事を終えた春子が部屋に入ってきた。
「お母さんはダメっ、だってひみつの話だもん―――」と、希は「もっと話して」とせがんだ。
「希、宿題は終わったの? あまり城田先生を困らせちゃだめよ」
「困らせてないもん!」
春子は持って来た城田が注文したから揚げ弁当を座卓の上に置き、「こちらへどうぞ、ここで食べるんでしょ?」と促すと、城田は仏壇の前から移動して、希が入れてくれたお茶で喉を潤した。
「お母さん、これから城田先生と大事な話があるから、希はそっちの部屋に行っててくれる?」
「ええっ、やだ〜っ」と希は駄々をこねたが、それでも春子が「お願いっ」と頼むものだから、仕方なく「つまんないの」と言いながら自分の部屋へ入って行った。城田は春子に目をやって、昔に比べてずいぶんせっかちになったなあと思いながら、それだけ生活に追われているのだろうと、そのやつれた表情を見つめた。
「ごめんなさいね、希の相手してもらっちゃって。でも珍しいのよ、あの子が駄々をこねるなんて……」
春子はクック・モットの調理服を脱いでたたみながら、
「なあに? 話しって?」
と、せっかちに話を進めた。
「ちょっと大悟のことで気になることがあってさ」と、城田は目の前の弁当を気にしながら話し始めた。
その内容は、昼間春子が城田に語ったものとほぼ同じで、違うのはその都度の大悟の様子を改めて念入りに確認していることだった。途中まで話して「何が言いたいの?」と春子が言うので、城田は先に結論を伝えた。
「遺書はあったの?」
「遺書?」
春子は不思議な顔をして「遺書と言えるか分からないけど、書き置きがあったわ」と、仏壇の大悟の写真立てを手にすると、裏側の板を外して、写真の裏側にしまってあった四つに折りたたんだ古い紙切れを取り出した。
「これよ……」
広げてみれば、懐かしい大悟の、きれいとは言えない鉛筆の文字があった。そこには、
『春子さんゴメン 希をヨロシク』
とだけ書かれていた。
城田は思わず「これだけ?」と聞き返した。春子は静かに頷いた。
「あんなに責任感の強いあいつが、死ぬ前にこれだけっておかしかないかい? 両親に宛てたものとか?」
「私だっておかしいと思ったわ。でも家中を探しても何もないし、遺品を整理しても何も出てこなかった。あんなに狭いアパートだもの、あるなら絶対見つかるはず。私、大ちゃんが使ってたパソコンのデータも全部見たのよ。でも結局これだけ」
「あいつが社会科の授業で使おうとした最後に撮った写真て?」
春子は押入れにしまったアルバムを取り出して開いた。当時はまだデジカメは一般的でなく、「私が現像したの」と言って数枚の写真を指さした。
「ここはどこかな?」
「多分、川中島の古戦場。ほら、ここに武田信玄と上杉謙信の像があるでしょ?」
城田は首を傾げた。
「社会科の教材に使う写真にしては数が少ないね。それに写真を撮りに家を出たのが午前中でしょ? 帰って来たのが夜中って、同じ長野市内の写真を撮るのに、そんな時間かからないでしょ」
「思いつめていたのよ……。きっと時間が過ぎるのも忘れて、公園内をさまよっていたんだわ」
確かに大悟にはそんな一面もあったと城田は納得した。そして一番聞きずらいことを聞かなければならなかった。
「春子先生にとっては一番思い出したくないことかも知れないけど、最後に一つだけ教えて?」
城田はそう前置きして、
「血まみれになって倒れてたって言ったけど、大悟は一体どうやって自殺したの?」
途端、春子の両目に涙がたまったかと思うと、次の瞬間ボロボロと滝のようにあふれ出した。
「包丁でお腹を刺して死んでた。出血多量だって……。私がもっと早く気付いていれば……大ちゃん、助かっていたかも知れないのに―――」
春子はそのまま泣き崩れてしまった。
お腹を刺して死んだと知って、城田は蒼白になった。いわゆる日本古来の『切腹』ではないかと直感したのだ。自殺について議論し合ったあの晩、ピストルが持てない日本においては、出刃包丁か何かで腹を切るのが、一番苦しみが少なく簡単に死ねる方法だと大悟に教えたのは自分ではなかったか。しかも、それがサムライらしくて一番カッコイイとまで付け加えてしまったのだ。そのとき春子はコンビニに行っていなかったから、会話の内容は、今となっては城田しか知らないのだ。
春子は「私のせい……」と言って泣いたままだった。その姿を見て、城田の胸は締め付けられた。思えば大悟が知らなかった春子との秘密とは、春子に大悟と結婚するようお願いし、春子がその提案を受け入れたことである。もちろんあの時は、落ち込んだ大悟をなんとかして救うため≠ノした最後の決断だったわけだが、結果的に彼を殺すという結末を招いてしまったのだ。いま目の前で泣く春子の苦悩の全ての因が、自分の浅はかな決断がもとになっていたことに気付いた城田は愕然とした。
「春子先生、泣かないで……全部ぼくがいけないんだから……」
しかしそれを春子に納得させて説明するには、もう少しゆるやかな時間の流れと、彼自身の心の整理が必要だった。
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