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(31)権力者と獅子

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 校長室の接待用のソファに城田と高橋と成沢の三人が座わり、前のテーブルにメキシコ産のコーヒーを並べた烏山校長は、余った席に静かに腰を下ろした。そして香りを楽しんでから一口飲むと三人にも勧め、やがてゆっくり話し出した。それは五木市長の十段円塔中止勧告から、決闘を通して彼が協力者になった経緯、そして、いまさっきの文部科学省を盾にした国立国会議員からの脅しに似た中止勧告に至る内容である。自分が知らないところで骨を折ってくれていた烏山校長の姿勢に胸を打たれた城田は言葉を失い、高橋は「さもあろう」といった表情で聞いていたが、「さて、どうしたものか?」と烏山が言おうとしたところを成沢が言葉をはさんだ。
 「こんな片田舎の学校行事に、わざわざ国会議員が出て来て口出しするなんてどうかしら? なにか悪意に似た作為を感じますが……」
 烏山は現状を分析しながら説明をはじめた。
 「危険な十段円塔に取り組むことを知っていながら事故でも起こされたら、それこそ県教委は監督不行き届きで世間のバッシングを浴びるのは火を見るより明らかです。なんとか中止させるように須坂市に忠告したところが、肝心の市教委も市長も我々に賛同の立場をとりました。そこで議員を使って圧力をかけてきたのでしょう。ほら、国立議員といえば選挙のたびに長野県教育友愛会に支援要請をしてくるでしょう。県教委には教育友愛会に所属するメンバーも多い。大切な支持団体の依頼を断れるはずがありませんからね」
 「筋違いだわ!」と成沢が声を荒げた。「なぜ教育の畑に政治家が入ってくるの?」と、その怒りは尋常でない。というのも彼女は男女共同参画運動にも深く関わってきており、過去に問題となった国立議員の女性蔑視発言を根に持っていたのである。それはマスコミにおいて、ある教育問題が取沙汰されていた頃、一人の女性教育家のするどい意見に対し、
 『女は子どもを産んでいればいい』
 と公の場で発言した問題で、当時女性社会活動家の大反発を買って大騒ぎしたものである。成沢などはその陣頭指揮を執って激しい抗議運動をし、一応は国立議員の謝罪会見という形で終止符を打ったに見えたが、その後も事あるたびにセクハラまがいの言葉を口走ったり、女性をないがしろにした発言を幾度となくくり返していた。成沢に言わせれば国立議員は人権感覚をどこかに忘れて来た政治家≠ナ、その言動を日々注意深く監視しており、最近は人権を理解していない政治家が多すぎる!=高サんな政治家が国民のために働けると思いますか!≠ニ、講演会などでは常々口にしていた。
 「教育の問題は教育で解決しなければいけません!」
 突然成沢が机を叩いて立ち上がった。それには烏山校長も城田も高橋も目を丸くして彼女を見つめた。
 「向こうが筋違いなことをするなら、こちらも遠慮はいりません! 向こうが権威権力で夢に挑戦する子どもの願いを潰そうというのであれば、こちらは民衆勢力で対抗するまでよ! 女の力を思い知らせてやるわ!」
 成沢はその勢いのまま「校長先生、城田先生、それに一郎ちゃん!」と叫ぶと、三人は「はい!」と獅子の雄叫びに身震いするインパラのように立ち上がった。
 「国立議員は私が全力で押さえます。ですので学校はこれまで通り練習を続けてください! 一緒に子ども達の希望を護りましょう!」
 成沢はそう言い放つと校長室を出て行ったが、ホッとした三人がソファに腰をおろしたとき、再び姿を現して、「城田先生、炊き出しの件はよろしくお願いしますね」と言い忘れた言葉を伝えて帰って行った。
 すっかり冷めたコーヒーを飲みながら、
 「民衆勢力で対抗するとか言ってましたが、いったい何をする気でしょう?」
 と烏山校長が心配そうに言うと、それについて薄々勘付いている高橋は、小学校の担任だった時の森口先生のある事件を思い出した。それは彼女の同僚だった坂口という女性教師の結婚が決まった時、坂口先生が校長から言われたこんな言葉がきっかけだった。
 「坂口先生ご結婚おめでとうございます。どうせ女なのですから家庭に入るのが一番幸せでしょう。なあに、子ども達のことは心配いりません。既に後任の先生を見つけましたから、男のね……」
 ところが坂口先生には教師を辞める意思などなかった。泣かれながらその相談を受けた森口先生は、「どうせ女だから≠ニはどういう意味!」と激怒して、学校内の女性教師達と結束し、更には彼女たちが受け持つクラスの子ども達を引き連れて校長室の前で座り込み、坂口先生辞職撤回の抗議運動を展開したのである。その中にイガグリ頭の高橋一郎少年もいた。もちろん彼にしてみれば当時は何のためにそのような事をしているのか理解し兼ねたが、後の同窓会で当時先生だった彼女達と再会した際、その真意を知ることになる。そして「森口先生ってスゲエ!」と、女性に対する畏怖と尊敬を同時に抱いたのであった。高橋にはその思い出と今回の出来事がリンクした。
 「おそらく各種女性団体を率いて抗議運動でもするのではないでしょうか? 森口先生は全国の婦人連合会の重職を担っていると聞いています。森口先生が一声かければ、全国から千や二千の女性達が集結すると思われます。まずは署名運動、それで国立議員が折れなければ、長野駅前あたりでデモ行進でも企てる気でしょう。なにやら近年は社会に対して庶民たちが大人しすぎると、うずうずしている様子でしたから……」
 烏山校長は、話がますます大きくなっていくことに、苦笑いを作るしかない。
 「市長にはなんて説明すればよいでしょう……」
 と困った様子で城田と高橋に意見を求めた。
 「とりあえず成沢さんが議員を押さえると言ってましたから、結論を待つしかないと思いますが……」
 城田が言った。高橋は何も答えない。
 「もし成沢先生が失敗したとしたら?」と校長の心配はそれであるが、言ったところで同じ議論をくり返すことになるのは目に見えていた。そこへ高橋がポツンとつぶやくように言った。
 「森口先生は必ず成功させると思います」
 「なぜそう思うのです?」
 校長の問いに高橋は毅然と答えた。
 「森口先生は何に対しても命がけだからです。保身の権力者より命がけの獅子の方が強い!」
 烏山校長はニッコリ微笑んだ。
 「城田先生は十段円塔は必ず成功させると言い、高橋先生は成沢先生が必ず国立議員を押さえることができると言う。長の私がお二人の言葉を信じられなくて何としましょう。分かりました、市長にはそう返答しておきます」
 話が済んで城田と高橋は校長室を出た。お互い話すこともなく職員室の6学年の隣同士の席に座ると、互いにやりかけていた残業の続きを始めたが、ふいに高橋はズボンのポケットをゴソゴソやりだし、黒い愛用の財布を取り出した。
 「城田先生―――」
 残業の手を休めて目をむけた城田の目の前に、無表情の高橋の右手に二枚の一万円札があった。
 「これは?」
 「今度の全体練習の時に配るホームランバーの足しにしてください」
 どこで心境の変化がおこったものか、高橋は城田の手にその二万円を握らせた。
 「ええ? 助かります! いいんですか?」
 全く金策にも頭を痛めていた城田は、高橋の好意を遠慮なしに受け取った。
 「それと、当日必要な経費で足りない分は相談してください」
 そう言うと、高橋は再びパソコンで制作中の書類作成に目をむけてしまった。しかしその表情は心なしか明るく見えた。