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(28)伝えられない気持ち

 ネット小説ランキング>一般・現代文学 コミカル>大運動会 ←励みになります!  => 十段円塔配置図
 朝の職員会議が終わり、烏山校長は城田を校長室に呼び入れた。痛々しい額のガーゼが気になる城田は、「どうされました?」と心配そうに聞いたが、校長は、
 「いやね、猫にやられましてねぇ」
 と笑っただけで、はて?「校長は猫なんて飼っていたかなあ?」と城田は首を傾げた。
 「実は今朝、市長から連絡がありまして、十段円塔続行を認めてもらいましたよ!」
 城田は思い出したように「そうですか!」と叫んだ。実は説明会やら人員不足の件やら弁当調達の件やらで頭がいっぱいで、市長からストップがかかっていたことはすっかり頭から飛んでいたのだった。
 「しかし県教委からの指示だったのでは?」 
 「市長のことですからなんとかしてくれるでしょう。それに不足人員132名も、市長の顔で集めてもらうことになりました!」
 「そうですか!」と城田は小躍りして喜んだ。
 「しかし一つ、条件を出されました。10段目、9段目、8段目の子ども達に命綱をつけよと」
 「命綱ですか……?」
 「私もグッドアイデアだと思いましてね、了解の返事をしておきましたよ」と笑った。
 城田は命綱など必要ないと思っている。しかし市長も校長も心配するのは当然で、そこは波風を立てずに「わかりました」と返事をした。
 「しかしグランドでやるわけですから、命綱を釣るクレーン車が必要だと思うのですが、城田先生、どなたか重機を動かせる人で心当たりはありませんか?」
 そう言われてもすぐに心当たりなど浮かばない。そこで次の日曜日に行われる全体練習の際、保護者にそういう人がいないか聞くことにした。次の練習では子ども達も集める予定でいるが、全体の配置や動きの確認をしたり、マットなど備品の置く位置や、円塔も部分的に練習して感覚を掴むことに焦点を置いたもので、実際十段を立てるのは更にその次の日曜日の計画だったから、それまでに間に合えばいいわけだ。しかし重機を動かせる人は見つかったとしても、肝心のクレーン車がなければいけないので、今のうちにレンタルできるところを探しておくということで話はまとまった。
 そうして城田は一時間目の授業に向かった。
 この頃になると、運動会当日のプログラムも決まり、その内容は、定番の各学年のかけっこあるいは短距離走はもとより、競技種目では低学年の玉入れ、中学年の五人六脚大玉ころがし、高学年女子の竹引き合戦、高学年男子の騎馬戦、表現種目では低学年のリズムダンス、中学年の信濃の国音頭、そして高学年の組体操と、更には一学年から三学年と、四学年から六学年それぞれに行われる綱引きや、選抜対抗リレーや委員会対抗借り物競争、あとは全体競技として大玉送りも企画され、これらをこなさなければならない子ども達も大変である。その他、PTA種目の風船割りゲームや地域の各種団体参加種目のお楽しみゲーム、来年度入学児童種目では旗拾いなど盛りだくさんである。
 児童会による運動会スローガンも決定され、今年は『蛍ヶ丘の光よ一つになれ!』に決定した。これは全校児童の公募により集められた言葉の中から、児童会長の成沢輝羅々が中心になって考えたもののようで、そこには彼女の思いが詰まっている。今日行われた児童集会で発表され、
 「わたしたち一人ひとりは小さな光かもしれませんが、みんなが一つになれば、太陽のように輝く大きな光になるに違いありません。力を合わせ、運動会を大成功させましょう」
 と、輝羅々は明るい声で訴えたのだった。これらの内容がプリントされたものが、近々各家庭に配布される予定だ。
 そんな思いとは裏腹に、原田家と水島家の親同士と子ども同士の諍いを中心に、城田先生と高橋先生の不調和や、細かいところに目を向ければ、団結を崩す因子が無数にあった。今日もまた原田萌と水島友太は花壇の水くれ当番をさぼったさぼらないで大喧嘩をしたところなのだ。城田は思い余って二人を呼びつけ、
 「お前たち、いい加減にしろよ。寄ると触ると喧嘩ばかりして。いったい何がそんなに気にいらないんだ?」と問えば、
 「顔!」と、友太が憎たらしそうな口調で答える。一方萌も、
 「あんただって人のこと言えた義理? スネ夫みたいな顔してさ! 今日はドラえもんの収録はないんですか? 嫌われ者にはお声がかからないのね!」と、一言われれば十倍にも二十倍にもして言い返す。
 「なんだと!」と、そこでまた喧嘩が始まる。
 城田は十段円塔でのこの二人の隣同士は無理かな?と思い始めている。しかし一方では、この問題は成功させる過程においてどうしても乗り越えなければならない壁だとも思っており、二人を団結させない限り塔は立たないとも感じていた。また二人の親同士の弁当をめぐる争いにも頭を痛めていて、なんとか両家を仲良くさせる手立てはないものかと悩んだ。城田は放課後、友太を職員室に呼びつけた。
 「お前ナぁ、女の子に向って顔が気に入らないなんて言っちゃ駄目じゃないか。先生、男として忠告しておくが、女の子は男が思っている以上に容姿を気にしているんだぞ。原田の顔を良く見てみろ、案外可愛らしい顔付をしているじゃないか。先生は好きだなあ……」
 と言うと、どういうわけか友太の瞳に涙がたまり出し、
 「ぼくだってそう思うよ!」
 声を詰まらせ言ったと思うと、いきなりわんと泣き出した。城田は呆気にとられて、周囲の職員の視線を気にして、友太の手を引き慌てて職員室を飛び出した。そして近くの会議室に入り込み、「なぜ泣く?よかったら訳を話してみろ?」と聞いた。友太はしばらくグズっていたが、やがて気持ちが落ち着いてくると、
 「パパがね、萌のお父さんはドロボーだから、萌とは仲良くしちゃいけないって言うんだ……」
 と、涙で言葉を詰まらせながら答えた。
 「泥棒ってどういうことだい?」
 「ぼくだって分からないよ!」と、友太は再び泣き出した。
 「しかし泣くほどの事ではないじゃないか?」と言おうとした時、城田はふと閃いた。友太は萌のことが好きなのだと。好きな女の子に思いを伝えられないもどかしさの上に、父親からは仲良くしてはいけないと言われている葛藤の中で、どうしていいか分からない感情が萌に対するちょっかいとなって表れているのだと思ったのである。しかし教え子の恋愛相談など、教師としてはできれば一番関わりたくない問題だった。恐る恐る、
 「ひょっとしてお前、原田のことが好きなのか?」
 と聞けば、顔を真っ赤にして「悪いか!」と声を張り上げた。そして、
 「先生、どうしたらいいと思う? ぼく、あいつの前に行くと、思っていることと逆のことを言っちゃうんだ……」
 六年生とはいえまだまだ子どもである。城田は無性に友太が可愛くなったが、かといって自分の恋愛体験を語って聞かせるほど経験豊富でない。それどころか、いままさに春子というその女性関係で悩んでいる真っ最中なのだ。どう言葉をかけてあげればいいか分からないまま、「泣くな、泣くな」と友太を抱きしめてあげることしかできず、また一つ悩みが増えたことにため息を落とした。
 そんな矢先、翌日の五、六年生合同の体育の時間、恐れていた事故が起こった。もっとも腕を擦りむいた程度で大事には至らなかったが、怪我をした児童というのが城田のクラスの萌だった。その原因は案の条萌と友太の諍いで、萌の左足を友太の右足が邪魔をして、バランスを崩した萌がマットの上に転落したのだ。幸い足場の4段目はしゃがんでいたのでたいした落差はなかったのだが、萌の腕から血がにじみ出ていた。もちろん友太も転げ落ちたが怪我はなく、萌は流れ出る血を気にして、そのまま保健係に連れられて行った。
 そのとき友太は蒼白になった。冗談で邪魔をしたつもりが怪我をさせてしまったことに、普段なら「お前が悪い」「ふざけんな」の口論になるところだが、彼女が血を出して保健室に運ばれたとあって、初めて事の重大さに気がついたのだった。暫くは呆然としたまま声も出ない様子でいたが、城田に、
 「保健室に行って様子を見てきなさい」
 と言われたものだから、我を忘れて体育館を飛び出した。そして「自分のせい」との自責の念に駆られて保健室の扉を開けると、笑いながら鶴田先生の治療を受けている萌がいた。友太に気付いた鶴田は、
 「水島君じゃない? どうしたの?」
 と言って友太を中に招き入れたが、途端萌はそっぽを向いてだんまりを決め込んだ。脇には保健係のアッちゃんもいる。
 「城田先生に言われて来た」
 友太はぶっきらぼうに答えた。
 「大丈夫よ。骨が折れたりしてないから。ちょっと擦りむいただけ」
 鶴田は萌の腕に包帯を巻きながら言ったが、擦りむいただけとはいえ、包帯の白さがいかにも痛々しく、友太は一層自責の念を強めた。
 「水島君、原田さんの足を蹴ったそうじゃない? どうしてそんなことしたの?」
 鶴田は続けて言った。その言葉に友太は目に涙をためて、
 「ゴメン……」
 と一言だけ言って、保健室から逃げるように出て行った。萌は、友太が謝ったことが信じられないという顔をして彼を見送った。
 萌はその日の放送当番だった。放送当番は放送委員会の仕事で、四年生以上の各クラス数名の人選で構成されており、城田のクラスからはPTA会長の息子音無太一もメンバーの一人で、校内放送は朝の始業放送とお昼の放送と放課後の下校放送の三回、日替わりで担当グループが決まっている。太一も萌と同じグループだったので、放課後になって放送室に入ると、下校のテーマ音楽を流し、大きなガラス窓で隔たれた防音室のマイクの前に座る萌にキューサインを出した。
 「下校時刻になりました。教室や廊下の戸じまりはできていますか?学校に残る必要のない人は早めに下校してください。明日も元気に登校しましょう」
 一日の放送当番を終えて、放送室から教室に戻るとき、萌は気さくに「音無君、帰ろっ」と誘うのが常だった。もちろん萌にとってはごく普通の振る舞いだったが、太一にとっては照れくさく、いつしか彼女に好意を寄せるようになっていた。並んで廊下を歩きながら、萌の腕の包帯を気にして、太一は顔を赤らめ思い切って、
 「腕、だいじょうぶ? 痛くない?」
 と小さな声で聞いた。萌は心配してくれていることに対して、嬉しそうに、
 「ぜんぜん平気、ちょっと擦りむいただけ」
 と答えたが、太一は恥ずかしくてそれ以上のことは聞けなかった。二人が六年愛組の教室に戻ると、ひとり水島友太だけが残っていて、後ろの棚の上にある図工の時間の作りかけのマグカップ作品を眺めていた。友太は萌に謝りたくて、彼女が来るのを待っていたのだった。それに気付いた萌は、ムキが悪そうに何も言わずランドセルを背負って、そのまま教室を出ようとした。
 「ちょっと待てよ、萌!」
 友作はそう言うと、萌の後を追いかけ腕を掴んだ。
 「さわらないで!」
 萌の怒声に、喉まで出かかっていた「ごめんな」の言葉が、友太は言えなくなってしまった。萌はそのまま走り去り、独りぽつんとたたずむ友太の脇を、太一が静かに通り過ぎようとしたとき、
 「原田さんは優しい人が好きだと思うよ……」
 と太一は友太に小さな声で言った。
 「わかったようなこと言うな!」
 友太は太一の頭を叩くと、そのまま走り去った。
 そのころ職員室では、早くも市長から不足分にあてがわれる人員名簿がFAXで届いた。名簿を見れば、市のスポーツ少年団役員や市内の消防団、あるいは市役所の職員などの名が連なり、「さすが市長!」と城田は感心しながら彼らに連絡を取るところだった。