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(27)決闘

 ネット小説ランキング>一般・現代文学 コミカル>大運動会 ←励みになります!  => 十段円塔配置図
 次の日曜はいよいよ一回目の全体練習を控えた週が明けた。
 その朝、城田は不足人員が発生した事実を、烏山にだけは知らせておこうと思って校長室の扉を叩いた。烏山はいつものご機嫌な様子で「どうぞ」と言って彼を招き入れソファに座らせると、「今日はブルーマウンテンです」とティーカップに注いだ。
 「実は手違いがあり、人数が足りなくなりました」
 城田はそれだけ伝えて戻るつもりでいたが、
 「また十段円塔の話ですね。で、何人足りないのですか?」
 と校長が聞くので、「132人です」と答えた。
 「それは困りましたねえ……」
 烏山は別に困った素振りも見せずにコーヒーをうまそうに飲んだ。
 「とりあえず校長先生にだけはお伝えしておこうと思いまして……」
 城田はそう言うとソファから立ち上がった。と、
 「ちょっとお待ちなさい―――」
 烏山は引きとめて「せっかく淹れたのですから一杯くらい飲んでいきなさい」と再び座らせ、
 「紅矢春子さん―――でしたね」
 と、何か言いたげに城田の顔を見つめた。
 「この間教育長が来たとき、あなたの昔話を聞いたのですよ、アテネの三羽ガラスの話を。あなたのお友達の名が紅矢と聞いて私はピンときました」
 城田は照れ隠しをするようにコーヒーを飲んだ。
 「なにがあったか知りませんが、とやかく言うつもりはありません。男女の関係というのは誰にも分かりませんよ。おそらくどれだけ科学が進歩しても解明できないんじゃないですか?」
 城田は十段円塔に係わる話に発展するのではないかと心配し、先日の説明会で原田が言ったことに対して何か非難されるのではないかヒヤヒヤしながら再びコーヒーを飲む。
 「私達現代人は科学が万能のように勘違いしていますが、実は社会を動かしているのは、恋愛感情のように目に見えない力によるところが大きいのではとは思いませんか?」
 城田は「はあ……」と頷いた。
 「まあ、お好きになさい。城田先生のことですから、私は心配していませんよ」
 城田は烏山の目を見てその懐の深さを観じて、安堵の気持ちと一緒にまたコーヒーを口に運んだ。そして全部飲み干すと「では失礼します」と言って立ち上がった。
 「ああそれで十段円塔の件ですがね、私も心当たりを当たってみます。しかし、それでも集まらなかったら九段円塔でもいいじゃありませんか。けっして無理をしないというのが最初の約束です。きっとあなたの思いは、子ども達に伝わっていますよ!」
 城田はみるみる元気を取り戻し、深々と頭を下げて校長室を出たのだった。
 ところがその翌日、校長室に一本の電話が入る。相手は市長の五木で、烏山はそのまま市役所へ呼び出された。市長室に入って開口一番、
 「烏山先生、困るんだよ。十段円塔は中止と言ったはずじゃないか」
 と、五木市長がいかにも迷惑そうな口調で言ってきた。
 「先週から市内の企業から『須坂市では特定の学校のために動員要請をかけるのか』と、苦情の電話が相次いで対応に困ってるんだよ。『間違いだ』と何度も説明しているのだが、こないだの日曜日に説明会を行ったそうじゃないか。いったいどうなっているんだい?」
 市長は半分呆れたようだった。すると早くも烏山は覚悟して、
 「十段円塔はやめません!」
 毅然と言い放った。市長はびっくりした表情で烏山を見つめて、
 「君ねえ、何を言ってるか分かっているのかね?」
 と、目を細めた。烏山は権力を傘にした言い方が気に入らない。
 「校務におけるすべての責任は校長の私にあります。ここはひとつ、私に一任していただけませんか?」
 「ダメと言ってるじゃないか!」
 普段は穏やかな風体をしているが、いったんこうと決めこんだら梃子でも動かないのは五木も同じで、そこへきて癇癪持ちときているから烏山より達が悪い。その怒声にあおられて烏山も言い返した。
 「そもそも学校は教育委員会の管轄です。市長が口を挟む話ではありません!」
 「阿呆、教育委員会は市長の管轄だ!」
 と、五木は苛立ちを隠せない様子で、教育長の井ノ原弥生先生を呼びつけた。そして、「井ノ原先生からも言ってやってください」と促したところが、
 「いいじゃありませんか。やらせてあげましょうよ」
 という涼しい声が返ってきた。五木は「君まで何を言い出すか?」といった表情で、すでに話し尽されていることをくどくどと説き始め、そして最後にとどめとばかり、
 「これは県の教育委員会からの命令なんだ!」
 と叫んだ。すると井ノ原教育長はフッと笑って、
 「私が知りたいのは県の方針ではなくて市長のお考えです」
 とこれまた涼しい顔で言うものだから、市長はふと考え込んでしまった。確かに最初に十段円塔の話を聞いた時は面白そうで須坂市のPRにもなると思ったのだ。ところが県教委からの中止命令を受けて、深く考えもせず烏山に中止勧告を与えたのも事実だった。そこへきて、なるほど教育長の言うとおり自分の意思はどうかと問われてみれば、単純に責任逃れをしているだけで自分の考えなど微塵もない。五木とて人口5、6万人の市の代表者であり、馬鹿でないから、そこは冷静になって考え直してみた。しかしいきつくところは同じで、
 「万一、事故が起こったら取り返しがつかない」
 ということだった。しかし井ノ原教育長は、
 「城田先生なら必ず成功させますよ」
 と言う。その確信はどこから来るのか、五木市長には勿論、烏山にも理解しかねたが、話し合いは平行線をたどるばかり、時間だけが無駄に過ぎていった。
 ―――市長は知っていた。話し合いでどちらも折れず、平行線をたどる時の究極の判断方法を。こういったことは議会でもよくあることなのだ。議会の場合、たいてい最終決断は市長に委ねられるが、議論もし尽し、あらゆることも試し尽して結論が出ないものを、神でない市長が判断できるわけがない。そうした時、五木は鉛筆を転がす。つまり命運を天に委ねるのだ。それはコインでも良かったのだが、議会の狭い市長席においては鉛筆の方が都合良かった。
 スポーツの世界でも引き分けで決着がつかない時はジャンケンという子どもの遊びで勝敗を決めたり、政治の世界でさえ選挙で得票数が同じであった場合は運という極めてあいまいなくじ引きという方法で当落を決めたりするではないか。PTAや町の役員決めの時も、しぶしぶ顔を合わせた者達で、あみだくじやジャンケンをして一喜一憂するのだ。学校や町という大事な現場運営を預かる役職であるにも関わらずにだ。もしそういうことせず平行線をたどり続けたとしたら、例えば国際関係であったなら、交渉決裂で戦争にまで発展させてしまうのが人間の宿業なのだ。更に歴史を見るならば、古代では政治において占いが当然のように用いられていたし、中世では決闘とか果し合いとかで重要な局面を決定してきたこともある。最終決着を付ける場面において、いまだ人類はこうした原始的な決め方に頼るしかないというのが五木の持論で、結局それが人類の限界だと思っている。非文明的かつ非科学的なことをくり返して人類の歴史はできているのだとの達観だ。
 五木市長は烏山校長をキッと睨んだ。
 「確か烏山先生は、むかし柔道をやっておられましたね?」
 烏山は突然なにを言い出すかと五木を見つめ返した。
 「実は私も学生時代やってましてね……。どうでしょう、このまま口論を続けても結論など出るはずもありません。私も忙しい身でして……ここはひとつ柔道で決着をつけませんか? 私が勝ったら烏山先生はきっぱり十段円塔を諦める。烏山先生が勝ったら私は十段円塔を認めましょう。原始的かもしれませんが、決闘で決着をつけてお互いスッキリしませんか?」
 実は五木、今でも時間が空けばごくたまに、市内の柔道場に通って稽古をする有段者なのだ。一方、烏山も柔道には自信があった。学生時代にはインターハイ出場実績を持っていたから、二人ともゆめゆめ自分が負けるとは思っていない。
 「いいでしょう!」
 と、烏山もいきりたっていたので、明後日早朝、教育長を立会人として、須坂市の柔道場において果し合いを約束し、その日二人は別れたのであった。
 そして―――
 決闘の日がやってきた。
 柔道場のカギを開け、さっそく道着に着替えた五木と烏山は、互いを威嚇しつつ準備体操を始めたが、そこへ眠い目をこすって現われたのが市のスポーツ柔道協会に所属する役員の面々だった。みな普段着を着たただのおじさんだが、市長直々に審判を頼まれたとあっては断ることもできなかったと見える。二人は彼らを相手に打ち込みをし、昔の勘を取り戻そうと身体を慣らしていると、やがて立会人の井ノ原教育長が姿を現し間もなく試合開始となった。
 「時間無制限一本勝負!」
 と、主審を務める協会長は言ったが、「本当にいいのですね?」と念を押し、既に老年の域に入らんとしている華奢な二人の体を眺めて、何度も市長に確認した。
 「無論!」
 と市長は叫び、二人は道場の中央に進み出て向き合い、烈しい睨み合いの火花を散らす。烏山周一三段、五木雅雄四段、市長と学校長との前代未聞の対決である。二人はお互い礼をして一歩前へ踏み出した。一見、烏山の方が体格は良かった。しかし体格で劣っている市長には身長があり、年に似合わない身軽さでぴょんぴょん跳ねている。烏山は「そんなに跳ねていたら足をすくわれるぞ」と内心ほくそ笑み、五木の方は「開始早々得意の内股で決めてやる!」と自信満々だった。
 「はじめ!」
 同時に二人の金切り声が飛び交ったと思うと、互いの襟元めがけて掴み合った。が、烏山が右組手に対して五木は左、いきなり喧嘩四つの襟と袖の取り合いで、互いになかなかいい所を掴ませてくれない。と、身長の差で高みから奥襟を掴んだ五木は、得意の内股を繰り出した。まさに一瞬である。烏山の身体は宙を舞い、そのまま畳に叩きつけられた。
 「技あり!」
 審判の右手が横に伸びた。やや引き手が甘かったかと、五木は悔しそうに最初の立ち位置に戻った。一方烏山は今の投げ技で額から血が滲み出た。そして「侮れぬ!」と市長を睨み付け、勝算の算段を始めた。学生時代と比べて動きがかなり鈍っており、昔の勘を取り戻すには時間が必要だと思った。しかし勘を取り戻すまで今の体力では持たないだろうとも思った。「さて、どうしたものか?」と、乱れた道着を整えながら最初の立ち位置に戻ると、
 「はじめ!」
 試合再開の審判の声。烏山は細かい足技を繋いでしばらく様子を見ることにした。五木は身長が高いから背負い投げや一本背負いは仕掛けてこれないはずである。大方投げ技を警戒するなら先ほどの内股、あるいは払い腰あたりであろう、他にどんな技を持っているのだ?―――と思ったところへ、五木は体落としを仕掛けた。すかさずそれをかわした烏山は小外刈りで五木の身体を崩す。
 「有効!」
 とそのまま寝技に入ろうとしたが、寝技は体力の消耗が著しい。攻めあぐねている振りをしていると「待て!」の審判の合図が入る。
 一方五木は、「早い段階で勝負を付けなければ不利になる」と思っている。自分の体力を熟知していたし、五分も戦えばヘトヘトに疲れ切ってしまうことを知っていた。それは烏山も同じであったが、最初の内股が技あり止まりだったことに、次の打つ手に躊躇した。「やはり一瞬を狙って内股を放つしかない!」、そう思い極めて再び喧嘩四つに組み合った。
 試合開始から二分もしないうちに、二人は肩で息をし始めた。年寄りの冷や水とでも言おうか、柔道で時間無制限の決闘など土台無茶なのだ。ところが二人は喧嘩する野良猫のように持ちうる技を出し合った。道場の端では井ノ原教育長が「ガンバレー」と他人事のように観戦している。
 やがて体力の限界を察知した五木が最後の賭けに出ようとしたとき―――烏山は喧嘩四つの組手を相四つに切り換えた。五木は「いまだ!」と、必殺の内股を放とうと相手を引き寄せた瞬間、それより一瞬早く五木の釣り手がグイッと持ち上がったかと思うと、烏山の腰が五木の重心の乗った右足の付け根にピタリとひっついた。
 「あっ!」と思う間もなくフワリと五木の身体が宙に浮かんだ。
 まずい! 袖つり込み腰だ!
 思った時は既に体の自由は利かない。五木の脳裏は真っ白になった。
 ところが袖つり込み腰の最大の弱点は、投げを打ったとき、肝心の引き手がないことである。いくらタイミング良く入ったところできれいに決まることは滅多にない。しかしその技を最終兵器としていた烏山は、釣り手の左手を素早く相手の右袖に移動し、しかもがっちり掴むことができたものだから、五木の身体はそのまま空中できれいに一回転して、そのままズシンと大きな音をたてて畳の上に落ちたのだった。
 「一本! それまで!」
 文句なし―――五木は悔しさを噛みしめながら、柔道の習いに従って「お互い礼」をすると、
 「参った……」
 と言った。そこはやはり男であった。あれほど見事に決められては返って気持ちがいいものなのだ。決着の結果に対してくどくど文句は言わず、むしろ戦国時代ならば首を斬られたくらいに思っている。しかし悔しさからでなくこう言った。
 「烏山先生、負けて言うのもなんだが、十段円塔をやるにつけ一つだけ条件を付けさせてくれないか?」
 「条件?」
 「せめて一番上の子から3段目までの子ども達くらいには、命綱を付けてやってくれ」
 それは市民を守ろうとする市長の心だった。烏山にはその気持ちが理解できた。「分かりました」と素直にその条件を受け入れると、今度は烏山の方から、
 「そのかわりと言っては何ですが、私からもお願いがあります」
 と言った。市長は首を傾げた。
 「実はここにきて十段円塔の土台となる人足が、132名ほど足りなくなりました。市長の顔で、その不足分を集めてはもらえないでしょか?」
 果し合いを終えた瞬間、二人は思いを分かち合う同志になっていた。五木は烏山のおでこの傷を見ながら大きく笑い、「なんだかキツネにでもつままれたようだが、分かったよ」と言った。
 こうして市長承認のもと、十段円塔実現への大きな障害は消えた。烏山校長は、「命綱ってことは、クレーン車が必要だなあ」と次なる課題に頭を抱えながら、一日が始まる小学校へと向かった。そして額に大きなガーゼを貼って、今朝の出来事は誰に言うことなく朝の職員会に臨む。