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伝奇歴史小説『ののうノ野』

死者の口を借り、乱世を歩く。
武田家滅亡の裏で暗躍した伝説の歩き巫女「ののう」たちの絆と宿命を描き切った、磐城まんぢう渾身の伝奇歴史小説『ののうノ野』。

 

この特設ページでは、小説本編のあらすじはもちろん、これまで note で連載したバックナンバーをご覧いただけます。

『ののうノ野』で描かれる戦国5大合戦

武田家滅亡

武田家滅亡(長篠~天目山の戦い)

天正3年(西暦1575年)の長篠の戦いにおいて、武田勝頼率いる最強と謳われた騎馬軍団が、織田信長・徳川家康連合軍の火縄銃の猛火の前に散りました。この敗戦を機に武田家は急速に衰えます。領国内での内紛や、有力家臣の離反が相次ぎ、勝頼の基盤は脆くも崩れ去りました。そして天正10年(西暦1582年)、織田信長の嫡男・信忠を総大将とする甲州征伐が始まると、武田氏は組織的な抵抗もままならぬまま四散。勝頼は、甲斐国と信濃国の境にある天目山において、わずかな供と共に自害しました。これにより、戦国最強を誇った名門武田家は滅亡の時を迎えたのです。

第1次上田合戦

第1次上田合戦

第一次上田合戦は、天正13年(西暦1585年)に勃発しました。徳川家康の命を受けた大軍に対し、真田昌幸は圧倒的に少ない兵力で、地形や城下町の構造を完璧に利用した罠を仕掛け、これを粉砕します。続いて慶長5年(西暦1600年)、関ヶ原の戦いの前哨戦として、徳川秀忠の軍勢を上田で足止めしたのが第二次上田合戦です。この二度の戦いにおいて、昌幸の戦術眼と、真田一族が培った情報の重要性が天下に知れ渡ることとなりました。

北条討伐

豊臣秀吉による北条討伐

天正18年(西暦1590年)、豊臣秀吉は天下統一の総仕上げとして、関東の覇者・北条氏直が籠もる小田原城を包囲しました。この北条討伐には、当時の日本の総兵力の過半数が動員されたとも言われ、忍城の水攻めや八王子城の落城など、各地で激烈な戦いが展開されました。この戦いに勝利したことで、秀吉は名実ともに全国の領主を配下に置く、天下人としての地位を確立しました。

関ケ原の戦い

関ケ原の戦い(第2次上田合戦)

慶長5年(西暦1600年)、徳川家康率いる東軍と、石田三成を中心とする西軍が天下の主導権を懸けて激突しました。わずか一日で勝敗が決したとされるこの合戦は、日本史上最大の軍事衝突であり、結果として家康が勝利し、徳川幕府が開かれる決定的な転換点となります。

大坂の陣

大坂 夏の陣・冬の陣

豊臣家滅亡を招いた戦国時代最後の二度の戦いです。慶長19年(西暦1614年)の冬の陣では真田丸の防衛戦で幸村が名を上げ、翌慶長20年(西暦1615年)の夏の陣では、徳川家康の本陣を突き、幸村が壮絶な最期を遂げました。この戦いを経て、豊臣家は滅亡し、徳川による平和な江戸時代が盤石となります。

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