武田家滅亡(長篠~天目山の戦い)
天正3年(西暦1575年)の長篠の戦いにおいて、武田勝頼率いる最強と謳われた騎馬軍団が、織田信長・徳川家康連合軍の火縄銃の猛火の前に散りました。この敗戦を機に武田家は急速に衰えます。領国内での内紛や、有力家臣の離反が相次ぎ、勝頼の基盤は脆くも崩れ去りました。そして天正10年(西暦1582年)、織田信長の嫡男・信忠を総大将とする甲州征伐が始まると、武田氏は組織的な抵抗もままならぬまま四散。勝頼は、甲斐国と信濃国の境にある天目山において、わずかな供と共に自害しました。これにより、戦国最強を誇った名門武田家は滅亡の時を迎えたのです。