城郭拾集物語④ 中国戦国時代 楚の国 呉城『春妃秋天』
煙のないところに火はたたず、事実のないところに伝説はない。
記録と物証の残る歴史を史実といい、口伝による歴史を伝説という。
しかし口伝とは時の人の生きる社会情勢や時代背景により変化する水物で、その内容は極めてあいまいさを残したままやがて定型化する。
また史実は事実を正確に伝えているかもしれないが、その時代を生きた人の数に比べればほんの微々たる部分の切り抜きでしかない。
ゆえに史実は全てでなく、本当の歴史の真実は常に闇の中に隠されている。
しかし伝説と史実を重ねて歴史を読み解けば、今より真実に一歩近づけるかも知れないと筆者は思う。
そして真実とは、自分という一個の己の中でしか見いだせないものだとしたら、それを触発するのが物語の使命かも知れない。
城郭拾集物語は、そんな挑戦を試みた短編小説集だと思っている。
【城郭拾集物語シリーズ】
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中国戦国時代は中国という広い国土を舞台に、七つの大国とその他の中小国が約二〇〇年間に渡って戦いを繰り広げた紀元前の興亡絵巻である。
それは秦の始皇帝によって中国の歴史上初めての統一国家を果たす直前、日本で言えば戦国時代から徳川時代への流れとも相似する混乱期であり、数々の故事や諸子百家をはじめとした優れた儒学者や思想家を数多く輩出させた。
そこに存在した七つの大国とはすなわち秦・斉・楚・魏・趙・韓・燕で、今回はその中でも『楚』を舞台とした愛と獣欲の物語に光を当ててみよう。
楚の考烈王の宰相に春申君という男がいた。
考烈王に仕えて二十余年、彼の食客(舎人)が三、〇〇〇人いたというから、このとき油の乗り切った凄腕の壮年諸侯といったところか。
彼には考烈王を擁立し、弱小化する楚を立て直したという大きな功績があった──。
秦が韓と魏を従えて楚を攻めようとしていた時、楚の前王頃襄王の命により秦へ使いに出された彼は秦王にこう言いはなった。
「秦と楚が争っても互いに傷つくだけである。韓と魏がその隙に乗じてくるだけだ」
秦の王はその道理に納得し、楚との和平の証しとして頃襄王の後継たる太子(後の考烈王)を人質にとり、春申君も侍従として秦に入った。紀元前二七四年のことである。
それから十年──、楚の頃襄王が病に倒れた。
「このままでは他の公子が楚の王になってしまう──」
そう考えた春申君は、秦王に「太子を帰国させてほしい」と願い出た。すると、
「ならばまずお前が見舞いとして帰国し楚の様子を見て参れ。その報告によって取り計らうことにしよう」
と秦王が言った。
そこで一計を案じた春申君は、自らが太子の身代わりとなって秦に残り、自分に変装させた太子を楚に帰そうと企てた。
果たしてその計画がうまくいき、秦の追手が太子に追いつけなくなる頃合いを見計らって自ら王にこう申し出た。
「楚の太子は帰国いたしました。逃がした罪は死に値しましょう。どうか私に死罪を賜りください」
秦王は怒り狂って春申君に自害を命じようとすると、
「それは得策ではございません」
と、とりなす宰相がいた。彼が言うには、
「この者は主君に殉じて一身を投げ出しております。もし太子が王となれば、必ずやこの者を重用するでしょう。ここは罰せず帰国させ、楚と親しむのが上策かと」
暫く考えた秦王は、この意見を受け入れた。
こうして春申君は楚に帰り、その三ヶ月後に頃襄王が崩御して、太子が楚の王となって考烈王を名乗った。そして春申君は宰相に任じられ、かつて呉という国があった江東への封地を許され、呉城を築いて城下町をつくった。
その後の春申君の活躍にもめざましいものがある。
秦が趙を攻め首都邯鄲を包囲したとき、趙の使者が楚に援軍を求めて来た。その要請に応えて兵を出した春申君は、見事邯鄲の包囲を解いて秦を撤退させた他、宰相となって八年目には北伐して魯国を滅ぼし、楚の力をますます強大なものへと導いたのだった。
彼の名声はあまたへと響き、飛ぶ鳥をも落とす勢いの春申君の周囲には、三千とも言われる食客が続々と集まり、位の高い者などは全て珠で飾った履を履くほどに、中には『性悪説』や『青は藍より出て藍より青し』という言葉で知られる荀子といった博識者もおり、彼は春申君によって県の長官にまで任命された。
そんな噂が噂を呼んで、江東呉城の城下町は多くの人で賑わった。
ところが春申君にはたった一つだけ悩みがあった。それは、考烈王に子がなかったことである。このことを心配し、子を産みそうな女性を探してはしきりに王に勧めていたが、ついにその兆しを見出すことはできないでいた。
※
趙の国に李園という荒くれ者の片割れがいた。
下級役人の家柄だから別段裕福というわけでなくある程度の暮らしを送る風来坊だが、腕っぷしが強いわけでなく、ひとつ才を認めるとしたら、天下を又にかけるような大風呂敷を広げては、少しばかりの知恵をひけらかす策師であったことである。そのため仲間内では一目置かれる存在で、悪漢達とつるんで繁華街に出かけては、騙す手口で金目の物を奪うようなことをして、夜の市井では巾をきかせていたものである。
その李園には、趙の国随一の美貌と囁かれる李春という一人の妹がいた。
家柄としてはさほど裕福でないながら、彼女のもとには国中の名だたる名士や上級役人の男たちから毎日のように艶やかな着物やきらびやかな装飾品が届けられ、それらをとっかえひっかえ身にまとう美しさといったら、王族の妃と見まごうほどである。
兄の李園は小賢しい男だが、そんな妹の将来に対しては至極心配していた。たった一人の肉親ということもあっただろうが、それより妹の美貌を頼みとし、己が立身出世の道を開きたいという野心もあったことは否めない。そのくせ李春のもとに届いた高価な物品を売りさばいては金に換え、湯水の如く遊蕩に使っていたから、おのずと同類の輩が集まって、下積みの生活からいっこうに抜け出せないでいる。
李春は、男のくせに大志も抱かず、その日暮らしの軟弱な兄が大嫌いだった。
人というのはない物ねだり──、李春は兄の姿を通して、
「こんな男には絶対にひっかかるまい」
と心に決めていた。彼女の好みの男といえば、兄とは全く正反対の、とにかく〝強い男”なのである。
″強い”といってもいろいろあるが、それは荒武者のような剛力な男でもいいし、国土を又にかけて商売をしているような大金持ちでもいい。あるいは独裁者のような強権の持ち主でもよかった。それらのうち二つ揃っていればなお良いが、そんな雰囲気を醸し出す男が目の前に現れた日には、頬を真っ赤に染め上げて、その身の全てを捧げても良いと密かに思っていた。
ところがそんな都合のよい男などそうそういるはずもなく、毎日その桜のような口許からため息ばかり落としているのだ。
「おい李春、そんなに落ち込むことはない。この兄が、きっとお前に相応しい男を見つけてやるさ」
大口をたたく割にいっこうに冴えない兄の言葉など信用しないが、ほかに心の内を話せる者もない李春は、
「何百何千とあまたの男が私の噂を聞きつけて、毎日貢物を持って会いに来るけれど、いまだに理想の男が現れません。このまま年老いてしまったらどうしましょう?」
と呟いた。
「ならば楚の王などどうだ? あの王にはまだ子がない。妾となって子をつくってしまえばお前は王后になるだろう。こんなつまらぬ生活とはおさらばじゃい」
「楚の王……?」
李春はけらけらと笑い出す。またいつもの大法螺を吹いていると言うのである。
「楚の王には種がないのです。弱々しい男は嫌い。それにもし嫁いで、そのまま子宝を授からなかったら、長い年月の間に寵愛を失い捨てられましょう。兄上は私が不幸になるのをお望みですか?」
李園は「そんなに強い男が好きなのか……」と呆れて、もうその話をするのはやめた。
ある日のこと、李園の仲間の一人に「楚の国へ行き、宰相春申君の舎人になろう」と言い出す者がいた。聞けば、
「春申君は楚の宰相の中でも数千人の食客を抱える超大物で、楚王からの信望も厚く、挙げた功績は数知れず、かの舎人になればこんなうだつの上がらない生活から逃れることができる」
と、李園はその話にほだされて、一路楚へと旅立ったのだった。
そして楚の国は江東呉城──果たして噂の春申君に面会してみれば、
「お前の特技は何じゃ?」
と問う。李園の仲間たちはおのおのに「武道だ」「怪力だ」「話術だ」と答えたが、いずれも春申君の眼鏡にかなった者はなく、やがて、
「特技のない者など雇うに足らん!」
と呆れかえって笑い出した。そのとき李園が前に進み出て、
「私の妹は趙の李春と申します。そりゃ天下に二人とない別嬪で、よろしければ君のお側に置いていただいてかまいません」
とのたまった。
〝趙の李春”といえば楚にまで聞こえる美貌の女。春申君は「そうか!」と手を叩いて、李園だけを食客に迎え、あとの者は全員国許へ還してしまった。
城下の一角に宿舎を与えられた李園は、間もなく城中に呼ばれ、
「さて李園や、早速だがお前に休暇を取らそう」
と春申君が言った。
「それは異なこと。舎人となってどれくらいも経っていないのに、一体どのようなご了見でしょう?」
李園の言葉に春申君は笑って、
「趙に帰り妹を連れて参れ」
と言ったので、李園は「そういうことか」と合点した。
「連れて来るのはかまいませんが、趙までの道のり、恥ずかしながら金がございません」
春申君はまた笑うと法外な金を与え、
「馬でもなんでも使って三月のうちに戻れ。その路銀は妹の仕度金でもあるぞ」
と命じて、李園は言われたままに呉城を出た。
趙に到着した李園はさっそく話を李春に伝えた。すると、
「春申君とはいかなる方ですか?」
最初李春は「またいつもの根拠のない話」と思って取り合おうともしなかったが、兄があまり熱心に春申君の事を語るものだから、ついに「お会いするだけなら」と承諾したのである。
ところがすぐに戻ればいいのに、春申君から「路銀に」と言って渡された金がまだまだたんまり残っていたので、少し遊んでから戻ろうと邪心が出た。そしてすっかり使い果たすのに一年かかり、その間趙に留まった李園は、ようやく妹を連れて楚へと向かうのだった。
※
約束の三月経っても一向に帰ってこない李園を待って、春申君はいじいじしていた。
そして一年以上経ってようやく戻った彼を呉城に呼び寄せ、
「いったい何をしておったか!」
と語気を荒げた。
「実は──」
と李園は悪びれもせず、帰路の道中考えた言い訳をひけらかす。
「斉の王が使者をよこして、私の妹を求めましたので、その使者と酒を飲んでいて、遅れてしまったのでございます」
〝斉の王”と聞いて春申君の表情が一瞬よどんだ。天下一の美貌とあらばさもあろう。
「なに、斉の王だと? それでまさか、結納を済ませてしまったと言うのではあるまいな?」
「いいえ、まだでございます。どのようにお断りすればよいか散々迷いましたが、結局、君との事情を正直にお話しし、なんとかお引き取りいただいた次第。説得するのにも随分と手間取りました」
「そういうことであったか……」と、春申君は安堵の色を浮かべた。
「で、妹は連れて来たのか?」
「はい。ただいま私の宿舎にて休ませております」
「なればすぐにでも一見したい。連れてこい」
「差支えございません」
こうして李園は妹に、眩しいばかりの派手々々しい衣装を着せて、これまで各地から妹に贈られてきたきらびやかな装飾品で着飾り、城下町一の輿に乗せて、「どうだ!」とばかりに李春を主君春申君に引き合わせたのだった。
神々しいまでの容姿を見た春申君はその美しさに絶句し、思わず生唾を飲み込んだ。恥ずかしそうに俯く李春は頬を真っ赤に染め、堂々とした春申君の勇姿と力強さに、
「この男性だ……」
と直感し、ひと目見た瞬間「この方の妻になろう」と決めたのだった。
「年はいくつか?」
「十七にございます……」
李春は照れながら小さな声で応えた。
このとき春申君はすでに五十近い年齢である。妾も何人も持っているのに、柄になく顔を赤くして「実によいな……」とひとりごちた。誰もが君の新しい側室の誕生だと思ったとき、
「では郢に参ろうか」
と、やや畏まった口調で春申君が言った。郢とは楚の都の名で、この時は河南の東に位置する陳と呼ばれるところにある。楚の国は幾度か都を遷都するが、そのたび名を『郢』と改める。呉城からは遠い都の名を聞いて、
「郢に……? 参るとはいったいどうしてでしょう?」
李春は妙な展開におどけて聞いた。
「決っておろう。楚王、考烈様に謁見するのじゃ。お気に召せばよいが……」
混乱した李春は言葉を失うが、自分が楚王のところへ連れて行かれ、王の妾にされようとしていることにようやく気付き、慌てて、
「お待ちください! 話が違います」
叫んだ。
「私は春申君様のところへ来たのです。楚王のところなどとは少しも聞いておりません」
「話を違えてなどおらぬぞ。わしは最初からお前を楚王の妾にと考えていた。考烈王には子がおらぬ。そなたならきっとこの大役を果たしてくれようぞ。さあ参ろう」
「いやでございます! 私はたったいま春申君様のお側に置いていただこうと決心したのです! もしそれでも強引に王のところへ連れて行こうとするなら、私にはもう夢も希望もございません。この場で舌を噛み切って死にましょう!」
李春は腰が砕けたように倒れ込んでほろほろと泣き出した。
それには春申君もうろたえて、仕方なく李春を側に置くことにした。
絶世の美女を前にして春申君には拒む理由などない。こうして李春は君の寵愛を受けることとなり、予ねてからの〝強い男”の条件を三つとも揃えた男の妻となって、春申君もまた、天下一の美貌の女を深く愛し、二人の仲睦まじさは国中の評判となっていく。
※
紀元前二四一年──。
中国戦国時代における天下分け目の決戦とも言うべき、中国戦国時代最後の大戦争『函谷関の戦い』が勃発した。
函谷関は秦が東方の防衛のために設けた関門で、現在の河南省北西部にある。その三層の楼閣を二つ持つ要害堅固な巨大建造物は、もともとは前漢の武帝のときに造られたもので、黄土高原を走る道があたかも函中を行くのに似ていたためその名が付けられたとされる。
鶏鳴とともに開門し、日没に閉門するのが決まりで、中国の戦国時代に活躍した戦国四君の一人、斉の孟嘗君(田文)が秦から脱出を図る際、この門を開くため、鶏の鳴き真似が上手い家臣に一番鶏の鳴き真似をさせ、関門を開かせた『鶏鳴狗盗』 の故事が生まれた場所でもある。ちなみにこの物語の主人公春申君もその四人の中の一人に数えられる。
もともとこの地は東から秦に入る交通の要衝で、そこを押さえることは天下趨勢の大きな要であった。
当時もっとも強大な力を持っていたのは秦である。そこでこの函谷関を陥落させようと、楚、趙、魏、韓、燕の五ヶ国が連合し、一斉攻撃を仕掛けたのだった。
その五ヶ国連合軍の総督に任命されたのが春申君である。
兵力の上では五ヶ国連合軍側一〇〇万に対し秦国側は八六四万、実に八倍以上の差があった。その壮絶な戦いは何年も続き、結果的に連合軍側は七十万人という膨大な死傷者を出して敗北する。
この戦いにより、秦は秦朝設立への大きな足掛かりをつくることになる。
一方、敗北の将となった春申君は、秦からの圧力に対抗するため、楚の都を寿春へ遷都することを楚王に進言し、「寿春」を「郢」と改めた。
勝てば英雄、負ければ奸雄──それからというもの、考烈王からの強い責めを受け、疎んじられるようになってしまった。連勝続きの栄光にも陰りが見え始め、やりどころのない無念を晴らすため、春申君は一段と李春を愛した。するとほどなく彼女の胎内に、新しい生命が宿ったのだった。
李春が言った。
「そんなに気を落とすことはありません。貴方が楚の宰相を務められて二十余年になりますが、その間ずっと楚王の尊寵を受けてきたではありませんか。きっと今の責めは一時的なものでしょう」
春申君は希望の光明を見出すように美しい李春の顔を見つめた。
「それより心配なのは、王に子供がないことです。万一いま王が崩御すれば、王の兄弟が立たれましょうが、そうなれば従来新王の親しんでいた者が重用されることになるり、貴方の立場はなくなります。そしてその隙を見計らい、きっと秦が攻めてきましょう」
「いかにも……」
「それだけではありません。貴方は長い間政権を握ってきましたが、楚王の兄弟はそれをあまりよく思っておりません。もし本当に兄弟の誰かが王位に就いたら、きっと貴方の身に禍いが及びます。どうして宰相の印綬や、江東呉城の繁栄を保持できましょうや」
李春の瞳に涙が浮かび、奥の瞳孔に映る春申君の表情は暗く沈んでいる。
「どうすればよい?」
李春は意を決して言葉を次いだ。
「いま私はみごもりましたが、まだこのことは誰も知りません。世間は私が貴方の寵愛を受けていると思っておりましょうが、貴方ははじめ私を楚王にお勧めしようと考えてございました。あれから間もなく貴方は数年の間戦争に行かれておりましたので、その間の出来事は、貴方が私を宮廷作法を習得させるための教育をしていたことにいたしましょう。私は貴方の養女になっていたことにするのです」
「何を言うか? お前はわしの女だ」
「最後まで聞いてくださいまし──貴方は明日にでも楚王にお目通り願い、そのお口から私を楚王にお勧めください。王は必ず私を寵愛されましょう」
「それでどうするつもりじゃ?」
「私が天の助けによって幸いに男子を生めば、とりもなおさず貴方のお子が王となるわけでございます。楚の国はことごとく貴方のものとなるのです。いまこそご決断ください、不測の禍いに陥るのと、どちらが幸いでしょうか?」
春申君は李春をぐっと抱き寄せた。
「李春よ、そなたはわしのためにそこまで考えてくれるのか……。相分かった。今よりお前はわしの娘となり、春妃と名乗って宮中に入るがよい」
こうして春申君は春妃を呉城から出し、丁重に別の館舎に置いてから、考烈王に言上して妃として宮殿へ送ったのだった。
考烈王は彼女を召し入れひどく寵愛し、やがて春妃は春申君の男子を産んだ。子が誕生したことに大いに喜んだ考烈王は、その男子を立てて太子とし、春妃を王后として離さなかった。
その真実を知る者は、春申君と春妃の他は、李園と春申君の側近である朱英をはじめとした数人の者たちだけだった。
※
春妃が王后となったとき、考烈王が聞いた。
「春妃よ、お前には親族はおるか?」
「李園という兄が一人ございます」
「ならばその者をさっそく重く用いよう」
そうして李園は王宮に呼び出され、政務を司る役職に即刻大抜擢された。
ところが人間とは、そうした権力を手に入れた途端、権力欲に溺れてしまうのは世の常か──。春申君の口からあの秘密がもれ、ますます彼が驕り高ぶる様子を思い浮かべると、空恐ろしくなって夜も眠れぬ不安に襲われるようになった李園は、春妃の館に時折やってきては面会を求め、その心配を吐露するようになった。
「俺は最近気がかりでならん。太子の秘密を知っているのは俺とお前とあいつだけだが、もしこの秘密が露見してみよ。楚王の権威は失墜し、かわりに春申君の力が強大になるだろう。今のうちに口封じの手段を講じておかねばならぬと思うが、何かよい手立てはないものか……」
「あの方は函谷関で敗れ、もう強い男でなくなりました。日に日に老いも募ります。いま私は楚の王の后となり、王の力を借りて楚の全てを手に入れることができました。王はあの方よりずっと強い権力というものを持っていました。私はあの方より強いお方を見つけてしまったのです。そしていま、私の子が太子となり、いずれ王位を継承するでしょう。さすればあの子がこの国で一番強い男になるのです。それ以上望むものなどありましょうや? そして私は、兄上にも力を与えたのです。今の兄上なら、あの方の口を封じるくらい雑作もないことと思います──例えば刺客……」
春妃は言葉をつぐんだ。
王后の心を知った李園は、ひそかに刺客を養成し、春申君を殺してしまおうと考えた。秘密というのはいったいどこから漏れるものか? やがて国人の中には、太子の秘密を知る者が少しずつ現れて、李園の心配はますます募る。
春申君が宰相となって二十五年──、考烈王が病に倒れた。
側近の朱英は春申君にこう諭した。
「世間には〝思いがけない幸い”があり、また〝思いがけない禍い”があります。いま君は、禍福無常の〝思いがけない世”に処して、寵愛たのみがたい〝思いがけない主君”に仕えておられます。なのに災厄を免れさせる〝思いがけない人”がいなくてよいものでしょうか?」
「お前は何を〝思いがけない幸い”と言うのか?」
「君は楚の宰相を務められること二十余年、その位は楚の宰相ですが実は楚の王と同じ力を持ってございます。ところがいま楚王は病み、その命は旦夕に迫っております。ですので君は幼少の太子を援け、代りに国政を執ることができます。そして太子の成長を待って政権を還すか、さもなくば自ら孤と名乗って楚をわが物とされるでしょう。これが〝思いがけない幸い”であります」
「では〝思いがけない禍い”とは何か?」
「李園は国を治めず君の仇をなし、将兵をおさめないで刺客を養成しております。もし楚王が亡くなれば、李園は必ず宮中に入って権力を掌握し、君を殺して口をふさぎましょう。これが〝思いがけない禍い”です」
「それでは何を〝思いがけない人”と言うのか?」
「君はこの私めを宮中の官職におかれるがよろしい。楚王が亡くなれば李園は必ず宮中に入りましょう。そのとき私は君のため李園を殺します。これが〝思いがけない人”であります」
春申君は俄かに笑い出した。
「〝思いがけない事”と申せば人生すべてが思いがけないことばかりじゃ。〝思いがけない事”に〝思い”を巡らせても、〝思いがけない事”なら思いがけずに起こるものじゃ。そんないらぬ心配をするよりも、自分が成してきた事を、自分が育て愛してきた者を信じて、今を懸命に生きる方がわしは好きじゃ」
「李園を信じてはなりません!」
「李園は李春の兄であるし、そんなことをするなどけっしてあるまい。第一わしはあいつを可愛がってきたし、今は官職に就こうとも、もともとはたいした才のある人間でない。お前はその考えを改めた方がよいぞ」
「王后様とて分かりませぬぞ」
「口を慎め!」
朱英は忠言が用いられないことを知ると、自分の身に禍いが及ぶことを恐れて呉城から逃亡してしまった。
それから十七日が経過して、季節はすっかり秋へと移り変わった。
淮河の南岸に位置する寿春あたりは、比較的四季がはっきりしている。農にいそしむ者は収穫の準備をはじめ、詩を謳う者は色づく山の景色を口ずさみ、子を持つ母は綿で衣服を結い始めた。
そして、楚の考烈王は死んだ──。
すると朱英が忠言した通り、李園は真っ先に宮中に入って、養成した刺客を門の内側に伏せさせた。
予ねてからの李春との約束で、考烈王が死んだら太子の実の父親であることを白日の下に告白しようと思い極めていた春申君が、心待ちにしていた李春との再会に胸おどらせながら門をくぐった時である──
いきなり刺客が飛び出して、春申君を挟み打ちにして刺し殺してしまった。正に一瞬の出来事だった。
李園は狂気の笑い声を挙げながら、春申君の首を門の外に投げ捨てた。首は澄み切った秋の空へ吸い込まれていった。
そしてすかさず李園は、役人に命じて春申君の一族をことごとく滅ぼしたということである。
楚の国は、春申君に寵愛されて李妃が産んだ子を王位に就かせ、これが楚の幽王となったという話である。
二〇一九年二月十五日
(司馬遷『史記』春申君列伝第十八より拾集)