> ヴィジェ=ルブラン
ヴィジェ=ルブラン
 会社の出勤途中に保育園がある。慌ただしく動きだした一日、くすんだ社会に、なぜかそこだけ輝く。子供を送り届ける母の姿は、なんと微笑ましく、さわやかな透明感を孕んでいるものか。

 母に子があり、子に母はあり。その一枚の絵に描かれた母と娘の視線は、この麗しき愛情を見よとばかりに、優しく僕に微笑みかけていた───。

 一九九八年、パリ───。

 我が夫婦が新婚旅行に行ったのは、結婚して二年目の冬だった。本来ならば、結婚式を挙げてそのままハネムーンといきたかったところだが、その時お金がなかった。(今もないが……。)近か間のTDLで済ませたが、国内は思ったより費用がかさんだ。これなら、格安チケットを探せば、 グァム や 韓国 には行けたなと後悔しながら、しばらくは「海外にいきたいなあ……」という妻の切ない要望に頭を悩ます日々を送った。

 ところが願いというのは通じるもので、結婚して二年目の秋、なんと、妻が応募した「 アテネ ・パリの旅」格安ツアーが抽選で当たった。格安とはいっても当時の家計ではかなり高額だったが、願ってもないチャンスになけなしの貯金をはたき、滞在費を切りつめるだけ切りつめようという無謀な計画で、「行こう!」ということになった。

 フランスである。 パリである。金持ちで、何度も海外に行っている連中にはこの喜びは分かるまい。パリ市街の空気は、僕の芸術的感性に絶えず刺激を与えてくれた。死ぬならば、この街で死にたいとまで本気で思った。

 とにかく短い滞在日数だった。まともに見学すれば一、二週間はかかるといわれるルーブル美術館も、半日で回らなければならないという強行スケジュールだった。はじめは、新婚当初に戻って「ああでもない、こうでもない」といちゃつきながら仲良く見学する予定だったが、僕も見たいものがあり、妻も見たいものがありで、どうも歩調が合わない。いいかげん嫌気がさした二人は、何時にどこどこで待ち合わせようということになって、別行動をとることにした。今から思えば、言葉も通じない異国の地で、よくあんな大胆なことができたものだと感心する。

 僕は、特に「モナリザ」をはじめ、ルネッサンス期から印象派に至る絵画を中心に見て回りたかった。パリである。ルーブル美術館である。もしかしたら二度と来れないかも知れないと思うと、足はおのずと早足になった。今までの人生において、絵画を観賞する上で、あれほど充実した時間はあっただろうか?

 ちょうど、ロココの時代から新古典主義と呼ばれる画風に移り変わるところの辺だったと思う。一枚の絵に僕の足が釘付けにされた。

 「ヴィジェ=ルブラン夫人とその娘」───。

 当然、フランス語で書かれた銘板を読めるはずもなく、ただただ、その絵から放たれる気品と母性愛に魅せられて、呆然とその場にたたずむことしか知らなかった。

 セピア色の背景に、ギリシャ風の衣裳をまとった母娘。母の表情は娘に対して限りなく優しく、しかもその中には我が子を守ろうとする厳めしさを含み、しなやかな腕は、娘をきつく抱きしめているようにも見え、そっと包み込んでいるようにも見える。娘は無邪気に母親の頬に額をつけ、首にぎゅっとしがみついて無防備で無邪気な微笑みでこちらを見つめている…………。

 僕は妻の事など忘れて、しばし、その絵を堪能した。

 最初この絵は、モデルのルブラン夫人の旦那が描いたものだろうと思いこんでいた。よほど透徹した画家か身内でないと、これほどの母性愛を描けないのではないかと思ったからである。(まだ子供がいなかった僕は、生意気にそう思った。)ところが、帰国して調べていくうちに、あの絵はヴィジェ=ルブラン夫人本人が描いた肖像画であることが分かった。ヴィジェ=ルブラン───、十八世紀末にフランスで活躍した女流画家である。

 彼女は一七五五年の生まれ。肖像画家だった父に絵を学び、若いうちから絵の才覚が認められ、二十一歳の時、画商ルブランと結婚する。そして二十四歳の時に、あのマリーアントワネットに気に入られ、宮廷画家として迎えらるようになった。そしてその翌年、絵のモデルである娘のジャンヌを産んだ。まさにこの期間の彼女は、全てを幸運に変えゆく勢いがあり、わがままなマリーアントワネットには頭を悩ませたかもしれないが、我が家の生活とは比較にならないほど裕福だったろう。

 「ヴィジェ=ルブラン夫人とその娘」を描いたのは一七八九年、彼女三十四歳、娘ジャンヌが九歳に成長した時。母としての幸せの絶頂を一枚の絵に昇華させたまさにその直後、あのフランス革命が勃発するのだ。彼女の幸福は、その激動とともに崩れた。九十三年のルイ十六世とマリーアントワネットの断頭台、翌年には夫のルブランと離別。歴史的な絶対王政の崩壊とともに、彼女はフランスを後にする。その後、 ウィーン や ベルリン 、 ロンドン などで宮廷画家を続けたが、再びフランスに戻ったときは、すっかり彼女の存在は忘れ去られ、晩年は淋しく余生を過ごしたという。

 時代は変わり、人は変わる。男も、女も、ヴィジェ=ルブランの運命も例外ではない。しかし、あの一枚の絵の中に残された母と子の光彩だけは、どんなに時代が変わろうと、どんなに人が変わろうと、不滅の美しさをたたえていくに違いない。女性には、そんな不思議な輝きを放つ一瞬があるのだろう。

2000年2月15日
 
> 宮崎駿の世界に見る女性観
宮崎駿の世界に見る女性観
 何を隠そう、僕は「未来少年コナン」以来の宮崎駿氏の大ファンである。最近は生活の方が忙しくさほどではないが、氏が監督・演出する作品に関しては、オタクと呼ばれても仕方がないほどの執着を持っていた。

 氏の劇場用作品としては、「ルパン三世カリオストロの城」に始まり「風の谷のナウシカ」あたりから人気を博するようになり、「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」に至っては知らない人はいない。その後「紅の豚」「魔女の宅急便」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」と次々に大ヒットを飛ばし、押しも押されもせぬ映画監督になったのを見れば、僕の先見の目もまんざらではない。

 どのくらい好きだったかといえば、TV番組長編シリーズの「ルパン三世」で、たった二回だけ氏が照樹務の名で演出監督した「死の翼アルバトロス」と「さらば愛しきルパン」を、逃さずビデオに録画する事を忘れなかった程で、これだけなら珍しくないかもしれないのでもう一例挙げれば、イタリアと日本との合作TV作品「名探偵ホームズ」が日本で放送された時、内、氏が演出した6作を全て逃さず録画した程だ。また高校時代は、丁度「ナウシカ」上映の時で、授業の話などろくに聞かないで、どうすれば宮崎先生(当時は先生付けで呼んでいた)のような線が描けるのかと、一本の線にこだわりナウシカの絵ばかり描いていた。また、今は木梨憲武の奥さん、あの安田成美が「ナウシカガール」としてナウシカの服を着てデビューしてきたのを鮮烈に覚えている。男子校で、女性の話などこっぱずかしくてできなかった当時、実は彼女の隠れファンだったのだ。デビュー曲「風の谷のナウシカ」のシングルレコードも捨てずにある。そんなことはどうでもよい。

 氏の作品を見続けてきた僕には、氏の女性観がよく見える。もっとも氏自身女性ではないので、どうしても男が描く女性ととられても仕方がないが、なにやら世界が平和であるための女性のあり方が見えて仕方がない。氏が描く作品にはおきまりタイプの脇役の女性たちが登場する。ラナやクラリス、シータのようなおしとやかだが芯がとてつもなく強い女性。モンスリー、クシャナ、エボシ御前のような自身の目的を遂行する頭の切れる自立した女性。ドーラや湯婆婆のようなあらゆるものを超越した独善的な女性。また、フィオやウルスラ、トキやリンのようにカラ元気で心の優しいじゃじゃ馬女性。サツキやキキや千尋は少女時代の成長する女性。どれを取っても魅力あふれるキャラクターたちだ。(すっかりオタクになっている……)これらの女性に共通する点がある。それは、みなネアカだということだ。どのような境地に追い込まれようが、必ずうまくいくと信じて、前へ前へと進んでいくのである。例を挙げれば一晩でも二晩でも語り明かしそうなのでやめるが、氏の作品には悲観がない。それが現代にうけている理由の一つではないかと思うのだが、その作品を構成し、活き活きとしたものに盛り上げているのが、かの女性たちであることは間違いない。

 また、氏は群衆を描くのがうまい。世界広しといえど、アニメーションで氏ほど活き活きと群衆を描けるアニメーターはまずいまい。特に僕が好きなのは、「もののけ姫」で描かれた「タタラ場」の様子である。ここは製鉄工場の町だが、女頭領のエボシ御前を筆頭にした女性中心の町なのだ。男どもは皆女性の配下のような存在で、まるでわが家を彷彿とさせる。ここでは仕事も戦争も女性が指揮をとる。病者も子供も男も女も、全員平等に生活する世界。女性の支配する世界は、きっとこんな感じになるのではないかと錯覚する。「魔女の宅急便」のおソノさん夫婦は、その縮図でもあり、なぜわが家がここに出てくるのかと目を疑った。もしかしたら、僕が氏の作品が好きなのは、そんな共感が原因なのかもしれない。女性の世紀は女性が強くて当然。わが家は時代の最先端なのだ!

 もう一点、氏の作品で一貫しているテーマは、人間と自然との共生である。“ナウシカ”の腐海、“ラピュタ”のシータのセリフ「土からはなれては生きられない」や、“トトロ”の森とお化けたち、“もののけ”の自然と神々たち、“千と千尋”の千尋と琥珀川等、一貫した自然観は、単に自然を大切にしようというのではなく、まさに人間と自然とは一体なんだという哲学が感じられる。

 自然には包容力がある。女性も包容力の生き物だ。自然は理を整える。女性は人と人とを結びつける。そして、自然は生命を育み、女性もまた生命を育む。こうしてみると、自然とは大きな女性のように思えてならない。男どもが作ってきた歴史は、自然を破壊し、人と人とを分断する歴史だった。氏の作品は、それとは全く正反対の大いなる女性的なるものを感じてならない。

 この夏、氏の新作「千と千尋の神隠し」が劇場公開された。お盆中、それを見ようと妻と幸ちゃんと三人で長野市街まで出たが、幸ちゃんが泣いたらどっちが面倒を見るかでもめた後、映画館に着けばものすごい行列で、おまけに二歳未満は入場できないということだったので、やむなく後日幸ちゃんを両親に預けて妻と二人で行ったが、これまた行列ができていたのであきらめて、もう行くチャンスがないと思いきわめた僕は、妻と幸ちゃんをおいて一人で見にいってきた。十数年来の宮崎駿ファンとすれば、一度は引退宣言をしたはずの氏の作品を見れるのは、この上ない喜びではあったが、満席状態の立ち見での二時間は、すっかり疲れてしまった。しかし、氏が描き続けている女性の世界は、いまだ健在で、僕には現代女性に対する賛歌に見えた。

2001年8月25日
 
> ダイエット
ダイエット
 新聞広告などの折り込みで、ダイエットに関するものを多く見かける。ぽっちゃりした女性とスリムな女性の全身写真が並べてあり、間に矢印と重量を示す数字が書いてある。大抵左側に前者、右側に後者、矢印は決まって右側を向いている。見比べれば全くの別人、どうして二枚の写真が同一人物などと信じられよう。

 一般的に見ても、ダイエットに対する関心の高さは目を見張るものがある。インターネットなどで検索してもその数知れず、一体何が彼女たちをそんなに引きつけるのか?それに便乗して金儲けに走る輩もいるのではないか。僕に言わせれば、げっそりしているとかふっくらしているとか、それが生まれながらの体質ならば、どうしてダイエットなどする必要があろう?僕はダイエット否定派でも肯定派でもないが、そのままの自分でいけばいいではないかと単純に思うのだ。

 僕の周りにも、ダイエットに挑戦をしてきた女性が何人もいる。その都度、やめればいいのにと思うのだが、比較的僕の周りの女性たちは自分が決めたことに執着が強く、会うたびに「何キロ減ったのよ」とか、「甘いものはひかえているの」と疲れ果てた表情で言うのだが、どこがどのように変わったのかまるで分からない僕には、誉めようにも世辞を言おうにも、何とも言葉が見つからないのである。もっとも一キロとか二キロ減ったところで、外見の変化を見いだす事は至難の技で、それを鬼の首を取ったような勢いで話されても、「そう……、」としか言いようがない。

 栄養素の知識とカロリー計算、食事の取り方と運動方法、情報収集と詐欺まがいの商品吟味、ダイエットに取り組む女性の姿には涙ぐましいものがある。決意をするのは簡単だが、実行するのは難しい。以前、「ダイエットをすると誓って成功した女性は信用できる」と言った人がいたが、なるほど含蓄のある言葉である。

 実を言うと僕もダイエットをしたことがある。しかし、それはダイエットというより減量で、高校時代やっていた柔道で試合に出場するためだった。僕は軽量級で、体重を六十キロ以下にしなければならなかったわけだが、当時六十三、四キロあったから、オーバー分を減量するといっても大変だった。しかも切羽詰らないと行動をおこさない性格だから、一週間前になってようやく始める。その上心配性だったから、家にある体重計と試合会場の体重計の目盛りの出具合に相違があったらどうしようとか、いらぬ事を考えていたから、減量しすぎて試合当日には五十八キロぐらいになっていた。一週間で五、六キロ減である。人間やってできないことはない。

 もし、体重を減らしたいと切実な相談を受けたら、僕は迷わず秘伝の術を教えるだろう。すなわち、「食べない」「飲まない」という最も理論的かつ合理的にして、しかも単純で確実な方法である。ダイエットと呼ばれるものにはほど遠いが……。

 一日に何回体重計の上に乗ったであろう。経験者は分かるだろうが、食べれば食べた分だけ、出せば出した分だけ、目盛りは面白いくらい忠実に変化する。当たり前の事だが、殊自分の身体にその現象を認めた時、何とも言えない厳しさを感じたものだ。減量などやるものではない。釈迦も「衣食足りて礼節を知る」と言ったが、腹を減らすと余裕も思いやりもなくなる。

 さて、ウルトラ超ハングリーになりながら、おぼつかない足取りで試合に臨む。相手も僕と同じ過酷な減量に耐えて出場してきたのなら、腹に力の入らない気合いで、お互い阿波踊りと安来節のような柔道をすればよいのだが、相手が元気いっぱいで出てきた時など、その気迫に後ずさりする。自分で自分の顔面を両手でビシバシとひっぱたいたかと思うと、野生動物のような奇声を発しながら僕の襟元を力まかせにつかんでくるのだ。これではひとたまりもない。一回戦で負けたときなどは、今までの減量は一体何だったのかと世の中の無情を感じずにはいられなかった。

 だからダイエットに燃えている女性を見ると、一体、何のためにやっているのかと問いたくなる。きっと日本人女性の多くは「美しくなるため」と答えるだろう。その「美しさ」とはどういう美しさなのか甚だ疑問ではあるが、美しくなるならばそれに越したことはない。しかし、ダイエットに挑戦している女性が、なぜか美しく見えてしまうのは不思議な事だ。

 彼女たちの戦いは過酷だ。諸葛孔明ほどの緻密なカロリー計算をしながら、うっかりつまみ食いをしてしまう。おしんほどのダイエットの日々に耐えてきたのが、ちょっとしたいやな出来事でやけ食いをしてしまう。ダイエットは未来の美しい自分への思いと、目の前の食べ物を食べたいとの思いの壮絶なる戦争だ。ダイエットをしていて美しく見えるのは、きっと、容姿がそうなるのではなく、目的に向かって挑戦をし続ける、その心から発する生命の輝きではないかと僕は思う。

 一方では間食や甘いものがやめられない女性の性、一方では痩せて美しくなりたいと思う女性の本能、その矛盾の狭間で女性の戦いは延々続く。皮肉にも、男は以外とそういった健気な女性の側面に、彼女たちが思っているほど関心をもっていない。

2001年3月25日
 
> ハリケンジャーと仮面ライダー龍騎
ハリケンジャーと仮面ライダー龍騎
 最近我が家はハリケンジャー一色である。

 仕事が終わって家に帰ると、幸ちゃんはいつも、

 「ハリケンレッドだど!(「ぞ」を「ど」と発音してしまう)」

 と叫んで、僕にむかって「エイ、ヤー」だの「カクゴシロ!」だの、効果音を入れながら、時にはなぜかBGMまで自分の口で言いながら攻めてくる。いきなり攻撃される僕は、仕方がないから「やられた〜!」と言って倒れるが、付き合うのも楽でない。

 知らない人のために付け加えておくと、ハリケンジャーとは毎週日曜日の朝七時三十分からやっている子ども番組の事で、僕が小さい頃は「秘密戦隊ゴレンジャー」がやっていて、その後「戦隊シリーズ」は回を重ねて、今の「忍風戦隊ハリケンジャー」に至る。

 たまの日曜くらいはゆっくり寝ていたいのだが、我が家ではそうはいかない。七時半には起きて、僕には幸ちゃんを起こさなければならないという使命がある。そこで起こさなければ、その後の数日間は、幸ちゃんの「ハリケンジャーみる〜」という幼気な言葉に悩まされ続けなければならない。ママはいつもネボスケで、犠牲になるのはいつも僕だ。

 こんな健気なパパに対して、三人でハリケンジャーごっこをやる時は、いつも幸ちゃんは、僕には“ハリケンイエロー”の役しかまわしてくれない。決まって自分はハリケンレッド(主人公)で、ママはハリケンブルー(紅一点のくの一)なのだ。なぜだろう?ゴレンジャーの時代から「黄色」は誰もやりたがらない。そんな事はどうでもいいが、パパは長澤奈央ちゃん演じるハリケンブルーの七海ちゃんが好きなのに、悲しい……。そんな事を繰り返しているうちに、僕までハリケンジャーファンになってしまった。

 買い物に出ると、幸ちゃんは真っ先におまけのついているお菓子売り場に飛んでいく。おまけといっても、お菓子の方がおまけ状態になっているおもちゃである。全くよく考えられていて、見るからに子どもが欲しくなるような商品で、僕も「銀河鉄道999」や「未来少年コナン」のそれがあると、思わず 手を伸ばしてしまいそうになる。

 それが、ハリケンジャーの“旋風神”という合体もののロボットになればたいへんだ。一箱だけではロボットにならず、結局3体全部買う羽目になる。一箱三百円くらいするものである。ひとつ買い与えてしまったら最後、完全なロボットの形にしてしまわないと、幸ちゃんより親の方が気がかりになって、ついつい買い与えてしまうのだ。最近のおもちゃ業者の手口も巧みなものだ。

 そんな事をしているものだから、幸ちゃんは我慢という事がひどく苦手だ。だから、ママには「たまには我慢させなきゃ駄目だ」と言うと、

 「なら、あなたはタバコをやめたらあ?タバコ代は月にどれくらいかかっていると思っているの?幸ちゃんのおもちゃは、児童手当から出しているのお!」(最後の「お」が僕の心に突き刺さる―――)

 と言われてしまう。こうなると僕の行き場所がなくなる。結局、幸ちゃんとハリケンジャーごっこをやってごまかすしか手段を知らない。

 日曜日、ハリケンジャーが終わると、続いて「仮面ライダー龍騎」が始まる。

 仮面ライダーにしろウルトラマンにしろ、僕が子どもの頃見ていた番組がいまだにあるのを見ると、何だか時代はあまり変わっていないような気がする。それらはきっと日本人のDNAになって、親から子へ受け継がれているのかも知れない。

 龍騎が始まって少し経つと、ようやくママが起きてきて、

 「龍騎、どうなった?」

 と聞く。今の仮面ライダーはグレードがかなりあがっていて、大人でも楽しめるようにできている。これは幸ちゃんよりむしろママの方がはまっている。ストーリー展開も難解で、仮面ライダーが出てこなければ、現代的手法で精神世界を描く、本格的なシリアス映画のように見える。これでは大人がはまるのも無理はない。次回はどうなるのかと胸をワクワクさせるのはうちのママだけではないはずだ。しかもキャスティングが、何千人ものオーディションの中から勝ち抜いてきた色男ばかりである。子育てに疲れ、毎日同じ旦那の顔も見飽きた世の中のママさんたちが、夢中になってしまうのは当然であろう。

 だから幸ちゃんの物を買うときも、ママはどちらかというと龍騎寄りだ。個人的に僕は、ハリケンジャーのようにあか抜けたものの方が好きなのに。

 ある情報によると、仮面ライダー龍騎は最終的に十三人ものライダーが出てくるそうだが、そうなったら大変だ。幸ちゃんとお買い物に行くとき、「龍騎」や「ナイト(ライダーの一人)」だけでなく、そういった人形を十三体も買わなければいけなくなる。これは早いところ興味をそらさなければいけまい……。

 龍騎かハリケンジャーか―――。たまにママは、さんざん龍騎のかっこよさを幸ちゃんに語って聞かせた後、「龍騎とハリケンジャーとパパと、どれが好き?」と聞く。(なぜ比較対照に僕を入れるのか!)

 すると幸ちゃんは、少し考えた後、

 「ウルトラマン」

 と答える。幸ちゃんは親より一枚も二枚も上手だ。

2002年5月26日
 
> ジェーン・グレイの処刑
ジェーン・グレイの処刑
 東京八王子にあるTF美術館で、非常におもしろい企画が行われていた。

 「女性美の五〇〇年」と題されたその展示は、過去数世紀にわたる絵画の中でも、特に女性が描かれた国内外の至宝が紹介されたもので、日本では菱川師宣や喜多川歌麿をはじめ、海外ではルノアールやピカソなど有名どころはもちろん、世界有数の美術館より集められた二百四十五点の作品(別に数えたわけではないが……)を鑑賞することができた。

 たまたま妻は、八王子の大学で大事な用事があったので、残された僕と幸ちゃんは行き場を失って、幸ちゃんも「カキカキミル〜(絵を描き描きしたものを見る)」と言うので、盛り上がった二人は、早速近くの美術館に立ち寄ったというわけだ。

 中に入るとベビーカーがあったので、歩かせてもどうせ途中で「ダッコ〜」と言うに決まっている幸ちゃんを乗せて、第一展示室から順に見て回った。

 この展示の特徴は、日本画と西洋画という相対する画風で描かれた女性という被写体を通して、東洋西洋共通に持つ女性美の追究にあったと思うが、日本画は日本画であまりに清楚な美しさがあり、西洋画は西洋画であまりに重厚な美しさがあった。展示室の最初の一枚を見たとき、僕はたちまちこの展示のとりこになっていた。

 幸ちゃんはといえば、入る前には「カキカキミル〜」といつになくはしゃいでいたくせに、ベビーカーに乗せた途端、絵を見るよりそちらの方が楽しくなって、いつかしら気持ちよさそうに寝てしまっていた。

 僕は日本画と西洋画の大きな違いを発見した。日本画の被写体となっている女性は“描かれている”のに対し、西洋画のそれは“描かせている”のである。分かりやすく言えば、日本画の女性は「恥ずかしい……」と言っているのに対し、西洋画の女性は「私を見て!」と言っているのだ。文化の違いはこんなところにも影響を与えていたのかと思う一方で、日本人女性と西洋の女性との大きく異なる点をかいま見た気がした。

 幸ちゃんの事など気にせず、一枚一枚の絵画を丹念に見て進んでいると、丁度半分より少し行ったところで、それまでの絵とは一線を画して、一種異様な趣を放つ絵の前で幸ちゃんのベビーカーがピタリと止まった。

 「ジェーン・グレイの処刑」───。

 ポール・ドラローシュ作のその絵には、目隠しをされた高貴なうら若き女性が、一人の中年の司祭に支えられて、今まさに断頭台に首を置かんとする瞬間が描かれており、その右側にはあまりに冷静な首切り用の大きな斧を持った男、左奥には嘆き放心する女性が二人。一体なんとしたことかと、僕も一瞬恐怖におののいた。

 一五三七年、ジェーン・グレイはイギリスに生まれた。ヘンリー8世は、彼女の祖母の兄にあたる。才色兼備で、チューダー家からダットリー家へ王位を継承するため、ギルフォード・ダットリーと結婚するが、一五五三年、エドワード6世が死去したために、その後継者に指名されていたジェーンは、わずか十六歳で王位を継承することになったのだ。ところが、エドワード6世の妹メアリー・チューダーが嫉妬して、わずか九日後、その王位を剥奪してしまったのだ───。ジェーンはロンドン塔に幽閉された。そして半年後、処刑された。

 かつて夏目漱石は、この絵を参考にして「倫敦塔」という小説を書いた。漱石がロンドン塔を訪れた際に出会った不思議な女性と、処刑されたジェーン・グレイとを二重写しにしながら書いたこの作品は、生きるべく若き女性の命を虫けらでも殺すようなノリで断つ、似非宗教者や役人の男の残酷さを描いたようにもとれる。いずれにせよ、そういう歴史的裏付けのある、貴重な現物を見ることができたのは幸運だった。

 僕の第一印象は、「魔女狩り?」だった。女性が司祭に殺されるという光景は、西洋中世の悲劇を思い起こすに十分だった。そして、女性の着ている衣服が高貴なことに、その異様さはやがて、なぜこんな残酷この上ない絵を描くのかという、作者に対する怒りさえ生み出していた。

 魔女の容疑をかけられたにせよ、権力に対する謀反だろうと、理由はどうあれ一人の女性が処刑されたことには違いない。なぜ女性を殺さねばならぬのか。女性を裁くのは、いつの時代も男だったではないか。どこにそんな権利があるのだろうか。

 ジェーン・グレイの紅い口許は、嘆いてもおらず、全てをあきらめたといったふうでもない。無表情といえば、これほどの無表情もない。死を前にして、ものを言う気配もなく、ましてや抵抗する様子もない。その無表情さ、無抵抗さが、かえって真実を浮き彫りにしているように感じる。一体、彼女を殺して、どうなるというのだろうか。

 次の瞬間、右側の男の持っている重い鉄の刃物が、白い首筋を真っ赤に染めた───。

 幸ちゃんは、僕の衝迫に気付きもせず、相変わらずベビーカーの中で気持ちよさそうに眠っていた。一体、この子の生きる時代はどんなだろうかと、行く末を案じたりもしたが、悲劇を繰り返さないために今があるのだと思い直すと、幸ちゃんの無邪気な寝顔に、大きな希望がとめどなく光っているのがみえるではないか。

 新世紀はまだまだ始まったばかり。過去において虐げられてきた女性たちが、本当の意味で主役となる世紀に強く期待したい。

2001年11月25日
 
> 結婚記念日
結婚記念日
 「明日は何の日?」

 妻にそう聞かれて、僕ははたと考え込む───。

 息子の幸ちゃんの誕生日は先月だったし、妻の誕生日はまだ先だ。いろいろ考えあぐねているうちに、旗日や歴史上の出来事などを思い浮かべながら、ようやく結婚記念日だったと気付いた頃には、妻は冷淡な表情で僕をじっと見ていた。

 「覚えてるさあー……」

 と、しらを切る。「本当?」と言うから「ホント!」と答える。その時はなんとか事なきを得た。

 女性にとって結婚記念日とは非常に重要なものらしい。そりゃ男にしても一年目、二年目は忘れては大変とばかりに、カレンダーを眺めながら、今年は何をしようかとか、何を買ってあげれば喜ぶだろうかと考えるものだが、三年、四年と経つうちに、段々意識が薄れてきて、十年経つ頃にはすっかり言われないと思い出せないというケースがあるようだ。全く男は鈍感というか、繊細さに欠ける。そんな事を妻に話せば「あなただけよ!」と軽くあしらわれてしまった。

 今年で結婚六年目になる。二十五年で銀婚式、五十年で金婚式、ちなみに一年目は紙婚式、二年目が綿婚式、三年目は革婚式、四年目が書籍・花婚式で、五年目は木婚式、そして六年目は鉄婚式というそうだが、いよいよ我が夫婦の絆も金属の部類に入ってきたかと思うと感慨深いものがある。

 結婚記念日には毎年、僕は妻と外食をしている。そんなたいそうなものではないが、それでも同じ時間をすごそうと心がけてきたのだ。しかし今回思ったことは、女性にとって特に重要な記念日には、思い出ではなく物を与えておくべきだということである。というのも、妻が「何か買って」と言うから、「毎年食べに連れて行ってあげてるじゃないか」と答えると、「どこに?」という。こっちは毎年どこかに食事に連れて行ってあげているのに、「どこに?」はないではないか!しかし、どこと聞かれてあそこと答えられない自分が悲しい。僕も案外物忘れが多い方だが、結婚記念日に一緒に食事をしに行ったことくらいは覚えている。どうやら女性にとって過去に行われた記念日とは、あまり重要なものではないらしい。

 そのくせ、女性は記念日好きである。はじめてデートをすればデート記念日、ドライブをすればドライブ記念日、失恋をすれば失恋記念日、おしゃれをすればオシャレ記念日、俵万智さんの《「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日》ではないが、些細な出来事を記念日にしてしまう女性の楽天性がうらやましい。こんなふうに考えていけば、本当に毎日が記念日になる。いかにも楽しそうだが、男にしてみれば、細かな記念日にいちいち付き合っていられるほど暇ではない。その上、記念日だからとそのたび物をねだられていたのではたまったものではない。

 なぜだろう、記念日には決まって男から女性に何か物を送らなければいけないというような暗黙の習慣があるように思えてならない。証拠に妻などは事あるごとに「どこかに連れていって」だの「何か買って」と、しつこく言ってくる。女性の記念日好きは、そういったところに由来するのではなかろうか?また、男が記念日を忘れてしまう要因もこんなところにあるのではないだろうか?僕だって、一度でいいから「デジカメを買って!」「車を買って!」と妻のようにねだってみたい……。

 そもそも結婚記念日の風習はイギリスから始まったと言われる。十九世紀のイギリスでは、結婚五年目、十五年目、二十五年目、五十年目、六十年目と、計五回の結婚記念日を祝っていたらしい。それがアメリカに伝わると、貴金属業者が現在のような数多くの名称を作り出し、ノリのいいアメリカ人たちに定着していったそうだ。ちなみに七年目以降の名称を記しておくと、銅婚式、電気器具婚式、陶器婚式、錫・アルミニウム婚式、鋼鉄婚式、絹・麻婚式、レース婚式、象牙婚式、水晶婚式、ここから五年おきに(疲れた人は飛ばして下さい。)、磁器婚式、銀婚式、真珠婚式、さんご・ひすい婚式、ルビー婚式、サファイア婚式、金婚式、エメラルド婚式、ダイヤモンド婚式というそうだ。なんとも暇な事を考える人がいるものだと感心するが、八年目の電気器具婚式はないだろう。商売根性丸出しではないか。日本においては、明治天皇が行った銀婚式が発祥とされ、後にこの銀婚式と金婚式が定着したそうだ。

 我が夫婦も、銀婚式まであと十九年、金婚式まで四十四年、まだまだ遠い道のりだが、苦労を金の思い出に変えながら、一年一年、一歩、また一歩と前進していきたい。結婚する前は赤の他人だったのが、結婚すれば生涯の伴侶となる───。こんな不思議な関係もあるものか。世の中に、偶然というものがないとするのであれば、妻とはきっと巡り会うべくして巡り会ったということになる。とすれば、生まれ変わっても彼女と巡り会うに違いない。もし、そうしたならば、今度は僕が女性で生まれて、ありったけのわがままを妻にぶつけてやろうと、ひそかに思っている。

2001年5月20日
 
> ドムレミイの乙女
ドムレミイの乙女
 彼女は神の声を聞き、その声に従ったというが僕はそれを信じない。僕は、彼女は彼女の信念のままに行動したということを信ずる。

 僕と妻がパリに旅行した折りのことである。ルーブル美術館を出て、ルーブル宮脇の道路をシャンゼリゼ通り方面に向かって歩くと、一つのT字路の中央に金箔の、馬にまたがり旗を高く掲げた乙女戦士の像がある。僕がフランス旅行で一番楽しみにしていた名所の一つだ。なにしろ、十数年来、彼女をモデルに物語を書きたいと思っていたほどだから。

 ところが、比較的車通りの多い道の中央で、道行く人はその像に何の興味も示さぬ素振りで通り過ぎ、しかも同行の妻はさっさと先を歩いていってしまう。(おい!こんなすごい所を前に立ち止まらずに行くのか!)と心で叫んだものの、妻は涼しい顔で見向きもしない。結局僕も勇気をなくし、かろうじて写真を一、二枚撮っただけだった。ああ、あんなチャンスは二度とないかもしれないのに……。

 覚えているのは真っ直ぐなその瞳。周囲に建ち並ぶ建築物にさえぎられながらも、遙か彼方、地平線を見ているかのようだった。

 乙女の名はジャンヌ・ダルク。フランスとイギリスの百年戦争の末期に生き抜いた、祖国フランスを救ったと評される伝説的ヒロインである。歴史上で彼女が活躍したのは十七歳から十九歳の時。今でいえば、勉学にいそしむ女子学生の年代である。

 女子学生───。車で街を走ると、自転車に乗って通学路を行く制服の女子学生の姿をよく見かける。三十過ぎの男がこの言葉を使うと、非常にいやらしいふうにとらえられるが(現に妻に「いやらしい!」と言われた……!?)、けしてそういう意味で言ったわけではない。学生───、すなわち様々な事を学び成長する時期。末は総理か大臣か、医者になる者、弁護士になる者、学校の教師になる者、あるいは何かの分野で博士になる者もいるだろう。“学生”という言葉には光がある。そこに“女子”がつくということは、社会のあらゆる分野で女性が大活躍していく世の中を想像できるではないか。そういう意味で、女子高生でなく、女子大生でなく、女子学生という言葉を使ったのだ。

 パリから東に二百八十キロメートル。シャンパンで有名なシャンパーニュ地方のはずれに、ドムレミイ・ラ・ピュセルと呼ばれる小さな村がある。実際に行ったわけではないので「そういう村があるらしい」と言う方が正確か……(説得力がなくなる)。古今変わらぬこの村はムーズ川のほとりにあり、今から約五百九十年前、ジャンヌ・ダルクはこの村で生まれた。そこで僕が注目したいのは、当時、貴族中心の男社会にあって、彼女がまだうら若き乙女であり、しかも農民出身であったということだ。

 百年戦争後期、フランスの農村の暮らしは悲惨なものだった。クレシイの戦いで敗れて以来、フランスは連敗続きで財政もかなり困窮していた。重い税金などで犠牲になるのは、常に名も無き一階の庶民であるのは歴史の常である。ジャンヌの父親はドムレミイの中心人物だった。略奪者から村を守るため避難所を設けたという事実を見る限り、村人思いの善人だったと考えることができる。とはいえ、国の要請で税金を徴収しなければならないという役割も担い、ジャンヌはそんな父親の姿を冷静に見つめながら成長したに違いない。苦しみと不安の生活の淵で、使命を自覚した人間は一体何を考えるのか?

 祖国を救おう───。

 一人の乙女の勇気は歴史を変えた。戦争の要だったオルレアンを解放し、数々の戦に先陣を切って勝利を重ね、フランス王の継承権を持つシャルル七世の戴冠を実現させたのだ。

 話は変わるが、昨年の秋、僕の主宰する劇団に高校三年の女の子が入団してきた。何を思ったか進路を決めなければならない大事な時期に、突然“女優”を目指し芸大を志望したところ、先生に「何の経験もなくいきなり無理だから、どこか地元の劇団に入った方がいい」と言われて来たという。名をTちゃん。さて、困った僕は、さっそくその秋に行われた公演で主役級の役に抜擢した。しかし俄か仕込みの訓練など通用する世界ではない。受験をむかえて何カ所も挑戦するが、その都度結果は不合格。さすがにネアカのTちゃんも落胆してしまった。が、彼女は諦めなかった。卒業を間近に控えた三月下旬、見事自分が一番行きたかったところの合格を勝ち取ったのだ。実に若さと信念を持った女性は強い。

 一四三〇年、ジャンヌは捕らえられ、イギリスの宗教裁判で異端者となり、火刑という判決がくだされた。人の歴史は勝てば正義、負ければ悪魔。いくら正義と主張して、それが人道的に正しい行いであったとしても、悲しいかな、負ければ悪魔になってしまうのだ。正しい事が勝たねばならない。女だからと、農民だからと、しがない村で一生を過ごせば何もあんなことにはならなかったろうに……。皮肉にも彼女の死後行われた断罪裁判で、彼女は英雄となった。異端と蔑まれながら、それでも自分の信念を貫き通した純真な乙女は、燃えさかる炎の中、熱さと煙にもだえながら一体何を見ただろう……。一つだけ言えることは、ジェンヌが生きた栄光の軌跡が、現代なお語り次がれている事実である。

 ───なぜだろう?女子学生には自転車がよく似合う。車から制服の女子学生を見てそう思った。バランスをとりながら歩くより速く、下りは軽快に上りは息をつき、信号機で立ち止まり再びまた走り出す。自然の風を浴びながら乙女たちは進む。彼女たちの輝きは、きっと自分の未来を自由に従えた誇りから発する瞳の輝き。きっとあの乙女らは、必ずこの暗雲の世の未来をも服従させることだろう。

 進め!現代のジャンヌ・ダルクよ!男どもの未来をも従えて!!

2000年7月9日
 
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最後の手段
 僕は最後の手段に出るしかないと思った。

 こわばった表情を隠しながらセブンイレブンの入り口の前に立った。手前から二列目の陳列棚の中央。それが置いてある場所を忘れるはずがない。従業員の様子など伺う余裕もなく、一直線にその場所に向かった。そいつさえ手に入れれば、弁当を買うわけでもなし、日常雑貨を買うわけでもなし、少ない小遣いでコンビニなどに来る理由などない。

 そいつは黒い色をして、口に入れるとサクサクっとして甘ったるく、しょうゆ味がするせんべいが好きな僕にとっては、なんとも歯ごたえのない代物。しかも、食べ終わった後は歯にこびりついてしまうため、指をつっこんで取らなければならないという、何とも言いようのないまどろっこしい食べ物なのだ。その名は「オレオ!」。

 僕は難なくその商品を見つけると、レジに持って行き、三、四百円しか入っていない財布から、有り金を惜しみながら店員に手渡した───。

 妻と喧嘩をして以来数日間、全く口を聞いてもらえない。何が原因であるかはいつもあまりよく覚えていないのだが、大抵は僕の何気ない一言が彼女の癇に触り、激しい口論が始まるといった具合だ。口論とはいっても“宮川大助花子”のようなもので、僕が「ああ…、うう…」と言っている暇に、彼女の口からは、自分が傷ついた原因から過去の些細な出来事まで、針小棒大な言葉が機関銃のように飛び出てくるのだ。

 女性の記憶力はすごい。何年も前の日常生活の中で交わしたわずかな言葉や、誰に何を言ったかとか言われたとか、外に遊びに出たときの小さな行動や状況、時にはどんな洋服を着て、体調がどうだったとか、僕の頭の中には記憶の“き”の字も残っていないことを克明に覚えている。これは記憶力というよりも女性の本能なのかもしれない。考えてみれば、家の中で探し物をしている時でも、自分で置いたはずなのに思い出せない物を、妻は事もなげに見つけてしまう。非常に不思議だが、女性にはその人間の行動の癖というか、行動の習性を見抜いてしまう力があるのかもしれない。「女の直感」という言葉が一般的に認知されている裏側には、女性のそんな特性が裏付けになっているのだろうか。

 一方では喧嘩をし、一方では感心しながら、すっかり“大助”の心境の僕も、遂にたまりかねて反論に出ようと言いかける。が、とても入り込む隙間を与えてくれない妻は、相変わらず悪たれを火のように吐いてくる。やっと見つけた言葉と言葉の合間に、「今ぞ!」とばかり意見をくい込ませたかと思えば、話題は全く違うものに変わってしまう。しまいには幸ちゃんまで自分の味方につけてしまうから、取り付く島もない。結局、居場所を失って、僕は天涯孤独の日々を送るようになるのである。

 所詮人間なんていうものは、生まれるときも一人、死ぬときも一人なら、天涯孤独もいいだろうと楽天的に考えることもあるが、やはり帰るべき所があるのにないというのは寂しい。そんな時、人間は知恵というものを使うのである。せっぱ詰まると、こんな僕でも知恵が湧く。

 いつからだろう、女性が「物」に弱いことを知ったのは……。

 最初に妻の機嫌を損ねたとき、野に咲くコスモスを摘んで帰っていった事がある。この時は、なんとか妻の機嫌をなおしたくて、彼女が花を好きなことを思い出したのだ。アパートに戻って、恐る恐る彼女に渡すとどうだろう。たちまち上機嫌になり、夜のご飯を作ってくれるではないか───。次に妻を怒らせた時、今度はプリンを買って帰っていった。するとたちまち笑顔をこぼし、「明日の朝、お弁当を作ってあげる」という。朝のお弁当作りは彼女には大変ならしく、大抵お昼はコンビニのパンで済ませている僕にとっては、こいつはありがたかった。その後、コーヒーゼリーやフルーツゼリーを買っていったこともある。その度、不思議や不思議、もはや離婚かと思われる深刻な事態も、百数十円のスナックやデザートで、状況が一変してしまうのだ。「物」は「魔法のランプ」、「物」は「打出の小槌」、これを知ったら怖いものなどない。うちの奥さんに限っていえば、なんと言っても「オレオ」の効力が絶大なのを、僕はいつかしら突き止めていたのだ!

 「物」といってしまえば「物」。お金で買えるといえばお金で買える。しかし「物」には心が宿るのかも知れない。喧嘩の度に、僕が買っていく「オレオ」の中に、きっと僕の健気な心が宿るのだ。そう信じる反面、女性はそれほど単純なのかも知れないと思ってしまう。そんなことはどちらでもよい。現実に帰る場所を取り戻す事の方が先決なのだ。

 僕はアパートに着くと、中の空気の重さを閉ざしているドアに手をかけた。開けると案の定、陰気な気配が僕の全身を覆い尽くした。居間では、まるで僕の存在を歯牙にもかけず、幸ちゃんと戯れる妻がいる。僕は、たったいま買ってきたばかりのセブンイレブンのビニール袋の中から、「オレオ」を妻に手渡した。

 すると、やっぱり妻の表情に、いつもの笑顔が戻っていた。

2000年10月22日
 
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