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最後の手段
 僕は最後の手段に出るしかないと思った。

 こわばった表情を隠しながらセブンイレブンの入り口の前に立った。手前から二列目の陳列棚の中央。それが置いてある場所を忘れるはずがない。従業員の様子など伺う余裕もなく、一直線にその場所に向かった。そいつさえ手に入れれば、弁当を買うわけでもなし、日常雑貨を買うわけでもなし、少ない小遣いでコンビニなどに来る理由などない。

 そいつは黒い色をして、口に入れるとサクサクっとして甘ったるく、しょうゆ味がするせんべいが好きな僕にとっては、なんとも歯ごたえのない代物。しかも、食べ終わった後は歯にこびりついてしまうため、指をつっこんで取らなければならないという、何とも言いようのないまどろっこしい食べ物なのだ。その名は「オレオ!」。

 僕は難なくその商品を見つけると、レジに持って行き、三、四百円しか入っていない財布から、有り金を惜しみながら店員に手渡した───。

 妻と喧嘩をして以来数日間、全く口を聞いてもらえない。何が原因であるかはいつもあまりよく覚えていないのだが、大抵は僕の何気ない一言が彼女の癇に触り、激しい口論が始まるといった具合だ。口論とはいっても“宮川大助花子”のようなもので、僕が「ああ…、うう…」と言っている暇に、彼女の口からは、自分が傷ついた原因から過去の些細な出来事まで、針小棒大な言葉が機関銃のように飛び出てくるのだ。

 女性の記憶力はすごい。何年も前の日常生活の中で交わしたわずかな言葉や、誰に何を言ったかとか言われたとか、外に遊びに出たときの小さな行動や状況、時にはどんな洋服を着て、体調がどうだったとか、僕の頭の中には記憶の“き”の字も残っていないことを克明に覚えている。これは記憶力というよりも女性の本能なのかもしれない。考えてみれば、家の中で探し物をしている時でも、自分で置いたはずなのに思い出せない物を、妻は事もなげに見つけてしまう。非常に不思議だが、女性にはその人間の行動の癖というか、行動の習性を見抜いてしまう力があるのかもしれない。「女の直感」という言葉が一般的に認知されている裏側には、女性のそんな特性が裏付けになっているのだろうか。

 一方では喧嘩をし、一方では感心しながら、すっかり“大助”の心境の僕も、遂にたまりかねて反論に出ようと言いかける。が、とても入り込む隙間を与えてくれない妻は、相変わらず悪たれを火のように吐いてくる。やっと見つけた言葉と言葉の合間に、「今ぞ!」とばかり意見をくい込ませたかと思えば、話題は全く違うものに変わってしまう。しまいには幸ちゃんまで自分の味方につけてしまうから、取り付く島もない。結局、居場所を失って、僕は天涯孤独の日々を送るようになるのである。

 所詮人間なんていうものは、生まれるときも一人、死ぬときも一人なら、天涯孤独もいいだろうと楽天的に考えることもあるが、やはり帰るべき所があるのにないというのは寂しい。そんな時、人間は知恵というものを使うのである。せっぱ詰まると、こんな僕でも知恵が湧く。

 いつからだろう、女性が「物」に弱いことを知ったのは……。

 最初に妻の機嫌を損ねたとき、野に咲くコスモスを摘んで帰っていった事がある。この時は、なんとか妻の機嫌をなおしたくて、彼女が花を好きなことを思い出したのだ。アパートに戻って、恐る恐る彼女に渡すとどうだろう。たちまち上機嫌になり、夜のご飯を作ってくれるではないか───。次に妻を怒らせた時、今度はプリンを買って帰っていった。するとたちまち笑顔をこぼし、「明日の朝、お弁当を作ってあげる」という。朝のお弁当作りは彼女には大変ならしく、大抵お昼はコンビニのパンで済ませている僕にとっては、こいつはありがたかった。その後、コーヒーゼリーやフルーツゼリーを買っていったこともある。その度、不思議や不思議、もはや離婚かと思われる深刻な事態も、百数十円のスナックやデザートで、状況が一変してしまうのだ。「物」は「魔法のランプ」、「物」は「打出の小槌」、これを知ったら怖いものなどない。うちの奥さんに限っていえば、なんと言っても「オレオ」の効力が絶大なのを、僕はいつかしら突き止めていたのだ!

 「物」といってしまえば「物」。お金で買えるといえばお金で買える。しかし「物」には心が宿るのかも知れない。喧嘩の度に、僕が買っていく「オレオ」の中に、きっと僕の健気な心が宿るのだ。そう信じる反面、女性はそれほど単純なのかも知れないと思ってしまう。そんなことはどちらでもよい。現実に帰る場所を取り戻す事の方が先決なのだ。

 僕はアパートに着くと、中の空気の重さを閉ざしているドアに手をかけた。開けると案の定、陰気な気配が僕の全身を覆い尽くした。居間では、まるで僕の存在を歯牙にもかけず、幸ちゃんと戯れる妻がいる。僕は、たったいま買ってきたばかりのセブンイレブンのビニール袋の中から、「オレオ」を妻に手渡した。

 すると、やっぱり妻の表情に、いつもの笑顔が戻っていた。

2000年10月22日