> ドムレミイの乙女
ドムレミイの乙女
 彼女は神の声を聞き、その声に従ったというが僕はそれを信じない。僕は、彼女は彼女の信念のままに行動したということを信ずる。

 僕と妻がパリに旅行した折りのことである。ルーブル美術館を出て、ルーブル宮脇の道路をシャンゼリゼ通り方面に向かって歩くと、一つのT字路の中央に金箔の、馬にまたがり旗を高く掲げた乙女戦士の像がある。僕がフランス旅行で一番楽しみにしていた名所の一つだ。なにしろ、十数年来、彼女をモデルに物語を書きたいと思っていたほどだから。

 ところが、比較的車通りの多い道の中央で、道行く人はその像に何の興味も示さぬ素振りで通り過ぎ、しかも同行の妻はさっさと先を歩いていってしまう。(おい!こんなすごい所を前に立ち止まらずに行くのか!)と心で叫んだものの、妻は涼しい顔で見向きもしない。結局僕も勇気をなくし、かろうじて写真を一、二枚撮っただけだった。ああ、あんなチャンスは二度とないかもしれないのに……。

 覚えているのは真っ直ぐなその瞳。周囲に建ち並ぶ建築物にさえぎられながらも、遙か彼方、地平線を見ているかのようだった。

 乙女の名はジャンヌ・ダルク。フランスとイギリスの百年戦争の末期に生き抜いた、祖国フランスを救ったと評される伝説的ヒロインである。歴史上で彼女が活躍したのは十七歳から十九歳の時。今でいえば、勉学にいそしむ女子学生の年代である。

 女子学生───。車で街を走ると、自転車に乗って通学路を行く制服の女子学生の姿をよく見かける。三十過ぎの男がこの言葉を使うと、非常にいやらしいふうにとらえられるが(現に妻に「いやらしい!」と言われた……!?)、けしてそういう意味で言ったわけではない。学生───、すなわち様々な事を学び成長する時期。末は総理か大臣か、医者になる者、弁護士になる者、学校の教師になる者、あるいは何かの分野で博士になる者もいるだろう。“学生”という言葉には光がある。そこに“女子”がつくということは、社会のあらゆる分野で女性が大活躍していく世の中を想像できるではないか。そういう意味で、女子高生でなく、女子大生でなく、女子学生という言葉を使ったのだ。

 パリから東に二百八十キロメートル。シャンパンで有名なシャンパーニュ地方のはずれに、ドムレミイ・ラ・ピュセルと呼ばれる小さな村がある。実際に行ったわけではないので「そういう村があるらしい」と言う方が正確か……(説得力がなくなる)。古今変わらぬこの村はムーズ川のほとりにあり、今から約五百九十年前、ジャンヌ・ダルクはこの村で生まれた。そこで僕が注目したいのは、当時、貴族中心の男社会にあって、彼女がまだうら若き乙女であり、しかも農民出身であったということだ。

 百年戦争後期、フランスの農村の暮らしは悲惨なものだった。クレシイの戦いで敗れて以来、フランスは連敗続きで財政もかなり困窮していた。重い税金などで犠牲になるのは、常に名も無き一階の庶民であるのは歴史の常である。ジャンヌの父親はドムレミイの中心人物だった。略奪者から村を守るため避難所を設けたという事実を見る限り、村人思いの善人だったと考えることができる。とはいえ、国の要請で税金を徴収しなければならないという役割も担い、ジャンヌはそんな父親の姿を冷静に見つめながら成長したに違いない。苦しみと不安の生活の淵で、使命を自覚した人間は一体何を考えるのか?

 祖国を救おう───。

 一人の乙女の勇気は歴史を変えた。戦争の要だったオルレアンを解放し、数々の戦に先陣を切って勝利を重ね、フランス王の継承権を持つシャルル七世の戴冠を実現させたのだ。

 話は変わるが、昨年の秋、僕の主宰する劇団に高校三年の女の子が入団してきた。何を思ったか進路を決めなければならない大事な時期に、突然“女優”を目指し芸大を志望したところ、先生に「何の経験もなくいきなり無理だから、どこか地元の劇団に入った方がいい」と言われて来たという。名をTちゃん。さて、困った僕は、さっそくその秋に行われた公演で主役級の役に抜擢した。しかし俄か仕込みの訓練など通用する世界ではない。受験をむかえて何カ所も挑戦するが、その都度結果は不合格。さすがにネアカのTちゃんも落胆してしまった。が、彼女は諦めなかった。卒業を間近に控えた三月下旬、見事自分が一番行きたかったところの合格を勝ち取ったのだ。実に若さと信念を持った女性は強い。

 一四三〇年、ジャンヌは捕らえられ、イギリスの宗教裁判で異端者となり、火刑という判決がくだされた。人の歴史は勝てば正義、負ければ悪魔。いくら正義と主張して、それが人道的に正しい行いであったとしても、悲しいかな、負ければ悪魔になってしまうのだ。正しい事が勝たねばならない。女だからと、農民だからと、しがない村で一生を過ごせば何もあんなことにはならなかったろうに……。皮肉にも彼女の死後行われた断罪裁判で、彼女は英雄となった。異端と蔑まれながら、それでも自分の信念を貫き通した純真な乙女は、燃えさかる炎の中、熱さと煙にもだえながら一体何を見ただろう……。一つだけ言えることは、ジェンヌが生きた栄光の軌跡が、現代なお語り次がれている事実である。

 ───なぜだろう?女子学生には自転車がよく似合う。車から制服の女子学生を見てそう思った。バランスをとりながら歩くより速く、下りは軽快に上りは息をつき、信号機で立ち止まり再びまた走り出す。自然の風を浴びながら乙女たちは進む。彼女たちの輝きは、きっと自分の未来を自由に従えた誇りから発する瞳の輝き。きっとあの乙女らは、必ずこの暗雲の世の未来をも服従させることだろう。

 進め!現代のジャンヌ・ダルクよ!男どもの未来をも従えて!!

2000年7月9日