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あとがき
幕末小説 『梅と菖蒲』
 高杉晋作に関わる書物は、世の中にたくさんある。
 しかしあえて彼を扱って物語を書いてみようと思ったのは、彼と吉田松陰との関係において、どれもいまひとつしっくりいかないことを感じていたからである。今、『師弟』というものがおろそかにされているような現実を見たとき、松陰の在世中から物語を追うのではなく、弟子である晋作の生き様の中に師というものを脈々と感じることのできる話を書きたいと思った。
 とはいえ、晋作の生涯の記録を残す資料は膨大で、それを整理するだけでも大変な作業であり、しかも筆者は幕末の時代背景や経緯について、書き出し当初はほとんどまともな知識を持っていなかった。増して複雑なそれらの事象、事柄についての解釈の仕方も、様々な研究の中でなから落ち着いてきてしまっているというやりにくさがあった。ともすれば先に描かれている様々な人達による高杉晋作像の、二番煎じになる可能性が大なのである。
 それでも新しく筆者なりに新解釈を加えた箇所がある。───と思っている。
 一つは『風雲の章』で描いた京都での晋作である。京都狭しとバカ騒ぎする晋作を、松陰の喪に服すという設定で書いてみたこと。二つは『回天の章』で日柳燕石に披露した漢詩で晋作が「猛気更に余す十七回」と詠んだ場面である。一般的には十八回の誤りではないかと言われるが、筆者は弟子たる者が師のことを誤るはずがないと考えた。そして三つは『倒幕の章』の最後、晋作と野村望東尼とのくだりである。更に福岡で晋作と西郷吉之助が会談したという話は、あまり取り扱っているものはなく、筆者も結構好きな場面である。
 坂本龍馬に対する見解は、龍馬ファンにとっては不愉快にさせてしまう要素も多く含んでいると思うが、浅学な筆者の一存であるので一笑に付していただいてかまわない。描きたかったのは、松陰から発した『大和魂』の連鎖反応なのである。
 この小説の執筆中、実は萩と下関を訪れた。そして萩の街並みの中で歴史の重厚さを思い、対して下関は近代化が進んでおり残念に思った。しかし大坂屋跡地に立つホテルのすぐ近くにあった「維新村」という店では、店員の方に貴重なお話しを聞かせていただくことができた。『倒幕の章』で登場させた無敵幸之進勝幸もそこで知った人物である。最大に感謝申し上げたい。
 それにしても激動の幕末期を思うとき、現代はなんと平和であることだろう。反して、『志』というもののなんと低くなってしまったことだろう。私たちは、歴史というものからもっと多くの事を学んでいかなければいけないのだと強く感じいった次第である。
 最後に、この小説を書くに当たって、ネット上に公開されている膨大な情報を参考にさせていただいた、多くのサイト運営者様に深く感謝申し上げます。

 二〇一一年八月十三日 はしいろ まんぢう