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4.小忠太と雅
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 後に言う下関戦争が始まった頃、晋作は萩近くの松本村の奥地、団子岩あたりの小さな庵で隠棲生活をしていた。庵は京から萩まで同行してきた堀真五郎の手配によるもので、近くには松陰の生家、杉家の山屋敷がありひどく気に入った。藩より賜暇をもらい、萩に戻って隠棲生活を始めたからには、向こう十年間は本当に学問に打ち込もうと思っている。後に伊藤博文は晋作のことを「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」と表現したほどに、まさに活動を発した時の彼の勢いと力は神がかり的な影響力を周囲に及ぼすが、逆に静の姿勢を決め込んだ時は、石の如く、また小川のせせらぎの如く、何もせずにじっと何かに没頭して静寂の時を数えるのも彼の不可思議な性質だった。晋作は今、師の残した留魂録を精読している。

 京を立ち、萩の生家に到着したのは四月九日の夕暮れ時だった。萩の実家は菊屋横町と呼ばれる通り沿いにある。家に着くと晋作は真っ先に父小忠太の部屋へ帰宅の挨拶に入った。
 「ただいま戻りましてございます」
 小忠太は書き物の手を休めて晋作に目を移した。
 高杉家は代々藩主側近の役所を務めてきた地元では名士と呼ばれる家柄である。小忠太においても同じで、昨年は直目付、学習館御用掛に任じられ、上洛して長州藩と朝廷、幕府の交渉役を務めていたが、今年一月その任を終えて帰国した、いわば長州藩士のなかではエリートクラスに属する。しかし晋作にとってはただの平凡な親父で、尊敬しているというふうではないが、実は父親だけには逆らえない。別に弱みを握られているわけでもないし、怖いわけでもない。ただ同じ血が流れているという一点だけで、敬わなければならないと子供の頃から感じていた。雅を嫁にとった時もそうだった。そう、晋作には雅という名の正妻がいる。それはこのあと触れよう。
 小忠太は久しぶりに見た我が子の顔に微笑んだ。
 「賜暇を頂戴したそうだな? まあしばらく家でのんびり暮らすがよい」
 「ありがたいお言葉ですが、実は晋作、出家いたしました。松本村の山奥に庵を見つけておりますので、早速今日よりそちらに寝所を移そうと思います。申し遅れました、法名を東行と申します。これよりはそうお呼びください」
 小忠太は苦笑して身体を晋作の正面に向けて対座した。
 「どのような心境の変化か? それよりもうちと雅のことを考えてあげたらどうか?」
 雅とは婚儀を終えた一月後、藩命により軍艦教授所に入って航海学の修行を始めるため家を出てから、かれこれ三年以上会っていない。晋作はその艶麗な顔すら忘れかけている。一方小忠太にとっては高杉の血筋を絶やさないため、一人息子の晋作に子ができることこそ重大問題だった。そのため「防長一の美人」と噂されていた山口町奉行の井上平右衛門の次女だった雅を、高杉家へ迎え入れたのである。幼少の頃から野放しにしておいたら何をしでかすか分からない気質は、父親としても悩みの種だった。そこで女に対しては人一倍面食いの息子を家に留まらせるため、日本一の美人を娶らせるというのが兼ねてからの小忠太の思惑だった。ところが晋作ときたら、
 「ボクは三十歳まで妻帯しない」
 と宣言しており、しかもその縁談話が持ち上がったのは、松陰が殺されてからまだ一ヶ月も経っていない時だった。とても所帯を持つ気になどなれない。ところが小忠太は一方的に結納を済ませてしまい、断れない状況を作り出してしまったのだった。結局親への孝を重んじる晋作が折れたのである。
 小忠太はまだ髪の生えきらない晋作のイガ栗頭を困り顔で眺めなら、
 「はよう子をつくれ」
 と言おうとした。と、そのとき静かに襖が開き、三つ指をついた雅が茶菓子を運んで入って来た。
 「失礼いたします」
 雅は煎じた茶を小忠太の前に置き、次いで晋作の前に差し出しながら、
 「お勤め、ご苦労様でございます」
 と静かな声で言った。
 雅は武家の女としては非のつけどころがない出来過ぎた妻女に違いなかった。町奉行の家で育ち、結婚する以前は、断りきれないほどの縁談話があったほどの器量良しでもある。このとき雅は十八歳。いまだ男を知らない生娘のままである。結婚したときは十四歳で、晋作にとっては童児同然、女として抱く気も起こらなかった。ところが今、女として熟れ初めたその美しい妻の顔にはじめて晋作は見惚れた。けっして嫌いではない。いままで関係してきた多くの妓の中でもこれほど美しい者はいなかった。しかし晋作にとっては、武家の形式に凝り固まった彼女の日常の生活スタイルに合わせることが窮屈で仕方がないのだ。
 ついこの前まで江戸に滞在しているとき、小三という馴染みの芸妓と恋仲に落ちていた。ちょうど英国公使館焼き払いを行う前で、彼女は『武蔵屋』という店におり、よく桂小五郎や井上聞多、それに伊藤俊介らを伴って遊びに行ったものである。小三は目を引くほどの芸達者で、和歌を読み、その美貌も他の芸妓の群を抜いていた。風雅の心も増して強く、そうでない男はたとえ身分が高いといえどもけっして相手にしないほど気位も高かったという。そんな小三が晋作と会い、二人は恋仲に落ちたというから、晋作の風雅の心もまんざらでない。また晋作の方も、教養が高くて頭の回転も早く、プライドも高い現代でいえばバリバリのキャリアウーマン的な美人が好みだったようであるが、教養ある知性の女性といえば雅もけっして負けてはいない。ただ雅は武家育ちの硬い一本気の心の持ち主だった。そのうえ古来、日本固有の文化として成長してきた“お家”という型にはめられた生活の中では、愛とか恋とかいうものとは無縁の感情しか湧いてこないのだ。
 「ボクは出家して僧になった。しばらく松本村の庵で隠棲生活をするのでそのつもりでいよ」
 雅は小さく「かしこまりました」と言った。
 「それがよいわ。三年も経ったというのにお主らは新婚同然じゃ。近くに舅など口うるさい者がおったらやりにくかろう。身の周りの物には不自由するじゃろうが、それがええ」
 と、小忠太が言った。
 「ちと待ってください。ボクは僧門に入ったのです。女性など近くに置いとくわけにはいきません。一人で静かに勉強したいのです」
 京であれほどの馬鹿騒ぎをしておいて晋作も虫のいい話である。おまけに江戸で別れた小三から贈られた袱紗まで、いまも大事に持っているのだ。
 「何を申すか。嫁の相手もせんで飛び回って、やっと帰ってきたと思ったら今度は一緒に住めんとは。もうちと世間の常識を知れ!」
 「これまでの常識が崩れかけちょる世の中ですから。新しい常識を作り出さなきゃならんのです」
 親子喧嘩が始まるすんでのところを、
 「もういいのですよ、お父様。この人の好きなようにさせてくださいまし……」
 と、雅のか細い声が制止させた。
 雅は薄々感じていた。江戸や京での夫の風聞を耳にするたび、とても自分のような武家育ちの堅物に、高杉晋作という型破りな武士の妻など努まらないことを。これがもし百年も前の平穏な時代に巡り合わせていたとしたら、飲んだくれの浮気亭主のケツを箒で追い回すような夫婦になることもあったかもしれないが、時代がそうさせてはくれなかった。せめてそんな男であることを婚儀の前に知っていればと、あるいは性格の不一致で離縁しようかと、現代の普通の女性なら思うかもしれないが、雅は後悔する教育は受けていない。一筋に武家の女としての教育を受けた。今の高杉家における自分の立場と状況においては、ただ”耐える“ということだけが努めであり、それが武士の妻としての美徳であると信じて疑わない。
 「なにかご用意するものはございますか?」
 雅は少し悲しげな目を晋作に向けて言った。それでも夫に尽くすのが武士の妻だと信じて疑わない。一生を棒に振ろうとも。
 「そうじゃの、ボクの勉強部屋の書棚から松陰先生のものを全部荷造りしといてくれ」
 「かしこまりました」
 雅はそう言って小忠太の部屋を出ていった。
 「まったく不憫な嫁じゃ……」
 小忠太のつぶやきに晋作は何も答えず「では」と言って立ち上がった。
 「夕餉ぐらい食って行くんじゃろ?」
 「歩きながら団子でも買って食いますから、心遣いは無用です」
 それから間もなく雅が用意してくれた荷を抱え、晋作は菊屋横町の屋敷を出た。荷の中には彼が所望した松陰の書物の他、カミソリやら硯箱やら手拭いやら、頼んでもない生活用品が入っていた。
 「まったく細かなところに気の効く女ごじゃ……」
 それから山に篭もった後も、何日かにいっぺんは雅がにぎりめしを持って庵に訪れ、晋作の身の周りの世話を細々とやって、夕暮れには菊屋横町の家へ帰って行った。そのようなお節介は小忠太の気廻しであることはすぐに知れたが、雅がせっせと働くその間、ずっと書物に釘付けの晋作だった。