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23.談合尽く
幕末小説 『梅と菖蒲』
 「まあ、旦那はん!」
 卯乃は晋作に飛びついた。
 「今日は酒屋の丁稚奉公のような恰好どすなあ。お侍はん、やめますのん?」
 思えば萩の家を飛び出したままの服装だ。手拭いを首に巻き、瓢箪の徳利を腰に巻き付け、けっこう気に入ってはいるが、そんな恰好で山県や中岡に会っていたのだ。自分ながらおかしくなる。
 「それもあるいはいいかも知れんな。どうじゃ?酒屋の女房になるか?」
 「毎日お酒が飲めて楽しおすわ」
 その楽観ぶりに晋作は苦笑した。
 「お卯乃、せっかく来たがゆっくりしておれん。これから白石殿のところに行くが一緒に行くか?」
 「へえ、行きやす」
 まるで思慮のない即答に、晋作は顔をしかめながら白石正一郎宅に向かって歩き出した。残された最期の時間を、少しでも彼女といたかったのだ。季節はすっかり冬に入った。卯乃は丹前の衿を首に巻き付けたような恰好で彼の後を歩く。
 「寒いか……?」
 「へえ……」
 「歩いておれば身体も温まる」
 晋作は自分の法被を卯乃に被せた。
 「長州藩ももういかん……」
 いつにない彼の険しい表情を、卯乃は脳天気に笑いながら見つめ返した。
 「いかんて……?これから、どないなってしまうん?」
 「そうよの……」
 晋作は歩きながら考えた。幕府恭順ということになれば長州は幕府の傀儡となる。幕府が日本の主となれば、いずれ日本は列強の植民地となる。植民地となれば苦しむのは名もない一介の庶民達だ。晋作の頭にはそういう方程式がある。
 仮にそうなったとして───
 晋作は卯乃が心配する末の世の中を想像してみた。
 植民地になったとして、いったい庶民の生活の営みにどんな変化があるというのか?彼らは時の権力や趨勢の中に置かれながらも、いつの時代も力強くまた逞しく生きてきたではないか?あるいは恭順派のように、長いものには巻かれた方が、彼らを苦しめずにすむのではないか?
 ふと、保守的な見地に立ってそんなことも考えてみた。
 ───否、やはりそれは違う。
 晋作は即座に否定した。
 あの植民地化された上海を見たではないか。あの光景のどこに幸福があるというのか。国家が個々人へ圧力をかけたとき、総体は死へと向かうのだ。権力への服従は、それはそのまま個々人の魂の死となっていくのだ。生きながらの死とはそのことなのだ。
 「そうよの……、長州が潰れたら、日本国の民がことごとく死んでしまうなあ……」
 「ええっ!旦那はんも、わても……?そりゃ困ります!」
 国家とは、個々人の生への総合力によって形成されるべきものであり、それが松陰の描いた壮大な構想なのだ。松陰の言う“志”こそ個々人を“生”たらしめる起爆剤なのである。ところが今の日本に、この志を抱いた人間がどれほどいるか。いま自分が屈したら、日本人の魂は死ぬ。松陰が留め置いた大和魂が死んでしまうのだ。
 いまの自分の使命とは何かと問えば、それは屈しないことだ。負けないことだ。たとえ死んでも……。人生とはその死に場所を探す旅なのだ。晋作はそう達観している。
 晋作は立ち止まって卯乃を見つめた。
 「心配するな。ボクは死なんつもりじゃ、この体が滅びてもな。それに連なるお卯乃も死なんよ」
 「それを聞いて安心したわ」
 卯乃は花のように笑った。その可憐さに彼女の行く末を思った。正妻の雅には守る家もあり、子もある。ところが彼が死んでしまったら、卯乃には守るべき何もないではないか。それを思うと哀れでならない。別の男と一緒になって、彼女が幸せになるのであればそれもよい。しかしこの不器用さではそうした望みも非常に薄い。結局は馬鹿な男に利用され、挙げ句は捨てられ、途方に暮れるのは目に見えている。ならば自分の妻女として、余生を生きることの方が幸福に違いない。
 「のう、お卯乃。ボクが死んだら墓守りになってくれぬか?そうよの、ボクの墓は吉田松陰先生の隣りがよい。久坂玄瑞や九一や稔麿など、ボクの友達も一緒にな……」
 「おかしいわあ。いま死なないって言いはったばかりやおまへんか?」
 「死なんのはボクの大和魂じゃ。この身体は滅ぶかもしれん」
 卯乃は悲しそうな顔をした。と、晋作の手を握り、自分の頬にぐっと押し当てた。
 「卯乃はどこも行くとこおまへんさかい。ずっと旦那はんと一緒や」
 木枯らしが二人の体温を奪い去った。晋作は卯乃を抱きしめた。

 二人が白石宅に着いたのはお昼を過ぎた頃だった。
 「これはこれは高杉様。お卯乃さんとご一緒とは珍しい。さっ、どうぞ、どうぞ」
 正一郎はそう言うと、二人を奥座敷へ招いた。
 「萩では俗論党が大沸騰しておる。次々と正義派の中心人物が捕まり牢に入れられている。ボクの身も危うくなったので逃げてきた。暫く匿うてくれ」
 正一郎は藩政の意外な展開に表情を曇らせた。外国との講和交渉を成功させて、喝采をもって迎えられるべき晋作達正義派が、わずかひと月半程度しか経っていないというのに、形勢が逆転して命を狙われているとは。奇兵隊への援助により、正一郎の資産も底をつきはじめている。しかし晋作に付いていくという腹は既に決まっている。
 「ここに潜伏していれば安心です。我が家と思うてお使いくだされ」
 「いつもかたじけないのう……」
 晋作は深々と頭を下げた。
 「そんなことより、そうとなってはいかがなさるおつもりです?」
 正一郎は心配そうに火鉢の炭に火をおこしながら言った。
 「筑前に渡ろうと思う」
 卯乃は晋作の横顔を驚いたように見つめた。
 「筑前に……?対馬藩ですな。義軍を募るおつもりですか……」
 さすが正一郎である。のみ込みが早い。晋作は静かに肯いた。
 対馬藩と長州藩は尊攘運動が絶頂期にあった文久二年に同盟を結んでいる(対長同盟)。それには桂小五郎も絶大な尽力をしており、以来両藩は非常に友好的な関係を保っていた。八月十八日の政変以来、蛤御門、四カ国戦争と、長州の尊皇攘夷体制が崩壊していく中にあって、対馬藩では同盟国長州の屈辱を果たそうと、脱藩してまで長州勢に加わる藩士も続出していたほどなのである。
 「しかし宛がありますか?」
 正一郎が言った。その頃、対馬藩士に平田大江という男がいた。当時彼は田代領(現在の佐賀県東部の鳥栖市と基山町)を任されており、福岡藩を仲介にして対長と薩摩が同盟を組むことを指向しており、勝海舟と同じ雄藩連合論を立てていた。そんなことは晋作も知らないが、唯一、漠然とした宛があるといえば彼だった。
 「三田尻に元福岡藩の野唯人という男がおる。彼にここに来るよう言付けておいた」
 「野唯人……?ああ、中村円太様のことですな。尊攘運動の時は真木和泉様と並び称されていたお方と聞いておりますが、禁門の変に間に合わず、その後はなにやら遊蕩にふけっているという噂がしきりのようですが……」
 「藩内の正義派勢力だけではとても俗論党を倒せない。奇兵隊もあてにならんし、外に望みを託すしかないのじゃ……」
 正一郎は暫く黙っていたが、やがて、
 「それならば博多で海運業をしている石蔵屋に行くとよいでしょう。主人の石蔵卯平は勤皇志士との交わりも深い。私から紹介状を書いておきます。そうだ、末の弟をお供に付けましょう」
 と、奉公人を呼び寄せ、正一郎の末の弟である大庭伝七を呼ぶよう使いに走らせた。
 そうして間もなく大庭伝七が来て、酒など酌み交わしながら円太の到着を待っていると、夜半になって九州の久留米から渕上郁太郎という男が白石宅に訪れた。
 「はて、どちら様でございましょう」
 「久留米の渕上郁太郎と申す。石蔵屋からこちらに荷が届いておると思うが受け取りに来た」
 「ああ、聞いております。まあ、どうぞお上がりください」
 と、先程話に出たばかりの石蔵屋のこともあって、「これも何かの引き合わせかもしれません」と晋作に告げたところ、「会おう」ということになった。
 この渕上郁太郎という男、以前から久留米藩士の過激攘夷派の真木和泉に師事し、久留米藩校明善堂の教授を務めたが、文久三年に脱藩して上京し尊攘運動に加わって以来、長州のために奔走している男であった。あの池田屋事件でも急死に一生を得、禁門の変にも参加したが、敗れて後は筑前に下り、久留米藩の同志と今後の取るべき行動を模索していたのである。
 正一郎は郁太郎に盃を注ぎながら、
 「こちらが長州藩の高杉晋作様でございます」
 と紹介した。晋作は卯乃の膝枕で横になりながらぶっきらぼうに挨拶した。
 「あなたが高杉様……。私は長州藩の政情を詮索に参ったが、このたいへんな時に、あなたは女を傍らに酒を飲んで、こんなところで何をしているのですか?」
 「今生の思い出に妻をはべらせて悪いか?」
 「妻……?」
 郁太郎は卯乃の顔をじろりと睨んだ。
 「こわいお顔やわあ……」
 卯乃は晋作に寄り添うように下を向いた。
 「おなごを怖がらせるようでは大きな仕事はできんぞ」
 正一郎は「まあ、まあ」と言いながら、晋作の置かれた状況を細かに郁太郎に話し出した。晋作はようやく体を起こした。
 「長州はもういかんよ。俗論党にのっとられてしもうたわ」
 晋作は郁太郎の盃に酒を注ぎながら気さくに話しかけ、そのうち郁太郎の表情も和らいでいくのが見て取れた。
 「では其処元は、これから筑前に渡るというのですか?」
 話がそこに至って郁太郎の表情が曇った。
 「対馬藩の状況はどうか?何か知っておったら教えてくれぬか」
 晋作の問いに、郁太郎は「義軍を募るのは難しいだろう」と、すまなそうに話を始めた。
 対馬藩の尊攘派の牙城は日新館という近年できた藩校だった。尊攘運動全盛期の頃は、そこで文武を備えた多くの精鋭の志士達を輩出してきたが、そこまでは晋作も知っている。ところが先月と言うからつい最近の話である。幕府の長州征伐令によって、そのとばっちりを恐れた対馬藩重臣の勝井五八朗は、攘夷派勢力を一掃させるクーデターを藩内で起こしたと言うのである。あたかも長州で起こっているのと同じことが対馬藩でも起きていた。藩内のいざこざに追われ、藩外の情報にはとんと気を回す余裕のなかった晋作は驚いた。そのクーデターによって、日新館を創設した元家老大浦教之助は捕らえられ獄死し、それに連鎖して幾度八郎も自害、更には日新館派一〇〇名もの志士達が次々と非業の最期を遂げたと言うのである。そして現在、勝井五八朗は自らが奥家老となり、対馬藩の政権の座を牛耳ったと落胆したように言うのであった。そして、
 「いま対馬藩にはとても長州に加勢するほどの余力はないと見る。私も対馬の平田大江さんに頼まれて長州の情勢を探り、できるならば援軍を頼みに来たのじゃ……。平田さんも高杉さんと同じ様な立場じゃ。こうしている間にも勝井に狙われておる……」
 晋作は俄に笑い出した。郁太郎はこの期に及んで笑う余裕の晋作に呆れた。
 「考えることは同じじゃのう。追い込まれた者同士がお互いを頼っているとは皮肉なもんじゃ。お互い打つ手がなくなったな……」
 晋作は卯乃に酒を注がせ、ふいに、
 「お卯乃、お前だったらどうする?」
 と聞いた。
 「もう、いじわるやわ!わてにそんな難しいことわかるわけおまへんやん」
 卯乃はそう言うと、晋作の盃を奪って酒を飲み干した。
 「でもな、わて時々馬関の港に立って思うんや。すぐ向こうに九州の山が見えるのに海があって行けへんやろ。何でこんな近くなのに行けへんのやろうって、そう思わへん?わてなら、どうせ死ぬと分かっているのやったら、死ぬ前にいっぺん九州に行ってみたいなあ」
 晋作は愉快に笑い出した。
 「お卯乃の言う通りじゃの。ここにいても埒が明かん。しかし動けば瓢箪から駒が出ることだってあるかも知れんからな。死ぬ前に九州物見遊山も悪くない。お卯乃、一緒に行くか?」
 「へえ!行きやす!」
 また思慮のない卯乃のはしゃぎように、さすがに正一郎が引き留めた。
 「それはあまりに無謀でございましょう。今の話では向こうに渡ったとしても確実に高杉様は狙われます。お卯乃さんを伴っては足手まといになるだけですぞ!」
 「女同伴の方が敵を欺けよう」
 「駄目でございます!」
 晋作にしてみれば自分が死んで卯乃を一人残すより、いっそ死ぬときは一緒の方が後腐れもなく良いと思ったが、そこは正一郎の方が紳士であった。
 「───だとさ……。白石殿には逆らえんのう」
 晋作は卯乃の盃を取り返すと、手酌で飲んだ。
 「残念どすわあ。また今度、どこかに連れて行っておくれやす」
 「ボクの命があったらな……」
 晋作は再び笑って酒を口に運んだ。
 「ところで中村円太様はいつ来るのでしょうか?」
 今まで会話に入れず大人しく飲んでいた大庭伝七がつぶやいた。
 「まあ、そう慌てるな。志があればそのうちに来るよ」
 晋作は伝七にも酒を注いだ。そんな会話に、
 「中村君なら下関の長太楼におりますぞ。私は彼にも会いに来たのですから」
 と、郁太郎が言った。
 「ほう、それは都合がよい。渕上さん、ひとつ彼を迎えに行ってくれませんか?お察しの通り、いま長州は対馬に援軍を送れる状態ではない。しかしどちらかを優先しなければならんとすると、長州と対馬、どちらだと考える?例えば対馬を立て直したとして、それが幕府に対抗し得る力になるか?やはり長州が先じゃ。長州が立て直せば対馬もなびく。どうじゃ?」
 「その通りだ」と、やがて郁太郎は円太を呼びに、下関の長太楼に向かった。
 そして翌々日、円太が白石宅にやって来た。郁太郎は別件で三田尻に行かなければならない用事があると言ってそのまま発った。そこで、晋作、円太、伝七の三人が筑前に行くことになり、十一月に入って一日、彼らは正一郎と卯乃はじめ、集まった数人の同志と別杯を交わし、冷たい海路、筑前へと渡る。

 内憂外患迫吾州(内憂外患吾が州に迫る)
 正是危急存亡秋(正にこれ危急存亡の秋)
 唯為那君為那国(唯邦君のために邦国のために)
 降殫名姓又何愁(名姓が降殫るもまた何ぞ愁えん)

 三人が商人の町、博多の石蔵屋に到着したのは三日のことだった。
 石蔵屋は江戸時代初期から博多商人として、海運業、水産業、酒造業を営んできた老舗である。当時は対馬藩御用達商人として、多くの尊攘派志士達との交わりも深く、主人の石蔵卯平は対馬と福岡両藩士のために金銭を供給し、あるいは家に志士を庇ったり、あるいは志士の依頼で各地の状況を偵察する、対馬藩士平田大江との深い内通者でもあった。
 晋作が筑前に入った密報を受け、さっそく石蔵屋には福岡藩士尊皇派の月形洗蔵や加藤司書らが集まり、倒幕のための九州連合策についての計画を練り、六日には筑前藩の同志を伴って田代の平田大江に会いに赴いて行くことになる。
 ここで驚いたのは商業の町福岡にあって、九州連合に伴って長州と薩摩が和解すべきであるという意見が強かったことである。国内での内乱は、国家存亡の危機に関わるとした筑前福岡藩主黒田長溥の考えであった。古来福岡は地理的事情から朝鮮、支那、南蛮との交易による大きな富を築いてきた。しかし外国と国内との狭間で生きる藩にとっては、ひとたび有事となれば、その両方からの圧力に耐えなければならない。壬申の乱以来、『筑紫は国の守り』と位置づけられ、殺戮を繰り広げられてきた筑前の宿命ともいえる立場であった。英国や米国といった外国の脅威が現実のものとなっているこの幕末期においては、貿易を表とすると背後にある国力こそ大きな心配の種だったのだ。幕府の衰退する権威を知り、日本という国家を意識したとき、雄藩である薩摩と長州との和解は、早急に解決しなければならない問題としてとらえられていたのである。しかしながら時勢から、表向きは薩摩と同じ公武合体論を取っている。長州が追い込まれている今にあっては、倒幕派が粛清されているというのが現状だった。
 「高杉さんさえその気になっていただけるのでしたら、一度、薩摩の西郷さんと会っていただけませんか?」
 月形洗蔵が提案した。彼は西郷隆盛から「志気英果なる、筑前においては無双というべし」と称えられるほど、西郷とは懇意なのだ。
 「西郷……?」
 晋作は渋面で答えた。すると中村円太が話を継いだ。
 「ここだけの話だが、実は近々西郷吉之助が福岡に来る。下関に久留米の渕上郁太郎という男が来たろう。実は彼はその密報を長州にいる福岡藩士達に知らせるためじゃ」
 「福岡藩と何の密談をする?」
 「それは分からんが、おそらく日本の将来に関わる重大な内容になるだろう」
 円太が神妙な顔付きで言った。晋作は鼻で笑った。
 「高杉さんが今ここにいるなんてことは奇蹟です。長州と薩摩が和解せよとの天の導きかもしれません。どうかお考えいただけませんか?」
 晋作にとっては薩摩との和解などありえない。生来長州ナルシストのこの男にとっては、攘夷を開国に変えることはあっても、長州を追い込んだ薩摩はどこまでいっても“薩賊”なのだ。九州連合はあっても薩長和解など論外だ。そんなことより長州の建て直しが先決である。
 「ありえん。ボクは西郷と会うために筑前に来たのではない。九州連合実現のためじゃ」
 晋作は臭いものに蓋をするように一笑して、話を九州連合の方へ戻した。
 しかし九州連合を実現しようにも、わずか長州一藩のために九州諸藩を動かすことは至難の技に違いない。さしあたっては長州と同盟関係にある対馬藩の動向ひとつで、後の体勢に大きな影響を及ぼすことになるはずだった。逆にいえば、対馬を説得できなければ、九州連合など夢のまた夢なのだ。
 ところが───、というより予想通り、対馬の平田大江に会ってみれば、
 「長州の俗論派政権が、幕府に屈服しているような状況の中で、倒幕の義軍を要請されても、他藩も積極的にはその計画に乗ることはできんだろう。加えていま対馬藩は、長州に援軍を派遣できるほどの余力がござらんのじゃ……。わかってほしい……」
 と、識の晋作の交渉術を持ってして、かたくなに首を縦に振ることはなかった。皮肉にも平田の置かれた立場は、晋作にも痛いほど理解できた。おそらく自分が同じ立場であっても、了解することはけっしてなかっただろうと思うのだ。
 万策尽きた───。
 ここに至って晋作は、情勢を変えることの困難さをしみじみと思い知った。おそらく、きっとそれは、禁門の変の時、久坂玄瑞が鷹司卿の足元で味わった屈辱と同じものであったに相違ない。晋作は果てしない孤独の闇の中に、突き落とされた心境に陥った。
 「しばらく時期を待つしかありませんな……」
 月形洗蔵が言った。もはや逃げ隠れる場所もない。同行の中村円太は、ここでは福岡藩を脱藩しているお尋ね者である。ひとたび見つかったら最期、晋作もろともお縄になって、晋作は俗論党のもとに引き渡されてしまう。打つ手がなくなった円太と洗蔵は暫く話し合い、やがて、
 「よい隠れ家があります」
 と、晋作を福岡郊外の平尾山荘に住む野村望東尼という尼僧の所へ潜伏させることにした。馬関を一緒に発った大庭伝七とは既に石蔵屋を出てより別れており、晋作は二人に招かれるまま、周囲を丘陵で囲まれた草深い田園地帯、松の大木の間にひっそりと建つ草庵に入っていった。十日のことである。