> ある失恋物語
ある失恋物語


 『もう終わりにしましょう―――。
 こんな事を続けていたって、お互い傷つくだけだもの……。
 貴方が嫌いになったわけではないの。ただ傷つけ合うのが怖いだけ。
 こんな大事な話しなのに、月並みな言葉しか浮かばなくてごめんなさい。でも言いたいことは変らない。貴方にとって私はふさわしい女ではなく、私にとって貴方はふさわしい男ではなかった───。
 ただそれだけ……』

 『ふさわしいかそうでないかは、相手を思う気持ちで変るはずだろう。相手を心から好きならば、相手のために心を黒から白にすることだってできるはずだ。
 君はそうすることもしないで、最初からふさわしくないと決めつけている。
 いいかい、お互いの愛の形なんて、最初から同じ筈がないんだよ。なぜなら、誰もが全く違った環境で育って、違った環境で生活しているから───。
 僕の気持を言おう。
 君が僕を嫌いになったのでないなら、別れる理由なんか何もないはずだ』

 『確かに私は貴方が好き……。でも何かが違うの。
 一人で部屋にいるときも、貴方に会いたいって思ったことはないし、一緒にいるときだって心から楽しいと思ったことはないもの。
 そりゃ出会ったときは、会うたびにときめいていたわよ。でもね、貴方を知ってくるに従って何かが変ってしまったの。
 こんな気持ちで付き合っていたら、もっと貴方を傷付けてしまう。やっぱり別れたほうがいいの……』

 『今別れたら、心に一生深い傷となって残るだろう。
 好きなのにどうして別れなきゃならないんだ。
 実を言うと、ずっと前から君の心が僕から離れていくのを感じていた。でも怖くて、聞けなかった―――。
 君自身気付いていない感情を刺激して、こんな話しになるのを恐れていた……』

 『いつから?』

 『君が、僕の気にしていることを平気で口にするようになってから……。
 僕が作曲した音楽を聞かせたときに、君は、音楽むいてないからやめたほうがいいって言ったね。
 中でもあの言葉が一番こたえた。
 自分に才能がないことくらい知っている。だから誰に何と言われようと気にしないが、君にだけは馬鹿にされたくなかった。
 唯一、僕の理解者と思いたかったから』

 『ごめんなさい……。
 そういえば私、貴方を傷付けることばかり言っていたわね。駄目なの、貴方の顔を見るとついつい口が滑って……』

 『口が滑るほど、僕は軽い存在だったのか、やっぱり本気じゃなかったんだな……』

 『本気だったわよ!』

 『それならどうして別れようなんて……』

 『今別れておかないと、もっと傷つくことになるからよ!』

 『嫌いになったんだな、僕の事……。
 好きなら、どんな事があったって、一緒にいたいと思う筈だもんな。それならそうとはっきり言えばいいじゃないか!』

 『そのほうが気が楽?』

 『まただ。さっきから聞いていれば、傷つけるだの気が楽だのと。全て君の心変りが原因なんだろ。それなのに自分を正当化しようとして。
 ずるいよ、君は……』

 『正当化してる?』

 『君の気持はもう分かった。せめて今日一晩だけでも付き合ってくれないか』

 『いけないわ』

 『それなら今すぐ帰ってくれ』

 『ううん、先に行ってちょうだい。貴方を見送りたいから』

 『いい加減にしてくれ!君から別れを言い出しといて、どうして最後に良い子ぶらなきゃならないんだ』

 『……』

 『僕についてくるか、帰るか、二つに一つ……』

 『じゃ、私、帰るね……』

 『そうか……』

 やがてメスのスピッツは、茶色の雑種犬に振り向きもせず、夕陽の当たる路地裏を早足で去っていった。

  一九八八年