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伊賀者
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 戦国の稲妻いなづまはこの男の頭上にも落ちた。
 戦乱の世に生きる者たちの定めは、時の勢力をくじくか屈服するか、さもなくば世俗から離れ、世捨て人のごとき生きるより仕方のない、弱肉強食の理不尽りふじんさにあがきながら生涯をおくることである。しかし若さは、その定めなる境遇を認めようとはしない。ある者は一国一城のあるじを夢見、またある者は武学をみがき立身出世の大志を抱く。そしてこの男もまた、ある宿敵を倒そうと躍起やっきになって働いていた。それは若さからくる世の中への不満とか希望とかとは少し違うかもしれないが、戦乱が招いた境遇といえばそれに違いなかった。
 ところが、生まれ育った伊賀の国を滅亡させた織田信長という悪鬼あっきが死んだと聞いたとき、男は目的を失い、それまで激しく心に燃えていた復讐の炎がふつと消えるのを感じた。
 目的地を失った船は大海原を漂流するしか道はない。この男はまさにいま、そんな心境の中で、余るほど身につけた忍びの術をもてあそばせながら、草むらに潜伏せんぷくするくわかまなどを握った極度に土臭いみすぼらしい農民たちの中にうずもれていた。
 時をたずねれば天正十五年(一五八七)になったばかりの冬―――。ところを訊ねれば……、
 はて?どこであろう。
 とにかく故郷というものを失ってから各地を転々と歩き回っていたから、いまどこにいるかも定かではないが、おそらく尾張を経って信州方面へむかっていたから美濃のあたり、山奥の小さな村にいることに違いはないだろう。
 黄昏たそがれからあたりは急に暗くなった。空気が冷たい分、空の星の色はえ、木枯らしの夜風は積もった雪の粉とともに体温をも奪って吹き抜けた。
 それにしても草むらにたむろする農民たちの熱気はそんな寒気をものともせず、その目にはどれも狂気じみたするどい光があった。その光の数は数百にものぼろうか。それもそのはず、この殺気立った集団は、これから目の前の屋敷にむかって一揆を起こそうというのであった。
 この頃、農民一揆というものが盛んに発生していた。特に一向一揆は一向宗という宗教を媒体ばいたいにして起こり、加賀で起こったそれなどは、守護大名を粉砕し一国を支配するに至るのである。宗教による結束の恐ろしさを見た織田信長は、一向宗への見せしめもあったのだろう、京都の比叡山延暦寺の焼き討ちという前代未聞の虐殺劇をおこなった。更に信長は、一向宗信徒に対しても殺戮をおこない、それによって各地の一向一揆は次第になりを潜め、ついには鎮圧されていく。しかしその農民主体で行われた一揆の本質をさぐれば、単に宗教上や政治上の問題ではなく、生活苦を強いられた社会的弱者の権力に対する憤りがあったと見るべきで、こと下克上げこくじょうの世にあっては、農民暴動への一触即発の緊張がたえずあったに違いない。
 「まったく妙なゴタゴタに巻き込まれてしまったな……」
 いきり立った農民の中で、さきほどの男がぼつりとつぶやいた。この男の名を甲山こうやま小太郎という。いわゆる彼は伊賀忍者である。
 年の頃なら二十歳。いや正確には十九である。が、身に着けた派手な紫色の陣羽織じんばおりは、暗闇を暗躍する忍びと呼ばれる類の者とは一線を画しているし、土で汚れたボロをまとった農民とはあきらかに違う風貌をして、これから勃発するであろう領主と農民との血の戦いに対してなどまるで歯牙しがにもかけていない様子で、隣でガタガタと身体を震わせている青白い表情の同じ年頃の男に、
 「お主がつまらん正義心など燃やすからいかんのじゃ!」
 と、鼻くそをほじった。話しかけられた見るからに気の弱そうな男は、
 「す、すまん……」
 と答える。この村の通りがかりに、しくしく泣くわらべと出会い、今晩暴動で命を落とすかもしれないその童の父の話を聞いて、どうにも素通りすることができなくなった経緯を、いまさらのように後悔したその男の名を、百地ももち末蔵すえぞうといった。二人は紀州伊賀上野で生まれ育った竹馬の友である。
 小太郎の方は、忍びの世界では名の通った甲山太郎次郎のせがれで、幼少より忍びの者としての術を教え込まれた。伊賀においては下忍の身分ではあったが、父の名を名乗れば誰もが一目おく忍術の達人である。一方末蔵の家は伊賀焼の焼き物職人で、上忍の百地三太夫がその職人の娘に懸想けそうして産ませた子であった。伊賀焼といっても当時はまだ芸術的域には達しておらず、かまで焼くものといえば茶碗や皿などの日常品で、伊賀焼が日本六古窯の一つに数えられる名品を作り出すのはこれより少し後のことである。
 わずか八里四方ばかりの伊賀の里は、東に鈴鹿、西に笠置、北に甲賀を境とした山々に囲まれた小国だった。しかもその国に入るには七〇もの険しいとりでを通過しなければならず、いわば国自体が城塞ともいえた。その中に、二人の故郷である伊賀上野はあった。
 いずれ忍びの者として、どこかの武将に雇われて諜報業務を仕事とするはずだった小太郎は、その地でうぐいすの鳴き声を聞き、かわずを追いかけ、野山に実る木の実を喰っては、雪が降れば忍び道具を作ったり手入れをしたり、忍術を身につける以外は、一般の農民と同じ生活を送るごく平凡な幼少期を送った。一方末蔵の方はもっぱら焼き物に夢中で、近年上層階級で流行の茶の湯などに心酔しては、自分の作る壺や椀の研究を重ねていたが、性格は対照的な二人はなぜかよく気が合い、暇を見つけては野山をかけめぐって遊んだものだった。
 古くから中央権力の支配を受けず、小さな豪族たちの集合体によってゆるやかな政治的な結びつきをなしていた伊賀の里には、『伊賀惣国そうこく一揆掟書おきてがき』という約定があり、一種独特な風気が存在していた。伊賀に忍術という諜報能力にすぐれた人材を輩出してきたのも、そうした地域性や政治のしくみがあったからだが、この土地の人間は、本職に加えて自分の得意な能力を磨くことを怠らなかった。例えば視力が優れた者や聴力が優れた者など、諜報工作に必要となればその能力が買われ、伊賀者同士の協力体制ができあがっていたのである。末蔵などは良い例で、彼はいっぱしの忍術などまるでできなかったが、声色こわいろという誰にも真似できない特技を持っていた。動物や鳥や虫の鳴き声はもちろん、薬売りの佐吉とか猟師の権三やら染物屋の孫六とか、身近な男のものまねは端から、女では女郎の梅桜とか金物屋のおかみさんとか、老若男女を問わず声や音の出るものならあらゆるものをそっくり真似た。その特技が実の父親である百地三太夫の目に留まり、彼の家では末蔵だけが百地姓を名乗ることを許されていた。
 話が飛んだが、いわば戦国時代においては伊賀全体が諜報機関の人材派遣的役割をなしており、服部家や百地家や藤林家といった上忍が仲介となって、全国の大名や諜報を必要とする組織に伊賀者を派遣するようなことを生業なりわいとしていたのである。
 ところが今から六年前にその悲劇は起こった。小太郎十二歳、末蔵十四歳の秋のこと。いわゆる後に天正伊賀の乱と呼ばれる事件である。
 その発端は天正七年(一五七九)にまでさかのぼる。
 破竹の勢いで近隣諸国を征服していく信長の世にあって、伊賀はその勢力に従うことなく、国主というものを持たない独立国家ともいうべき特異な自治共和制を保っていた。当時それを面白く思わない信長の次男織田信雄は、伊賀隣国の伊勢を支配していたが、その信雄と密通していたのが伊賀衆の下山甲斐という男である。
 「ただいま伊賀の結束が衰え出しております。落とすなら今かと……。それがし道案内をつとめましょう」
 と、その言葉を真に受けた信雄は九月、信長に無断で一万近くの兵を引き連れ、伊賀への侵攻を開始したのであった。
 ところが土地勘もあり従来からゲリラ的戦法をお家芸としていた伊賀忍び軍勢は、夜の暗闇に紛れてわずかな勢力でそれを粉砕し、たった数日のうちに信雄の侵略を抑え込んでしまったのだった。
 このとき戦略会議を部屋の廊下で眺めていた小太郎は、あざやかに作戦の指揮を執る百地三太夫の姿をはじめて見た。別称丹波守たんばのかみ正西まさゆきなるこの人物は、どこか人目のつかないところに隠棲していたのか、あるいは日ごろから何かに扮して人衆に紛れていたか、生涯ほとんどその姿を人前に現さなかったと言う。小太郎の隣にいた実の子であるはずの末蔵でさえ、実際それが父との初対面だった。
 「お主の親父殿はすごいのう!流石さすがじゃ!」
 小太郎は興奮気味に末蔵の肩を叩いたが、一方で三太夫の傍らで片腕となって働く父甲山太郎次郎を、神を崇めるがごとく誇らしく思っていた。
 その戦いで生き残った信雄勢は当初の半分以下の四千程度だったと言われる。無残な敗報を受けた信長は激怒した。これがいわゆる第一次天正伊賀の乱である。そして信長は伊賀に対して激しい憎悪を燃やしたのだった。
 それ以後小太郎は、父甲山太郎次郎になろうと、また、百地三太夫になろうと、それまで以上に忍びの技を磨いていたが、悲劇はちょうどその二年後に起こったのだった。信長が総勢四万四千という大軍を率いて大津波のごとく伊賀に攻め込んできたのである。これが第二次天正伊賀の乱である。
 当時の伊賀の人口が老若男女あわせておよそ十万というからには、とても相手にできる数ではない。そのうえ織田勢は、前回の苦い教訓から伊賀に内応者を作り、内部の詳細な情報を得ていたのに加え、軍には鉄砲隊や砲隊まで備えていたというから、いっぱしの有力大名相手に戦を挑む周到さである。
 対して伊賀勢は、戦闘要員が五千程度だったと言われている。多勢に無勢、これではいくら忍びの達人だったにせよ、歯が立つ相手ではなかった。伊賀は四方より攻められて、織田軍の徹底した焦土作戦と兵糧攻めに苦しめられた。しかも、夜も昼のごとき松明たいまつを焚き続けたものだから、闇を味方につける忍者の術も、その動きも身を潜める場所もすべて封じ込められてしまったのだった。
 信長軍は比叡山延暦寺で行った放火、破壊、殺戮を、この伊賀でも行った。それでも伊賀勢は女子供も武装して、必死に応戦して耐えたが、わずか半月という歳月を持ちこたえるのがやっとだった。
 そして小太郎の故郷、伊賀は滅んだ。
 父も百地三太夫も死んだ。
 更にまだ若かった母も、信長軍の荒くれ足軽に犯されて殺された。
 小太郎は、目の前の現実を理解できないまま、そこかしこに煙を吹く荒野を必死で逃げた。途中、欠けた焼き物を手にして呆然と立ち尽くす末蔵をみつけた。
 「末蔵、ゆこう!」
 「どこへじゃ?」
 「どこへでもじゃ!」
 小太郎は末蔵の手を引っぱって走り続けたのだった。
 この戦で信長に寝返った伊賀者もいる。また生き残った伊賀者たちも全国各地に散り々々になった。以来伊賀者は集団で行動するより、単独で行動する一匹狼的な忍びとして腕を売り、力ある武将に仕官するようになったのである。
 「旦那、頼みましたぜ」
 一揆を主導する若い農民が小太郎のところへ来て言った。
 「ああ、任せておけ!じゃが約束を忘れるな!」
 「へえ、十人斬ったら金一枚、二十人斬ったら金二枚……」
 「百人斬ったら?」
 「金十枚でございます」
 「お主ら百姓にそんな金があるのか?」
 「なあに、あのお屋敷さえ制圧すれば、二十枚だろうが百枚だろうが金庫に隠し持っているに決まってます。そしたら即、耳をそろえて払いますよ。いままで俺たちからさんざん搾り取ったんだ。とにかくばっさばっさってください」
 忍びは暗闇でも目が効く。小太郎はその表情に嘘がないことを読み取った。やがて一揆の主導者は興奮しきった士気を眉間に表すと、いよいよ「討ち入りだ!」と言わんばかりに農民の集団の中に紛れていった。
 「どうも気が乗らんなあ……」と、小太郎は再び鼻くそをほじった。
 「すまんのう……」と、末蔵はいま一度謝った。
 そして中途半端な形をした月が雲に隠れたとき、「行くぞ!」という大きな声があがった。すると、草むらに身を潜めていた百名ほどの農具を握った痩せ男たちが立ち上がったかと思うと、まるで獣のように一斉に屋敷に向かって走り出した。
 「小太郎、ゆくぞ!」
 腹を決めた末蔵も、それに従って草むらを半歩飛び出した。が、肝心の小太郎は屋敷とは反対方向へ向かって走り出していた。
 「小太郎、どこへゆく!屋敷はあっちじゃ!」
 「やめた!」
 「なにを申す!」
 「こんなくだらんお遊びに付き合うのはやめた!」と、小太郎はそのまま走っていく。
 「おい、待て!小太郎!」
 末蔵も小太郎の後を追うしかない。その後の農民一揆の顛末てんまつは知る由もない。暗い木枯らしの中、二人は行く宛てもなく走り続けていた。
 「俺はもっと大きなことをしたい!」
 走りながら小太郎は叫んだ。
 「大きなこととは何じゃ!」
 「わからん!だが、国を動かすもっと大きなことじゃ!」
 小太郎が乞うまでもなく、彼らを巻き込む風雲がすぐそこまで来ていたことは、この目的のない若い二人はまだ知らない。