> 真田石と尼ヶ淵(あま が ふち)
真田石と尼ヶ淵(あま が ふち)
城郭拾集物語D 長野上田城
上田城
真田石
尼ヶ淵



 上田城はかつて尼ヶ淵城とも呼ばれた。
 当時、城の南側には日本一長い川として知られる千曲川が流れており、河岸段丘の深い淵になっていた。ゆえに南からの敵の侵入を阻み、北は標高一、一六四メートルの太郎山、西に矢出沢川を引き込んでしまえば、唯一攻め口となるのが東側で、ところが東にも蛭沢川が流れていたりぬかるみの湿地帯が広がっていたりで、この地の利を活かした築城地選びは、戦国一の策略師といって過言でない真田昌幸にして難攻不落と言ってよいだろう。現にたった数千の兵力で、一万という徳川軍を相手に一度ならずも二度までも撃退せしめた史実は、その堅固さを如実に物語る。
 上田城が築城されたのは天正十一年(一五八三)──。
 かつては武田信玄の重臣だった真田昌幸も、武田家が滅亡してからというもの、越後の上杉、相模の北条、三河の徳川といった三強に睨まれながら、いっときは西から勢力を伸ばしてきた織田信長の臣下滝川一益に従って真田家存続の道を模索する。ところが本能寺で信長が死ぬと、その苦悶は一層深まった。わずか数万石足らずの大名が、激しい戦国の世を生き抜くのは至難のわざでない。
 最初昌幸は、滝川一益を破った北条氏につき、かつての所領だった上野国の沼田城や岩櫃城を取り戻すが、徳川家康の誘いに応じて北条を裏切ると、激怒した北条氏政は真田領を侵攻しようと動き出す。もとを正せば沼田城も岩櫃城も、武田家の家臣だった昌幸が、北条氏との戦いに勝利して獲得した紛れもない自領なのだ。
 昌幸は家康に言った。
 「私めは我が領地が惜しくて言っているのではありません。東の北条、北の上杉──、いま徳川様にとって重要なのは、信濃国の攻防にありと思いまするがいかに? いわんや小県を抑えておくことが今後の戦局に大きく左右すると心得ます。ところがあの辺りは細かな豪族が小さな勢力争いを繰り返す土地柄。ここはひとつ上田あたりに城を築き、この私めに小県一帯の統治をお任せ下さい。さすればこの安房守昌幸、身命を賭して家康様のお役に立ちましょう!」
 真田家も元は小県の豪族の一つに違いなく、徳川もこの時は北条や上杉の勢力を押えるほどの力は持っていない。徳川にとっても悪い話ではなく、家康は策士として名の通る昌幸の顔を、疑いの目でじっと見つめた。
 「小賢しい奴め。裏切ったらどうなるか分かっておろうな?」
 「無論。つきましてはひとつご相談がございます。城の普請費用を工面してもらえませぬか?」
 家康は俄かに笑い出した。取るに足らない小国大名のくせに、ズケズケと物申す態度を小気味よく思ったのだ。
 「念を押して申しておくが、もし徳川を裏切ったら、我が兵の全てを差し向け、真田など殲滅するに一日もいらぬぞ」
 「承知してございます」
 こうして昌幸は、上田城建設にかかる費用を、家康から引き出すことに成功したのであった。
 ──近年の研究では、上田城はもともと徳川の城としてこの地にあり、後に昌幸に下賜されたとする説も浮上してきたようだが、上杉景勝の書状に「真田が築城……云々」とあることや、様々な伝承が示すとおり、本編は通説に基づくことにする。



 果たして天正十一年(一五八三)春、上田城の建設が始まった。
 ところが昌幸には家康に従う気など端からない。そもそも徳川とは武田家滅亡の引き金ともなった長篠の合戦以来の宿敵なのだ。武田信玄の忠臣だった彼の信濃武士たる血潮がそれを許すわけがない。なれば家康と一戦交えて戦場の土になることもできたが、それでは亡き信玄の威信を継承する者がなくなってしまう。かといって上杉に味方するかといえば、それもまた川中島の合戦以来の宿敵で、彼に残された道があるとすれば、どのような手段を使おうとも自らが割拠し、信玄の無念を抱いて生きていくより仕方ない。表裏比興の者≠ニいうレッテルを貼られてしまうのも、ある意味仕方のないことだった。
 それにしたって戦国時代を生き抜くに彼の兵力は少なすぎた。それを埋め合わすためには、持って生まれた策略の才をめぐらし、忍びの者を駆使してせいぜい勢力争いの荒波をかわしていくのが精一杯。しかし彼には諦めきれない亡き信玄の夢がある。
 「時は必ずめぐってくる。そしてその時こそ天下を狙う時なのだ」
 そう信ずるのであった。
 とまれ今はまず、小県周辺の小さな豪族たちを取りまとめ、上田城を完成させることが先決なのだ。
 千曲川の深淵、伊勢山を利用して築こうとしている城の追手門は、上杉からの攻撃を想定して北側にせよとは徳川との内約である。ところが昌幸は、
 「東側にせよ」
 と、対徳川との戦闘意思をあらわにした。言い訳は簡単である──「北には太郎山があり、追手門を北に向けても意味がない」であった。そもそもこの上田の地理自体、対徳川戦に有利な地形をしていたとも言える。
 昌幸は城の西側の守りを堅固にするため、矢出沢川の水を引く治水工事に取り掛かると、同時に石垣を作り始めた。
 使用する石は、太郎山より採掘した緑色凝灰岩。英語でグリーンタフと呼ばれるこの石は、石材としては比較的やわらかくて軽いことから、風化されやすく細かい細工には向いていないが、石垣に使うには申し分ない。昌幸は、家康から調達した資金を惜しげもなくばらまいて、周辺村々の男たちを雇い、どんどん石を運ばせた。
 更に、周辺の郷士たちを従わせるためには、とにかく追手門の石垣に巨大な石を用いる必要があった。当時、石垣の巨石は権威の印でもあったからである。
 「皆の者、よく聞け! 城というのは絶対に落ちてはならん。信玄公は人は城、人は石垣、人は堀≠カゃと申しておった。故にわしを助ける者たちは、まさにわしにとって城であり、石垣であり、堀である。この心の結束が崩れたとき、わしもお前たちも生きる道を失うだろう。真田の紋は三途の川の渡し銭。死ぬときは共に死のうと言う者だけこの城の普請を手伝うがよい」
 最初は金に釣られて集められた土地の男たちも、昌幸のほとばしる覇気に触れて大きな雄叫びを挙げた。
 「そして──」
 と昌幸は続ける。
 「城の土台はなんといっても石垣じゃ。難攻不落の城を築くには絶対に崩れぬ石垣を作らねばならぬ。そして石垣には要となる柱石が必要じゃ。幾万人の力をもってしても動かない巨石を太郎山より切り出して、そいつを柱石に据えようと考えておる。今日よりは村々で競い合い、一番大きな石を城に運び込んだ者には褒美をとらせるから心してかかれ!」
 再び男たちは雄叫びを挙げた。
 石垣運搬の指示を出した昌幸は、次に深い井戸掘りに着手した。それも普通の井戸でなく、いわゆる掘抜き井戸≠ニいうものである。通常の浅い井戸はつるべなどを用いて水を汲み上げるが、掘抜き井戸というのは地下水を通さない不透水層下まで深く掘り下げ、滞水層に達した穴は、水圧と水量の関係で自噴する原理を用いた方式の井戸である。この当時にしては非常に珍しく、後にこの井戸は真田井戸≠ニ呼ばれる。
 そればかりでない。昌幸の智略は井戸をただの井戸だけで終わらせない。万一、城が敵に包囲された用心に、外に通ずる穴を掘るのだ。それは太郎山の麓にある虚空蔵や、牛伏、矢島、花古屋、荒城といった砦に通じ、それらと自由に交通ができる秘密の抜け道である。
 真田昌幸という男の恐ろしさは、大局の掌握から細部に至るまで、抜け目のない洞察力で、更には状況をとりまく人の関係性や感情といった機微も含めて、想定し得るあらゆる事象を研究し尽くし、どこまでも綿密に練られたその計画性と実行力にこそある。後にその全てを継承した真田幸村は、かの徳川家康にして日ノ本一の兵≠ニまで言わしめる武将へと成長していく。
 そんな戦略的な機能を持たせたかと思えば、城の周りに桜を植えて、領民に対する配慮も忘れない。春になれば満開と花が咲きほこり、そこは庶民の憩いの場となる。

 御門の脇の御桜、黄金花が咲いたとなァ
 まわりまわり三つの廓を遅くまわりて、出場に迷うな。
 まわり来て、これのお庭を詠むれば、黄金小草が足にからまる。
 まわり来て、これのお庭を詠むれば、いつも絶えせぬ槍が五万本。
 科木かつげ、いつまでかつがに、いざやおろせ小ざさら。
 五万本の五万本の槍をかつがせおすなば、安房や上総はこれの御知行。
 追手の追手の四つの柱はしろがねで、中は黄金で町が輝く。

 普請事業はまるでお祭り騒ぎ。地固めの祝いだと言って、常田衆が笛や太鼓や鉦を打ち鳴らして獅子舞踊りを披露すれば、負けじと房山衆がしゃしゃり出て、

 御門の傍の御桜、黄金花が咲いたよな。
 玉のすだれを巻きあげし、参りささらをお目にかけましょ。
 参り来て、これのお庭を眺むれば、黄金小草が足にからまる。
 参り来て、これの御門を眺むれば、御門扉のせみやからかね。
 しいなげ(科木)かつげよ。
 いつまでかつがに、いざやおろせよ。
 参り来て、これの御厩眺むれば、いつも絶えせぬ駒が千疋。
 ながむれば、雨が降るげで雲が立つ、お暇申して戻れ小ざさら。

 と房山獅子を踊り出す。これは上田獅子踊の発祥で、これより以降四百年以上続く伝承芸能となっていく。



 太郎山でついに巨大な石が出た。
 その大きさ畳八畳──。
 「こいつを城に運べば褒美がもらえるぞ!」
 と村々の人夫たちは意気込むが、見つけたはいいがまったく動かず、ほとほと困り果ててしまった。
 その報告を受けた昌幸は歓喜の声を挙げ、
 「なんとしても城まで運び込み、石垣の柱石にせよ」
 と聞かない。
 数日経って「まだ動きませぬ」と家臣が告げると、昌幸は俄かにこう言った。
 「この小県で一番の美女を見つけ出せ」
 「一番の美女……? どうするおつもりで?」
 「その巨石の上に乗せて運ばせるのだ。女を見ながら運搬すれば人夫どもの志気も挙がり、力も発揮できるというものじゃ」
 「なるほど──」
 昌幸の智略は更に重なり、
 「運び入れた者には褒美をとらそう。指揮した人夫にその娘を嫁にやると触れを出せ。男どもは血眼になるに相違あるまい」
 と小さくほくそ笑む。
 こうして家臣たちは、小県で一番美しい娘を探すことになった。

 上田城の東、神科に、山口村という小さな村があった。
 そこの郷士に手塚という家があり、唐糸という名のそれはそれは美しい乙女があった。
 髪は烏の濡れ羽色、その楚々とした容姿は羞月閉花、いずれ菖蒲か杜若と、村の男たちを虜にする怪しいほどの美しさを持っていた。
 その弟に治助というまだ少年がおり、唐糸はたいそう可愛がった。
 「お前はきっとこの村周辺をまとめる優れた武士になる」
 と、治助を膝に乗せ、源満仲や義経の武勇伝を語って聞かせていたものだ。
 そんな唐糸に人一倍思いを寄せる男は、幼馴染みの名を太郎と言って、家が近所であったため、生まれてからの顔見知りであるが、村の小さな農家を手伝う作男の長男だったので身分の違いは歴然としていて、貧乏暮らしが染みついた身なりの上、幼い頃はいつも鼻を垂らしてそれを「うめえ」と言いながら舐めていたから、同じ年頃の仲間たちから「きたない、きたない」と忌み嫌われる存在だった。その気持ちは唐糸も同様だったが、太郎の方は彼女にいたく執心で、それが叶わぬ思いと知りつつも、その気を引こうと辺りに落ちている木材で、不器用な手つきで簪や櫛を作っては贈っていたが、いずれも唐糸にとっては汚いガラクタなので、見えない所で捨てていた。それでもそんなつたない贈り物の中でも、翌檜の枝で作られた簪は、見れば見るほど仏様の姿に見えてきて、そればかりはどうしても捨てられずに、お守りとして懐にしまい持つようになった。
 そんな太郎も今はがたいも優れ、土木工事の仕事に駆り出されては、自慢の怪力で周囲を驚かす働きをするような青年に成長していた。

 昌幸が築城を始める一年ほど前のある日のこと──。
 唐糸の家に一人の凛々しい若者がやって来た。
 松代の豪農の家に奉公する三郎太という名の気の良い男で、昨年採れた米を大旦那の親戚だった手塚家に届けるため、言いつけにより埴科の松代から小県の山口村まで荷車を引いて歩いて来たというわけだった。
 「せっかく松代からこんなところにまで来たのだから、今晩は泊まっていきなさい。さしてもてなしもできないが」
 と、その言葉に甘えることにした三郎太は、その晩出された夕餉の席で、目を見張るような輝きを放つ唐糸と出会ったのである。三郎太は一目で恋に落ちた。
 豪農の奉公人といっても、松代では少しは名の知れた屋号を持つ農家だったから、その身なりはキリリとし、その顔には前途洋々とした希望が宿っていた。無論そんな凛々しい男は山口村にいるはずもなく、唐糸もポッと頬を赤らめ俯いた。
 その晩はそれだけだったが、翌日になり、三郎太があてがわれた部屋で帰り仕度をしていると、襖が開いて唐糸が入って小さな包みを手渡した。
 「おむすびを作りました。道中お召し上がりください」
 「かたじけない」と受け取った手と手が触れて、二人は照れくさそうに互いの手を引っ込めた。はにかむ唐糸は、聞こうか聞くまいか迷った末に、聞かなかった時の後悔を思って、
 「松代は遠いのでしょ?」
 と、その言葉をやっと口にした。
 「重い荷も下ろしましたし、空の荷車を引いて帰るだけですから、日暮れ時には着きましょう」
 「次はいつ来られますか?」
 「さて? こればかりは私の大旦那様と唐糸さんのお父上様とのご相談ですので……」
 「もうお会いできないなんて言わないで下さい。もしそうなら、私、明日にでも松代へ参ります」
 唐糸の心に灯った恋の炎は、このときめらめらと燃え上がったのだった。三郎太は閉口しながら、照れた顔を真っ赤にして笑い出す。
 「ここからですと、北国街道を北に矢代から松代街道へ進んで七、八里、女の足で行くにはさすがに無理でございましょう」
 釣れない言葉に悲しげな表情を浮かべた唐糸は、幼少より野山を駆け巡って遊んだ体力と健脚には多少の自信があった。
 「山々の嶺を伝って行けば、松代はもっと近いはずでございます。三郎太さんの大旦那様は松代のどこにお屋敷を構えておいでです? きっと伺いましょう」
 三郎太は冗談に受け取めて、
 「海津のお城の近くですが……あまりご無理をなさらないで下さいね」
 それきり唐糸と別れて帰って行った。



 恋の情念とはいったいどこから湧いて出るものか?
 唐糸の三郎太への思いは日に日に募り、寝ても覚めても彼の凛々しい姿ばかりが脳裏に浮かぶ。そして、あの日別れた時から七つ目の夕陽を数えたとき、夕餉の米で突然おむすびを握りはじめた彼女は、矢も楯もたまらずついに家を飛び出した。
 「これ唐糸、どこへいく!」
 母の驚いた声に見送られ向かった先は太郎山。その頂き目指して駆け上がった彼女は、そのまま尾根を伝って大峯山へと向かい、次いで五里ヶ峯、鏡台山、妻女山と、ふた刻あまりでようやく松代にたどり着いたのだった。
 夜の帳が下りた松代の町は閑散としていたが、それまで山中を駆けて来た心細さに比べたらどうということもない。ときおり響く犬の声には驚くが、海津城近くの豪農の家といえば見つけるのに雑作もなく、たどりつけば蔵の中へ俵を運び終えたばかりの愛しい男の姿を見つけた。
 「三郎太さん!」
 声に振りむいた三郎太は、突然現れた唐糸の姿に驚き、信じられない表情を浮かべたまま近寄って、山中を走って飛んだのであろう白い頬に付いた黒い泥を、腰の手拭いで拭き取ってやった。
 「こんな夜更けに、いったいどうしたわけですか?」
 「言ったでしょ? 松代へ参りますと……」
 「それにしたって──」
 俄かに三郎太にも彼女と同じ恋心がときめき、いっそう美しく煌めいた唐糸の表情を見つめて、思わぬ恋愛の情の目覚めに戸惑った。
 「はい、これ──お土産……」
 と手渡したのは、唐糸が家を飛び出す際に拵えたおむすびで、受け取ったそれはまだ温かく、口に含めば米というより餅に近い御馳走だった。
 それからというもの、唐糸は毎晩のように山々の峰を越えて、三郎太の許へ通うようになった。そしていつでも「お土産に」と言って、米だか餅だか分からない温かなおむすびを渡すのである。
 すっかり相思の仲となり、恋に酔いしれ夜のわずかな時間を過ごす二人だったが、ある日三郎太は、人里に現われ男を騙す女狐の話を耳にした。
 「小県の方へ行ったとき聞いたのだが、最近、それはそれはものすごい別嬪に姿を変えた女狐が出るらしい。一目見た男はいちころさ。やがて所帯を持とうと言い出すわけだが、その娘を嫁にとった男は、山に入ったまま二度と再び生きて戻ることはないということだ」
 そんな根も葉もない噂を流したのは誰あろう太郎だった。彼は、毎晩のように家を飛び出し、松代の男の所へ通う唐糸の事を誰よりも心配し、また、三郎太という男に激しい嫉妬の炎を燃やしていたのだ。
 そんな企みを気のいい三郎太は知る由もなく、噂を聞いたその脳裏に、唐糸の美しい姿がよぎったのは必然だった。
 思えば、三郎太にとって唐糸の出現はあまりに唐突すぎる。
 「上田から松代までの遠い道のりを、暗い山中峰を越え、しかも毎晩のように、どうして女の足で来れようものか? それに会うたびに渡される餅米のおむすびは、いつも作ってまだ間もないように温かい。彼女は家を出る時つくるのだと言うが、それならば向かう道中にすっかり冷めてしまうのが当然だろう。いったいあの餅のおむすびは、どこから求めて来るのだろう──?」
 そう考えたら、ひょっとしたら唐糸は女狐ではないかと疑うようになった。
 三郎太は、唐糸にその仔細を尋ねたが、彼女は恥ずかしげにこう答えるのだった。
 「あなたに会いたいと思う私の一念を、怖ろしいと思うのも無理はありません。でも、毎晩あなたに差し上げるこのおむすびは、決して他人が拵えたものではありませんよ。私が家を出る前に、両手に白米を掴んだのを一生懸命握って来ますから、温かいのは私の身体の熱でございます。それに通って来る間にいつのまにか餅になっているのです」
 うまい言い訳もあったものだと思ったが、不審に感じ出したら三郎太の疑心は深まるばかり。第一、豪農の一奉公人にすぎないただ若いだけの自分に、これほど美しい郷士の娘が心を寄せる道理がない。その言葉は返って巧みな騙し文句と変じ、唐糸に対して抱いた不気味さは、彼女を女狐だと決めつけた。
 とはいえ、一方ではそうではないと思いたい自分もいて、ある夜、ついに三郎太は、山中通う彼女を待って、その正体を突き止めてやることにした。もし本当に女狐であったなら断崖絶壁の上から突き落としてしまおうと、太郎山から大峯へと通ずる難所、刀刃と呼ばれる場所に身を潜め、唐糸が来るのを待ち伏せた。
 そうとは知らない唐糸が、いつものように胸をときめかせて刀刃に通りかかった時である。うっそうとした木々の茂みから三郎太が飛び出した。
 「やい女狐め! その正体を顕わしやがれ!」
 突然の出来事に驚いた唐糸は、信じられない三郎太の科白に愕然と肩を落とした。
 「私が女狐とはいったいどういうことでしょう?」
 「隠しても無駄だ! お前は私を婿にとり、殺してしまおうと考えているのだろう?」
 「なんてこと……」
 「だいたいお前のような美しい女が、この世の中に一人といるはずもない。その化けの皮をはがしてやる!」
 三郎太は唐糸に飛びつき、狐の尻尾を切ってやろうと身ぐるみはがして探してみたが、そんな尻尾などどこにもなく、やがて全裸の唐糸はその場に泣き崩れた。
 「おまえ……本当に人間なのか……?」
 自分のしたことが怖ろしくなった三郎太は、唐糸を置き去りにして逃げ出した。
 千仭の谷底に、女の慟哭がいつまでも聞こえた。
 戦国時代の女の恋は、命賭けの戦である──。
 たった一度でも破れた女は、生涯涙に暮れて過ごすか、比丘尼になるより仕方ない。
 唐糸は剃髪して仏門に入った。




 奈良の時代に建てられた上田の国分寺はもともと天台の寺である。
 国土安穏、万民豊楽を願い、文化興隆の拠点にするため、国府の置かれた上田に天平十三年(七四一)、聖武天皇の詔によって、釈迦が説いた大乗経典『金光明経』や『法華経』を安置し、かつては僧寺とならんで尼寺があった、当時全国的に創建された大事業の一つである。
 東側の金光明四天王護国之寺とする僧寺跡は、一〇〇間(約一七八メートル)四方の敷地に、南大門、中門、金堂、講堂、回廊、塔、僧房などの建物があったと推定され、その西側には法華減罪之寺とする国分尼寺があり、八〇間(約一四八メートル)四方の敷地には、僧寺と同様、南大門、中門、金堂、講堂、回廊と、そのほか経蔵、鐘楼、尼房、北門などがあった。
 ところが関東の平将門が勢力をのばしてくると、承平八年(九三九)の天慶の乱(平将門の乱)に巻き込まれ、上田の地を舞台とした戦で信濃国分寺は焼失した。以来、土地の庶民の手によって一段上の平地に現在残る寺が建てられ、その伝統を細々と受け継いでいたようだが、本格的な再建を見るのは鎌倉時代に入って源頼朝の登場を待ってからである。
 その際本尊も、釈迦から薬師如来へと変遷し、毎月八日に金光明最勝王経の読経が行なわれたことから『八日堂』とも呼ばれるようになった。
 徳川による第二次上田合戦の直前、西軍に組した真田昌幸と、東軍に従軍した真田信幸と本多忠政が、会見を果たしたのもこの場所での出来事である。
 筆者がなぜ天台の尼寺の話題を取り上げるかといえば、日本において、いったいいつから尼寺ができ、女性はいつから僧侶になれたかという問題に言及したいからだ。
 尼寺に関して言えば、日本最初の尼と言われる善信尼が住んだ桜井寺が日本最初のそれとされているが、これは寺でなく住居と言った方がよい。実質寺≠ニ呼べるのは、聖徳太子や行基が創建したとされるものがその最初であり、文献上はっきりしているのは、奈良時代に入って聖武天皇が建立した国分尼寺の法華寺を総本山としたところから始まる。つまり上田の国分寺もそのひとつである。
 この法華寺という名が問題で、なぜ最初の尼寺が法華≠ネのかという点を強調しておきたい。
 この問題を解くには、釈迦の説いた八万法蔵というおびただしい経典にまで遡らなければならない。そのあまりの膨大さのため、衆生を幸福へと導くための経典が、返って著しい混乱を招き、何が真実で何が方便なのか、後世の人々には理解できず、猫も杓子も釈迦の教え≠セと言って尊んできたところに現代の無明がある。
 ところがそれを学術的にはっきり立て分けたのが天台大師である。彼は中国の天台宗の開祖であり、日本の天台宗の開祖伝教大師(最澄)に多大な影響を与えた。
 その教義の一つに、釈迦の経典で救える衆生の数を、大きな船と小さな船に例え、『小乗経典』と『大乗経典』とに立て分けたことが挙げられる。そして『大乗経典』の中でも『法華経』こそが最高の経典であると位置づけた。というのは、八万法蔵の経典の中で、即身成仏≠竍悪人成仏≠ェ説かれているのは法華経だけであり、特に女性に関して言えば女人成仏≠ェ初めて説き明かされた画期的な経だったからである。確かに法華経が説かれる以前の経文では、あの釈迦にして女性は仏になれない存在と決定している。
 この、女性を救う唯一の経文である法華経を裏付けとして尼寺が誕生し、聖徳太子の飛鳥時代には、中国から渡った天台宗が隆盛を極め、やがて法華寺の命名にも所以してくる。更にこれよりわずか後、中国に渡った伝教大師(最澄)が帰国し、日本の天台宗は全国に広がり定着するのだ。
 ところがこの法華経自体、現実的にはありえない内容が記されるとして、その難信、難解、難入さから真意がとらえにくく、鎌倉時代に至って南無妙法蓮華経≠フ題目が生まれて、初めて民衆への広がりを見せることになるが、飛鳥時代当時はまだまだ機根が整っておらず、戒壇における女性の授戒を禁じていたために、女性は尼になることさえ許されず、せっかくできた国分尼寺をはじめとした尼寺も、徐々に衰退していくことになる。やがて時代が下って日本独自の律宗や禅宗が成立してくると、もともと仏教とはあまり関係のない彼らも、法華経に説かれた女人成仏≠自派の戒壇に取り入れて、女性の授戒を許すようになり、尼は再び公認のものとなっていく。
 とにかく日本における宗教というのは、そんなくそみそ一緒のでたらめな本尊、でたらめな教義に基づいて発展してきたという実態がある。

 「みつけましてございます!」
 昌幸の老臣春原惣左衛門がくぐもり声を挙げてやってきた。彼は最初、上田のある小県あたりの豪士海野棟綱に仕えていたが、天文十年(一五四一)の海野平の戦いで武田信虎らに敗れた後は、昌幸の父幸隆の代から真田家に仕える旧臣であり、上田あたりには知人も多く、情報を吸い上げるのにさほどの時間を必要としなかった。
 「見つけたって、なにを?」
 昌幸は大工の棟梁らと上田城内の細かな設計に忙しい。
 「美女でございます! ほれ、小県一の美女を見つけよと申されたではありませんか」
 「おお、その話か。美女といってもいろいろあるが、いったいどれほどの美女か?」
 惣左衛門は武田信玄の埋蔵金を見つけたような剣幕で続けた。
 「そりゃもう小県どころではありません。信長公の妹君お市の方様も相当の美女と聞いてございますが、それもおよばぬ日ノ本一の美女にございます」
 「そうか! ならばすぐに連れて参れ」
 「それが……」
 と、惣左衛門は言葉を詰まらせた。
 「どうした、申せ」
 「山口村の唐糸という女性なのですが、今は国分寺の尼となり、糸尼と名乗って仏門に入ってございます」
 「還俗させよ」
 「そうなのですが──剃髪して髪がございません。てっかてかのつんつるてん……でございます」
 黒髪は女の命というほどに、惣左衛門が禿げた自分の頭をおどけて撫でて見せたものだから、昌幸もそれに合わせて頭を撫でた。
 「ばっかもん! そんなもんかつらでもなんでも被せて連れて来い!」
 「はっ!」と惣左衛門は立ち上がり、そのまま八日堂国分寺へと馬を走らせた。

 こうして昌幸の前に姿を現した唐糸は、すっかり色気の抜けた素肌におしろいを塗られ、頬に紅さし眉を引き、剃髪した頭に花魁のようなかつらを被せて金銀色とりどりの笄をさし、十二単のような艶やかな着物を着せられ、最後に口に真っ赤な紅を乗せた御姿で、まるで小野小町の再来かと見まごうほどの美しさ。さすがの昌幸も唖然と見とれて、しばらくは最初の言葉がみつからない。やっとみつけて名を問えば、
 「糸尼と申します。とつぜん連れて来られて、いきなりかような格好をさせられ、上田にお城を築くお方とはいえ、これはいったいどうした了見でございましょう?」
 糸尼は憤慨を露わに喰いついた。その怒った顔もまた一興。
 「無礼を許せ。しかしてのっぴきならない事情があって、その方の力を是が非にもお貸し願いたい」
 昌幸は何のてらいもなく頭を下げる。そう下手に出られては、糸尼も怒りを抑えるしかなくなって、新たな城主となる人の願いならばと、聞くだけ聞いてやろうと耳を傾けた。
 昌幸は上田城の石垣に柱石となる巨大な石が欲しいこと、そして太郎山でその柱石に相応しい巨石が見つかったこと、更にその石が重くてどうにも動かせないことを伝えた後、
 「そなたのような美しい女に石の上に乗ってもらい、人夫たちの力を最大限に引き出したいのだ」
 と語った。
 「そのような事で石が動くのでしょうか?」
 「動く!」
 と、昌幸は声を張り上げた。人には未知の力が秘められており、普段は本来持っている力の数割しか出ていないというのが彼の確信だった。その火事場のくそ力を引き出すきっかけとなるのが、日常とかけ離れた状況を作り出すことで、汗にまみれた男くさい現場に、糸尼みたいな仏のような美女が現れることで非日常を生み出し、その姿を見た男たちは、自らも知らぬ本来の力を引き出すことができるのだと昌幸は言う。
 「怖れながら──、私は御仏に仕える身。この身は女のようであるけれど女でありません。しかもそのような男の煩悩を利用するような真似はできません」
 糸尼は丁重に断った。
 「何を言う。お前は女じゃ。どこからどう見ても女でないか。その女の身を離れて仏に仕えるなどまやかしじゃ。人はこの身が全てで、この身から離れたとき生きる意味を失うとわしゃ思う。わしゃ覚悟をもってこの上田に来た。そしてこの上田城はわしの生涯を懸けた難攻不落の城なのじゃ。例え何万何十万という敵が攻めて来ても、わしゃこの小県の民を守ってみせるぞ。ここから離れはせぬぞ!」
 昌幸の覚悟を見た糸尼は、自分がいかに甘いかを思い知らされた。仏が求めたのは一切衆生の幸福である。その御仏に仕える自分は、他人どころかたった一人の自分自身をも救えない。それに比べてこれから城主になろうとするこの男は、少なくとも小県の民を守ろうとしているのだ。
 「どうじゃ、このわしの言葉を信じて協力してもらえんかの?」
 「石の上に乗っているだけでよいのですね?」
 「そうじゃ。たまにニコリと笑ってくれればなおよいが」
 「わかりました──」
 こうして糸尼は、早速太郎山から出た巨石の上に、お雛様のように乗せられることになったのだった。
 糸尼が去ったあと、春原惣左衛門が心配そうに耳打ちをした。
 「城に運び入れた後、指揮した者の嫁になることをお話ししませんでしたが、よろしいのですか?」
 昌幸の答えは簡単だった。
 「今≠ェ大事だ。そのとき考えよう」
 惣左衛門は「そういうものか」と頷いた。



 小県の村々の男たちがざわめいた──。
 石の上に乗る姫のお披露目式が行われるということで、太郎山の巨石の周りに村の男たちの代表が集まっている。滋野村、大石村、縣村、田中村、海野町、上川村、国分町、赤坂町、神科村、上野村、山口村、塩尻村、高梨村、小牧村、青木村、沓掛村、盥田村、手塚村、前山村、別所村、下之郷、四阿村……これら村の名は定かでないが、集まった男たちは皆働き盛りの土木人夫で、将来自分の嫁になるかも知れない美しい姫の登場を待ち受けた。
 やがて昌幸が巨石の上に乗って声をはりあげた。
 「皆の者よく聞け! 小県一の、否、日ノ本一の美女を見つけて参った。梃子でも何でもどんな手を使ってもよいから、今日より村ごと相談して一致団結し、見事この石を城へ運び込んでみよ! この安房守昌幸には卑怯という言葉はない、どんな手でも使え。村対抗の運搬合戦じゃい! 決め事はただ一つ、毎日各村かわりばんこに同じ時間を与えるから、その間に少しでも石が動かなければ次の村に交代じゃ。順番を待つ村の者は、引き続き石垣の石運びを続けよ。その大きさや数も審査のうちだから、心してかかれ!」
 「おうっ!」
 と鬨の声が挙がった。
 「それでは姫を紹介しよう。糸姫じゃ!」
 昌幸の家臣たちに導かれ、巨石の上に姿を現した糸姫と紹介された女は、東天からの陽光に照らされて、観音様か吉祥天かとも思われるほどの神々しい光を放射しているように見えた。男たちの感嘆のどよめきが大地から湧き起こる。
 そのとき、山口村の男衆の中から「唐糸じゃないか?」という声がした。見れば、それは唐糸の幼馴染みの太郎で、尼になったはずの彼女の突然の登場に、かねてより抱いていた恋心が、そして自分の妻にできる絶好の機会到来に、夫婦となるのが使命にも似た確信となって紅蓮の炎と燃え上がった。
 その日、各村に戻った男たちは、早速談合を開いて巨石を動かす善後策を練る。太郎のいる山口村も例外でなく、
 「ぜひ俺に指揮を執らせてくれ!」
 と太郎が願い出たが、彼の彼女への思いを昔から知っている者たちは、自分のチャンスが奪われることを怖れて、
 「唐糸はもともとわが村の娘だ。この村におさまるのが道理であろう。他の村に嫁に取られるなどこの村の男にとっての屈辱だ。ここは独身の男たち全員に平等の機会を与えるため、唐糸の弟である治助に指揮を執ってもらい、彼女を郷士手塚家に取り戻そうではないか」
 という山口村人夫衆の長である男の提案に従うことになった。

 さて、翌日から各村々が順番に、巨石を動かす作業に取り掛かった。改めて見ると、それは巨石というより山の一部をなす岩である。その岩の上部に二枚の畳を敷き、更に直射日光を避ける日傘が立てられると、やがて艶やかな衣装に身を包んだ糸姫が、名匠が作った人形のように座った。
 村々の男たちはその美しさに生唾を飲み、女を己の妻にしようと、順番どおりに、村の男たちは何十人もの数で巨石を取り囲んで一斉に持ち上げようとしたり、あるいは別の村は大きな丸太を何本も持って来て梃子の原理で動かそうとしてみたり、中には呪術師を呼んで来て念力で動かそうとする村もあったが、いずれも巨石はピクリとも動かない。そのうち山口村の番がやって来た。
 指揮する治助は石の上に飛び乗り、
 「姉さん。お元気そうで……」
 と久しぶりの再会を喜んだ。
 「治助か? しばらく見ないうちに凛々しゅうなったなあ」
 「村に帰って来なよ。父も母も、みんな心待ちにしているよ」
 「すまぬが治助、唐糸はもう死んだのじゃ。それにこの石は動かぬ」
 唐糸の心には、俗世に対する僅かばかりの未練が残っていたのかも知れない。その言葉の裏には、心のどこかで、石が動くのを期待していることを教えていた。
 「そんなこと、やってみなきゃ分からないよ。僕がきっと動かしてみせる」
 唐糸は、立派に成長した治助に手柄を立てさせてやりたいと思った。
 「村の衆! 満腔に力を込めよ! せーのっ!」
 治助の掛け声にあわせて、石の周りにたむろった五、六十人の男たちの声が一斉に挙がった。上半身裸の太郎の全身からも、筋肉の収縮に絞り出される如くに汗が吹き出した。
 「いま一度! せーのぉ!」
 そのとき、巨大な岩がほんの僅かばかり動いた気がした。
 「いけるぞ! せーのぉぉ!」
 ……しかしそれきり、石は微動だにすることなく、山口村の持ち時間も終わってしまった。
 次に順番が回ってきたのは十日ほど後のことである。
 前回同様、治助が指揮を執って動かそうとしたが、やはり石は大地という皮膚にできた硬いできもので、例えば巨大な釈迦の体に、いくらこすったり引っ張ったりしても、その神通力を使ってさえ取れないイボの如くに、石は男たちの熱気をあざ笑うかのように、涼しげな風に吹かれているのだった。
 「こりゃダメだ……。あきらめるしかない……」
 誰もがそう思った時、
 「治助、替われ」
 岩の上にひらりと飛び乗り、采配を奪い取ったのは太郎だった。太郎は唐糸に目をやると、
 「わしじゃ、太郎じゃ、覚えておろう。尼などやめて村に帰って来い。そしてわしの妻になれ」
 唐糸はチラリと彼に目を移しただけだったが、大きく息を吸い込んだ太郎は、天にまで響く雄叫びを挙げた。
 「せーぃのぉぉぉぉ!」
 すると、
 …………ゴゴゴゴゴッ!
 あろうことか、巨大な岩が音を立てたと思うと、大地からうなり声をとどろかせ、一寸、二寸、三寸と、少しずつ、ほんの少しずつずっていき、ついに大爆発を起こしたような音を挙げて、ズドン! と転げて、うまい具合に修羅≠フ上に乗ったのだった。修羅≠ニいうのは、木々を組んで造ったソリのようなものである。
 そのときの不気味な轟音は、遥か一里近く離れた上田城にまで聞こえ、昌幸は、「ついに動いたか?」と立ち上がった。
 勢いに振り落とされそうになった唐糸の体を抱いて、太郎は地面に飛び降りた。
 暫くは呆然と見守っていた観衆たちから、やがて拍手喝采のエールが湧いた。
 修羅の上にさえ乗ってしまえば、あとは岩の周りに綱を巻き、ありったけの男たちの力で引っ張れば、下に敷いた丸太が車輪代わりとなって、巨石が城に運ばれるのも、もはや時間の問題となった。
 再び石の上に乗せられた糸姫の隣で、総指揮官となった太郎は、子供の頃より愛した女を嫁にできる悦びに満ち、天にも舞い上がる気持ちで采配を振っている。
 太郎は小県の英雄になった。



 本丸の東虎口櫓門の右手側に、柱石を据えて作られた石垣の完成を祝って、昌幸は盛大な宴を催した。
 その席に呼ばれた太郎は、昌幸の隣に座る唐糸の姿を、夢見心地の心境で惚れ惚れと見とれていた。今これより城主昌幸の口から、糸姫の夫となる男の紹介がされると思うと、鼓動は高鳴り、あふれる歓びが脳裏を支配して、その興奮は、あれほど恋焦がれて夢にまで見た唐糸との甘い生活さえ、深い霧に包んで全く想像できない。
 やがて昌幸から労いの詞が発せられ、柱石を『真田石』と命名する旨が発表されると、同席の者達に酒が振る舞われた。そして昌幸は「太郎よ」と呼びかけ、
 「こたびの真田石運搬は、お前の手柄である」
 と最大に讃えた。惜しみない拍手に包まれて、宴の花となった太郎だが、いつまで経っても唐糸と夫婦になる話が公表されない。やがて、しびれを切らせて、
 「ちとお尋ねしたき儀がござる!」
 酔いに任せて立ちあがった。
 「先ほどから殿のお隣には眩いばかりの姫が座ってございますが、彼女はもとを正せば山口村の唐糸と申す郷士の娘で、私とは幼き頃よりの馴染みでございます。確か殿は申されました。石を運んだ者にこの姫を下さると。お触れも出ました。この女は、わたくし太郎のものだ≠ニ、いったいいつまでもったいぶって言わずにいるおつもりですか」
 「おお、そのことか」
 昌幸は思い出したように言った。
 「実は糸姫が拒んでおるのじゃ」
 太郎はカチンと頭に血をのぼらせた。
 「城主ともあろうお方がお約束を違えるのでございますか!」
 「口を慎め!」と、家臣たちが立ちあがり、太郎は唐糸の顔をじっと睨んだ。
 「唐糸……、俺の嫁になるのがイヤか?」
 唐糸は何も言わずに俯いた。
 「そんなに俺が嫌いか?」
 「そうではありません……」
 彼女の瞳はどこか虚ろで、太郎の怒りをことごとく吸い込んでしまうような悲しい夜空の天の川の色をしていた。
 「ではなんじゃ? 俺が納得するように答えてみろ」
 唐糸は暫く考えてこう言った。
 「太郎さんも知っているでしょうが、私は仏門に入りました。今は御仏に仕える身です。あなたと夫婦になることはできません」
 「なれば何故こたびの話を受けたのだ?」
 「お殿様の、小県の民を守ろうとするお心に触れたからです。私もそのお役に立ちたいと思いました」
 「そのお役目は、石を運んだ者の妻になることだぞ」
 唐糸は黙って昌幸の横顔を見た。
 「まあそう糸姫を責めるでない。嫁にするという話はわしが最初から伏せていたのじゃ。断られると思ったからなあ」
 と昌幸は「駆け引きだ」と言わんばかりに笑った。
 「謀ったな!」
 今にも昌幸に飛びつきそうな太郎を家臣たちが取り押さえた。昌幸は糸姫にむかって静かに言った。
 「のう糸姫よ、太郎は短気だが秘めた力のある悪い男でない。還俗して嫁になったらどうか?」
 「もし今のお言葉が城主様のものならば、私にはもはやこの土地で生きる住処はありません。御仏の許へ参ります──」
 糸姫は被っていた結髪のかつらをおもむろにはずした。すると、それまで華やかだった宴の席が、またたくまに法事の席へと一転してしまった。
 唐糸はゆっくり立ち上がり部屋を出た。
 「どこへゆくのだ?」
 昌幸は、太郎を家臣たちの手から解き放って後を追わせた。

 上田城内の館を出た唐糸は、夜風に吹かれながら川の流れの音のする方へと歩いて行った。その後ろを同じ速度で太郎が歩く。城の南側は絶壁になっており、下を流れる千曲川の大きな支流は、視界の利かない夜は深さもわからぬ闇の谷底──。
 崖の際に立った唐糸は振り向いて、懐から一本の汚らしい簪を取り出し太郎にかざして見せた。雲間から十五夜の月が顔を出し、降り注ぐ月明かりが闇の中に二人の姿を浮かびあがらせた。
 「これ、覚えてる?」
 それは、いつだったか太郎が唐糸のためにと翌檜の木で拵えた簪である。
 「私、あなたからいろいろな物をもらったけれど、全部捨てていたのよ。でもこれだけは捨てれなかった──、この形がなんだか仏様に見えたから……お守りにしていたの。でももう必要なくなったので川に投げてしまおうと思うのですが、もし、あなたが欲しいと言うのならお返しします」
 太郎は唐糸の簪を手に取って、いつ作った物だか思い出そうとしたが、幼い頃の遠い記憶がよみがえることはなかった。
 「いらないよ──」
 「そっ?」
 唐糸は再び簪を手に取って、そのまま川に落とした。太郎には、それが彼女との永遠の別れになってしまったように思えて、「いらない」と言った自分に早くも後悔した。
 そして唐糸は微笑んだ。
 その神々しいまでの美しい表情は、坊主頭に淡く反射する月の光のせいだったかも知れない。もしこの世に仏が存在するならば、ひょっとしたらこんな顔をしているのかもしれないと太郎は思った。
 唐糸は続けた。
 「数年前──一人の殿方をお慕いし、身も心も捧げようと決めました。ところがその方は、私のことを女狐と言いました。そのとき私は思ったのです。ああ、人の心とはなんとうつろいやすく無常なものかと。思えばあの時も私の眼前にはここと同じ断崖絶壁がありました。私はこの身をその深い淵に沈めてしまおうと思いましたが、足が震えてできませんでした。私は俗世間と離れ、仏門に入り、御仏の救いを求めました。ところがどうでしょう? 気付いてみれば今もまたこうして、あの時と同じ深い淵が、私の足元にあるではありませんか……」
 「俺はお前を女狐などとは決して言わないよ」
 唐糸は太郎の目を見つめ返して優しく笑むと、何も言わずに淵の中へと身を投げた。
 太郎は膝を落として泣き崩れた。

 翌日、唐糸の死体が千曲川の下流の方でみつかった。
 その報を聞いた昌幸は、彼女が身を投げたという城の南側の崖の上に立って思った。
 「なにも仏の許へゆくと言って命を捨てることなどないのだ……。仏など、所詮わが胸中におわすのに……」
 死ぬことさえ決め込まなければ、嫁がいやなら仮にでも昌幸の側室となって太郎を諦めさせるとか、それがいやなら太郎に士分を与えて諦めさせるとか、別の嫁を見つけるとか、どこか遠くの尼寺を紹介するとか、生きる手段など考えれば一〇〇通りだってあったのだ。
 昌幸は、その一人の尼の死を悼んで、この淵を尼ヶ淵≠ニ呼ぶようになったということである。



 その後、上田城は、いくつかの戦禍を経た後、関ヶ原の戦いに敗れた西軍についた昌幸は次男真田幸村と共に紀伊国九度山に流されると、徳川軍に破却され堀も埋められた。そして江戸時代に入り仙石氏の居城となって再建され、更に松平氏の手に渡って幕末を迎える。
 元和八年(一六二二)九月、松代へ転封となった昌幸の長男真田信幸は、松代へ移る際、この真田石だけは父の形見として持ち去ろうとしたが、幾万人の人夫を懸けても、全く根でも生えたように少しも動くことはなかったと伝わる。
 結局信幸は諦めて、今更のように父昌幸の智略の深かったことに驚いたということだ。

 二〇一九年二月二十六日
(2019・02・18 上田城下ホテル『祥園』女将・くノ一美奈子氏より拾集)

 口伝による伝承が途絶えるのを怖れ、以下に拾集した話を記す。
 真田石は上田城が築城された時からある巨大な石である。真田昌幸は領民に慕われており、石垣の石は太郎山から切り出したものを皆で引いて運んだ。その際、大きな石を運ぶため町ごとに競争させた。そして石の上に町一番の美女を乗せて、一番大きな石を運んだ者にはその美女を嫁にとらすと触れた。そのとき運ばれたのが真田石である。
 ところが石に乗せられた美女というのは尼僧だった。
 「私は仏に仕える身、男に嫁ぐことはできません」
 思い悩んだ尼は、当時上田城の脇に流れていた千曲川へ身を投げて死んでしまった。
 その場所が「尼ヶ淵」と呼ばれるようになったということである。
 その後、真田信幸が松代へ移封するとき、父の形見としてその石を運ぼうとしたが、石はまったく動かなかった。

 また別の話として──、
 上田城を設計した大工は設計図が徳川の手に渡るのを怖れていた。いよいよ自分の命に危険が迫っていることを知った大工は、設計図を生島足島神社(武田神社?)の池に破いて捨ててしまった。なので上田城の設計図はみな池の鯉が食べてしまったということである。