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アンネと駿太
城郭拾集物語B 東京八王子城



 東京は八王子に城があったことは、姫路城や熊本城、あるいは松本城などのように広く一般的に知られているわけでない。もっともそれは天守閣もない山城で、唯一御主殿と呼ばれる建造物も、長い歴史の中にずっと埋もれていたから、歴史好きでも特に豊臣秀吉による後北条氏征伐に関心のない者は、おそらく素通りしてしまうほどマイナーな城であろう。
 しかしひとたびこの城に目を向ければ、落城にまつわるかくも悲惨な事実があったものかと足を止めずにいられない。この場所が、地元では有名な心霊スポットとしてあるその歴史は、あまたの人の情念の鎮魂によってよみがえるものか──。
 今回は、八王子城落城時に残った伝説のひとつ、安寧姫と狭間駿太の恋物語をつづってみよう。

 八王子城は天正十五年(一五八七)、北条氏照によって滝山城から移転、築城された。氏照は後北条氏第三代当主氏康の三男に当たり、その移築の動機は、武田信玄による小田原攻めの際、落城寸前まで追い込まれた滝山城の限界を知り、より強固な拠点を築くためだったと言われる。
 この城が『関東の安土城』と云われるのは、虎口へ通じる石段と石垣の全体の形状や構造が安土城のそれと酷似しているからだそうで、築城より七年ほど前、氏照の家臣間宮若狭守綱信が織田信長のもとへ派遣された際、安土城の作りを持ち帰ったのではないかと推測される。生活の拠点でもあった御主殿曲輪の敷地面積は、これまでに発掘が終わっている場所だけでも五〇〇坪以上、更に奥には大奥などあったと予想されてはいるが、国有地のため発掘ができないのだそうだ。
 ちなみに間宮若狭守というのは、後の江戸は文化・文政・天保年間に活躍し、樺太が島である事を発見した幕臣間宮林蔵の先祖なのだそうだ。
 そこから深沢山の尾根伝いにいくつもの曲輪があり、山城は山頂の本丸まで延びている。

 物語の主人公安寧姫は美しい女性で、城主氏照はその娘をたいそう可愛がり、城下の月夜峰で催される宴にはいつもそばに置いていたと伝説は語る。
 宴という華やいだ場所で、見劣りせず一層華やいだ光を放つほどの美しい女性といえば相当である。この一文を読んだ時「ハーフではないか?」と愚鈍な筆者の直感が働いた。安寧≠ニはアンネ≠ナ、後の人が漢字を当てたものではないかと考えたら、この物語を書かずにおくものかと物書きの血が騒いだのだ。
 もちろんこの時代わが国においては、宣教師やポルトガル商人など西洋との交流が盛んに始まったわけだが、それは西日本が中心で、天正年間、北条有する小田原では、文献や証拠品による交流の事実は皆無である。八王子城址ではベネチア産のレースガラス器が見つかってはいるものの、それは間宮若狭守が信長より賜ったものではないかとは予測の範疇で、到底小田原と西洋との直接的な接点は今のところ考えられない。
 しかし安寧≠ニいえば日本の第三代天皇の名でもあり、中国由来の言葉とはいえ、戦いに暮れる戦国時代の一介の武士が、己の娘にそのような平和的かつ穏やかな名を付けるとは、よほど偉い坊様か学者でなければ考えにくいと決め込んだ。
 無論伝説であるのは承知の上で、物語は奇想である方が面白そうだ。



 物語に入る前に、もう少し安寧≠ェアンネ≠ナあることの可能性を探っておきたい。
 この当時、世界的に見るならばいわゆる大航海時代の真っ最中。一四九二年のコロンブスによるアメリカ大陸の発見や、一四九八年のヴァスコ・ダ・ガマによる世界一周に象徴されるように、スペインとポルトガルの地球的規模の航海による植民地争奪戦は白熱化していた。
 やがてその争いを避けるために一四九四年、トルデシリャス条約が締結される。これにより、ヨーロッパを除く地域においては西経四六度三七分を境に東側の新領土をポルトガル領に、西側をスペイン領に属することが定められたわけだが、一五二二年にマゼラン艦隊が西回りで世界一周を果たし地球が球体であることが実証されると、一五二九年、対象方向の東経一四四度三〇分の子午線を第二の境界と定めるサラゴサ条約が締結された。
 この条約により日本は東西に分断された。つまり西日本がポルトガル、東日本がスペインに領有権があるという奇妙な構図である。
 この時代の小説など読むと、西日本、特に九州にポルトガル商人の出入りが目立つのはそのためだと思うが、太平洋を渡って東日本にスペイン人がやって来るのは慶長年間に入ってからで、間もなく徳川幕府は鎖国に突入するため、東日本とスペインとの関わりがそれほど深くならなかったのはそのためだったろう。もっとも豊臣秀吉が、例外的にスペイン領だったフィリピン(ルソン島)へ朝貢を促す使者を送り、その返書を持ってルソンからの使者が日本に来たには来たが、これはおそらく宣教師を介して行われたものだろうから、寄港場所としては大坂は堺あたりが妥当だろうか。
 しかしその間、スペイン人が東日本に訪れたことが全くなかったかといえば可能性としてはけっしてゼロではないはずだ。二十余年ほど遅れるが、慶長十四年(一六〇九)にはスペインの船が遭難し、乗組員たちが上総国岩和田村(現御宿町)に漂着した事実もある。
 なぜスペインかポルトガルかにこだわるかといえば、アンネ≠ニいう女性の名はスペインにおいて一般的であるからで、東日本とスペインとの関係を明確にしておきたいからだ。
 ──それ以前に、そもそも航海する船舶に女性乗組員はいたかという話である。
 この問題は深くジェンダー論にまで達するが、結論から言えばいた≠ニするのが妥当と考える。いわゆる女海賊『アン・ボニー』や『メアリー・リード』がカリブ海で活躍するのは十七世紀に入ってからだが、日本においては瀬戸内海の制海権を握っていた村上海賊の『鶴姫伝説』などは十六世紀前半の話である。これひとつとっても、当時、女性が船に乗っていた記録が皆無だからといってその可能性をゼロとするには無理があろう。
 ジェンダー研究の石田依子氏によれば、
 「実際、最近の研究は、海事の歴史の中で驚くほど多くの女性たちが海に出て行ったことを明らかにしている。」
 と言う。もっともそれらは十七世紀以降の文献に基づくものだが、それ以前からあったことを示唆しているという観点は筆者も全く同感だ。その目的として、一つは、父親や夫に同行して乗船するケース、二つ目は、自立した船乗りとして自らの意志で乗船するケース、そして三つ目が(これはジェンダーの立場からは冷ややかな目にならざるを得ないだろうが)、いわゆる慰安婦として乗船したケースを挙げる。
 いずれにせよ戦国時代、ジパングを目指すスペインの船に、何らかの理由で一人の女性が乗っていた──。



 この物語より少し前の関東甲信越地方は、甲斐の武田、相模の北条、駿河の今川、越後の上杉の拮抗した勢力争いの中で、さまざまな形をもって同盟を締結したり破綻したりを繰り返していた。武田と北条の甲相同盟が破綻し、北条と上杉が越相同盟を締結した時その事件は起こった。武田信玄が小田原に向かって侵攻を開始したのは永禄十二年(一五六九)の秋のことである。
 信玄は二万の軍勢を率い、碓氷峠を越えて北条領内に入ると支城を攻撃しながら南下し、北条氏照が守る滝山城の北に陣を敷いた。そして十月一日、廿里の戦いにおいて多くの犠牲者を出した氏照は、篠村左近之助という家臣を呼びつけてこう言った。
 「小机城の三郎に援軍を要請せよ。急げ!」
 滝山城の北東を流れる多摩川を下れば小机城まではそう遠くない。そこには氏照の弟三郎がいた。時に十五歳の彼はこれより間もなく上杉謙信の養子となり上杉景虎を名乗るが、小机城主として小机衆と呼ばれる家臣団を率い、江戸城の武蔵遠山氏とも懇意にしていたので大きな加勢が期待できたのだ。
 ところが左近之助が氏照の要請を伝え、急いで出陣の準備を始めた最中、
 「信玄は滝山城を攻めきれず、放棄して本城(小田原城)へ向かった。氏照様はそれを追ってご出陣なされた」
 との急報が届く。小机城は本来相模の東側の防備としてある城である。信玄の動きに乗じて謀反を起こす輩があるとも限らない城主北条三郎は、動くことが出来ずにそのまま出陣態勢を解いたが、一人取り残された形となった左近之助は、急いで馬を借り走らせ、鎌倉を経て、由比ヶ浜の海岸沿いを小田原方面へと向かったのだった。
 八松ヶ原(茅ヶ崎付近)のあたりに来たときである。
 砂浜に転がっている白い動物のような物体を見つけた。近寄ってみれば見たこともない服を身に纏った、白肌にブロンズ色の長い髪の女が倒れているではないか。南蛮人の噂は聞いたことがあったが、まさかこれがそうとも俄かには思いつかず、天の羽衣を纏った天女が舞い降りてきたのかと生唾を飲み込んだ。
 「どうなされた?」
 女は息も絶え絶えで身動きひとつしなかったので、左近之助は彼女を馬に乗せ、いったん滝山に引き返すことにした。
 篠村左近之助は氏照の家臣団横山党の一員で、滝山城より滝山街道を南へおよそ一里ほど離れた熊野神社近くの雑木林の中に小さな屋敷を構えていた。屋敷といっても土間に囲炉裏を据えただけの粗末なもので、床の間らしき場所には今は亡き母が手習いで奏でていた建物には不釣り合いな大層立派な筝の琴が置かれていた。
 まだ独り身の彼はすり切れた煎餅布団に女を寝かすと、粥を作ってその口に含ませた。
 「小田原城はどうなったか?」
 とひどく気をもんだが、今にも死にそうな彼女をほったらかしにして飛び出すことはできなかった。
 暫くして、三増峠での戦いを終えた氏照の家臣たちは陸続と滝山城に戻って来た。そして激戦の様子を口々に話すによれば、
 「結局信玄め、小田原城を落とすことができずに引き上げようとしただろう?」
 「そこへ我が殿氏照様の追撃で追い詰めたんだがな──」
 「信玄め、どさくさに紛れてまんまと逃げおったわい!」
 と、北条優勢で戦が終わったと興奮ぎみだが、実際は武田方の勝利だったようである。
 「それよりお前はなぜ来なかったか?」
 戻る兵達に左近之助は問われたが、
 「殿の援軍要請を小机城に伝えた後、戻ってみれば城はもぬけの殻。はては小田原へ向かったなと思ってはみたが、城はすごい剣幕の荒れ放題、留守にするわけにもいかんので残っていたのだ」
 とお茶を濁した。

 ブロンズ色の髪を持つ白色の女は、やがて一命をとりとめて目を覚ます。その瞳が青いことに左近之助は驚愕した。
 「そなた、目をどうした?」
 と話しかけるが、異国の言葉では意味の分からないちぐはぐな会話を繰り返すだけで、女はいつまでも泣き続けるのだった。その様子から、
 「この女は天女でなく南蛮娘に相違なかろう。およそ南蛮船が遭難し、船から投げ出され、あの浜に流れ着いたのだろう」
 と、おおよそのことは想像できた。
 数か月経つほどに、次第に体力を回復した女とは身振り手振りで会話もできるようになってくると、やがて二人は意思の疎通までできるようになった。そのぎこちないジェスチャーによる話を要約すれば、
 「私はエスパニア国のテルデに住む船長の娘で、西回りでジパングを目指す船に同行しました。ところが目的地を目前にして嵐に襲われ、船は沈没して父も乗組員もことごとく海に呑まれてしまいました。目が覚めたら私はここにいたのですが、ここはジパングですか? 父はどこにいるのでしょう?」
 と涙に暮れる。
 彼女をテルデと名付けた左近之助は、彼女を労わり看病をするうちすっかり青い瞳の虜になった。遭難で海に流された影響から彼女は病弱で、テルデにとっても孤独の寂しさから逃れるためだろう──やがて二人に純粋な愛が芽生えた。
 こうして一年が過ぎた頃、テルデは子を宿す。大きくなったお腹をさすりながら、しきりに「アンネ、アンネ」と囁くのである。
 「アンネとは誰か?」
 テルデは遠くを見つめて「私の母の名だ」と教えた。そして、
 「この子がもし女の子だったら、アンネと名付けたい」
 と青い目を細めた。



 北条氏照は笛の名手でもある。
 彼が大石家の養子となった時から養育係として笛の指南を担当してきたのが浅尾彦兵衛清範という家臣であった。通称笛の彦兵衛≠ニあだ名されるその名人を氏照はたいそう気に入り、いつもそばに置いていた。
 滝山城から八王子城に移ってから、
 「どこかに月がよく見える場所はないか」
 と見つけた月夜峰という名勝地がある。満月の夜といえば氏照は、その地で宴を催し笛を奏で、戦いに明け暮れる傷心を慰めるのであった。そして、
 「あの娘の笛の音が聞きたいものだ……」
 と、傍らに置いた名笛『狐丸』を彦兵衛に渡して、
 「吹いてみよ」
 と言った。氏照は「娘に会いたい」でなく「娘の笛が聞きたい」と言ったのは、純粋にその娘が奏でる笛の音色を聞きたいだけだった。ところが笛彦兵衛が吹き出すと、
 「お前は確かに上手いが何かが違う」
 と言って『狐丸』を取り上げた。
 「またあの娘のことをお思いですか?」
 「お前の笛は洗練されているが、あの娘のような儚げな美しさがない」
 それは笛彦兵衛自身知っていた。
 「衰年の壮漢に生娘の音色を奏でろと仰せられても、土台無理な話でございます」
 氏照は「未熟者め」とでも言いたげに笑うと、
 「それにしても女の嫉妬というのは恐ろしいものじゃ」
 と、懐から己の愛笛『雲丸』を取り出して自ら吹き始めるのである。
 それは永禄六年(一五六三)のこと──。
 多摩川上流に大きな勢力を持っていた三田綱秀の辛垣城を攻め落とした時である。
 氏照に攻められ身が危うくなった城主綱秀は、息女孫子を逃がして秋川近くの山里に隠れ潜ました。間もなく三田氏は氏照に滅ぼされるが、その際、
 「時を待って氏照を討て!」
 と、密かに家宝の名笛『狐丸』を孫娘の笛姫に託したのだった。
 一命をとりとめた笛姫は、それからというもの形見の笛を心の支えとして日々を過ごした。
 何年か経ってある日のこと、氏照が鷹狩りを楽しんだ帰路、どこからともなく悲し気な笛の音が聞こえてきて、馬を止めてしばらくその音色に聞き惚れた。
 「いったい誰が吹いておる? 見つけて滝山城の館に連れて参れ」
 と、やがて城に姿を見せたのは、まだ二十歳にも満たないみすぼらしい身なりをした娘であった。
 「其の方、名を何と申す?」
 「笛と申します」
 「先日、鷹狩りの帰り、其の方の吹く笛を聞いた。実に見事であった。ひとつ二、三曲、ここで吹いてはもらえぬか?」
 笛は慇懃に頭を下げると、所望のまま笛を吹き始めた。
 その音色の見事なこと──、やがて氏照はうっとり目を閉じて聞き入った。
 ところが吹き終えた時である。なかなか次の曲が始まらないことに薄目を開けた氏照に、突然懐刀を引き抜いて斬りかかったその娘の腕を、氏照は咄嗟に掴んだ。
 「何の真似じゃ!」
 「辛垣城の恨みをどうして忘れることができましょうや! 私は三田綱秀の孫娘です!」
 その瞳は、先ほどまであの美しい音色を奏でていたとは信じられない夜叉の光をたたえ、驚いた氏照は短剣を奪うように取り上げて、暫く考えてこう言った。
 「そうであったか、許せ。しかしそなたの祖父が憎くてやったわけでない。乱世の習いに従ったまで。わしがなぜ笛が好きか教えてやろう。笛はそうした世の喧騒を忘れさせてくれる。どうじゃ? お気を鎮めて一緒に笛を吹かぬか?」
 氏照はおもむろに懐から自分の『雲丸』を取り出し吹き始めた。そしてせめてもの償いと思って彼女を召し抱えることにしたのだった。
 隙あらば家の仇を討とうと考えていた笛姫は、これ幸いとばかりに城中深く潜り込むことに成功した。ところが、酒に酔っても笛の練習に夢中になっている時でも氏照には寸分の隙もない。いつしか笛の友として過ごすうち、音色を通して想思の仲となっていくのだった。
 その様子を見た正室の比佐は嫉妬に狂った。
 密かに刺客を雇い、氏照の館から出る笛姫を待ち伏せ、一突きに殺害してしまったのだ。
 嘆き悲しんだ氏照は、滝山城の北方多摩川を隔てた丘陵の一角に、彼女を手厚く葬った。
 笛彦兵衛は氏照の笛の音を聞くと、そんな主君の悲しい過去を思い起こす。

 月夜峰の宴はすっかり八王子城恒例の行事である。
 今日はこの村、次回はあの村と、招かれるのは順番が回ってきた村の家臣とその家族数十名で、その時ばかりは着飾った女房や娘たちも主君に面会できるチャンスを得、おのおの楽器を持ち寄り手前を披露し、城下で有名な美女たちも招かれて、酒を酌み交わし踊りや芸事が披露され、それはそれは華やかな一大イベントに成長していた。
 そんな女性たちの中に日本人離れした目鼻立ちの整った美しすぎるほどの乙女が一人──。
 彼女は唄を歌うわけでなく、踊りが上手なわけでもなく、ひとつだけたしなんでいるものがあるとすれば筝の琴で、それも名のある師に就くでもなしに、昔から家にあったそれを幼少より玩具代わりに遊んでいた程度であるが、月夜峰の宴といえば必ず氏照の横に雛人形のように座っているのだった。
 その乙女の名はアンネ──
 そう、篠村左近之助とテルデの娘で、あれからもう十七、八年の歳月が流れていた。
 生まれた頃のアンネは、母の髪や瞳の色が周囲の人間たちと違うことに少しの疑問も抱かなかったが、成長するにつれ近所の子ども達と遊ぶようになると、彼らの両親の目鼻立ちが明らかに自分の母親と違っていることに気付き始めた。物心がつき自分の顔を鏡に映してみれば、髪は赤毛で目の色も青みがかって、自分の容姿が特別であることに悩むようになった。
 「なぜわたしの目は青いの? 髪は赤いの?」
 と、しきりに両親に尋ねたこともあるが、そのたび左近之助は、
 「お前は天女の化身だから」
 と、いつも優しく微笑んだ。
 母テルデが天女とはどういう意味か分からなかったが、優しい母は日本語が上手に話せず、いつもアンネに対してはエスパニア語を用い、いつも人目を気にして外に出ようとしない様子を見て、きっと母が育った国は天に近いところにあるのだろうと思っていた。
 ところが成長するにつれ、彼女にとっての大きなコンプレックスは、周囲の男たちにとっては大きな魅力となって、もはやその美しさを抛ってはおかない。
 ある月夜峰の宴の日、左近之助が所属する横山党家臣団が招待されることになった。
 左近之助はテルデを誘ったが、彼女は強く拒んだので替わりにアンネを同伴したのだった。それが氏照の目にとまり、その容姿をひどく気に入った氏照は、以来宴といえば決まってアンネを招くようになったのだった。
 「これほど美しい娘を傍らに置いておけば、わしの威光も増すわい」
 と、氏照の目的はごく単純だった。



 笛彦兵衛の一番弟子に精悍な顔立ちの青年がいた。城下町の東にある狭間の郷出身だったので姓を狭間といい、名を駿太といった。
 この頃、北条領内では伝馬制度が確立しており、駿太はその名の如く馬を乗りこなす伝馬役の百姓の倅である。非常に真面目な働き者だが、ひときわ人の目を引いたのは馬術の方でなく、祭や宴で獅子舞などが演じられるたびに奏でる笛の巧みさだった。その素質に惚れこんだ笛彦兵衛が、
 「弟子にならぬか?」
 と入門させた。
 あるとき月夜峰の宴に出席できなくなった笛彦兵衛は、
 「私の代わりに殿の御前で吹いてくれ」
 と、宴のトリの演奏に駿太を推挙した。駿太は、
 「一介の百姓出がおおそれたことを」
 と拒んだが、師の頼みとあっては断ることもできず、やむなく承諾して氏照の御前で笛を披露することになった。すると、その音色に深く感心した氏照はすっかり気に入り、以来宴といえば必ず狭間駿太にも声がかかるようになったのだった。
 最初のうちは緊張のあまり周りの様子がまるで見えずに夢中で笛を奏でる駿太だったが、回を重ねるごとに次第に心に余裕が生まれ、あるとき氏照に目をやった際、その隣に座る一人の乙女の美しさに瞠目した。やがてその視線に気付いた乙女も頬を赤らめ、以来宴といえば、二人の間で二人にしか分からない合図を送り合うようになった。その二人の様子には氏照も薄々勘づいていた。
 宴が終わったある日のこと、駿太はいつものように馬に乗って帰ろうとすると、木戸のところで迎えを待つその乙女と鉢合わせた。二人がこのようにして会うのは必然だったろう、駿太は顔を赤らめて馬を止めた。
 「いつも殿の隣に座っておられるが、よろしければ名を教えていただけませんか?」
 「安寧と申します。あなたは?」
 「狭間駿太です」
 それきり二人は何も語らなかったが、以来二人は、宴が終わるとこうして木戸のところで待ち合わせするのが暗黙の決まりとなって、やがて少しずつ互いの身の上を話すようになった。
 とはいえ惹かれ合う二人には越えがたい障害があった。それは身分の違いで、アンネが士族の娘であるのに対し、駿太は城下町はずれの貧しい農民の子である。けして結ばれることのない苦悩に苛まれながら、あるとき運命の糸に導かれるようにアンネが言った。
 「こんどは熊野神社で会いませんか……」
 熊野神社は八王子城の南およそ一里ほど離れた昔からある神社である。アンネは「私の家の近くだ」と教えた。以来、そこが若い二人の秘密の逢引の場所になった。
 「これを見て?」
 アンネが足元の小さな小石を拾って駿太に見せた。
 「石……これがどうしたの?」
 「ただの石ではないわ、小さいでしょ? 小さな石──」
 「小石か?」
 「小石ではないわ、恋しい……」
 「なるほど──」と駿太は呟き、同じような石を拾って笑ってみせた。するとアンネは駿太の石を手に取り、髪を結っていた紐をほどいて二つの小石を堅く結び付けた。そして嬉しそうに駆け出したので、その後を追いかけて行けば、アンネは境内に繁る樫の神木の前で立ち止まる。
 「この神社はね、そのむかし、諸国を旅した仲の良い夫婦が最後にやっとたどり着いて、紀州の熊野大社を祀ったところ」
 そう言って先ほど結びつけた二つの小石を根元に奉納して、二人は手を合わせた。
 それから間もなく、氏照から二人に思わぬ沙汰が下る。
 「次の月夜峰の宴で、笛と和琴の共演を披露せよ」
 アンネと駿太はさっそく神様の功徳が顕われたと喜ぶが、二人が恋仲であることを悟った氏照が粋な計らいを施したのだった。
 二人で殿を悦ばせようと、駿太の笛に合わせて必死に琴を練習するアンネの成長はめざましい。その音色は生娘だけが奏でることができるガラス細工のような儚くも美しい妙なる音である。駿太もその音色に溶け込む心地がして、二人が奏でる演奏は、音なのか魂なのか、はたまた楽器なのか人なのか、区別がつかない一体感となって周囲と同化してしまう。そうして迎えた月夜峰の宴、二人は八王子城の重臣達の前で見事な演奏をやってのけたのだった。
 満面に笑みを浮かべた氏照は、
 「今の共演を聴いて勘づいた者もいるかと思うが、この二人はどうも好き合っている!」
 会場から微笑ましい笑いが起こった。
 「しかし笛吹きの駿太は農民出、士分の娘と一緒になることはできん。残念だがあきらめてもらわねばならん」
 駿太は肩を落とし、アンネは唇をかみしめた。
 「と思ったが、今日の演奏を聞いて考えが変わった。どうじゃ皆の衆、ここはわしに免じて二人の婚姻を認めてほしい。駿太に士分を与えたいと思うが、左近之助どうじゃ?」
 もとよりアンネの父左近之助も南蛮妻を娶るほどの大変な変わり者である。おまけに妻から影響を受けたキリシタンでもあり、主の下では男も女も平等という概念は、当時の武士にはない開けた考えの持ち主なのだ。
 「仰せのままに」
 宴は大いに盛り上がり、間もなくアンネと駿太は結ばれた──。



 天正十八年(一五九〇)春──。
 武田信玄が死に、織田信長が死に、世の中が大きく変わろうとしていた。
 九州を平定した豊臣秀吉が天下統一の最終段階として小田原征伐を開始したのである。
 その動きを警戒して数年前から小田原城の拡大や周辺の支城の改修や築城など、八王子城もその一環というわけで、防備固めに周到していた北条家だったが、二十万という大軍が攻め寄せて来たとあらば腹をくくるしかない。
 北条家家臣は小田原城に終結し、六万の兵で籠城戦に持ち込む策を取る。
 この頃の北条家当主は北条氏直であるが、実質の権力者はその父である北条氏政で、氏照はその弟であり、二人は北条家三代氏康の子として、過去の栄光に支えられ、その武光を信じている。
 若い勇将や猛将達がみな小田原に入ったため、各地の支城には老兵や農民、女子供が残された。よって各支城は最低限の防衛手段しかない状況が生まれたが、豊臣軍の兵力を分散させる意味においては、長期戦に追い込めば補給が難しくなる大軍遠征の弱点をつくことになり、北条家にまったく勝算がないわけでない。
 ところが豊臣軍の勢いは圧倒的で、箱根の山中城が早々に陥落してしまうと、秀吉は四月には小田原城下に到達し、数による力攻めで次々と支城を陥落させていくのだった。
 石田三成と直江兼続などが率いる軍も周辺支城を次々と攻め落とし、前田利家と上杉景勝が率いる北から攻め入る軍は東山道を碓氷峠から関東に入り、松井田城・箕輪城・岩槻城・鉢形城と次々陥落せしめ、次はいよいよ八王子城を目前にした。
 とはいえやはり難攻不落と謳われた小田原城は堅固で、秀吉は石垣山城を築城して小田原を包囲したのである。このとき八王子城守護を老臣横地吉信らに任せた北条氏照は、八王子勢一万の精鋭を率いて小田原城にいる。秀吉から「北条一の弓取り」と恐れられた彼には降参する気など毛頭ない。
 「いまこそ坂東武者の恐ろしさを秀吉に見せつけよ!」
 城内の弱腰を吹き払って降伏するどころか意気軒高だった。
 そんな折、八王子城下横川村に入った前田利家は、使者を遣わし城の明け渡しを要求するが、八王子側はその使者を殺してしまう。北から進軍する戦況報告が秀吉の耳に届いたのはその時で、
 「なにをもたもたしておる! 皆殺しにせい!」
 との命が下されたのだった──。
 通説では八王子城の合戦は豊臣方が先に仕掛けたことになっている。
 八王子方にしてみれば百に一つの勝ち目もない戦であるから当然の発想ではあるが、筆者はふと首を傾げた。豊臣方が先に仕掛けたとすれば不自然な点がいくつもあるからだ。
 一点目は戦が始まった時間と状況である。記録によれば前田利家が攻撃を開始したのは六月二十三日深夜、午前二時から三時とするものや午前一時から三時とするものがあり、しかもそのとき夜霧が立ち込めていた。豊臣は数万の兵である。仮に武力行使の決定がなされていたにしても、領民を含めた僅か数千の敵を相手に、わざわざそのような攻めにくい時間を選ぶだろうか? これは明らかに奇襲する側に利のある時間と状況である。
 二点目は戦が開始された直後は、八王子方が優勢だった点である。豊臣方が先に仕掛けたとすれば、記録にあるような無残な押され方はしないはずであり、これは明らかに八王子方が念入りな罠を仕掛けていたことを意味するのではないだろうか?
 三点目は利家が最初に開城勧告の使者を送ったとき、城代横地監物はその使者を殺したとする点である。これは明らかに抗戦の構えである。
 四点目に、豊臣勢が鉢形城を落としてから八王子城攻めまでの日数が短いのではないかと思う点である。鉢形城陥落が六月十四日で八王子城攻めが六月二十二日深夜だからその間八日。数万の兵がおよそ一〇〇キロの道のりを移動するのに最低でも一日二日はかかるとして残り六日間、大将の利家が秀吉に謁見していたとしたら更に一日減ることになり、鉢形城でその威力を発揮した石火矢の運搬と設置の時間を考えればおそらくこの六月二十二日というのは最短だったとも言えるだろうが、鉢形を落とすのに一ケ月以上かかっている上に、八王子城も山の地形を利用した天然の要害であり、前身とも言える滝山城はかの武田信玄をして落とせず、それより強固な山城攻略にかくも安易に攻め込むものか?
 五点目に、これまで前田利家率いる北国軍は、さして大きな戦火を交えることなく開城勧告を主に支城を落城せしめて来た。それが秀吉の激昂を買ったからといって短絡的に行動に移すとは少し考えづらく、攻めるにしてももっと盤石な備えをしてからだろうと筆者は思う。
 対して八王子方にしてみれば、氏照が精鋭部隊を小田原城へ引き連れて行ってしまった時点で、城主が本城で戦う覚悟を読み取っていただろうし、戻って来ないことは予測の範疇で、城主が戦う以上開城など考えていなかったとするのが忠臣の覚悟であり判断だろう。何より六点目に、小田原城を守る氏政をはじめ、八王子城の氏照、そして鉢形城の氏邦はことごとく主戦派であり、彼らはみな「一代のうち数度の合戦に負けたことがない」とされる第三代当主北条氏康の子である。北条早雲以来、着実に成長、発展してきた北条家の“名門の誇り”があったに違いない。
 人間とは利害で価値を測るのでなく、崇高な精神的価値に生きる動物であろうとする姿勢は、坂東武者たる彼らにとっては命より大切な誇りだったはずである。彼らには、籠城であれ野戦であれ、最後まで戦うしか道は残されていなかったに違いない。
 その背景にある奇蹟の夜襲を成功させた北条家三代氏康の魂が、自分たちに味方すると考えていたとしてもなんら不思議はないからだ──。



 士族に抜擢された駿太は八王子場内に小さな館を構え、馬を管理する仕事を与えられた。
 日が暮れて館に帰れば、そこには毎日美しいアンネが夕餉をこさえて待っており、その日も川で採れた魚と野菜を塩茹でした南蛮風の料理が膳にもられ、アンネは「お母さんから教わったカタルーニャ」だと言った。
 味はともかくそんなささやかな生活が、二人に最高に幸せな時間を与えていた。
 「戦が始まるって本当?」
 できるだけその話題には触れないようにしていた駿太だが、最近城内が異常に騒がしくなっていることくらいアンネでも分かる。城下の町民はもとより周辺農家の女性や子供、年寄りたちが城内に集まってきて食料の確保や城の整備に余念がない。おかげで御主殿の周辺は小さな子どもたちの遊び場と化し、毎日賑やかな笑い声が飛び交っているのだ。
 「心配ないよ。氏照様がきっと守って下さる」
 「そうね」とアンネはクルス紋が飾られた神棚に手を合わせた。
 「今日御主殿の庭にね、大きな法螺貝を担いだ男が現れて、吹いてみろって子供達が大はしゃぎ」
 「そいつは“お祓い四郎兵”に違いない」
 と二人は笑った。城中公認の陣貝吹きなのだが、いつも自慢話ばかりしており、不意にお祓いの真似事をする変人だったので皆からそう呼ばれ、あることないことをでっちあげるような大法螺を吹くので周囲の者達は誰も相手にしないが、子供たちからは絶大な人気を博しているのだ。老中の一人中山勘解由家範などは、
 「よいではないか。陣貝吹きだけに法螺も吹くさ」
 と呆れているということだ。
 「それにしたって近藤綱秀様の末の布衣姫様はとっても働き者──」とアンネの話は尽きない。美しくも気丈な布衣姫は、鬼もほころぶ十七、八の、城内の男たちに一番人気のアイドルなのだ。
 「今日も薙刀のお稽古を終えたと思ったら、村の人たちの水汲みの仕事を手伝っていたわ。とても感心、私にはできない……」
 「近藤様はご自分のお館にいろいろ手を加えておられるようだ。敵が攻めて来た時の用心に様々な罠を仕掛けていると言う。僕の仕事も毎日その資材運びさ」
 近藤綱秀の館は本丸と御主殿に至る道の交差地点にあり城を守る要でもあった。そこは近藤曲輪と呼ばれ、綱秀はそこの参謀である。
 山城の曲輪というのは本丸までの急峻な細道に作られた人の立ち入れる平坦な部分を言い、土塁で高く盛られた上などにも設けられ、屋敷が建つ曲輪もあれば櫓や倉庫が置かれた曲輪もある。そして攻撃に最適な場所として各曲輪には責任者が置かれ、戦に備えて石弓などの罠を仕込んだり射場を作ったり、その作業が急ピッチで進められているのだ。
 「ふうん……」とアンネは不安な表情を作った。そして、
 「できたみたい……」
 と唐突に、とても小さな声で言った。
 最初その意味が分からなかった駿太だが、恥ずかしそうに俯くアンネの両手がお腹をさすっているのを見て「赤ん坊か?」と察知した。次の瞬間得体の知れない歓喜が湧いてきて、
 「そうか!」
 と思わずアンネを抱き寄せた。
 「痛い……赤ちゃんに障る……」
 「すまん」と離れた駿太はおもむろに笛を取り出した。
 「今日、彦兵衛様から教わったのだ」
 その覚えたての新しい曲は、幸せなアンネの身体に染み入り、小さな館の外へ流れていった。



 八王子城の布陣は、深沢山山頂の本丸に氏照正室の比佐と側室豊が産んだ嫡子藤菊丸を隠し、城代横地監物と大石照基の守りで固められた。そしてその下の「小宮曲輪」と「中の曲輪」と「松木曲輪」は、優将中山勘解由と狩野一庵らが守り、そこから山城の麓に向かって「金子曲輪」「山下曲輪」「近藤曲輪」は、それぞれ勇猛果敢で名のある近藤綱秀、金子家重らが鉄壁の守りを整えた。
 城山川を挟んだ山の尾根伝いで見張りの役割を担う「太鼓曲輪」には平山綱景が付き、堅塁八王子城は万端の準備を整え終えていた。
 大手門から太鼓曲輪の山裾を城山川に沿って進めば、右手前方に川を渡す曳き橋がある。
 その下は城山川を堰き止めて作った天然の水堀で、橋を渡れば御主殿の敷地内に通じるものだが、曳き橋さえ落としてしまえば敵は御主殿内には入って来れない落とし橋の作りになっていた。しかしそれは、逆に言えば完全なる孤立を意味し、まさに背水の陣の構えである。
 「曳き橋より火の手が挙がったら戦闘開始の合図だ!」
 城中の男たちはそう申し合わせると、おのおの持ち場に散って行った──時に天正十八年(一五九〇)六月二十二日の事である。
 夕刻になると、御主殿の曳き橋を守護する数人の兵は、篝火を炊き、橋にべっとりと油を塗る作業を進めた。一人の兵が柄杓で油を撒きながら、
 「なんだか霧が出てきたぞ」
 と周囲を見渡す。
 「視界が悪ければ悪いほど我らには有利に働くはずさ。なんせわしらは目をつむっていたって城内を歩けるからなあ。きっと八王子権現様が微笑んでくれているのさ」
 そのとき、どこからともなく悲し気な笛の音が聞こえてきて、兵達は顔を見合わせて微笑み合った。
 「笛彦兵衛と弟子の駿太だ……戦の前に師弟の共演とは、粋なことをしてくれるねぇ」
 するとそこに楼閣から漏れる和琴の音が重なって、音楽が華やいだものに変わった。
 「安寧姫が加わったぞ。いや、今は駿太の嫁だから奥か……」
 その音は太鼓曲輪にまで届き、控えていた陣太鼓打ちまで軽快なリズムを刻み始めたものだから、八王子城内は祭りさながらの愉快な空気に包まれた。
 太鼓曲輪に詰めていた陣貝吹きのお祓い四郎兵の奇癖も目覚め、根っから陽気な彼は上半身裸になって、賑やかな祭囃子に乗せられ北条家加護の宝生座が演じる能楽『羽衣』を見よう見真似で踊り始めたから、そこにいた者達は緊張を忘れて腹を抱えて大笑い。太鼓曲輪を任された平山綱景も、
 「これで豊臣兵も大きな油断をするに違いない」
 と笑いながら眺めた。
 ところが調子に乗ったお祓い四郎兵は、突然手にした陣貝を吹こうとしたので、綱景は慌てて差し止めた。
 「ばかもの! 陣貝など吹いたら、戦が始まったと勘違いするではないか!」
 四郎兵はなんの悪びれもなく「へえっ」と頭を掻くと、
 「では次は『花月』をご覧いただきやしょう!」
 と、再びへたくそな舞を踊り始めた。
 その笛と琴と太鼓の音は、これから起こる悲劇をまるで知らないように、いつまでも黄昏の金色の中に溶け込んでいくのであった。



 ──夜の帳が降りて、果たして曳き橋に火が放たれた。八王子側の奇襲作戦の開始である。
 その途端、城の入り口近藤曲輪は大騒然となった。
 祭囃子にすっかり油断していた豊臣兵が、些細な挑発に乗せられ曲輪に引き込まれたと思えば、瞬く間に幾人かの勇将を失った。
 近藤曲輪には百名近くの守り手が鉄砲を握って待ち構えていた。
 そこに侵入した猪突猛進の豊臣兵をことごとく討ち取ったのだ。
 闇夜の中にばったばったと豊臣兵が倒れていくが、曲輪には篝火ひとつ炊いてなく、少し遠くで燃える曳き橋の炎の明かりだけが城の存在を教えているだけ。進撃する豊臣兵達が握る松明は、皮肉にも敵に自分の居場所を示すだけの目印となり、その上、霧が立ち込め足元も見えないために、倒れた兵に躓く者は、後から押し寄せる兵達の障害となって転倒の連鎖反応を導けば、櫓の上からその塊めがけて弓矢が夕立のように降って来た。
 これには豊臣方もたまらない。
 「引けっ!」
 と退却命令が飛び交うと、今度は細い道では退く兵と進撃する兵とがぶつかり合って、右往左往するところを上から容赦なく石弓や熱湯が降りそそぐ。この攻撃で豊臣方の先鋒は数百人もの兵をあっと言う間に失うことになる。
 「下手に飛び出せばやられるぞ!」
 と、そこからしばらく鉄砲の打ち合いが始まった。すると山下曲輪の櫓の上に松明を持った一人の男が姿を現わし、
 「我こそは北条氏照様が家臣、近藤出羽守綱秀である! 見事この首とって関白秀吉にご覧ぜあられよ!」
 と叫ぶ。
 これまた挑発に乗った豊臣兵は、遠くて当たるはずのない鉄砲をバンバン撃ち込み、無駄に弾数を使うだけだった。
 しかし多勢に無勢の戦いは、豊臣方の執拗な攻撃によって徐々に陰りを見せていく。兵数も少なければ武器弾薬も底をつき始めた近藤綱秀は、弾が切れると自ら槍を握って櫓を飛び出した。それを合図に両陣営入り乱れの接近戦となったが、決死の奮闘虚しく綱秀は山下曲輪の土と消えた。
 近藤曲輪が落ちると豊臣軍は堰を切ったように城内になだれ込んだ。その兵の流れは、本丸がある山の方面へ向かう者と御主殿へと向かう者とに二分された。
 「ただいま近藤曲輪が落ち、敵が金子曲輪に侵入してきました!」
 という報が狩野一庵の耳に飛び込み、その上の曲輪を守る彼の闘志に一層大きな火が点いた。「中の曲輪」と「松木曲輪」の兵達を「小宮曲輪」に集中させて、茂みの中の細い獣道に向かって一斉射撃をしたものだから、行き場のない豊臣兵達は山の斜面を転げ落ちていった。
 一方、御主殿へ向かった兵たちは焼け落ちた曳き橋の袂で躊躇するものの、後ろから暴風雨の水路の激流の如く押し寄せる兵が破裂した水道管のように列を乱せば、清らかな城山川を堰き止めて作られた淵を泳いで渡り切る者が出て来た。水堀さえ渡ってしまえばもう御主殿はすぐそこだが、高く積み上げられた土塁を登るには何人もの兵が協力し合わなければならなかった。土塁を転げ落ちながら、それでも数が数だけに、やがて一人二人と這い上がる。
 もう一方、月夜峰から出羽山の尾根を進撃して来た豊臣兵は、上ノ山から太鼓曲輪に押し寄せた。
 太鼓曲輪は城山川南側に盛られた土塁の尾根伝いに細長く伸びた曲輪で、敵の侵入を防ぐために五メートルから十メートルの堀切があった。守備をするのは平山綱景だが、もともと見張り専用の曲輪だから少人数の上に腕利きの武将もない。堀切などは時間稼ぎの役割を果たすだけで、やはりそこも数の力で押され雑作もなく壊滅させられ、そのまま豊臣兵達は御主殿のある方へと嵐のように進軍を続けた。
 闇夜、太鼓曲輪の残り火の中に、夜風にさらされた幾人もの死体が残る。
 その中の一人、指がピクリと動いて息を吹き返した男はお祓い四郎兵だった。
 血だらけの彼はボロボロになった衣服の泥を払いもせず、ヨロヨロと立ち上がり、己の使命を思い出したかのように命尽きるまで陣貝を吹き続けた──。

 御主殿最後の砦、虎口門が打ち壊された。
 そして冠木門も破られると、そこから二人、三人、ついには怒涛のように豊臣兵が侵入して来て、弓兵は館めがけて容赦なく火矢を放つ。
 「させるな!」
 八王子兵がどっと豊臣兵に攻め入れば、たちまち御主殿の周辺は竜騰虎闘の大混乱に陥った。ところが御主殿を守る侍は僅かなもので、あとは鍬や鎌を刀や槍に持ち替えた農民の男たち。中には何人かの女たちも混ざっている。
 あちこちでうなり響いた陣貝の音が一つ二つと消えていく──。
 近藤綱秀の末娘布衣姫も、御主殿を守り抜こうと襷、鉢巻を撒いて薙刀を抱え、既に命を落とした父のことも知らされぬまま髪を振り乱し、おびえる女子供たちを鼓舞して回っていたが、ついに力尽きて館の片隅に座り込んで天を仰いだ。そこで彼女が見たものは、
 「きれい……」
 満点の星空とも見まごうオレンジ色の無数の火の粉であった。
 彼女は最後の力をふり絞ってヨロヨロと立ち上がると、おぼつかない足取りで父を探しに前線を離脱した。
 どこをどう歩いて来たのか分からない──
 布衣姫がたどり着いたのは、御霊谷と呼ばれる地区を流れる川のほとりだった。
 近藤曲輪にたどり着いたところまでは覚えていたが、既に戦いが終わり死体が風に吹かれる静けさを見た時、記憶が途切れた。どうやら朦朧とした意識のまま夢遊病者のように、彼女の姿を横目に見る戦いに乗り遅れた豊臣兵がたむろする大手門前広場を横切り、太鼓曲輪の尾根を越えてここまで来たものらしい。
 布衣は急に喉の渇きを覚えた。そして川の水をすくおうと手を伸ばしたとき、淀みに映る己の顔を見て言葉を失った。城下を歩けば男たちが振り返るその美しい顔が、焼きただれて見るも無残に膨れあがっているではないか。はだけた肩も胸も真っ赤に焼けただれ、ふためと見れぬ醜い姿となっていた。
 涙に暮れた布衣姫は、やがてその川に身を投じた。



 阿鼻叫喚の地獄とはまさにこのことを言うのだろう。
 楼閣に身を潜めていた女たちは恐怖におののき、身を寄せ合い身体をブルブルと震わせ、小さな子を持つ母などは、子を強く抱きしめたまま題目や念仏を唱えはじめた。
 やがて火の手も迫ってきて、室内の急速に温度も上昇した。
 そんな中、ふと鳴り出したのは美しい和琴の音色だった。アンネが皆を勇気づけようと、その張り詰めた空気に弦をはじいたのだ。
 「子らよ、怖くはないぞ、泣くでない。私の腹にも子があるが、泣いてはおらぬぞ、我を見よ」
 アンネは母性の笑みを湛えて、ひたぶるに弾き続けた──。
 衆は寡に敵せず、みるみる数を減らしてついに八王子兵が皆無となったことに気付いた御主殿広間や会所に立て籠っていた女子供、年寄りどもは、みな我先にと逃げ出して、ついに建物の障子に火が燃え移れば、大奥の楼閣の者たちも悲鳴を挙げて飛び出した。
 それでもアンネの琴はやむことがなく、その音は深い手傷を負って息も絶え絶えの駿太の耳にも届いていた。その音は駿太の希望なのだ。
 「アンネ……いま行くよ……」
 駿太は身体を動かすたびに血液が滝のように吹き出る傷口を押えながら、音の出どこを目指して這い進んだ。
 周辺では逃げ惑う女子供を豊臣兵は手心なく斬りつけている。唯一の逃げ道である御主殿の滝に通じる狭い門前は、熱湯に追いやられたアリの巣のように前古未曾有のパニック状態。女子供は門を出た急な細い坂道を転げ落ちては、次々に滝壺の中に身を投じて水を真っ赤に染めた。
 駿太は逃げ惑う者達とは反対の方向へ、それでも琴の音のする方向へと這って進んだ。
 燃える楼閣、炎の中に、たった一人残って琴を弾き続けるアンネの姿が見えた。
 やがて壁が音をたてて崩れ、弦もプツリと切れた時、彼女の瞳は背に矢が突き刺さった血まみれの駿太の姿をとらえたのだった。
 「駿太!」
 アンネはその弱々しい身体にしがみつき、ドクドクと流れ出る血を口で押さえたが、もはや愛する夫は虫の息──駿太はアンネの手を力なく握りしめ、
 「逃げよう……」
 かすれる声でかすかに笑った。
 次の瞬間楼閣の屋根は崩れ落ち、二人は炎の中に消えた。

 そのころ、本丸を目指して激しい銃撃戦の末金子曲輪を破った豊臣軍先鋒隊は、狩野一庵の曲輪に津波のように押し寄せていた。こうなったらひとたまりもない、あえなく一庵の命も潰えた。
 本丸、山頂曲輪の城代横地監物が比佐に言った。
 「もはや再起の時を待つより仕方ございません。ここは私が食い止めますので、その間に檜原城へお逃げ下さい!」
 檜原城は北条家に重く用いられた土豪平山氏重の居城で、秀吉の北条攻めにおいても最後まで抵抗した城の一つである。しかし比佐は目を閉じてこう答えた。
 「氏照の城が落ちて細君が生き延びたとあらば、末代までの笑い者となりましょう。かくなる上は自害するよりほかありません。介錯をお願いします」
 世に言う坂東武者とは、こうした女性の潔い性質に支えられていたのかも知れない。
 比佐と藤菊丸は八王子城の本丸で果て、やがて八王子城は落ちた。
 東の空がうっすらと白らみはじめた朝靄の中に、悲しげな笛の音が聞こえていたのは気のせいだろうか。
 その後まもなく小田原も落ちる。

 二〇一九年二月十二日
(2017・05・04 GB鈴木氏より拾集・『雷神の門』より抜粋・改稿)