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(26)犬と猿の大喧嘩

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 不足人員266名の当てが全くないまま日曜の午前中、三週間後に迫る運動会当日に向けて、城田は『十段円塔全体説明会』を行った。会場となった蛍ヶ丘小学校体育館には、児童を省いた全体の四分の一程度の協力参加者が集まったが、ほとんどがPTAの保護者が中心で、あとは区の三役と老人会の伸兵衛さん、数人の悶巣蛇亜の面々で、STBのテレビカメラは入っていない。
 職員の先生方に参加強請はできなかったが、ご都合が良ければ出席して下さいと声をかけたところ、六年信組の八木先生と五学年の担任三名、そこに理科のガリ先生と養護の鶴田美由紀先生が出席してくれた。もちろん桜田先生は今や城田と並んで十段円塔の重要な推進メンバーとなっていたから当然として、学校を代表して校長の顔も見えた。
 入り口には立トレを置き、受付を任された愛は一人一人の参加者のチェックと、城田が作成した『十段円塔の手引き』書を渡していたが、そのうち一人では手が足りなくなって、安岡先生と鶴田先生も手伝ってくれた。城田は続々と集合しつつある体育館内の様子をながめながら、やがて伸兵衛さんが入場するのを確認すると、パイプ椅子を持っていき深々と頭を下げた。
 それにしても一部に明らかに場違いな、頭髪は金髪もしくはモヒカン、アフロ、顔は眉毛をそり落とし一人はサングラスをかけ、凄味のある服を着て浮きまくっている顔ぶれがある。城田には悶巣蛇亜の連中であることはすぐに知れた。リーダーの蛍の文こと坂上文一郎と副リーダーのアゲハのヤッシャン、そして金髪の中村光也の三人が来てくれたのだ。坂上は体育館に入場するや、大きな図体で城田のところにのっそりやってくると、
 「師匠!本日はお招きいただき、ありがとうございます!」
 と、そのまま城田を護衛するように横に立ち尽くした。さすがにそうなると「どこのヤクザ者か?」と城田に近づく人がなくなったので、
 「坂上君、申し訳ないが会場の方に座っていてくれないか?」と言うと、「はい、師匠!」と素直に体育館の中央にでんと腰を下ろしたものだから、彼を中心にドーナッツ状に空席ができてしまった。
 次にガリ先生が城田のところにやってきて、
 「あの連中はいったい何者ですか?」
 と、受付を指さして聞いてきた。見れば鶴田美由紀先生を囲んで、金髪の中村とアゲハのタトゥをしたヤッシャンが、なにやら楽しげに話をしている。おそらく下手な台詞で彼女を口説いているのだろう。城田は、
 「この学校の卒業生ですよ」
 と、深い詮索を警戒しながら答えた。ガリ先生は、
 「卒業生……?」
 と呟いたかと思うと、いつの間にかそこから姿を消した。
 さて、説明会は桜田愛先生の進行で、はじめに烏山校長から御礼と挨拶が述べられ、続いて音無PTA会長の挨拶のあと、城田の説明へと続いた。城田が話す内容は全員に配布した『十段円塔の手引き』にもまとめられていたのでスムーズに進んだが、質疑応答に移った時、あらぬ方向から質問が飛び出した。挙手をしたのは日の出食堂の原田友則である。
 「先生、ちょっと小耳にはさんだのですが、当日の参加者に配られる弁当、これすべて夕焼け弁当クック・モットに依頼したというのは本当ですか?」
 城田はどこでそんな話が漏れたのかと首を傾げたが、やがて言葉に詰まりながら「弁当については現在検討中でして、決まったわけではありません」と答えた。
 「検討中ということでしたら、うちも仕出し弁当を扱っておりますので、ひとつ候補に加えていただき、プレゼンテーションの場を要求します。学校行事とはいえ地域もこれだけ深く関わっているんだ、うちだって地元業者なんだから平等に扱ってもらいてえなあ!」
 と声を荒げて言った。
 「わかりました」と城田が答えるより早く、今度はクック・モット社長の水島友作が立ち上がって、
 「そんな必要はありません。たかが弁当の注文を受けるのに、いちいちプレゼンなんてやってられませんよ!」
 と発言した。原田はカッとなって、
 「たかが≠ニはなんだ! こっちはそれで生計を立ててるんだ。一日に何十万って金が動くんだぞ。それを独り占めにするつもりか! 学校は公共の施設じゃないか!」
 と叫んだ。水島も負けていない、
 「では聞くが、あなたの食堂で一日に1300食以上の弁当を作る設備と技術があるのですか? 言っちゃあ悪いが、あんな個人経営の今にもつぶれそうな店では、せいぜい一日200から300食が限度でしょう。背伸びをしちゃいかんよ」
 「なんだと!」と原田は今にも飛びつきそうな剣幕である。
 「まあまあ、ちょっと落ち着いてください」
 壇上でマイクを通して城田が言ったのがいけなかった。押され気味の原田は、怒りの矛先を城田に向けてまくしたてた。
 「城田先生あんたねえ、学校の人間でありながら個人的な感情で動くのはどうかと思うよ? あんたなんだい、クック・モットの紅矢春子に惚れてるって話じゃないかい!」
 それには烏山校長も桜田愛もびっくりして壇上の城田に目をやったが、張の本人は顔を真っ赤にしたままぐうの音も出なくなっている。水島は助け舟を出すように、
 「城田先生の判断は賢明です。現実的に考えたら対応可能なのはうちの方です」
 と引き下がらない。
 「黙れ! 成り上がり者!」
 「なにを! ドロボー猫!」
 と、もはや会場は収拾のつけようがない大混乱―――。
 そのとき、アフロヘアをした坂上文一郎の巨体がのっそり立ち上がった。会場はどんなおぞましい光景を見るのだろうかと、一瞬のうちにシンと静まり返る。すると文一郎は背伸びして大きな欠伸をしたかと思うと、再び静かに腰を下ろした。すかさず烏山校長が城田のマイクを取って、
 「運動会当日の昼食について、学校側の考えをお伝えします」
 と言った。さすが校長、会場の視線は全て烏山に集まった。
 「運動会は年間行事の中でも一大イベントです。昔は子どもの応援に親戚中が集まって、お昼ともなれば木陰にマットを敷き、風呂敷を広げて重箱に詰めた手作りのお弁当を囲んで、家族団らんの昼食をとったものです。隣のお宅のおかずが気になったりしてね、取り替えっこをしたり、親が応援に来れなかった家の子どもも余所の家の団らんの中に加わって、そりゃ和やかな楽しい時間でした。私は思うのです。ああいった人の触れ合いの中で子どもというのは成長しなくてはいけないと。ですのでPTAの保護者の皆様にはたいへん申し訳ないのですが、昼食については例年通り手弁当でお願いしたい。それ以外の皆様には、先ほど城田先生からありましたように、現在検討中でございますので、今日のところはどうかご容赦願いたい―――」
 そうして全体説明会は、問題がくすぶりつつも終了したのであった。

 金髪の中村とアゲハのヤッシャンは、終了後も暫く鶴田先生と歓談をしていたが、人が全員いなくなって、ようやく体育館を出た。ところが出たところで一人の白衣を来た男が立っている。
 「ちょっと君たち」
 と声をかけたのはガリ先生で、金髪とアゲハはひょろりとした白衣の男を取り囲んだと思うと、「なんだい、あんた?」と挑発するようなドスの利いた声でアゲハが言った。
 「私はこの蛍ヶ丘小学校で理科の教師をしております土狩辰美と申します。皆は私をガリ先生と呼んでいますのでそう呼んでください」
 と、ガリ先生は動揺も見せずに淡々と言った。
 「理科の先公だ? その先公が俺たちに何の用だい?」
 アゲハはインテリぶった人間が大嫌いなのだ。
 「君たち、ここに来てからずっと鶴田先生と話をしていたようですが、悪い事は言わない、あまり彼女とは関わらない方がいい」
 ガリ先生の言葉に今度は金髪が食ってかかった。
 「それはどういうことですか? 僕は小学校の時から美由紀先生にはお世話になっている教え子なんです。先生を悪く言ったら僕が許さない!」
 ガリ先生は「なるほどそういうことか」と思った。勘繰りのいいアゲハはすかさず、
 「ははーん、ひょっとしてあんたも鶴田先生に惚れてるな?」
 と言った。図星のガリ先生は激しい動揺を隠して「何を言うかと思ったら」と、大きな声で笑って誤魔化し、「彼女は魔性の女ですよ」と続けて、
 「過去に何人の男が彼女に弄ばれたか……実は私も危うく彼女の罠に落ちるところだった―――」
 と、いつもの学者口調で言った。その話にたちまち興味を示した金髪とアゲハは次の言葉を待った。
 「悪い事は言いません。早いところ彼女から身を引いた方が身のためだ。泣かずにすみます」
 金髪とアゲハは顔を見合わせた。ところが二人はもとより身の程知らずなので、
 「鶴田先生になら騙されたってかまわない!」
 と言うから、ニヤリと笑んだガリ先生は「そこまで言うなら仕方がありません」と、ポケットから2本の小さな角瓶を取り出して二人に1本ずつ手渡した。
 「それは鶴田先生が大好きな香水です、シャネルの5番。その中に含まれるムスクの香りに、どうも彼女は弱いらしい。そいつをつければたちまち彼女は君たちの虜になるでしょう。次回はその香水をたっぷり体にふりかけて会うとよろしい」
 「ほんとうか?」
 と、二人は香水のフタを開けてその匂いを嗅いでみた。なんとも言えない良い香りであることは二人の顔を見ていればすぐに分かる。
 「しかし、どうしてあんたがこんなことをするのだ?」
 と、はやりアゲハは不審感をぬぐえない。
 「ははははっ、君たちもバカだなあ」とガリ先生は一笑に伏して、
 「君たちのようなチンピラが、鶴田先生の相手をしていてくれれば、その間、何人の善良な男たちが泣かずに済むだろうか。ちょうどいま、三学年の若い先生が狙われているのです。いわばこれは世のためなのです。君たちにとってもいい話だと思ったのですが?」
 ガリ先生は二人の顔色をうかがってから「いらないのならお返しください」と、シャネルのナンバー5を取り返そうとした。すると、「いや、ちょっと待て」というように二人はその手をはねのけた。鶴田先生と仲よくなれるのなら、これほどいい話もない。やがて、
 「それじゃ遠慮なくいただくよ!」
 と言って、金髪とアゲハは嬉しそうに帰って行った。

 さて、どうっと疲れを覚えた城田は職員室に戻ると、デスクの椅子に座り、背もたれに身体を倒して天井を仰いだ。まさかあれほど多くの人がいる面前で、ずっと心にしまっていた春子に対する感情を暴露されるとは思ってもない。あの一言で彼に集まった信頼も、いっぺんに崩れてしまっただろう。
 「城田先生、ちょっといいですか?」
 話して来たのは桜田先生で、愛は今日はいない高橋先生の椅子に座って隣に近寄ると、
 「さっきの話ですけど……」
 と言いにくそうに、春子のことを聞き出そうとするのだった。
 彼女にしてみれば尋常ならぬ事だった。紅矢春子≠ニいうのは受け持ちの児童である希の母親であるし、なにより視聴覚室における彼と希の不可思議な会話が、頭からずっと離れなかったからだ。城田と紅矢の間にある見えない何かが気がかりで、もう矢も楯もたまらないのだ。
 「希さんのお母さんと城田先生って、どういう関係なのですか?」
 愛は単刀直入に聞いた。
 「その話ですか……」
 と城田は、何も話したくなさそうに体を起こした。
 「なんでもありませんよ。きっと原田さんは何か誤解されてるのでしょう」
 そう言って立ち上がって時計を見て、
 「もうお昼ですね。そうだクック・モットのお弁当を買ってきてあげますよ。あそこのから揚げ弁当、うまいんだから! まだ学校にいるでしょ? 今日は僕のおごりです」
 城田は逃げるように出て行った。愛の心はなぜか激しく乱れた。