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(2)蛍ヶ丘の人々

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 蛍ヶ丘の大通りを挟んでほぼ真向かいに、二件の飲食店があった。道の南側にあるのが日の出食堂、北側にあるのが夕焼け弁当「クック・モット」という名の県下に点在するチェーン店のひとつである。
 日の出食堂の方は、蛍ヶ丘ができた当初から区民の腹を満たしてきたいわゆる大衆食堂で、出前もやっている。以前は景気もすこぶる良かったようだが、今は二代目の原田友則が妻の良美と一緒に切り盛りをしており、六年生に萌という女の子と、四年生に輝という男の子の二人がいた。
 一方、夕焼け弁当「クック・モット」の方は、紅矢春子という未亡人が店長をしており、女手ひとつで育てている娘の希は現在4年生、桜田愛のクラスであった。事情は知らないが、数年前に日の出食堂の営業を邪魔するかのように突然越して来た。日の出食堂の景気が大きく傾いたのもその頃で、以来、両店はあいさつもろくにしない犬猿の仲である。
 いきさつを話せば長くなるのでかいつまむと、日の出食堂の原田とチェーン店夕焼け弁当クック・モットのオーナー(社長)は昔同級生だった。名を水島友作といって北蛍ケ丘に住むが、彼らが小学校6年生の時、水島が原田にファミコンのゲームソフト(確か「アイスクライマー」だったか?)を貸したのが事の発端だった。中学に進学して二人は別々のクラスになり話すこともなくなるが、卒業を控えて久しぶりに合ったとき、水島が「あのファミコンソフト、返してくれないか?」と言った。ところが原田の方は「何のことだっけ?」ととぼけた。実はなくしてしまっていたのだ。怒ったのは水島である。当時なけなしの小遣いをはたいて死ぬ思いで買ったソフトで、しかも四十八面中四十七面までクリアしたところで原田に強くせがまれて嫌々貸したものだったからだ。激しい口論となったが、なくしたものは出てくることはなく、その後二人は絶交したまま成人し、一方は親の後を継ぎ食堂の店主となり、一方は弁当のチェーン店を経営する実業家となって同じ町に住んでいた。しかし水島の方はずっと根に持っていた。「いつか日の出食堂をつぶしてやる!」という怨念に変わって、いやがらせにチェーン店の一つを蛍ケ丘にある唯一の食堂の真ん前に店舗を作ってやったのだ。折り合いが悪い事は重なるもので、水島の息子友太と原田の娘萌とは城田が学級担任の同じクラスであった。
 そんないきさつがあるとはつゆ知らず、紅矢春子は貧乏くじを引いた。もちろん「どうして食堂の真ん前に弁当屋を作るのだろう?」と疑問を抱くことは何度もあるが、まさかオーナーと向かいの食堂の店長の因縁など知る由もない。来る日も来る日も大通りを挟んで顔を合わせながらも、陰険な眼差しに悩まされた。売り上げも両店で客を分けていたので一向に良くならないし、こちらが唐揚げ一個プラスセールを行えば向かいは唐揚げ無料サービスを行い、こちらが期間限定三〇〇円弁当を出せば向かいは二九〇円の仕出しセットを始めるなど、熾烈なサービス競争と価格競争は両者の経済的体力をそぎ、果てしなく続けられていた。

 ところで今年度の蛍ケ丘小学校のPTA会長は、6年生に太一という子がある音無宗司という男である。南蛍ケ丘に一軒家を構え、以前は大手電機メーカーに勤めるサラリーマンだった。妻は公子といって、子供が保育園の頃から保護者会長や、小学校になってからも学級会長や町の役員など積極的に受けてきたハリキリママさんで、そんなところから音無のところにPTA会長の話が回ってきた。入学式の時などはたいそう立派な挨拶を述べ、保護者や先生の間でもけっこう評判になったが、6月に入ってリストラで職を失った。以来、意気消沈してPTA行事にも足が遠のき、毎日酒を飲んでうっぷんを晴らす始末。そんなところに電話が鳴った。
 「あなた、学校からよ。いま2学期のPTA活動についての打ち合わせをやってるんだって。行かなくていいの?」
 「やだ!行きたくない!」と、宗司は駄々っ子のようにコップの酒を飲み干した。公子は呆れて「すぐ行きます!」と電話を切って、そのまま代わりに学校へ走って行った。残された宗司と6年の太一は、少し気まずい雰囲気をつくりながらテレビを見ていた。
 「太一、学校の方はどうだ?」
 「どおって?」
 「面白いか?」
 「まあまあ」
 「もうじき運動会だな、何かやるのか?」
 「白組の応援団長」
 「ほお!すごいじゃないか!」
 「ぼくはヤダって断ったんだけどおまえの父ちゃんPTA会長なんだからやれ≠チて言われて、仕方なくやることになった」
 宗司は申し訳なさそうにコップに酒を注いだ。
 「紅組の応援団長は誰なの?」
 「萌ちゃん」
 「日の出食堂のあの元気いいお姉ちゃんか。いいか、女になんか敗けんなよ!」
 父親の心無い発言に、太一は怒ったように立ち上がると、自分の部屋へ入ってしまった。

 ちょうど時を同じくして北蛍ヶ丘の公会堂の玄関先では、何かもめごとがあったらしく静かな口論になっていた。見ればいかつい顔をした五、六十代の男が数人と、大きな手提げ袋を抱えた中年女性集団と、さらにはヨボヨボのお年寄りが七、八人、みな口々にああでもない、こうでもないと自分たちの主張をしているようである。
 「だいたい今日は区の三役会があるから他の団体は公会堂を使わないようにと回覧しておいたでしょ?」
 と区長らしき男(実際区長だが)が主張する。
 「なに言ってんの!紙っぺら一枚回覧しただけで全員に伝わっているとでも思っているの?そんな大事な会合をやるんだったら、前もって婦人会長に菓子折りのひとつでも持って挨拶に来なさいよ。こっちは半年も前から予約して、こうしてお料理教室で使う材料まで買ってきちゃったんだから」
 と婦人会の料理教室主宰の女性が言い返す。どうやら公共施設の使用権をめぐっての争いのようだ。
 「我々も予約をしたけど婦人会の予約なんか入っていなかったよ」
 と今度は区の会計らしき男が言う。予約といっても公会堂の入り口に置かれた大学ノートに、月ごとのページに日付と団体名を記入するだけの簡素なものである。そこへ「わしらだって」と八〇くらいの老人が口をはさむ。区長はむっと睨んで、「老人会は辺りが暗くて危ないから、寄り合いは昼間にやってください」と問答無用で聞き捨てた。
 やがてこのままでは埒があかないと、『予約ノート』を確認しようということになったが、肝心のノートが見当たらない。公民館長が持っているんじゃないかと連絡したところ、おずおずとやって来たのが今年度の公民館長鈴木逸美という男と、クック・モットの社長水島友作だった。鈴木は三期十二年間市会議員を務め、須坂市長の五木雅雄氏とはツーカーの仲で町でも一目置かれる存在であり、議員を辞してからは地域に貢献したいと、今年度は公民館長を任されていた。たまたま水島とは区内に建設予定の多目的センターの資金繰りについての打ち合わせの最中だったので伴って来たようで、「いっちゃん、なんとかしてよ」と、選挙の際にいろいろ世話になった旧知の老人会メンバーに迎えられた。
 「これが予約ノートだけどナ……」
 と鈴木がカバンから出すが早いか区長が奪い取るように広げると、8月の今日の日付の夜の欄にははっきり『区三役会』と書かれてあった。「ほれみろ!」と言わんばかりの区長からノートを奪い取った婦人会メンバーは、ひとつページをめくり、9月の今日の日付の欄に『婦人会料理教室』の文字をみつけた。
 「あらやだっ!わたしったら日にちを間違えて書いちゃったみたい!」
 と、さっきまで機関銃のようにあくたれを述べていた婦人は赤面したまま黙ってしまった。
 「それでは今日のところは私たちに軍配があがったようなのでお引き取りください」
 と勝ち誇った区長が言った時、「ちょっと待った!」と老人会の一人が叫んだ。
 「そのノート、昨年のじゃないかいの?」
 と、見れば確かに表紙には昨年の西暦とともに年号が記してある。
 「いっちゃん、今年のノートと間違えて置いたんじゃないか?別に今年のノートがあるはずだよ」
 案の定、鈴木のカバンの中から今年度のノートが出てきて、今日の日付に記されていたのは『老人会お茶のみ会』の文字だった。
 「あ〜、ごめん、ごめん、間違って置いていたみたい。悪かったねエ〜」
 と公民館長は高笑いしてごまかした。「間違いは誰にでもありますからね」と、水島社長も助け船を出したものだから、区長は「予約ノートは持ち出し禁止です。ちゃんと公民館に保管願いますよ!」とだけ言い残し、婦人会メンバーと一緒に何も言わずに引き下がっていった。およそ金持ちと権力者には弱い輩なのだ。
 こうして老人会の無言の「お茶のみ会」が行われている頃、蛍ケ丘小学校の煌々と電気が光る理科室の、一人の男が扉を叩いた。PTAの役員会は校長室で行われていたはずなので、それとは違う目的で訪れた者に違いない。