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(九)老人性痴呆症
 コスモス園で実際に介護の仕事をしながら、またホームヘルパー二級の講座を受けながら、百恵は今まで全くの無知であった自分を改めて発見した。
 そもそも“老化に伴う物忘れ”と“痴呆症”の違いは、加齢による生理的な脳の衰えによるものか、脳の病気によるものかで分けられる。“物忘れ”が体験の一部分を忘れるのに対し、“痴呆症”は体験したことの全体を忘れるという特徴があることや、判断力の面からいえば、“物忘れ”は判断力の低下は見られないのに対し、“痴呆症”は判断力の低下を伴っており、それらの自覚症状がなくなっていく。また、“物忘れ”は新しいことを学習する能力が残っており、“痴呆症”では新しいことは覚えられないという症状があらわれ、日常生活にも支障をきたすようになり、それらがどんどん進行していくという。また、老人性痴呆症といっても大きく分けて二種類あり、一つは『アルツハイマー型認知(痴呆)症』、もう一つが『脳血管性認知(痴呆)症』で、その二つが複合しているものを『複合型認知(痴呆)症』といい、それらがいわゆるボケと呼ばれる全体の八十パーセント近くを占めている事。それらもごく最近学んだのだった。
 もちろんコスモス園の高齢者達は痴呆症の者ばかりでないが、彼等と接する百恵の衝撃は大きかった。
 ある時は、電信柱に敬礼をするおじいちゃんの姿を見かけた。そして「総理大臣万歳!」と叫んでいるのである。またある時は、どこにもカラスなどいないのに「カラスがいる」と言って茫然と外を眺めるおばあちゃんがいたり、またある時は、毎日毎日亡くなった息子の同じ話を繰り返す者があったり、また別の話では、突然寄ってきたかと思えば、お礼を言われる事などしていないのに涙を流しながら手を握りしめ、「すまないねえ」を何度も何度も繰り返す者があったり、勤めはじめて二週間も満たない間に経験した数々の出来事は、何も知らない彼女にとってあまりに大きな衝撃の連続だった。
 しかし、それらショッキングな出来事に耐えうる力を与えてくれたのも、やはり同じ入所の老人達だった。いつもおしぼりをたたむ仕事を手伝ってくれる清水のおばあちゃん。家庭の事情で入所している方だが「たいへんだろう」と言って、いつも笑顔で笑いながら寄ってきて昔話を聞かせてくれる。また、生まれながらに目の不自由な小柄な末おばあちゃんは、色の認識ができて裁縫が得意。百恵が勤めはじめたのを知ってから、少しずつピンクの布でポーチを縫って、数日前に「モモちゃんだから桃色のポーチを縫ったよ」と言って渡してくれた。百恵が「かわいい!おばあちゃん、ありがとう!」と言うと、「わしは目が見えんが、あんたのかわいい顔が目に浮かぶよ」と言ってくれた言葉に感動したり、いつも「モモちゃん」と言いながらお尻を触ってくるトメじいさんとは喧嘩ばかりしているが、悪気がないことを知ってからは優しい言葉をかけると、妙に照れて顔を赤くする。彼が食事の時、自分だけ専用の佃煮を持ってきて食べているのを発見したとき、なんだか無性にかわいく見えてきたりとか、人は年をとると子供に返るというが、それを目の当たりにしたとき、どこまでもこの人たちの力になってあげたいという思いがいつしか湧いてくるのであった。

 「百恵さん、今週の土曜日だけど、毎年恒例の『お花見』ががりょう公園で行われるんだけど、あなたも来ませんか?」
 声をかけてくれたのは高梨の姉で、看護士をしている高梨君枝だった。百恵を施設長に紹介してくれた人である。大所帯の施設では、交替番も夜勤もあるので、同時期に一斉に飲み会などの席をもうけることができず、毎年交替で各部署の代表数名が出席することになっており、新入スタッフは優先的に出てもらおうという暗黙の了解があった。
 「私、お酒ダメなんです……。それに土曜は用事が……」
 百恵は俊介との桜を見に行こうという約束を思い出した。
 「そうなの?でも施設長や施設医の先生方もみえるから、お見知りおきをしとく良いチャンスよ。前日までに返事くれればいいから考えといて」
 百恵は施設医という言葉にドキリとしながら、「は、はい……」と答えていた。君枝はお知らせの回覧板を渡すと、忙しそうに行ってしまった。
 それにつけても腑に落ちないのは施設医山口浩幸の評判だった。看護士や介護スタッフ、ケアマネージャーなどの会話を耳にする限りでは、人付き合いのあまり得意でない有能な外科医ということだが、入所の高齢者に聞けば、みなあまり良い印象は持っていないようだった。自分達の話をまるで聞いてくれず、診察の結果を淡々と話す。ある者に言わせれば「やつはブラック・ジャック」だと言う。
 「ええっ!無免許医?」
 と百恵が驚くと、
 「そんなことはないだろうが、腕は確かさ。でも普通の医院より高い診察料を請求するのを知ってるかい。先代の赤髭先生とは大違いさ」と話す。どうやらその評判の悪さは、赤髭先生の異名を持った先代の山口正夫先生とのギャップから生じているように感じた。
 しかし、浩幸のおかげでいわゆるボケが快復方向に向かったという話もあったり、その実体の不透明さは、彼に対する関心へと高まりを見せていたのである。毎日コンビニに来ていた彼や先日のラーメン屋での彼の姿からは、ここで不評の施設医と同一人物であるとはとても思えなかった。
 「新津君、ごめん……。土曜は職場でお花見になっちゃって、行けなくなっちゃったの」
 電話の向こうで俊介が「そう……」とつぶやいた。