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(七)ある老婆の死
 人は死んだら何処へ行くのだろうか?
 夜空に輝く星になるのだろうか?
 それとも大気の中に溶け込むのだろうか?
 あるいは果てしない宇宙空間の中へ吸い込まれるのだろうか?
 肉体が滅びたら、それに宿っていた“いのち”の実在まで消えるなんて、そんなのどう考えたって理解できない。
 “ある”ものは“ある”のだから、なくなるなんて道理が存在するわけがない。別の物に変わるというのなら理解できるの。例えば粘土で作られたウサギがリンゴになったり、小犬が大きくなってシベリアンハスキーになったり、電気が機械を通すことによって物を動かす力になったり、酸素が化学反応を起こして水素になったり……。そんなのみんな道理で説明できるでしょ。
 でも、人の“いのち”は死ねばどうなるの?いいえ、人だけじゃない。地球上に生きる全ての生き物の“いのち”も同じこと。
 死んだらいったい何処へ行くというのだろうか……?

 今年に入って一番寒かった二月のある日、百恵にとても優しかった末おばあちゃんが死んだ───。八十四歳の生涯だった。
 百恵が新米でコスモス園に勤めるようになった時、末おばあちゃんは名前が“百恵”だからと言って、“桃色”のポーチを縫ってくれた。それだけで嬉しかったが、末おばあちゃんは生来目が不自由であったのだ。病名は分からないが先天性のもので、彼女は生涯の全てを暗闇の中で生き抜いた。どこで裁縫の技術を学んだのか、今となっては知る由もないが、その腕は天下一品で、あの後も、ピンクのエプロンや手提げカバンなど、百恵の誕生日を覚えていてくれて、毎年五月五日になれば何日もかかって作った実用品をそっとくれるのだ。
 夏みかんや林檎の皮をむいてあげたり、部屋にお花を飾ってあげたり、一緒に外へ散歩に出かけたり、花壇に咲くお花の香りを楽しんだり、唄を歌ったり耳掻きしたり……、たいていの事は一人でできる人だったから、百恵の方が逆にお世話されていたくらいだった。
 目が不自由だったせいだろう、お嫁にも行けずにずっと独身だった。ご両親を失ってからの彼女は、いろいろな施設を渡り歩き、最後にこのコスモス園にたどりついたのだ。
 「モモちゃん、あんたの顔を触らせておくれ……」
 ある時おばあちゃんがそう言った。百恵は「どうぞ」と言って、そのシワだらけの手で触ってもらった。おばあちゃんは笑顔を浮かべて、まるで壊れそうなガラス細工を扱うように、ずっと百恵の顔を撫でていた。
 「きれいな顔付きをしているね。まるで博多のお人形さんのようだ……」
 百恵は疑問に思ってこう聞いた。
 「私の顔が見えるの?」
 「ああ、はっきり見えるよ。この手の感触、そしてあんたの声……。信じないかもしれないが、誰かがこの部屋に入ってきた瞬間、その人の声を聞く前にそれが誰だか私にはすぐ分かる」
 末おばあちゃんは視覚を除く五感の神経を研ぎ澄ませて、身の周りの様子を全部見ていたのである。その人が何を考えているのか、自分に好意を持っているのか、悪意を持っているのか、微妙な言葉の抑揚や会話の間などで目が見える人以上に敏感だった。人にはほとんど言わないが施設一の情報通でもあったのだ。視界が暗闇である分、彼女には必要以上のものが見えていたに違いない。
 おばあちゃんを通して感じていた事は、“人間には不可能はない”ということだった。三重苦のヘレン・ケラーの史実も、末おばあちゃんの姿を通すとき、それは奇蹟ではなく現実として納得できるのである。人間はかくも偉大であるかと、百恵の関心はそれだった。
 その末おばあちゃんが言っていた言葉で忘れられない事がある。それは浩幸に対する評価である。それは、医療法人化が決定して間もなくの事だった。
 「あの先生は孤独だよ。性根のまっすぐしたやり手だから風当たりも敵も多いし、先生を良く言う人は一人もいない。でも私には分かる。根は誠実と正義の塊だね。私は赤髭先生の事は知らないが、噂を聞く限り、きっとそれと同じ“いのち”を受け継いで生まれてきたに違いないよ。医療法人化にしてもそうさ。みんなはお金儲けと名声のためと言うが、違うね。あの先生は自分の理想に忠実すぎるのさ。私がもっと健全で力があったら、あの先生の手助けをするのにね……。そうそう、旦那にするならああいう人をお選び。でもあんたとは年の差がありすぎるねえ」
 おばあちゃんはそう言って笑ってた。百恵にとっては浩幸を好意的に言うたった一人の味方だった。だからというわけではないが、百恵は末おばあちゃんが大好きだった。
 その老婆が突然死んだ───。
 第一発見者は百恵だった。
 いつものように各部屋を見回った時、いつもなら同室の誰より先に挨拶をしてくれる末おばあちゃんだが、その日百恵を迎えたのは、同室の清水さんの「末さん、ずいぶんとゆっくりしてるね」という言葉だった。百恵は不審に思って「おはよう」と言いながら末おばあちゃんの身体を揺すったが、その身体は揺するのに合わせて力なく揺れる“いのち”の抜け殻だった。慌てて脈を計った百恵は蒼白になった───。
 その日、百恵は涙を流しながらその対応に追われたのである。

 家族も親戚もない末おばあちゃん……。
 やがて霊柩車で運ばれて行った。その後どこへ行ったのか?
 ───私は知らない。