> 執筆にあたって
執筆にあたって
 そもそも『痴呆の都』の執筆を思いたったのは十年以上も前の話である。
 私の妻が結婚以前に勤めていた場所が老人介護施設であり、その日常の話を聞かせてもらいながら、痴呆老人に興味を持ったのだ。しかし、日本における高齢者介護の現実を自分なりに理解したとき、とても私の手に負えない高度に社会的な現実問題であることに気付いた。実際に家族の介護をする方々の生々しい声を知るにつけ、「とても書けない」とさじを投げたのだ。以来、手を付けることもできず、「いつか書こう」と、じっと心の中で温めておいたのだ。
 それが平成十七年の春だったか、私は家族と妻の実家である福岡に行った時、義母がはまっていたのが韓流ドラマであった。「面白いから見なさい」との誘いに、最初は半分付き合いで見ていたが、それがなかなか面白い。韓流の役者が演じる純朴にして真っ直ぐな登場人物が織りなす純愛ドラマに、日本人もかつては持っていたであろう人間の誠実さとでも言おうか、すっかり私もはまったのだ。
 恋愛物語は私のもっとも嫌いなジャンルであった。好いた惚れたのたかが男と女のごたごたしたつまらない感情のドラマなど、扱うに足りないと高をくくっていた私は、きっと日本の表面上だけで話が進む薄っぺらな人間ドラマに愛想をつかしていたのであろう。しかし、韓流の純愛ドラマは私に大きな衝撃を与えたのであった。
 美しいと思ったのだ。
 ふとその時、それまで温めていた『痴呆の都』が私の中で甦ったのである。
 高齢者問題に直接的な焦点を当てるのではなく、その中の登場人物の純愛をテーマにしながら話を進めれば書ける。そう思ったのだ。
 『痴呆の都』とのタイトルは、私の住んでいる地域も地方の片田舎であるから、対蹠関係にある“地方”と“都”に韻を踏み、“地方”と“痴呆”をかけたものにすれば面白いのではないかと、この話を書こうと思った当初から決めていたものである。また舞台となっているコスモス園は、妻が働いていた福岡県の『コスモス苑』の名をそのまま使わせていただいた。物語中でその所在する場所については、私の在住する近くの須坂市旭ヶ丘を蛍ケ丘として使っている。
 主人公の『馬場百恵』も当初から考えていた。幼少から「ババア、ババア」と呼ばれていた女性が山口という苗字の男と結婚して、永遠のアイドル『山口百恵』へ劇的なる変身を遂げる、いわば現代版『みにくいアヒルの子』の物語を考えていたのだ。また、『浩幸』という名は、物書きの先輩である永田浩幸氏から貸していただいたことも記しておきたい。
 ともあれそうした経緯から、平成十七年六月より執筆を開始したのであった。
 また、脳移植に関わる展開は、書きながら考えたものである。現実には不可能である脳全体の移植手術であるが、皆目見当もつかない移植であるから、全編に渡り臓器移植のイメージでつづってしまっているが、後にこれが技術的に可能となった場合、その医療的側面からは大きな食い違いが生じることは否めない。描きたかったのは脳移植後の精神的側面なので勘弁していただきたい。
 ともあれ、“はしいろまんぢう”といっても全くの無名である。そこでインターネットでの無料公開を思いついた。少しでも知名度をあげようと図った苦肉の策である。
 そして、物語はおよそ一年の歳月をかけて完結した。思えば平成十八年七月は、私の四十歳の誕生日でもある。三十代を生きた証に、この物語を完成できたことにほっと胸をなで下ろす。
 別の仕事の片手間、急いで書いていたもので、年のズレや、法律的に充分な理解を得ないまま書いていた部分で、様々におかしなところはあると思うが、ご愛嬌ということで許していただきたい。
 『痴呆の都』は完全なるシリアス小説ではない。自分の名前に悩む主人公の百恵や、中心人物の誕生日の設定等、滑稽さをベースに置いたシリアス小説であると思っている。およそ人生には様々な苦難があると思う。それをまともに悩んでしまうのではなく、人生を演じているという余裕を持ちながら悩むのだという、私のささやかな哲学を感じていただければ幸いである。
 願わくば、より多くの人に受け入れられ、映画やドラマなどに扱われるほどのメジャー作品になるよう、心ある方の応援を待つものである。

 平成十八年七月三十一日  はしいろ まんぢう