(二十二)告白

 「ねえ、太一……」
 全裸で毛布にくるまりながら、美幸が言った。このところ、仕事で誰もいない昼間の太一の部屋では、毎日のように二人はセックスの享楽に浸っていた。その日も朝から両親は仕事に出かけ、遅番で出かけた百恵を確認すると、太一は姉の部屋にいる美幸を誘ったのだ。
 「自分の親の事ってどうすれば調べられる……?」
 毛布に顔をうずめて美幸が言った。
 「市役所に行って、戸籍謄本をもらえば家族の事が全部分かるって教わったけど、どうして……?」
 「ふうん……、そんな簡単に調べられちゃうんだ……」
 美幸は少し考え込んだ様子で言った。
 「太一はどうして“太一”って名前が付いたの?」
 「俺の名前……?」
 太一は笑いながら「姉ちゃんから聞いたんだけど」と言って、その経緯を話し始めた。
 美幸は笑ってその話を聞きながら、一方では自分の名の由来について考えていた。“美幸”とはごくありふれた普通の名だが、仮に美幸の“美”が母の美津子からとったものであるとすれば、“幸”はどこからきたのだろうと考え始めたのである。父からのものでないことは明らかであったし、自分に対する暴力の事を考えると、果たしてあれが本当の父親であるのかと疑問を持ち始めたのだ。加えて百恵が盛んに「浩幸さん、浩幸さん」と言うのに加えて、先日の話である。浩幸の“幸”───。美幸は「まさか」と気づきはじめていた。しかし、真実を知る勇気がどうしても出なかった。今更本当の父親が別人だったとして、果たしてどうなるものでもない。
 「太一……、もう一度エッチしよう───」
 美幸は太一の腕の中で全てを忘れようとしていた。

 やがて夕方になり、太一の母親が帰って来ると、美幸は百恵の部屋に戻った。
 「太一!いったいいつまで彼女を泊めとくつもり!まさか、私達がいない間、二人で変な事してないでしょうね!」
 母はしびれを切らせて、このところ毎日不機嫌だった。
 「何言ってんだよ。ただの友達なんだから!それに行く場所がないんだから仕方がないよ」
 「まったく、家出なら家出でいいけど、向こうのご両親には、ここにいる事を本当に教えてあるんでしょうね!」
 「だから!彼女に内緒で連絡してあるって!」
 太一は嘘を重ねながら、毎日必死で言い訳をするのであった。
 「あなた、浪人生なのよ!まったく勉強もしないで!」
 母はブツブツ言いながら、美幸の分も含めて夕食の準備をするのである。一方父の方は比較的無頓着で、「若いのだからいろいろあるさ」と、放任的な態度を示していた───。

 百恵のいない、整理整頓がされている六畳ほどの部屋で、美幸は隅に置いてあった箱が気になり開けてみた。そこには雑誌や新聞の切り抜きがまとめてあり、美幸はそれにはじから目を通した。コスモス園との統合計画を報じた新聞や雑誌の切り抜きにはじまり、各種雑誌に登場した浩幸のインタビュー記事や関連記事、最近のものではスキー場の二人の写真やパブでの写真、そして医療ミスが起こってからの各社の新聞報道の切り抜き───。それらを手にして見ていると、隙間から彼女の筆跡と思われる数枚のメモ書きが落ちてきた。美幸はふとそれを拾って見ると、万年筆の文字が滲んでいた。おそらくこのメモを書きながら、何粒もの涙を落としたのであろう。

 浩幸さん、浩幸さん、浩幸さん───
 貴方にも名前があるのに、私は貴方を名前で呼べないの。
 いつも“先生”って呼ばなきゃいけないの。
 ホントは“浩幸さん!”って大声で叫びたいのに、
 名前で呼んじゃいけないの?
 私の名前は百恵───
 でも貴方は私を名前で呼んでくれない。
 そして貴方は、いつもとても涼やかな顔で、私を“馬場さん”て呼ぶ。
 ホントは“百恵”って言ってほしいのに……。
 そうして私たちは線路のように、どこまで行っても交わる事はないのかしら。
     ☆
 今日、浩幸さんが私を見て笑った。
 ホントに笑ったの……。確かに笑ったの……。絶対笑ったの……。
 診察のおじいちゃんも一緒だったけど、
 浩幸さんは私を見てた。ホントに見てたのよ!
 そして笑ってた……
 そう思わないと私、胸がとっても苦しくて、なんだかとっても切なくて、
 そして涙がこぼれてきて……
     ☆
 あの人を思うと、
 まるで浦島太郎が玉手箱を開けた時みたいに、
 私の心が真っ白になって、胸が苦しくなるの……
 浩幸さん……
 その名前を思い出すと、
 貴方の声が聞こえるの。貴方の歩く姿が目に浮かぶの───
 白衣の聴診器、煙草の煙、貴方の笑顔……
 私の空想が現実であったなら、今すぐ貴方の胸に飛び込んで、
 ずっと抱きしめていてもらうのに
     ☆
 浩幸さんに振られたの───
 大樹君にも会っちゃダメだって───
 いっそ笑っちゃおうって思うけど、
 笑った顔から涙が溢れて、とめどなくこぼれて、ぐちゃぐちゃになって───
 それでも笑おうと思ったら、
 泣き虫の私の声が漏れてきて───、
 それがとっても変な、みょうちきりんな泣き声なのよ
 何ヶ月も経って、
 その声を思い出すとき、私はやっと笑えるようになった
     ☆
 初めて雑誌に載った、浩幸さんと。
 コスモス園のみんなはびっくりしてたけど、
 私はなんだかちょっぴり嬉しかった。
 でも、よく考えたら、たいへんな事になりそう
 そう思ったら、私の元気が全部吸い取られちゃった……
 浩幸さんのために私ができること───
 何もないことにはじめて気づく
 愛は地球を救うなんて、そんなのウソ!
 だって浩幸さんを愛していたって、たった一人の愛した人さえ救えない私……
 どうすればいいの?……
     ☆
 浩幸さんとキスをした
 心臓が飛び出すかと思ったの
 たった数秒だったかも知れないけれど、
 私は永遠の時間の中にいた気がするの
 私にとっての幸福、私にとっての喜び、
 そして私にとってのすべて───
 浩幸さんは、私の全部を包んでくれた
     ☆
 愛するってなあに?
 与えること?包容すること?慈しむってこと?
 浩幸さん、浩幸さん、浩幸さん───
 私は貴方のすべてを受けとめて、
 貴方の望むことなら何でもしてあげたい
 それが罪になろうとも、どんな罰を受けようとも
 だって貴方と私は、この世に生まれて初めて出会ったのではなく、
 きっと久遠の昔に出逢ってた───
 貴方と一緒にいると、私にはそう思えて仕方がないの
 大丈夫、大丈夫───
 きっと全部うまくいく───

 百恵の浩幸に対する思いを知った時、美幸の瞳からは涙がこぼれていた。人を愛する事の意味がなんだか少し分かったような気がした。確かに恋愛感情の枠の中の思いに違いなかったが、その思いを何年にも渡って思い続けている百恵が偉大に見えた。それに比べて自分はどうか?親の言われるままに罪を犯して院長を追い込み、百恵を悲しませ、その弟の太一まで思い出したくない事を忘れるための道具にしている。美幸は自分に対する嫌悪感に苛まれた。やがていたたまれなくなって手紙を書いた。
 『お姉さん、ごめんなさい。
 点滴に毒薬を入れたのは私です。私、山口医院の院長が悪い人だと思ってました。でも、お姉さんがこんなに好きになる人が、悪い人なわけがない。私、勇気を出して前へ進みます。怖いけど、自分でやったことは、やっぱり自分で責任をとらなきゃね……。
 私の名前の事、考えてみたよ。そして、もしかして、私のお父さんは違う人かも知れないって思いました。でも、私にはそれを調べる勇気はありません。やっぱり私のお母さんは今のお母さんであり、私のお父さんは、暴力を振って私を苛めるけど、やっぱり今のお父さんなのです。
 今までありがとう……。太一によろしく……』
 美幸はそれだけしたためると、太一に挨拶をすることもなく、そのまま姿を消した。

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