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Woman───輝く女性の世紀
結婚記念日

 「明日は何の日?」

 妻にそう聞かれて、僕ははたと考え込む───。

 息子の幸ちゃんの誕生日は先月だったし、妻の誕生日はまだ先だ。いろいろ考えあぐねているうちに、旗日や歴史上の出来事などを思い浮かべながら、ようやく結婚記念日だったと気付いた頃には、妻は冷淡な表情で僕をじっと見ていた。

 「覚えてるさあー……」

 と、しらを切る。「本当?」と言うから「ホント!」と答える。その時はなんとか事なきを得た。

 女性にとって結婚記念日とは非常に重要なものらしい。そりゃ男にしても一年目、二年目は忘れては大変とばかりに、カレンダーを眺めながら、今年は何をしようかとか、何を買ってあげれば喜ぶだろうかと考えるものだが、三年、四年と経つうちに、段々意識が薄れてきて、十年経つ頃にはすっかり言われないと思い出せないというケースがあるようだ。全く男は鈍感というか、繊細さに欠ける。そんな事を妻に話せば「あなただけよ!」と軽くあしらわれてしまった。

 今年で結婚六年目になる。二十五年で銀婚式、五十年で金婚式、ちなみに一年目は紙婚式、二年目が綿婚式、三年目は革婚式、四年目が書籍・花婚式で、五年目は木婚式、そして六年目は鉄婚式というそうだが、いよいよ我が夫婦の絆も金属の部類に入ってきたかと思うと感慨深いものがある。

 結婚記念日には毎年、僕は妻と外食をしている。そんなたいそうなものではないが、それでも同じ時間をすごそうと心がけてきたのだ。しかし今回思ったことは、女性にとって特に重要な記念日には、思い出ではなく物を与えておくべきだということである。というのも、妻が「何か買って」と言うから、「毎年食べに連れて行ってあげてるじゃないか」と答えると、「どこに?」という。こっちは毎年どこかに食事に連れて行ってあげているのに、「どこに?」はないではないか!しかし、どこと聞かれてあそこと答えられない自分が悲しい。僕も案外物忘れが多い方だが、結婚記念日に一緒に食事をしに行ったことくらいは覚えている。どうやら女性にとって過去に行われた記念日とは、あまり重要なものではないらしい。

 そのくせ、女性は記念日好きである。はじめてデートをすればデート記念日、ドライブをすればドライブ記念日、失恋をすれば失恋記念日、おしゃれをすればオシャレ記念日、俵万智さんの《「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日》ではないが、些細な出来事を記念日にしてしまう女性の楽天性がうらやましい。こんなふうに考えていけば、本当に毎日が記念日になる。いかにも楽しそうだが、男にしてみれば、細かな記念日にいちいち付き合っていられるほど暇ではない。その上、記念日だからとそのたび物をねだられていたのではたまったものではない。

 なぜだろう、記念日には決まって男から女性に何か物を送らなければいけないというような暗黙の習慣があるように思えてならない。証拠に妻などは事あるごとに「どこかに連れていって」だの「何か買って」と、しつこく言ってくる。女性の記念日好きは、そういったところに由来するのではなかろうか?また、男が記念日を忘れてしまう要因もこんなところにあるのではないだろうか?僕だって、一度でいいから「デジカメを買って!」「車を買って!」と妻のようにねだってみたい……。

 そもそも結婚記念日の風習はイギリスから始まったと言われる。十九世紀のイギリスでは、結婚五年目、十五年目、二十五年目、五十年目、六十年目と、計五回の結婚記念日を祝っていたらしい。それがアメリカに伝わると、貴金属業者が現在のような数多くの名称を作り出し、ノリのいいアメリカ人たちに定着していったそうだ。ちなみに七年目以降の名称を記しておくと、銅婚式、電気器具婚式、陶器婚式、錫・アルミニウム婚式、鋼鉄婚式、絹・麻婚式、レース婚式、象牙婚式、水晶婚式、ここから五年おきに(疲れた人は飛ばして下さい。)、磁器婚式、銀婚式真珠婚式、さんご・ひすい婚式、ルビー婚式サファイア婚式金婚式エメラルド婚式ダイヤモンド婚式というそうだ。なんとも暇な事を考える人がいるものだと感心するが、八年目の電気器具婚式はないだろう。商売根性丸出しではないか。日本においては、明治天皇が行った銀婚式が発祥とされ、後にこの銀婚式と金婚式が定着したそうだ。

 我が夫婦も、銀婚式まであと十九年、金婚式まで四十四年、まだまだ遠い道のりだが、苦労を金の思い出に変えながら、一年一年、一歩、また一歩と前進していきたい。結婚する前は赤の他人だったのが、結婚すれば生涯の伴侶となる───。こんな不思議な関係もあるものか。世の中に、偶然というものがないとするのであれば、妻とはきっと巡り会うべくして巡り会ったということになる。とすれば、生まれ変わっても彼女と巡り会うに違いない。もし、そうしたならば、今度は僕が女性で生まれて、ありったけのわがままを妻にぶつけてやろうと、ひそかに思っている。

2001年5月20日


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