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Woman───輝く女性の世紀
ジェーン・グレイの処刑
『ジェーン・グレイの処刑』
『ジェーン・グレイの処刑』
ポール・ドラローシュ作

 東京八王子にあるTF美術館で、非常におもしろい企画が行われていた。

 「女性美の五〇〇年」と題されたその展示は、過去数世紀にわたる絵画の中でも、特に女性が描かれた国内外の至宝が紹介されたもので、日本では菱川師宣や喜多川歌麿をはじめ、海外ではルノアールやピカソなど有名どころはもちろん、世界有数の美術館より集められた二百四十五点の作品(別に数えたわけではないが……)を鑑賞することができた。

 たまたま妻は、八王子の大学で大事な用事があったので、残された僕と幸ちゃんは行き場を失って、幸ちゃんも「カキカキミル〜(絵を描き描きしたものを見る)」と言うので、盛り上がった二人は、早速近くの美術館に立ち寄ったというわけだ。

 中に入るとベビーカーがあったので、歩かせてもどうせ途中で「ダッコ〜」と言うに決まっている幸ちゃんを乗せて、第一展示室から順に見て回った。

 この展示の特徴は、日本画と西洋画という相対する画風で描かれた女性という被写体を通して、東洋西洋共通に持つ女性美の追究にあったと思うが、日本画は日本画であまりに清楚な美しさがあり、西洋画は西洋画であまりに重厚な美しさがあった。展示室の最初の一枚を見たとき、僕はたちまちこの展示のとりこになっていた。

 幸ちゃんはといえば、入る前には「カキカキミル〜」といつになくはしゃいでいたくせに、ベビーカーに乗せた途端、絵を見るよりそちらの方が楽しくなって、いつかしら気持ちよさそうに寝てしまっていた。

 僕は日本画と西洋画の大きな違いを発見した。日本画の被写体となっている女性は“描かれている”のに対し、西洋画のそれは“描かせている”のである。分かりやすく言えば、日本画の女性は「恥ずかしい……」と言っているのに対し、西洋画の女性は「私を見て!」と言っているのだ。文化の違いはこんなところにも影響を与えていたのかと思う一方で、日本人女性と西洋の女性との大きく異なる点をかいま見た気がした。

 幸ちゃんの事など気にせず、一枚一枚の絵画を丹念に見て進んでいると、丁度半分より少し行ったところで、それまでの絵とは一線を画して、一種異様な趣を放つ絵の前で幸ちゃんのベビーカーがピタリと止まった。

 「ジェーン・グレイの処刑」───。

 ポール・ドラローシュ作のその絵には、目隠しをされた高貴なうら若き女性が、一人の中年の司祭に支えられて、今まさに断頭台に首を置かんとする瞬間が描かれており、その右側にはあまりに冷静な首切り用の大きな斧を持った男、左奥には嘆き放心する女性が二人。一体なんとしたことかと、僕も一瞬恐怖におののいた。

 一五三七年、ジェーン・グレイはイギリスに生まれた。ヘンリー8世は、彼女の祖母の兄にあたる。才色兼備で、チューダー家からダットリー家へ王位を継承するため、ギルフォード・ダットリーと結婚するが、一五五三年、エドワード6世が死去したために、その後継者に指名されていたジェーンは、わずか十六歳で王位を継承することになったのだ。ところが、エドワード6世の妹メアリー・チューダーが嫉妬して、わずか九日後、その王位を剥奪してしまったのだ───。ジェーンはロンドン塔に幽閉された。そして半年後、処刑された。

 かつて夏目漱石は、この絵を参考にして「倫敦塔」という小説を書いた。漱石がロンドン塔を訪れた際に出会った不思議な女性と、処刑されたジェーン・グレイとを二重写しにしながら書いたこの作品は、生きるべく若き女性の命を虫けらでも殺すようなノリで断つ、似非宗教者や役人の男の残酷さを描いたようにもとれる。いずれにせよ、そういう歴史的裏付けのある、貴重な現物を見ることができたのは幸運だった。

 僕の第一印象は、「魔女狩り?」だった。女性が司祭に殺されるという光景は、西洋中世の悲劇を思い起こすに十分だった。そして、女性の着ている衣服が高貴なことに、その異様さはやがて、なぜこんな残酷この上ない絵を描くのかという、作者に対する怒りさえ生み出していた。

 魔女の容疑をかけられたにせよ、権力に対する謀反だろうと、理由はどうあれ一人の女性が処刑されたことには違いない。なぜ女性を殺さねばならぬのか。女性を裁くのは、いつの時代も男だったではないか。どこにそんな権利があるのだろうか。

 ジェーン・グレイの紅い口許は、嘆いてもおらず、全てをあきらめたといったふうでもない。無表情といえば、これほどの無表情もない。死を前にして、ものを言う気配もなく、ましてや抵抗する様子もない。その無表情さ、無抵抗さが、かえって真実を浮き彫りにしているように感じる。一体、彼女を殺して、どうなるというのだろうか。

 次の瞬間、右側の男の持っている重い鉄の刃物が、白い首筋を真っ赤に染めた───。

 幸ちゃんは、僕の衝迫に気付きもせず、相変わらずベビーカーの中で気持ちよさそうに眠っていた。一体、この子の生きる時代はどんなだろうかと、行く末を案じたりもしたが、悲劇を繰り返さないために今があるのだと思い直すと、幸ちゃんの無邪気な寝顔に、大きな希望がとめどなく光っているのがみえるではないか。

 新世紀はまだまだ始まったばかり。過去において虐げられてきた女性たちが、本当の意味で主役となる世紀に強く期待したい。

2001年11月25日


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