>>Woman―輝く女性の世紀(電子書籍販売)  >> 幕末小説 『梅と菖蒲』  >> 純愛小説 『痴呆の都』

  
Woman───輝く女性の世紀
宮崎駿の世界に見る女性観

 何を隠そう、僕は「未来少年コナン」以来の宮崎駿氏の大ファンである。最近は生活の方が忙しくさほどではないが、氏が監督・演出する作品に関しては、オタクと呼ばれても仕方がないほどの執着を持っていた。

 氏の劇場用作品としては、「ルパン三世カリオストロの城」に始まり「風の谷のナウシカ」あたりから人気を博するようになり、「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」に至っては知らない人はいない。その後「紅の豚」「魔女の宅急便」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」と次々に大ヒットを飛ばし、押しも押されもせぬ映画監督になったのを見れば、僕の先見の目もまんざらではない。

 どのくらい好きだったかといえば、TV番組長編シリーズの「ルパン三世」で、たった二回だけ氏が照樹務の名で演出監督した「死の翼アルバトロス」と「さらば愛しきルパン」を、逃さずビデオに録画する事を忘れなかった程で、これだけなら珍しくないかもしれないのでもう一例挙げれば、イタリアと日本との合作TV作品「名探偵ホームズ」が日本で放送された時、内、氏が演出した6作を全て逃さず録画した程だ。また高校時代は、丁度「ナウシカ」上映の時で、授業の話などろくに聞かないで、どうすれば宮崎先生(当時は先生付けで呼んでいた)のような線が描けるのかと、一本の線にこだわりナウシカの絵ばかり描いていた。また、今は木梨憲武の奥さん、あの安田成美が「ナウシカガール」としてナウシカの服を着てデビューしてきたのを鮮烈に覚えている。男子校で、女性の話などこっぱずかしくてできなかった当時、実は彼女の隠れファンだったのだ。デビュー曲「風の谷のナウシカ」のシングルレコードも捨てずにある。そんなことはどうでもよい。

 氏の作品を見続けてきた僕には、氏の女性観がよく見える。もっとも氏自身女性ではないので、どうしても男が描く女性ととられても仕方がないが、なにやら世界が平和であるための女性のあり方が見えて仕方がない。氏が描く作品にはおきまりタイプの脇役の女性たちが登場する。ラナやクラリス、シータのようなおしとやかだが芯がとてつもなく強い女性。モンスリー、クシャナ、エボシ御前のような自身の目的を遂行する頭の切れる自立した女性。ドーラや湯婆婆のようなあらゆるものを超越した独善的な女性。また、フィオやウルスラ、トキやリンのようにカラ元気で心の優しいじゃじゃ馬女性。サツキやキキや千尋は少女時代の成長する女性。どれを取っても魅力あふれるキャラクターたちだ。(すっかりオタクになっている……)これらの女性に共通する点がある。それは、みなネアカだということだ。どのような境地に追い込まれようが、必ずうまくいくと信じて、前へ前へと進んでいくのである。例を挙げれば一晩でも二晩でも語り明かしそうなのでやめるが、氏の作品には悲観がない。それが現代にうけている理由の一つではないかと思うのだが、その作品を構成し、活き活きとしたものに盛り上げているのが、かの女性たちであることは間違いない。

 また、氏は群衆を描くのがうまい。世界広しといえど、アニメーションで氏ほど活き活きと群衆を描けるアニメーターはまずいまい。特に僕が好きなのは、「もののけ姫」で描かれた「タタラ場」の様子である。ここは製鉄工場の町だが、女頭領のエボシ御前を筆頭にした女性中心の町なのだ。男どもは皆女性の配下のような存在で、まるでわが家を彷彿とさせる。ここでは仕事も戦争も女性が指揮をとる。病者も子供も男も女も、全員平等に生活する世界。女性の支配する世界は、きっとこんな感じになるのではないかと錯覚する。「魔女の宅急便」のおソノさん夫婦は、その縮図でもあり、なぜわが家がここに出てくるのかと目を疑った。もしかしたら、僕が氏の作品が好きなのは、そんな共感が原因なのかもしれない。女性の世紀は女性が強くて当然。わが家は時代の最先端なのだ!

 もう一点、氏の作品で一貫しているテーマは、人間と自然との共生である。“ナウシカ”の腐海、“ラピュタ”のシータのセリフ「土からはなれては生きられない」や、“トトロ”の森とお化けたち、“もののけ”の自然と神々たち、“千と千尋”の千尋と琥珀川等、一貫した自然観は、単に自然を大切にしようというのではなく、まさに人間と自然とは一体なんだという哲学が感じられる。

 自然には包容力がある。女性も包容力の生き物だ。自然は理を整える。女性は人と人とを結びつける。そして、自然は生命を育み、女性もまた生命を育む。こうしてみると、自然とは大きな女性のように思えてならない。男どもが作ってきた歴史は、自然を破壊し、人と人とを分断する歴史だった。氏の作品は、それとは全く正反対の大いなる女性的なるものを感じてならない。

 この夏、氏の新作「千と千尋の神隠し」が劇場公開された。お盆中、それを見ようと妻と幸ちゃんと三人で長野市街まで出たが、幸ちゃんが泣いたらどっちが面倒を見るかでもめた後、映画館に着けばものすごい行列で、おまけに二歳未満は入場できないということだったので、やむなく後日幸ちゃんを両親に預けて妻と二人で行ったが、これまた行列ができていたのであきらめて、もう行くチャンスがないと思いきわめた僕は、妻と幸ちゃんをおいて一人で見にいってきた。十数年来の宮崎駿ファンとすれば、一度は引退宣言をしたはずの氏の作品を見れるのは、この上ない喜びではあったが、満席状態の立ち見での二時間は、すっかり疲れてしまった。しかし、氏が描き続けている女性の世界は、いまだ健在で、僕には現代女性に対する賛歌に見えた。

2001年8月25日


他を読む
ご購入
トップページ

鬼女紅葉伝説「錦秋の落陽」