> 牛若丸
牛若丸


 ここは京都、五条大橋───。
 橋のたもとに、月光で浮かびあがる巨大な人影があった。
 世に知れた武蔵坊弁慶、その人である。
 今宵は、橋を通る者の刀を奪うようになってから丁度一千本目に当たる。長刀を手に、その形相は不気味な笑みをたたえていた。
 そんな張りつめた空気の中に、どこからともなく流れ込んできたのが、かの牛若丸の奏でる笛の音である。
 「やや……?」
 弁慶は闇のなかで、あでやかな出で立ちをした牛若丸に目を見張った。
 「なんじゃあ、 稚児でねえか」
 接近するにつれ、弱年と見るや興味をなくしたが、腰の物を見た時、その見事さに生唾を飲み込んだ。
 「ややあ!? あの刀───。見事じゃ。正に今宵一千本目の刀にふさわしい名刀じゃ!」
 弁慶は大の字に、牛若丸の行く手に立ちふさがった。
 「やあやあ、そこの御人。その腰の刀ここに置いてゆけえ!」
 弁慶の低い声に笛の音がやんだ。
 牛若丸は欄々とした目で弁慶を見据えている。
 (で、できるな───、こやつ……)
 弁慶はとっさに判断して身構えると、牛若丸の右手はすで既に腰の刀にのびていた。
 と、牛若丸はそのまま刀を腰から外すと素直に弁慶に差し出した。

 君子危うきに近寄らず───。

  一九八四年