> 尻ふり太郎
尻ふり太郎
 君の学校のトイレは、臭くないかい……?
 えっ?臭いって……?いっひっひっひっ……。
 これから始まる物語はね、そんなトイレにまつわる話さ。
 いひっ、いひひひひ……。

 ――――――。

 ある蒸し暑い、夏の夜のことでした。
 俊子さんは、忘れ物を取りに、一人で学校に行きました。
 誰もいない学校の昇降口を入ったとき、いやな臭いが俊子さんの鼻をつきました。それは、トイレの臭いです。
 それもそのはず、俊子さんたちは、トイレ掃除が大嫌いで、トイレ当番のときは、毎日、さぼって遊んでばかりいたからです。
 便器は真っ黄色、壁はカビで真っ黒、もう手がつけられないほど汚れていて、風通しのよい昼間でも、悪臭がひどかったので、今日のように蒸し暑く、風のない日はたいへんです。その臭いは、学校全体に、こもるように漂っていたのです。
 俊子さんは鼻をつまんで、急いで教室へ向かいました。
 薄暗い廊下に、俊子さんの足音だけが、コツ、コツ、コツとひびきます。
 ちょうど、トイレの前を通りかかったときです。トイレの中、白い物体が、俊子さんの横目をかすめました。
 立ちどまって中をのぞくと、なんということでしょう。真っ暗闇のトイレの中で、お尻をまる出しにした赤ちゃんが、お尻をふって踊っているではありませんか!
 (ピョコタン、ぴょこたん、プリッ、ペリッ。ぴりっ……。おいらのお尻は、パッ、ぷっ、ポッ……)
 最初は驚いて言葉も出ませんでしたが、お尻をふりながら、左右前後にぴょんぴょんはねたり、逆立ちをしたりしている赤ちゃんの踊りを見ているうちに、急におかしくなって、
 「ぷっ……」
 と、ふき出してしまいました。
 と、とたんにその赤ちゃんは踊りをやめたかと思うと、俊子さんの方をふりむきました。
 「ああっ!!」
 思わず声をあげてしまいました。
 驚きのあまり、俊子さんの顔は真っ青です。
 その赤ちゃん、体つきはどう見ても赤ちゃんなのに、ふりむいた顔は、ぶしょうひげを生やした、おじいさんの顔だったのです。
 「おまえ、いま、笑ったな?」
 俊子さんは、こわくて返事もできません。
 次の瞬間、そのおじいさんの顔をした赤ちゃんは、俊子さんにお尻を向けたかと思うと、“プ〜ッ”と、おならをしました。
 ところが、そのおならは、とてもいい香りがするのです。まるで、野の花々に包まれたような、天国にいるような気分です。
 俊子さんは、夢を見ている気持ちになり、香りにさそわれて、ふわふわと歩き出しました。
 「あぶない!!」
 俊子さんは「ハッ」とわれに返りました。階段から落ちそうになっているところを、担任の山上先生が助けてくれたのです。

 家に帰って、大学生のお兄さんに、そのできごとをぜんぶ話しました。
 「俊子、そ、それはきっと“尻ふり太郎”に違いないぞ……」
 お兄さんは“尻ふり太郎”の話をしてくれました。
 それによると、尻ふり太郎は、臭いトイレに住みつく妖怪だということでした。こっけいな踊りをして、それを見て笑った人は、いい香りのするおならをかけられて、幻想にふけっているうちに、階段や窓から落ちて、死んだり、大ケガをしたりするのだそうです。
 俊子さんは、ぞっとしました。
 もし、あのときに、先生が助けてくれなかったら……。

 翌日、その話を友だちに話したら、すぐに学校中のうわさになりました。
 「トイレそうじを、ちゃんとやった方がいいよ……」
 という意見に、同じクラスの卓実君がせせら笑いました。
 「そんなの、うそっぱちさ!尻ふり太郎だって? よし、おれが今晩、つかまえてやる!!」
 「よした方がいいわよ……」
 俊子さんの忠告も聞かず、その晩、卓実君は、トイレで待ちかまえることにしました。

 さて、その晩も蒸し暑い夜でした。
 鼻を洗たくバサミではさんだ卓実君は、ねじりはちまきに金属バットを持って、トイレの前に立ちはだかりました。
 しかし、なかなか尻ふり太郎は出てきません。
 いつしか卓実君は、うたたねをしてしまいました。
 と……、
 (ピョコタン、ぴょこたん、プリッ、ペリッ。ぴりっ……。おいらのお尻は、パッ、ぷっ、ポッ……)
 奇妙な歌声にハッと目を覚ましました。
 尻ふり太郎です。
 お尻をふりながら、ぴょんぴょんはねているではありませんか。
 思わず卓実君は、おかしさのあまり、バットをふりあげるのも忘れて、大笑いしてしまいました。
 「笑ったな……」
 ふりむいた尻ふり太郎の顔に、卓実君もふるえあがりました。
 おそいかかる勇気も出ないまま、尻ふり太郎は卓実君に“プ〜ッ”と、おならをしました。洗たくバサミなんか、なんの役にもたちません。たちまち卓実君はいい気持ちになると、ふわふわ歩き出し、そのまま窓から上半身をのり出しました。
 「卓美君!しっかり!!」
 さけんだのは俊子さんでした。卓美君が心配で、学校にかけつけてきたのです。
 卓実君は、ハッとわれに返ると、悲鳴をあげて、いちもくさんに逃げ出しました。

 次の日から、俊子さんたちは、いっしょうけんめいトイレ掃除に取り組みました。もう、便器も壁もピッカピカです。
 それ以来、尻ふり太郎は出なくなったということです。

 ――――――。

 いひっ、いひひっ……。
 君の学校のトイレは、臭くないかい?
 ……………………いひっ。

  一九九七年 秋