> (二十四)薩摩VS叒士(じゃくし)
(二十四)薩摩VS叒士(じゃくし)
 横浜から江戸へ向かう海の上、空が白々としてきてすっかり夜も明けた。行きはあれほど順調だったのに、どういうわけか風は一向に吹かず、荷で船体が重くなったこともあるのだろうが、直虎を乗せた五大力船(ご だい りき せん)は遅々として進まない。
 「この調子では夜になってしまいますなぁ」と船頭が言ったが、幕府に届け出のしてない闇取り引きの危ないモノ≠藩邸に運び込むには人目のつかない夜の方が都合よい。
 こうしてようやく品川(みなと)に面した本湊町(ほん みなと ちょう)稲荷橋(いな り ばし)近くの波止場(はとば)に到着したのは船頭が予想したとおり黄昏時(たそ がれ どき)で、直虎は、
 「さて、ここまで運んだはいいが、どうやって藩邸まで運ぼうか?」
 と頭を悩ませた。そこから藩邸まではおよそ四半里(し はん り)(約五〇〇メートル)程度の距離ではあるが、ライフル銃だけなら猪牙(ちょ き)に積み換え何回かに分けて水路を行くこともできるが、大筒となると小型とはいえ転覆してしまうのが目に見えた。
 「大八車を持って来るしかありませんな」
 式左衛門が「ついでに藩邸の男どもを連れて参ります」と、直虎と要右衛門を荷物番に残していなくなった時だった。
 「その荷は何ですかな?」
 手拭いで頬被(ほお かぶ)りをした七、八人の男が突然現れて二人を取り囲んだ。
 「何じゃ、お前たちは?」
 要右衛門が太い声で威嚇(い かく)したが、男たちは少しも(おく)することなく、慣れた様子で腰の刀を引き抜いたと思うと、じりじりと二人に近寄った。荷を狙った強盗に相違ない。辺りは既に蒼然(そう ぜん)とし、船頭は恐れおののき逃げ出した。
 「悪い事は言いません。その荷を置いて立ち去れば、血を見ることはないでしょう」
 相手は荷が武器・弾薬であることを知っているようである。もしかしたら横浜からずっと付けてきたか、さもなくば、横浜に潜む諜報者が昨晩の取り引きを嗅ぎ付け、その情報をある者に売った組織ぐるみの犯行か?
 いずれにせよ、まとまった武器が欲しい集団であることは確かで、いま武器が早急にも必要な集団といえば天狗党──、あるいは長州追討で危機にさらされる長州藩の回し者か? しかし言葉のイントネーションに、水戸でも長州でもない聞き慣れないお国訛(くに なま)りが気になった。
 直虎は飄々(ひょう ひょう)と前に進み出た。
 「おいおい、それはちと困る。我らも何年も待ってようやく手に入れた腰元(こし もと)≠スちじゃ。どこの誰だか分らぬ者に『ではどうぞ』と簡単にお渡しするわけには参らん。まずは名を名乗りたまえ」
 「腰元……?」
 リーダーらしき男の双眸(そう ぼう)がせせら笑ったのが分かった。
 「名を尋ねるならば、まず己から名乗るのが武士の礼儀でないかな、内蔵頭(くらのかみ)さん」
 相手はすっかりその名を知っている。ということは、大番頭(おおばんがしら)であったことも、今は閉門の身であることも承知の上での狼藉(ろうぜき)に相違ない。仮にこの場を凌げても、罷免された大番頭の権限を行使することはおろか、届け出もしていない荷の中身が中身なだけに、被害を幕府に訴えることさえできないではないか!
 まして不覚にも命を落としたとあらば……
 と、目の前の強盗団の背景に大きな組織の存在を感じながら、(わらべ)同然、無邪気に喜んで取り引きに同行してしまった己の軽率(けい そつ)さを今更のように悔いた。
 「だから日頃から剣術の稽古(けい こ)(おこた)るなと申しているのでございます。所詮(しょ せん)、道義や作法など通用せぬ(やから)、ここは拙者(せっ しゃ)にお任せを──」
 耳元でそうささやいた要右衛門が二尺八寸の刀を引き抜いて輩の前に進み出た。
 「殺すなよ──」
 殿の言葉を煙たそうに聞きながら、刃のある方を自分側にひっくり返した要右衛門は、「お相手つかまつろう!」と大声を張り上げた。
 「無礼もここまでくると名乗ることさえバカバカしいが、拙者も武士のはしくれ、冥途(めい ど)土産(みやげ)に聞かせてやるわい。ここにおわす堀直虎様の用心棒、直心影流(じき しん かげ りゅう)免許皆伝小林(こばやし)要右衛門(ようえもん)季定(すえさだ)とはわしの事よ! この荷欲しくば見事わしを倒してから持ってゆけ!」
 すかさず賊の一人が斬りかかったのを、要右衛門は難なくかわして太刀の峰で打ち付ければ、男はぐう≠フ()も言わずに倒れ込んだ。ここに至ってただ者でないことを悟った賊たちは、二、三歩後にのけ反って要右衛門を睨みつけた。
 「次は誰じゃ? さあさ遠慮なしにかかって参れ!」
 次の一人が前に出た時、リーダーらしき男が差し止め「拙者が相手をしよう」と前に出た。その貫禄(かん ろく)や落ちつきようで、多少は腕に覚えのある者だとすぐに判った。
 「名を名乗れ」
 「申すほどの者ではござらん」
 言うが早いか男は真剣の(やいば)を要右衛門めがけて撃ち込んだ。その凄まじさたるや近くにあったご太い木っ端をも吹っ飛ばす勢いで、危うく斬られるところを寸でのところではじいて、その刀と刀のぶつかり合いは甲高い金属音を響かせるとともに常闇(とこ やみ)に花火かと思わせるほどの火花を散らせた。
 「薩摩示現流(じ けん りゅう)──?
 その殺気に満ちた一太刀で、要右衛門はその流派を見破った。
 示現流は薩摩に伝わる剣術一派である。もとは慶安から享保にかかる江戸初期の薩摩の武士田中雲右衛門という男が創始した太刀流≠フ分派であり、長剣を素早く抜く早太刀の術≠得意とした。その激しい撃ち込みの鍛錬から生まれる気の力による戦法は、技術や技能を先とするなまじいな流派などでは通用しないだろう。
 「薩摩の剣は殺陣剣──危うく()られるところだったわい……」
 どっと吹き出る冷や汗を隠しながら、要右衛門は余裕を装って、
 「その方ら薩摩武士だな!」
 と叫んだ。
 薩摩≠ニ知って、直虎は「なぜ薩摩?」と混乱した。天狗党がらみの水戸浪士≠ノ狙われるならまだ合点もいくが、薩摩などには知り合いもなければ増して恨みを買われるようなことも身に覚えない。とすれば、彼らは単に武器が欲しいだけで、幕府から祟り目を食らっている直虎の弱味に付け込んで襲ったものか──そう考えたら無性に腹が立つ。
 示現流の男は二の太刀、三の太刀と斬り込んだが、最初の一太刀で癖を捉えた要右衛門は、徐々に春夏秋冬の呼吸を整え、八相発破の構えで優勢に立つと、焦った薩摩の他の男たちは後方から要右衛門に斬りかかった。さすがの要右衛門も複数を相手にしてはひとたまりもない。
 「しまった!」
 と思うより早く、
 パーンッ!
 凄まじい破裂音が闇の中に響いたと思うと、後ろから斬りかかった男の腕から血しぶきが飛び散った。驚いた薩摩の男たちが音のした方へ目を向ければ、そこには一筋の煙を引いた買ったばかりのピストルを手にした直虎がいる。
 「命が惜しくば動くでない! わしゃこいつを撃ちたくてうずうずしておる!」
 と、次の一発を星空に向かって発砲した。
 男たちが驚いた隙に、要右衛門は後ろから斬りかかるもう一人の男のあばらを刀の峰で打ち付ければ、骨を砕かれた男はその場にうずくまった。
 三人倒れて残った賊の数は四人──、示現流の男は要右衛門を自分に引きつけて、残りの三人に向かって「内蔵頭(くらのかみ)を斬れ!」と命じた。咄嗟に直虎の危険を察知した要右衛門は、すかさず殿の許へ走ろうとしたが、そうはさせまいと示現流の男が先回りしてゆく手を阻むと、すさまじい勢いで上段から太刀を振り下ろし、要右衛門はそれを剣で受け止めたまま動きを封じ込まれた。
 「殿っ!」
 焦った直虎は迫りくる三つの切先めがけて無我夢中でピストルを連発したが、先ほど男に命中したのはまぐれだったか残りの四つの弾はことごとく外れ、ついにはカチッ∞カチッ≠ニ撃鉄の虚しい音だけが残った。襲いかかった三人の男たちはあざ笑いながら取り囲んだ。
 追い詰められた町人姿の直虎は太刀もなければ懐刀もない。
 万事休すか──
 残る手段は得意の話術だけ。
 「ちと待て! わしを殺しても天下が動くわけでない。冥途の土産に聞かせてほしいが、お主らは何故わしを斬ろうとするか?」
 「最初から黙って武器を渡せばかようなことにはならなかった。抵抗した報いと思ってあきらめよ」
 一人の男がそう答えた。
 「そうは参らぬ。わしには可愛い嫁がおる。夫婦になってまだ半年にもならぬのじゃ。いま死んでは成仏できぬ。さすればお前らを呪って化けて出るしかないが、よーく考えてみよ、お前らにも嫁がおろう? 子がおろう?」
 ところが「おらぬわ!」と身も蓋もない──。
 次の瞬間、男の一人が「御免!」と叫んで太刀を振り下ろした時、どこからか燕のような黒い物体が飛んできて男の手から刀がポロリと落ちた。「何が起こった?」と目を見張れば、鮮血が滴る血の出どこに黒い十字手裏剣が突き刺さっているではないか。
 「はっ」と気付けば目の前に、天から降ったか地から湧いたか、黒装束の一つの影が直虎を護衛するように立っていた。
 「殿、お怪我はございませんか──?」
 「(かく)さんっ!」
 その影は家臣の一人伊賀忍びの者の柘植角二(つ げ かく じ)に相違ない。思わぬ助っ人の登場に、直虎は腰が砕けたように膝を落した。
 「逃げますぞ、殿──」
 言うが早いか角二は、懐から胡桃(くるみ)ほどの黒い(かたまり)を取り出したと思うと、いきなり男たちの足元に投げ付けた。するとそこから白い煙がもうもうと吹き出して、またたくまに辺り一帯を霧に包み込んだ。やがて霧が晴れると、目を真っ赤に染めた三人の男たちはひどいくしゃみと咳き込みに襲われた。そしてそこにあったはずの直虎の姿は幻のように消えていた。まさに一瞬の出来事である。
 その間角二の誘導で桟橋(さん ばし)近くの荷置き場に放置してある大きな(たる)の物陰に隠れた直虎も同様、真っ赤に()れ上がった目から涙をボロボロ流し、止まらないくしゃみに閉口していた。
 「なんじゃ? なにが起こった?」と聞けば、
 「伊賀に伝わる煙玉(けむり だま)でございます。少々胡椒(こ しょう)の分量が多かったようで」
 と、覆面(ふく めん)で難を逃れている角二は大真面目な小さな声で答えた。
 やがて、大八車を引いた式左衛門と五、六人の家臣たちの「殿!」と言う声が聞こえてくると、
 「引けっ!」
 薩摩の男たちは、負傷した者たちを携えて風のように姿を消した。角二は瞬転気配を消して、その男たちの後を追った──。
 「いったいこれは何の騒ぎか!」
 真木万之助が地面に残った血糊(ち のり)の跡を見て言った。
 「薩摩の賊だ。危うく荷を全て奪われるどころか、殿のお命まで取られるところだった」
 太刀を鞘におさめた要右衛門は、賊が逃げ去った方角を涙の赤目で睨んだ。
 「どうした? 目が真っ赤だぞ」
 「それより殿は? 殿はどこにおられる?」
 「わしゃここじゃ。死ぬかと思ったわい……」
 近くの大樽の中から直虎がひょっこり顔を出した。
 「殿! いったい目をどうされました、真っ赤ではございませんか? まるで猿のようなお顔をしておりますぞ」
 「(かく)さんの煙玉にやられたのじゃ」
 「まるで虎でなくストレート・モンキーですなァ」
 先ほどの危機的状況を知らない竹中清之丞(せい の じょう)が悪気もなくいつもの冗談をとばした。カチンときた直虎であるが、猿≠英語でモンキー≠ニ知っていた陰の語学鍛錬に免じてその悪たれを飲み込んだ。
 「で、柘植(つ げ)殿はどこに?」と式左衛門。
 「賊を追って行ったわい──」
 こうして横浜から運んだ武器弾薬類を大八車に積み込み藩邸に運び込んだ須坂藩士たちであるが、以後、藩邸敷地内の藩校『五教館』では、オランダ式とはいえようやく本格的な西洋式の実地演習を行うことができるようになったのである。
 当時幕府の軍事調練といえば、文久の軍制改革以来フランス式を導入していた。以前、小笠原長行の使いで芝新銭座(しば しん せん ざ)大小砲(だい しょう ほう)習練場(しゅうれんじょう)で見たのがそれで、いわばこれが『日本陸軍』の始まりである。その編成は陸軍奉行の下に三名の歩兵奉行と騎兵奉行を置き、形の上では歩兵・騎兵・砲兵があるものの、日本古来からの伝統である知行(ち ぎょう)の格差による序列と個人々々の技量を重んじた軍制を色濃く残し、『陸軍』と呼ぶにはまだまだ未熟な組織であった。天狗党討伐の実戦にも投入されたが、結局経験不足が祟って思うような成果を発揮することはなかった。
 加えて、今年(元治元年)に入って『歩兵操法』や『砲軍操法』、つい最近は『歩兵心得』などの西洋の軍事書籍の翻訳本も次々と刊行されてはいたが、どれも蘭学に基づくものばかりで、西洋式と言ってもまだまだ日本の軍制の色を強く残していた。
 フランス式もオランダ式も「どうも違う……」と感じていた直虎は、この頃から神奈川奉行所の一部で導入されつつあったイギリス式に興味を抱いた。
 「導入するならエゲレス式だ」
 と思いつつ、日本においてはまだ一つとして刊行されていない最先端のイギリス式の兵法書の必要性を強く感じた。
 ──それから数日後、賊の後を追った柘植角二が戻って、つかんだ情報を伝えた。直虎はローダから買い受けたピストルを手拭いで拭きながら、
 「殿を襲った賊は薩摩藩士益満休之助(ます みつ きゅう の すけ)という男でございます──」
 という言葉を聞いた。
 「益満……?」
 直虎は聞かない名に首を傾げた。
 後に西郷隆盛の密命により、伊牟田尚平らと共に江戸市中の攪乱を図り、戊辰戦争の直接的な引き金となったとされる薩摩藩邸焼き討ち事件を引き起こす人物である。当時は江戸を拠点に活動する尊王攘夷派で、
 「清河八郎の虎尾(こ び)の会≠フ一味で、数年前のヘンリー・ヒュースケン暗殺の首謀者の一人です」
 と柘植は続けた。ヘンリー・ヒュースケンといえばアメリカ外交官タウンゼント・ハリスの秘書兼通訳だった男である。
 清河八郎といえば幕府のお尋ね者だったのでその名は知っている。尊王攘夷の動きに拍車をかけた人物であるが、直虎が大番頭になる以前に死んだはずだ。そもそも『虎尾の会』は、大老井伊直弼が暗殺された桜田門外の変が起こった頃に清河が結成した過激尊攘派組織だが、メンバーには山岡鉄舟の名も見られ、会の名には尊王攘夷のためなら虎の尾を踏む危険も恐れない≠ニいう意味が込められている。
 ヒュースケン暗殺事件により幕府から危険視されてより、虎尾の会は散り散りとなって清河も逃亡するが、文久二年十一月、江戸に戻ってからは、攘夷か開国かで混乱する幕府の状況に乗じて、攘夷断行と攘夷派浪士の罪を大赦すべしとする建白書を提出して罪が許され、将軍上洛の護衛として『浪士組』を編成して京都に赴いた。
 ところが清河の目的は将軍護衛にあらず、朝廷擁立にあり、尊王攘夷運動の黒幕的存在となって暗躍するも、意見の食い違いから浪士組は分裂した。そして一方は『壬生浪士組』となって京都守護職松平容保御預かり、後の『新選組』となり、もう一方の清河率いる者たちは江戸に戻って『江戸浪士組』となって賠償問題で当時江戸を取り囲んでいた対イギリスとの攘夷戦に備えるが、翌年四月に再び幕府から危険視され清河は刺客に暗殺された。享年三十四歳──。
 『江戸浪士組』の者たちは次々と捕縛され、組織目的を失った『浪士組』は間もなく幕府によって再組織され『新徴組』として生まれ変わった経緯がある。そして新徴組は江戸市中の警護や海防警備の役割を与えられ、やがて庄内藩主酒井忠篤(さか い ただ ずみ)の御預かり組織となったのが、直虎が大番頭に任命される少し前のことだった。だから市中を見回る際も一緒になることもあったはずだが、益満休之助(ます みつ きゅう の すけ)という名は知らない。もっともそのときの新徴組は、新たな募集で加わったメンバーも含め二〇〇名もいたから、覚えがないのも当然だ。
 皮肉なのは、酒井忠篤(さか い ただ ずみ)の力もあるのだろうが、もともと尊王攘夷の組織だった浪士組が、このとき江戸の不貞浪士の掃討や尊皇攘夷派志士と戦う完全なる幕府の一組織に変貌していたことで、更にこの後、江戸っ子気質な体質が町民たちに受け入れられて、その人気はヒーロー的存在感を示していくことである。
 その意味で『新徴組』は『浪士組』とは全くの別物で、そこにはすでに『虎尾の会』の精神など流れているはずもない。おそらく益満休之助(ます みつ きゅう の すけ)は新徴組には属していないだろう。
 「いま薩摩藩は、幕府に内緒で盛んに西洋の武器類を買い集めております。昨年のエゲレスとの戦争でその必要性を強く感じたようで逆にエゲレスに急速に近づいています。こたびの襲撃行為も単に武器の掠奪が目的のようで、彼らは横浜に諜報者を置き、絶えず武器の輸入などに目を光らせているようです」
 と柘植は言った。
 「薩摩ほどの雄藩が、なにもかような貧乏藩から掠奪することはなかろうに……」
 「西洋の武器は金喰い虫。薩摩ほどの藩でも足りぬ物は足りぬといったところでしょう。だから陰で盗賊団を組織し、いただける物はいただこうという魂胆と思われます。大番頭としてならともかく、お役御免のうえ閉門の身では、殿も間が悪かったと言うべきでしょうな」
 「世も末じゃなあ……」
 ピストルを磨く直虎の手が胸糞(むな くそ)悪そうに細かく振れた。