雷神の門 大運動会
> 第1章 > 大坂城
大坂城
 高槻たかつきを発った二人は一番近くの淀川沿いの舟着場から、そこからは水路を使い、夕刻には大坂城下町の八軒家舟着場に到着した。そこから大坂城まではもう目と鼻の先である。舟を降りれば行きかう人々の活気は気のせいか、「ここは天下一の城下町や」とどこか誇らしげにも見えた。
 「御苦労でした。あなたの勤めはこれで終わりました。さあ、お行きください」
 と、菖蒲あやめ厄介やっかい払いでもするかのように言ったが、
 「真田幸村のところへ行くんじゃないのか?そこまでお伴つかまつる」
 と、勝手に彼女の後をついて歩く小太郎であった。遠くには大坂城の天守閣が見え、彼にとって初めて見るその勇姿はまさに圧巻で、「あれが秀吉の大坂城か……」と、口を半分開けたまま、町人に幾度となくぶつかりそうにもなった。
 近づくにつれ、その絢爛豪華けんらんごうかな姿をはっきり認められるようになり、夕陽に照らされて目を射るまばゆい光はすべて黄金で、五重にそびえる天守を包む黒漆くろうるしと屋根がわらの黒が、一層、装飾部の金色を引き立たせていた。世人が口々に言う如く、まさにこの世のものとは思えないほどの美しさである。
 やがて、菖蒲は京橋口の門まで来ると、番の男に、
 「信州尼ヶ淵あまがふち城主真田安房守あわのかみ昌幸の使いで参りました。真田幸村様に面会願います」
 と告げた。門番は証拠の書状を求めると、「しばらくお待ちください」と言って、それを事務処理の男に手渡した。そうして菖蒲と小太郎は、脇の待合所で待つことにした。
 「なんじゃ?幸村は城の中におるのか?」
 菖蒲は何も答えず、じっとあいに色を変える天を仰いでいた。
 当時、幸村は秀吉の人質として大坂にいた。そのころ豊臣と真田は敵対関係にはなく、家康はじめ四方を敵に囲まれた真田にとって秀吉は、むしろ友好的に事を運ばせたい存在であり、秀吉にとって真田は、徳川に付かせるにはあまりに危険な存在で、合わせて真田の天才的な戦略術に対しては、自分の手中に収めておきたい武将の一人であった。そのため幸村は、人質とはいえ形式上で、別段どこかに幽閉ゆうへいされるわけではなく、生活を拘束されるわけでもなく、実質は秀吉のお膝元で不自由なく暮らす居候いそうろうのような生活を送っていた。事実この期間の幸村に対して秀吉は、京の伏見に邸宅を与えていたくらいなのだ。もっとも今は、九州征伐の準備に伴い、大坂城内の西の丸の一角に蟄居ちっきょを命じられてはいたが、することもなく、暇をみつけては大坂城下町やその周辺の散策をするような、至って自由気ままな日々を過ごしていた。
 「それにしても大坂の街は京に劣らぬ賑やかさじゃ。ちと、そのへんを歩いてみんか?」
 小太郎の言葉に菖蒲は相変わらず何も答えない。
 「なんともつまらん女じゃのう……」
 と、そのとき二人の前を、数人の怪しい人影が取り囲んだ。見ればそのうちの二人は、京を出たとき襲ってきた菖蒲を護衛していた甲賀者に違いない。
 「虎之助、蜻蛉とんぼ……」と菖蒲の口からその二人の名がもれた。小太郎は面倒くさそうに、
 「おいおい、負けた腹いせの仕返しか?それにしてもずいぶんお目覚めが早かったじゃないか。もう少し寝ていても良かったのだぞ」
 と言いながら、腰の刀に手をかけ、ゆっくり立ち上がった。見れば全部で四人、否、物陰に息を潜めている者を含めれば十人いる。
 「ちょっと顔を貸してもらおう」と虎之助と呼ばれた男が言った。
 「わしはお前たちの替りに菖蒲殿をここまで送り届けてやったのだ。感謝こそされ無礼を受ける覚えはないぞ」
 「黙れ!伊賀者!」と今度は蜻蛉が言った。
 「ここは城門、できれば余計な騒ぎはおこしたくない。ついて参れ!」と虎之助。
 「騒ぎなど、わしの方はいっこうにかまわんぞ。迷惑をこうむるのはお前たちの主人だ。さしずめ真田幸村といったところか?悔しかったら刀を抜いてみろ!」
 と言いながら、小太郎は腰の刀を引き抜いた。いきり立った虎之助は「やむをえん」と刀に手を伸ばしたところが、そこに、パカパカと馬のひづめを鳴らせながら、騒ぎを横目に大坂城内に入って行く大名らしき十数名の一行があった。その最後尾を走って追いかける男の姿を確認した時、思わず小太郎は「才の字じゃねえか!」と叫んだ。なるほどそれは京の吉兆にいた服部才之進である。とすれば前方の馬に乗った大名は、彼が仕官をしていると言った加藤清正に違いない。
 才之進は一瞬立ち止まって、びっくりしたように小太郎を見た。
 「こ、小太郎……。なぜ大坂に?俺の後をつけて来たか?」
 「そんなんじゃない!それより、こいつらをなんとかしてくれ!」
 と、誰が見ても喧嘩が始まりそうな尋常でない空気の中で、周囲を取り囲む怪しげな甲賀者集団を指さした。
 「知らん、いま忙しい―――」
 と才之進は、路上に捨てられた紙屑かみくずでも見るように、そのまま一行を追いかけて城内へ入ってしまった。
 「まったく薄情な奴だ!」と、小太郎は助っ人を諦めて、刀を構えたまま相手の出方を待つことにした。そこへ、
 「お待たせして申し訳ない」と先ほどの門番がやってきた。と、気付いた時には、甲賀者たちは風のように消えていた。
 「そこもと、高山飛騨守友照の娘、菖蒲あやめと申す者に相違ないな?」
 「はい」と菖蒲は清廉な声で答えた。
 「真田幸村の侍女として迎え入れるようにとのお達しだ。城内に入ってよし!」
 高山飛騨守友照と聞いて、小太郎は「なにい?」と驚きを隠せず彼女の顔を見た。高山友照といえば、先に立ち寄った高槻村の元領主、高山右近の父親の名ではないか。とすれば、菖蒲という女は右近の妹ということになる。小太郎は、
 「それで高槻城に立ち寄ったのか?」
 と思いながら、門番に連れられて城内に入ろうとする彼女の後をつけたが、「お前は駄目だ!」と別の門番に差し押さえられ、「わしはその女の護衛だ!」と盛んに叫んではみたが、すでに閉門時間を過ぎた扉は、ガチャリと固く閉ざされた。
 「ちっ」と舌打ちをした小太郎だったが、考えることもあって、その日は大坂城下の旅籠に宿をとることにした。
 宿の座敷で腕を枕にし、横に末蔵から拝借した素焼きの茶碗に酒を入れ、それをちびりちびりとやりながら、小太郎の思考はめまぐるしく回転していた。
 高槻の宿場に着いた時、菖蒲は「絶対に後を付けるな」と言って出て行った。本当に付けてほしくないのであれば、行くことを控えるか、あるいは小太郎の目を盗んで密かに行くべきなのだ。それをわざわざ「付けるな」と言ったということは、高度な忍びの技を持ち、菖蒲に好意を抱いている小太郎に対しての言葉であるなら、逆に「付いて来なさい」と言っているのと同じである。そうだとしたら、
 「なぜ、あの教会のことをわしに知らせようとしたのか?」
 小太郎の勘繰りはいよいよ真に迫っていった。
 あそこで彼が知り得た情報は、菖蒲がキリシタンであるという事と、秀吉がキリシタンに対して抑圧を加える可能性があるという神父との密談の内容の二つである。仮に前者が目的だったとして、彼女にはどんなメリットがあるだろう。あるとすれば、彼女がくの一ではなく実はキリシタンだったという困惑を招き、小太郎を動揺させようとしたものか。しかしそれをしたところで無意味だし、もっと踏み込んで、「わしを洗礼に導こうとしたのか?」とも考えたが、いくら彼女が敬虔なキリシタンだったとしても、現在の二人の関係においては飛躍しすぎている―――。
 「いったい何を伝えたかったのだ……?」
 と、横になったまま酒をちびりと口に含んだ時、脳裏にひらめくものがあった。それは、先ほど知った菖蒲が高山友照の娘であり、高山左近の妹であるということが頭をよぎった時だった。
 昨晩、菖蒲は小太郎を殺め損ねた。しかも殺すことについては三度の失敗が重なり、少なくとも彼女は小太郎の忍びとしての実力を思い知ったに違いない。そして「契約」を口実に彼を従えたが、そこで彼のその力を利用する別の思惑を思いついた。それは神父との密談にあったとおり、万一、キリシタンが秀吉に迫害を受けるような事態になった時、兄である右近と父を守ってほしい……という彼女の淡い願いだという勝手な想像である。
 小太郎はアンテナの方向がピタリと一致したように、その心のメッセージを読み取った気がした。
 「かわいい女だ―――」
 と、小太郎は自分の推理を信じた。すると「よし、決めた!」と、突然むくりと起き上って茶碗の酒を飲み干したかと思うと、
 「わしは高山右近に仕えよう」
 と独り言をつぶやいた。
 ちょうどそこへ、宿の女中が部屋の障子を開けて顔をのぞかせると、
 「お客様、申し分けございませんが、お一人、相部屋でもよろしいですか?」
 と言った。
 「わしゃかまわんが」と答えて、同じ部屋に入って来たのが色黒い行商の男だった。男は恐縮しながら重そうな荷物をおろすと、「よろしゅう願います」と言いながら荷物にこびりついた雪を払い落した。小太郎は気にせず再び茶碗に酒を注いでいたが、すると、「おお……」と言いながらその男が無造作に近寄ってきた。
 「あ、あんた、この茶碗をどうしなはった?」
 「これか?これがどうした?」
 ゴミの中に宝を見つけたような顔をしたこの男の名を甚兵衛じんべえといった。その語るところによれば手に持ったこの素焼きの茶碗、朝鮮国で作られた沙鉢サバルという名品ではないかと興奮気味だ。なんでも千利休とも取り引きがあるとかで、一度彼のところに行ったとき同じ物を見たことがあると、目をらんらんと輝かせた。甚兵衛は主に大名相手に日常雑貨を売り歩いているから焼き物類の扱いも専門なのだと、「わしの目に狂いはない」と言い張った。更に詳しく聞けば、大名や上流階級の間で流行っている茶の湯の席では、いま、朝鮮産の焼き物のことが専らの評判で、欲しい人間は五万といるが、肝心の品が手に入らないのだとかねの匂いを漂わせた。
 「その品は、千利休さんと茶会をしたって、関白様に献上したって、目をまん丸くして驚かれる名品中の名品や。いったいどこで手に入れなはった?」
 「そんな高級な茶碗なのか……?」と、小太郎は信じられないといった目つきで、末蔵が光悦のところから帰って来た時のことを思い出した。
 「ど、どこってそりゃ、お前……、光悦大先生からのいただき物だよ……、多分……」
 「光悦って、あの本阿弥光悦先生か?」
 そう呟いた甚兵衛は、いよいよ本物であることを確信したのだろう、
 「さかずきがわりに使うなんてとんでもない話しやで!そんなんに使うなら、ひとつわしに譲ってくれへんか?」と、手持ちの商品と有り金の全てを小太郎の前に並べ、「これと交換というのはどや?」と小太郎の顔色を覗き込んだ。小太郎にしてみれば悪い気はしない。この茶碗がそんなに値打ちのある物なら、ここはひとつ価格を吊り上げられるだけ吊り上げてみようと、口から出まかせを語りはじめた。
 「馬鹿を申すな。それっぱかじゃこの茶碗は譲れん。なんといっても朝鮮国でも一、二を争う名匠が、天皇の依頼で十年の構想の末、丹精を込めて作り上げた逸品じゃと光悦大先生が申していた。焼き上がったとき、そのたくみは精根尽きて、その後数年間は土をいじれなかったそうじゃ。こんなガラクタとあぶく銭を並べたところで、一緒にしてもらっては困る」
 「ほな、なんぼならお譲りいただけますのか?」
 「そうじゃのう……、金十枚といったところかな―――」
 すると甚兵衛は少し考えた後、
 「分りましたわ。それで手を打ちまひょ」
 と、嬉しそうな表情をつくった。
 「でも、生憎いまは持ち合わせがありまへん。明日、堺のわての店で、耳を揃えてお支払いしますさかい、明日一緒に堺に参りましょう」
 小太郎は呆気あっけにとられて、「もっと高値を言えば良かった」と早くも後悔した。
 翌日、昨夜の申し合わせの通り、行商人の甚兵衛に連れられて堺の町に向かった小太郎だったが、歩いているうちに、沙鉢という高級茶碗が知り合ったばかりの強欲そうな商人の手に渡ってしまうのが惜しくて仕方なかった。それよりなにより、経緯いきさつは知らないがその茶碗は末蔵の物なのだ。売ってしまったことを知ったら一体どうなるか?
 幼少の頃一度、末蔵が「京の焼き物が手に入った」と、美しい色彩の京茶碗を見せてくれたことがる。それを手に取った小太郎は、ふいに出たくしゃみで落とし、ものの見事に割ってしまった。そのとき末蔵は三日三晩泣き続け、ついには「もう生きてはいけない」と、身投げして死のうとしたほどなのだ。
 それを思うととても売ることなどできない。否、末蔵のことはともかく、この茶碗は金百枚にも二百枚にも化ける代物なのだ。使いようによっては仕官の道が決まるかもしれない。それなら末蔵も喜んでくれるに違いないと自分を納得させ、もっと有効な使い道があるはずだと欲が出た。
 そうして判断をしかねているうちに、やがて堺の町に入った。
 かつてこの地は、摂津せっつ河内かわち和泉いずみの三国の境に位置しているところから「さかい」と呼ばれるようになった。戦国以前は漁港として発達したが、戦国期を迎えるにつれ西日本の海運拠点として使われるようになり、やがては明や南蛮などとの海外貿易の港として大きな発展をとげてきた、まさにその頃が堺の黄金時代だったといえる。
 その頃の堺は、会合衆えごうしゅうと呼ばれる商人独自の自治体制を形成していたが、織田信長がこの地を統治してからは、町には堺奉行の前身たる堺政所まんどころが置かれ、少し前までは石田三成がその代官を務めていたが、現在は堺の薬問屋の豪商小西隆佐りゅうさという男が務めていると言う。隆佐は小西行長の父親にあたる。
 秀吉が大坂城を築いてからは、城下町の方へと多くの堺商人が移住させられているため黄金期ほどではないが、貿易商として巨万の富をなした納屋なや助左衛門や、日比屋了珪ひびやりょうけいといった豪商や、町には鉄砲を作る鍛冶屋が立ち並んでいたり、あるいは千利休や今井宗久そうきゅうや津田宗及そうぎゅうなどの文化人の存在もあり、その活気はまだまだ健在だった。
 二人は紀州街道から大小路筋を曲がったところで、大きな屋敷が目に飛びこんできた。玄関に続く門の壁には十字をあしらった紋様がある。
 「これは誰の邸宅か?」と小太郎が聞くと、
 「ここは堺政所代官の小西隆佐様のお屋敷だ」
 と甚兵衛が言った。小太郎は「ふ〜ん」と答えたが、それにしても賑やかな町なのだ。
 「いま、各地の諸大名が大坂に集められておるやろ。そうでなくてもこの正月に、関白様が大坂城で茶会なんか開いたもんやから、それにあやかってこの堺におる千利休さんのところにも人がわんさと集まっておってな、毎日、あちこちで茶会、茶会の騒ぎやねん」
 「そんなに茶ばかり飲んでおって何が面白いのか?」
 「まあ、我々庶民には理解できない世界があるってことや。ほれ見てみい、あれは小西行長様に違いない」
 と、甚兵衛は馬に乗って辻を曲がる武士らしき男を指さした。
 「おおかた屋敷の茶室に客人を招いて、茶会でも開くのやろ」
 「小西行長……?誰じゃ?」
 「ほれ、代官の小西隆佐様の次男坊や。幼少の時に備前の魚屋ととやに養子に行ったんやが、その後、宇喜多家に気に入られて家臣になり、そのまま織田信長様に従ったって話やで。そんとき関白様に頼まれて水軍を率いるようになったんや。つまり日本水軍の大将といったところやな」
 「水軍ねえ……。しかし代官の息子ということは、そいつもキリシタンか?」
 「よう知っとるなあ!」
 「さっきの屋敷の入り口に十字の伴天連の印があったからな」
 「なるほど。きっと高山右近さんも一緒なんやろな。仲がよろしいそうですからな。とすると、日比屋了珪とか千利休さんも来ているかもしれまへんな」
 小太郎ははたと立ち止まった。
 「いま、何と申した?」
 「わて、なんと言いましたかいな?千利休さん?日比屋了珪?」
 「いや、その前じゃ」
 「高山右近でっか?」
 「そうじゃ!高山右近じゃ!いま、堺におるのか?」
 「おそらくやけどな。それが何か……?」
 「すまん、わしゃ用を思い出した。茶碗を売る話はなかったことにしてくれ」
 「そんな殺生な―――!金十枚でっせ!絶対おトクやないかい―――」
 甚兵衛は必死に引き止めようとしたが、そのとき既に小太郎の姿は煙のように消えていた。甚兵衛はきつねにでもつままれたような顔で、あたりを見回した。