雷神の門 大運動会
> 第1章 > 伴天連バテレンの寺
伴天連バテレンの寺
 翌朝、桂川を渡った菖蒲あやめと小太郎の二人は、そのまま西国街道を進み、天王山を眺めながら山崎宿を経て、京と大坂のほぼ中間に位置する摂津せっつ高槻たかつき芥川あくたがわ宿にたどり着いたのが昼前だった。そこまで来ると一つの旅籠はたごで休息をとったが、菖蒲はふいに立ち上がり、
 「私はちょっと行くところがございますので、戻るまであなたはこの宿で休んでいてください。それと……、絶対に後を付けてはなりませぬ」
 と、足早に高槻城方面へ向かって行ってしまった。付けてならぬと言われれば、なお付けたくなるのが心情で、また一人で休めと言われても、暇を持て余すだけの小太郎は、すっかり彼女の行き先が気になって、そっと後を付けはじめた。
 高槻城に近づくに従って、なにやら普通の農村とは違う、言うなればどことなく異国の空気をはらんだ不思議な雰囲気が漂ってきた。小太郎は農作業にいそしむ一人の農夫を捕まえて、
 「このあたりはいったい誰の所領かのう?」
 と聞いてみた。
 「二年前までは右近うこん様の所領だったが、明石に国替えになってしまってからは、関白秀吉様の直轄領ちょっかつりょうだよ。まあ、右近様が細かなところまで心を砕いてくださったから、今のところワシたちも安心して暮らせるが、本当にありがてえお方だった……」
 「右近とは誰じゃ?」
 「お、おめえさん……、高山右近様を知らねえのか?」
 「高山右近……?そんなに偉いのか?」
 農夫は驚いた表情で小太郎の顔を覗きこんだ。
 「偉いもなにも、あんなに清いお方がこの世の中にいるもんか!このへんの教会やセミナリオ(神学校)だって全部右近様が建てたものだし、遠い異国からはド偉い宣教師の先生方を連れてきてくださって、五、六年前なんかは全国の伴天連バテレン信徒がこの地に集まり豪勢な復活祭が行われたのさ!美しい天使の歌声、ありがてえお話……、そりゃ見事なものだったよ!あの頃は良かったなあ……。それに城下で天国へめされる人が出るだろ?するとあんた、右近様みずからが棺桶かんおけを担いでお墓に運んでくれていたものさ。あんなもん賎民せんみんの仕事だろ?思い出すだけで涙が出てくるよ。ほんと、あんなスゲエお方は他にこの世におらん―――」
 「なんじゃ?右近とは伴天連大名か」
 「そんな言い方をしたら罰が当たるぞ!ウソは言わねえから、あんたも高槻城の教会に行ってごらんよ。そこにパイプオルガンという楽器があるから、死ぬ前に一度は聞いとくといいよ。この世のものとは思えないまっこと見事な音色に、魂が吸い込まれちまうから……、アーメン」
 農夫は熱心なキリスト信者だった。現に高槻には当時一万八千人ものキリシタンがいたという。しかもそのほとんどが高山右近と、その父飛騨守ひだのかみ友照ともてるの導きによって、実に領民の七割近くがキリストの洗礼を受けていたという事実は、この時代にしてまさに驚愕に値する。
 右近の父飛騨守友照はもともと熱心な仏教徒だったが、大和やまとの沢城主だった時、キリシタンを論破するつもりで招いたのが、琵琶法師でイエズス会員だったロレンソ了斎りょうさいという人物だった。ところがこのロレンソ、日本に最初にキリスト教をもたらしたフランシスコ・ザビエルの直弟子で、友照は論破するつもりが逆にキリストの教えにいたく感銘し、ダリヨという洗礼名を授かって入信したのが始まりだった。それと同時に家族と家臣を洗礼に導くが、このとき嫡子右近は十二歳、ジュスト(重友)という洗礼名を拝したのである。
 その後、紆余曲折を経て、友照が荒木村重の家臣として高槻城主になったのが天正元年(一五七三)のこと。そしてよわい五〇を過ぎた時その父は、晩年をキリシタンとしての生き方をまっとうするため、城主の地位を右近に譲る。このとき右近は正義と情熱に燃えた二十一歳という若さの青年だった。
 ところが、この親子による布教活動が激しかった。領内の神社という神社、仏閣という仏閣を次々と破壊し、神官や僧侶に迫害を加えてこの地を去らしめ、天正四年(一五七六)には待望の教会を建設し、天正十一年(一五八三)には修学寮を建て、領内に二十箇所もの礼拝堂を次々と建設していく。いわば高山右近という人物は、キリスト教徒にとっては名君だったかもしれないが、神道や仏教徒にとっては暴君以外の何者でもなかったわけである。ともあれキリスト教徒たる領民に慕われていたという点においては、評価すべき人物であったろう。
 天正六年(一五七八)、右近が与力として従っていた荒木村重むらしげが、織田信長に謀反むほんを起こすという事件が勃発ぼっぱつした。このとき右近は村重の有岡城に、妹や子を人質に出して誠意を示しながら、謀反を阻止しようと尽力したが失敗に終わる。
 村重討伐に動き出した信長にとっては、摂津の要衝こそは高槻城で、ついに右近に対し、
 「従わねば畿内の宣教師とキリシタンを皆殺しにし、教会を壊滅させる」
 と脅迫してきた。村重と信長の間で葛藤する右近は、イエズス会京都地区修院長であるオルガンチノ神父に助言を求めた。
 「どちらが正義か、神に祈って決断しなさい」
 と、これが神父のアドバイスだった。ところがイエズス会の京都地区修院長といえば京都地域全体の責任者である。当然信長とも通じていた。信長はオルガンチノ神父を高槻城に派遣し、開城を求めたのである。
 高槻城内は、信長との徹底抗戦か開城かで意見が真っ二つに割れた。徹底抗戦を唱える父の友照は、
 「村重のところへ人質に出した娘と孫の命はどうなる!信長と和平を結ぶくらいならこの場で切腹する!」
 と、オルガンチノ神父を軟禁してしまう。そこに至って深い苦悩にさいなまれた右近は、思いもよらない行動に出た。まげを切って突然城主を辞退したかと思うと、オルガンチノ神父を救出し、刀を捨て家族をも捨てて、神父を伴い紙衣かみこ一枚のみすぼらしい姿で、信長の面前に出むいたのである。
 信長はその姿に一驚し、
 「太刀を帯びよ!」
 と命じた。ところが右近はそれを拒否し、
 「どうか、このままの姿で追放してください!」
 と願い出た。城主自らが「城を追放してくれ」とは全てを放棄するということである。高槻城を好きなようにしてよいという実質的な開城の意でもある。右近は続けた。
 「しかし、一つだけ願いをお聞き届けください。今日よりはこの高山右近、すべての身分を捨て一介いっかいのキリシタン信者になり申すが、何卒なにとぞ、高槻城の家臣と領民、そしてキリシタンを保護するとお約束下さいますよう平に、平に御頼み申し上げます!」
 このとき彼は殉教じゅんきょうを覚悟していたのだろう。ところが信長は、
 「申したな、伴天連沙弥しゃみ(修行僧)めが……」
 と鼻で笑ったかと思うと、喜色をあらわにして、自らが着ていた小袖を脱ぎ、床の間に飾ってあった名刀「吉則」とともに右近に与えのである。更には、
 「この者に早鹿毛はやかげを褒美にとらせ!」
 と、秘蔵の名馬まで贈るのであった。
 結果的にこの右近の行動は、荒木村重の敗北につながる。そしてこの功績に対して信長は、再び彼を高槻城主とした上に、石高も二万石から四万石へという異例の報酬を与えたのだった。
 この際、徹底抗戦を指示した友照は、急いで荒木村重の有岡城へ走り、右近の非道を嘆きながら改めて忠誠を誓ったが、そのためか、村重が高山氏の人質を殺すことはなかった。しかし信長の荒木氏に対する処罰は厳しく、 六〇〇人もの一族を惨殺することになる。一方友照に対しては、右近の功によって死罪を免除し、北荘(福井県)への流罪という処罰のみにとどめた。
 この高山氏と高槻村を救った体験は、右近にとっても信仰心をますます燃え上がらせる要因になったに違いない。
 その後、本能寺の変で信長が没した後は、豊臣秀吉の忠実な家臣となって現在に至っているが、天下完全統一を図る秀吉が、いよいよ九州制圧に動き出した時、西国進攻に向けての人事で右近に対し、高槻から播州ばんしゅう明石への石高増の国替えを命じたのが二年前の天正十三年(一五八五)のことだった。
 それまで親子二代にわたって強力に布教を推進し、領民の大半をキリシタンに改宗させてきた右近にとって、高槻を離れる淋しさはいかばかりであったろう。それでも移転に際し、秀吉に対して高槻に残る信者の保護を約束させて、新たな使命の地、明石へと旅立つ。右近三十三歳の夏の出来事である―――。
 さて小太郎は、道草を食いながら歩いているうちに、すっかり菖蒲あやめの姿を見失った。仕方なく高槻城を目指して進んでいると、そのうちに今まで聞いたことがない不思議な音が遠くから聞こえてきた。規則正しい旋律だから音楽には違いないだろうが、笛でもない、しょうでもない、琴でもない、琵琶でも三味線でもなく、まして太鼓やつづみでもない、それはまったく不思議な音だった。それが先ほど農夫から聞いたパイプオルガン≠ニいう楽器であることに気付くのは、音が漏れてくる異国様式の建物の扉から中を覗いた時で、そこでは農民姿の人々が正面を向き、一心に中央の白い像に手を合わせている光景の脇で、不思議な音を奏でる四角い楽器らしき物体を見たのだった。
 「なるほど、これが伴天連の寺か……」
 そう思いながら小太郎は、教会の入り口の扉からその怪しげで不思議な光景を暫く眺めていた。
 このパイプオルガンは先ほどの農夫が語っていた天正九年に行われた復活祭で使用するため、遠くヨーロッパから運ばれてきた日本で初めて設置されたものだった。宣教師達はこのほか携帯用の小型オルガンを持ち歩き、行く先々で演奏しながら布教活動に使用していた。その音色を初めて聞く日本人達は、またたくまに魅了され、宣教師たちの間では、
 「オルガンさえあれば、日本人信者などいくらでも増やせる」
 と噂していたくらいだった。
 ふと、農民姿の聴衆の中に、一点、艶やかな旅姿の女がいた。菖蒲である。小太郎は「何故こんなところに?」と首を傾げながら、音楽が終わって、黒ずくめの服装をした片言の日本語を話す南蛮人の講和を聞いていたが、主≠竄辯愛≠竄轣A言っている意味はほとんど理解できなかった。やがて全員で「アーメン」と言ったかと思うと、参列者たちは黒ずくめの講和者のところへ順番に並んで、何やら色とりどりの鮮やかな小さな粒状の物を受け取り、受け取った者から順に外へ出てきた。ところがそのうちの数人は、懐かしそうに菖蒲あやめのもとに集まって、手を取りあい親しげに話しをはじめたかと思うと、やがて脇の扉から奥の部屋へと入って行った。
 「なんじゃ?それは?」
 小太郎は外に出てきた一人を捕まえて、手にした粒状の物を指してそう聞いた。
 「主の恵みであるコンフェイト(金平糖)という南蛮菓子です」
 「そんな色の菓子があるのか?ちょっとわしにもくれてみろ」
 「駄目でございます!これは私がいただいたのですから!」
 「うまいのか?」
 「うまいもなにも、もう、ホッペが……。欲しければ神父様にいただけばいい」
 小太郎は慌てて行列の最後尾に並んだ。神父の手元には小さなガラスびんと、中には赤や黄色や白や青のコンフェイトなる粒状の南蛮菓子がキラキラと輝いているように見えた。やがて小太郎に順番がまわってくると神父は、
 「神ノ恵ミアレ、アーメン」
 と言いながら手のひらに一粒だけ置いた。小太郎はそれを無造作に口中にほうり込んで、カリカリと歯で砕いてみたら、それが甘くて非常に美味い。思わずいま一度手を出して「もう一個くれ」とねだった。
 「一人一粒ガ、キマリデス。夜マタ、ミサ、アリマス。来テクダサイ」
 と、神父はガラス瓶にふたをしてしまうと、何も言わずに脇の扉から去ってしまった。
 「なんじゃあ!ケチじゃのう!」
 小太郎は不服を吐くと、正面の子を抱く母の白い像を見つめた。いわゆる聖母マリア像である。
 そして、この南蛮菓子こそ、宣教師達が布教の手段に使用しているもう一つの武器だと小太郎は思った。それは「カステラ」や「有平糖ありへいとう」、「ボーロ」など、それまでの日本には存在しない、小麦粉や砂糖や卵を原料とする甘い未知の食品だった。人を思い通りにあやつるには五感を制することが鉄則なのだ。小太郎は父太郎次郎からそう教わった。昨晩の菖蒲も香水で小太郎の嗅覚を制し、女体で視覚を制し、手を胸に忍ばせて触覚を制して男を操り、やがてはあえぐ声で聴覚を制し、したたる汗の味で味覚を制して自分を殺そうとしたに違いない。同様に宣教師たちは、その白い肌と青い目で視覚を制し、オルガンを使って聴覚を制し、南蛮菓子を使って味覚を制し、ミサに人を集めて福音香ふくいんこうの甘い香りで嗅覚を制し、その特殊な雰囲気で触覚を制し、更には日本人には理解しえない聖書の話をさもありがたく語って聞かせ、第六感をも制しているのだ―――と、小太郎は考えた。
 「いったい奴らのたくらみは何じゃ?本当に、純粋にキリストの教えを広めようとしているだけなのか……?」
 初めて出会う得体の知れない新興宗教に思いをめぐらせながら、ふと、菖蒲の事を思い出した。
 「あの女、くの一でなくキリシタンだったか……?」
 と音もなく、ひそかに屋根裏に忍び込んだ。
 南蛮装飾で飾られた部屋では、テーブルを囲んで菖蒲を取り囲むように、先ほどの神父と数名の武家の男らしき信者が座っていた。胸に十字架をあしらった首飾りをさげていたので、すぐにそうと知れたのだ。
 「右近様がいなくなって、布教の勢いはすっかり衰えてしまった」
 と、一人の若い武士らしい男が言った。
 「いや、菖蒲様が戻ってきてくれたのだ。いよいよこれからぞ」
 と別の男が言う。
 「申し訳ございません。私にはまだ別の仕事が……。たまたま通りかかったもので顔を見せに寄ったまで。いましばらくは戻ることはできません」
 菖蒲の言葉に、落胆したような空気が流れた。
 「ところでオルガンチノ先生、秀吉に不穏ふおんな動きは見られませんか?」
 菖蒲は黒装束の男をオルガンチノ先生と呼んだ。
 「今ノトコロ、ソウイウ情報入ッテキマセン。デモ秀吉ハ、我々ヤ、ポルトガル商人ノ動キヲ、探ッテル。近イ将来、何カ起コルカモシレナイ」
 オルガンチノと呼ばれた牧師は、少し周囲を警戒するような小声でそう言った。するとすかさず男の一人が「大きな心配ごとがひとつある」と話を続けた。
 「秀吉の九州征伐に備えて、九州の諸大名が武器、弾薬を手に入れるため、盛んにポルトガル商人と人身売買の取り引きをしていると言うのです。島津はともかくとして、中には有馬晴信や大村純忠等、キリシタン大名の名も含まれている。秀吉にしてみれば宣教師も南蛮商人も一緒なのだ。我らキリシタンに影響を及ぼさねばよいが……」
 「人身売買ですか……」と、菖蒲の声は悲しそうだった。
 「コノ件ニツイテハ、以前、バチカンカラ人買イスルナノ通達キテル。デモ、ダメ。ポルトガル商人、金モウケ第一ネ。イツマデタッテモ切レマセン」
 「それともうひとつ……」と、別の男が続けた。
 「右近様もそうでしたが、私たちは布教のために土着どちゃくの神社仏閣を破壊しすぎた。秀吉はそのことについても面白く思っていないはずです」
 「アナタ、ソレハ違イマス!」
 と話をさえぎったのはオルガンチノ神父だった。
 「私タチ、日本ノ人々救ウタメ来マシタ。人ハ懺悔ざんげニヨリ神ノ道ニ入レマス。主ハ逆ラウ者ニ遠クイマスガ、従ウ者ノ祈リヲ聞イテクレマス。ソシテ、主ハ言イマシタ。傲慢ごうまんナ者ノ家ヲ根コソギニシ、ト。神ニ従エナイ者は、ミナけものデス。異端いたんノ者ハ殺シテモ良イノデス」
 屋根裏で小太郎は身震いした。人を救うためと豪語ごうごしているキリシタンの教義は、実は人のための教えではなく、神のための教えなのだと直感した。
 「こんな低俗な教えを日本に広められたのではたまったものではない……」
 と小太郎は思った。少なくとも戦に明け暮れている各国の武将でさえ、末の太平の世を目指して戦っているのだ。―――と、まだ若い小太郎は単純にかつ純粋にそう考えている。中には名聞名利のために戦う者もいようし、覇権者になるために戦っている者もいよう。しかしそれらは自分であったり、身内であったり、狭小きょうしょうではあるが目的が人であることに違いはない。ところがいるかいないか分らない「神」といった抽象的なもののために行動するなど、小太郎には考えも及ばないことだった。
 「これはまず、菖蒲殿あやめどのを救わねば……」
 と、小太郎は屋根の隙間から射し込む陽の光をみつめた。
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