雷神の門 大運動会
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倉賀野軍議
はしいろ☆まんぢう作品  

 上野国の支城はことごとく豊臣軍が制圧した。前田利家を総大将とする北国軍は、いよいよ武蔵国に侵攻するため、倉賀野城周辺の神社仏閣や近くの支城などに軍隊を分散させると、兵に暫しの休息を取らせた。土着の農民に扮した鼠は、前田利家や上杉景勝ほか、各部隊の大将らしき武将達が倉賀野城に入城していくのを見届けると、夜を待って忍び装束に変じ、敵の知らない抜け道を通って城の中へと忍び込んだのだった。
 本丸御殿の大広間に次々と武将たちが集まって来たとき、鼠はその床下に潜り込むことに成功した。まさに広間では鉢形城攻略の軍議を開こうというときである。
 上座に前田利家が座し、両脇に子の利長と家臣の奥村永福、長連龍らを控えさせ、その対面には直江兼続を従えた上杉景勝──彼は用土源心(藤田信吉)をはじめとする数名の家臣も伴っていたほか、真田昌幸とその子信幸と幸村、松平康勝らが居並び、更には岩槻城を落としたばかりの秀吉直属の家臣浅野長政の使番の男がいた。使番というのは戦場を監察したり伝令を伝えたり、時に敵軍への使者などを務める役職で、長政からの重要な伝言を預かって来たと見える。利家は鉢形城とその周辺の地形が描かれた大きな地図を広げると、
 「おのおの方、休む暇もなくかたじけないが、関白秀吉様から早く鉢形城を攻めよとの催促しきり。これより武蔵国に進軍するが、聞くところによれば鉢形城は難攻不落、城主北条氏邦は三、〇〇〇の兵で我らを迎え撃ち、籠城戦で対抗する構えを見せているらしい。いかに攻略するのが利口か、意見を聞かせてほしい」
 すかさず使番の男が叫んだ。
 「なにを悠長な事を言っておりますか! 関白殿下はその呑気な攻撃姿勢に苛立ち、浅野長政様はじめ木村重茲様をわざわざ徳川の軍勢まで伴わせて上野国へ派兵したのでありますぞ。長政様のところには『鉢形城はまだか』と再三詰問状が届いており頭を痛めておられます。兵力は敵の十倍以上、こんな軍議など開いている間に攻め込んでしまえばよいではありませんか!」
 「言葉を慎みなさい! この陣営の総大将は前田利家様である!」
 と大声を張り上げたのは直江兼続だった。一転、穏やかな口調で、
 「鉢形城は北条にとって北を守る重要拠点だ。敵は決死の覚悟で望んで来るに違いない。十倍の兵力とはいえ、下手な攻撃をすれば無駄な犠牲を増やすだけ。兵が多いからこそ、その利を生かした最善の軍略を探るのだ」
 「その通りだ」と言ったのは真田信幸である。もっともな道理に使番の男は黙り込んでしまった。
 利家は昌幸の顔を見て聞いた。
 「ときに安房守(真田昌幸)殿は武田信玄公の家臣だったと聞くが、確か信玄公も小田原を攻めたことがあったと記憶する。三増峠の戦いでは安房守殿が一番槍の名を挙げたそうではないか」
 それは永禄十二年(一五六九)の武田信玄による小田原攻めである。昌幸は使番として武田四天王の一人に数えられる馬場信春に仕えて参戦した。当時昌幸二十二歳、
 「昔のことで忘れてしまいましたわい」
 と豪胆に笑った。
 「そのときも鉢形城を通ったのではありませんかな?」
 利家は稀代の策士と聞こえる昌幸を頼りにしているところがある。五年前、領地をめぐる問題で徳川家康が真田討伐を決行して上田城を攻めた時、徳川軍約七、〇〇〇の兵に対して真田軍はわずか一、二〇〇の兵で迎えうった。そしておよそ兵力に6倍の差があるにも関わらず、彼が大勝利をもぎ取った話はいまや天下にとどろき渡っていた。
 「鉢形城は甲斐や信濃からの侵攻の備えとして作られた城である。北は荒川の断崖で防備を固め、南は深沢川の天然の堀、御殿に至る城内各所は土塁と戦闘用の郭が取り巻くように置かれ、地形をうまく取り入れた非常に堅固な造りをしており申した。それにはさすがの信玄公も舌を巻いたと見える、ろくに攻撃もせずそのまま南下してしまいましたわい」
 と、昌幸はまた豪胆に笑った。
 「上杉謙信公も鉢形城を攻撃したことがあったと思うが?」
 利家は次に上杉景勝に目を向けた。景勝は隣りの直江兼続に「お前が話せ」と目くばせをした。
 「おそれながら──それは天正二年(一五七四)のことを仰っているのでしょう。しかしながら、あのときは城に火を放ったのみで、落城には至っておりません」
 利家はため息に似た声で、
 「かの信玄公も謙信公も落とすことが出来なかったというわけか……」
 と呟いた。
 「違います。謙信公の場合は北条家のなりふりかまわぬ他領侵略に業を煮やし、牽制目的で仕掛けたものと思われます。本気で城を落とそうとしたわけではありません」
 上杉家をかばうように用土源心が言った。確かに戦国最強ともいわれる上杉謙信は、戦乱続きの世にあって、自領を拡大する目的でなく、他国からの要請に応じ秩序を回復のために出兵した。彼が『義の武将』と称される所以である。謙信による関東出陣一連の戦いのひとつ鉢形攻めも、当時上杉領だった上野国に同盟を破った北条氏政が侵略したのが発端なのである。鉢形は北条領なので自らは同盟を破ろうとはしなかったと言うわけだ。
 「どちらにしても落ちなかったのは事実だろう」と、使番の男が上杉家臣団の方を見てささやいた。
 「さて、どうしたものか? 直江殿ならどうなさるかな?」
 「敵は籠城の構え。しかし関白殿下が睨みをきかせている小田原からは援軍は来ないものと思われます。ならば城を包囲し補給路を断ち、根気強く開城交渉を進めるのが得策かと」
 利家は秀吉の激怒する顔を思い浮かべて「そうじゃのう」と言った。
 「どれほどの貯えがあるか知らぬが、そんなことをしていたら小田原での戦が終わってしまうぞ」と言ったのは松平康勝だった。本来ならその席には兄の康国がいるはずだったが、兄は先の石倉城攻略の際、開城時の混乱の中で城代の寺尾左馬助に殺されてしまった。すかさず康勝が仇を討ったものの、兄を亡くした悲しみは「なんとしても手柄を立てる!」という強い復讐心に変わっていた。
 「心理的に追い込めばそんなに時間はかからんと思うが」と何か策があるような含み笑いで昌幸が言った。
 「なにか妙案でも?」
 「妙案というわけではないが」と、昌幸は発言権を幸村に譲った。鉢形攻略については父子三人で既に話し合っている。幸村は「申し上げます」と一礼すると、広げた地図の方へつつつと寄って行った。
 「鉢形城周辺には花園城をはじめとして、東に猪俣城、虎ケ岡城、花園御嶽城、円良田城、金尾要害山城、天神山城、仲山城、千馬山城、南に目を向ければ高見城、中城、青山城、腰越城、安戸城、杉山城、小倉城、菅谷城と細かな支城が無数にございます」
 幸村はそこで一旦言葉を止めた。なにやら床下に人の気配を感じたのだ。するとそれまでより一層大きな声で、
 「中でも補給路の要が虎ケ岡城。まずそこを落とし、次に鉢形城の砦としての役割を担う花園城を落とします。そうして順に片っ端から支城を落としていけば、いつまでも籠城などと言ってはおれますまい」
 「それでも落ちなければどうする?」と兼続が言った。
 「小田原城が落ちたと流言します。さすればさすがの氏邦も焦るに相違ない」
 「天下の豊臣軍にそんな姑息な真似をさせよと申すか?」と使番の男は怒った。
 「戦というものはどんな手段を使おうが勝てばよいのだ」と昌幸はもとより開き直っている。
 そうして鉢形城攻略作戦がまとまったのを聞き届けると、鼠は一目散に鉢形へと戻ったのである──。

 「鼠の聞き得た情報は以上だ」
 と、髪結いの店内で“は組”と“め組”合わせて四十名ほどの忍び装束を身に着けた部下の前で猪助が言った。北国軍の兵達が徐々に鉢形に入りはじめ、五月も中旬を過ぎると城下町はその兵達で膨れ上がっていた。そしてついに上杉隊の先鋒を任された用土源心が、鉢形城兵と小乱闘を起こし、北条側の松村豊前という男が討ち死にしたという報が巷に飛び交う五月二十九日のことである。
 「いよいよ敵が動き出した。よいか、よく聞け。何度も言うが決戦地は小田原じゃ。鉢形はいわば捨て駒である。我らの標的はあくまで真田安房守昌幸ただ一人。鉢形城下に何があろうとそれ以外には目をくれるな!」
 と作戦の内容を話し始めた──。
 鼠の情報によれば、北国軍前田、上杉軍本体は、赤浜街道を通って東から鉢形城に攻め込み、包囲が完了した時点で開城交渉を開始する。その間別動隊の真田昌幸隊は、鉢形城北西にある虎ケ岡城を陥落させ補給路を断ち、続いて花園城を攻める計画だと言う。猪助はこの移動の時が昌幸討伐のチャンスであり、彼は必ず荒川沿いを下って来るはずで、決行場所は馬が走ることのできる平坦な野原が広がる“末野”で、風の吹き溜まりが起こる場所を見付けたと言った。真田隊の兵数はおよそ三、〇〇〇、そのほとんどは歩兵で細い街道沿いを歩いて移動する。“は組”はおのおの“め組の幟”を持って騎馬でその場所に待ち伏せ、“め組”は風の流れを読んで“まやかし玉”を炊けと指示した。どうやらそこで幻術を使うらしい。
 “は組”に混ざって神妙そうな顔を装う小太郎は、初めてこの店に入って恵婆さんの幻術にかかった時のことを思い出していた。強烈な香の匂いが立ち込めていたが、それが“まやかし玉”から出た匂いであるとすれば、“め組の幟”は奥の部屋への入り口にあった大きな“め”の字が書かれた看板であろうと考えた。“め”の字には、子供が蜻蛉を捕まえる時に指を回転させるのと同じ効果があるらしい。しかしそれだけで幻術にかかってしまうのか?と思ったとき、三十路女に変じた婆さんが出て来る直前に呪詛のような声が聞こえたことを思い出した。
 「あれか!──」
 と小太郎はひらめいた。風魔の使う幻術とは、麻薬の薫りで脳を麻痺させ、“め”の字の効果で脳を混乱させ、最後に何らかの呪文を唱えて完全な催眠状態を作り出し、敵を意のままに操るのだ。そうなるとその呪文がどういうものか知りたい。
 猪助の作戦は大掛かりである。昌幸三、〇〇〇の兵をことごとく幻術にかけて、わずか四〇名の風魔忍者を何万もの騎馬集団が攻めて来たような幻を見せるというわけだ。そして敵が混乱している間に昌幸の首を取る。もっともそれには条件が揃わなければならず、雨天であれば“まやかし玉”に火は使えないし、風は強すぎても弱すぎてもいけない。
 「雨が降ったらこの作戦は延期だ」
 と猪助は最後にそう言った。
 「おれは何をすればよい?」
 小太郎が聞いた。恵婆さんの忠告を受けた猪助は彼を作戦の頭数には入れていない。かといってそんなことを言えばまた屁理屈を並べて言い含めるのに一苦労するのは目に見えている。
 「お前にはもっとも重要な任務を与える」
 「なんじゃ?」
 「作戦決行中、甲賀飛猿を抑えておれ」
 「相分かった!」
 小太郎は再び飛猿と戦えると思うと胸が躍った。

 真田昌幸暗殺計画はすっかり整ったが、肝心の北国軍はなかなか動かない。そのうち岩槻城を落とした浅野長政と木村重茲、更に徳川家臣の本田忠勝、鳥居元忠らが合流して、北国軍は五万規模の大軍隊に膨らみ、完全に鉢形城を包囲した。普段は六千にも満たない鉢形城下町は祭りさながらのごった返しようで、食料、物資はみるみる底をつき、異常な価格高騰を招いて町民は混乱状態に陥った。
 「いったいいつになったら動くのじゃ」
 と、猪助は最近苛立ちを隠せない様子だが、商売大繁盛の恵婆さんはひどくご機嫌で、
 「こんなことならずっといてもらいたいものだ」
 と銭勘定をしながら呑気に笑った。
 北国軍が動かないのには訳があった。しびれを切らした秀吉が、「いったい鉢形はどうなっておるのじゃ! 今すぐ現状を報告しろ!」と、ついに総大将の前田利家と、上杉景勝を小田原に呼び付けたのである。総大将不在では動けるはずもない。
 「やれやれ……利家公も利家公なら関白も関白じゃ。こんなんではいつまで経っても戦が終わらぬではないか……」
 とぼやくのは本田忠勝で、鉢形城南西およそ一点数キロあたりに位置する車山に石火矢発射台を築きはじめた。石火矢とはいわゆる大砲のことで、日本で初めてそれを使ったのは大友宗麟とされる。彼はポルトガル人から購入したそれを“国崩し”と名付けたが、その名の通りその破壊力はすさまじく、一発放って命中すれば、石垣や城郭を大破させ、地震のような衝撃を与えたというから当時にして脅威に値する代物だった。しかし初期のものは命中率も低く、飛距離も数百メートルほどであったようだが、国内で改良が重ねられ、これより少し後の大坂の陣では、歴史を変えたと記す文献に残るほどまでに性能を上げている。その石火矢を二十八人の力士を使って山頂まで運び上げた忠勝は、
 「ちまちまと開城交渉などせずとも、こいつを一発ぶっ放せば一気に片が付くものを……」
 と、最新型の兵器を撫でながら呟いた。
 石火矢発射台が築かれはじめたという報が北条氏邦にもたらされた時、彼は蒼白になった。単なる籠城戦なら半年でも1年でも持ちこたえてやるが、最新兵器を持ち出されたとあっては話は別だ。そんな武器は鉢形城にもないし、現代で言えば核兵器の的が自国に向けられたのと同じような感覚であったろう。慌てて家臣のひとり小前田越前守という男を呼びつけると、
 「どうやらこの戦い、我らが圧倒的に不利のようじゃ。わしはこの城と命運を共にするつもりだが、妻子を巻き込むのはなんとも忍び難い。どうか室と子を城下の外へ逃がしてほしい」
 と申しつけた。こうして正室大福御前とその末子光福丸は、無事に鉢形城を脱出する。
 一方、開城交渉に臨んだのは上杉家臣用土源心である。もともと彼は氏邦の親戚でもあり、秩父方面には知り合いも多い。さっそく末野にある正竜寺を訪ね、住職の良栄和尚に仲介を頼む調略に動き始める。
 かくして鉢形城陥落の時は、刻一刻と迫っていった。