雷神の門 大運動会
> 第1章 > 蒙古占い
蒙古占い
はしいろ☆まんぢう作品  

 猪助はいまだ帰って来ない。
 幻術の存在に大きな衝撃を受けた小太郎はすっかり黙り込んでしまった。
 「だいぶ驚いているようじゃのう。あんなものはまだ序の口じゃい。本気でやったらお前など廃人にしてくれるわい」
 小太郎は恵婆さんの顔をキッと睨んだ。
 「いったいどういう絡繰りじゃ? あの匂いの香の中には何が入っている?」
 「阿呆、よそ者に風魔相伝の秘密を教える馬鹿がどこにおる。そこまで耄碌しとらんわい」
 「後継はおるのか? なんならわしが継いでやる手もあるぞ。どうせ老い先もないだろう」
 「余計なお世話じゃ。残念だがわしには四〇人の子がある」と、店の離れで暮らす子供たちの話をしはじめる。女郎たちが産み落として育児を放棄された孤児たちを引き取り、自分が育てているのだと言う。大きい者は既に五〇を越えるが、まだ乳飲み子もおり、風魔党“め組”はその子供たちで構成されているらしい。幻術はその者達に伝えてあり、一人前になって他の組で活躍する者もいるからそれを含めれば一〇〇名以上は養育したはずで、ここで暮らす者は今、猪助に伴って出払っているのだと言った。
 小太郎は「しまった」と思った。猪助は昌幸暗殺を騎馬を使った戦術でやると話していたが、正確には幻術を使いながら騎馬でやるのだ。そのことを菖蒲に伝えられなかったことを今更のように悔やんだ。
 「腹が減っただろう? 何人かは残っているはずだから紹介するわい」と、婆さんは店内に吊り下がっている土瓶ほどの大きさの鐘を無造作に叩くと、やがて店に一人の若い女が現れた。
 「婆上、呼んだか?」
 「楓、すまぬがこの男にめしでも作ってやってくれ」
 楓と呼ばれた若い女は「また術を使ったのか?」と鼻をつまみながら店内に入り込むと、小太郎の顔をチラリと見て「ぷっ」と笑った。年の頃なら十七、八、美人ではないが人懐っこそうで可愛げのある顔付きの女で、小太郎は身づくろいを整えると胡坐をし直した。
 「変な気を起こすなよ。既に夫もいる」
 「人のあそこをさすっておいてよく言うわい!」
 小太郎はそれより顔を見られて笑われた事の方が気になる。楓は再び顔を見て「ぷっ」と吹き出した。
 「なにが可笑しい?」
 「えっ?」
 「“え”ではない。いま、わしの顔を見て笑ったろう?」
 楓は少し言いにくそうに、
 「だって──女難の相が出てるから」
 と、また顔を覗き込んで三度「ぷっ」と吹く。
 「楓は人相占いをやっておるのだ」と婆さんが言ったので、小太郎は面妖そうに顔を数度こすってその奇特な若い女から目をそらした。言われてみれば思い当たる節がある。この店に来た途端、美しい女に犯されそうになり、結局それは婆さんだったが女に違いはない。それに菖蒲のことにしても、舌を噛み切られた上に今では下僕となり下がり、接吻をエサにいいように使われている。これも難といえば難に思える。
 「ちょうどいい鮎があるじゃないか」と、楓が作り始めたのは鉢形あたりではよく食べられているという鮎めしで、鉄釜に米を入れて出汁で浸して囲炉裏に吊るし、その周りで串刺しの鮎を焼き始めた。
 楓が人相占いができると聞いて、小太郎は猪助が言っていたチンギス・ハーンの陰にいたという占い師の話を思い出した。
 「婆さんもできるそうじゃないか。ここに来たら一つ占ってもらおうと思っていたが、此度の戦い、風魔と甲賀、どちらが勝つ?」
 すると婆さんはとっくに知っているといった顔をして「風魔に決っとる」と言った。
 「占いもせずになぜ分かる?」
 「少し前に占った。ちゃんと風魔と出たわい」
 「ならば北条と豊臣、どちらが勝つ?」
 「それは──」と言いかけて、婆さんはふと言葉を止めた。
 「お前はよそ者だから教えるが、猪助たちにはけっして言うでないぞ。戦意をくじくことになるからのう」
 「では──やはり……」
 恵婆さんは静かに頷いた。小太郎は占いなど信じてないが、こうも真顔で答えられては「何かありそうだ」と思わずにいられない。脇の楓は北条家の行く末を心配する様子もなく、
 「ねえ、この男の将来も占ってあげなよ。好きな女がいるみたいだしさ!」
 と、また小太郎の女難の相を見て、からかうように口をはさんだ。すると婆さんも、
 「そういえばさっき、心に決めた女がおるとか言っておったなあ」と囃したてた。
 楓の話によれば、恵婆さんの占いは“蒙古占い”といって、蒙古の暦に基づいて占う占星術らしく、占う対象の主だった事象を暦に照らし合わせると、蒙古石にその未来が映し出されるのだと言う。風魔の中でもその占いができるのは婆さんだけで、楓を含む他の“め組”の者たちでも、いくらやり方を教わってもできないのだそうだ。婆さんによれば、
 「血で読むのじゃ」
 らしく、自分は風魔一族の血を引いており、その昔、風魔一族は海を渡った大陸からこの地に住み着いた蒙古の血を受けついでいるからだと言った。風魔が騎馬戦術を得意とするのもそのためで、どこの馬の骨とも知れぬ女郎から生まれたお前(楓)たちには「所詮無理なのじゃ」と諭した。それに、
 「蒙古占いは時世を占う高貴なもので、恋占いなんぞには使えぬ」
 とぼやく。
 「あら、おかしいわ。私と鼠のことは占ってくれたじゃない」
 鼠というのは楓の夫の名である。二人が一緒になる前「非常に相性が良い」と占いの結果を教えてくれたのだと楓は照れくさそうに言った。
 「女はそういう話になると目の色を変えるから好かん」
 小太郎は馬鹿らしくなって身体を床に横たえた。
 「男は皆そう言うが、誰と誰がひっつくかという話は、その者の人生、もっと言えば世の行く末を決定づける可能性をはらむ重大問題じゃ。伊賀の若僧よ、ここに来たよしみで教えてやるが、人の歴史は、男を陰で操る女が作っていると言ってもよい。そう言うお前の将来が気になってきた。ひとつお前とその女の行く末を占ってやろう」
 と、しなびた箪笥の中から一面に意味の分からない記号が刻まれた大きな机と、瑪瑙の一種であろうか彼女らが“蒙古石”と呼んでいる赤と緑の混ざった漬物石ほどの大きさのごつごつした岩を、楓に手伝わせながら重そうに取り出すと、囲炉裏の前に大切そうに置いた。
 「小太郎、お前の生まれはいつじゃ?」
 「生まれ? 永禄十二年如月じゃ。それがどうした?」
 と言いながら彼は「何が始まる?」といった顔つきで体を起こした。
 「その女の生まれは?」
 小太郎はふと首を傾げた。菖蒲とそんな話などしたことがない。年は二つほど上であるが、誕生月についてはなんと言っていたかとんと分からぬ。しかし菖蒲という名の由来を聞いたとき、「産まれた時に花菖蒲が咲き乱れており、それが私の名となった」ことや、その日は節句で「邪気払いに産湯に菖蒲を漬けたそうだ」と言っていたことをふいに思い出し、
 「永禄十年端午の節句の日じゃ」
 と答えた。
 「年上かぁ」と、楓は興味津々とした様子で言ったが、婆さんの方は机に刻まれた無数の記号を指で追うと、目を閉じて呪文のような言葉をつぶやき、次の瞬間パッと目を見開くと蒙古石のごつごつした表面を睨むように凝視した。
 すると──
 「異国の神が見える。その女、ひょっとしてキリシタンか?」
 小太郎は驚き、「なぜ分かる?」と婆さんの隣りに寄っていき、凝視している石の表面を見てみたが何も見えはしない。婆さんは続ける。
 「その女の生命は両極端じゃの。菩薩と第六天の魔王が同時に住んでおるぞ。己でも制御できずに苦しんでるようじゃ──こりゃ一緒になっても苦労しそうじゃのう」
 「余計なお世話じゃ」と言いつつ、思い当たる菖蒲の言動が小太郎の脳裏にちらつく。
 「まあ安心しなされ。女もお前のことが好きなようじゃ」
 「そうか!」と小太郎は喜びを隠せない。
 「しかし変じゃのう──?」と婆さんは言葉を止めた。
 「どうした? 何が見えるのじゃ?」
 「それが……女の未来が見えん──どこか遠い異国へ行ってしまったか、あるいは……」
 「あるいは──なんじゃ? 教えろ!」
 「だが、女を必死で追いかけているお前がいる──これは日本ではないな……どこだ?」
 「ではなにか? わしは将来、菖蒲のケツを追っかけて異国へ渡るということか?」
 今ここにいるのも同様、菖蒲を追いかけて来た自分を顧みて、その成長のなさに愕然と肩を落とす小太郎である。
 「ふ〜ん、アヤメっていうのかい。残念、一緒になるのは難しそう」
 楓が他人事のように笑ったので、小太郎は「いちいち気の障ることを言う女だ」という顔を作って、
 「もうよい。将来を知ったところでどうなるわけでもなかろう。わしは占いなど信じん! 寝る!」
 と言って、もといた場所に戻って横になってしまった。
 「鮎めし、もうすぐできるよ」
 「いらん!」
 楓は「すねちゃった」と笑いながら、鮎の焼き面を裏返した。

 猪助が“め組”の拠点に戻って来たのは、その日も暮れた真夜中の丑三つ時を過ぎた頃である。恵婆さんと楓が夜なべをしながら雑談をしている反対側で、小太郎は囲炉裏に背を向けて鼾まじりの寝息をたてているところへ、
 「小太郎、着いたか」と猪助は入りざまに声をかけたが、起きる様子のない寝姿を見て「七日七晩寝ずとも働けると申したくせに」と呆れ、次に楓に目を向けて、
 「楓も来ておったか。鼠が帰ったぞ。大手柄じゃ! 倉賀野城に忍んで敵の軍議をすっかり聞いて戻って来たわ。逃げ戻る際に少し怪我をしたようじゃ。手当てしてやれ」
 と言った。倉賀野城とは鉢形城の支城の一つで、北国軍はもうすぐそこまで迫っていた。楓は「そうか!」と叫ぶと、まるで恋人に会う時のように出て行った。
 猪助は囲炉裏の釜の中の鮎めしを見つけると、「ありがたい、いただくぞ」と言って丼によそい、がつがつと旨そうに食べ始めた。
 「ところでお恵さん、例の物は準備できてるか?」
 猪助がめしを口に含みながら、もぐもぐとした口調で言った。
 「猪助、行儀が悪いぞ。食うか喋るかどちらかにしろ。全く育ちの悪さは隠せんのぉ」
 と恵婆さんは呆れた口調で言ったが、その様子が何かおかしい。両手で様々なジェスチャーを作って猪助に信号を送りながら、顔付が明らかに言葉の内容とは異質の緊迫感を伝えていた。猪助にはそれが風魔の手話であることがすぐに知れた。恵が手話で伝えた言葉とは、
 『声を出すな。この伊賀者、敵と通じておるかもしれん』
 だった。それを受けた猪助は、
 「このめしは楓が作ったのか? いつのまにか料理の腕を上げたな、うまい!」
 と言いながら、茶碗と箸を置いて、
 『そんなことはあるまい。腕も立つし、見かけによらず義理堅い』
 と手話で返した。恵婆さんは続けた。
 『さっき占いでこの男の心を覗いたのじゃ。なにやら我らに知られてはまずい秘め事を持っているようだ。伊賀に、眠りながら人の話しを盗み聞く“寝だめの術”があると聞いたことがある。伊賀者は信用ならん。この男、寝た振りをして我らの話を聞いているかもしれん。用心に越したことはない。手話で話そう』
 猪助は「まさか」という表情を作って手枕で横になっている小太郎の背中を見つめた。
 案の定、小太郎は“寝だめの術”で、猪助が部屋に入って来た時からすべての会話を無意識のうちに聞いている。そして楓の夫である鼠が敵陣に忍んで帰って来たという話を聞いた時、「そんなことはあるまい」とすぐに思った。あの飛猿が風魔の二流、三流の忍びの気配に気づかず、しかもやすやすと取り逃がすはずがないのだ。「わざと泳がせたな」と、自分の情報が真田に伝わっていることを感じながら菖蒲の姿を思い描いた。
 その背後では猪助と恵婆さんの手話による会話が続く。
 『鼠がどんな情報をもたらしたのだ?』
 『敵はいま倉賀野城にいる。鉢形をどう攻めるか軍議を開いたらしい。その話を床下に忍んでそっくり聞いたのじゃ──それはそうと例の準備はできたのか?』
 『ぬかりはないわい。“まやかし玉”三〇〇と“め組の幟”人数分、きっちり揃えた』
 二つとも幻術に必要な道具である。
 『腕が鳴るのう、甲賀忍者どもに目にもの見せてやる』
 恵婆さんは小太郎の背中に目を向けた。
 『この伊賀者は陣列に加えるのか? やめておけ、我らの手の内を教えるようなものじゃ』
 『お恵さんの言う通りにするよ』
 猪助は喰いかけの鮎めしをかき込んだ。