雷神の門 大運動会
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風魔猪助参上
はしいろ☆まんぢう作品  

 櫓に押し込められた幸村と菖蒲と虎之助は、手筈通りのシナリオに目を細めた。こうしていればやがて身元改めの奉行との対面となるはずである。用土源心からの書状によれば、八王子城の奉行は平井無辺という男が就任しているはずであり、八王子城築城の際、普請一切を任されていたから城の構造を知り尽くしているという。今回のミッションは平井無辺の調略であり、第一段階として菖蒲を城内に潜入させることだった。
 ふと虎之助が柔和な表情を険しい目つきに変えて、小窓のある方をきりっと睨んだ。
 「どうした?」
 菖蒲の言葉に首を傾げた虎之助は、不思議そうに、
 「気のせいか? 人の気配を感じたのだが……」
 とつぶやいた。
 暫くして三人は、先ほどの役人に連れられて御主殿と呼ばれる敷地内の会所に通された。すぐ隣には政務が行われる主殿があり、そこは城主氏照の居住区域でもあり、今は小田原城へ登っているため横地吉信という老臣が城代を務めている。やがて平伏する三人の前に、上級官僚らしき人の良さそうな中年の男が姿を現わした。
 「八王子奉行平井無辺と申す。面を上げよ。その方ら、城下にて無許可で桐生織の反物を売っていたと申すが誠か?」
 「へえ、滝山紬や横山紬の評判を聞きつけましてな。あっしらの桐生紬もひとつあやからせてもらおうと思いやして。しかし知らぬとは恐ろしいことで、なんとも申し開きようがございません……」
 幸村の芝居も板についたものである。
 「知らなかったのでは仕方あるまい。しかしこの城下にはこの城下の決まりがある故、従ってもらわねば困る。決まりでは異国の者があそこで商売するには、粗利益の八割五分を上納していただくことになっておるが、異存がなければ約定にご署名ください。その方らの身元が確認でき次第、自由にご商売なさるがよい」
 「八割五分!……そりゃべらぼうじゃありませんか、四公六民が相場じゃございませんか?」
 「異存ならば別へ行きなさい」
 幸村は菖蒲と虎之助と相談するような芝居を打ったかと思うと、
 「ひょっとして戦が起こるんですかい?」
 と鎌をかけた。
 「なぜそう思う?」
 「そりゃあ、場所代が高すぎるからです。巷じゃもっぱらの噂ですよ、関白秀吉様が小田原をお攻めあそばすんじゃないかって。桐生からの道中、そこかしこで耳にしましたからな。しかし戦をなさるのはお侍さんの勝手ですが、あっしらのような民、商人がとばっちりを受けるのはいただけませんな」
 「口を慎め!」
 脇に控えた役人が声を荒げた。
 「まあよい。お気に召さんのならお引き取り願おう。私もその方らの相手をしているほど暇ではないでのう」
 無辺が立ち上がろうとしたところを、「ちとお待ちください」と幸村は引き留めた。
 「分かり申した、手を打ちましょう。旅の路銀にもならんがこれも後学のためじゃ。よいの、百合!」
 と幸村は菖蒲の肩をポンと叩くと、菖蒲は「お兄様!」と白々しい声を挙げた。
 無辺は座りなおすと「それではこれより身元を改める」と言うと、最初に生まれと名を聞いた。幸村はうそぶく様子もなく、
 「生まれは武蔵国寄居の郷、名を小野弥八と申します。今は上野国仁山田の郷にて小野屋と申す織物の商いをしております。そしてこちらは妹で百合と申します」
 「これなる小野弥八の妹、百合にございます」
 菖蒲は三つ指をつき慇懃に頭を下げた。続いて虎之助が、
 「拙僧は足利養源寺の修行僧で虎無斎と申す。腕にはちと覚えがございますれば、こたびは弥八殿に旅の護衛を頼まれて同行しておる」
 無辺は「お主はよい」というような顔をしてから「父の名は?」と聞いた。
 「太之助だか巳之助だか……よく存じませんが、用土家の足軽農民だったと聞いております。なにせ幼少の時ゆえ覚えがなく、父が武田信玄と戦い三増峠の戦いで討ち死にした時、この百合は母のお腹の中にいたそうです。母のことはよく覚えております。名を福といいましたが、その母もこの子を産んで間もなく死にました」
 『寄居の郷』『用土家』と聞いて、一瞬無辺の目付きに変化が生じたのを幸村は見逃さなかった。それより横で話を聞いていた虎之助の方が、「可哀そうな話です。だから弥八殿はほおっておけないんです!」と突然おいおい泣き出した。
 「では誰に育てられたか? 商売の仕方はどこで覚えたか?」
 「はい。あっしが七つの時に用土新左衛門様に拾われまして、以来小姓として雇われました。その間百合はお館様のご配慮で、用土家の遠縁に当たる上野国仁山田の小野家に預けられたのでございます。商売の手習いは御館様の元で覚えた次第です。そう、用土新左衛門と名乗る以前は藤田重連であったと聞いております。ご存知ありませぬか?」
 「知るも知らぬも、藤田重連殿といえば北条氏邦様の義理の兄君ではないか!」
 無辺は目を丸くした。北条氏邦はこの八王子城主北条氏照の実弟である。まさかそのような突拍子もない話が、八王子城下に紬を売りに来た商人の口から飛び出すとは思わない。そして『城主』の『実弟』の『義弟』の『小姓』という、近いようで遠い関係に惑わされながらも、話しの筋に何の矛盾も見い出すことができなかった。むしろ目の前の織物商人の機微ある言動の中に、この男の幼少期の非凡な才覚を見抜いたであろう藤田重連の姿が脳裏に浮かび、少年期、藤田兄弟とは顔を合わせるたびにとても気が合った懐古の思いがよみがえっていた。幸村の声には、そう直感させてしまう重みがあった。
 「沼田の一件ではさぞ無念であったろう……」
 無辺は気の毒そうにつぶやいた。
 沼田の一件とは、天正六年(一五七八)五月に上杉謙信が死去した越後の内紛状態の隙に、北条氏が沼田城を占領したときの事である。当初その城将に据えられたのが藤田重連であるが、それを不服とした北条氏邦は、こともあろうに義兄弟である重連を毒殺してしまったという事件である。領土問題や勢力格差において二人の間に大きな確執があったようだが、北条領内においては口にするのもはばかれる事件なのである。用土源心が沼田城将となったのは、その兄の後釜としての棚からぼた餅的な起用だったわけである。
 「主人を失ったあっしは行く宛もなく、妹を頼って小野家の商売を継いだというわけでさぁ」
 「そうか、辛い思いをしてきたようだな」
 無辺はしみじみと弥八の顔をみつめた。
 「まあ、辛い生活には慣れっこです。たまにお館様の弟さんが気遣って、越後の日本海で採れた乾物など送ってきてくれますし、ありがたいことでさぁ」
 「弟? 弟とは藤田信吉殿のことか?」
 「よくご存じですねぇ! 用土能登守源心様でさぁ。あの方もご苦労なされて、今は上杉の家来になっているようですがね──おっといけねえ、口がすべった。上杉は北条様の敵ですからねぇ。今のは聞かなかったことにしてくだせえ、商売の妨げになっちまう」
 無辺は苦笑いを浮かべた。
 こうしていくつかの尋問を重ねて身元改めが終わり、約定に署名をし終えた三人は、さも名残惜しそうな様子を作りながら会所を出ようと立ち上がった。すると無辺が我慢しかねたように呼び止めた。
 「待たれ。藤田兄弟と縁故のある者と知って手ぶらで帰すわけにはゆかぬ。あの世の藤田重連殿に申し訳が立たぬし、なにより坂東武者の名が廃るわい。この八王子城下にいる間、何か一つだけ望みを叶えてやるゆえ、なんなり申せ。いつまでここにおる?」
 「へえ、次の市まで逗留しようと思っております。身に余るお言葉で急には思いつきませんゆえ、次回上がり高をお持ちする時までに考えて参ります。それまでお待ちいただけますか?」
 「よかろう」
 幸村たちにとっては渡りに舟だった。これからどのように菖蒲を潜入させようかと算段を練る予定であったが、向こうから寄って来たのだ。喜びを無表情の奥に隠しながら、三人は御主殿を後にした。
 「それにしても尋問の最中、ずっと人の気配を感じなかったか?」
 戸隠の山奥で鍛えた敏感にして鋭い感覚の持ち主である虎之助は、数間離れたところの鼠や蛙の呼吸さえ聞き分けた。その虎之助が歩きながらそう言った。
 「いや、何も感じなかったが……幸村様は?」
 菖蒲は幸村の顔を見た。
 「いや、別に。しかし小田原には北条早雲の時代から風魔党忍者が陰で動いていると聞く。もしかしたら先ほどの話、どこかで盗聴されていたかもしれんな」
 菖蒲は歩みを止めて振り返った。
 「捨ておけ」
 「しかし」
 「用土新左衛門の小姓だったなどという話、今となっては調べようもない。死人に口なしとはこのことだ。それに仁山田の小野屋の方には既にくノ一を潜り込ませておる」
 「さすが幸村様じゃ」
 虎之助は感心しきりにつぶやいた。
 御主殿からその三人の後姿が見えなくなった頃、平井無辺の前に風のように現れた黒い影がひざまずいた。
 「どうした猪助」
 その黒い影は小田原あたりでは乱波と呼ばれる風魔党忍者であった。名を二曲輪猪助、またの名を風魔猪助と言う。
 「あの者達、怪し過ぎます。話が出来すぎております」
 床下に忍んで、先ほどの会話を全て聞いていたのである。
 「なあに、心配はいらんだろう。藤田重連殿の小姓をやっていたと聞いて驚いたが、話を聞く限りおかしなところはなかった」
 「そこが怪しいのでございます。どうもあの女と入道、拙者と同じ匂いがするのです。上杉、あるいは真田の乱波かと……」
 「そんなことはあるまい」と言いつつ、無辺は俄かに心配になった。
 「手下を上野国仁山田の郷に向かわせ、小野屋なる織物商が本当にあるか調べさせます。拙者はあの者どもに不審な動きがないか引き続き見張ります」
 「まあ時期が時期ゆえ、用心するに越したことはないの。うむ、わかった、そうせい」
 猪助と呼ばれた乱波は、そのときすでに姿を消していた。

 こうして十日が過ぎ、次の八の付く日の市で商売を終えた幸村と菖蒲は、虎之助に帰り支度と、十日の間に城下に放っておいた二人の甲賀者からの情報を整理させるために残し、二人で御主殿へと赴いた。迎え入れた平井無辺はひどくご機嫌で、「儲かりましたかな?」と上がり高の清算を終えたのだった。
 「なにか良いことでもございましたか?」
 幸村が上がりの一割五分を受け取りながら聞いた。
 「その方らが思いのほかたくさん売り上げてくれたので、なんとも嬉しくてたまらんのじゃ」
 無辺がご機嫌なのはそんなことでない──。先日派遣した風魔猪助配下の乱波が、仁山田の小野屋に関する情報をもたらしたのだ。それによれば、
 『確かに小野屋なる織物の店がございました。そこの女中に確認したところ、ひと月ほど前、確かに店主の弥八と妹の百合は、八王子に紬を売りに行くと言って出たそうでございます』
 という事実確認が取れたのである。無辺にしてみれば、ひょんなところから現れた紬売り商人の言葉が嘘でなく、旧知の藤田兄弟有縁の者に会えたことが嬉しくて仕方ない。
 「ところで弥八、わしは望みを一つ叶えてやると申したが、何か考えてきたか?」
 と満面の笑みで聞いた。すると幸村はモジモジしたふうを装って暫く口にするのをためらった。
 「どうした?」
 「考えるには考えて参りましたが、どうにもこうにも恐れ多くて……」
 と菖蒲の方に目をやった。
 「なんじゃ、もったいぶらずになんなり申せ」
 「はあ……」と弥八は戸惑いながら、「実は……」と当初からの腹積もりを申し訳なさそうに話し出した。
 「このたび妹の百合を同行させたのにはもう一つ別の訳がございまして……」
 「嫁入り先を探しているという話か? お主らをひっ捕らえてきた役人から聞き及んでおるわ」
 「いやはや! ご存じでございましたか! さすが天下の八王子のお奉行様だ!」
 「で?」
 「誠に申し上げずらく僭越な望みなのですが、このたび平井無辺様とお近づきになれたのも、亡きお館様のお引き合わせではないかと勝手に感じ入りまして……そのお、なんといいますか……この百合をご城下のお女中として奉公させてあげることはできないものかと……いや、すんません、つまらねえ兄心です、忘れてくだせぇ!」
 無辺は「その気持ち、よーくわかるわ」といったふうに大きく笑った。ますます利発で情深い弥八という男が気に入ったと見える。
 「さようなことか、容易いことだ。この城におれば、勇ましく、かつ、粋な坂東武者を選り好みできるだろうからな」
 「え? で、では……」
 「今すぐにでも召し抱えよう。わしとて藤田殿と縁故ある者を近くに置けば、なにもしてやれなかった重連殿の供養にもなるじゃろうて。なんならわしの側妻に迎えてもよいぞ」
 無辺と藤田兄弟との間にどのような人間関係があったかは知らないが、その高笑いの中に、百合を側妻にしてもよいという言葉がまんざらでない中年のいやらしさを確認した幸村と菖蒲は、心の中で「しめた!」と手を打った。
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