雷神の門 大運動会
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小田原攻め
はしいろ☆まんぢう作品  

 さて、末蔵が林百姓に匿われているころ小太郎はというと、加賀は金沢城主前田利家の賓客として暮らす高山右近のもとで、することもなく広い庭園の石畳の上に寝そべって流れる雲をボッと見つめていた。時に天正十七年(一五八九)、季節は晩秋である。
 「暇じゃ……まるで暇じゃ。こうも暇では体がなまる」
 菖蒲はすでに信州上田は真田の城に戻ってしまったし、小太郎の話し相手といえば庭園の池を泳ぐ錦鯉か、さもなければ聖書とやらの日本語翻訳に没頭し、時たま息抜きで世間話をしにやって来る隠棲の右近くらいである。このときも暇そうな小太郎を見つけた右近が寄って来て、
 「このまま私のところにいてもする事など何もないぞ。お前が入信しないから正式に雇ったわけではないが、こういつまでも近くにおられては私の方が申し訳なく思えてくる。前から言っておるが、小西行長殿のところで働いてはどうか? 新地の南肥後に赴いて以来、統治にもなかなか苦労しておる様だからね」
 「わしはどうもあの男が分からぬ。仕えて信用に足る人物なのか?」
 と、小太郎は気のない返事で答える。
 博多で伴天連追放令が発布されたとき、右近は全てを捨て自らの信仰心を貫いたのに対して、行長の方は自分がキリシタン大名であることをうやむやにし、肥後の領主であった佐々成政の失政に乗じて、肥後の南半分を領することになったのが昨年七月のことである。当初、西岡台(中世宇土城)に居住していた行長は、小さな山城を別の場所に新しい城を建設しようと国人衆に普請したが、それを拒んだのが天草の国人衆だった。それだけなら首を傾げることもなかったが、天草の地にはキリシタン信者が多く、城の普請要求を拒否した筆頭の志岐鎮経はじめ五人衆はことごとくキリシタンなのである。
 「なぜ同じキリシタンでありながら、行長は天草五人衆に受け入れられず、また、天草五人衆は行長を受け入れなかったのか―――?」
 小太郎の疑問はそれで、それを言うと右近は、
 「小西殿は私のようなキリシタンを庇護するために、あえて悪役を演じているのだ」
 と答える。現に右近は彼に庇護されながら金沢に流れて来た訳だった。
 「まったく右近殿はお人好しじゃのう」と呆れるが、小太郎の見解は、
 「小西行長はキリシタンの面を被る商人じゃ」
 である。さしたる志を持つでもなく、そのくせ己を有利な立場に導く駆け引きには長け、それはまるで商人の本質と同じに見えるのだ。もともと大坂堺の商家の出であるから仕方のないことかもしれないが、商人ならば己の利益にだけ固執していれば良いものを、行長の場合、秀吉の忠臣かといえばそうも見えず、キリシタンかといえばこれもまた頷けるものでなく、ただ少しばかりの海運術を笠に巧みに世渡りをする成り上がり者にしか見えない。それをあえて口にすることはなかったが、認めなければいけないのは、その才において一介の商人から今や南肥後十五万石の大名へと成長を遂げた事実だった。ちょうどそのころ肥後では天草国人一揆が起こっていた。右近はここにいるよりそこで働いた方が「お前の技術を活かせるだろう」と言っている。
 小太郎が乗り気になれないのにはもう一つ理由がある。行長が南肥後の領主となった際、北肥後を領すことになったのが加藤清正である。秀吉の意図は図れないが、そんなゴタゴタしている最中の肥後になど行ったら必ず、
 「また才の字に遭う―――」
 清正のところには同郷の服部才之進がいる。博多の一件以来、腹を立てているに違いないことを思うと、
 「今度会ったらただではすむまい―――」
 であった。怒った時の彼の恐ろしさはよく知っていた。一度伊賀で技比べをした際、手裏剣投げの勝負で勝ったことがあるが、その勝因は投げる直前に彼の手裏剣に細工を施したからだった。
 「おい、何か妙な細工などしてないだろうな? ちょっと見せてみろ」
 と検査をする振りをして、見えないように彼の手裏剣に鼻の油をたんまりすり込んだ。手裏剣の扱いにおいては才之進の方が上手だったはずで、同じ的をめがけて同時に投げた時、才之進の指先が僅かに滑り、その分小太郎の方が正確な位置に突き刺さったわけだった。手裏剣投げに絶対の自信を持っていた才之進はすかさず、
 「おい、何か塗っただろう?」
 と、憤慨を隠して小太郎を責めたが、知らぬ顔でとぼけた小太郎に才之進はいきなり飛びかかり刀で頸動脈を切りつけた。もし小太郎でなかったら確実に死んでいたろうが、すんでのところで身をかわし、
 「油断した才の字の負けじゃ!」
 と負けん気で言えば、
 「卑怯な手を使い、今のは負けたうちに入らん!」
 「忍びの世界に“卑怯”という言葉などないんじゃ!」
 と取っ組み合いの喧嘩が始まった。その時の才之進の血走った目が尋常でなかった。感情を表に出さない分、狂気がほとばしり、およそ「忍びの者は冷酷非情であれ」とは伊賀の上忍であった百地三太夫の教えであったが、その教えに忠実すぎる才之進に恐怖を抱いた。それは野生というより無機質な冷めたい感情とでも言おうか、心というものを持たない殺人鬼だった。小太郎はそのとき初めて、
 「殺される―――」
 と肝を冷やしたわけだが、その彼に会うことには何とも気が引けた。
 話は変わるが、小太郎が行くまでもなく肥後の天草国人一揆の方はその後まもなく鎮圧させられる。それは同じ肥後を分かつ小西行長と加藤清正の確執を産む原因にもなった。そもそも事件の発端は行長が国人衆に築城普請をしたことにあるから行長の問題ではある。天草五人衆の拒絶を受けて十月、行長は一揆の中心者である志岐鎮経と一戦交えて志岐城を攻略するが、それを知って援軍を出したのが清正だった。
 「同国の一揆ゆえ助太刀いたす」
 すると行長はこう答えた。
 「お気遣い誠に痛み入るが、此度の戦、当方の問題にて援軍は無用である」
 ところが清正にも引けない理由があった。というのは天草諸島は、秀吉の唐入りにおいては海上における重要拠点でもあったからだ。天草を掌握することは、小西だけの問題にあらず、日本国の問題であるというのが清正の論理だった。一揆鎮圧の手柄を自分のものだけにしたい行長は出陣を思いとどまらせようと説得するも清正は引かず、結果的に両人で一揆を制圧した形になった。行長にしてみれば何とも腑に落ちない勝利である―――ともあれこの二人は後の朝鮮出兵において大きな役割を演じることになる。
 その頃秀吉はというと、九州征伐により従わせた島津義久に琉球王朝の服属を命じ、武力による討伐をちらつかせた求めに屈した琉球は九月、「天下統一の慶賀」という名目で王使を上京させた。更には名胡桃城をめぐる真田氏との争いを惣無事令違反と見なし、北条氏に対して宣戦布告の陣触れを発したのが十二月の事。惣無事令とは大名間の領土紛争などにおいては全てが豊臣政権が最高機関として処理に当たることを定めたもので、九州征伐を終えてなお、北条氏政・氏直親子はじめ東北の伊達政宗等、いまだ上洛要請に従わない大名は目の上のたん瘤だった。名実共に天下統一を世に知らしめるには小田原征伐こそが最後の仕事であった。とはいえ、兵力の上では圧倒的な差があることは歴然で、秀吉にしてみれば無駄な戦などせずに済ませ、次なる戦い、つまり明国入りしたいところであった。
 小田原征伐の命を受けて、俄かに小太郎の周囲も騒がしくなった。前田利家の出陣に右近が同行することを知ると、
 「ほれ、肥後になど行かんで良かったわい」
 と、小太郎は活躍の場を得たことに小躍りして喜んだ。
 「我らは北国軍として東山道で信濃を経由し、上杉と真田と合流して碓氷峠から関東に入ることになった。つきましては小太郎君はどうしますか?」
 と右近は聞いた。真田と聞いて菖蒲を思い浮かべた小太郎はますます喜んで、
 「どうするもないわ。行くに決まっとる!」
 こうして天正十八年が明ける。
 前田利家が軍を整える時間も惜しい小太郎は、「出立はいつじゃ」としきりに右近に迫ったが、ついに待ち切れず「偵察のため先に参る!」と言って加賀を飛び出したのが正月の半ばの事だった。行く先は菖蒲がいるはずの信州は上田城に違いない。久しぶりに再会できることを思うと心をはずませながら東山道を進む小太郎である。この頃中山道はまだ成立しておらず、近畿から東北方面へ行くには律令時代からの東山道を用いており、この道はその昔信濃国府が置かれていた上田を経由している。塩尻から上田に入ったところでふと歩みを止めたのは、一瞬いやな殺気を感じたからだった。と、次の瞬間、行く手に立ちはだかっていたのは見覚えのある、刀を手にした赤い顔をした男であった。
 「上田に何をしに参った?」
 忘れもしない、それは贄川の宿で出会った甲賀の飛猿に違いない。小太郎は咄嗟に身構えて、
 「ちと待て! 今回は味方同士じゃ。うぬとやり合う理由はない」
 飛猿は不審そうな目付きで小太郎に戦意がないのを見定めると、静かに刀を鞘におさめた。
 「味方同士とはどういう意味じゃ?」
 「秀吉の小田原攻めよ。わしが仕える高山右近殿が、このたび前田利家軍に参戦することになった。ほれ、お主の主君真田安房守と仲良く進軍することになっとるじゃろう? わしはそのための偵察に来たのだ」
 「高山右近?」
 飛猿は何かを察知したように含み笑いを浮かべ、
 「菖蒲なら上田にはおらぬぞ」
 図星の小太郎は察しの良すぎる赤猿に舌打ちをした。ごまかしのきかぬ男である。
 「上田でないならどこにおる?」
 「幸村様に伴って先に小田原方面へ向かったわい」
 「また幸村か!」と小太郎は嫉妬に似た感情を抑えながら「ではわしも向かうとしよう」と言って、関わりたくない相手から逃げるように飛猿の脇を通り過ぎた。
 「同じ相手を敵にするなら、どうじゃ、今回のみわしらと手を組まぬか?」
 意外な飛猿の言葉に小太郎は引き留められた。
 「手を組む? 組んでどうする?」
 「北条家には厄介な忍び集団がおる」
 「風魔党か?」
 小太郎は昔どこかで聞いてすっかり忘れていた風魔党忍者の存在を思い出すと、久しく眠っていた闘争心が湧いて無性にうずうずしてきた。それは父太郎次郎から聞いた北条家に仕える忍びの者の話である。
 相模は足柄山の麓、風間谷に忍者集団が住むという。足柄峠の金時山に伝わる金太郎伝説はその祖先で、北条早雲に仕えてより諜報活動や巧みな攪乱の術で北条家の繁栄をもたらしたと聞く。その日本人とは思えない大きな体格は、中近東方面から大陸を渡って来た異民族が土着したものか、馬を巧みに乗りこなし、集団的な攪乱術を得意とし、特に火を操る技にかけては伊賀の術より上手かも知れぬと太郎次郎は言っていた。
 ある時は敵陣に忍び込み敵将を生け捕り、またある時は敵の馬の綱を断ち切りその馬を意のままに操って夜討ちをかける。はたまたあちこち放火したかと思うと、四方八方に紛れる者達が同時に勝ち鬨を挙げ敵をさんざん攪乱し城を攻略した。
 その頭は襲名制で、今は五代目風魔小太郎が一団を従える。
 身の丈七尺二寸(2m16cm)、筋骨荒々しくむらこぶあり、眼口ひろく逆け黒ひげ、牙四つ外に現れ、頭は福禄寿に似て鼻高し―――
 「まるで化け物じゃ」
 と、風魔小太郎の風貌を話しながら太郎次郎の豊齢線が深い溝を作った。その名を知ったとき、自分と同じ名前であることに闘争心がむらむらと湧いたのを覚えている。確か第二次伊賀の乱が勃発する少し前だったと思う。武田勝頼と北条氏との黄瀬川の戦いにおける風魔忍者の噂話が伊賀にまで伝わってきたのだった。闇夜に紛れた攪乱により目覚しい戦果を挙げたこと、大雨強風で黄瀬川が荒れる中、騎馬で川を渡って武田陣営を奇襲した話、武器、食料の略奪はもちろん、大きな体で手当たり次第将兵を生け捕り、なぶり殺し、陣馬の綱を片っ端から切って火を放つと、鬨の声を挙げて敵の戦意を恐怖に陥れた。そんな戦法を毎夜のように続けた。
 「力だけで敵をねじ伏せるなど忍者とはいえん」
 とまだ子供だった小太郎は反駁した。
 「いや、そうでもないのじゃ」
 と言って教えてくれた話が印象に残った。
 ある夜、武田方の忍者十名ほどが一矢報いようと風魔党の中に潜り込んだ。武田といえば忍者を巧みに使う武将としても有名である。ところが、風魔小太郎がある合言葉を言ったと思うと、おのおの松明を灯して互いに声を出し合い立ち座りの動作を始めたのである。当然そんな申し合わせを知らない武田忍者はすぐに見破られ、ことごとく斬られたというのである。これは“立ちすぐり・居すぐり”という風魔流の紛れ込んだ敵を見分ける術で、その話を思い出して、
 「さては赤猿め、風魔忍者に苦手意識を持っておるな?」
 と、「手を組もう」と言った飛猿を見つめて小太郎はほくそ笑んだ。
 「風魔など伊賀の手にかかれば取るに足らん。しかし甲賀にとってはしぶとい相手と見える。手を借りたいというのであれば協力してあげてもよいが」
 小太郎の本心は、あの噂に聞いた風魔忍者と戦ってみたくて仕方がない。その高邁な言いように今度は飛猿の顔に「相変わらず子供だのう」という嘲けた笑みが漏れた。
 「ついて来い。安房守様に引き合わせよう」
 飛猿が言った。
 「その必要はない。協力はするが真田の家臣にはならん。いずれ会うこともあろうからな」
 「しかし風魔の戦術の事前知識も必要だろう?」
 「必要ない。おおかた察しがついておる」
 小太郎は「先を急ぐ」と言い残すと、そのまま歩き出した。
 「鼻っぱしの強い小僧だ……」
 飛猿はその後姿を見送った。
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