雷神の門 大運動会
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儒教の教え
はしいろ☆まんぢう作品  

 対馬の最北端に位置する鰐浦から朝鮮南岸まで、直線距離にしてわずか四九キロ余り、その日の風向きにもよるが大抵五時間もあれば釜山浦に到着してしまう。石積みの防波堤から桟橋が延び、そこに係留した貿易船を降りた末蔵は、これから待ち受ける未知の世界に足をすくませた。
 すると岸の倉庫らしき建物から数十人のみすぼらしい服を来た老若男女が船の方に押し寄せて来たかと思うと、高官らしき男の指示に従って、船に乗り込み積み荷を運び出し始めた。高官らしき男は荒々しい朝鮮語で、その言葉の意味は理解できないが怒っているようでもあり、見るからに重そうな積み荷を落とすような者がいれば、その痩せ細った身体を容赦なく棒で叩き付ける。その光景に末蔵は目を丸くした。
 「驚くことはない、いつものことだ。彼らは奴隷なのさ。そして、この日本から持って来た胡椒や硫黄や生薬などが、帰りには高麗陶器に変わっているって寸法さ。ほれ、あそこに見えるのが倭館だ」
 渡航中の船内で仲良くなった乗組員が教えた。
 末蔵は防波堤の中央あたりにある番所へ行き、欠伸をしながら鼻毛を抜く朝鮮の圖書役人に渡航手形を見せると、そのまま倭館へ向かう。そして倭館の入り口にある警備用の建物で滞在査証を受けるのだが、ここの文引役人もまるで働く気がない様子で、末蔵の顔をチラリと見ただけで難なく中へ入ることができた。穏やかというか平和というか、朝鮮の検察の警戒心の薄さにホッと緊張した胸をなで下ろす末蔵である。
 倭館の役人詰所に来た彼は、さっそく宋義智に書いてもらった書状を渡し、すると中から倭館詰め宗家家老を名乗る男が出て来た。義智直々の書状を手にして何事かと慌てた様子であったが、末蔵の特に偉そうでもない身なりを見た途端、安堵の色を浮かべ、
 「陶器の窯場の視察か?若殿がそちに通訳の者を付けよとのことじゃが、あいにく皆漢城の方へ行っており今ここには適当な者がおらん。むかし通訳をしておった恒居倭の孫六爺さんがおるからあの人に頼んでみよう」
 と、さげすんだ目で言った。およそ外見だけで人を判断するのはいつの世も常であろうか。現に偽造の国書を持った柚谷康広に伴って、通訳達は皆出払っていた。倭館詰め家老が言う恒居倭とは、朝鮮に渡ったまま帰国せずに永住するようになった者達のことである。
 「老いぼれてはいるが耄碌はしておらん。朝鮮を知る生き字引じゃぞ」
 と揶揄するような笑みを作りながら、一人の役人を呼び寄せ、その老人の家まで案内するよう言いつけた。
 その老人が住むという粗末な家は龍頭山と呼ばれる丘の麓にあり、この辺り一帯が倭館の敷地なのである。日本人居住区とはいえ敷地内に住む朝鮮人も多く、両者は持ちつ持たれつの関係を保ちながら、特に貿易に関係する仕事においては、時には親兄弟よりも密接に結び付き、利益を共有する強固な自治体を形成しているのである。
 「孫六爺さん、仕事だよ!」
 役人の声に呼ばれて、やがて中から七〇も過ぎたと思われる腰の曲がった老人が姿を現した。孫六爺さんと呼ばれたその老人は、凄みのある目付きで末蔵をじっと睨み、家の入り口際に無造作に置かれた壊れそうな台に座らせると、「おい、お茶!」と叫んで自らも座った。末蔵を案内した役人は孫六爺さんと顔を合わせているのが苦手な様子で、末蔵を日本から渡って来た者であることを簡単に伝えただけで、「拙者は仕事がある故これで失敬」とそそくさと帰ってしまったが、やがてお茶を持って屋内から姿を現したのは、末蔵と同じくらいのうら若き美しい女であった。末蔵は暫くその容姿に見とれていたが、お茶を置いて家の中へ入ってしまうと、
 「お美しいお孫さんですねぇ」
 と、老人の顔色を窺いながら聞いた。すると老人は気分をそこねた様子で、
 「孫じゃねえ、オレの細君だ。手ぇ出したら承知しねえぞ!」
 末蔵は呆気に取られて皺だらけの孫六爺さんの顔を見つめた。
 「もともとは白丁だ。売られて暴行を受けているところをオレが助けて嫁にした。朝鮮の婢はいいぞぉ、泥と糞にまみれておるが、丁寧に磨けば女になる」
 白丁とはいわゆる賤民と言われる者の中でも最下層のレッテルを貼られた被差別民のことである。それはもはや人間とは認められず、姓を持つことも結婚も許されず、日当たりのいい場所や瓦屋根の家に住むことも禁止され、職業といえば屠畜業や食肉商、あるいは皮革業や骨細工などをしなければならず、文字を習うことも公共の場に出入りすることも、死んでなお常民より高い場所に墓を作ったり墓碑を建てることも許されない。この頃の朝鮮にはそうした差別意識が当然のように存在している。
 「おいおい勘違いするな。オレだって十年前までは日本から連れて来た女房がいたんだ、病気で死んだが。奴婢を嫁にするようになったのはそれからだ。あいつで三人目。なあに飽きたら売ってしまうだけさ。ここは女の使い捨てができる国だぞ。どうだ最高だろう?」
 「絶倫ですね……」
 末蔵は老人の股間を見つめて開いた口がふさがらない。
 「ところで仕事とは何だ? オレもすっかり高麗人になってしまったわ。働くのが億劫で仕方がないわい」
 儒教思想の影響だろう。朝鮮の上層階級の者達は、学問に勤しみ、秩序と体裁を重んじる意識が非常に強く、日常的な煩事にとらわれない生き方が美徳とされていた。よって働く事を卑しむのである。すっかり高麗人になったとはその意で、それでも久しぶりの仕事が嬉しいらしく孫六爺さんは破顔一笑したが、そんなことを知らない末蔵は、見るもの聞くことが驚くばかりで、一種の拒絶感を覚えずにはおれなかった。
 「私は日本から高麗茶碗の作り方を学びに海を渡って来ました。ところがいかんせん朝鮮語が分かりません。そこで通訳をお願いしたいのです」
 末蔵は懐から一握りの銀貨を取り出して孫六に渡した。それは対馬を離れる際に島井宗室から「これだけあれば向こうへ渡っても二、三年は暮らせるだろう」と餞別として受け取ったものである。この頃の李氏朝鮮での取り引きは主に布を貨幣代わりに使っており、銀貨はあまり一般的でないが、孫六爺さんは明国へ行けば大変な価値になることを知っていた。何食わぬ顔をして受け取ると、「三島茶碗ならうちにもあるぞ」と、日本での価値を知っているぞとばかりに見せてくれたのが紛青紗器と呼ばれる茶碗である。“三島茶碗”というのは当時の日本の茶人達が伊豆国の三嶋暦の文様に似ていたところから名付けた高麗茶碗の別称であるが、末蔵にしてみれば、今にも倒れそうな掘っ立て小屋のような家から、まさか日本では屋敷が一軒でも二軒でも建ってしまう最高級の器が、これほど無造作に出て来るとは思わない。ギョッとしながら手に取って、それをしみじみ見つめてみれば―――薄鼠色の地に箆や櫛で紋様を付けた粘土に白土の化粧土を塗り、最後に透明釉を掛けて焼成した姿はこの世の物とは思えない美しさである。
 「まさにこれだ……。俺が作りたいのはこれなんだ……」
 末蔵は感嘆のため息を落とした。
 「陶器を焼く窯ならこの辺にもあるが、その等級の陶磁器を作りたいのなら漢城のある京畿道の方へ行かねばならんだろう。広州に分院窯がある。そこに知り合いがいないわけではないが、どうする?」
 分院窯というのは官窯のことで、主に宮廷内で使われる陶磁器を製造する国営の陶窯場である。末蔵は目を輝かせた。
 「行きます!連れていってください!」
 孫六爺はさりげなく「少し遠いから金がかかるぞ」と付け加えると寒空を見上げ、
 「ではもう少し暖かくなったら行くとしよう。それまでうちにいるがよい」
 季節は冬である。春になるまで末蔵は、孫六爺さんの家で世話になることにし、その間朝鮮語の勉強や、文化、風習などを学んで過ごすことにした。
 それにつけても孫六爺の博識なことに驚かされる。最初はただの助兵衛なだけな爺さんかと思ったが、その話の内容を聞いていれば、井の中の蛙であった末蔵は恥ずかしくなるほどだった。
 もともと対馬の宋氏に仕える文官をしていた孫六爺は、やがて対朝貿易に関わる仕事を任されるようになり、一五四七年に朝鮮と対馬宗氏との間で丁未約条が結ばれたときに朝鮮に渡って来た。これは朝鮮への来航者を取り締まるための規則だが、それまでも朝鮮と対馬の間では倭寇がらみの紛争がたびたび起こっている。しかし孫六爺さんに言わせれば、李氏朝鮮は一三九二年の開国以来およそ二〇〇年の間、宮廷内のいざこざはあっても国内を揺るがすような大きな戦争は一度もない平和な国なのだと誇らしげに教えた。なるほど戦乱に明け暮れる日本では考えられないことだが、末蔵も戦争の世より平和の方が好きである。
 なぜか―――?と孫六爺は問う。
 それは、李氏朝鮮は明国の王に認められた国家であり、明国の冊封国つまり従属国であり、巨大な明国の力に絶えず守られているからだと自問自答した。
 「しかしそれだけでは平和な国家は作れない。外からの侵略は防げても、内部からの紛争は抑えることができないからだ。そこで内部統制を図るため朝鮮が導入したものがある。何だか分かるか?」
 無論末蔵に答えられるはずがない。孫六爺はそのポカンとした顔を嘲るように、
 「儒教じゃ」
 と言った。
 「儒教とは孔子の教えであろう。“君子危うきに近か寄らず”とか、君子の徳を説いたアレじゃ」
 そのくらいなら末蔵でも答えることができた。
 「そんなお粗末な知識では一生かかっても科挙に合格することはないのう」
 科挙とは朝鮮の官僚登用試験のことであるが、孫六爺はその浅はかな知識に高笑いすると、やがて儒教について語り出した。
 そもそも彼の話によれば“儒教”とは“経世済民”の教えであると言う。すなわち読んで字の如く『世を経(治)め、民を済(救)う』ことであるが、その心は、武力による覇道を嫌い、仁・義の道を実践し、上下秩序の分別を弁えることである。体系的に言うならば―――、
 第一に『長幼の序列』である。つまり正統な権威を守ることで社会秩序を得ようとする考え方で、正統な権威とは大きく君主、祖先、父親、先輩の順に連なる上下関係を言い、ここから厳然とした儒教カーストともいえる身分制度が生まれた。すなわち当時の朝鮮では、頂点に君臨するのが国王であり、その下に国王の結縁関係に当たる王族や貴族が存在し、その下に官僚、役人としての両班と呼ばれる階級がある。さらにその下には中人と呼ばれる階級があり、これは低い官職者や比較的家柄が高い者達である。彼らには科挙を受ける資格が与えられ、財力さえあれば学校に通うことも許されるが、両班に対しては絶対服従で、たとえ試験に合格して官僚になったとしても上級官職に昇格することはない。さらに中人の下には常民という階級がある。これはいわゆる一般庶民層で、彼らは農業や商工業を営んでいたが、学ぶことが禁止されていたので科挙の受験資格はない上に、衣服は白のみ身につけることを許され、家屋には門を作ることが禁止されていた。更にその下には賤民、つまり最下層となる奴隷階級がある。
 「お前が目指す陶器職人などはこの賤民の部類だぞ」
 と孫六爺は付け足した。人口の比率でいえば両班以上の役人階級は全体の一割にも満たない程度で、以下中人、常民階級が五割、残りの四割が賤民階級だと言う。いわば李氏朝鮮とは、奴隷がいなければ国自体が存続できない奴隷制国家なのだ。
 「本来儒教とは“済民”を目的としているはずなのに、上下秩序を重んじるあまり、返って真逆の民を苦しめる形を作ってしまうとはなんとも皮肉な話だろう」
 と、孫六爺は他人事のように笑った。
 第二に『父親孝行』である。家庭の中においては父親の権限が絶対であるということだ。祖父はそれ以上の権威を持ち、それは祖先崇拝にもつながる。つまり上下関係を明確にすることが家の秩序を守ることになり、そこで形成される忠孝や献身、儒教教義の骨格である五常つまり仁、義、礼、智、信といったものが社会秩序である『長幼の序列』を支える裏付けになっているのだと孫六爺は語る。
 第三には『形式や学問の尊重』である。これは感情や思い付きに頼るのではなく、“四書五経”等のような先師らの儒教経典に基づく行いをしていく事である。すなわち「論語」「大学」「中庸」「孟子」の四書と、「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」の五経を深く学び、それを実践することを怠らない。
 「こういうことを言えば儒教とはまるで立派に聞こえるが、実はこの教えにはぬぐいきれない決定的な欠点が存在するのじゃ」
 と、末蔵が聞く聞かないに関わらず、孫六爺は自分の世界に入り込んでしまったかのように続けた。
 「儒教とはなべて男に対する教えであり、そこに女は登場しないということじゃ。つまり―――」
 第四には『男女の有別』である。すなわち男性と女性の性別の違いで、社会における役割を厳然と区別したことである。それは『内外区分』とも言う概念であり、男性は“外”の役割を果たし、女性は“内”の役割を果たすことが本来の秩序と説く。つまり女性は家庭内の事だけをしていれば良く、公的な領域へ出てはならないという考えだから、結果的にそれが極端な女性蔑視の性格を持つに至るわけだ。
 孫六爺さんは若々しい妻を抱き寄せると、末蔵の見ている目の前で、その豊満な胸を揉み出した。末蔵は目のやり場に困り、思わず「やめてください」と声を挙げた。
 「おお、すまん、すまん。あんたにはちと刺激が強すぎたかな?」
 孫六爺さんはすました顔で話を続けた。
 例えば両班の家であっても、嫁いだ女性は外に出ることを許されず、他の男と話をすることも見ることさえ禁じられ、ひどい話になれば他の男に触れた日には腕を切断されたり、家を追放されることもあった。とにかく女性は男児を産むことに専念させられ、しかも随母主義といって生まれてくる子は母親の身分を引き継ぐことになっていたので、賤民の子は一生賤民として生きるしかない。女性は女房でも娘でも奴隷同然の扱いをされ、もっと悲惨な話を挙げれば、娘を嫁に出す時は、妊娠できる身体かを証明するために娘を強姦し、妊娠させた状態で嫁入りさせる“試し腹”という行為まであると言う。つまり儒教で定めた女性の“内”の役割とは、いきつくところ男子を産むことが最終的な目的であったため、いつしか女性の人権など認めない社会へと発展してしまったのだと、これが孫六爺の分析である。
 奴婢の女性になればまだひどい。それは人ではなく物品で、常に売買、略奪、譲与、担保等の対象である。彼女たちはただ主人の財産であり、殴られても犯されても売り飛ばされても、ついには殺されても、主人には何の罪も課せられない。少し容姿が美しければ、たちまち性の道具にされて、巷には年頃の娘の遺棄死体を見かけることも珍しくない。
 「それを思えばオレの女房など幸せな方じゃい」
 孫六爺は再び妻を抱き寄せた。その美しい女の体を見つめながら、なるほどそういう事情があるのならそうかもしれないと末蔵は思った。
 「戦争のない世が平和と言うなら、今の李氏朝鮮は平和といえよう。しかし平和を保つためにはどこかにしわ寄せが行くものじゃ。儒教による差別社会はその平和の歪なのだろう。それが人の社会の業というものか? とどのつまり儒教とは、国を統治する者の側の教えであり、万人の教えではないということだ」
 末蔵はもともと正義感の強い男である。織田信長に伊賀を滅ぼされ、ゆく宛てを求めて小太郎と旅をしていた時も、行く先々で困った人を見かければ、力もないくせに救いの手を差し伸べなければ気が済まなかった。またそういう人とも出会って来た。本阿弥光悦然り、島井宗室然り、宋義智然り、皆こんな自分のために力を尽くしてくれたのである。その正義感に根拠はなかったが、孫六爺の話を聞いて、眼前に李氏朝鮮という巨大な敵が出現したような気がした。しかしこの時の末蔵は、そんなものを相手にしている余裕はない。
 「一日も早く高麗茶碗の技術を身につける―――」
 こうして三ヶ月ほど経ったあるうららかな日、一頭の馬を借り、そこへ孫六爺さんを乗せた末蔵は、一路漢城のある京畿道へ向けて出発したのであった。若さに満ちた彼の心は、一流の陶芸家になるべく前途洋々たる希望に燃えていた。
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