雷神の門 大運動会
> 第1章 > 高麗茶碗
高麗茶碗
はしいろ☆まんぢう作品  

 さて読者は、小太郎の竹馬の友である末蔵という男を覚えているだろう。
 話は少し遡るが、彼は本阿弥光悦に紹介された聚楽焼の窯元長次郎のところへ行く途中、光悦からもらった高麗茶碗がないことに気付き、慌てて吉兆に引き返す。ところが小太郎は既におらず、まかないのお銀に聞けば、
 「なんか慌てて出て行ったよ。あんたんとこ行ったんじゃなかったのかい?汚らしい古びた茶碗持って行ったから」
 末蔵は、小太郎が持っているならすぐに手元に戻って来るだろうと、その日は諦めて長次郎に弟子入りするが、修行を始めて三日経っても七日経っても小太郎が現れることはない。逃した鯛は大きく見えるもので、末蔵の頭の中では、あの沙鉢という素焼きの茶碗が一生かかっても作り出すことのできない幻の最高傑作となって輝き出し、それが自分の物であるにも関わらず手元にないことが大きく悔やまれた。やがて「小太郎め、どこにおる!」と修行にも身が入らず、ひと月ほど経ってついに、
 「きさま、やる気があるのか!そんなことじゃあ一生かかっても“モノ”にならねえぞ!」
 と、師の長次郎にどやされ、末蔵も苛立っていたから、
 「こんな所にいたって所詮高麗茶碗など作れない!俺は高麗物の沙鉢が作りたいんじゃ!」
 とついつい言い返してしまった。すると長次郎の顔がみるみる赤くなって、
 「なんだその口の利き方は!高麗茶碗が作りたいんだったら朝鮮へ行け!こっちは貴様などに用はないから即刻出ていけ!」
 と、早々に聚楽焼窯場を追い出されたのだ。
 末蔵は小太郎を恨みながら路頭に迷うが、とどのつまりは本阿弥光悦に再び会って、全ての事情を正直に話して頭を下げることしか思いつかない。
 「困った御人じゃ」
 光悦はそう言いながらも、目の前に困った人がいれば抛っておくことができない性分だった。
 「一丈の堀を越えぬ者、十丈・二十丈の堀を越うべきかと言う。一事も全うできぬお主が、どうして陶芸の道を成就できようか?本当に一流の陶芸家になる決意があるのかい?」
 と、くどいほど聞き返した。すると末蔵はこう答えた。
 「光悦様から戴いた沙鉢を失くしてはっきり判ったのです。私がやりたいのは聚楽焼でなく高麗焼なのです!私は高麗国へ渡り、本場の窯で修行を積みたいのです!」
 その言葉の中に、ようやく燃えるような若い情熱を認めた光悦は、
 「大阪の堺に高麗茶碗を扱う商人を知っていますので、一度彼に相談してみるとよいでしょう」
 と紹介したのが、日朝貿易で巨万の富を築き上げ、今は南蛮貿易も行い栄華を極め尽くした博多の島井宗室という豪商だった。宗室はもともと博多で酒屋や金融業を営んでいたが、大友宗麟に見い出されてより主に明や李氏朝鮮との貿易を中心に利益を挙げ、やがて豊臣秀吉の保護を得るようになってから、博多を拠点に畿内はもとより対馬に至る貿易航路を築き上げた人物である。
 光悦の紹介状を握りしめ、末蔵が堺に来たとき宗室は不在であったが、やがて戻って来たのは、ちょうど小太郎が右近に従って博多湾の小島能古島に移ってから数日後の事だった。宗室は見慣れぬ若者を接待用の部屋に通すと、
 「関白さんが伴天連追放令を出して今博多は大騒ぎじゃ。だからわしは武士とキリシタンには絶対になるなと申しているのだ」
 と言いながら、奉公人に連れられ対面に座った末蔵を気にする様子もなく、本阿弥光悦からの紹介状を読み出した。このとき島井宗室五〇歳、その堅実で抜け目のない鋭い視線がやがて末蔵を睨んだ。
 「光悦殿の紹介と言うから会ってみたが、見ればなんの取り得もなさそうなただの若造。ほんにあの方は人が良すぎる。申し訳ないがわしも何かと忙しい身でな。お引き取り願おう」
 と、端から相手にする気もなさそうに軽くあしらった。話も聞いてもらえず帰るわけにもいかない末蔵は必死であった。
 「取り得ならございます!」
 するとどこからともなくウグイスの声がしてきた。宗室は不思議そうに周囲を見渡し、
 「はて、もう夏だというのにウグイスとは珍しい」
 と、季節外れのその声に耳を傾けた。すると今度はキジバトの声が聞こえてくる。
 「さて、朝でもないのにキジバトが啼き出したぞ。ほれ、お主にも聞こえるだろう」
 と思えば今度はホトトギスが啼き出した。
 「これはどうしたことか?山でもないのにホトトギスが啼いておる。キツネにでもつままれておるようじゃ」
 と宗室は目を丸くした。やがて末蔵が、
 「私でございます」
 と平伏すると、宗室はしばらく意味がのみ込めないといったふうな顔をしていたが、それらの鳥の声がみな末蔵の声色であることを知り、「面白いやつじゃ!」とすっかり感心して笑い出した。伊賀で鍛えた声色の技が、まさかこんなところで役立つとは思ってもない末蔵だが、こうして宗室の懐に見事飛び込むことに成功したのである。
 「で、わしに相談とは何じゃ?」
 「私を高麗国へ連れて行ってください!」
 「高麗国へ?行ってどうする?」
 「高麗茶碗の作り方を学びたいと存じます!」
 「高麗茶碗の作り方……?学んでどうする?」
 「日本に持ち帰り、陶芸の道を究めたいと思います」
 「極めてどうする?金が欲しいか?それとも名声か?」
 「それは……宗室様がご商売をするのと同じでございます」
 「わしと同じ?では金儲けがしたいのだな?」
 「宗室様がそうであるなら……」
 このようなやり取りには末蔵は慣れていた。相手の質問に乗りつつ、いつしか逆の立場に転じる話術である。小太郎などは巧みなもので、彼との付き合いの中で自然と身についたものと思われる。
 「勘違いしないように言っておくが、わしが金が好きなのは裏切らないからだ」
 「私もそうです。技術は裏切りません」
 宗室は少し考え事をしているふうだったが、やがて、
 「確かに日本の陶芸技術は李氏朝鮮国と比較すればかなり遅れているといえようが、お前は朝鮮がどんな国か知っておるのか?」
 「存じませぬ」
 「ならば教えてやろう、あの国は差別の国じゃ。国王のもと、両班といわれるひと握りの特権階級の下に、あらゆる職業の人間が虐げられ、お前の目指す陶芸職人などは奴隷同然の扱いをされておるのだ。それでも朝鮮へ行きたいか?」
 「それは日本も同じでございましょう」
 「どうしてそう思う?わしは一介の酒屋の倅じゃ。しかしこうして豪商と呼ばれる地位を築いたぞ。それにあの関白秀吉様などは土まみれの農民の出じゃ。それに側近の石田治部様も、もとは小さな寺の小姓だったと聞いておる。日本という国は、己の力量、才覚次第で天下人にもなれる国だと思うが」
 「そんなことはありません。光悦様から戴いた沙鉢には、計り知れない力強さが宿っておりました。あれは奴隷などには作れません」
 末蔵はそう答えた瞬間、沙鉢を受け取った時の本阿弥光悦の言葉を思い出した。「悲しみばかりが伝わってきて好まない」「歪でつくりが荒く完成品とは思えない」という。
 「もしかしてお前が見た力強さとは、虐げられた人間たちの苦しみのあえぎ声かも知れぬのう。確かにあの妙ちくりんな形状は器ではあるが、雑とも取れるし、無作為とも取れる。それがたまたま大陸から伝わった高度な焼き窯の技術によって洗練された陶器に生まれ変わっているのかも知れぬ。利休殿などはあの高麗茶碗の中に、人の生命を感じているやいなや。つまりそれが詫び寂びというわけか」
 宗室は光悦と同じようなことを言った。そして、
 「まあ、わしも聞いた話で、実際に朝鮮で暮らしたわけではないからのう。それよりどうじゃ、金儲けが目的なら良い芝居小屋を紹介してやるぞ。お前ほどの声色ができれば一躍人気者になれるに違いない」
 と笑った。
 「どうする?それでも高麗国へ行きたいか?」
 「行きます。行かせて下さい!」
 末蔵は、どんな苦しい境遇に陥ったとしても、あの沙鉢を作る技術を習得したいと思った。
 「よし分かった、連れて行ってやろう。だが旅費はあるのか?」
 「旅費?」
 「当たり前ではないか。人一人を異国へ連れて行くのだ。船賃は勿論のこと、食費もかかる。まさかただで行こうなどと思ったか?」
 「出世払いでお願いします」
 「それは駄目じゃ。そんな宛てにならぬものに金は賭けれぬ。こういうのはどうか?」
 宗室が提案したのは末蔵の声色を金に換える法である。何せ商売の性質上全国のあちこちに拠点があったから、「わしに伴い港、港で声色興行を行え」と言うのである。忍びの術は忍び仕事を成就するためのものであり、それ自体を仕事にしたり金儲けの道具にしてはならぬとは伊賀にいた時くどいほど言われたが、この際仕方がないと思った末蔵は承諾する。こうして間もなく堺を発つが、皮肉なもので声色興行は各地で大絶賛され、旅費どころか大きな利益を生んだ。そうなると手放すには惜しくなった宗室は、
 「いっそ陶芸など諦めて、このままわしと一緒に各地を回らぬか?贅沢な暮らしもできるぞ」
 と引き留めたが、末蔵の決意は変わらなかった。
 そして彼が対馬に到着したのは、堺を発っておよそ半年後の冬の事だった。

 この頃(天文十六年)の対馬の守護大名は宗義調である。
 彼は二十年ほど前、一旦は家督を養子である宗茂尚に譲り隠居するが、茂尚が早世したため、その弟である義純に家督を継がせた。ところがこれも早世したため、更にその弟である義智を当主としたが、秀吉の九州征伐に伴って再び当主となっていた。その戦いに参陣した義調は本土を安堵されることになったが、もっとも地理的に古代より日本と大陸との海上中継地となってきた対馬は朝鮮との関係も非常に深く、秀吉にしてみれば今後の情勢を考える上で特に重要な位置にある人物だったわけである。
 居城である金石城に末蔵を伴った島井宗室を迎え入れたのは前当主の宋義智で、
 「いつものことながら船旅ご苦労である。ごゆるりと過ごされよ」
 と一行を城内の一番良い部屋に案内した。対馬という小国は、朝鮮や大陸との人脈はあっても、物資を流通させるためには商人の力が不可欠で、島国を治める宋氏の繁栄は、そうした貿易によるしかない。このとき義智は、まだ二十歳の凛々しき青年である。
 「当主はどうされた?」
 いつもなら真っ先に出迎えるはずの義調の姿がないことに、宗室は首を傾げた。
 「朝鮮国王を上洛させよと、関白様から無理難題を押し付けられましてな、その交渉に気を病み、このところどうも床に臥せりがちなのだ……」
 「あの気丈な義調様がなあ―――」
 そのはずであった。当時より少し前、対馬海峡沖には倭寇と呼ばれる海賊船が頻繁に出没し、密貿易をするため朝鮮南岸を荒らし放題に荒らしていた。“倭”とは朝鮮から見た日本を指す言葉で、“倭寇”とは直訳すれば“日本からの侵略”であるが、実際倭寇の船に乗る海賊たちはそのほとんどが中国人だったと言われ、一部に朝鮮人や日本人、あるいはポルトガル人がいたと言う。一五一〇年の三浦の乱以来日朝関係は徐々に国交を回復していたが、そのピークとも言える事件が一五五五年に勃発した乙卯達梁倭変と呼ばれるものである。七〇隻余りの倭寇船が朝鮮の全羅道南部の達梁浦を襲撃し、大被害を与えたばかりか達梁城を落とし城将らを殺傷拉致したのである。その首謀者が中国人の王直という密貿易商で、彼らは肥前の五島列島を拠点としていた。事件を受けて李氏朝鮮は倭寇討伐に乗り出すが、それに協力したのが義調だった。海賊の取締りを強化し、その情報を朝鮮側に提供したのである。その功績により義調は朝鮮との貿易拡大に成功し、宗氏の貿易における繁栄をもたらしたのである。いわば義調にとって朝鮮は恩人ともいえる大のお得意様であり、良好な友好関係を継続することこそ宋氏繁栄の命綱だったのだ。それを秀吉が、
 「一年以内に朝鮮国王を従属させ上洛させよ。もし交渉に失敗したら朝鮮に出兵する」
 と言うのである。対馬は朝鮮の港を借りて貿易をしているだけの関係なのに、いきなり日本に服従せよなど筋違いも甚だしい。しかも拒めば戦争をしに行くなど、どこの世界にそんな道理があったものか。苦渋の末、秀吉の本意を伏せて使者を派遣することにした。
 「日本統一を果たした新国王を祝賀する通信使を派遣してほしい」
 と、朝鮮国王上洛要求を通信使派遣要請に変えたのだ。事態をできる限り穏便に収めようとする義調なりの配慮ではあったが、万一露見でもされたら宋家など一巻の終わりである。昨秋九月に日本国王の使者と偽って派遣した柚谷康広という家臣はいまだ帰って来ない。五六歳の義調は命をすり減らすほど肝を冷やしながら首を長くしている訳なのだ。
 「朝鮮と戦争などされたら、我々の商売あがったりです。今宵はそんな暗い話は抜きにして、大いに飲み明かしましょう。面白い男を連れて来ましたゆえ」
 と、宗室は義智に末蔵を紹介した。無論この時点では宗室も義智も、まさか日本が朝鮮と戦争をするなど夢にも思っていない。
 「面白い男?裸踊りでも見せてくれるのかな?」
 義智は笑いながら同じ年頃の末蔵に目を向けた。
 こうしてその夜は酒宴が催され、さっそく末蔵は笑いの種にされる。始めは宗室に聞かせたような鳥や動物の鳴き真似から、やがて波の音や船の音を真似て見せ、ついには料理や酒を運ぶ給仕の女達なども即興で真似れば、会場は大爆笑の渦に飲まれた。気を良くした義智は、末蔵を近くに呼び寄せ、
 「褒美をとらせよう。なんなり申せ」
 と言う。ここぞとばかりに末蔵は、
 「高麗国へ渡りとうございます!」
 「朝鮮へ?行ってどうする?」
 すると宗室が「この者、陶器の技術を学びたいのだそうです」と言葉をはさみ、義智は不思議そうに末蔵を見つめた。
 「行くは容易いが、言葉も分からぬ国でどうやって技術を学ぶつもりじゃ?」
 末蔵は今さらのように気づいた顔をして「それは行ってから考えます」と答えた。
 「朝鮮への入り口は釜山浦という港だ。そこに倭館と呼ばれる日本人居住区がある―――」
 と義智は教えた。この倭館、以前は朝鮮南岸の三ヵ所に存在しており全盛期には数千人もの日本人が居住していた。ところが李氏朝鮮による規制に反発した日本人が起こした“三浦の乱”により一旦はすべて閉鎖されるが、釜山浦の一か所だけは復活し、以来そこが唯一の朝鮮への窓口となっている。
 「そこに朝鮮語ができる者がおるから、付き添いをするよう命じよう」
 「有り難き幸せにございます!」
 末蔵は思わぬ好意に平伏した。こうして彼は、対馬から出港する船に乗り、日本の輸出品とともに朝鮮半島へ渡るのであった。
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