雷神の門 大運動会
> 第1章 > 南蛮船
南蛮船
 なぜこの町には若い女性がいないのか?
 その訳を探れと言われても、小太郎に宛てがあるわけでない。ひとまず仲間を集めて知恵を借りようと思った彼は、懐から“呼び笛”を取り出した。呼び笛というのは伊賀に伝わる二寸ほどの竹でできた細い笛で、吹いても音は鳴らない。否、鳴らないのではなく一般の人には聞こえない音域の超音波を発する。これは仲間を招集する時に使われるが、鍛えても聞こえるようになる者は伊賀の中でも限られており、それでも薩摩遠征が終わり、筥崎宮周辺に集められた大名の中には、伊賀者を雇っている者もいるだろうと、呼び笛を吹きながら既に夜の帳が下りた民家の周辺を走って回った。その聞こえない音は「手を貸してほしい」という意味で、音を感知して同意する者は、互いの主君への忠誠の壁を越え、伊賀者同士で無条件の協力体勢を作る暗黙の了解なのだ。無論互いの立場やその時の状況もあるから強制力はないが、そのゆるやかなつながりは、同郷の者同士で助け合おうとするごく自然な母国愛の一種なのである。
 すると間もなく二、三の伊賀者らしき男達が集まってきた。見ればその中の一人は、京都の吉兆屋で会った服部才之進である。加藤清正に雇われたとかで大坂城でも会ったが、その時は取り込み中でろくに会話もしていない。
 「なぜお前がおる!」
 思わず小太郎は声を挙げた。
 「それはこっちのセリフじゃ。大坂にいたのではなかったのか。何の用じゃ?」
 才之進は独特な抑揚のない口調で言ったが、ライバルである小太郎の招集に乗ってしまった上に、「なぜいるか」といてはいけないような一声を投げかけられて、内心かなり気分を損ねている。
 「わしにもいろいろ事情があるのじゃ」
 小太郎は集まった男達の顔を一瞥した。その伊賀者たちは、それぞれ竹島与左衛門の下忍新堂小猿、伊賀玉滝の五郎助、千賀地保長の下忍野村孫八と名乗った。小太郎は「わざわざ呼び出して申し訳ない」と謝った後、
 「拙者、百地三太夫が下忍、甲山小太郎と申す」
 と名乗った。すると才之進以外の者は「もしや、あの甲山太郎次郎殿のご子息か?」と口々に驚いた。それが才之進にはまったく不愉快で、早くも「帰る」と言い出した。
 「まあいいから聞け」
 と、小太郎は右近から請け負った捜索事由を、「関白秀吉自ら命じられた大事な任務である」と誇張して伝えた。瞬転、才之進は動揺を悟られまいとした口調で、
 「お主、秀吉に仕えておるのか? どのようにして取り入った?」
 と、いまや天下人となった秀吉に仕えていると言う小太郎に対しての嫉妬心を隠しながら、再び「俺はやらん、帰る」と冷たく言った。しかし他の者達は「甲山太郎次郎殿のお子とあらばさもあろう」とひどく感心した様子で、すっかり乗り気である。
 「やらぬのは自由だが、この任務遂行の暁には、関白秀吉からがっぽり褒美をもらえるに違いない。場合によっては仕官への推挙をしてやってもよいが……」
 小太郎はすました顔で才之進に目をやって、相変わらず感情というものをほとんど表情に出さない才之進の目が、僅かに泳いだのを見て楽しんだ。
 才之進は考えた。この憎たらしい小太郎よりも先に情報を入手して秀吉に報告してしまえば、こいつを蹴落とし、自分が秀吉直下の諜報衆として雇ってもらえるのではないかと。
 「仕方がない、やってやろう。今回は貸しだ」
 才之進は心の中でほくそ笑む。
 「すまぬがよろしく頼む。期限は明朝日の出までじゃ。鳥居の脇に大きな楠がある。知り得た情報はその木の根元に埋めておいてくれ」
 そうして五人の伊賀者は、それぞれ闇の中に消えたのであった。
 小太郎たちがてんでに捜索を続けている頃、秀吉のところにはその家臣たちによって次々と新しい情報がもたらされていた。「この町周辺では昔からしばしば神隠しが起こるらしい」とか「十六歳の少女が拉致されるのを目撃した人物がいる」とか「これほど若い男女がいなくなったのは近年のことで、さらわれた者はどこかに売られている」とか「それはさらわれたのではなく、自ら売られに行ったのだ」とか「どうやら黒幕はポルトガル商人だ」と、その実態が徐々に明らかになっていく。要約するとこうである。
 少し前、この辺りは九州屈指の大名大友宗麟が治めていた。彼は博多の海路の便を活かしアジアとの貿易で大きな利益を得たが、キリスト教の進出に伴いポルトガルとの貿易にも乗り出し、更なる富を築きあげることに成功する。ところが本州側からは毛利氏、南からは島津氏の勢力が強まってくると、強大な軍備の必要性が生じ、「自分はキリスト教を保護する者である」と言って、ポルトガルから鉄砲の火薬の原料である良質な硝石を輸入するようになった。ちなみにこの頃の宗麟はまだキリシタンではない。
 軍備というのは金食い虫である。しかも当時のことだからポルトガルは取り引きにべらぼうな価格を提示した。ついに金策に困った挙句、ポルトガルが要求してきたのが人身による取り引きだった。彼等はどこの国でも同じような事をして自国の富を築いていたのである。宗麟は承諾せざるを得なかった。そんな中ひと役買ったのがもともと商才に長けた当時の博多の商人たちだった。そして人身もポルトガル人達に売れば金になることを知り、すっかり味を占めたのである。
 その後宗麟の力は、天正六年(一五七八)の耳川の戦いで島津氏に大敗して急速に衰えていく。キリスト教の洗礼を受け、「ドン・フランシスコ」と名乗ったのはその直後のことで、島津氏が秀吉に降伏する直前に病死したとされるので、この時はすでにこの世の人ではない。
 その島津氏との争いの舞台となった博多は前述したとおり焦土と化していたわけだが、この土地の者はこの土地で生きていかなければならなかった。知恵のある商人は、その後もあの手この手で働き盛りの男女を集めてはポルトガル商人に買い取らせていたり、生活に困窮した農民の中には、自らの人身を売ることで家族を守る者もいた。そんなことを何年も続けていくことで、すっかり若者がいなくなってしまったということらしい。
 日本における人身売買の歴史はこの頃に始まったわけではない。古くは日本書紀の中にもその記述は見られるが、中世以前からの律令制の下では、誘拐や人身売買は流刑などの厳しい処分対象であった。しかし飢饉や疫病などで政情不安が生じると、「人買い」は闇の商売としてしばしば文献にも登場するが、それは一面、貧しい農民たちが生き延びるための苦渋の手段でもあった。いずれにせよ人身を物や道具のように売り買いの対象にするなど許せるものでなく、しかも秀吉にとっては自国の国力である国民を、外国人の金儲けの道具にしているばかりか、海外に流出させている事実が許せない。そして大友宗麟の名を聞いたとき、
 「またキリシタンか!」
 と激怒した。遠目に酒飲みに興じるコエリュとモンテイロの姿を見れば、その白い肌の色や金髪や、高い鼻筋や青い目が、統一したばかりのこの日本を征服せんと企むサタン(悪魔)に見えた。秀吉は上機嫌な態度を装って「日本の酒はお口に合いますかな?」と、二人の盃に酒を注ぎに近寄り、
 「わしに見せたき物とはいったい何じゃ? もったいぶらずに早く教えてくれぬか?」
 とコエリュに迫った。もっとも秀吉にはそれが何か薄々勘付いている。今彼が最も欲しい物とは、南蛮技術により造られた最新型の船なのだ。優秀な船さえあれば、唐入りなど容易に果たせると考えていた。しかもそれを献上してもらえるものと思い込んでいる。
 一方コエリュは秀吉を不機嫌にさせてしまうのも本意でないので、
 「関白殿下にはかないませんなあ。船でございます。“フスタ”という最新型の戦闘船でございます」
 と答えた。秀吉は「ほう」と言って目を細めると、
 「明日、わしをその船に乗せろ」
 と高みから言った。
 「明日はちょっと無理でございます」
 「なぜじゃ?」
 「実は明日、箱崎浜から長崎へ運ばなければならない大事な荷がございまして……。一日、二日中には戻って参りますので、どうかそれまでお待ちください」
 「わしより大切な荷とは何じゃ?」
 コエリュは言葉を詰まらせた。すかさず隣のモンテイロが目配せをして首を横に振るのを見て、
 「関白殿下のお頼みとあらば仕方ございません。では明日、乗船していただきましょう」
 コエリュは苦笑いを浮かべてそう言うと、自分の盃を飲み干して秀吉に返盃した。コエリュは日本のそうした作法をすっかりわきまえている。
 ちょうどそこへ加藤清正がやって来て秀吉に耳打ちをした。すると「伊賀者?」という言葉が秀吉から洩れた。続けて「お前が替わりに聞いておけ」と命じたが「直接でないと申せないと言いますもので」と、清正はすまなそうに答える。秀吉は面倒臭そうに「信用のおける者か?」と聞けば、「私に仕える忍びでございます」と答えるので、仕方なく筥崎宮に設えた陣所に移動した秀吉は、清正が連れて来た伊賀者と対面した。
 「面を上げて手短かに申せ。予は忙しい」
 顔を上げたのは才之進である。
 「申し上げます。関白様より承りました女人消失の件につきまして、重要な情報をお持ちしました」
 「前置きはよい、はよ申せ、結論からじゃ」
 「はっ!」と才之進は珍しくやや緊張した面持ちで、
 「人身売買が行われております」
 と誇らしげに言ったが、終わらぬうちに「もうよい、下がれ!」と秀吉は、一喝して不愉快そうに立ち去った。才之進の情報収集にかかった時間は確かに早かった。しかし秀吉はそれより早かったのだ。蒼白になったのは清正で、「恥をかかせおって!」と、才之進は暫くの謹慎処分を言い渡される。

 さてその頃小太郎はといえば、おおよその人身売買の事実を知って、さらにはその証拠を見つけ出そうとしていた。そして一番怪しいと睨んだのが長崎で乗り損ねたあの最新型の南蛮船で、その船の中を探ろうと筥崎宮からほど近い箱崎浜にやってきた。
 暗闇ではあるが半分くらいの月明かりと篝火のおかげで、忍びの者にすれば動くにまったく支障はない。浜から海の方へ長くのびる波止場の脇には、南蛮船と地元の漁師たちの小さな和船が所狭しと並んでおり、長崎で乗り損ねたその船は暗闇の中で重厚な威厳を放っていた。
 波止場の入り口に据えられた粗末な建物は、乗り組み員達の休憩所になっているに違いない。その建物の入り口では松明が炊かれ、門番であろう、日本人にはとても見えない上半身裸の大きな体つきの男が、椅子に座って腕組みをしている。小太郎は夜中に海辺を散歩する住民の風体でその男のところへ寄って行き、
 「わしは異国というものに非常に興味があるが、あの南蛮船はお主らの物かの? ちと中を覗かせてもらえんか?」
 と、何食わぬ顔で波止場の方へ乗り出した。すると男は慌てた様子で立ち上がり、怒鳴るような異国語を発したと思うと、小太郎の前に立ちはだかったのである。
 小太郎はギクリと我が目を疑った。
 眼前にはややぽっちゃりとした男の腹部があり、少し見上げれば筋肉隆々とした男の胸板が脂で光っていた。更にその上にあるはずの顔は分厚い胸に隠れて毛むくじゃらな髭しか見えず、次の瞬間丸太のような両腕が、小太郎の子供のような体を掴もうと動いた。
 咄嗟に後方へ飛び退けた小太郎はその男の全貌を見た。身長二メートル以上はある猪のようなごっつい体つきをした巨大なポルトガル人だった。
 こんな男に掴まれたらひとたまりもない―――。
 小太郎は誤魔化しの笑みを浮かべながら「南蛮船を見せてくれ」と交渉を続けたが、男は訳の分からない言葉をくり返すだけで全く会話にならない。しかしその大男の怒り狂ったような剣幕と、身振り手振りのジェスチャーから、
 「出て行け! ここはお前の来る所ではない! 言うことを聞かなければ殺すぞ!」
 と言っているのが解かった。
 仕方なく正面突破を諦めて、海の中から船に近づくことにした小太郎は、竹筒を出して海に潜った。身体を水中に潜め、竹の先端だけ外に出して息継ぎをしながらじっと隠れたり水中を移動するいわゆる水遁の術であるが、父から聞いた話では、ある城に忍び込もうとした忍者が、掘の水の中でチャンスを待って、五日間絶え抜いた者がいるそうだ。今の小太郎でさえ半刻も潜っていればあっぷあっぷなのに、そんなに長い間水に浸かっていたら、身体は水ぶくれになるだろうし、第一何も食べないで五日もいるなど絶対不可能だと、あの時の小太郎も反発したが、父は「いるのだから仕方がない」と答えたものだ。
 難なく右近たちが長崎から乗った南蛮船の脇にたどり着いた小太郎は、鉤縄を投げて船べりにひっかけ、そろりそろりと登って甲板の上を覗きこんだ。そこには見張りであろう三、四人の男達がランプで照らされた机を囲み、ガラス製の透明茶碗で赤い飲み物を口にしながら、何やら薄い札を使った遊びに興じているようだった。赤い飲み物はワインで、薄い札とはトランプであろうが小太郎は知らない。
 先程の大男と比べれば皆痩せ男だった。とはいえ小太郎と比較すればひと回りも二回りも大きな西洋人であるが、「これなら倒せる」とヒョイと甲板に躍り出て、瞬く間に腹部や延髄を蹴り飛ばし、トランプが机から落ちる間に全ての者達を気絶させてしまった。
 「南蛮人などたいしたことはないのう」
 小太郎はそうつぶやくと、さっそく船の上を詮索し始めた。
 二本のマストからは無数のロープが垂れ下がり、その多さだけでも驚くというのに、舳先は前方に鋭く突き出し、錨を巻くろくろは黒い怪物に見えた。更に驚くのは船首楼甲板に備え付けられた二門の大砲で、砲口を左右に向けた光景はあらゆる者を征服せんとする野望の塊のように感じる。左右のヘリに沿って整然と並ぶのは漕ぎ手の艪櫂席で、今は収められた長いオールが斜めに立てかけられており、甲板の中央には主屋形があって、前方には小さな机と先ほど気絶せしめた数人の西洋人が倒れている。
 小太郎は船の後方に移動した。そこは二階建ての豪華な操舵室で、中に入れば大きなポルトガル国旗が目に飛び込んだ。見たこともない美しい装飾の机や椅子や燭台や、棚には西洋食器が所狭しと並べられ、いくつもの樽と、鍵がかかって中には行けないが、奥には更に部屋が続いているようだった。たいていのことには驚かない小太郎も、これには感嘆のため息を漏らさずにいられない。
 ふと「ゴトリ」と、床下から何か物が落ちる音がした。小太郎は甲板に戻って足元の床にそっと耳を当てた。
 「誰かいる―――」
 それは無数の人間の、何か悲嘆に暮れる息づかいだった。どうやら床下にはまだ部屋があるようで、小太郎は拳の関節で数度床を叩いてみると、途端にその人の気配は消えてしまった。
 「誰だろう?」
 今度は一種のリズムを形成した音で、同じ床を叩いてみた。
 トン、トン、ト、トー、トーン、ト、トン、トー、トー……
 実はこれ、伊賀に伝わる情報伝達手段のひとつである。いわゆるモールス信号のようなものだが、そのリズムの意味は同じ伊賀者の間でしか通じない。無論船底にいるのが誰かは分からない。ポルトガル人かもしれないし、伊賀者である可能性などは皆無に等しい。しかし音の規則性に気付く者があるとすれば、何らかの反応が返ってくると思った彼は、『誰かいるのか?』と何度か信号を送った。
 すると船底から反応が返ってきた。ところが、ある規則だったリズムを形成しているのに、意味が全く読み取れない。小太郎はすぐに思った。
 「伊賀のものではない―――」
 と。とすれば、このような情報伝達手段を持っている者があるとすれば、彼には甲賀者しか思いつかなかった。
 それにしてもその反応は必要以上に激しく、まるで助けを求めているように何度も何度も繰り返される。「きっと船底へ通じる入り口があるはずだ」と思った彼は、甲板の上を探し始め、やがて主屋形に入ったところの床の一部に、人の出入りができるほどの大きさの戸口のような箇所を見つけた。ところが取っ手は頑丈な鎖で何重にも巻かれ、西洋の大きな錠前で堅く閉ざされている。錠前破りなど忍びの“いろは”であるが、
 「こんな錠前は見たことがない」
 とつぶやきながら、懐から持ち合わせの忍び道具を取り出した。そして様々な形状をした針のような物を鍵穴に差し込んでは、錠前を開けることに専念し始めた。
 どれほどその錠前と格闘していただろうか―――突然赤い松明の光が彼の背中を照らしたのだ。「ハッ!」と振り向いた時にはすでに遅く、彼の頭上に巌が落ちて来たとも思える激しい衝撃が走った。錠前を破ることに夢中になり、まったくの不覚である。遠のく意識の中で、波止場の入り口で門番をしていたあの大男の姿を認めたきり、小太郎はその場に泡を吹いて倒れた。