雷神の門 大運動会
> 第1章 > 宣教師とポルトガル商人
宣教師とポルトガル商人
 その頃小太郎は長崎にいた。
 高山右近の臣下となるためにはキリスト教への改宗を条件に突き付けられた彼だったが、どうしても神の存在というものが信じられず、返答をうやむやにしたまま「九州討伐が終わったら結論を出す」と、秀吉に従軍する右近に伴って九州まで来ていたのである。
 「長崎はこの国におけるキリスト教のメッカですから、そこで洗礼を受けるのも良いでしょう」
 と、右近は小太郎の随行を気にする様子もなかったが、彼の言う通り長崎にはキリスト教信者が多い。というのもここは日本初のキリシタン大名と言われる大村純忠の領地で、ポルトガルとの貿易のために長崎港を開いた彼はバルトロメオという洗礼名を受けてより、宣教師ルイス・アルメイダやガスパル・ヴィレイラのもと積極的な布教活動をしてキリシタンの一大拠点を作りあげていたからである。仏寺を改造してトードス・オス・サントス教会を設け、一時は信者数六万人を越えていたとも言われ、その数は全国にいる信者の約半数を占めるほどの、右近にとっては尊敬に値する人物だった。
 ポルトガルの通商責任者であるドミンゴス・モンテイロという男もイエズス会日本本部におり、秀吉が薩摩で九州平定を成し遂げると、ひと足先に帰路に付いた右近は、その足で長崎に赴いたというわけだった。そこには熊本で秀吉に謁見したコエリュもおり、右近に少し遅れて小西行長や黒田孝高(官兵衛)も合流する手はずだった。
 「おお小西殿、薩摩での水軍の活躍、噂が聞こえてきましたぞ」
 行長の顔を見るなり、右近は嬉しそうに出迎えた。このたびの薩摩の戦い(平佐城の戦い)では、先鋒を任された小西行長が平佐城を激しく攻め込み、島津氏降伏の最後の決定打を放ったのである。
 「なあに、大したことはないさ」
 行長は満面に笑みをたたえて答えたが、ふと右近の近くにいた小太郎に気付くと、
 「なんだお前、なぜここにおる?」と馬鹿にしたように笑った。一、三〇〇程の兵を率い、進軍先で秀吉本陣を必死で守っていた右近の近くを、助けるでもなく守るでもなく全く意味もなくただ追い回していた小太郎は、
 「いちゃ悪いか!わしだって戦陣に加わっておれば、義久と義弘の首など二つ揃えて右近殿に献上しておるわい!」
 と行長の功績に当て付けるように言った。その強がりに呆れたように「なんだ、まだ入信しておらぬか?」と行長はまた嘲た。
 「なかなか頑固な男でのう」と右近もあきれ顔で言うと、
 「官兵衛殿はどうした?」と、行長は小太郎を軽くあしらったまま話題を変えた。
 「日向国方面から薩摩攻めを行ったから、博多で落ち合うつもりだろう。我々だけで参ろう」
 右近と行長が向かったのは大村純忠の邸宅であった。九州平定において大村は秀吉に従ったが、すでに病床にあり出陣すること叶わず、二人はそれを見舞うつもりもあったのだ。
 大村の凄さというか無謀さは、キリスト教やイエズス会に対する一途さにある。天正遣欧少年使節をヨーロッパへ派遣したのも彼だが、自分の領地であった長崎港周辺と、天草湾側の茂木地籍をイエズス会に寄進してしまうという敬虔さである。生来住み慣れた自分の土地とはいえ、もとをただせば日本の国土、独断で国外の者達に譲ってしまうのはどうか? そうなるとポルトガル商人にとってはやりたい放題で、硫黄や銀、海産物や、刀や漆器はもちろん、やがては日本人を奴隷として買い取り海外へ売りはじめた。それがヨーロッパ人のいつもの手段であり、じわりじわりとその国を植民地化していくのだ。
 屋敷に着くと、右近は小太郎に「ここで待っていなさい」と命じた。ところが、どんな話をするのか気になって仕方がない小太郎は、いつもの通り屋根裏に忍び込んでこっそり会話を聞いてしまおうと考えた。
 床に就いている純忠は二人の姿を認めると、「本来ならばお迎えに出なければならぬところを……」と言いながら気怠そうに上半身を起こし、二人をそばに手招いた。枕元には鳥かごに飼われたメジロが一羽、止まり木の間をはねている。
 「そろそろ私も死ぬようじゃ。さて、私はデウス様のもとへ行けようか?」
 既に精気も薄く、純忠の死はすぐそこまで迫っているようだった。
 「バルトロメオ様が天国に召されないようでしたら、なだまだ未熟な私どもは一体どうなってしまいましょう。どうかお気持ちを安らかに」
 右近は純忠の手を握った。
 「たびたびヴィレイラ神父に来ていただき、来世の話をしてもらうのじゃ。それによると魂が肉体から離れた瞬間に審判があるらしい。それは人生の善行と罪の差し引きではなく、心の奥底が自分だけのための人生だったか、神と隣人のための人生だったかが判定対象になるそうじゃ。恥ずかしい話、私はこの審判が怖くて仕方がない。私の人生はどうであったかと自分でもわからんのだ」
 屋根裏の小太郎は、「神の顔色を伺いながら生きる人生などまっぴらだ」と思った。また「神に裁かれるより、己が満足して死ねる生き方の方が幸福だ」とも思った。屋根裏に聞こえる純忠の声は弱々しく続く。
 「最後の罪償いに拘束している捕虜達を釈放してあげようと思う」
 そして枕元のメジロをしみじみ見つめながら「こいつも籠から出して自由にさせよう」と呟いた。
 「小鳥といえどもデウス様が作られたものですからなあ。きっとその思いは通じるでございましょう」
 と、今度は行長が言った。このわずか後、大村純忠は静かに息を引き取る。
 純忠を見舞った右近と行長は、ポルトガル通商責任者モンテイロに会うためイエズス会日本本部に向かった。現在の長崎県庁がある場所にそれはあったと伝わるが、二人を出迎えたコエリュは握手を交わすと、さっそくモンテイロに二人を引き合わせた。二人の要件は、
 「豊臣秀吉関白殿下が日本国を統一された。されば南蛮貿易を代表する貴方は関白殿下にご挨拶に行かねばならない。その際、この度の戦で荒廃化してしまった博多の復興を願い出て、我々キリシタンにとって布教しやすい都市計画をご提案するのだ」
 であった。
 「もっともだ」という話になり、数日後、モンテイロを伴った右近と行長は、コエリュと一緒に長崎湾を小型帆船に乗って、秀吉の逗留予定地である筑前博多は箱崎湾に向かって出航する。初めて南蛮船に乗る機会を得た小太郎は大いに喜んだが、「家臣でもない小太郎殿を乗船させるわけにはいかぬ」と右近に差し止められ、願い叶わず陸路で後を追いかけるはめになり、「チッ!」と舌打ちをしたものだ。
 コエリュが小型船を選んだのは博多周辺の港は浅瀬や暗礁が多く、大型船の出入りには不向きだったからである。しかし小型帆船とはいえフスタ船と呼ばれるそれは、当時にして最新型の船で、風を受けるマストが二つあり、左右合わせて二十二本のオールによって人力で進む。船底も合せて詰め込めば二、三百人は乗れようか、漕ぎ手は奴隷や囚人を使っていたが、複雑な地形や不安定な風向きの場所に非常に強く、小回りも利くから言うなれば戦闘向きの船だった。しかも数台の最新型の大砲を積み込んでいたから、思わず右近も行長も目を丸くした。
 「これを秀吉様に献上すれば、関白殿下もたいそうお慶びになるでしょう」
 その言葉を聞いたコエリュは不思議そうに、
 「献上?」
 と言って首を傾げた。
 「とんでもございません。そんなことをしたら我々は大損です」
 このコエリュという人物、宣教師である前に商人だった。
 実はこの頃日本にいる宣教師達の間では、キリシタン領主に対して過度の軍事援助は慎むようにとの方針が打ち出されてた。これはイエズス会東インド管区巡察師ヴァリニャーノが決めたもので、彼は日本における宣教方針として“適応主義”を取っていた。つまり自国の習慣にとらわれず、日本文化に適応させたやり方で布教を進めるやり方である。そのためか織田信長とも非常に良い人間関係を築いたわけだが、この頃彼は日本にいない。コエリュはこれを無視して軍用船を売り込む腹でおり、もしこのときの折衝人がコエリュではなくヴァリニャーノであったなら、日本の歴史はまた違った形になっていたかも知れない。
 右近と行長は顔を見合わせたが、「南蛮人の流儀というものもあるだろう」と、そこは荒立てずに黙っておいた。

 秀吉が筑前箱崎の筥崎八幡宮に到着したのは六月七日のことである。
 そこで秀吉は、今回の九州征伐における業績を加味しながら、さっそく九州の国割りの沙汰を言い渡す。それによると、小早川隆景に筑前・筑後・肥前一郡の約三七万石を、黒田官兵衛には豊前の六郡約一二万五、〇〇〇石を、立花宗茂に筑後柳川城一三万二、〇〇〇石を、毛利勝信に豊前小倉約六万石をそれぞれ与える。また大友宗麟の子義統には豊後一国を安堵し、対馬の宗氏も安堵と決める。そして肥前の所領の沙汰を言い渡すとき、思わず声を挙げたのが長崎の所領を持する大村純忠の子喜前であった。このたびの島津氏討伐においては、病床に伏す父の替わりに秀吉に従って出陣している。
 「恐れながら申し上げます。ただいま長崎の一部はイエズス会に寄進してございます。万が一にも国替えなど仰せつけられましたなら、長崎の宣教師はじめキリシタン達は路頭に迷うことに相なります。何卒、何卒、安堵の沙汰を!」
 このとき秀吉の目つきが変わった。
 「どういうことか?」
 と、その言葉はあまりに穏やかで、喜前は恐ろしさのあまり言葉を失った。
 「長崎の地を南蛮人に与えたと申すか?いったい誰の許しを得たのか?」
 喜前の額から大きな脂汗が光って見えた。
 「この日本の国土を誰のものと心得る? 純忠のものではないし、わしのものでもない。増して南蛮人のものでもない、この国の帝たる天皇のものぞ! 貴様は天皇を穢す気か!」
 秀吉はカッと頭に血をのぼらせた。浅はかな一人のキリシタン大名は、己の魂をキリストに差し出したばかりか、国土まで彼等に差し出してしまったのである。加えて彼等の、日本各地で信者達を煽動し、土着の寺社を破壊し僧侶らを追い出す蛮行も知っていた。そして大村純忠や高山右近のようなキリシタン大名が、破竹の勢いで増殖している現状が、かつての一向宗の反乱と重なって空恐ろしくなった。当然宣教師等の日本への出入りに伴って、貿易も盛んになり利をもたらすことも存知の上で、このとき秀吉の中でキリスト教が日本にもたらす害毒の大きさを思い知ったのである。
 「ただちに大村純忠を呼べ!」
 「父はいま病床にあり、明日をも知れぬ身の上。拙者が承ります故なんなりと」
 秀吉は刀を抜いて立ち上がった。喜前は命を観念した。
 そのとき秀吉の脳裏に浮かんだのは熊本におけるコエリュの言葉だった。
 『関白殿下が驚かれる物をお見せしましょう―――』
 ぐっと憤りを鎮めた秀吉は、刀を鞘に収め静かに言った。その“驚くモノ”を見てからでも遅くないと思い返したのだ。
 「今日のところは安堵とする。追って沙汰を言い渡す。さがれ!」
 こうして血を見ることは免れたが、翌年(天正十六年)教会領であった長崎は没収され、秀吉の直轄領となる。
 一方、敵対した島津氏には、義久には薩摩、義弘には大隅、家久の嫡子豊久にはそれまでの土地をそれぞれ安堵し、同盟していた秋月氏や高橋元種は移封という極めて温情ある処分を下したのだった。
 ともあれこの日の諸大名の関心は、今回の九州平定によって日本国内にはすでに分け与えられる土地がなくなってしまったということだった。一国一城を夢見て戦ってきた者たちにとっては一種の失望感が生まれ、泰平の世というものを知らない戦国の武将達は、
 「これからは卒なくしていれば安泰じゃ」と言ったり、
 「関白様のことだから次の手を考えていなさるに違いない」と、口々に噂した。しかし当の秀吉は、六月十五日には対馬の宗義調とその養嗣子である義智に対し、朝鮮国王を上洛させるための使者を派遣するよう命じる。すでにこのとき次なる展開に向けて、彼は実質的な手を打っていた。
 モンテイロとコエリュを伴った右近と行長が箱崎浜に到着したのは、秀吉が筥崎宮に入って間もなくのことだった。一行はさっそく秀吉に面会を求め、モンテイロは天下統一の祝賀を述べるとともに、今は焦土と化している博多の復興案を持ちかけた。
 「それは予も考えているところじゃ、申してみよ」
 するとコエリュは、すでに復興後の博多の町を見ているかのような顔で、
 「港をポルトガルとの貿易港とし、市内にはキリシタンを多く住まわせます。いま市内にある寺院と神社は排斥し、替わりにイエズス会の教会を建設させるのが良いかと存じます。関白様が支那に進出するにしても、我等の文明はなにかとお役に立ちましょう」
 すると秀吉は、
 「それはよき考えじゃ、そうするがよい」
 と鼻で笑ったことに、あまりに簡単に要求が通ったコエリュとモンテイロは、拍子抜けの顔を見合わせた。ところが次の言葉を聞いたとき、モンテイロは蒼白になった。
 「ただし、その代わりに長崎は返上してもらう」
 「ちょっとお待ちを!」
 思わずモンテイロは叫んだ。長崎開港の歴史は浅いとはいえ、ようやく外国人居住地もでき、イエズス会の日本本部も近年できたばかりなのである。その上、教会も次々と建っており、ようやく日本の拠点として機能しはじめているというのに、「長崎を返上して博多に移れ」とはそれまでの苦労が水泡に帰す。モンテイロの慌てようを弄ぶように秀吉は続けた。
 「大村純忠が長崎をそちらに寄進したというのは本当のようじゃのう。長崎を奪っておいてなお飽き足らず、博多まで奪ってどうするつもりじゃ? お主らは何を企んでおる?」
 「奪うなんて滅相もありません。私達は博多に理想の世界を創りたいだけなのです」
 「理想ねぇ……」と秀吉は呆れた表情を作った。
 「私達に野心などございません」と今度はコエリュが続けた。
 「そもそも博多の港は浅瀬が多く、我々の大型船は入ることができないのでございます。純粋に布教をしたいだけでございます」
 「お主はさきほどポルトガルとの貿易港にしたいと申したばかりではないか」
 コエリュは墓穴を掘った。
 「これはあくまで私達のご提案ですので忘れてください」
 モンテイロはすっかり貿易のための博多開港案を取り下げた。
 ともあれ博多の町割りは進められる。当初秀吉の計画では、九州統治の要として、また対・明、対・朝鮮のための政治的軍事都市を構想したが、博多湾の性質から新城建設は取り止めとなった。そして秀吉の直轄都市としてそれまで通り商業を中心とした復興を目指し、石田三成をはじめ五名の町割奉行を任じる。その中に小西行長も加えられた。その時の『定め書き』によれば“楽市楽座令”をはじめ侍が住むことを禁じるなど、その後博多は一大商業都市として発展していくことになる。
 「ところでコエリュ殿、肥後八代においてわしに見せたきものがあると申していたが、いかに?」
 「それは後日改めて……」
 「楽しみにしておるぞ」
 秀吉はコエリュを威嚇するような笑みを浮かべ、
 「今宵は九州平定の戦勝祝いじゃ。お主らも存分に楽しんで参れ」
 言ったと思うと農民育ちの無作法な態度を露わに、
 「女を呼べ!じゃんじゃん酒を出せ!町中の女を集めて今宵は大騒ぎするぞい!」
 と高らかに声を挙げた。その上機嫌な秀吉に、一緒に居合わせた右近も行長もほっと胸を撫で下ろしたものである。
 ところが―――
 酒はすぐに振る舞われたが、いくら待っても女が来ない。さすがにしびれを切らせた秀吉は、「女はどうした、女は!」と不機嫌な声を荒げた。すると、
 「町に女が一人もいない」
 と、ある家臣の一人が言う。筥崎宮からほど近い立花山城主で、このたびの戦でも先陣切って大活躍した立花宗茂を呼んで尋ねてみても、「知らぬ、分からぬ」の始末で、ついに、
 「一人もいないとはどういうわけじゃ!梅干し婆さんでも何でもいいから連れて来い!」
 ということになった。そして家臣たち総出で町に繰り出し状況を調べると、次第に町の様子が見えてきて、どうやらいないのは年頃の女性ばかりでなく、働き盛りの若い男性の姿も見えないようだと―――異常な事態に右近と行長も顔を見合わせた。
 「何か起こっているようじゃな?」と行長が言う。
 「あいつを使ってみましょうか?」と右近が応えた。
 そうして呼び出された小太郎はすでにほろ酔いの目をして、「いよいよオレを雇ってくれる気になったのか?」と右近に聞いた。
 「約束はたがえません。洗礼を受けたら雇いましょう。ただ、いま町から女性がいなくなっているらしいのです。その訳を小太郎君に探って来てほしい、明朝までに。できますか?」
 「容易いことだが、雇われてもないのに忍び働きはできぬ」
 「お礼は存分にいたしましょう。なんならテレジアの秘密をお教えしましょうか?」
 菖蒲の洗礼名テレジアの名を聞いて、小太郎は途端にやる気を出して、
 「そういうことなら仕方があるまい」
 言うが早いか風のように姿を消した。
 「いいのかい、あんな約束をして?」
 「なあに、秘密といってもあの子が五歳の頃の秘密しか知らんよ。おねしょをしてたとかね」
 右近は笑って筥崎宮の中へ戻って行った。