雷神の門 大運動会
> 第1章 > 招かざる客
招かざる客
 馬にまたがる小西行長の前に、突然現れてひざまずく黒い影は小太郎である。行長は慌てて馬を止めて「危ない!何者じゃ!」と叫んだ。
 「小西行長様でござるな?」
 「さようだが。いきなり無礼であろう!」
 「これから茶会を開くと聞いたが、拙者もぜひお招きいただきたい」
 「浪人の分際が顔を出すようなところではない。お引き取り願おう」
 「ぜひ小西様の客人たちにも見せて、自慢したき品がござる」
 小太郎は懐をごそごそやると、懐にしまっていた沙鉢を取り出した。途端、行長の目つきが変わると、
 「お主、それをどうした?」
 「茶会の席で申しましょう」
 行長は少し考えた後、「ついて来なさい」と言った。
 こうして通された小西隆佐の屋敷に設えられた四畳半の茶室には、薄茶色の小袖に浅葱色の裃を身に着けた凛々しい男と、黒ずくめの僧尼姿に茶人帽をかぶった六十も過ぎたであろう壮年が正座して静かに談笑していた。裃の男の胸には首から吊るされた銀の十字架が光っており、黒ずくめの壮年は手慣れた手つきで茶をたてている。一人は高山右近、もう一人は千利休である。やがて小西行長は小さな茶室の入り口をくぐるようにして中に入ると、「お待たせして申し訳ない」と謝りながら右近の隣に正座し、
 「来る途中で変な男に会いましてな。面白い茶器を持っておったので連れて来た」
 と笑い、少し高邁な口調で「入れ!」と言った。
 「なんとも狭苦しい部屋じゃのう!」
 作法どころか礼儀すらわきまえない小太郎は、鼠のように素早く茶室に入るなり空いている空間にでんと胡坐をかいた。
 「突然のお招き感謝いたす。拙者、仕官の口を探して放浪しておる甲山小太郎と申す者―――」
 “甲山”と聞いて、右近の視線が一瞬小太郎の方へ向いた気がした。
 この高山右近という男、キリシタンである前に人徳の人として知られ、牧村正春、蒲生氏郷、黒田孝高など、多くの大名が彼の影響でキリシタンとなっていた。その人徳故に、キリシタンに好意的な大名も多くおり、どんなに酒を飲んでも羽目を外さず、その真面目な人柄は秀吉も大いに評価した。茶道においては利休十哲と称されるうちの一人に数えられ、別の一人織田有楽斎は『清の病いがある』とまで言わしめるほどの高潔ぶりだった。
 宣教師ルイス・フロイスは著書『日本史』の中でこう記す。
 「ジュスト(正義)の名にふさわしい城主(右近)と交わったことほど、ヴァリニァーノ神父を満足させ驚嘆させたものはない。彼はまだ二八歳の青年だが、信長の最も勇敢な武将の一人であるにも関わらず、教会や神父に対しては謙虚であり従順であり、召使いのようである」
 と、キリスト教に対しては一層その人間性は際立ち、それが右近の武器でもあった。
 小太郎はその高潔な双眸に吸い込まれそうな感覚になりながら、
 「巷を歩いておったら小西様の館で茶会があると聞き、そこに高山右近様がおられると聞き及び、こうして参った次第」
 と言い、右近の方へ面を向け「高山右近様とお見受け申した」と言うと続けざまに、
 「拙者を雇っていただけぬか」
 畳に額をすり寄せるように平伏した。小西行長は高笑いを響かせながら、
 「いきなり何を申すかと思ったら仕官願いか。そんな話は後じゃ、ほれ、例の茶器を見せてみろ」
 と場をつくろったが、当の右近は至極真面目な顔付きで小太郎の生まれを問うた。
 「伊賀は上野にござる」
 「忍びか?」
 「雇うて損はさせぬ」と、小太郎は不敵な笑みを浮かべた。
 「なぜ私のところで働きたいのか?」
 「実は……」と、小太郎は大坂に来る道中高槻に立ち寄り、そこで見聞きした右近の人徳に感銘したのだと、菖蒲のことは省いたところでまことしやかに嘘を並べた。その話を信用したしないかは別として、右近は話をそらすように正面に置かれた重厚な茶碗を小太郎の正面に置くと、静かに、
 「まずは一服いかがかな?」
 と淹れたての茶を勧めた。作法などまるで心得ない小太郎は、ぶっきらぼうに「頂戴つかまつる」と右手で鷲掴みに一気に飲み干した。小西行長はその姿を見て苦笑いを浮かべたまま。
 「茶菓子もどうぞ」と右近は手前の菓子置きも勧めた。見れば高槻の協会でひと粒だけ食べたコンフェイト(金平糖)に違いない。小太郎は大喜びでふた粒ほどつかみ、口中に放り込むとカリカリと噛み砕いて「うまい!」と言った。
 「ときに、そなたの父の名は何と申しますかな?」
 右近の言葉は小太郎の全てを見抜いているかのような落ち着き払った声だった。そして「当てて進ぜましょう」と続けざまに出た「甲山太郎次郎ですな?」と的中させた右近に対して、小太郎は大きな警戒心を抱かずにはおれない。
 「こやつ、何者か?」
 と一瞬眼光に現れた懐疑の色を見てか知らずか、右近は穏やかな口調で続けた。
 高山右近は天文二十一年(一五五二)、摂津の国高山(現在の大阪府三島郡)の城主の子として産まれた。高山の姓はその地名を冠したものとも言われるが、もともとは、その先祖を探れば近江は甲賀の出であり、甲賀五十三家に高山家があるが、その始祖高山源太左衛門こそ祖であると、「私もそなたと同じ忍びの血を引いております」と右近は笑った。
 それは右近の父友照の親、つまり右近の祖父は重利と名乗る摂津高山の土豪であるが、もともとは近江南部を中心に勢力を奮った守護大名六角氏の傘下にあった。室町幕府による六角征伐、世に言う鈎の陣(長享・延徳の乱)では、後に甲賀流忍術の中心となるこの甲賀五十三家が巧みなゲリラ戦法で大活躍をする。ところが戦国時代の様相が深まると、近畿地方の勢力争いの混乱の中で、父友照は三好氏の勢力下にあった松永久秀の配下となり、永禄三年(一五六〇)大和国の沢城主を任される。
 高山親子の転機は永禄六年(一五六三)に訪れた。
 イエズス会宣教師ガスパル・ヴィレラが大坂堺で布教活動をすることを知った僧侶たちが、時の領主松永久秀に宣教師追放を願い出たことが発端だった。キリスト教と仏教の教義対決をさせた上で追放しようと考えた秀久は、公卿の清原枝賢を仏教側論者に立て、当時仏教に造詣の深かった友照らを審査役に抜擢して議論をさせたのである。キリスト側の論者はロレンソ了斎であったが、そのとき友照はすっかりキリスト教に傾倒してしまい、この年、ヴィレラ司祭を沢城に招き、ダリヨという洗礼名を受け改宗したのである。
 それに伴って翌年、右近もジェストという洗礼名を受ける。まだ十二歳の少年であった。同時に右近の母も洗礼名マリアとなり、妹も含め一五〇名ほどの家臣達がキリシタンとなったのであった。“妹”と聞いて小太郎の目付きが輝いた。
 「その妹、今はどうしておる?」
 右近は一瞬不審の色を表情に映したが、やがて悲しそうに、
 「可哀想なことをいたしました。和田惟政に嫁いでいましたが“白井河原の戦い”で荒木村重に敗れ人質に取られてしまいました。そして九年前、村重が信長に謀反を起こし、結局信長に殺されました。あの時、高槻のキリシタンを守るために私は信長に従うしかありませんでした。結果的に妹を売る形になってしまいましたがね」
 小太郎は「何の話だ?」と首を傾げた。聞きたいのはそんなことでない。
 「殺された? 妹は一人だけか? もう一人いなかったか?」
 「さて?テレジアのことでしょうか?」
 「テレジア?」
 小太郎は今まで“菖蒲”だとばかり思っていた魔性の女が、“テレジア”と呼ばれたことで聖女にでも出遇った新鮮さを覚えた。一方右近の方は、洗礼を受けた時は産まれたばかりの赤子だった彼女を思い浮かべながら、
 「まだあの子が四、五歳だった頃でしょうか? 沢城から芥川城に移る際、戦に巻き込まれてしまう身の上があまりに不憫で、高山家の縁者を頼って甲賀の山奥に隠し置いたのです。高槻城にいた頃はよく遊びに来ておりましたが、よほど甲賀の里が気に入ったとみえます。明石に移ってからは会ってはおりません。もう二十歳を過ぎておりましたかな……」
 「そろそろ婿を考えてやらねばなりませんな。はやり嫁ぎ先はキリシタン大名でしょうな?」
 脇から行長が口をはさむと、右近は「無論」と言うように笑った。
 「それよりテレジアを知っているのですか? どこでお会いになりました?」
 小太郎は話すのをはばかった。この鼻に付くほど丁寧な口調な男に、彼女が“くの一”であることを言うべきか否か迷ったのである。おそらく甲賀の縁者に預けたということは、それなりの末路を考えてのことだろうが、一大名の娘が忍びになったなど、武士にとってはあまり喜ばしいことでないはずだ。暫く沈黙を保っていると、
 「そなたが仕官をしたいと申しますから、私は家の話をしております。主従関係を結ぶのでしたら、隠し事はなしにしようではありませんか? それとも、誰かの依頼で私を探りに来たのでしょうか?」
 右近は優しげな口調を翻して、
 「だから伊賀者は信用ならぬと噂が立つ―――」
 とぶっきらぼうに吐いた。伊賀忍者の悪口にカッと血をのぼらせた小太郎は、
 「誰がそのような事を申した!」
 すると右近も行長も利休も、そのケツの青さに思わずプッと吹いた。小太郎は右近の挑発だったことに気づいて観念した。
 「テレジアというのは知らんが、高山飛騨守友照の娘で菖蒲と名乗る女なら、信州の真田安房守に仕えて今は大坂城内におる真田幸村のところにおるわい!」
 「真田? あの喰えぬ男として名高い天下のひねくれ者を、洗礼に導こうというのかな?」
 右近は楽しげに笑い声を挙げた。
 「あの女の目的は、真田昌幸をキリシタンにすることか?」
 菖蒲のことをいろいろ勘ぐっていた小太郎は、拍子抜けするほど単純な結論に思わず声をもらした。右近は続けた。
 「真意は彼女に聞いてみなければ分かりませんが、あの娘の中にはキリシタンの血と忍びの血の両方が流れております。どちらを選ぶも、また、どちらに流されるも、テレジアの自由であり運命でしょう」
 小太郎は、あの妖艶な乳房を思い浮かべながら、菖蒲の躰には悪女と聖女が同居しているのだと納得した。
 「ところでそなた、コウヤマ小太郎と申しましたな。テレジアのことを教えてくれたお礼といってはなんですが、小太郎さんの先祖のことを教えて進ぜましょう。コウヤマとは漢字でどう書きますか?」
 「亀の甲の“甲”に野山の“山”じゃ」
 右近は「やはりな」と含み笑いを浮かべると、
 「“甲”の字は昔、“高い”の“高”の字をあてていたと推察しますがいかがでしょう?実は当家も以前は“タカヤマ”ではなく“コウヤマ”と読んでおりました。つまり小太郎さんの先祖と私の先祖は同じ甲賀五十三家のひとつ高山家ということになります。これも何かの縁でしょう、仲良くしようではありませんか」
 小太郎は自分の血の中に甲賀の血が混じっていることを聞き虫ずが走った。伊賀者としての誇りを至上の名誉として生きてきた彼には、あの赤猿と同類であるなど許せない。しかし以前(織田信長という男が台頭する以前)は、山を挟んだだけの集落同士、甲賀も伊賀もなく情報を共有していたという話を思い出す時、「さもあらん」と納得してしまうのであった。
 「私は小太郎さんを仕官させてもかまいませんが、ひとつだけ条件があります」
 右近が言った。「なんじゃ?」と小太郎が言うより早く、
 「デウス様の洗礼を受けて下さい」
 「俺にキリシタンになれというのか?」
 「条件はそれだけですが、いかがしますか?」
 小太郎は高槻の伴天連の寺で目の当たりにしたキリシタンの妙な儀式と、屋根裏で盗み聞いた彼等の怪しげな密談でキリスト教に対する大きな不信感を抱いたことを思い出した。キリスト教の教義は“人のため”の教えでなく“神のため”の教えなのだと達観していた彼は、俄かには即答することができなかった。
 「私は近いうちに秀吉様に伴って九州へ立つことになります。それまでにお考えください」
 右近はそう言うと茶をすすった。現に彼がいま堺にいるのは、九州征伐において秀吉から前衛総指揮官の役目を命じられたからであった。
 「すっかり冷めてしまいましたな。淹れなおしましょう」
 利休は右近の茶碗を戻し、飲みかけの茶を捨て、先ほどからチリチリと小さな音をたてて沸いている茶瓶の湯で手際よくすすぐと、再び抹茶を立てはじめた。
 妙な息苦しさを覚えた小太郎は、「出直して参る、ごめん!」と言ったと思うと、煙の如く姿を消した。そして消えたそこには彼が忘れ置いた沙鉢があった。
 「おい! 忘れ物だぞ!」
 行長が大声を張り上げたが、小太郎は戻って来なかった。「どうしたものか?」と首を傾げた行長から沙鉢を手にした利休は、面妖な顔付で呟いた。
 「これは以前、わしが京の本阿弥光悦殿に差し上げた朝鮮の器に違いない。見ず知らずの妙な男によって再び戻されるとは不思議なことじゃ。およそ真に高貴な物は、自らを得るに相応しい持ち主を選ぶものか? 仕方ない、暫くわしが預かっておくことにしよう」
 茶室に招かざる客が去り、三人は落ち着きを取り戻して静かな談話を続けた。