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(一)アン・ディ・ フロイデ


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 違うっ! こんな音ではない、こんな旋律ではない!
 城柳鉄子は思った。しかし口にすることはけっしてなかった。彼女はすでに“音楽”というものを捨てた音楽専任教師であった。
 ここは長野県は須坂市の北側に位置する蛍ケ丘小学校の音楽室。今日も子ども達の下手な歌声を聞きながら、うんざりしたやる気のない視線をピアノの鍵盤に向け淡々と伴奏を弾いていた。曲名は高野辰之作詞、岡野貞一作曲の「もみじ」二部合唱で、いま授業で教えているのは4年敬組の子ども達である。
 城柳は東京の音楽学校を卒業し教師になった今年三十六歳の独身女性である。
 幼少の頃から地元に在住していた全国的に有名なピアニストからピアノを習い、音楽学校にいた頃は国際的なピアノコンクールにも出場するほどの腕を持ち、やがて「音楽で未来を作りたい」との密かな理想を掲げたことから小学校の音楽教師になった。ところが教師になって数年後、彼女に音楽を捨てようと思わせる絶望的な出来事に遭遇したのであった。
 音楽を捨てたのに、音楽から離れられない音楽教師という境遇を呪うこともあったが、今ではすっかり辞表を提出することも諦めた。辞職したところで他にできる事もないし、地元の子ども達にピアノを教えてひっそり暮らそうかとも考えたが、同期の音楽教室を持つ先生達の話では、少子化で経営の苦しさを聞かされるばかりで、さしあたってお金がなければ生活していけない社会の仕組みを恨みながら、やむを得ず教師を続けるしかなかった。そしていつも、
 「仕方がないじゃない……」
 という口癖で自分を慰めているうち時間だけが通り過ぎた。
 ただ機械的に授業をこなすだけの、情熱のかけらもない恍惚とした彼女のその表情から、いつしか子ども達には“鉄仮面”のあだ名を付けられた。本名の“鉄子”の“鉄”から連想されたものであることはすぐに知れるが、当の彼女は気にもしない。もはやあらゆる事が彼女にとっては“どうでもよい”ことなのだ。
 鉄仮面といっても容姿が醜いわけでない。どちらかといえば美人の類で、PTAのお父さん達からは“クレオパトラ”とか“オードリー・ヘップバーン”と呼ばせるほどの美貌の持ち主であり、肩まで伸びる艶やかな黒髪からは、いつもほのかな香水の薫りを漂わせていた。端から見れば気位の高い無表情な美人である上に、無口でいつも小洒落た服装をまとってめっぽうピアノがうまく、また教師としてのスキルもベテランの域に達しているものだから、常に近寄りがたい空気を作っていることは事実で、だから彼女はいつも独りだった。
 季節は秋―――、
 十一月に行われる校内音楽会に向け、そろそろ取り組む楽曲を決めなければならない時期である。城柳はどこか憂鬱そうに伴奏を止めた。
 「ぜんぜん紅葉の情景が伝わってこない。もう一度最初から」
 再び伴奏を弾き始めたが、情景が伝わらないのはむしろ子ども達に原因があるのでなく、彼女の気持ちが氷のように冷たく固まっている感受性の問題で、おそらく国民的な大物オペラ歌手が同じ歌を彼女の目の前で歌ったとしても、今の彼女の心を動かすことなどできないだろう。

♪秋の夕日に照る山紅葉
 濃いも薄いも数ある中に―――

 こう怒られてばかりでは子ども達もやる気をなくし、男子の中にはドラ声を挙げて反発の意思を示す者まで現れて、ついには「あなたたち、やる気あるの?」と城柳は声を挙げた。シンと静まり返った音楽室に再び伴奏が流れ始め、子ども達はいやいやそうに再び歌い始めた。いつものことである。

 おお友よ!
 違うっ! こんな音ではない、こんな旋律ではない!
 もっと楽しく、もっとわくわくする―――
 満腔から、心の底から―――
 大地から湧き、天空から降ってくる、もっと心地よいものを歌おう!
 もっと、もっと―――
 喜びに充ち満ちた大歓喜を!

 職員室では音楽の授業で空き時間となった4年敬組担任の桜田愛が、スマホに表示された外国語の詩の翻訳に没頭していた。大学時代に少しだけかじったドイツ語の知識と家から持って来た独和辞典とをフル活用させながら、自分なりの言葉にしようと試みているのだ。
 彼女は今年の四月から教師になったばかりの新米で、4年生を受け持つことになってから、目まぐるしい忙しさの中で無我夢中で働いていた。学生時代に描いた理想の教師像は早くも現実の前に打ち砕かれ、一学期当初から文部科学省が打ち出す学習指導要領に基づく各教科の授業を進めることだけでキャパシティをはるかに越えていたので、子ども達一人ひとりに目を向けることも、自分のしていることに顧みる余裕もないまま、ただただ時間に追い回されるだけの毎日を送っていた。
 「こんなはずじゃなかった……」
 教師になれば、毎日大好きな子ども達と一緒に遊んで、一緒に勉強して、泣いて笑って苦楽を共有し、人間的にも一緒に成長していけるものと思い込んでいた。ところが現実は決められた期限、期日の中でこなさなければならない事柄が山ほどあり、新人なので雑務が回ってくることはあまりなかったが、特に各教科のカリキュラムなど、週刻みで新しい単元に進まなければならないから、とても一人ひとりの子どもに目を向けている心の余裕などなく、あっと言う間に単元末テストを行なったと思えば、子ども達が理解しているしていないに関わらず次に進まなければならなかった。音楽と理科については専任の教師がいたので助かっていたが、もう二学期も中盤にさしかかっているというのに、算数科に力を入れるあまり―――というよりカリキュラム通りに進めるのに固執するあまり、国語科と社会科が大幅に遅れてしまっている。いまは運動会を終えたばかりで、それに割かれた時間による遅れを取り戻そうと必死だった。
 そんな週はじめの朝、音楽の城柳先生に呼び止められて、
 「4年敬組さんは音楽会の曲、何にします?」
 と聞かれた。他の教科だけで手いっぱいの愛は、音楽のことは音楽会も含めて全て城柳先生がやってくれるものと思い込んでいたので多少面食らったが、教師になって初めて受け持ったクラスなので音楽会にも深く関わりたいのは山々だった。通常音楽会の各クラスの選曲については、クラスの現状に基づいて学級担任の意向を反映させながら、音楽教師はそこに音楽教育的要素を加味して作っていくものであったが、いかんせんそこまで頭を回す余裕がなかった愛は、
 「何かお勧めの曲ありませんか?」
 とすまなそうに聞いた。
 「あるわよ、いっぱい。特にないなら4年生向けの曲、私の方で決めましょうか?」
 その口調には「どうでもいい」といった軽薄さがあるのを感じた。
 「愛組さんは何をやるのですか?」
 4年生は敬組と愛組の二クラスあり、愛組の方は愛より七年先輩の鈴木豊先生が受け持っている。彼の性格を反映してか非常に元気の良いクラスであるが、同学年ということで何かと比較対象にされ、愛はいつも肩身の狭い思いをしている。反面、教師の要領をまったく弁えない愛にとっては非常に頼りにする先輩教師でもあり、三〇歳のジャニーズ風のちょっとカッコイイ風貌の先生なのだ。かといって恋愛感情を抱くわけでなく、というよりそんなものを抱いている余裕すらないわけだが、教師になりたてで右も左も分からない愛にとっては、事あるごとに彼の動向を気にしなければまともな学級運営などできなかった。ちなみに彼は二年ほど前に、前の学校で知り合った女性と結婚したと聞いている。
 「鈴木先生のクラスはアニメの“ワンピース”をやるそうです。張りぼてを作るって言って張り切ってますよ。好きなことを言うだけ言って、指導するのは私ですから迷惑な話ですけど」
 「ワンピースですか……」と、愛は余裕綽々の鈴木先生が羨ましい。
 「特にないなら私の方で適当に選んでおきますね」
 城柳の“適当”という言葉が愛の心に突き刺さった。
 「ちょっとお時間をいただけませんか。少し考えさせてください」
 城柳は「新米のくせに」と言いたそうに会話の間をあけた。
 「わかりました。でも早めに決めてくださいね。できれば今週中に」
 城柳はニコリともせず、淡々と伝えることだけ伝えると自分のデスクに戻ってしまったが、それ以来、音楽会で何を歌おうかと愛の頭の中はいっぱいになった。もともと複数の事を同時にこなす器用さは持ち合わせていないのだ。
 そうして昨晩布団の中で思い出したのが大学時代に関わったドイツ研究会でのサークル活動だった。別段ドイツという国に興味があったわけではないが、中学校のころ世界史の授業で、社会科の先生が第二次大戦中のドイツのホロコーストについて熱っぽく語っていたことを思い出し、そのとき知ったヒトラーという人物について知りたいと思ったのがきっかけだった。その活動の中で少しばかりかじったのがドイツ語で、就職活動で忙しい四年生の大学祭で、意味を理解し、皆で原語で歌おうと決まったのがベートーベンの第九であった。第九に用いられている詩はドイツの詩人フリードリヒ・フォン・シラーが作ったもので、そのタイトルは「An die Freude(アン・ディ・フロイデ)」、日本語訳では「歓喜の歌」とされているそれである。もちろん詩の意味を完全に理解していたかといえば甚だ疑問だが、祭の当日、仲間とステージ上で歌い終えた時、訳もなく歓喜の涙がボロボロと流れ出したのを思い出した。
 「あの涙はいったい何だったのだろう?」
 愛はもう一度シラーの詩を読み返してみようと思い、忘れ去られた本棚の奥から独和辞典を取り出したのだった。 

Freude, schöner Götterfunken,(喜びよ、麗しき火花の閃光よ)
Tochter aus Elysium,(エーリュシオンの乙女たちよ)
Wir betreten feuertrunken,(僕たちは炎に酔いしれながら)
Himmlische, dein Heiligtum!(あなたの聖地へ至ろうと思う)

Deine Zauber binden wieder,(人類の歴史が分断してきたものを)
Was die Mode streng geteilt,(あなたの不思議な法力は再び結びつける)
Alle Menschen werden Brüder,(あなたの柔らかな翼が憩う場所で)
Wo dein sanfter Flügel weilt.(すべての人々は兄弟となるのだ)

Wem der große Wurf gelungen,(大きな幸運を得た者は)
Eines Freundes Freund zu sein,(ひとりの友の友となり)
Wer ein holdes Weib errungen,(心麗しい妻を得た者は)
Mische seinen Jubel ein!(その喜びを共にしよう)

Ja, wer auch nur eine Seele(そうだ、孤独であっても)
Sein nennt auf dem Erdenrund!(己のものがこの地球上に一つでもあるなら!)
Und wer's nie gekonnt, der stehle(そして、それができないならば)
Weinend sich aus diesem Bund!(泣きながらここを立ち去るがよい)

Freude trinken alle Wesen(生きとし生けるものは)
An den Brüsten der Natur;(母なる大自然の乳房からしたたる喜びのミルクを飲み)
Alle Guten, alle Bösen(善なる者も悪なる者も)
Folgen ihrer Rosenspur.(その薔薇の花咲く道を、求めて歩く)

Küsse gab sie uns und Reben,(彼女は僕たちに口づけと葡萄酒と)
einen Freund, geprüfut im Tod;(誠の友情を与えてくれた)
Wollust ward dem Wurm gegeben,(快楽は虫けらに与えられ)
und der Cherub steht vor Gott!(そして、ケルビムは立っているのだ!)

Froh, wie seine Sonnen fliegen,(朗らかに、太陽が飛び廻るように)
Durch des Himmels prächt'gen Plan,(広い天空を駆け抜けて)

Laufet, Brüder, eure Bahn,(友よ、己の道を進め)
Freudig, wie ein Held zum Siegen.(喜びに満ちて、勝利を目指す英雄となって)

Seid umschlungen, Millionen!(抱かれよ、幾百万の友よ!)
Diesen Kuß der ganzen Welt!(そして世界中にこの接吻を与えるのだ!)

Brüder! überm Sternenzelt(友よ、星空を越えて)
Muß ein lieber Vater wohnen.(慈愛に満ちた世界に至れ)

Ihr stürzt nieder, Millionen?(それともひざまずくか?)
Ahnest du den Schöpfer, Welt?(宇宙の鼓動を感じるか?)

Such ihn überm Sternenzelt!(輝く星の彼方を探せ!)
Über Sternen muß er wohnen.(そこに大歓喜の泉はあるから)

 訳し終わるとあろうことか、愛の瞳からあの日と同じ意味不明の一筋の涙が流れ落ちていた。その様子を見て驚いたのが教頭の佐川明彦先生である。
 「桜田先生、どうかされましたか?」
 その声に我に返った愛は、「なんでもありません」と言いながら慌てて涙を拭き取った。
 ちょうどそのとき三時間目終了のチャイムが鳴った。愛は音楽室から戻って来る城柳鉄子先生を待ちかまえて、姿が見えると職員室の入り口の廊下に仔犬のように駆け寄った。
 「城柳先生、決めました! 4年敬組は第九を歌おうと思います!」
 城柳は突然何事かといった様子で桜田を見つめた。愛は続けた。
 「ほら、音楽会で歌う曲です。私のクラスはベートーベンの第九をドイツ語で歌いたいと思います!」
 次の瞬間、そこにいた者は全員自分の目を疑った。愛の言葉に驚いたのではない。あの表情を変えるはずのない鉄仮面城柳先生が、いきなり声を挙げて笑い出した光景にである。そして、
 「あなたバカ?」
 と、さらりと言った。馬鹿を自覚している愛はシュンと小さく縮こまった。
 「小学4年生にできるわけないじゃない。あなた、ベートーヴェンをバカにしてるでしょ」
 音楽を捨てたとはいえ、城柳にとってベートーヴェンは紛れもない神聖だった。それ以前に、第九というものの認識の差に雲泥の開きがあったことは否めない。愛にとってのそれは日本人年末恒例の行事のように歌われるお祭り的な歌であるのに対し、鉄子のそれは、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン交響曲第九番ニ短調作品125第4楽章であり、音楽家でありながら聴覚を失ったベートーヴェンが、それこそ苦しみ抜いた末に完成させた彼の人生最後の魂の叫びなのだ。最初から同じテーブルで議論し合える代物でない。しかし愛は喰らいついた。
 「バカになんかしてません!」
 「話にならない、出直して来て」
 腫れ物に触られた時のように激怒した城柳はそう吐き捨て、プイっとそっぽを向いて立ち去った。バカと言われた上に意味も解からず逆上された愛は、やりどころのない悔しさをぐっと抑えながら、先ほど流した涙とは真逆の意味を持つそれを、滝のようにボロボロこぼした。
 そこへやって来たのが理科専任教師の赤坂ジョニー先生だった。イギリス人の父親と日本人の母親との間に生まれたハーフ先生で、父親の遺伝子を強く引き継いだようで、見かけは金髪で青い目をしているから誰が見ても欧米人だが、育ちはゴッテゴテの長野県人で、英語はまるで苦手な背の高い二十八歳の独身男性である。今年愛が新任でこの学校に来てから密かに彼女に思いを寄せているようだが、根はシャイでありながら父親の影響だろうイギリス仕込みのジョークと騎士道精神を持ち合わせた何とも複雑な男なのである。
 「桜田先生、なぜ泣いているの? そんなに泣いたらオシッコがなくなっちゃうよ」
 愛はジョニー先生を睨みつけると、
 「なんで怒られなきゃいけないのよ!」
 と呟いて、そのまま次の授業がある4年敬組の教室へ向かった。
 
> (二)吹奏楽部とPTAコーラス
(二)吹奏楽部とPTAコーラス


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 放課後といえば北校舎の二階にある多目的教室からは、いつも吹奏楽部の奏でるトロンボーンとかトランペット、あるいはホルンとかユーフォニューム、クラリネットやサックスの高い突拍子もない音や、チューバの低い音や小太鼓など、思い思いの音を出して騒々しいと思われる時間が暫く続く。本来なら音楽室で行われるべき吹奏楽部の練習であるが、この小学校の建設当初からの設計ミスか、音楽室は職員室の真上に作られたものだから、午後の職員会議の日などうるさくて仕方がない。そこでいつからか彼らの練習場所は、職員室から離れたそこへ追いやられたのである。
 吹奏楽部は、音楽関係の有志によるクラブ活動であるから、本来音楽教師がその顧問を務めるところであるが、蛍ヶ丘小学校の場合少し違っていた。というのも二年前に音楽科の城柳鉄子先生が赴任して来た際、
 「吹奏楽は教育課程外活動であるから、音楽専科だからといって私が顧問を務める義務はない」
 と言って、かたくなに拒んだことによる。困った学校側は代わりの先生を当たったわけだが、そのとき自ら手を挙げたのが赤坂ジョニー先生だった。彼は無類の音楽好きだったが、彼を知る教師達は例外なく首を傾げた。学期末の打ち上げや学校行事のご苦労さん会等、先生同士で飲みに行く機会も多くあったが、二次会でカラオケのあるスナックに行けば、マイクを握ったまま放さないのが彼であり、それだけならまだしも、決定的に音楽指導者には向いていないと思わせたのは彼が音痴であることだった。
 心配になった烏山校長は、
 「赤坂先生は理科のご専門ですが……」
 と言いかけたが、端からやる気満々のジョニー先生は「お任せ下さい!」と丸め込んでしまったのである。とはいえ他に音楽指導などできる者もないから、以来彼が蛍ヶ丘小学校吹奏楽部の顧問ということになった。
 そればかりでない。学校運営においてはPTA活動も大きな役割を担う。いわゆる保護者(Parent)と教職員(Teacher)からなる団体(Association)という意味の頭文字をとった組織であるが、その活動の一つにPTAコーラスが存在した。校内音楽会を目指して保護者の有志が集まり、当日は子ども達と同等にステージ上で練習の成果を発表する。しかも蛍ヶ丘小学校のある須坂市を含む小布施町と高山村を包括する須高地区と称される地域では、毎年恒例で郡市PTA音楽祭というPTA主催の極めて特殊な催しが行われているものだから、各小中学校の力の入れようも相当なものだったのだ。例年だと一学期が始まり間もない五月の中旬ごろから月に一、二回の練習を重ね、本番まであと二週間と迫れば、練習のペースは更に増えた。
 そのPTAコーラスの指導においても、城柳鉄子先生は吹奏楽同様の理由で簡単に断った。そのとき再び手を挙げたのが赤坂ジョニー先生であり、彼はそこでも顧問におさまった。
 背が高く欧米人の風貌をした彼は、瞬く間に若いお母さん方の人気の的となったが、音楽指導の実力の方は甚だ怪しいものである。
 音痴ではあるが、無類の音楽好きというのは本当のようで、ただし好みのジャンルを問えば、迷わず歌謡曲とかアニソンと答えただろう。昨年度のPTA主催の送別会などでは、PTAコーラスのお母さん方に誘われるまま二次会にも参加していたが、そこで気持ちよさそうに歌ったのが北島三郎で、欧米人の容姿をした音をはずした彼の演歌は、若いママさん達を大喜びさせていた。その程度ならまだかわいいが、今年度の吹奏楽部の課題曲として選んだのも「いきものがかり」と「AKB48」の楽曲で、子ども達からは大きな支持を集めているが、教師の立場からすれば、そのうちパンクとかロックンロールとか言い出して、教育の領域を逸するのではないかとひやひやしながら見守っていた。
 案の定、この日の職員会議で、校内音楽会で吹奏楽部が演奏する曲目が「ガッチャマン」と「ルパン三世のテーマ」に決まったと報告されたとき、年配の教師陣からはいよいよ疑問の声が挙がりはじめたのである。ガッチャマンとは1970年代に放送されたテレビアニメのことで、当然その頃といえば今の子ども達どころかジョニー先生もまだ生まれていない。古参の職員たちは、
 誰も知らない昔のアニメソングを取り扱う意味はどこにあるのか?
 個人的な趣味を教育の現場に持ち込むのはどうか?
 と言うのである。ちなみに今年の音楽会でPTAコーラスが歌う予定の曲目も「きゃりーぱみゅぱみゅ」と「EXILE」の楽曲で、年配教師陣は“きゃりーぱみゅぱみゅ”を“きゃりーぱむぱむ”と言ったり“チャリーパミパミ”と言ったり、呂律の回らないみょうちくんな名前に振り回されながら、「モルダウとか大地讃頌とか、子どものお手本になるような、学校で歌うのに相応しい曲がもっとほかにもあるだろう」と付け加えた。
 そんな論議のさ中においても、城柳先生は自分とは無関係だといった様子で、ずっと下を向いたままだった。その様子を見かねて、ついに校長の烏山周一先生は、彼女に発言の場を与えたのだった。
 「城柳先生はどうお考えですか?」
 職員会議に参加することは学校で教師をする者の義務である。さすがに吹奏楽部とPTAコーラスの顧問を断った時のような理由は通用しない。果たしてどんな発言をするのだろうと、先生達の視線が一斉に鉄子に集まった。
 「音楽に垣根を作るのは間違いだと思います。音楽はすべての人間に与えられた権利です。垣根を作るその心こそ、教育者としての資質を問うべきではないでしょうか」
 瞬転、職員室は緊迫した空気を孕んでシンと静まり返った。あまりに正論と思われる意見に皆次の言葉を失ったのだ。単純な桜田愛先生などは、“バカ”と言われた悔しさなど一瞬にして忘れて、その崇高な理念に心酔してしまった。
 それまで赤坂ジョニー先生を批判的に言っていた中心人物の野際勝次郎先生は、ふと巻き返しを図ろうと、「そういう事を言ってるんじゃないんだよ」と反駁した。
 「音楽は万人の権利なんて当前じゃないですか。私達は赤坂先生が個人的な趣味趣向で自分が選曲したものを子ども達に押し付けている疑いがあると言ってるんです。それこそ教育に対する冒涜じゃないかね?」
 教頭そして校長への昇進を密かに目指す野際先生は6学年の学年主任である。やや思い込みが激しいのが欠点で、こうと決めたらそれが間違っていたとしてもなかなか非を認めない。よく政治家の討論にありがちな、論点をはぐらかせ、議論を自分の得意な土俵に持ち込む話術に長けていた。名門大学出のゆわゆるインテリ意識はなんとも始末に負えないものだと、若い先生方は皆思った。ジョニー先生は反論した。
 「僕は個人的な趣味趣向を押し付けたつもりはありません。現にいくつかの曲を提示した上で決定しました。子ども達に聞けば分かります! それにPTAコーラスで歌う曲についても、コーラス委員さんを中心に話し合いで決めました。それをそんな言われ方をしたら誰だって怒りますよ!」
 それに対するベテラン野際先生の言葉はあまりに穏やかだった。
 「ここは協議の場だ。そう感情的になったら話し合いにならないじゃないか。ならば聞きますが、赤坂先生は今、子ども達にいくつかの曲を提示して決めたとおっしゃいましたが、そのいくつかの曲とは何と何と何でしょうか?」
 「それは……」と、ジョニー先生は言葉を詰まらせた。
 「ほれみたまえ、どうせマジンガーZだとかドラゴンボールだとかワンピースだとか言うのだろう。私はそれを言っているのだ」
 ワンピースを引き合いに出されて、今度はまさに音楽会でそれをやろうとしている4年愛組の鈴木豊先生がたまらず声を挙げた。
 「ちょっと待って下さい! ワンピースがなぜいけないのですか? あのアニメのテーマは友情です。子ども達もみんな大好きで、興味、関心を引き出すには最高の題材であり、いま私のクラスでは全員の力を一つにして大成功させようという気運が高まっています。それを否定されたくありません!」
 「なにもそんな事は言ってないよ」と、職員会議はやがて騒然となった。その言い争いの空気に耐えられなくなった桜田愛は根っからの平和主義者だった。思わず、
 「あのお!」
 と叫んで立ち上がった。口々に言い争いをしていた先生方は、突然立ち上がった新米女性教師がいったい何を言い出すのかと、しばし口を開くのをやめて鋭い視線の矢を放った。その威圧感に圧倒された愛は、暫くもじもじしていたが、やがて、
 「なんでもありません……」
 と言って座ってしまった。
 「かまいませんよ桜田先生、なんでもおっしゃってご覧なさい。ここにいる先生方は全員人格者です。あなたを取って食べようなんて思っている人は一人もいませんから」
 そう優しく包み込んだのは烏山校長である。その温かい笑みに勇気を奮い起こした愛は、思いのたけを声を震わせながら一気に述べた。
 「話がすり替わっていると思います。さっき城柳先生は“心”の話をしようとしたのです。なのに皆さんは、方法ややり方の話ばかりしています。もしかしたらそのやり方や方法の中に心があるのかも知れませんが、私はバカなので全然見えないんです……すみません、それだけです」
 そう言うと顔を真っ赤にして俯いた。
 「どうですか?城柳先生、音楽科の立場から何か意見はありますか?」
 烏山校長は再び城柳に振った。
 「いえ、特にありません」
 烏山は悲しそうな目をした。
 「どうでしょうか皆さん、吹奏楽の件につきましては既に赤坂先生に一任した事です。ここは赤坂先生を信頼して温かく見守ろうではありませんか。異議がなければ次の議題に移りますが、よろしいですか?」
 こうしてひと騒動を醸し出したその日の職員会議は終わる。
 城柳はそそくさと帰り自宅を始めたと思うと、誰よりも早く職員室を出た。その姿を見た愛は、慌ててその背中を追いかけ、
 「城柳先生!」
 と呼び止めた。彼女は事務室の壁にある出欠のネームプレートを裏返すところで、
 「なにか用かしら? 忙しいんだけど」
 迷惑そうに振り向いた。別に忙しくなどない。早く帰って横になりたいだけなのだ。すると愛は目をらんらんと輝かせ、
 「私、ものすごく感動しちゃいました、さっきの発言!」
 と言って城柳の手を握ると、彼女はその手を奇異な表情で睨みつけたと思うと、まるで汚物にでも触ってしまったかのように振り払った。愛はそんなことなどおかまいなしに、
 「垣根を作るその心こそ問題だって、本当にその通りだと思います! いじめもそう、垣根を作る心が根本問題だったんですね。まさに教育の神髄です、目から鱗です!」
 「あなた、バカ?」
 城柳はまるで冷めた口調で昼間に言ったのと同じセリフを口にした。しかし楽天的な愛は、それが彼女の社交辞令なのだと思って今度は気にもとめなかった。
 「音楽って深いんですね! 私、てっきり城柳先生って冷たい人かと誤解してました」
 「あんたは手の施しようのないバカだ。あの場面で“どうぞ勝手にやってください”なんて言えるわけないでしょう。私は観念論を言っただけ。どうだっていいのよ」
 「えっ……?」
 愛は太平洋の真ん中を漂うボートの上で、ようやく巡り合った大陸行の船に見放された漂流者のように、呆然と美しすぎる鉄仮面のような顔を見つめた。それは血の通わない鉄の鎧を着たバル=サゴスの神にも似て、恐怖と絶望の底に誘うかと思われた。その悪魔のような女に“バカ”という言葉を、一度ならずも二度、三度までも、まるで呼吸をするように言われたのである。自覚している短所を、他人から指摘される事ほどの屈辱はない。ふいに愛の瞳からまた大粒の涙がこぼれ落ちた。
 「可哀想だから一つだけ忠告しといてあげる」
 愛は地獄の天井から垂れて来たひと筋の蜘蛛の糸を掴む思いで鉄仮面を見つめた。
 「今日、校長は嘘をついた」
 「校長って烏山校長先生のことですか?」
 涙交じりの声は俄かには信じられないといったふうである。愛にとっては教師になって以来、学級経営のことから私生活に至るまで、公私にわたる助言や指導をいただいている尊敬する人物なのだ。その性格は温厚篤実で、その教育に対する情熱は熱く、その打つ手は愛情に満ちて適確だと信じていたからだ。
 「校長はさっき、あなたから意見を引き出すために“ここにいる先生は全員人格者”だと言った。でも人格者などあそこには一人もいなかった。せいぜい騙されないようにすることね」
 「どういうことですか?」
 城柳は何も答えず職員用の下駄箱に向かって歩き出した。
 「教えて下さい!」
 「しつこいわね! 誰も信じるなって言ってるの。教師なんてみんな偽善者、校長はその最たる者。制度やシステムに固められた氷の社会の中で、世渡り上手がやってるの! ああ疲れた、喋りすぎた―――」
 城柳は「さようなら」も「お疲れ様」も言わずに玄関を出て行った。
 取り残された愛の脇を、先ほどの職員会で叩かれ、ひどく落ち込んだ様子のジョニー先生が通り過ぎた。そして涙目の愛を一瞥すると、
 「また泣いてるの? バケツ持ってこようか?」
 と、心そこになしといった沈んだ口調で呟くと、ため息を落として立ち去った。
 
> (三)壁の向こう側
(三)壁の向こう側


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 連日残業である。
 愛は独り皓々と灯りの点いた4年敬組の教室にこもり、ようやく今日終えた国語の単元テストの採点をしながら、深いため息を落とした。明日の授業では答え合わせの復習をし、早々に次の単元に進まなければどんどん遅れていくばかりである。この仕事が終わったら、新しい単元への導入と進め方について考えなければいけないのに、手にした赤いペン先は遅々として進まない。城柳に言われた事がショックで、余計なことばかり頭の中を巡って、どうにも手につかないのである。
 教師用のデスクの上に置いたピンクの水筒のお茶を口に含んだ時、ふと、東側の隣の教室から大きな物音がした。まだ現在ほど少子化が騒がれていない頃、この小学校には敬組、愛組のほかにもう一つ信組という学級があった。近年では児童数の減少で愛組すら作れない学年もあるが、そうして使われなくなった空き教室は、相談室とか自習室として特定の教師の管理下にないただの空き部屋と化している。
 物音がした東側の教室は、現在社会科の授業で活用されることを意図した郷土資料室になっており、そこには地域の住民たちから寄贈された大昔の農機具やら機織り機やら、ボロボロの幟やら提灯やら、中には古文書のような書物もいくつか展示されていた。その歴史的な価値についてはとんと不明であるが、中でも子ども達の目を引いたのは江戸時代に使われていたとされるお殿様が乗るような実物の輿で、装飾などはほとんど真っ黒になってはいたが、日本の歴史を感じさせるには十分な代物ではある。物音は確かにその郷土資料室から確かに聞こえたのだ。
 愛はドキリと目を丸くした。
 「鈴木先生かしら?」
 しかし鈴木先生の4年愛組の教室は西側にあり、しかも彼は「今日は用事があるから」と言って既に帰宅したはずだった。 
 ひょっとしたら家に帰らない子どもが潜んでいることも考えられたし、最悪の場合は泥棒が忍び込んでいることも想像できた。愛はそろりそろりと立ち上がって敬組の教室を出ると、隣の郷土資料室の扉を恐る恐る開けた。中は真っ暗──。
 「誰かいますか〜? 誰もいませんか〜? 電気点けますよ〜?」
 愛は入り口近くに据え付けられている教室の電気スイッチを押した。蛍光灯がカチカチッと音を立てて室内を明るくすると、果たして中には誰もいない。
 「気のせい……?」
 ほっと胸をなで下ろして電気を消そうとした刹那、
 「ほっといて下さい!」
 大きな声に仰天した愛は、「キャッ!」と悲鳴を挙げて廊下に尻餅をついた。すぐに職員室へ助けを求めに走ろうとしたが、驚愕のあまり腰が抜けてしまったようで動けない。そして咄嗟に出た言葉が「ごめんなさい!」だった。
 「桜田先生……」と力のない声で、狭い輿の中で体育座りをしてこちらを見ていたのは赤坂ジョニー先生だった。愛は激しい心臓の鼓動が落ち着くのを待って彼の所へ近づこうとしたが、どうにも腰に力が入らずに暫くそのままの格好でいるしかない。その様子を不審に思ったジョニー先生は、「どうしました?」ときまり悪そうに聞いた。
 「こ、腰が……」
 本当なら自分の方が慰めてほしかったジョニー先生だったが、あまりに桜田先生が気の毒だったので、もう少し独りでいたかったところを天の岩戸から天照大神が姿を現わすように、輿の中からのっそり出てきて、愛の体を引き起し「大丈夫ですか?」と郷土資料室にある椅子に座らせた。
 彼が真っ暗なこの部屋に一人でいたのは、「この郷土資料室にいると妙に心が落ち着くのだ」という理由からだった。気分が滅入った時など、たまにこの部屋に来ては展示物を眺めるのだと言いながら、千歯扱きや足踏み式の脱穀機や唐箕と呼ばれる穀類の選別機など、展示してあるいくつかの農機具の使い方を楽しそうに説明した。理科の先生だというのにその知識が専門的なことに驚かされるが、それ以前に欧米人の容姿をして日本の歴史を語るミスマッチに滑稽さが漂っている。
 「赤坂先生は理科の先生ですよね。社会科の先生になればよかったのに」
 「それは違います、この農具の仕組みを見て下さい。実によくできている。このカムとクランクの仕組みなどそのまま理科の教材になります」
 ジョニー先生は教育の持論を語り始める。今の学校教育は局部的な知識を身に付けることばかりに一生懸命で、全体の大切さを教えようとしない。算数だったら数のことばかり、国語だったら言葉のことばかり、理科と社会にしても然り、図工も音楽も体育も、その分野のことばかりに固執して、子ども達は得た知識が生活の中でどのように役立っているのか知らないまま大人になってしまう。でも実際生きるということは、この農機具のように、あらゆる分野の知識の結晶として生活の中で活かされなければいけないのだ。
 「それが知恵だと思うんだ―――」
 しかし社会全体が知識偏重主義に陥っていて、何でもかんでもマニュアル、マニュアルと言って、形さえ作ってしまえば全体が機能すると思い込んでいる。そうして形成されたがんじがらめのシステム社会では、知恵重視の大切さに気づいても実現しようにも不可能なのだ。
 「やがて人間は心を失い、人類の未来は絶望的になるだろう―――」
 とジョニー先生は熱く語った。
 愛はやりかけの採点をしなければと、刻々と過ぎていく時間を気にしながら、
 「じゃ、私、仕事がありますから」
 と、動けるようになった腰をさすりながら立ち上がった時、再びジョニー先生は、
 「ぼかあ間違ってるのだろうか?」
 と、いきなり愛の腕を掴んで引き留めた。
 「ぼくは個人的な趣味趣向を子ども達に押し付けてなんかいないんだ! 僕は心躍り、愉快になり、子ども達が演奏して元気になるような、僕が純粋に良いと思った曲を勧めただけなのに、それが教育に対する冒涜になるのかい? 桜田先生、教えてくれ!」
 ジョニー先生が独りで暗い郷土資料室の古い輿の中にこもっていた本当の理由はこれだった。職員会で野際先生に言われた心無い一言に、滅茶苦茶落ち込んでいたのだ。どおりで城柳先生を見送ったときにすれ違った彼は元気がなかったわけで、見かけによらず繊細な心の持ち主なのだと、愛は気の毒そうにその俯きがちな表情を見つめた。
 「そういう強い思いを持って決めたのなら、絶対まちがっていないと思います。子ども達にはきっと伝わるはずですよ」
 「どうしてそんなことが言えるんだい? 桜田先生に僕の気持なんかわからないよ……」
 ジョニー先生は目に涙をためて叫んだ。
 「なぜガッチャマンがいけないのだ? なぜルパン三世がいけないのだ? いっそベートーベンでもやればいいって言うのか!」
 ベートーベンと聞いて、愛は昼間、城柳先生に音楽会で第九をやりたいと言って断られた事を思い出した。すると「ちょっと待って」と、4年敬組の教室から昼間訳したシラーの「アン・ディ・フロイデ」の日本語訳を書いた紙を持って来てジョニー先生に見せた。

 『喜びよ! 麗しき火花の閃光よ! エーリュシオンの乙女たちよ!
 僕らは炎に酔いしれながら、あなたのいる聖地へ至ろう!
 人類の歴史が分断してきたものを、あなたの不思議な法力は再び結びつけるのだ!
 その柔らかな翼が憩う場所で、すべての人々は兄弟となる!』……

 「なんだい、これは?」
 「ベートーベンの第九。シラーの詩を翻訳してみたの。本当はもっと宗教色が強い部分もあるのだけど、日本人にはちょっと解かりにくいと思って変えてみたんだ」
 「これがどうかしたの?」
 「実は……」と愛は、翻訳した経緯と城柳に馬鹿にされた昼間の出来事を悔しそうに話し始めた。
 「城柳先生がそんなことを? 職員会で“音楽に垣根はない”と言った人の言葉とは思えないな」
 「赤坂先生もそう思いますよね?」
 愛は共感してくれる人間の出現に、思わず手を握って涙目で彼を見つめた。
 その無垢で健気な瞳が、ジョニー先生にとっては穢れなき“エーリュシオンの乙女”に見えた。ギリシア神話に登場するその楽園の名は”エーリュシオン”──フランス語では”シャンゼリゼ”と言う。突然彼の頭の中で、名曲『オー・シャンゼリゼ』が鳴り出した。すると顔を真っ赤に染めて、落ち込んでいたことなどすっかり忘れ、
 「僕に任せて下さい。城柳先生を説得してみます!」
 と、出まかせを口走ったのだった。
 「無理よ。城柳先生、子供たちから何て呼ばれているか知ってる? 鉄仮面よ! なんでか知らないけど心が氷のように冷たいの。私なんか何度”バカ”って言われたか分からない……」
 「そいつは許せない! 桜田先生はバカなんかじゃありません、純粋なだけです。ひとつ僕が抗議して、その言葉を撤回させてみせます!」
 「もういいの……今回の音楽会は第九は諦めて、全部城柳先生にお任せしようと思います」
 「それはいけない、桜田先生のクラスじゃないですか。話せばきっと分かってくれますよ。この詩にもあるじゃないですか、”すべての人々は兄弟”だって!」
 と翌日、意気込んで城柳へ交渉に当たったジョニー先生だった。ところが二時間目の休み時間、ガクリと肩を落として暗くなっている彼を見付けた愛は、「どうでした?」と慰めるように声をかけた。
 「聞いて下さいよ、桜田先生!」
 涙目のジョニー先生が語るにはこうだった──朝の職員会が終わり一時間目は城柳先生もジョニー先生も空き時間だったので、チャンスと思って「お話しがあるのですが」と切り出したのだと言う。するといつもの淡々とした調子で、
 「どうして理科の赤坂先生が4年敬組の音楽会の心配をするのですか?」
 と息もつかせない早さで返された。言葉に窮したジョニー先生は、知り得る限りのベートーベンのうんちくを述べ始めたが、
 「もしかして桜田先生に頼まれた? でなければ桜田先生に気があるの?」
 図星のジョニー先生は白い顔をピンクに染めて、水面に口をパクパクさせる鯉のようになってしまった。
 「あなたは吹奏楽でルパン三世を練習していればいいじゃない。各クラスの音楽会の指導は私の仕事ですので、余計な口出しはしないで下さる?」
 と、あっけなく撃沈されてしまったのだと言う。当然桜田先生に気があるという話までは伝えなかったが、ジョニー先生には最後に言った城柳先生の言葉が気になっていた。
 「ひとつ忠告しといてあげる。職場の恋愛はやめておきなさい、特に教職員は。火傷どころではすまなくなるから」
 彼女はそう言い残して職員室を出て行ったのだった。
 その時の情景を思い浮かべながら、ジョニー先生は愛を見つめてすまなそうにこう言った。
 「城柳先生との間に、とても分厚い壁を感じてしまいました。しょせん人間なんて、心に壁を作る動物なんですよ……。城柳先生は音楽に垣根なんかないって言ったけど、もし垣根を持たない人間がいたとしたら、それは神か仏ですよ──」
 そうかも知れないと愛も思った。
 「すみません、余計なご心配をかけてしまって。第九はもう諦めます……」
 そう呟いた愛を叱責するように、
 「僕はあきらめないよ!」
 弱気だったジョニー先生の口から思いがけない力強い言葉が飛び出した。思わず愛は「えっ?」と声を挙げた。
 「僕には産業革命で世界を席巻したイギリス人の誇りがあるのです。こんなことでは諦めません! 僕と一緒に戦いませんか?」
 「戦う? って、何と?」
 「あらゆる抑圧とですよ! ベートーベンの『第九』は人間生命解放の『歓びの歌』だってことは僕にだって分かる。その喜びを子ども達にも味あわせてあげたいという桜田先生の気持もよーく分かります。それを挑戦もさせないで端から無理だと決めつける了見があるものか。それこそ子どもの可能性の芽を摘み取る教育に対する冒涜じゃないですか?」
 「あのお、私、そんなこと言ってませんけど……」
 「言わなくても分かります。現実社会、子ども達を取り巻いているのは彼らの可能性を蝕む抑圧ばかりだ。子どもだけじゃない、我々大人だってそうさ。無理な仕事からの抑圧、人間関係の抑圧、権力からの抑圧、法や制度からの抑圧、時間の抑圧──がんじがらめで息が詰まりそうだ。今こそ『第九』を歌う時なんだ!」
 ジョニー先生の勢いに押されて、言い出しっぺの愛の方が唖然と「はあ……」と答えたのみだった。
 「とりあえず城柳先生を説得する策を考えますので、僕に少し時間をください。それまで桜田先生は、城柳先生に何を聞かれても『第九をやります』の一点張りで踏ん張ってくださいね!」
 ちょうど三時間目始業のチャイムが鳴ると、ジョニー先生は鼻歌を歌いながら理科室へと出て行った。